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<東京怪談・PCゲームノベル>


Night Bird -蒼月亭奇譚-

 『蒼月亭』という店の名を聞いたのは、初めてではなかった。
 四位 いづる(しい・いづる)が経営している『四之宮医院』に、以前「患者を診て欲しい」という電話をかけてきたのも確かその店だった。
「奇妙な縁…か」
 その店の住所が書かれたメモを見ながら、いづるは靴音を鳴らし大通りを歩く。
 街路樹の葉は紅葉を過ぎ、ほとんどが地面に葉を落としている。時々木枯らしが吹き、いづるの長い髪を揺らす。まだ昼過ぎなので柔らかい日差しで暖かいが、夜になったら冷え込むかも知れない。
 その店に向かうのには理由があった。
 医院を臨時休診にしてわざわざ外にコーヒーを飲みに行くほどいづるは暇な訳ではない。二十四時間、いつでもどんな者…それこそ急患から人外まで…を診られるように、玄関のドアはいつでも開けてある。今日も何かあったらすぐ連絡できるように、看護婦には言ってきていた。
「………」
 道を曲がり、少しずつ小路に入っていく。
 メモに書かれている住所の下には、その店の目印が「蔦の絡まるビル」ということか書いてある。
「ここね」
 それは、いづるの元にかかっていた一本の電話が始まりだった。

 私を治療して欲しいんです。
 でも理由があって直接そちらに伺うことが出来ないので、『蒼月亭』でお会いして頂けませんか?
 先生を信用してないわけではないんです。
 ただ、どうしても直接そちらに行けない理由があるんです…。

