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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


籠姫の了見



 その家の奥座敷には座敷童子がいた。
 童女の姿をした神。それは長年に渡って一家に多大な余財をもたらしたという。
 それがある日忽然と姿を消したのだと、男は憤怒をはらんだ口調で言った。

 座敷童子の世話は十歳になる長女の役目で、その日の朝もいつもと変わらず、守り神に供物を捧げに奥座敷に赴いた。
 その襖を閉ざす黒く大きな錠前の鍵は、長女がいつも首から下げて持ち歩いていた。
 誰にも渡していないし触れさせてもいないと長女は証言するが、襖を開けた先に童女の姿はなかった。

 男は、何者かが我が家の趨勢を妬んで、妙な手を使って座敷童子を誘拐したのだと大声でまくしたてる。
 父親の怒鳴り声を聞いて、叱られたように顔を伏せる長女の赤く腫れた頬が痛々しく、草間武彦はわずかに顔をしかめた。



 草間の調べによると男は婿養子で、生来は穏やかで優しい人物であったという。
 それが座敷童子の護る家に入り、家業を継ぎ、自分の采配で面白いように金が稼げるようになった途端に人が変わった。「蔵屋敷の婿さんは金の亡者だ」と揶揄する者も多いらしい。
 それでも、陸玖翠の目の前にいる少女にとってはただ一人の父親だ。幼い頃は優しい父だったと言って涙を落とすのが切ない。
「母さんはこの頃、父さんと結婚するんじゃなかったって言うの」
 服の袖で涙を拭いながら、少女は消え入りそうな声で呟く。
「この家が父さんを変えてしまったって。昔みたいな優しい人に戻ってもらいたいって」
 男はおそらく富への欲に取り憑かれてしまったのだろう。家人の言葉にも耳を貸さず、ただ財を増やすことにだけ執心している。
 もはや何の為に富を欲していたのかも忘れているに違いなかった。元々は家族に貧しいひもじい思いをさせたくないという気持ちがあっただろうに。
 稚い存在が胸を痛めて涙を零すのを見かねて、翠は懐に手を入れる。符を握りしめた手を差し出すと、少女は涙に濡れた目をぱちくりさせた。
 パッと手を開くと、そこから白い鳥が飛び出し、少女の周りを軽やかに飛んでその肩にとまる。小鳥が美しい声でさえずるのを聞き、ようやく少女は泣き止んだ。
「お兄さん、手品師?」
 お姉さんです、と訂正することはせず、翠は少女の頭を撫でて言った。
「似たようなものです。座敷童子もこの調子で懐から出してさしあげましょう。ですが、その前に種を仕込まなければなりません」
 けして咎めるつもりはないのだ。自分の鉄面皮が少女を怯えさせてしまわないよう、できるだけ静かな声音で翠は問う。
「座敷童子を逃がしたのは貴方ですね? 昔の父君を取り戻したくて、富を運ぶ守り神を手放した。……違いますか?」
 少女は覚悟を決めたように頷き、縋るように翠を見た。
「でもお蔵様、行くあてがないって困った顔してた。あたしもほんとはお蔵様にはずっとうちにいてほしかったの。だけど」
 このままでは父親が駄目になってしまうと少女は危惧したのだろう。安心させるように、翠はぽんと優しく少女の頭を叩く。
「優しかった父君も、この懐から出して見せましょう。ですから」
 もう泣いてはいけませんよ、という言葉に、少女は半泣きに近い表情ながらも笑って見せてくれた。


 座敷童子の存在を探して家の中をさまよっているうち、ふと懐かしい気配を感じた。
 それは探し求めている神の気配と重なっている。まさかと思いながら目の前の襖を開けると、畳の上に着物姿の少女が端然と座っていた。
 緋色の着物。まっすぐに切り揃えられた髪。そして髪に挿した紫の花。
「お久しゅう陰陽師殿。百数年前、強欲者に囚われた我をそなたが救い出して下さって以来じゃの」
「ここに住む座敷神というのは貴方のことでしたか」
 縁は異なものとはよく言ったものだ。驚くより先に感心する翠に、座敷童子は紫の花を指して言った。
「そなたが、我が善き主と巡り会えるようお守りとして下さったこの都忘れの花、今もこうして大切にしておりまする」
「それは嬉しい事を。ですが、そろそろ効果も落ちてまいりましたか」
 翠は苦笑する。座敷童子は指で花を撫でた。
「娘御は好い子じゃ。できることならこのまま加護を与えてやりたい。じゃが、我が居ると主にとっては良うないようでの。さりとてここを去りがたく、こうして未練がましくしておったら」
 童女は期待を込めた目で翠を見つめ、にやりと笑う。
「どうやら我は暫し留まって正解だったようじゃ。また手を貸して頂けるかの?」
「ご期待に副えるよう努力しましょう」
 翠は踵を返す。神に貸しを作っておくのも悪くはない。


