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<東京怪談・PCゲームノベル>


Night Bird -蒼月亭奇譚-

 東京でも冬の夜空は、高く澄んでシリウスが光っているのが見える。時々身を切るような木枯らしも吹くが、それもまた四季の移り変わりなんだと思うと、一年が早く過ぎていくような気がして仕方がない。
「寒くないか?シュライン」
「大丈夫よ、武彦さん。それよりお仕事無事に済んで良かったわね」
 シュライン・エマと草間 武彦(くさま・たけひこ)は、街灯の灯った街中を二人並んで歩いていた。今日は興信所に来た依頼事の処理手続きや、報告の為事務所を出て外回りばかりだった。それが終わりそろそろ帰ろうかと思っていたのだが、その前に少しだけ息抜きをしたいような気もする。
 そう思っていたシュラインに、武彦が煙草を胸ポケットから出そうとして少し立ち止まった。
「急ぎの仕事もないし、何か飲んで帰らないか?」
 親指で指し示した先には、一軒の店があった。
 『蒼月亭』…昼間はカフェで夜はバーになる店だ。ほどよく興信所に近いこともあり、シュラインも武彦も時々コーヒーを飲みに来たり、季節のイベントに出たりする常連だ。今の時間であればバーだろうが、たまに二人でお酒を飲むもいいだろう。
「そうね。近くまで来たんだし行きましょうか」
 少し暖まって、話をして落ち着きたい。
 ドアを開けるとドアベルの音と共に、カウンターから声がかけられた。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 いつもと変わらない挨拶。カウンターの中にいるナイトホークが顔を上げ、シュライン達に向かってにこっと笑った。
「今日は二人なんだ」
「ええ、仕事帰りに来たの。何にしようかしら…」
 夜のメニューが楽しいのは、カクテルの多さや昼と違うメニューなどにもある。今日のお勧めメニューは『ホワイトシチュー』なので、まずそれを頼むことにして飲み物は何にしようか…シュラインはほんの少しだけ考える。
「武彦さんは、何飲むか決めてる?」
「うーん、まだ決めてない。寒いから暖まる物がいいんだけど…マスター、何か体が暖まるようなカクテルとかある?外寒いから、一杯目はちょっとそういうのがいい」
 店の中は暖かいが、外を歩いていて体が冷えてしまった。手足が冷たいのでビールを飲むという気分でもないし、最初から強いカクテルというのもちょっと雰囲気ではない。それを聞いたナイトホークが、後ろの棚からダークラムの瓶をスッと取り出す。
「草間さんやシュラインさんが牛乳ダメじゃないなら、『ホット・エッグ・ノック』とかどうかな。ちょっと甘めだけど体温まるし栄養のあるカクテルだけど」
「私はそれにするわ。武彦さんは?」
「じゃあ、それを二つ。それと…」
 武彦がちょっとしたつまみなどを注文しているのを聞きながら、シュラインは店の中をぐるっと見回した。一枚板で出来たカウンターに、ヴァセリンガラスで出来たアンティークのランプシェード。奥にかけてある時計はゼンマイ用の穴が開いている。かかっている音楽はジャズのレコード。
 店全体が何だか一つのアンティークみたいな感じがすると、シュラインは来るたびに思っていた。何気なく出される食器などもそうだし、ここにいると何だか時間の流れがゆっくりな感じがする。それがまた居心地が良いせいで、つい長居してしまう。
 おしぼりで手を拭きながら、シュラインはナイトホークに質問した。
「ねえ、ナっちゃんさん…このお店って、噂じゃ十年ほどで店引っ越してるとか聞くけど本当なの?」
 シュラインが聞きたかったのは、この『蒼月亭』に関する噂のことだった。
 ここに店を開いたのは六年ほど前の話だが、噂では『蒼月亭』という店はもっと昔から都内にあったらしい。そして十年ぐらい一カ所で店をやると、また東京都内の何処かへ移転してしまうという。その時に変わらないのが、店の外にかかっている木の看板と『蒼月亭』と言う名前、そしてマスターのナイトホークだけだという。
「ああ、それは俺も聞きたかった。折角近くに美味いコーヒーの飲める店があるのに、急に移転されたら困る」
 シュラインの横で煙草に火をつけている武彦も、それを聞き視線をカウンターの中に向けた。ナイトホークはミルクを温めながらその話を聞いている。
「ああ、それ?大体長くても今のところ十五年ぐらいで移転してるな。根気がないから、一カ所に根を下ろして留まってられないんだ…どうしたの、急にそんな話して」
