コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


消えた魔術師





【プロローグ】



「久し振りだな、武彦。元気だったか?」
「…ああ。確かにお前が此処に顔を出すのは、少しばかり久しいか」


 小雨の降る、お世辞にも陽気とは言い難い秋の日の午後。
 陰鬱な雨音を遮るように扉を開けたその男は、軽く手を挙げて武彦にそんな声を掛けた。
「まぁ……とは言え、今回も依頼の話なんだけどな」

 頭髪から瞳、そして身を固める服装までもが見事に黒い男である。
 ……印象的なのは、猫のような皮肉気な瞳だろうか。

 ―――時折、人材を求めてこの草間興信所を訪れる退魔師。
 彼の名を、汐・巴と云った。




「実は、知り合いの魔術師が消えちまってな」
「消えた?何かの行動中だったのか?」
「ああ」
 そうなんだよ、と零から出された緑茶を舐めながら巴が呟く。
「……“ちょいと疑わしい”事件があってな。その調査をしていたんだ」
「それで……」
「此処だ」
 武彦の相槌に応じて、彼が懐から、ぱさ、と冊子を一冊机に置く。
 それは――――「或る場所」の概要・説明を内容とする冊子だった。
「……私立、玲瓏学園……?」
「イエス。まあ、大学、もっと言っちまえば学校ってのは一種、一般社会とは違う空間だからな……有り得ない話じゃないだろ?人が消えた、なんてのも……怪談の一つに数えられることも、あるかも知れん。もしくは、本当に起こる可能性もな」
「ああ」
 置かれた学園のパンフレットを見ながら、武彦。
「そこで何かが起きていて、調査に知り合いが向かったことは確かだ。だが、『対象の学園、そのどれくらいの部分が真相に関わっているのか』、ということも未知数でな。更に言えば、「学園とは無関係な何か」が学園を舞台に災いを引き起こしているかも知れん……慎重に動く必要がある。で―――協力者が欲しい」
「……その知り合いの術者とやらは、何の情報も残していないのか?」
「ウラが取れたら、仲間に連絡するつもりだったみたいだけどな……」
 武彦の問いに、そこで意図的に言葉を切って巴が窓の外を見た。


「成程。事情は分かった……それでウチに来たってことか」
「ああ。そういうわけで今回も頼まれてくれ、武彦」
 ぺこり、と巴が頭を下げる。
 ……武彦としては、これも間違いなく仕事の一環である。
「了解。それじゃ、いつも通り適当な人材を見繕ってやるよ」
「悪いな、助かるぜ…今回は色々と手を回しておいたんでな。融通は利くぜ?」
「そうか。では、それも協力者には伝えておこう」


 ――――そういう訳で。

「……今回は、甘いものも持ってきてないみたいだしな?」
「いや、訪問の土産も兼ねて今日は生八橋を持ってきたんだが……」
「持ってきたのか!?」


 或る学園を舞台とした事件の幕が、ここに上がろうとしていた。







【1】



 ―――那智・三織は、小雨の降る中で草間興信所に到着した。



「約束時刻の、三分前か………ああ、悪く無い」

 傘を畳んで雑居ビルに入りながら時刻を確認し、彼女は小さく満足げに頷いた。
 続いてゆっくりと、そして音を立てる事無く階段を上がっていく。



 ……160pほどの身長に、銀の瞳。

 黒と檜皮色の入り混じった髪はショートボブに纏められており、何処か涼やかで。

 纏う雰囲気は、断じて愚鈍ではなく―――そして、冷酷でもない。

 つまるところ。

 それが彼女、那智・三織という人間を一見した他人の抱く第一印象だろう。


(確か、興信所の位置は…)
 規則正しい歩調で歩きながら、彼女は頭の中でそんな思考をして、一瞬で解決する。
 淀みは生まれない。その程度のことは心得ている。
 ………暫くして足を止めた扉の前には、草間興信所、という素っ気無いプレートが掛かっていた。


「お邪魔します。草間さん、居ますか?」
「ああ……どうぞ、三織」
 ドアを叩いて、挨拶してから彼女が折り目正しく扉を開ける。
 ……果たして、彼女が部屋の中に認めるのは二人の男である。
「すまないな、こんな雨の中呼び出して…」
「いえ。急な用件なのでしょう?気にしないで下さい」
 一人は、この草間興信所の主。
 三織の来訪に気付いて、慌てて煙草を消した草間・武彦である。

 そして、もう一人が―――

「ああ……成程。確かに武彦の言う通り、君は優秀な人間のようだ」
 来客用のソファに浅く座りながら、じぃっとこちらを見てくる黒ずくめの男だった。
(……これが、今回の依頼人)
 その視線を受け止めながら、三織も同時に「彼」を見る。
 感じるのは、自分と同じ異質の気配。少なくとも―――無能ではないのか。
「…もう気づいているとは思うが、三織。そこに座っている奴が今回の依頼人だ」
「そうですか…」
「とにかく、座ってくれ。説明をさせてもらう」
 武彦の勧めに従って、彼女はとりあえず座ることにした。
 武彦の隣―――つまり男の対面へ。
「さて、それじゃ始めようか。俺の名は汐・巴。退魔師なんてものをやっている」
「那智・三織です。宜しくお願いします」
 そう言って小さく頭を下げる巴に、三織も答えるように頭を下げる。
「……ふむ」
 彼女の挙動を見て、楽しそうに目を細めるのは巴である。
 ――――目の前の彼女は、存外穏やかな表情で。初対面の人間にマイナスの印象を与えない。
「良いね……本質がどうあれ、我々人間は礼儀を重んじるべきだ」
「……おい、早く話を進めないか。三織はお前の戯言に付き合うほど暇じゃないんだぞ?」
「む。それはすまん」
 武彦の警句にはっとして、短く謝罪する巴。
 一見してまともではないチンピラといった風だが、陽気で無礼を気にする性格であるらしい。
「それで、お話というのは……?」
「ああ。それじゃ、少し長くなるかも知れんが聞いてくれ」
 三織の言葉に、巴がああ、と頷いて彼女を見詰める。