 廊下で草間と会い、主の居場所を訊ねる。何か掴めたのかと問うのに答えず、ただついて来てくれと頼んで一緒に主の元へと向かう。
「武彦、頼みがある。これからどんな異様なものを見ても、見えていない振りをしてくれ」
 仔細を話さず頼むのに、草間は不可解な表情を浮かべながらも頷いてくれた。
 翠は無遠慮に主の部屋の襖を開け放つ。何事だ、と居丈高に主が問うのに、座敷神を見つけたと答える。すると主は喜色満面になって立ち上がった。
 早く連れて来い、と命令するのに、翠は首を横に振る。
「残念ですが、座敷神は貴方に取り憑いた鬼の気配に負けてこの屋敷を去らねばならなくなったようです。貴方の中の鬼を祓わない限り、神を取り戻すのは不可能と考えていいでしょう」
「俺に鬼が憑いてるだと?」
 主はあからさまに小馬鹿にしたような視線を翠に向ける。
「ええ。家主殿は富への執着という名の鬼に取り憑かれていらっしゃるようです。──貴方には見えませんか?」
 翠は懐の中の符を握りしめる。それに呼応して、ずるりと音を立てて主の体から何かが落ちた。
 四本足の真ん中に頭だけを持つ異形の鬼が、主の足元で虫のようにがさがさと這う。ひっと息を飲んで後ずさる主の足に、毛深く赤黒い腕が蛇のように纏わりついた。
 塗りこめた泥が落ちるように、主の体からぼたぼたと鬼達が零れていく。あるものは胴体だけでうねうねと畳の上を這いずり、またあるものは百の口でげらげらと嘲笑う。主は恐慌状態に陥り、草間の足にしがみついた。
「な、何だこれは! た、た、助けてくれ!」
「……何をさっきから一人で慌てていらっしゃるんです? ご主人」
 草間は顔色ひとつ変えずに答えた。
「俺には何も見えませんが、どうかしましたか?」
「あ、あんたにはこれが見えんのか! この薄気味悪い鬼どもが!」
「貴方の心から生まれた鬼は、他人の目には映りません。私達には、自分の目に映らないものをどうこうすることはできませんね」
 素っ気ないのを超えて冷たいとさえ言える口調で翠は言う。
「家主殿が富への執着を捨て、本当に大切なものが何だったのかを思い出さない限り、鬼はおそらく消えないでしょう。お気の毒ですが」
 顔面蒼白になって悲鳴を上げ続ける男を置いて、翠と草間は部屋を後にした。