「…けったいな電話だったわ」
 自分を信用してないわけではない。でも、直接そこに行くことは出来ない。
 四之宮医院に人外の患者が来るのは珍しいことではないが、おそらく動けないわけがあるのだろう。
 考え事をしているうちに蔦の絡まった三階建てのビルが見えてきた。古い木の看板には蒼い月が描かれている…ここが目的地らしい。
 ドアを開けるとコーヒーと煙草の香りと共に、挨拶の声がかけられる。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
「こんにちは、待ち合わせをしているんだけれど…」
 ドアを閉めながらそう言うと、長身で色黒のマスターらしき男が煙草をくわえながら四人がけの席を手で示した。そこには一人の青年が座ってじっと文庫本を読んでいる。
「そちらでお待ちのお客様ですね。後でご注文を取りに伺いますので」
「ありがとう」
 何だか不思議な印象のマスターだった。
 いづるは体調や感情、そして生の流れなどが分かる「眼」を持っているのだが、その流れが何だか少しおかしい。一瞬自分の目が疲れているのかもと思ったが、カウンターを拭いたりしている店員の少女に関しては何も妙なところは見えなかったので、マスター自身に何かあるのだろう。
 だが今診るべきはそちらではない。店の中をそっと歩き、いづるは青年の横に立った。
「こんにちは。四之宮医院の四位 いづるです」
「あ…ごめんなさい、本に夢中で気付いてませんでした。こんにちは」
 見た目は普通の人間のようだが、見ようによっては女性にも男性にも見える。柔らかい印象の下に、何か強い芯があるような印象だ。青年は自分の名を名乗らないまま、いずるにそっとメニューを差し出した。
「ここのコーヒーは美味しいんですよ」
「じゃあ、それを頂くわ。話はコーヒーが来てからの方が良いのかしら」
 いづるの言葉に青年が頷く。
「話を延ばそうとしている訳じゃないんです。でも、せっかくここまで来て頂いたのに、何も飲まずに話をするのもおかしいかなと思いまして」
 それもそうかも知れない。患者を早く診たいのは山々だが、まずは少し落ち着いてからでもいいだろう。そう思っていると、店員の少女がレモンの香りがする水をそっと差しだした。
「ご注文がお決まりになりましたらお願いいたします」
「コーヒーを一つ」
「かしこまりました。お客様の注文があってからコーヒーを挽きますので、少々お時間頂きます」
「構わないわ」
「はい。こちら、コーヒーの待ち時間にお召し上がり下さい」
 マスターが差し出したクッキーの入った小皿を、少女がテーブルに置く。その様子をチラリと見送り、いづるはふぅと一つ息をついてもう一度青年を見た。
 ……人間やない。
 それは現実にこの場所にいるが、儚げな気配だった。少しでも気を抜けばここから見えなくなってしまうのではないだろうか…まるで世界の境目に立っているように、ゆらゆらと気配が揺れて見える。幽霊というよりは精霊とか妖精のような感じだ。
「一つ質問していいかしら」
「どうぞ」
「どうして会う場所にここを選んだのかしら。出来れば直接病院に来てくれた方が良かったんだけど」
 ……青年が困ったように俯いた。
 その沈黙にジャズのレコードと、コーヒー豆を挽く音が響く。青年はいづるの顔を見ず、テーブルの上に置いた文庫本やグラスなどに視線を泳がせている。
「…何かここから動けない理由でも?」
「そういうわけです。先生は人だけでなく、人外の者や幽霊すら診ると伺いました。信用して頂けるかどうか分かりませんけど、僕はこの『蒼月亭』の守り神なんです」
「………」
 嘘をついているわけではないだろう。確かにそうであれば、ここから動くことは出来ない。儚げな気配なのは、一生懸命ここに現れようとしているからなのだろう。いづるは小皿からクッキーを一枚つまみ、少しだけ溜息をつく。
「私は医者だから、建物や看板の不調は診ないわよ。貴方自身が病気というならともかく」
「それは分かってます。患者は僕です…」
 すると青年は小さな声でいづるに自分の不調を語り始めた。
 ここ何ヶ月か前から、何かが絡みついたように動きが鈍くて仕方がないということ。建物や中にいる客、マスターなどから影響を受けているのかと思ったがそういうわけでもないらしい。
「そして最近こんなものが出来はじめたんです」
 自分が着ていたシャツの袖をまくり上げると、前腕の部分に黒っぽい腫瘍のような物が見えていた。
「病気だって分かってるなら、もっと早く連絡して欲しかったわ」
「全くその通りなんですが、自分を診てくれそうなお医者様がなかなか見つからなかったんですよ。何か外からの悪意であれば自分で対処は出来るかも知れませんが、自分の中から出てきたものに関してはお医者様にお任せするのが道理ですし」
 ふっ…と、皮肉っぽく青年が笑う。
 全能の者がいるというのは人間の願望だ。実際そんな者はいやしない。
 いづるはその事をよく知っていた。幽霊だって霊体が傷ついて苦しむこともあれば、神だって精神の調子を崩し狂うことすらある。たとえ不死の者であっても、ケガや病気と全く無縁ということはないのだ。
「お待たせいたしました、コーヒーになります」
 湯気の立つコーヒーがいづるの前に置かれた。
 先ほどからマスターも少女も、青年に対して普通に接しているように見えるのだが、この青年が守り神ということに気付いているのだろうか。コーヒーを一口飲みいづるがその事を聞くと、青年は困ったように肩をすくめる。
「いえ、多分知らないでしょう。あの二人からは僕が普通の人間に見えていると思います。それに、わざわざ名乗るのも恥ずかしいでしょう?『僕がこの店を守ってます』なんて、そんな自意識過剰なことできません」
「たしかにそうね。でも、ここから動けないって言うのなら、治療はちょっと荒療治になるかも知れないけれど良いかしら」
「構いません。荒療治でもここから離れずに済むのなら、それは耐えられます」
 本当ならゆっくりと病院の診察室で何とかしたいのだが、守り神であるという彼を移動させるのは難しい。不在の間に別のものが来ることを警戒しているようだし、それはいづるとしても不本意だ。
 ただ…治療は一回で終わらないだろう。
 普通の手術だって術後の経過や、予後を診る。軽い風邪などなら一度診て薬を出して「また具合が悪くなったら来てください」などでいいかも知れないが、いづるの目に見える症状はそれほど軽いものではなさそうだった。
「…まず、腕の腫瘍の治療からだわ。実体は見せかけだろうから、私の力を使った針治療になる。体のだるさは過労とかから来るんだろうけど、一回ではい終わり…とは行かないわよ。何度か私をここに呼んで、その度に経過を見て…の長丁場。それで貴方が了承するのなら、早速第一回目の治療を始めるけど」
「お願いします」
 こういう霊体を治療するたび、いづるはいつも思うことがある。
 どうして彼らは愚かしいほど一途で真っ直ぐなのだろう。守りを誰かに任せたり交代することも出来るのに、あえてそれをせず、見返りを求めずただひたすらに自分がやることをそっとやり続ける。
 持ってきたカバンの中からいづる針を取りだし、青年の体の気を探る。
 大丈夫。
 彼がまだ生き続けここを守りたいという強い意志がある限り、時間はかかっても必ず自分が治してみせる。その想いは強い力になる。
「ちょっと痛いかも知れないけど我慢してね」
「はい」
 腫瘍の一番核の部分に針を刺すと、確かな手応えがあった。

