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奇妙な同居人、誕生
●追いかけて
ひたすら追いかけていた。辺りが闇に覆われてゆく中、億人はただひたむきに追いかけていた。
(逃がしたらあかん)
億人の直感が、足を動かしていた。追いかけているのは、大通りのショーウィンドウで見かけた男性。思わず振り返り、何度も確かめてしまった男性だ。
奇妙、いや異様な男性だった。人間であって人間でないような……どうにもはっきりしないように億人には感じられた。自分のような悪魔の類、異世界の者であるのなら、それらしい気配をまとっていたりするのだが……何とも言えない。
だから、追いかけた。
気になってしまったから、足が動いていた。
不幸にも地獄へ戻れなくなった我が身。どうにかして地獄へ戻りたいと考えるのは自然なことである。もし億人が今追いかけている男性、その本性が人間ではなければどこか他の世界からやってきたのかもしれない。繋がっているのかもしれない。ならば――そちらを経由して、自分が地獄へ戻る方法が判明する可能性だってないとは言えないだろう。
億人を召喚した人間は最後にこう願った。『お前が二度と地獄に戻れず、永遠にこの世で苦しむこと』と。だったら、この世ではない別の世界へ行くことが出来れば、この望みが意味をなさなくなるのではなかろうか。
ゆえに男性を追いかけることは、億人にとって地獄に垂らされた1本の蜘蛛の糸を辿るようなものだった。いや、地獄へ繋がる蜘蛛の糸と言った方が億人の場合は適切か。最悪、この世界での居場所くらいは確保出来るかもしれないのだし。
(……どこまで行くんやろか)
男性を追いかけながら、億人はふと思った。大通りから小道に折れ、さらにうねうねと細かい路地を回ってゆく。気を抜くとすぐにでも見失ってしまいそうでちょっと怖い。
そのうちに男性が足を止めた。自動販売機で煙草を買おうとしていたからである。億人との距離が縮まってゆく。
(今や!)
声をかけるならこのタイミングだ。億人は小走りで近寄って、男性に声をかけた――。
●声をかけてみた
「ひ……久し振りやんなあ?」
さも男性を知っているかのように声をかける億人。当然初対面であるのだから、男性が億人のことを知っているはずもなく。
「あ?」
煙草を買おうとしていた男性――来生十四郎は億人へ怪訝な顔を向けた。
(ここは一気にゆこか)
その瞬間、億人は十四郎に対して魔力を行使した。別に十四郎を傷付けるようなものではない、ちょこっと心へ作用させるだけだ。具体的に言えば、億人のことを親類だと思わせるように。
「忘れたん? 親類やん、親類」
億人がさらに十四郎へ話しかけた。返ってくると億人が思っていた答えは『ああ、そうだったな』といったもの。けれどもそれは見事に裏切られることとなった。
「……誰だ?」
さらに怪訝な表情になる十四郎。
「親類と呼べる所は全て厄介になったが、お前の記憶はない」
少し考えてから、十四郎がきっぱりと言い放った。それを聞いて焦ったのは億人である。
(え、何でや? 失敗したんかな……)
もう1度、同じように魔力を行使してみる億人。
「そ、そやから親類……」
「因縁をつける気なら相手になるけどな」
十四郎がぎろりと億人を睨み付ける。脅している、本気だ。このまま同じやり取りが続けば、確実に手が出てくることだろう。
(……何で効かへんのやろ……)
驚きの億人。これは参った、全く魔力が通じていないではないか。
「おい、どうした?」
黙り込んだ億人へ、十四郎が声をかけてくる。
(力が足らんのやろか)
十四郎に魔力が通じない。これを億人は自分の力不足であると考えた。ならばここは仕方ないけれども、億人の取るべき行動は1つしかない。
「実は――」
素直に、話した。
億人が召喚された悪魔であること、そしてここまでに至る経緯など全て、正直に十四郎へ話した。
「……そういう訳で、少しの間居候させてもらわれへんやろか? お願いやから!」
そう言って十四郎へ頼み込む億人。十四郎は再び考え込んだ。
(悪魔だって? そりゃま、幽霊が居るんだから悪魔が居ても変じゃないんだろうけどな……)
十四郎はじろじろと億人の姿を見つめた。尖った耳は確かに悪魔ではないかと思わせるものがあった。が、だからといって億人の言うことをすぐに全部信じることは出来ない。確実に分かったのは、億人が今困っているということだ。
「分かったよ」
はあ、と溜息を吐いて十四郎がつぶやいた。
「とりあえず、家来い」
かくして億人は、十四郎の自宅アパートへ連れてゆかれることとなった。