「さすがだな。協力に感謝する」
「正直驚いたぞ。何をするつもりなのかと思ったら……。ちょっとやりすぎじゃないのか?」
「あれくらいやらなければ反省しないだろう。それに、半分は真実だ」
 主が心を取り戻しさえすれば、座敷童子は無事この屋敷に戻れるのだからまるきり嘘というわけではない。
 廊下を歩く二人の前に、音もなく座敷童子が姿を現した。彼女は膝をつき、二人に向かって深々と頭を垂れる。
「陰陽師殿、それに探偵殿か。尽力に感謝する」
 そうして髪に飾った都忘れの花を手に取り、翠に向かって差し出した。
「これはそなたに返そう。我はもう充分に恩恵を受けたゆえ」
「いえ、それは貴方のものだ。これからも善き家に恵まれるよう、陰ながらお祈り致します」
「有難い。礼を申し上げる。……まさかこれだけ齢を重ねて、知己に会えるとは思うてもみなんだ。再び会えて嬉しかったぞ」
 それだけ言って、童女はすうっと姿を消した。草間が不思議そうに翠を見る。
「知り合いだったのか?」
「ああ。昔、あの座敷神を祀っていた家族を皆殺しにして、神を奪って閉じ込めた馬鹿者がいてな」
 その愚か者の末路をわざわざ語る必要はないだろう。草間もまた問わなかった。
「あの花は?」
「一家を失って泣く座敷神の為に、慰めになればと思って手折った花だ。暫しの別れ、という花言葉を持つ」
 そう。あの時も今日のように幼い姿の娘が泣いていた。大切なものを失って泣く彼女に、翠はあの花を捧げたのだ。
 彼女や翠のように永く生きる者には出会いが多い分、別れも多い。そして常に置いていかれる側に立たねばならぬ者にとって、喪失は殊更に辛いものだった。
 何よりも、失う痛みに慣れたかのように、心のどこかで何かが麻痺していると自覚する瞬間が一番切ない。
 けれど、いずれ必ず、新たな出会いの喜びがその切なさを希釈してくれることを、翠は知っていた。
 出会いが永遠でないように、別れもまた永遠ではないと。
「そうか。……また会えるといいな」
 誰が誰に、と草間ははっきりとは口にしなかった。
 翠は友人の優しい言葉を心の奥深い場所で受け止めて、ゆっくりと頷いた。


 数日後、呼び出されて草間興信所に出向いた翠に、草間はニヤニヤ笑いながらこう告げた。
「客だぞ、お兄さん」
 誰がお兄さんだ、と口にするよりも早く、少女が飛び出してきて翠に抱きついた。彼女はひどくはしゃいだ様子で、父親が昔のように優しい人に戻ってくれたと口にした。
「お兄さんが父さんを元に戻してくれたんでしょ? ありがと!」
 そう言って翠の胸に顔を埋めてから、少女はそろそろと体を離して申し訳なさそうに呟く。
「……ごめんなさい。お姉さんだったんだね」
「別にどちらでも構いませんよ」
 くすりと笑って翠は少女を送り出した。手を振りながら元気よく去っていく後ろ姿を見送っていたら、ぼそりと草間の呟く声がした。
「あったんだな、胸」
「七夜、武彦の顔で爪を砥いでいいぞ」
 黒猫が目を光らせて銀色の爪を剥き出しにする。草間は両手でさっと顔を覆ってしまった。
「それにしても、座敷童子がいれば必ず幸せになれるってわけでもないんだな」
 七夜を牽制しつつ、彼はそう溜息混じりに言う。その様子を楽しげに眺めながら翠は答えた。
「幸せというのは主観の問題だからな。心が貧しければ富に恵まれても意味を成さない」
「足りる事を知らん奴はいつまで経っても幸せにはなれないってことか。それなら俺は幸せ者だな」
 草間は事務所の中をぐるりと見回し、歌うような調子で言う。
「こうして狭いながらも自分の城を持ってるし、食うに困らない程度に仕事も入ってくる。家族もいる。おまけに──」
 飛びかかる七夜を素早くかわして、草間は訴えるように翠の顔を見る。
「友人にも恵まれてる。……翠、悪かった。頼むから俺を七夜の爪砥ぎに使ってくれるな」
 翠はソファに腰を下ろし、指で式を招いた。七夜はその膝に乗り、丸くなって目を閉じる。
 大きく息を吐いてその向かいに座ってから、草間はいつになく真面目な表情を浮かべてまっすぐに問う。
「……翠、おまえは幸せか?」
 唐突に何を訊くんだ、と笑おうとしたのに、草間がいやに神妙な顔をしているから笑えなかった。
「……お陰様で。友人に恵まれているから、妙な事件に遭遇してばかりで退屈する暇もない」
 面倒も多いけどな、と呟くと草間は苦笑する。けれどまたすぐに真顔になって問う。
「本当だな?」
 彼は心配してくれているのだ。そう気づいて、翠は思わず破顔した。
「ああ。永く生きた分、別れも多いが出会いも多い。帳尻は合ってる」
「──そうか」
 ようやく安堵したように草間は笑む。 
 自分に都忘れの花の花の護りは必要ない。彼の笑顔を見て、翠はそう思った。

 愛しく思う者達の笑顔を見れば、胸の内に花が咲くよう。
 その花を抱いている限り、生き続けることはけして辛くないと信じられるから。





■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【6118/陸玖・翠(リク・ミドリ)/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師】