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<東京怪談・PCゲームノベル>


Night Bird -蒼月亭奇譚-

「いやーな雨ねぇ…」
 その日は給料日前の雨の日で、桜塚 詩文(さくらづか・しふみ)が経営しているスナック『瑞穂』には客が一人もいなかった。週末や忘年会シーズンなどはアルバイトの子を入れたりもするが、基本は一人で切り盛りできる小さな店。駅前という立地条件と、詩文の人柄もありそこそこ繁盛しているのだが、客商売は水物だ。忙しいときは目が回るほどだが、暇なときはどんな条件が揃っても客が来ない日もある。
「今日は早じまいしちゃおうかしらん」
 一人でじっくりと飲んでいたり、カラオケの練習をしていてもいいのだが、やっぱりそれは退屈だしつまらない。たまには店を早じまいして、瑞穂と全然雰囲気が違う店に行ったりするのもある意味勉強だろう。
 そうと決まれば行動は早い。店の照明を落とし、詩文は戸締まりをし始める。
「どこに行こうかしら、駅ビルのお店は全部挨拶しちゃったし…」
 こんな雨の日には、ちょっと雰囲気の良いバーに行ってカクテルグラスなどを傾けたい。でも、せっかく飲むなら美味しいカクテルを。
「そういえば『蒼月亭』さんには行ったことがないわね…」
 夜の店の繋がりで、その名前は知っていた。大通りから少し中に入った場所にある店で、昼間はカフェで夜はバーになるという。組合の会合などでチラリとマスターの顔を見たことがあっても、お互い会釈ぐらいはしてもゆっくり話をしたことがない。
 客層が合わないので直接店の話を聞いたことはないが、なかなか評判の良いバーらしい。
「行くならお土産を持って行かなくちゃね。この子なんていいかしら」
 嬉しそうにそう呟くと、詩文はカウンターの上に乗せてあった創作人形をそっと手に取った。店の雰囲気に合うかどうかは別として、お土産は自分が持って行けるもので一番自信のある物を持っていくのがいいだろう。
 オフホワイトのコートにグレーの雨傘。
 雨はしとしとと天から細く降り続いている。
「どんなお店なのか楽しみだわー♪」
 店の看板のライトを消し、詩文は軽やかな足取りで歩き出した。

 古い木の看板に蔦の絡まったビル…。
 蒼月亭は雨の中ひっそりと柔らかなライトの下佇んでいた。押し戸を開けるとカランとドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
「こんばんはー。今日は嫌な雨ね」
 カウンターの中では会合で顔を見たことのある、長身で色黒のマスターが煙草を吸いながらグラスを拭いていた。どうやら今日はこちらも雨のせいか、客の姿は見えない。
 傘をそっと閉じ傘立てに置こうとすると、カウンターの中からマスターが出てきてそっと白いタオルを手渡してくれた。
「お使い下さい。ハンガーもこっちにあるからどうぞ」
「あら、ありがとう」
 店内にカラオケなどはなく、BGMはジャズのレコード。照明や椅子などはアンティークで統一されていてなかなか落ち着いた感じだ。脱いだコートを受け取りながらマスターがふっと笑う。
「『瑞穂』のママだよな。会合で見たことがある」
 どうやらマスターも自分のことを知っていたらしい。それが何だか嬉しくて、詩文はにっこりと微笑みながら頷いた。
「ええ、そうよ。これ、お店の名刺。よろしくね」
 店の名刺を両手で渡すと、マスターもベストのポケットから名刺を取り出した。そこには『ナイトホーク』という名前が書いてある。本名かそれとも源氏名なのかは分からないが、それを聞くのは野暮だろう。
「詩文さん…ね。今日は雨のせいで客が全然いないけどゆっくりしていってよ。折角来てくれたんだから、挨拶代わりに一杯奢らせてもらってもいいかな」
「大歓迎よ」
 カウンターに座るとおしぼりと一緒にカクテルグラスに入ったアボカドのサラダが差し出された。
 やはり雰囲気は自分の店と違う。昼間はカフェという通り、カウンターの後ろにはコーヒーミルやエスプレッソマシンなどがあり、そして棚にはたくさんのボトルが並んでいる。でもボトルキープをやっているわけではないようだ。
