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言食み【ことはみ】
近所の小さな古びた社。それに願い事をすると叶うという噂がある。
叶ったと言う者もいれば、叶わなかったと言う者もいる。
だが、彼女はそれを信じなかった。あんなボロい社にそんな力があるものかと。
しかも、願い事が叶えば、供物として「死んだモノ」を捧げなければならないという。
──気味が悪い。
虫だろうが小鳥だろうが鼠だろうが、死骸を欲しがるなどどうせロクなモノではない。
だから彼女は願掛けなどしなかった。
それでもある日、唐突に母親から「次のテストでいい点をとれなければピアノをやめさせる」と言われて、全く勉強をしていなかった彼女は慌てた。
たまたま社の前を通りかかり、藁にもすがる気持ちで手を合わせた。
結果、少女は母親の言いつけを守ることができたが、それは自分の底力の賜物であると思い、願掛けのお陰だなどとは思わなかった。
そして夢を見た。
「約束を破ったな」
手が喉に食い込む夢。それは人のものとは思えないほど長く、真っ黒だった。
「言食みの罪は重い」
手はぎりぎりと喉を押し潰す。それを渾身の力で払いのけたところで目が覚めた。
そして、声が出なくなっていることに気がついた。
蒼白になった彼女の耳元で誰かが囁く。──次は目だ。
弾かれたように振り向いたが何もいない。
彼女は総毛立った。
助っ人を募る書き込みに真っ先に反応してくれたのは、ツンツン頭の元気そうな青年だった。
瀬名雫は彼の顔を見るなり、「この人きっと、学生時代は無茶やらかしてたんだろうな」という感想を抱いた。ラフな服装と、聞かん気の強そうな顔立ちのせいだろうか。
「氷室浩介だ。よろしく頼む」
そう言って彼が浮かべた笑顔は思いのほか人懐っこい。一見しただけだと少々怖そうにも見えるのだが、話してみるとかなり親しみやすい性格の持ち主なのではないかという気がした。
「瀬名雫だよ。よろしくね」
握手を求めて差し出した手は、手荒くも親愛の情を込めてぱちんと叩かれた。雫とはそれなりの年齢差があるはずなのに、それを全く感じさせないノリの良さだ。
「さあて、とっとと片付けちまおうぜ」
言って氷室は腕まくりをし、持参した大きなリュックに手を突っ込んだ。雫は興味津々にそれをのぞきこむ。
「氷室さん、何か策があるの?」
「策ってほどでもねえけど、相手は一応神サンなんだろ? だったらまずはそれ相応の礼を尽くすべきじゃねえかと思って」
氷室は担いできたリュックを叩く。
「約束破った詫びにさ、社の掃除して、たっぷり供え物してみようぜ。それで駄目ならまた次の手を考えりゃいいしな」
供え物と聞き、社の主に声を奪われた少女が気味悪そうにあとずさる。逆に雫は身を乗り出していた。
「ひょっとしてそのリュックの中身って、全部何かの死骸なの?」
「当たり。死骸も死骸。ほらよ」
言って氷室が取り出したのは──食べ物だった。彼はするめをひらひらさせながら言う。
「『死んだモノ』って言うと気味悪いけどよ、考えてみりゃ俺たちが毎日食ってるのも、あらかた『死んだモノ』なんだよな」
「なるほどぉ。言われてみれば確かにそうだよね」
雫は指を鳴らす。リュックの中には昆布や果物の他にも五穀・菓子・酒などが入っていた。
発言だけ聞いていると行き当たりばったりにも思えるが、彼はなかなかに用意がいい。ちゃんと塩まで用意されている。雫は氷室にならって袖をまくった。
「んじゃ、ちゃっちゃとお掃除から始めちゃお!」
「おう。そこのあんた、どっかから適当に水汲んできてくれよ」
言って彼は、少女に向かって小さなバケツを放り投げた。
三人がかりで社を磨く。風雨にさらされた社の汚れぶりは半端ではなく、掃除はかなり手間のかかる作業となった。