「実は、話の発端は少しばかり前に遡るんだがな……」

 そして、今回の事件について説明を始めたのであった。




「……というわけだ。つまり、君には」
「件の学園への速やかな潜入。ことをなるべく荒立てず、仲間と連携して解決にあたれ……と?」
「そういうことだ」
 数分後、テンポ良く要点を纏めて話していた巴の話し声が途切れた。
 素早いレスポンスで、三織は自分に求められていることを確認する。
(ふむ…)
 事件の概要を速やかに整理しながら、彼女は頭の中で小さく頷いた。
 確かに、自分はこの事件に不向きでは―――無いのだろう。
 年齢や外見から、大学で調査を行うに容易い立場も確保できる。そして、戦闘能力も凡百の人々と比較したなら負けるつもりは無い……無論、凡百ではない外道の者が相手でも負けるつもりは無いが。
「…出来れば、早いうちから始めたくてな。知り合いの生きている可能性は、やはり時間が経てば…」
「…ええ」
 小さく、そして最後まで内容を言わずに巴が呟いた。
 目の前の男は―――どうやら、それなりに困った末この興信所に来たということか。
「それで……どうだろう、三織。この調査に協力してくれないか?」
 そして、頼む、と目の前の男は頭を下げる。
 存外素直な挙動だ、と何と無しに感じながら―――彼女は、穏やかな表情のままに返答を口にした。
「分かりました。それでは巴さん、宜しくお願いします」
「本当か!すまない、恩に着る……」
 安堵した表情で、巴が頭を上げて微笑んだ。次いでその表情は、嬉しそうな人懐こいものへと変化する。
 ……そして。彼女を歓待する笑みで、彼は、

「さて、それでは互いの理解を深めるために―――こんなものは如何、かな」

 十箱はあろうかという八橋をでん!とテーブルに置いた。

「……馬鹿野郎。持って帰れと言っただろう!?」
「うるせぇ!たった五箱でリタイアした軟弱者が吼えるな!」
「十分だろうが!?」
 本人としては、相手へ示す精一杯の誠意………のつもり、らしい。
 ……がー!だのうー!だのと吼え始める二人を放っておいて、彼女はその菓子を手にとり口に運ぶ。
「それでは、頂きます」
 言って、もくもくと食べ始めた。
「……あ。これ、美味しいですね」
 そして―――素直にそんな感想を言う三織である。
「くっ…なんと素直で可愛らしい反応か……!三織、好きなだけ食え!なんなら持って帰って良いぞ…?」
「本当ですか?すみません、ありがとうございます」
「うう、涙が出てくるな……武彦!お前も彼女を見習え!」
「放っておいてくれ!……三織、無理して食うことなんて無いからな?」

 再び、獣同士の牽制しあう鳴き声(に類似したもの)が興信所内を満たしていく。

「…♪」

 ――――そんな中で、彼女だけが平和だった。








 さて。このような経緯で、ついに草間興信所から此度の舞台の幕は上がった。

 そして。
 その登場人物の一人として、彼女もまた名を連ねることになったのである―――。









【2:開幕】



「さて……それじゃ、皆揃ったな?そろそろ始めるぜ」


 ―――草間興信所で、五人が依頼を頼まれてから一日後。

 晴れやかな空の下で、黒ずくめの退魔師、汐・巴がその一言を口にした。
 それは、ついに物語が動き出す契機の一言であり、それ故に使い古されたお約束の言葉である。
 ……やや強い日差しに目を細めながら、巴は言葉を続ける。
「今日から、各自に指定した設定で潜入調査をしてもらう。おやつは三百円までだぞ?」
「巴さん。三百円じゃ学食で食事も出来ないんですが、そこはどうすれば?」
「……ふ。まさか単刀直入に出鼻を挫かれるとはな。やるではないか、森羅」
「………………もう行って良いですか?」
 真剣な顔でベタなジョークを飛ばす彼を牽制するのは、私服にディバッグという格好の森羅。
 こういった相手に耐性でもあるのか、さらりと巴の台詞を交わして動き出す素振りを見せる……
「―――待て。えー、冗談は置いておいて。なるべく目立たないよう、個人の裁量で動いてくれ」
「……巴さん。一つ良いですか?」
「ん?」
 慌てて森羅を引きとめ、説明を続けようとする彼に―――手を挙げる、那智・三織。
 銀の瞳を揺らがせること無く、高校生らしい私服の彼女は質問を紡いだ。
「有事の際、優先順位は…どうしますか?」
「ああ――それは」
「はい」
 理解に至る巴に、こくりと彼女は頷く。
 それは、確かに大事なことで…………つまり、
「……魔術師様の失踪と、魔術師様の調べていた怪異、ですか?」
「…そう。そうだな、両者は微妙にズレることも有り得る……」
 マシンドール・セヴンの呟きに呼応して、巴は小さく首を縦に振った。
 ……確かに、それはそうだ。両者は重なっているように見えるが、場合によっては―――
「どちらかを先にしなければならないかも、知れない」
「…セヴン、素敵な纏めだ。ああ……とりあえず、平行して進めるのは勿論として。多分、メンバーを二つに分けてどうにかしたいところだな。甘いかも知れんが、このメンバーならどうにか処理できるだろう」
 端的に、結論を告げる。
 ……それでもいけない場合。または、既に術師が死んでいる場合は、確かに考えて然るべきだが……
「なんにせよ、その辺りは臨機応変に、か?」
「そうしてくれると助かる」
「とりあえず、互いに情報交換は密にしましょうね。何日かかるか、分からないけれど…」

 巴の呟きに、最後に対応するのは――黒・冥月。そして、シュライン・エマ。
 二人は、短期の留学生といった雰囲気造りを既に終えて巴の近くに佇んでいた。
「冥月、頭にきてもすぐに人を殴っちゃ駄目だぞ?」
「はっはっは、死にたいか貴様」
「まぁまぁ……とりあえず、皆、気合を入れていきましょうね?」
 どが、と冥月に殴られている傍らで、真面目な眼差しでシュラインが皆を見渡す―――
「よっし、それじゃいっちょ行きますか!」
「お、俺の台詞が……」
 そして――――元気な森羅の言葉と、少し気落ちした巴の言葉を契機に皆が歩き始める。


 何が起こるか、何が起きてしまったかは分からない。
 故に、殊更明るく巴は振舞うし、他の面々も油断を覚えるつもりは無かった。
 そんな、それぞれの思惑と意志が状況打開の武器になると固く信じつつ………



 ――――潜入調査の、一日目が始まる。









【3−e】


「……さて、始めるか」


 三織が選んだのは、ある意味でもっとも正攻法に近いものだった。
 すなわち―――己の年齢と外見をそのまま生かす、潜入方法である。

(まずは……事件について詳しい内容を明らかにするのが先決だろうな)

 彼女が身に纏うのは、先程も述べたように高校生が日常に着るような私服で。
 ―――左手には、「入学案内」などと書かれたポピュラーなパンフレットが握られている。
「それにしても……広い」
 次いで、す、と細まる彼女の目が捉えるのは、
 目の前に広がるキャンパスであり、パンフレットに分かりやすい図で纏められている学園の全体図である。

 そう――今回の調査対象は、桁違いに広いと言える。
 自分と、同じく巴に依頼された仲間達。それなりの頭数であり優秀だが、果たしてこのフィールドをカヴァし切れるものだろうか?
「…」
 そのような思考も、彼女は一瞬で切って捨てた。
 ……決して表情に出すことは無く、きょろきょろと、周りを珍しそうに見ながら歩く。
(広いなら…せめて、効率を。少しでも有用な情報を集められるように努力せねば)
 頷いて、彼女はすれ違う人々を慎重に見定める。
 足がかりになるのは……そう、面倒見の良さそうな者。出来れば年長者だ。
 もっとも、大学という場所は年長者と学年を重ねて居る者がイコールではない場合があるが…。

