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<東京怪談ノベル(シングル)>


草間探偵とマネキン少女

 秋の日は釣瓶落とし。
 ちょっと前まではまだこの時間明るかったのに、とぼやきながら海原みなもは家路を急いでいた。部活で少し頑張っていたら、あっという間に日が暮れてしまったのだ。通い慣れたはずの道も、宵闇に染まり始めれば、どことなく不気味な感じがする。
 それでも道程を半分ほど過ぎて、少し強ばった心もほぐれたところだった。一定のリズムで地面を蹴っていたはずの足が、突然宙で止まった。みなもの身体は、太い腕に後ろから抱きすくめられていたのだ。
「……!」
 能力を使うどころか声をだす間もなく、口元に布が当てられる。突き刺さるような強い、甘い匂いが喉から鼻へと突き抜け、みなもは激しくむせた。と思う間もなく、急に体中の力が抜け、みなもの意識はあっという間にみなもの手の届かないところに行ってしまった。

「……お願いします。私たちにできる限りのお金は用意します。どうか娘を」
 都内某所。
 涙ながらに頭を下げる夫婦を前に、草間武彦はとりあえず、煙草に火をつけた。ずっと下げ続けられている夫婦の頭には、白いものがいく筋も混じっている。
「警察の方も、調べて下さってはいるのですが……。こうなるともう、探偵さんにおすがりするしかなく」
 草間は煙草をきつく吸い上げた。真新しかったそれは、みるみる灰になっていく。
「……わかりました」
 灰皿に煙草を強く押し付け、草間は返事を返した。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
 夫婦は何度も頭を下げ、契約書にサインをして帰って行く。
「……連続少女失踪事件か」
 夫婦が帰った後で、草間は新しい煙草に火をつけた。ぷかりと紫煙がまっすぐ上っていく。
 ここ最近、10代の少女が突然姿を消す事件が相次いでいる。先ほどの夫婦の1人娘も、3日前に姿を消してしまったという。マスコミを賑わし、テレビでは特番が組まれるほどの騒ぎになっているが、警察の捜査は芳しくないようだ。根も葉もない噂が飛び交う一方で、被害者ばかりが増えていく。
 これだけ大事件になりながら、捜査が進まないとなると、考えられる可能性はかなり絞られてくる。大規模な犯罪組織が黒幕で、さらに政府の上層部にコネがあり、警察に圧力をかけている、といったところだろうか。現に、この事件を追っていた刑事の何人かが突然の異動に遭ったという話は草間も耳にしている。
 そのような事件を相手に、一介の探偵が解決を図ろうなどと、無謀も良いところだ。
 けれども、草間には断ることができなかった。依頼人夫婦に娘の写真を見せられた時、自分の義妹と同じ年頃だと思ってしまったから。彼らの痛みが、人ごとではなくなってしまったのだ。
 草間は携帯電話を取り出すと、あちらこちらの心当たりへとかけ始めた。

「こいつぁ上玉だな」
「ああ、青い髪に青い目は珍しいな」
 闇の中で、みなもはそんな声を聞いた気がした。ぼんやりとした意識の中でも、何となく自分のことを言われているのだということはわかる。
 ゆっくりとまぶたをもちあげ、みなもはまぶしさに目を細めた。目が明るさに慣れて来たのとほぼ同時に、自分が薬で眠らされたのを思い出す。
「……!」
 みなもはとっさに起き上がろうとした。が、全く手足に力が入らず、身体が言うことを聞かない。じわり、と首筋に冷たい汗が浮いてくるのを感じながら、みなもは瞳だけを動かして周囲を見回した。
 どうやらみなもが寝かされているのは、診療所にあるような、布を張っただけの簡素なベッドで、周りはコンクリートを打ちっぱなしにした倉庫のような寒々とした空間だった。天井の蛍光灯が無機的にあたりを照らし出す。視界の隅には、何体かのマネキン人形が置かれて、それが言葉にならない違和感と不気味さを醸し出していた。
(ここは……どこ?)
 みなもは、声にならない呟きを漏らした。
「おや、お目覚めの様子だぜ」
 男の声に、みなもはぴくりと肩を振るわせた。
「こんにちは、お嬢ちゃん。これからどうなるか教えてやろうか?」
 もう1人の目つきの鋭い男が、にやにやと下卑た笑いを浮かべる。
「お嬢ちゃんは、これから売られていくんだよ。日本の女の子は高く売れるからねぇ」
「……!」
 みなもは息を飲んだ。否、息を飲みたい気分になった。
「お嬢ちゃんは高く売れるよ、良い人形になってな」
(にん、ぎょう……)
 男の言っている意味がわからず、みなもは頭に疑問符を浮かべた。
「まあ、すぐわかるさ」
 最初のひげ面の男が何やらどろどろとした液体を入れた椀のようなものを持って来た。そして、はけにたっぷりとそれをひたし、みなもの腕に塗り始めた。そのぞわりとした感覚に、みなもは思わず身震いをする。
 だが、それだけではなかった。薬を塗られたみなもの肌が、だんだんと固まり始めたのだ。それも、ただ強ばるのではなく、不自然な弾力を残したままで。
 唯一動く瞳を、みなもは精一杯に動かした。その視界にあの不自然なマネキンが入る。
(まさか……)
 不意に、みなもの頭の中で、1つの思考が頭をもたげた。おそるおそる、マネキンに焦点を合わせる。
(……!)
 その瞬間、みなもの背に戦慄が走った。確かに、マネキンと目が合ったのだ。それはまぎれもなく「生きている」目だった。
「そうそう、お嬢ちゃんは察しがいいねぇ」
 ひげ面の男が眉尻を下げた。
「……!」
 みなもはもう何度目かの、声にならない悲鳴をあげた。このまま、薬を塗られて人形にされ、「出荷」されてしまうのだ。そして、大好きな家族とも二度と会えなくなるのかもしれない。
「いいねぇ、その顔。世の中には変なのがいっぱいいてねぇ。生きた人形が欲しいなんてのもいるのさ」
 さも愉快そうに言いながら、男はさらに薬をみなもの肌に塗り続けた。