少女は自分の撒いた種であるにも関らず、ちょっとうんざりしたような表情を浮かべている。逆に氷室は手を抜くことなくガシガシと社を磨きまくっていた。
「氷室さんって学生? それとも社会人?」
ちょっと興味を引かれたので訊ねてみると、「何でも屋」という答えが返ってきた。なるほど、何となくしっくりくる。
「さて、掃除はこれくらいでいいか。次は、と」
ごそごそとリュックの中身をかき回し、氷室は玉串を取り出した。
「ほらよ。これ奉納してお参りしろ」
少女は手渡された玉串を手に途惑っている。氷室は呆れたような声を上げた。
「参拝っつったら二礼二拍手一礼に決まってんだろ? ったく、最近のガキはそんなことも知らねえのかよ」
きょとんとする少女の手から玉串を取り上げ、氷室は社に向き直ってそれを丁寧に捧げた。
「ほら、俺がやる通りにやってみろ。雫、おまえも付き合え」
「はいはーい」
きっとこの人、割と信心深い家で育ったんだろうななどと思いつつ、雫は氷室の隣に立ち、続けて二回しっかりと頭を下げたあと、胸の前で二回拍手を鳴らした。そうしてもう一回頭をきちんと下げる。
彼女が見よう見まねで同じように頭を下げる。氷室はそれを肘でつついた。
「ほら、神サンにちゃんと謝って、声を返してくれってお願いしろ」
言われておずおずと少女はその言葉に従う。しばらくして顔を上げたが、声は戻らなかった。
「っかしーな。普通の神サンなら、これで許してくれそうなもんなんだけど」
氷室は腕組みして首をひねる。
「それはつまり、普通じゃないってことだよね」
期待に目を輝かせる雫を見て、氷室は苦笑を浮かべた。
「目ェキラキラさせんなっつーの。ゴーストネットOFFの管理人ってどんな奴かと思ってたけど、本当にそういうの好きなんだな、雫は」
「好きなんじゃないよ」
雫は腰に手をあて、精一杯胸を逸らして言い放つ。
「あたしは怪奇現象を愛してるの! それに向き合うことはあたしのライフワークなんだから!」
「……物騒な彼氏だな」
「スリルがあって最高だよ?」
「ま、そりゃ確かにそうかもな」
苦笑が愉快そうな笑みに変わる。氷室はリュックの中から一番かさの高い包みを取り出した。布に包まれたその中身は、破魔弓と破魔矢だ。
「近所の神社で買ってきたんだけど、魔物ってのは弓の弦を鳴らすと嫌がるんだよな?」
「あ、鳴弦の儀ってやつね? やってみようよ」
氷室は矢を一本ベルトに差し込み、四方に向かって弓の弦を鳴らした。彼が大きくしなった弦を指から離すたび、びぃんと辺りの空気が震えた。
わくわくしながらその様子を見守る雫の前で、社がカタンと音を立てる。
かたかた、かたかたと小刻みに震えだす社。まるで怯えているようだと思った瞬間、耐えかねて弾けたように扉が開いた。
そこから飛び出した黒い霧が、もがくようにうごうごと社の前でのたうつ。それは三人の目の前でみるみる凝縮し、一塊の濃い闇になり、蛇のように鎌首をもたげるなり突然襲い掛かってきた。
「さがれ!」
氷室は雫と少女を背に庇い、素早く矢をつがえて弦を引き絞った。その背がやけに大きく頼りがいのあるものに見えて、雫は反射的にその言葉に従う。
放たれた鈍色の矢じりが闇を捕らえて貫き、白い走り羽がそれを祓う。放物線を描いた矢が近くの木の幹に当たってカランと落ちた時には、地面の上で闇の残滓がトカゲの尻尾のようにちょろちょろとうごめくだけだった。
「なーにが言食みの罪だこの野郎! 嘘ついたのはそっちのほうじゃねえかよ! 魔物のくせに神サンぶりやがって!」
氷室に踏みつけられて、呆気なく闇は消えてしまった。
「お見事! やるじゃーん! 今、すっごくカッコよかったよぉ!」
雫は思わずそう叫んでいた。少女も感嘆の意を表すようにぱちぱちと拍手している。氷室は照れたように頭を掻いた。
「そ、そうか? ま、俺も男だからな。やる時ゃやっぱガツンとやっとかねえと」