「……居た」
 暫くして、彼女は目標を定めた。
 自分の十メートルほど前方で会話しているグループ―――その中で、中核を担う陽気な青年である。
 よくよく観察してみれば、話術に長け、様々な会話で皆が飽きないように配慮している。
 …………悪く、無い。
(まずは、あの男か)
 適度な距離を保って暫く待っていると、丁度良いことにグループが解散した。
 講義があるのか、それともサークルか。皆が皆、別々の方向へ散っていく。
 ―――三織は、素早くその目標の男と距離を詰めて穏やかに話しかけた。
「あの、すみません…」
「うん?」
 予想通り、こちらを見て、けれど拒絶せずに男はこちらの話を聞く姿勢を見せた。
「その、こちらの大学に興味があって見学に来たのですが……この建物は、何処にあるか分かりますか?」
「ああ……此処かぁ。確かに、うちの学校は広いからね。無理もないや」
「ええ。どうも、現在地が分からなくて…地図を見るのが、苦手なんです」
 しゅん、とうな垂れて三織。
 その様子を見かねたのか、男はこちらを案ずるように、
「それじゃ、案内してあげるよ。付いてきて」
「え、宜しいんですか?」
「いいよいいよ。俺、次は講義もないからね……」
(素晴らしい)

 ―――期待通りの反応を、示してくれた。
「本当に助かります。それじゃ、お願いできますか?」
「うん」
 そして、二人は歩き出す。
 ……三織の計算した通り、『今立っているところから、最も遠い建造物』へと。





「へぇ。それじゃ、経済学部が志望なんだ?俺も経済学部なんだよね!」
「あ、そうなんですか?なら、もしかしたら先輩になるのかもしれませんね?」
 ……互いの距離を縮めるために、適度に会話しながら、二人は進んでいた。
 広大なキャンパスは、此処に来て上手い具合に味方になってくれている。まだまだ目的地は遠い。
(…素直で、好感の持てる人物だな)
 頭の中では冷静に会話を組み立てながら、ふ、と彼女は微笑ましく思う。
 そう。
 このような人物が志を持って生きていることは、きっと良いことだ……。

 ―――そして。

「あ、それと……小山田さんは、この学校の噂話にも詳しそうですけど」
「うん?」
「いえ、さっき迷っているときに、物騒な事件が起きていると小耳に挟んでしまって…」

 少し気になったんです、と。
 三織は、ついに情報を獲得するために攻勢に出た。
「あー……そうだね。最近、少しばかり怪我人が多いみたいだ」
「そうなんですか?」
「ああ」
 思ったとおり、彼――小山田、という男はそういった話題にも一定の知識を持っていたらしい。
 こちらの話題を無視する事無く、むしろ積極的にシフトしていく。
「どういう……ことなんでしょう」
「いや、それがねぇ――というか、これこそ話題を面白くしている一因だと俺は思うんだけど――良く分からないんだな、これが」
「…?」
「うん。だからさ、確かにこの大学は広くて、噂に尾ひれは付くだろうけど……それでも、尾ひれや誇張、情報が変わるのが『早すぎる』んだよね…いや、ちょっと曖昧な物言いで申し訳ないけど…」
 自分で言っていて眉根を寄せつつ、彼は話を続ける。
 ……どうやら、彼自身思うところはあるらしい。
「誰かが、怪我をしたというのは事実だ。…ただ、その怪我人として列挙されている中には実際に怪我をしていない人も含まれていて……実際の怪我をした奴も、サッカーをして骨を折った、だの、パソコンの打ちすぎで体調を壊した、だのとヴァリエーションに富んでいる…いや、富みすぎている、と言った方が適切かな」
「……つまり、何者かの作為が感じ取れる、と?」
「まあ、俺の気のせいかもしれないんだけどさ。どうも……少しばかり、広まるスピードと全体像の曖昧になる速度が合ってない気がするんだよ。ちょっと気になって、怪我した奴の見舞いに行ったんだけど…そいつも、記憶が定かじゃない、とか言ってたし」
「その人、どんな状態だったんですか?」
 ―――それなりに、情報を持っている。
 三織は確信し、本質を見失わないうちに鋭く男へ切り込んだ。
「んー…少なくとも、骨折とか打ち身って噂は間違いだったね。なんだか、極度の疲労状態だったとか……詳しいことは、分からないんだけど」
「極度の、疲労状態ですか……」
 ふむ、と三織は頷いてその情報を頭の中に書き留める。
 流石にその怪我人の名を訊くのは不自然だろう―――それに、どうしてもこの男から訊かねばならない情報、という訳でもない。
「一説では、どっかの馬鹿が怪しげな儀式でもしていて、その生贄にされたんじゃないかー、なんて言われてるしねぇ。はは、流石に飛躍しすぎだけど」
「ええ……」
(儀式、か……確かに飛躍しているような感じだが――)

「あ、ごめん……結局、俺も真相は分からなくてさ」
 こちらが考え込む表情を、暗い顔と判別したのか慌てて男が謝ってくる。
「あ、いえ!こちらこそ妙な質問をしてすみませんでした!」
「そう。確かに物騒だけど―――良い学校だからね。嫌いにはならないで欲しいな」
 そんな会話をしているうちに、存外早く目的の建築物は見つかった。
 ……気付かなかっただけで、相当な時間を会話に費やしていたのだろう。
「それじゃ、俺はこれで。帰り道に気をつけるんだよ?」
「はい。どうも、ありがとうございました」
 軽く手を挙げてくる彼に丁寧にお辞儀して、その姿が見えなくなってから彼女は建物から離れる。
 ―――今のは、吟味するに値する情報かもしれない。
「原因不明の疲労と……定かではない記憶、か」
 少しばかり、妙な話だろう。
 そして……彼女は、簡単にポケットから取り出した手帳にメモをして再び動き始める。
(これ以上、被害者は出させない)
 ああ、そうだ。
 例えば―――先程のような気持ちの良い人物が理不尽に振り回されることなど、良いことではない筈だ。
 そう、彼女は決意を固めて、
「―――っ!」
 
 はるか遠方からの、射すような視線に気付いてそちらを向いた。

「あれは……」
 それは、遠方の建物。その四階か、五階―――とにかく、誰かが立っていた。
 本当にそれは、一瞬だけの視線の邂逅。
「…怪しい、な」

 情報交換の際に、他のメンバーも「視線を感じるが気のせいかもしれない」、と言っていたが……
(―――本当は違和感が正しくて、気のせいではない?)
 それは、おそらく。
 薄々誰もが気付き始めていることなのかも知れないが……