 治療が終わり青年が封筒に入った治療費を払い伝票を持って出て行った後、いづるはカウンターに移動して残ったコーヒーを飲んでいた。急に死に至るものではないが、治療はこれからも続けていくだろう。その度にここに来ることになるかも知れない。
「…四之宮医院の四位先生だよな。先日はどうも」
「貴方が前に電話をくれたナイトホークさんね。初めまして」
 先日夜に電話をしたのは彼らしい。渡された店の名刺にも名前がしっかりと書いてある。
「この前は急ですまなかったな。普通の病院だと色々面倒だから先生に回したんだけど、急な話だったのにありがとう」
 あの時も何かと大変ではあった。
 だが自分は医者だ。医者は人を診るのが仕事であって、それが人間であろうが人外であろうがそれに代わりはない。ケガや病気で苦しんで助けを求めていれば、それが宇宙人でもいづるは助けるだろう。
 コーヒーカップを置き、長い髪を後ろにかき上げる。
「いえ、私に連絡してくれて良かったわ」
 多分あの後の話はナイトホークにも伝わっているであろう。もしかしたら患者が人間ではないことを知らないかも知れないが、そこは守秘義務がある。余計なことを言う必要はない。
 頬杖をつきながらカウンターに目をやっていると、ナイトホークはシガレットケースを出して何だか吸いにくそうに煙草をくわえているのが見えた。カウンターのあちこちには灰皿とマッチが置いてある。
「ここ、全席喫煙可なのね」
「あ、うん…でも、病院の先生がいると何となく吸いにくい気はする。喫煙リスク副流煙がどうのとか色々言われそうな気がして」
「別に…そこまでヒステリックに言っても仕方ないし、嗜好品なんだから吸えばいいんじゃないかしら。私はあんまり気にしないわ」
 どうせ吸ったところで生気の流れが変わるわけではない。いづるから見たナイトホークの気は、やはり普通の人間とはかなり違っていた。その理由を聞いてみたい気もするが、今聞くべき事ではないような気がして、何だか少し躊躇われる。
 するとナイトホークが灰皿に煙草を置き、話しかけてきた。
「さっきのお客さんは患者さん?何か真剣に話してたけど」
「ええ。あ、一応了承取っとくわ。あのお客さん、理由があって病院までこられないから、これから何度かここで治療させてもらって良いかしら。メスとか使う訳じゃなくて、針治療だから迷惑はかけないし」
「いいよ。昼間はテーブル席埋まる事ってランチの時ぐらいしかないし、訳ありの客は多いから詳しく聞かない」
「ありがとう、助かるわ」
 その患者を治療することは、いつかこの場所に帰ってくるのだが。
 研ぎ澄まされたような味のコーヒーを飲みながら、いづるはそっと窓の外を見る。
 冬の始まりを知らせるような風が、落ちた木の葉を日差しの中に舞い上がらせていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6808/四位・いづる/女性/22歳/医師

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
昼間、正体を明かさず治療して欲しいという人と初めて出会ったのが蒼月亭で…というところから話を書かせて頂きました。直接病院ではなく、蒼月亭でという理由を考えて守り神の治療という流れになっています。神話などでは神も狂ったりしているので、全く病気もなく全能ということはないのでしょう。
リテイク・ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。