「たくさんお酒があるのねぇ」
 それを見上げながら溜息をつく詩文に、ナイトホークは後ろの棚や足下にある冷蔵庫から出したお酒などをてきぱきと計ってシェーカーに入れていく。どうやらご馳走してくれるのはカクテルらしい。
「俺が酒好きってのもあるな…それに客の好みもうるさいから、気が付いたらやたら増えてた」
「うふふ、でも素敵なお店よ」
「そう言ってくれるとありがたい」
 スッとナイトホークが背を伸ばし、シェーカーを両手に握った。この振り方次第でカクテルは味が決まってしまう…だが、この緊張感と期待感はやはりいい。
 コースターの上にカクテルグラスが置かれ。その中に赤いカクテルが満たされる。
「お待たせいたしました。お近づきの印に『チェリー・ブロッサム』を。日本で作られた桜の花をイメージしたカクテルになります」
 なかなか粋なことをする。
 そのグラスを桜色のマニキュアが綺麗に塗られた指で持ち、詩文はナイトホークにウインクをした。
「ありがと…頂くわね」
 口に含むと甘い香りが辺りに広がり、それに詩文は思わず微笑んだ。それに安心したようにナイトホークが煙草を吸う。
「美味しい?」
「ええ。何かここって隠れ家みたいな感じで良いわね。あ、私もお土産を持ってきたの」
 バッグの中に入っていた紙包みの中には、詩文がルーンの護符を刻んだ創作人形が入れてあった。蒼月亭…という店の名前を考えて、黒い服を着せた人形を持ってきたのだが、それがナイトホークの黒い服に合っているような気がする。
「あ、ありがとう。ボトルの棚に飾っとくといいかな、殺風景だからこういうのはちょっと嬉しい」
「喜んでくれると作った私も嬉しくなっちゃうわ」
 何だか外は雨なのに、店の中はゆったりとした時間が流れる良い雰囲気だ。棚の一番高い所に人形を飾ると、ナイトホークはゴブレットに氷を入れ始める。
「そういえば『瑞穂』も結構長い店だよな。うちがここに移転したのは六年ぐらい前だけど、その頃からあったはずだ…」
 そう。
 スナック『瑞穂』は元々詩文が開店した店ではない。八十年代に詩文が日本に移住してきたころからあの場所にあり、そこのママが年齢を理由に引退したとき自分に店を譲ってくれたのだ。
 ママはずっと年を取らず変わらぬままの詩文に対して何も聞かず何も言わず、ただ「お店とお客様をお願いね」としか言わなかった。
 それと同時に詩文は『蒼月亭』に関する話も知っていた。
 それは十年ぐらい事に転々と都内で場所を変える店。だがそこにいるのはいつも同じマスターだということを。「昔からマスターは変わらない」という言葉を聞いたこともあるが、それはもしかしたら、ナイトホークが人と違う時間の流れを生きているからなのかも知れない。
 ふぅ…と詩文が溜息をつく。
「このお店も移転してるけどかなり長いって聞いてるわ。でもやっぱり夜のお店って居心地いいのよね…自分と人との時間の流れが違うことを感じさせないから」
「…そうだね。夜はそういうのを忘れさせてくれるから、やっぱり住みやすい。全く人と接しない生き方も出来るかも知れないけど、それはあまりにも寂しいし」
 何となくだが、お互い分かっていた。
 会合などで会う人が移り変わっても、目の端で見かけるずっと変わらない姿を。
 その度に何か話そうと思うのだが、何故か言葉が出ぬままにお互いがお互いを見失ってしまい、忙しい時間の中でまた忘れ去ってしまう。
「人に会わないのは楽だけど、それじゃ寂しいわよね。世捨て人のように生きるのは嫌だもの」
 そういう生き方を考えたことも、多分お互いあるだろう。
 詩文自身、人狼化をコントロールできなかったときには人から離れて生きようかと思ったことがあった。『春の国』を捜して世界中を回っていたときも、なるべく人に執着せず人目を避けるように暮らしていたこともある。
 でも、それはやっぱり寂しい。
 生きている限りどうしても人と触れ合いたい。声を聞き、話し、歌ったり笑ったりしたい。そう思うのは贅沢なのだろうか。