「……果たして、どういうつもりで動いているのやら」




 ―――真相は、既に暴かれつつあるようだった。






【4】

 そして、各々が全力で調査に取り掛かって数日後――――。


「ふむ。そろそろ、かも知れんな」


 依頼主たる彼、汐・巴は、ついにそんな結論を下した。
 彼が座るのは、学園からほどよく遠い位置にあるビジネスホテルの一室。
 ……その、良くも悪くも無い設備の一つたる椅子に腰掛けて呟いたものである。
 ふ、と息を吐いた彼に言葉をぶつけるのは、同じく椅子に座り紙束を握るシュライン。
「巴さん。と、いうと…」
「ああ。まずは、そうだな。今あるだけの情報を整理してみよう―――後半戦への、良い導入になる」
「…お前が事態を把握していないだけではないのか?」
「冥月。茶化すなよ、と……それじゃ、順を追って情報を見ていこうか」
 胡乱な眼差しで牽制してくる冥月にぱたぱたと手を振りながら、巴は最初に三織を見た。
 彼女は頷き、ぺら、とページを静かにめくる……。
「それでは、最初に怪我人について。……様々な情報が錯綜しているのは皆さんも気付いているでしょうが、実際は派手な怪我ではなく……極度の疲労に陥って病院に運ばれた、というのが本当のところらしいですね。外傷そのものは、疲労と比べたら軽いものにさえ見えます」
「被害者の証言は?」
「記憶が曖昧、だそうです。接触した人物も有用な情報は引き出せなかったとか……」
「……成程。となると、益々怪奇モノの様相を呈してきたな?」
 ゆっくりと首を傾げる巴に、ええ、と三織。
 ―――記憶が無く、謎の疲労状態で発見された被害者。本当にそれは、奇妙な現象に思える。

「確かに、情報は錯綜していたな。俺も途中で泣きたくなったぞ……多分、誰かの作為が働いてるって皆の意見は正解だろうな。どうやら良心の呵責は無いらしい」
 やれやれだ、と肩を竦める。
 同じく、ひたすらに情報収集で疲労した面々は彼の意見を否定しないようだった。
「で……次。怪しげな人物は?ある程度アタリをつけないと、な?」
「それは―――そうね」

 次に手を挙げたのは、シュライン。

「これについては、皆も心当たりはあるでしょうけど……私は、それとは少し別件で」
「ふむ」
「…これ。纏めた資料の三ページの、蔵元という男よ」
 彼女が示すのは、教員紹介から拝借してきた一人の男のステータス。
 蔵元・晶という名前の、人文学部で宗教学を専門にする初老の男を指した。
「これは…教員ですか?生徒じゃなくて?」
「ええ」
 それは、何故か。
 短く、理由を問うように森羅がシュラインを見る…。
「少しばかり、モーションを掛けてきたって云うか……どうも、怪しかったのよね」
「モーション、ですか」
「…女の勘は良く当たるものな?」
 薄く笑ってくる冥月に、苦笑を返すシュラインである。
 ともあれ――――

「人文学部の教授、か……ん?確か、人文学部の周辺は他学部よりキナ臭ぇ噂があった気が…」
「――はい。巴様の懸念を肯定します。」
「あ、やっぱりそうだったか?」
 
 ―――確かに、予測を立てるに足りる情報は、既に皆の手の内に在った。
 
「…夜間に、不確定ながら人文学部棟の一部の地域で怪しい行動が噂されています」
「っと、資料の……十三ページ?詳しく頼む、セヴン」
「はい」
 ………次なる懸念は、セヴンの声だ。
「『一瞬だけ付いて、慌てて明りが消された』という行動が、怪しい邪教活動の噂の根幹になっている他……夜間に、怪しげな音を同建物内で聞いたという証言も上がっております……」
「……そいつは確かに臭いな。俺も一応、その区画は調べたんだが…微妙に魔術的な痕跡が在った」
「それは――確かですか?」
 セヴンの、検討に値するだろう情報に巴が真剣に頷く。
 続いて、疑問符と共に確認してきた三織の台詞にも―――
「ああ。完璧に隠蔽出来ない辺り二流だが……相手もそれを自覚しているのか、逆に、他の学部にもちらほらそういった形式が見られてな。決定的な証拠にはならなかったんだよ。……ただな?そこで、『何処そこが怪しい』なんて証言が出てくれば……」
「―――相補補完で、少しだけ信憑性が高まる」
 そういうことだ、と。簡潔な返答が返ってきた。
「つまり……人文学部が怪しいということだな?」
「みたいですね。実際、俺も榊さん――消えた魔術師さんの名前ですね――の仲間の人に質問してみたんですけど、その時間で得られた数少ない証言にですね?その……」



 ―――魔術師、榊・栄治は、人文学部を重点的に調べていたのだそうですよ。

 ……シン、と、一瞬だけ沈黙の帳が下りた。
「うーん……こりゃ、観察対象を絞った方が良いかも知れんな。なんつーか、塵も此処まで積もると決定的だ」
「……それでは巴様。もう少しばかり、確証に至るお手伝いをさせて頂きます」
「へ?」
 悩ましげに。
 もう、目の前に犯人が居て、凶器があって、自白までカウントダウン寸前といった状況が近付いてきている現状に腕を組む巴に。追い討ちをかけるのは―――再び、セヴンだ。

「皆様、これを」
 そして、彼女はかなりの厚みの紙束をおもむろに他のメンバーへ配り出す。
「これ……学生の写真!?」
「はい。入手してきましたので、『皆様の懸念』を解消する手段として下さい」

 その言葉に。
 巴を除いた皆が、軽く目を見開いた。
「?」
 疑問符を浮かべる巴――彼は主に地味な雑用をしていて、殆ど学園で実地調査は行わなかったのだ――はとりあえず放置して、皆が熱心にページをめくり始める……

「…あ。見つけました」
「私も」
「「…右に、同じ」」
「…左様ですか」
 果たして、そのような声が上がったのは数分後のことだった。
「おいおい、どういうことだ?俺、ちょいと徹夜明けで頭が弱いんで、ちゃんと教えてくれ」
「ああ……巴さん。私たちが、調査をしていて妙な視線や姿を気取った、という話はしたわよね?」
「ん…ああ。結局、最初はその情報をして、この学園はやっぱりおかしいなんて言ってたんだっけか―――」
 最大級の疑問符を浮かべて、算数の問題が解けない小学生のような顔で巴が言えば、答えるのはシュライン。
 教師の如きテンポで紡がれた言葉に、こくこくと頷いて――――
「あ」
「分かったかしら?」
 ついに巴も、皆の思考に追いついた。
「ってことは、アレか?皆は…」
「そうですよ巴さん。俺、この最初のページの左端の男と、会話してます」
「私は―――上から二列目、左から四番目の女。遠いところから見られました」
「…面倒だから詳しく言わんが、三人ほど覚えがある」

