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<東京怪談・PCゲームノベル>


とまるべき宿をば月にあくがれて


 初めにすれ違ったのはゆらゆらと揺らぎながら蠢くヒトの姿をしたものだった。
 薄闇の中にあったがためか、そのヒトの姿かたちは今ひとつ判然としない。貌も杳として知れない。
 百合子はのろのろとした歩みで大路の上にいたが、それとすれ違う時、何とはなしに足を止めた。
 見れば、それもまた足を止め、同じようにこちらを見やっている。今ひとつ判然としない見目ながら、その貌が笑っているのばかりは何となく分かった。嘲笑などといったものではなく、親しみをもったものだ。
 が、それは次の時には消えていく煙のように消失し、後にはぼうやりとした薄闇と百合子ばかりが残された。

 百合子は立ち止まりついでに自分の出で立ちを確める。
 着慣れた制服と、持ち慣れた通学鞄。さわりと髪を梳いた風が制服の裾をはたりと躍らせた。
 学校帰りだ。
 小さくうなずいて、今度は頬を軽くつねり上げる。
「……いた」
 呟き、つねった場所を静かに撫でた。
 どうやら、知らず夢を見ているわけでもないらしい。いや、もっとも、感覚を得た夢など、決して珍しいものでもないのだが。
 吐き出す息が白く染まり、そうして薄闇の中に融けてゆく。
 見上げた天には月や星の瞬き一つ浮かんではおらず、あるのは墨を引っ繰り返したような一面の黒ばかり。
 見渡す風景はおよそ東京のものとは思えないものだった。
 風に揺らぐ柳や銀杏の木立ち。点在している茅葺やら瓦やらを戴いた平屋。
 車の往来はおろか、人の往来も確認出来そうに無い。
 そういったものを確認すると、百合子は肩で小さな息をした。
 そもそも、つい今しがた対峙した存在は、あれはおよそヒトと呼べるものではなかっただろう。
「また何処かに来ちゃったんだ」
 そうごちて、止めていた歩みを再び前へと動かす。
 百合子が歩いているのは道幅四十メートルほどといった大路なのだ。アスファルト舗装など成されてはいない。剥きだしの石と土と、ところどころでひょろりと顔を覗かせている秋の草花と。そればかりが薄闇と風の中で揺れているのだ。
 風に紛れ、遠く近く愉しげな唄声が聴こえる。織り交ざり、笑い声までもが耳を撫でる。
 その声に惹かれ、百合子は躊躇もなく大路の上をひた歩く。
 そう。今自分がある場所は、少なくとも、害意などといったものとは無縁な場所であるように思えるのだ。
 薄闇のそこかしこに何者かの息吹を覚えても、それらが百合子に害を成してくるわけではない。ただただ初めて見る客人を物珍しげに見ているだけなのだろう。
 大路は大きな辻へと差し掛かり、そこで百合子は初めて大路が全部で四つ在ったのを確めた。
 百合子が歩いて来た大路と同じようなものが、合わせて四つ。ならば辻は四つ辻となるのだろうか。
 なるほどとうなずいて、百合子は四つ辻の真ん中へと足を寄せる。
 四つ辻は異界へと通じていると言われている。あるいは彼岸へと通じていると言われていただろうか。
 と、百合子は、四つ辻の傍らに一軒のあばら家があるのを目に留めて、首を小さく傾げた。
 ここまでの道程で目にしてきた平屋のそれよりもはるかに鄙びた、半ば半壊して崩れ落ちてしまいそうな、文字通りのあばら家だ。
 しかし、大路の一つからふらりと現れた行灯がそのあばら家の中へ消えて行くのを目にすると、百合子は考えるよりも先にそのあばら家へと向かっていた。

 あばら家は、間近に見れば、やはり人の住めるようなものではなかったが、しかし、その中からは確かに唄や小噺に興じる複数の者の声が聴こえている。
 しかも、ところどころ壊れ崩れた壁からは薄っすらとした明かりが洩れ出ていて、薄闇をぼうやりと照らし出しているのだ。
 百合子は、やはり迷う事なく木戸に手をかけ、開けた。
 建て付けの悪い木戸は少しばかり開けるのに難儀を要したが、百合子の出自の村ではたまに見かけられるような木戸でもある。開くコツは無自覚の内に把握出来ていた。
 あばら家の中をひょこりと覗き込んだ百合子の目に映ったのは、やはり何れもヒトではない者の顔だった。猫の顔を持った女だとか、和傘に一つ目を戴いた者だとか、見るからに河童だと知れる者だとかが一斉に百合子に視線を向けている。
「あの、こんばんは」
 ぺこりと頭を下げ、改めてあばら家の中を一望する。
 あばら家の中には木製のテーブルと思しきものが四つほど並び、その上には酒や茶や肴やらといったものが雑多に置かれてある。
 木製の椅子が適当に置かれ、その内の半分程が客人らしき者達――妖怪によって占められていた。
「お初の御目文字ですねぇ」
 和傘が口もないのにそう告げた。声からすれば存外に年若いのかもしれない。
「女学生かね」
 猫の顔を持った女が、顔を舐めつけながらそう述べた。
「え、ええ、あの、私、芳賀百合子と申します」
 再び頭を下げかけた百合子を制し、腕に目をびっしりと戴いた女が百合子を呼ぶ。
「ああ、ああ、かたっくるしいのはよしとくれ。ほら、とっととこっちに来て座んなよ。茶の湯でいいんだろ?」
「それともイケる口かい」
 河童が女の横から口を挟み、女の肘鉄を受けた。
「お茶……ではお茶をいただきます」
 女と河童のやり取りに頬を緩めながら、百合子は勧められた椅子に腰を据える。
「大将、お客だよ。茶の湯と団子をおくれよ」
 百合子の座ったのを確めて、女はあばら家の奥へと声をかけた。
 程なくして顔を覗かせたのは、人間の見目をもった壮年の男だった。
「おや、お客さんですか」
 男は眼鏡の奥の双眸をゆったりと細めて笑みを浮かべ、それから再び奥へと引っ込むと、間もなく急須と湯呑、それに串団子の乗った皿を盆に載せて運んで来た。
「こちらにいらっしゃるのは初めてですね。この茶屋の、まあ、一応主みたいなもんをさせてもらってます。侘助とでも呼んでください」
 盆を百合子の前に置くと、男は袖の中で腕を組み、穏やかな笑みを満面に浮かべて百合子を見やる。
「芳賀百合子と申します」
 侘助の名乗りを受けて自分もそう名乗った後に、百合子は湯気のたつ湯呑を手にして煎茶を口にした。
「あ、美味しい」
 ぽつりとそう述べて、もう一口。
「お好みでしたら幸い」
 侘助はそう返してうなずいた。