 ナイトホークが短い煙草を灰皿で消す。
「多分俺にはそんな生活は無理だね。俺はここで時間がある程度止まってるけど、人だけじゃなくて街も何もかも移り変わっていくのを見るのは、時々寂しいこともあるけど嫌いじゃない。だからこんなふうに店とかやってるんじゃないかな…って、器用な生き方じゃないけど」
「長生きしたって器用にはなれないんじゃないかしら」
「それもそうだ。俺なんかちっとも成長してない」
 ふふっ…とお互いが顔を見合わせて笑う。
 器用になれなくてもいい。長生きしたからといって、それだけで悟れるほど世界は甘くない。
 でも、甘くない代わりに時々こうして粋なことをしてくれる。特にこの「東京」という街では…。
「こんな事ならもっと早くに来たら良かったわん。でも、お互い夜の営業だと会合とかじゃないと顔合わせないのよね…」
「俺も噂で『瑞穂』が居心地よくていい店だって聞いてたんだけど、なかなか行けなくてね。ここって立地的にも穴場だから、お客さん被らないし偵察に行くのも何か目立つし」
 確かに長身で色黒のナイトホークが一人でふらりと来たら、ものすごく目立つだろう。そんな様子を思い浮かべ詩文はポンと手を叩く。
「来たらカラオケとか歌ってもらっちゃおうかしら。ナイトホークさん歌上手そうだし」
 ウイスキーのグラスを持ったまま、ナイトホークが首を横に振る。
「ダメ。鼻歌歌うぐらいならいいけど、俺歌とか全然知らないから。昭和の歌謡曲とかマジで歌いかねない」
 それはそれでお客さん達には受けるかも知れない。
 『瑞穂』の客は年配層が多いし、カラオケでかかるのもほとんど演歌などが多い。それを教えると、ナイトホークはもう一度首を横に振る。
「いや、それでもダメ。カラオケ苦手だから」
「あら残念。でもあんまりいじめるとかわいそうだから、これぐらいにしておくわん。おかわり頂こうかしら…そうね『フォア・ローゼス』を水割りで」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 ゆっくりと話をしながらお酒を飲み、詩文が店を出る頃には雨は小降りになっていた。
 この様子なら明日は良い天気になるだろう。
 結局あの後も客が来なかったので、詩文はデザートなどをご馳走になりながらカウンターのナイトホークと色々な話をしていた。今まで回った国のことや、出会った出来事。自分の彼氏に関するのろけ話や、店で出してるメニューなど、話せばいくらでも話題が出てきそうだった。
 お金を払い出口に向かうと、ナイトホークがカウンターから出てきてコートをハンガーからおろしてくれる。
「今度は私のお店にも来てね。サービスするから」
「うん、そうさせてもらう。タクシーとか呼ばなくていい?」
「大丈夫、酔い覚ましに歩いて帰るわ」
 ドアベルが鳴る。
 雨に濡れないように気をつけながら、そっとグレーの傘を開く。
 雨の日は退屈だけれど、たまにはこういうのもいいかも知れない。いつもと違う場所でお酒を飲んで、同じような時間の流れを生きている誰かに出会い、その傷に触れるわけでもなくただ短い時間の流れを一緒に過ごす…。
「ありがとうございました、またのご来店をお待ちしております…」
 その言葉を聞きながら、詩文は足取りも軽く雨の中を歩いていった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6625/桜塚・詩文/女性/348歳/不動産王(ヤクザ)の愛人

◆ライター通信◆
ご来店ありがとうございます、水月小織です。
雨の夜に蒼月亭で少しグラスを傾けながらお話を…ということで、おたがいいい感じの距離を持ちつつ大人の会話という話しにさせていただきました。多分詩文さんもナイトホークも、お互い顔は知っていて何となく「お互いいつも変わらないな」と思っていながらも、きっかけがないとわざわざ話しに行かなそうです。
でもこういう出会いも良いですよね。東京ならではという感じがします。
リテイク、ご意見は遠慮なくお願いします。
今度はそちらのお店に行ければいいなと思っています。またのご来店を。