 そう。
 誰も彼も、曲がりなりにも能力を見込まれた者で―――その意味で、素人ではない。

「この、皆が挙げた人々は……つまりは、そういうことよね?」
「ええ。先程シュライン様の挙げられた、蔵元教授のゼミに―――全員が所属しているようです」

 つまり。
 『何らかの方法で、誰かが写真を手に入れることさえ出来れば』………。
 ――これもまた、証明の難しい脳内の記憶が、強力な手掛かりに変貌する可能性がある。

「は……なんだよ。こりゃもう、殆ど下地が整っちまってるじゃねぇか」
「…そのようですね」
「加えて、セヴンさんを始めとする、皆さんが集めた「怪しい人文学部」の情報の密度が一番濃い日々が…」
「―――榊・栄治とやらの消えた日と、ほぼ一致しているな」

 セヴンの肯定が。

 三織と、冥月の結論が。

 ―――ついに、巴の重い腰を上げさせた。

「どうします、巴さん?」
「……勝負に出よう。これからは観察・調査対象を人文学部、殊にこの、蔵元ゼミの連中に絞る」
「そうね。怪しい動きは、魔術師さん――榊さんの消えた日からおよそ一週間鳴りを潜めている……そろそろ、次のアクションがあるはずだわ」
「俺も同意見だ、エマ」
 ……最後の確認、とばかりに聞いた森羅に、巴は力強く頷いた。
「よーし、それじゃ、とりあえず夕食でも食いにいこう。そうしたら、いつもと違って人文学部を重点的に観察だ。すまんが、今日からはフルメンバーの交代制で行くぜ!」

 次いで、皆が立ち上がる。

「巴さん、食事は?」
「ふ―――任せろ。好きなものを食うが良い」
「あ、じゃあ俺は寿司で」
「私は中華を推すぞ?」
「ええと……お蕎麦とか、どうでしょうか?」
「見事に皆バラバラね……」
 良いながら、狭い部屋を出て一時の休憩を撮るために六人が動き出す。
 だが―――ホテルを出て、セヴンだけが、足取りを重くした。
「ん?どうしたセヴン、忘れ物か?」
「いえ。皆様は先に行っていて下さい。少し気になるデータを思い出したので、一度学園に戻ります」
「熱心だな。それは…俺も行こうか?」
「…大丈夫です」
 巴の心配そうな顔に、彼女は小さく微笑んだ。
「また後で、合流させて頂きますので」
「ん……それじゃ、気をつけてな?待ってるぜ」
「はい」
 
 そして、礼儀正しくお辞儀をして、セヴンは一人皆とは逆の方向へ歩き出す……。

「おーい、ちょっと待てよ!結局何処に行くことになったんだ!?」
「寿司です」
「中華だ」
「出来れば、お蕎麦――中華そばもでも可ですけど――のあるところが良いです」
「決まってないのか!?」
「……本当に、どうしましょうね?」


 ………それは、本当に束の間の間隙で。


 果たして―――物語は既に中盤も終了し、後半へ差し掛かる直前であった。






【幕間】


「……では、始めます」

 誰も居ない、深夜のパソコン室。

 セヴンは静かにその一席に座って、いつものように小さく呟いた。
 ……行動を開始してからの速度は、常人のそれを圧倒する。
 パソコンの得意な学生すら唖然とするだろうスピードで、タイピングをする……。

(……件のゼミに関する情報でも得られれば、最高なのですが)

 思いながら、彼女は一心不乱にキーボードを叩く。
 既に、敵の尻尾は掴みつつある……よほどの驚愕ギミックでも無い限り、自分達の探していた目標は件の集団でまず間違いあるまい。それは自分も疑っていない。
 あとは、その怪しい行動を追い詰めるヒントでもあれば―――皆の負担は減るはずだ。
(数日間の調査ですが、皆様は全力で行動されました)

 ―――大分、疲れている筈なのだから。

「……」
 故に、彼女はパソコンに向かい合ってタイピングを続けるのだ。
 静かに、集中して。
 何か、重要な情報を見逃しては居ないか、と。
「…………」
 
 そして―――


「っ!?」
「おっと、動かないでくれ給えよ?」
「………貴方は」
「『君が賢いなら』、『君が動いたらどういうことになるか』―――理解できるね?」
「………分かりました」

 前述したように。


「うん、馬刺しの寿司も悪く無いですねぇ……あれ?巴さん、どうしたんですか?」
「ん?ああ、いや。たった今、メールが来てな……」



 ―――物語は、個人個人の事情を微妙に無視しながら、最後の場面へ加速していく。



「丁度キリ良く、寿司も中華も蕎麦も全滅したな……行こう。セヴンが、一足早く『招待』された」







【5】


 ――――そして、夜。

 セヴンが連れてこられたのは、広い広い集会室だった。
「さあ、ようこそ……」
 目の前の男――データの中にあった初老の男。おそらくは蔵元という名の教授――が笑顔で扉を開けて、拘束されたままセヴンはその中に押し込まれた。残念ながら、今の自分は彼に抗することが出来ない。
「……」
 部屋を見れば、長机や椅子は見事に片付けられ―――部屋の中央に、怪しげな魔法陣が形成されている。
 おそらくは……決して全うではない、他人様に迷惑をかける行為の現況があの陣なのだろう。
(予想は、当たっていたわけですね)

 次いで彼女が見るのは、自分の隣。
 ……同じように拘束された、三十台の少し前といった風体の男だった。
「…大丈夫ですか?」
「ああ……」
 ―――これも、知らない顔ではない。
 正確に言えば会ったことは無いが、彼女を含め、今回の仲間達は皆、彼の顔を既に知っていた。
「おそらく…俺の足取りが消えたことに一番早く気づきそうなのは巴か。君は…」
「……ええ」
 視線を交わし、二人は意志の疎通を図り、敵ではないことを理解する。

 そう。
 彼女と同じく拘束され、疲弊している彼こそ、今回消えた魔術師―――榊・栄治だった。

「すまない。俺さえ人質でなければ、君も逃げられただろうに…」
「いえ。お気になさらないで下さい」

 謝る彼に、セヴンは優しく言葉を紡ぐ。
 ……そうだ。自分たちは敗北の瀬戸際に居るが―――それは、まだ確定していない。
「さてさて、君たちのお仲間はいつ来るのかな……大方、もう私たちのしていることに気付いていたんだろう?君の隣に居る、魔術師のように」
 上機嫌で、蔵元――温和そうな笑みを浮かべた、大学教授がこちらに囁いてくる。
 その顔は勝利を確信し、これから起こる過程が全て彼の娯楽であると信仰しているかのようなそれだった。
「…なんのことだか、理解に苦しみます」
「とぼけなくて良い。まぁ、隠し通せるとは思って居なかったが……なに、どうでもいいことさ」
 ちら、と彼は背後の魔法陣に。
 そして、周りを固める自分の手足―――蔵元に心酔している学生達を見る。
「要は、要領良く、小気味良く気付いた者を排除すれば良いのだよ」
「……」
「…反応が薄いな。消極的な態度は、智を愛する学生として最もマイナスな要素だぞ?」
「―――彼女を放せ。此度の儀式、貴様達の目的とする生贄は俺だけで十分だろう!?」
「ふ」
 セヴンを案じ、悪を憎んでいる口調で。
 魔術師、榊は叫ぶが………返ってきたのは冷笑だった。
「無条件では無理だな。不穏な要素は確実に削がなくてはならない」
「くっ…!」
「どの道、勝手に君たちのお仲間は来るさ。生贄は多い方が、より『手駒』を召喚できる…」

