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<東京怪談・PCゲームノベル>


とまるべき宿をば月にあくがれて 参


 久し振りの訪問だった。
 妖共が跋扈する、月の光さえも無い薄闇の中にある四つ辻へ最後に足を踏み入れたのは、随分前の事であったように記憶している。
 自分の意思で訪問出来るような場所なのかどうかすらも分からなかったが、ともかくも、どうやら自分は四つ辻の薄闇の中に踏み入れたようだと、シュラインは小さな笑みを零した。
 提げている袋の中にはジンやラム、ワイン、スコッチなどといった洋酒の類が収まっている。何れも比較的小さな瓶のものではあるが、量が量なだけに(あるいは何れも硝子瓶であるといった事もあってか)重量的には随分と堪えるものがある。
「……肩こっちゃう」
 袋をいったん大路の上に降ろして首を鳴らし、目に映りこんでいる茶屋の明かりに視線を向けた。
 薄闇の中でちらちらと現れては消えていく明かりは、妖達が手にしている行灯のそれだろう。彼らは相変わらず茶屋の中で酒や茶を愉しみ、唄や小噺に華を咲かせ、永劫続く夜の中をのんびりと過ごしているのだろうか。
 少しばかり疲れた両腕をひらひらと動かして、シュラインは再び袋に手を伸べた。
 と、その時。シュラインの視線の端に、ひらひらと舞う小さな光のようなものが映りこんだのだ。
「……あら」
 呟き、舞う光に目を寄せる。
 それは仄かな光を放ちながら薄闇を舞う、小さな蝶だった。
 紋白等といった程の大きさのそれが、数匹程群れを成して舞っている。
「こんな時期に蝶なんて」
 再びそうごちて、シュラインは静かに指を伸ばした。伸べた指先を掠めるようにして、蝶が羽を動かした。
「ヘェい、あっしの売り物は四季なぞ問わずに客人方の目に触れてござい」
 ふとそう声をかけられて、シュラインは咄嗟に振り向いた。
 そこには、いつからそこに立っていたものかも知れぬ、一人の男の姿がある。
「売り物?」
 シュラインは男の出で立ちを確めた後、ゆっくりと視線を細めた。
 目深に被った花笠の下からは鼻より下しか窺えない。煙管を吹かす口元には薄い笑みが滲んでいる。見目に寒そうな薄手の和服の上に、薄闇の中にあっても見て取れる女物の振袖を羽織っていた。
「この蝶があなたの”売り物”?」
 僅かに訝しみながらそう訊ねると、男はじわりと頷き、煙を一筋吐き出した。
「あっしはご覧の通りの蝶々売りでござい」
「蝶々売り」
 反復しつつ、男の手を確める。そこには数本の花があり、それらはどうやら造花であるようだった。
 再び蝶に視線を戻す。
 細かな光を落としながら夜を舞う蝶の群れは、よく見ればそれぞれが一つづつの糸で括られているのが見える。
「そのお花は造り物よね」
「へェい、左様で」
「じゃあこの蝶も造り物?」
「さァて」
「……なるほどねえ」
 曖昧に笑う蝶々売りの口元を見やり、シュラインは小さく肩を竦めた。
「ねえ、あなたも四つ辻の住人?」
「あっしは商いがてらたまあに立ち寄らせていただいてるだけでさ」
「じゃあ住んでるわけじゃないのね」
「左様で」
「ふぅん」
 シュラインはそう頷いて、ひらひらと飛び交う蝶の姿に視線を向ける。
「でも、ここで商売をしてたところで、儲けなんてものはあまり見込めなそうよね」
「たまあには酔狂な方がいらっしゃるもんでさあ」 
「たまには? 私みたいに出入りしちゃうお客さんとか?」
 訊ね返すと、蝶々売りはくぐもった笑みを洩らした。
 シュラインもまた小さく笑う。
「商売っ気があるわけでもないのね。――まあいいわ。ねえ、それよりも、侘助さんのお店は知ってるかしら。私、今から侘助さんのところにお土産を届けに行くんだけど」
 言って、降ろしていた袋を持ち上げる。
「これ、結構な重さがあるのよね。お酒、お好き?」
 シュラインが訊ねながら首をわずかに傾げてみせると、それを受けた蝶々売りは煙管をはさみこんでいた口許をゆるりと緩め、薄い煙を吐き出した。
「三度の飯よりもってはねェ、ありゃあよく言ったモンだと思いやすよ」
「良かった。ねえ、じゃあ、茶屋まで荷物を半分持ってくれないかしら。お駄賃はお酒でっていう事で」
「ほう、駄賃までいただけるんですかい」
「悪い話ではないでしょう?」
「合点承知。さて、そうと決まれば善は急げってね」
 言うが早いか、蝶々売りは握っていた糸をぽんと放ち、シュラインが手にしていた袋のほとんどを手に取った。
 蝶々売りの手を離れた数匹の蝶たちは、突如得られた自由にしばしの戸惑いを見せた後、確かめるようにして薄闇の中へと飛び去って行った。
 やがて姿を消していった蝶の軌跡を眺めながら、シュラインは小さく目をしばたかせる。
「あれ、本物だったのね」
 呟くようにそう述べると、それを受けた蝶々売りが面白そうに頬を緩めた。
「へぇい、左様で」