●懸念の末に
さて、十四郎の自宅アパート『第一日景荘』。部屋には兄で幽霊である来生一義が、十四郎の帰りを待っていた。
「……遅いな」
時計をちらりと見て一義はつぶやいた。十四郎に用事があったので電話をかけ、その時にいつ頃帰ってくるかも聞いていた。その時間から、15分ほど過ぎていたのだ。
十四郎が億人を連れて帰ってきたのは、ちょうどそんな時だった。
「ただいま」
玄関が開き、十四郎の声が聞こえた。一義は玄関へ向かって十四郎を出迎えようとした。
「遅かっ……」
小言の1つでも言おうかと思っていた一義の言葉が途中で止まった。視線は十四郎……のすぐ後ろに居る億人に注がれていた。
「十四郎、離れろ!」
どうしたことか一義が血相を変え、十四郎へ向かってそう叫んだ。
「ん、どうした?」
一義が血相を変えた理由が分からない十四郎は、どうしたのか尋ねようとした。が、一義は答えの代わりに炎を呼んで操ったのである。目標は――億人だ。
億人を包むべく向かってゆく炎。しかし炎は億人を包む前に消え失せてしまう。
「なっ、何をいきなりすんねんなっ!!」
一義の『見事な歓迎っぷり』に驚く億人。思わずその場でしゃがみ込んでしまった。
「悪魔め!」
霊力で判明した億人の正体。そのため、十四郎が何かされる、あるいはもうされていると思ったのかもしれない。だからこその手荒い歓迎。そして一義は再び炎を呼ぼうと試みた。
「待てよ、ちょっと待てって! 俺の話を聞け!」
しかし、それを十四郎が止めた。そのまま一義のそばで経緯を話してゆく。その間、一義は億人に対する警戒を解こうとはしなかった。
「……なるほど。しかし、だからって」
家に連れてくるのはどうか、そう続けようとした一義の耳元で、十四郎はこう付け加えた。どこか、戸惑いがちに。
「覚えがあるんだ。初めて会うはずなのに」
そのことに思い至ったのは、自宅までの道中だっただろうか。
「覚えているのは俺じゃない気がするけど……上手く言えないが、でもこいつを知ってるんだ」
そんな十四郎の言葉に首を傾げる一義。いったいどういうことなのだろう。
「……嫌な予感がする」
小声で一義が言った。
「力が通じないのでは危険だ。ここに住まわせるのは反対だな」
一義としてはそう判断せざるを得ない。もしも何かがあった時、対処出来るのと出来ないのとでは結果は大きく変わってくるのだから。
「そりゃ言いたいことも分かるさ。悪魔っていうのも、そう言うんなら本当だろうよ。けど、話を聞いたろ? 悪魔といっても間抜けな奴だし、それに……俺はどうしても気になるんだ」
声を大きくし、十四郎は食い下がる。
「間抜けだからって悪さをしない保証はどこにあるんだ?」
一義の声もつられて大きくなっていた。
大きな声で続く来生兄弟のやり取り。当然ながらそれは億人の耳にも全て入っていた。次第に険悪な雰囲気になってきていることだって、億人は把握していた。
(え、えらい家に来てもうた……)
完全に怯えている億人。けれども、他にあてはない。何としても、ここに置いてもらう必要があった。
「あ、あの……」
恐る恐る億人はやり取りを続ける2人へ声をかけた。
「悪させえへんから……自分に出来ることやったら何でもするし……」
そう言う億人の目には涙が浮かんでいる。
「せやから……どうかお願いします……」
涙目のまま頭を下げる億人。その姿を十四郎と一義は無言で見つめていた。
「…………」
何も言わず十四郎が一義を見た。どうするんだと暗に問うているのだろう。
「……しょうがない」
ふう、と溜息を吐いて一義がつぶやいた。渋々ながら、億人を家に置くことを了承したようである。
この日から、億人は来生億人となった。
●一緒に暮らして分かることってあるよね
それから数日が経った。億人は来生家での暮らしにすっかり馴染んでいた。
「お代わり!!」
夕食中、空になった茶碗を見せる億人。さて、これは何度目のお代わりであっただろう。この億人の食欲に、一義と十四郎が顔を見合わせてひそひそ話をしていた。
「5合炊いたはずが、もうなくなったぞ……」
「米びつも空になってなかったか……?」
同居が始まって分かったこと。それは億人が底なしの大食であったことである。この数日間だけで、確実に来生家のエンゲル係数は跳ね上がっていた。
同居させなければよかったか?
十四郎と一義は、億人の同居を了承したことを激しく後悔していた。
その一方、億人は幸せそうに夕食を続けるのであった……。
【了】
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