 それは、まさに王道的な悪役の台詞だった。

(……本当に、一途な人のようですね)

 そんな蔵元の台詞に、悔しそうに舌打ちする榊を見て、セヴンは目を細める。

「…大丈夫です」
「え…?」

 故に、彼女は微笑みかけた。

「私も、流石にこのまま朽ちるのでは悔いが残ってしまいますから―――」
「ふん。負け惜しみも、」
「こんばんはー!展開も推してるんで、ちゃっちゃと来てやったぞ悪役共!」

 巴たちが到着したのは、丁度その時だった。



「なっ…!?」
「……うわー。表には集会室ってプレートがあったのに、妙な儀式場になってますよ巴さん」
「見るに、己の実力と相談して……無難に低級悪魔を召喚したかったんだろうな。いやはや…」
 部屋の奥に居座る悪役達を前にして、何の頓着も無く「四人が」入ってくる。
 苦笑する森羅に、巴は肩を竦めた。
「世の人々は夕飯時だというのに……熱心な人々も居るのね。これから深夜まで待機かしら?」
「ま、この手の儀式のお約束だな」
「……仕掛けますか?」
「………………いや、手筈通りに行こう」
 次いで漏れたシュラインの呟きにも苦笑し―――
 その後に聞こえた三織の言葉には、ぼそりと小さく。本当に微少な囁きで返答する。
「何を考えている巴!?こいつらは――」
「おっと、ゲストは黙っていてくれたまえよ?」
 余りにも馬鹿正直な登場に榊が声を上げるが、それを遮ったのは蔵元であった。
 ……セヴンと榊。両者の首筋にナイフを突き付けながら、彼は笑う(突き付けていたのは、学生だが)。
「なんのつもりかは知らんが……分かるかな?この二人の命は、今や私が握っている」
「みたいだな。つーか、他人様に迷惑を掛ける野郎なんぞ殺して良いぞ。あ、でもセヴンは返せ」
「馬鹿!冗談を言っている場合じゃ無いだろう!?」
「いーや、断じてここはジョークを挟むべきだ」

 ……場違いな、会話だ。
 断じて、巴が言うようなジョークを挟むべき場ではないはずだが……

(三織、森羅。あの場所まで何秒だ?)
(……此処、無駄に広いですね。けど、奴等の多くが居る中央までなら全力で三秒)
(同じです。何とかなる距離ですね)
(……了解した。君達に依頼を頼んだのは正解だったな、こりゃ)

 果たして、蝋燭だけが光源の暗い室内で、その小さな小さな会話は誰かの耳に入っただろうか?

「実は、そこの魔術師君に偶然呼び出せた上級悪魔を倒されてしまってね?まあ、そのお陰で彼を捕らえ、生贄とすることが出来るので結果オーライだが……」
「馬鹿みたいな所業ね。力に魅入られる人の気持ちも、分からなくは無いけど……こんなこと、宗教学に心血を注いでいる他の方々への冒涜ではありませんか?少なくとも、貴方からはマイナスのイメェジしか感じ取れませんね」
「ふん……まあ、凡人らしい答えだね」
 いつしか、会話はシュラインと蔵元のそれにシフトしている。
「本当に、そんな理由でこんな馬鹿げたことをしているんですか?止めるつもりは無いのですか…?」
「……」
 また、三織が紡ぐのは説得の言葉。
 それに対して、一瞬だけ蔵元がたじろいだ……彼女の目には、本気でこちらと話し合おうという純粋が含まれていたからだ。それが、彼の心を一瞬だけ圧倒する。
「……ふ。そうだ。私は、君が馬鹿げていると評価をした行為を全力で行っている!そして止めるつもりもない!君には分からんだろうな、この禁忌に触れる快感と言うものが……!」
「……そうですか。本当に、残念です」
 彼女の説得を、一言で切って捨てた蔵元。彼女は目を伏せ、彼が既に狂っていることを理解した。
 三織は心底残念を感じた。対して蔵元は、彼女が最後のチャンスを呉れたということにすら気付いていなかったのかもしれない………。
 そして――――

「……さて、御託は此処までだ!投降したまえ、そうすれば……そうだな、この魔術師以外は記憶とエナジィを奪った後に構内へ棄ててあげよう。殺しはしないよ」
「成程……やはり、最近の怪我人は貴方達の仕業だったんですね」
「怪我?ああ、外傷のレヴェルから言えば可愛いものだろう?なにせ、血を頂くためにナイフで腕をやっただけだから……」


(最終確認。多分、『伏兵』は多い……俺はエマと一緒に行動するが大丈夫か?)
(直接攻撃は?)
(ま、余程の化物でもない限り普通に効く。あんな曖昧なレヴェルにまで薄められた悪魔召喚なぞ、腕力は強いが霊的な属性はその分少なくなっているだろうよ)
(……分かりました。とりあえず、一人でやれます。森羅さんは?)
(同じく。……そこから先は、臨機応変で行きましょう)
((…了解!))

 互いに、頷くことすらしないままに同意に至る。
 そして――――シュラインもまた、常人のそれとは一線を画した聴力で会話を聞いていた。
 おそらく、状況が変わりつつあることに気付いていないのは目の前の蔵元だけだろう……
「さあ、どうするね?魅力的な提案だろう?」
「そうだなぁ。それじゃ、俺達も決断するよ」
 そして。
 シュラインの一歩前に立ち、巴が――――

「冥月。掃除の始まりだ」
「ああ」

 言った瞬間、不定形の影が蔵元と生徒達の足元から伸び、彼らを拘束した!
「これは!?」
「……学者の癖に注意力が足りんな。今回、貴様らがマークしていたのは何人だった?」
 

 暗闇に浮かぶのは、あからさまな嘲笑を貼り付けた黒・冥月である……。

「くそっ、人質を、」
「遅ぇんだよ!」
「――然り。学者を名乗るには、やや役者が足りていないのでは?」
 果たして彼は、冥月の攻撃と同時に、弾丸の如き速度で飛び出していた森羅と三織に気付いていただろうか?
 およそ常人とは思えない神速の健脚で、二人は容易く魔法陣へ到達し―――
「セヴンさん!」
「こちらです、榊さん」
 あっさりと、敵の誇るイニシアティヴを奪還してしまった。
 ……蔵元の顔が、恥辱に染まる。