「ここ、か……」
 草間は煙草に火をつけながらコンクリート壁の倉庫を見上げた。
 潮を含んだ冷たい風が乱暴に吹き付け、草間のコートを翻す。
 あれから重ねた聞き込みや、情報屋とのやりとり、そして知り合いの能力者の協力も得て、草間はこの埠頭へとたどり着いていた。
 草間の予想通り、事件の裏では大きな組織が動いているようだった。少女たちが海外に運び出される、まさに水際がここの埠頭だった。
「さて、と……」
 草間の手から、煙草の灰が落ちた。

「ああ、いい顔だねぇ、お嬢ちゃん。そうそう、こういうおびえた目が好きっていうのが多いんだよ」
 男は楽しそうに笑いながら、みなもの顔にまで薬を塗り付ける。
 自分が「ヒト」から「モノ」へなっていく。意識だけは自分のものなのに。それは言葉にしようのない絶望感だった。既に人形にされた少女の、恐怖に凍った哀しげな目が自分のそれに重なり合う。
 ああ、とみなもは声にならない溜息をついた。頭がくらくらする。吐く息が、自分の命までもを乗せて出て行く気がする。
 その時、何かが破裂するような音と共に、みなもの視界が閃光で真っ白に染まった。白一色の中で、何か重たいものが落ちるような鈍い音が、数度する。
「やれやれ、片付いたか……。人数が思ったより少なかったのが幸いだったな」
 まだ視界がちかちかする中で、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ん? あんた……」
 足音がゆっくりと近づいて来て、みなもの前で止まった。
「なんでこんなところにいるんだ?」
 ようやく慣れて来た目の焦点が、煙草に火をつける草間武彦の像を結んだ。

「よう、元気そうじゃないか」
 数日後、病院のベッドに横たわるみなものもとへ、花束を持った草間が尋ねて来た。
 あの後、草間が呼んでいたらしい消防車やら救急車やらマスコミの車やら――草間は火事だと通報していたらしい――のサイレンとフラッシュの光が行き交う中、みなもを始めとする出荷寸前の少女たちは無事に救出された。少女たちはすぐに病院に運ばれ、みな順調に回復しているという。
「ありがとうございます、本当に助かりました」
 みなもはベッドの上に起き上がると、心からの礼を述べる。
「ま、仕事のついでだからな」
 草間の返事は愛想無かった。それでも、とみなもは安堵の息を吐く。もしもあの時、助けてもらえなかったら今頃は……、そう思うと恐怖と安堵とでぽろぽろと涙がこぼれた。
「お、おい、泣くなよ……」
 草間が慌てたような顔をする。
「いいえ、違うんです」
 説明のしようがなくて、みなもはただ首を振るだけだった。
 手持ち無沙汰になった草間が、なんとなく病室のテレビをつけた。ちょうど放送されていたワイドショーでは、少女が「マネキン」にされて出荷されるという恐るべき事件を大々的に伝えていた。
「あの人たち、みんな捕まったんでしょうか?」
「一部だけ、だろうな。トカゲのシッポさ。おそらくは、何カ所にも分けて出荷しているんだろうよ。俺が踏み込んだのはその1つに過ぎない」
 草間は言って煙草をくわえ、ライターを取り出たところで、病室であることを思い出したのだろう、慌ててそれらをしまった。
「そうですか……」
「ま、しかしマスコミはしぶといさ。一度大々的に放送されたらどこまでも食いつくとこも出てくる、お上の意向とは関係なしにな。問題になれば、いつかは撲滅させられるさ」
 それは半ば慰めだったのかもしれないけれど。草間は淡々と続けて花束を掲げてみせた。
「じゃ、俺は依頼人の方へ行ってくるさ。見舞いがてら、商談にな。あんたも大事にな」
 それだけ言い残すと、草間はくるりと背を向けた。
「あ、それ、あたしへのじゃなかったんですね」
 みなもが言うと。
「こんなにいっぱい来てて何を言う」
 病室に所狭しと置かれた、家族や友人からの品を示して、草間は病室を出て行った。
 草間が行ってしまうと、病室の中には穏やかな静寂が訪れた。
「もう……」
 溜息をつきながら、みなもは見舞いの品々へと目を遣った。折り紙の鶴、授業のノート、手紙の束、愛らしいぬいぐるみに、呪術用具を思わせる置物、怪しげな装丁の分厚い本、どす黒く濁って妙な匂いのする液体の入った小瓶。なかには少し奇妙なものもあるけれど、どれも、どれも、みなものために心を込めて誰かが持って来てくれたものだ。
 本当に、ここにいられてよかった。この愛すべき人たちから引き裂かれずに済んで。
 そう思えば、またみなもの瞳に新たな涙がにじんできた。

<了>