 茶屋の灯は薄闇の向こう、さほど離れてはいない場所にあるというのに、歩けどそれはじりじりとしか近付く事が出来ずにいた。
 前までは難なくするすると歩み寄れたはずの茶屋なのだ。それがこうまでじりじりとしか寄る事が出来なくなっているというのには、おそらくは何か道理があるのだろう。
 シュラインは蝶々売りを横目で見やり、ふつりと小さな息を吐いた。
「ねえ、訊いてもいいかしら」
「へぇい、あっしでお応えできるもんであるならなんなりと」
 返された声音は笑みをも含めたものだった。
 シュラインは、花笠の下に隠されている蝶々売りの眼差しを想像しながら頷いた。
「この四つ辻って、私みたいな人間には、やっぱりそれなりに不思議な場所っていうか。そんな風に映るのよね」
「それなりに、ですかい。妖やらなんやら、現し世にゃああんまり縁のないモンでありやしょうが」
「そうなんだけどね。うーん、私、職業柄っていうのかしら、妖怪だとか霊魂だとか、そういったものとは案外と縁深いのよね。だから、そういったものを前にしても、別にどうとも思わなくなってきちゃってるっていうか」
「なるほどねエ」
「蝶々売りさんって四つ辻の人じゃあないって言うけど、じゃあ、蝶々売りさんにはこの場所はどんな風に見えてるのかしらって」
 横目に蝶々売りを見やり、わずかに首を傾げてみせるシュラインの言葉に、蝶々売りは「アァ」とごちて煙管を口許へ運んだ。
「そうでやすねえ……。例えば、お客さん、」
「シュラインよ」
「シュラインさん、あんた、帝都にお住まいでしたかねえ」
「帝都……東京ね」
「なら、そこを離れて、なあんにも無ぇ田舎町まで出向いたとしますや。宿場もろくにありゃしねえ、鄙びた山ん中へさあ」
 紫煙が薄闇をついて昇っていくのを、シュラインは頷きと共に見送る。
「あんたあ、そこではまぎれもなく”お客さん”なわけですがねえ。連中にとっちゃあ、あんまり触っちゃならねえ腫れ物みてえなもんでもあるわけでさ」
「異物、っていうわけね」
 訊ねると、蝶々売りは口許をニイと歪ませた。頬の彼岸花がじわりと歪む。
「どうにもこうにも落ち着かねえ、居心地もなんにもあったもんじゃねえ。――ああ、でも、たまあに張り詰まった空気ん中にひょいと顔を突き出してみるのも悪くはねえ。まっさらな水ん中に石を放って、たまに波風たててやるのも悪くはねえってもんでやしょう」
「……」
 シュラインは応えなかった。ただじっと押し黙ったままで、横を歩く蝶々売りの彼岸花を見据える。
「ねえ、蝶々売りさん。あなた、どこからここへ来」
「ささ、ようやっと着きましたぜ」
 訊ねかけた言葉は、蝶々売りの声と茶屋の明かりに遮られた。
 シュラインは告げかけた言葉を呑み込んで、茶屋の中から漏れ出してくる相変わらずの騒ぎに目を細ませる。
「さあて、では、あっしはこいつを貰っていくとしますよ」
 蝶々売りは袋の中からスコッチの瓶を二つばかり取り出して、花笠を深く被りなおした。
 茶屋の賑やかさに頬を緩めていたシュラインが蝶々売りに目をやると、そこにはもう何者の姿もなくなっていた。あるのは薄闇と、茶屋から漏れ出る仄かな明かりと、
「……蝶」
 一匹の蝶が薄闇を揺らしながら飛んでいく。
 
 




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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】



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          ライター通信          
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お世話様です。このたびは三度目の来訪、ありがとうございます。

今回は蝶々売りをご指名との事で、侘助などの出番は省かせていただきました。
蝶々売りは、どうにも胡散臭い存在なので、書いている方としては非常に楽しいのですが(笑)、
シュライン様にも、少しでもお楽しみいただけていたらと思います。

それでは、またご縁をいただけますようにと祈りつつ。