「……馬鹿にするなぁぁぁあぁあぁぁぁ!!!」

 叫ぶと同時、闇から数にして二十以上の黒いフォルムが咆哮と共に表れる!
 彼は、口早に何事かを唱えて冥月の影から離脱する―――
「ほぅ、悪魔か」
 己の異能がキャンセルされたことも意に介さず―――というか、中年男の叫び声がうざったかったので口を塞ぐのも面倒だった。どの道逃がすつもりも無い―――冥月が口角を吊り上げた。
 そして、ようやく悲鳴を上げてもがき始める学生を「影」で拘束したまま集会室の隅に放り投げる。
「では、幕を下ろそう」
 ふ、と軽く鼻を鳴らし、彼女は凄まじい速度で豪腕を叩きつけてくる悪魔と相対。
「オオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「……美しいとは、言えんな」
 そして、あっさりと「掌で」一撃を受け止めた。
 掌には―――己の異能。高密度の、影が集まっている。
「!?」
「貴様では、死闘を繰り広げるにも足らん。疾く―――」

 そのまま、気軽に手を横に振り抜いて、ごっそりと敵の脇腹を『削り取った』。
「……消えるがいい」
「…!」
 低級の自我しか持たない悪魔は。
 それでも、その時彼女が浮かべた冷笑に一瞬躊躇した。
「さあ来い。正直、食後の茶をまだ飲んでいないのでな?」
 更に、手を振るえば一体が影に引き裂かれて四散する―――
「どうせ、すぐに他の悪魔達も倒されるのだ。一瞬で死ねる私と相対したことに感謝しろ」






 一方、三織は冥月とは打って変わって、広い空間を駆け巡っていた。
「……!」
 ―――彼女が、武器とするのは。
その手に保持するナイフであり、同時に健脚が生み出す比類なき速度である。
「はっ!」
 そして、その速度に追随しつつも、微妙に遅れの見える悪魔へナイフを投擲。
「ギャ!?」
 まともに顔面に突き刺さり、悪魔が苦悶した時には―――
「!?」
「……愚鈍だな。その程度の実力で私と戦う愚を悟れ」
 深く深く、その身に新たなナイフが突き刺さっている。
「アアアアアアアア!?」
 ところかまわず腕を振り回し、攻撃を兼ねた防御を行う悪魔だが―――
 三織の指摘した通り、実力差は余りにも開きすぎていた。
「児戯だな。これで悪魔を名乗るのだから哂わせる……!」
 軽いステップで回避し、彼女は悪魔の頭付近まで飛び上がり、同時に蹴りで顔面のナイフを狙う!
 ただでさえ苦痛を与えていた第一撃が、再び彼女の手によって悪魔を苛む。
「アアアアアアアアアアア!?」
「次。時間を浪費する気はない、遠慮せず来たらどうだ?」
 ……彼女はナイフを拾わずに、近くに落ちていたパイプ椅子に手を触れる。
 そして、いかなる不思議か―――そこからナイフを取り出した。

「私とて未熟の身だが、貴様らのそれは私をして目に余る……全力で来い、三下め」
 敵を倒すために―――ナチュラルな自分を前面に押し出し、やや古風な物言いのまま。
 冷たく呟いて、彼女は再び走り出す。





 さて。
 二人の戦闘者が悪魔達を圧倒していた頃、他の悪魔達は何故か学生達を襲っていた。
「ひぃぃぃぃ!?」
「先生、これはっ……!」
 生徒の懇願に、しかし蔵元は黙して語らない。
 ……どうやら、悪魔達に力を得させるために切り捨てようとしているらしい。
 そこに到着したのは、今回の物語、その登場人物のうちの二人。
「流石に反吐が出るな。アンタ、それでも大人かよ?」
「同感です。森羅様、速やかに排除を行いましょう」
「了解…!」
 森羅と、自由になったセヴンだった。
「グルルルルルルル…」
 
 ―――哀れにも、悪魔達は二人と相対する危険に気付かない。
 獲物が活きの良いものに変わった、くらいの認識しか持ち合わせていないのだろう。

「ガァッ!」
 彼等の繰り出す豪腕の一撃は、きっと人の身など容易く破壊する膂力で。
 ――――ああ、そうだ!その通りだ!
 先程の二人が特別だっただけで、この二人相手なら勝負は一瞬でつくのではないか!?
「……へっ。何だ、腰が入ってないな」
 

 だが、そんな淡い思いは、残酷な事実に破壊されて終わりだった。
 ………ただ、鍛え上げた己の肉体と、極限にまで練り上げた気。
「素人相手ならそれでも良いかも知れねぇけどさ。悪いけど、その程度じゃ――」
そして身体に叩き込まれた理論で、森羅は悪魔の攻撃を真正面から受け止めていた。
「……俺の首は、ちょっとやれねぇな!」
「ガッ!?」
 続いて打ち出されたのは、悪魔と比べれば細い、けれど圧倒的に高い殺傷能力を持った正拳突き。
 よろめく身体へ豪快なローリングソバットの追撃も入り、悪魔は『教室の端まで吹き飛ばされた』。
「オ…」
「――確かに。戦闘理論に関して言えば、彼らは素人の域を出ないようですね」

 また、追い詰める側から追い詰められる側に変転した彼等の受難は終わらない。
「そして、無辜の人々を何の呵責も無く傷付ける精神は許せません」
「オオオオオオオオ!!」
「排除を開始します」
 うろたえた一瞬が、命取りだとは気付けなかったのか。
 その間隙を突いて懐深くにまで潜り込んでいたセヴンのトンファーが、下から跳ね上がるように彼の者の頭部を激しく殴打し、或いはそのまま陥没させる……。
「他の人たちも、順調に数を減らしてるみたいだ!一気に行きましょう!」
「了解しました。森羅様、これより戦闘終了まで、予測では――」
 共に言葉を交わしながら、二人はどんどん戦闘領域を広げていく。
 ……敵の数が減っていけば、それだけ学生達へ割く戦力が無くなるのは当然の成り行きだった。
「予測では!?」