「ん…ちょっとその土地土地や時代での流行りとか、メニューの移り変わりや、お客様達の違いとかお話聞けたらなと思ったの」
 ゆったりとシュラインはそう呟き、ナイトホークの顔を見た。
「あ、ナッちゃんさん個人の背景が聞きたいんじゃないのよ。ナッちゃんさんの、ある意味無口な相棒である蒼月亭の思い出の一ページ、お聞きしてみたくって…」
 ナイトホーク自身に関してとやかく詮索する気は、シュラインには全くなかった。
 多分都内を移転したりしているのも、ナイトホークの体質や能力に関する所が多いのであろうし、それを聞いた所で仕方がない。ただ、店自体に時間の流れや暖かさを感じるので、それに少しでも触れられたら…そう思うだけで。
 二人の目の前に『ホット・エッグ・ノック』と、今日のお勧めメニューのホワイトシチューが並べられる。
「んー、実は昼間に営業し始めたのってここに来てからなんだよね。その前までは夜だけの営業で、コーヒーも出すバーって感じだった」
 もう少し警戒するかと思っていたら、ナイトホークは案外あっさりとシュラインに話をし始めた。手元では武彦が頼んだガーリックトーストの用意をしているが、口元はなめらかだ。
「へぇ、じゃあカフェは最近なんだ」
 湯気の立つタンブラーに息を吹きかけながら、武彦が聞き返す。
「うん。前にいたのは割と繁華街だったから、昼間開けても客来ない場所だったからね。ここは大通りから一本入った所で住宅街近いから、カフェもやってたけど昼間にも客が入ってきたのは本当ここ半年ぐらい」
 ふっと肩をすくめるナイトホークにシュラインが笑う。
「じゃあ、昔は硬派なバーだったのね」
「硬派…それはどうだろう。俺が店やってるのって半ば趣味みたいなもんだからね、商売として儲かってるかと聞かれたらノーコメント」
 趣味みたいなもの。
 そうは言ってもやはりこだわりはあるのだろう。いつ来ても棚のボトルは綺麗に磨かれているし、グラスやカウンターもしっかりとしている。そしてたとえ客と一緒に飲んでいたとしても、その背筋が緩むことはない。
 口にしたカクテルが温かく体に染み渡る。
「じゃあ季節のイベントとか始めたのも最近か」
「それを企画してるのは俺じゃないし。香里亜(かりあ)が春にこっち来て、季節事に何かやりたいって言うからそういうのは全部任せてる…でも、メリハリつくし、滅多に見られない格好とか見られるから面白いけどね」
 ナイトホークと武彦がお互い煙草を吸いながら笑う。
 今年は浴衣限定の七夕イベントや、ハロウィンの仮装パーティーなど色々イベントには参加させてもらった。そういう風が入ってきたのは、立花 香里亜(たちばな・かりあ)という少女がナイトホークを頼りに東京に来てからのことだ。歴史ある店なのだろうが、そういうものをすんなり取り入れられるのも、ナイトホークの度量の深さなのだろう。
「でも、ナっちゃんさん浴衣も仮装も黒一色だったから、今度は違う色の服を着てるのが見たいわ」
「あーいや、俺多分黒以外の服似合わないような気がするんだよね」
「じゃあ、今度常連の皆と相談してカラーシャツとか買ってきちゃおうかしら」
「そりゃ俺も見てみたいな。案外ピンクのシャツとか似合いそうだ」
 意地悪そうに口元を上げる武彦に、ナイトホークが天を仰いだ。自分がピンクのシャツを着ている所でも想像しているのだろう。
「……あーダメ、限界。自分で想像出来ねぇ」
 あまりいじめると可愛そうか。少し方向性を変えるように、シュラインは話題を誘導することにした。
「やっぱり場所によってメニューの違いとかって出るのかしら?」
「ああ、あるね。繁華街で営業してると色んな客が来るから、移転させるたびにメニュー入れ替えしてるし。立地によってビールしか出ないところとかあったけど、繁盛してても俺のやることほとんどないからそこは十年持たなかった」
 それは何となく分かるような気がした。
 ビールサーバーの手入れとかもナイトホークはしっかりやっているのだろうが、やはりコーヒーとカクテルを頼んだときがナイトホークは一番嬉しそうだ。コーヒーであれば後ろの棚から古いミルを出し、ゆっくりと豆を挽くところから始まり、カクテルならその時に応じてシェーカーやミキシンググラスなどが出る。その動きには無駄がなく、見ているだけでも期待が高まっていく。
 多分…何となくシュラインが思うことなのだが、ここは客だけではなくナイトホークにとっても憩いの場なのだろう。居心地が良く、ゆっくり羽を伸ばせる場所。