言いながら、照れ隠しのように弓の弦を引いたり離したりしている。と、弓が氷室の手からつるりと滑って、弦を引いた反動でパチンとその頬を直撃した。
「痛って〜……!」
氷室は顔を押さえてうずくまる。一瞬の沈黙のあと、雫も少女も手を叩いて爆笑した。
「前言撤回! 氷室さん、カッコ悪ーい!」
「あははは! でもちょっとカワイイかも!」
笑いこける二人の少女を横目で恨めしげに眺め、氷室は深々と溜息をつく。
「あーあ。せっかく今回はビシッときまったと思ったのに……。ついてねえ……」
「ウ・ソ。じょーだん冗談! 途中まではちゃんとかっこ良かったから安心して!」
けらけら笑いながら雫は氷室の背を叩いた。ちぇっと呟いて氷室は立ち上がる。それから何かに気がついたようにぱっと表情を変え、少女の顔を指さした。
「あ! あんた今、声出てたよな!?」
「……あっ! ホントだ!」
「やったー! これで無事解決かいけーつ!」
三人は手を取り合い、ぴょんぴょん跳ねながらぐるぐると回り、抱き合って事件解決を喜んだ。
今日初めて会った相手なのに、まるで家族や親友と抱き合っているような気持ちになるのが不思議だった。
今回の事件の結果報告の書き込みにはかなりの反響があって、雫は画面の前でにんまりした。
ほとんどが勇者・氷室の愉快な人となりに対する好意的なコメントだったのだが、それを読むたびあの日のことを思い出して笑ってしまう。
そんな日々を過ごしていた雫はある日、街でばったり氷室に再会した。彼は何でも屋の仕事の最中なのか、大きな白い花束を抱えて歩いていた。
声をかけると「元気か?」と問う声とともに、わしわしと頭を撫でられる。
「元気だよ。氷室さんは仕事?」
随分と似合わないものを手にしているなと言わんばかりに花束に視線を注ぐ。彼はきまり悪そうにそれを背中に隠した。
「……おう、ちょっとな。それより俺、ここんとこ忙しくて書き込み見てねえんだけどさ、あの社、あのあとどうなった?」
雫はこめかみに人さし指を当てながら答える。
「んーとね。何かまた妙な噂が立ってるみたいよ」
「魔物は退治したのにか? どんな噂だ?」
「小学生を中心に広まってるみたいなんだけど……。あの社に給食のおかずを供えてお祈りすると、どんなにお天気でも、次の日は雨が降るって評判。逆に雨が降ってる時でも、止んでほしいってお願いしたら止んだりするんだって」
「へえ。空っぽの社に、今度は水神サンでも引っ越してきたか?」
「かもねぇ。でもさ、あの近所に水に関係するようなものってあったっけ?」
探っても調べても因縁が分からず、雫は首をひねっているのだ。社の近所の住人達も不思議がっているという。
「ま、いいんじゃねえの? 誰も困ってねえんなら」
「うん。そうだよね」
結果良ければ全て良し、である。氷室は花束を肩に担ぐように持ち上げ、ポンポンと雫の頭を叩いた。
「また困ったことがあれば呼べよ。手が要るならいつでも貸してやるぜ」
「ありがと。頼りにしちゃう!」
言って、雫はうくくと笑う。
「でもって、またこないだみたいに笑わせてくれることも期待しちゃう」
「バーカ。そう何回も笑われてたまるか!」
氷室は笑いながら雫を小突く真似をして、「またな」と挨拶を残してその横をすり抜けた。その瞬間、
──『アレ』は我の紹介ゆえ、悪しきモノではない。心配要らぬ。
誰かがそう耳元で囁いた気がして、雫は思わず氷室を振り返った。彼の声ではない。では、誰の声だ?
「……ふぇ?」
雫は呆然と、花を抱えて走っていく青年の後ろ姿を眺めた。
■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【6725/氷室・浩介(ひむろ・こうすけ)/男性/20歳/何でも屋】
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