 突き上げるような掌底の一撃に、独楽のように回り勢いをつけた回し蹴りが。

「―――終了まで、残り二十七秒。ゆめゆめ、油断などなされぬよう」

 重く、一撃で敵を地に沈ませるに十分なトンファーの攻撃が、瞬く間に敵の数を減らしていった。

 ―――そして。
 二十七秒後に戦闘は終了したことを、追記しておく。




「巴さん!二時の方向から一匹!一秒遅れて十字方向から三匹!」
「あいよぉっ!」
 一方で、シュラインと巴も、勿論快調であった。
 ……無論、巴も一級の術師。暗闇での戦闘など慣れたものだが―――
(やはり―――俺でも驚くな!)
 それでも、シュラインの特異な聴力が自分の知覚速度を上回っている事実はどういうことだろうか。
 彼女の言葉を一瞬で把握し、疑う事無くその指示のままに彼は術を放つ。
 ……やや遅れて、どう、と敵の倒れ伏す音が聞こえた。
「相変わらず見事だな、エマ。本気で魔術でも学んでみるか?」
「お褒めに預かり光栄だわ」
 振り返って視界に納める彼女にも、他の四人と同じように、動揺が全く見られない。
 ―――己の力、出来る可能性を把握し、実行を躊躇わない稀有な姿勢だった。
「さて、エマのお陰で大分早く片付いたな……と」
 そして、周りを見れば……自分たちだけではなく、周囲の全ての戦闘行為が終了していた。
 後に残ったのは、そう。
「ひ、ひぃいいぃぃぃいい!?」
 喧しく悲鳴を上げる蔵元と、呆けたようにこちらを見てくる学生のみ。
「さて、どうする?」
「く、来るなもがっ!?」
 ………利己的な者から、殊勝な台詞が出てくるはずも無い。
「――魔術師は、主に集中状態と喋れる状態が揃っていないと無力だな?」
「む。なんだ、俺や榊はそれでも頑張れるぞ?強い子だからな」
「ふん、子供の喧嘩か貴様。それで……どうするんだ?」
 哀れにも、冥月の「影」で口さえ塞がれた蔵元は―――完全に無力化された。
 彼女が振り返る先には、よろよろと立ち上がる榊の姿がある。
「……術師の世界には、術師の世界なりの「裁き」が存在する。彼等は全て、預かろう」
「ふん。そうだな…」
「ええ。まあ、世の中とはそういうものよね……」
 冥月とエマが呟く前で、存外手際良く、榊が学生と蔵元を拘束していく。
「終わりましたか?」
「ああ……しかし、三織。かなりの速度だったな。驚いたぜ?」
「いえ…」

 そこへ、三織と森羅、セヴンが合流して、完全に状況は終了した。








【終章】

「……巴。そして何より、他の方々も。今回は本当に助かった。ありがとう」

 ―――そして、数十分の時が過ぎた。
 既に、蔵元を始めとする人々は榊の同僚が連行して行ってしまった(悪い組織でも、非人道的な組織でもないと榊は皆に説明していたが、別段それを疑う者も居なかった)。
 彼もまた傷んだ服から新しいものに着替え、多少は凛とした格好になっている。
 ……事件は、ここに成功の二文字を以って終了したのだ。

「ふん。魔術師が聞いて呆れるぞ……自分の事件を独力で解決出来ない未熟を恥じろ」
「ああ、榊?冥月は別にお前が嫌いなんじゃない。こういう歪んだコミュニケーションが好きなんだ」
「貴様は黙っていろ……!」
 皆の中に流れる空気も、張り詰めたものではなく安堵のそれ。
「巴さん。少しは、人の気持ちを慮る訓練でもしたら?」
「……考えておく」

 巴の軽口に、冥月のつっこみ。エマの忠告。

「そういや、榊さんって何歳なんです?顔を綺麗にしたら、大分若返った感が…」
「ん…その、今年で三十だが」
「うーん、美男子ってのは特ですねぇ……」
「…確かに。お若く見えますよ、榊さん?」
「み、三織君に森羅君、だったか。何故そういった方面に話題を……」
「……良いではないですか。私もそう思います」
「う、うううううう……!?」

 森羅の楽しそうな言葉に、三織の同意。そしてセヴンの、優しい微笑を伴った追撃。

 それらは、数日に渡って緊張を強いられた依頼の終了を、改めて皆が実感するものだった。

「さーてと、どうだ?改めて夕食でも食いに行かないか?榊が奢ってくれるぞー」
「……勿論、そのくらいはさせてくれ。何でも好きなものを言って欲しい」
「お、豪勢ですねぇ」
 やがて、七人のフォルムが……市街地へと向かい始めた。
「うむ、では存分に行こうか。皆は何が……あ。」
「俺は再び寿司で」
「……私は青椒肉絲が食べたくなったな」
「私はむしろ洋食かしらね?」
「お蕎麦は食べられたので、別に何でも…」
「―――というか、見事に今回もバラバラのようですが。如何します、榊様?」
「む、難しいな……」

 果たして、彼等の行く先は―――市街地に到着するまでに決定しているのだろうか?
「ま、今回は皆が居なけりゃお前も死んでたんだし?どうにかしろよ、榊」
「ど、努力する……そうだな、私は誠意を持って――」
「では譲歩して、刺身でどうでしょうか!?」
「ふむ。回鍋肉も悪く無いな……」
「…疲れたから、甘いものも欲しいわよね?」
「良いですね。となると……ケーキですか」
「―――榊様。難易度が微妙に上昇しているように見受けられます」
「う、うううううううう……」

 ……そして。完全に七人の姿が、大学周辺から消えた。


 最早、玲瓏学園と呼ばれる大学に、騒動の気配は全く無い。


 こうして――――数日に渡って繰り広げられた、大学を舞台とした騒動は、終わりを告げたのであった。


                              <END>   






  


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【4315 / 那智・三織 / 女性 / 18歳 / 高校生】
【2778 / 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳  / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【6608 / 弓削・森羅 / 男性 / 16歳 / 高校生】
【4410 / マシンドール・セヴン / 女 / 28 / スペシャル機構体(MG)】


・登場NPC
汐・巴






□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□



 那智・三織様、はじめまして。ライターの緋翊です。
 この度は「消えた魔術師」へのご参加、誠に有り難う御座いました!


 三織さんは始めて私の依頼にご参加頂いたということで、イメェジの逸脱が起こらないように注意を払いつつ、出来得る限りプレイングと設定に忠実に描写させて頂きました。
 外見は厳しそうで、言葉少なだけれども、穏やかで他人に配慮が出来るという三織さんの性格は、執筆していて非常に楽しかったですし、魅力的に思われました。
 特に、どうお話を進めていこうかと悩んでいた時にプレイングの“わんこ”という喩えは大変イメージしやすく、ああ成程!などと一人で感心しておりました(笑)

 また調査の方も滞りなく行える良いもので、そちらも楽しく書かせて頂きました。戦闘シーンでの“素”の三織さんも含め、自分なりに全力で執筆に当たらせて頂きましたが――果たして如何でしたでしょうか?


 ……お話を楽しんで頂けることを、切に願っている次第です。


 尚、今回はやや長めの仕上がりと相成りました。
 コンパクトな作品をなるべく目指しているのですが…短いストーリィがお好きな方は申し訳ありません。

 さて。楽しんで読んで頂けたなら、これほど嬉しいことはありません。
 それでは、また縁がありお会い出来ることを祈りつつ………
 改めて、今回はノヴェルへのご参加、どうもありがとうございました。


 緋翊