 だからこそ人が集まり、笑ったり話したりしてまた自分のすみかへと戻っていく。そんな暖かさと安心感がここにはある。
「マスターさ、昔は出してたけど今出さないメニューとかあるの?そういうのがあったら、ちょっと飲んでみたい」
 『ホット・エッグ・ノック』を飲み干したタンブラーを武彦がコースターに置いた。食べ物の好みが変わるように、メニューにも流行廃りがあるだろう。もしそういうのがあるのなら、確かに味わってみたい。シュラインはカウンターの中に期待に満ちた眼差しを向ける。
「私も。蒼月亭の隠れメニュー、味わってみたいわ」
「今出してないメニューか…シュラインさん達『電気ブラン』って知ってる?」
 それは電気が珍しい明治時代に生まれたというカクテルだ。
 浅草にある「神谷バー」が作ったブランデーベースのカクテルで、今でも神谷バーでは普通にあるメニューで、持ち帰り用の瓶もある。粋な飲み方はビールをチェイサーにすることだ。
「知ってるわ。今は神谷バーぐらいでしか見ないメニューだけど」
「じゃあ、蒼月亭風の『電気ブラン』でも作ろうか。流石にビールをチェイサーに…とまではいかないけれど」
「じゃあそれを二つお願いね」
「かしこまりました」
  ブランデーやワインキュラソーなど様々な材料をシェーカーに入れるナイトホークを見て、武彦が小さな声でシュラインに呟いた。
「…何かこういうのっていいよな」
「そうね」
 蒼月亭とナイトホークが持っている歴史の一部。
 多分このどちらかが欠けてもこの店は成り立たないだろう。蒼月亭という看板があり、ナイトホークというマスターがいる。きっと外にかけてある木の看板は、そんな移り変わりを見守ってきたのだろう。
「『蒼月亭風電気ブラン』になります。これは隠れメニューなので、あまり口外なさらぬよう」
 カクテルグラスに琥珀色の電気ブランが満たされていく。
 昔ハイカラだというものにつけられた『電気』という名前。少し甘みのあるカクテルが口の中に広がり、それを飲んでいる二人に向かってナイトホークが煙草に火をつけながら、萩原朔太郎の句を言った。
「『一人にて酒をのみ居れる憐れなる となりの男になにを思ふらん』…まあ、うちの店にはあんまり関係なさそうな句だな」
「ここだと一人で飲んでても、ナっちゃんさんがちゃんと見ててくれるものね。きっとそういうところもここに来たいって思わせる理由なのよね…」
 ナイトホークが言ったのは大勢の中で飲んでいても一人だという、朔太郎が神谷バーと電気ブランに寄せた句だが、蒼月亭で飲んでいれば一人でいても一人じゃない。
 つかず離れずちゃんと飲むペースなどを見ているナイトホークが、きっとその孤独を癒やしてくれる。
 でもシュラインはそっと心の中で思っていた。
 たとえ店に歴史があり、ナイトホークに色々な過去があったとしても…自分の友人は過去でも未来でもなく今のナイトホークだ。もし後何年かして、蒼月亭の場所が変わったとしてもそれだけは変わらないだろう。
「ねえナっちゃん、もし移転しようって思ったときは前もってちゃんと教えてね。事務所から遠くなっても行くから」
「あ、それは俺もマスターに言おうと思ってた。移転するなとは言わないけど、するときは前もって言ってくれ。ただでさえ迫害されてる喫煙者が、堂々と煙草を吸える店って少ない」
 武彦の言葉にクスクスとシュラインとナイトホークが笑う。
「…何か変な事言ったか?」
「いや。まだしばらくはここで店やってるから安心して。結構居心地いいし、それなりに気に入ってるから」
 そんな会話を聞きながら飲む電気ブランは、甘くそしてほろ苦かった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

◆ライター通信◆
ご来店ありがとうございます、水月小織です。
夜に草間氏と一緒に蒼月亭に来て、店の移り変わりなどの話を…ということで、カフェを始めた話や、季節のイベントに関する話を織り交ぜながら話を作らせて頂きました。
「電気ブラン」は、今は飲める場所が少ないようですが、隠しメニューの一つとしてナイトホークなら作り方を知っていそうというイメージで作らせて頂きました。新しい場所にありながらも、中にいる人は変わらぬまま…というのがこの店なのかも知れません。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってくださいませ。
またよろしくお願いいたします。