 ひとしきり茶と団子とを楽しんだ後、百合子は隣に腰掛けた侘助の顔を仰いでふと訊ねかけた。
「あの、ここって何をする処なの? お茶屋さん……にしては、お酒とかも出されてるみたいだし」
 酔い潰れてへべれけになっている妖怪達を見渡してそう述べる。
「ああ、ここは望めば何だって出てくるよ。茶も酒も、飯もね」
 先ほどの女が頬杖をついて百合子を見やり、応えた。
 百合子は感心したようにうなずいて女の視線を見つめ返す。
「でもここって今にも壊れちゃいそうな処ですよね」
 そう返した百合子に、女を初めとする妖怪達からどっと笑いが起きた。
「違ぇねえ!」
 河童がゲラゲラと笑いながら猪口を口に運ぶ。
 百合子はしばし首を傾げていたが、困ったように笑っている侘助の顔に目を向けて、再び訊ねかけた。
「侘助さんはここに住んでるの?」
「住んでるっていうか、うん、まあ、そんな感じですかねえ」
「冬、寒くない?」
 ちょこんと首を傾げたままで訊ねかけた百合子に、侘助は穏やかな笑みを満面に浮かべてかぶりを振った。
「これで、なかなか。お客は結構ひっきりなしに来ますしね、ほら、人が集まれば空気も温もってくるでしょう。それに、寝床には火鉢も置いてありますからね」
「あ、火鉢。火鉢って結構あったかいよね」
 湯呑を手にしてうなずいた百合子に、侘助は茶のお替りを勧めてよこした。
「おや、百合子クンはまだ若いのに火鉢をご存知ですか」
「うん。村で、たまに目にしてたから」
「へえ、なるほど。火鉢は餅なんかを焼くのにも便利ですねえ」
「もう冬だもんね」
 再び立ち昇る茶の湯気に目を細め、百合子は静かに微笑んだ。
「そういえば、ここって、妖怪さん達が住む場所なんだよね。じゃあ、この建物も結構前からあるのかな」
「そうですねえ。そろそろ二百年ぐらいにはなりますか」
 これでもあちこち直したりもしてんですけどねえと続けて笑う侘助に、百合子もまた笑みを返した。
「じゃあ、これだけ痛んじゃうのもしょうがないよね。……でも、私、ここ好きかも。……何だか落ち着く」
 そうごちた百合子の言葉に、茶屋の中の妖たちの全てが微笑んだ。
「ゆっくり楽しんでったらいいさ。なんだったら夕飯も食べてくかい?」
 女が告げる。
 百合子はしばし思案した後にふとうなずいて応えた。
「私、魚がいいです。川魚とかありますか」
「魚だったら、さっき誰だったかが獲ってきたのがあったよねえ」
「俺だ、俺。生簀にたんと獲ってきただろ」
「河童よ、おめえ、魚じゃあ酒の代金にゃあ足りんぞい」
 妖たちが口々に軽口を交し合うのを、百合子は茶を楽しみながら眺めている。
 妖たちはヒトとは異なる者ながら、しかし、そのどれもがひどく懐こく、気の善い者ばかりのようだ。
「それじゃ、火鉢で塩焼きにでもしますか。百合子クン、ゆっくりしてってください」
 椅子を鳴らして立ち上がり、侘助は再び茶屋の奥へと姿を消した。
 後に残ったのは妖怪達と百合子だけ。
 酒に酔い、気を良くしたのか、河童ががらがら声で唄を披露し始めた。

 魚の焼ける香しい匂いが鼻先をくすぐりだすまで、もうしばしの時間がある。
 百合子は河童の唄に合わせて手を叩き、交わされる軽口に頬を緩めながら聞き入っていた。 

 夜はゆったりと過ぎていく。   
 








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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【5976 / 芳賀・百合子 / 女性 / 15歳 / 中学生兼神事の巫女】



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          ライター通信          
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初めまして。このたびはご発注まことにありがとうございます。
実は、百合子様の事は以前より存じておりまして、いつか機会があれば書かせていただきたい設定をお持ちだなあと思っておりました。
今回、念願かない、担当させていただき、光栄です。

四つ辻へは初のご来訪ですから、今回は四つ辻のおおまかな部分をお楽しみいただければと思い、書かせていただきました。
少しでもお気に召していただきましたら幸いです。

それでは、またいつかご縁をいただけますようにと祈りつつ。