コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


月残るねざめの空の




 色はよけれど深山の紅葉 あきという字が気にかかる

 テンポの良い言葉を編んだ都都逸が耳を撫でて、一面の暗色に覆われた夜の空へと吸い込まれて消えてゆく。
 トヨミチはコートのポケットに突っ込んでいた手で口許を撫でつけながら、月も星も無い夜空の黒を無言のままで確めた。
 吐き出す息が白く染まる。見渡す限りに夜の帳が広がっていて、一つ踏み出す毎に自分自身も夜の内へと呑みこまれてしまいそうな感覚を覚える。
 トヨミチは、ふと歩みを止めて目を細め、空を仰ぎ見ていた視線をそのままゆっくりと足元に向けて下ろした。
 舗装のなされていない路面。石や土の剥き出しになったそれを足先で軽く突いて、それから眼前に広がっている風景を確める。
 道幅は、おそらく四十メートル程。車や人の往来は無く、またその軌跡らしいものも残されてはいない。街灯も無く、路に並ぶコンビニ等といったものの存在も見当たらない。
 まるで文明というものに捨て置かれた山奥の秘境にでも来たようだと、トヨミチは小さな息を吐く。
 いや、それはおそらく、言い得ているのだろう。
 僅かばかりの間を思案に耽り、しかし、次の時には、トヨミチの足は再び歩みを進めていた。
 
 バイトを終え、部屋までの帰路をのんびりと歩き進めていたはずだった。
 歩き慣れた道程。それこそ目を閉じたままでも歩き進める事が出来そうな程のそれを、”ついうっかりと”でも迷ってしまうはずはないのだ。
 歩いて来た道を思い出し、頭の中でそれを再現する。
 思えば、小路が四つぶつかった路地の角を曲がった辺りで、風景が一変したのではなかったか。そう思いついて、トヨミチは肩越しに後ろを振り向いた。
 遠目に橋があるのが見える。夜目に馴染んできたせいなのだろう、闇の中にあっても視界はさほどには悪くない。
 しかし、むろん、橋など渡った覚えも無い。
 再び前方に顔を向けて一歩を歩みだそうとした、その矢先。
 トヨミチの視界に、今しがたまでは確かに誰の姿も無かったはずの闇の中、帯を前で結び、艶やかな袖を纏い、数本の簪をさした出で立ちの女が一人立っていたのだ。
 闇にも映える赤を纏った女は、現代には滅多に目にする事もないであろう花魁のそれを呈していたのだった。
 女の視線と自身のそれを交え、トヨミチは再び足を止める。
 艶然と微笑む女が纏う異質な空気に気がつかないでもない。が、害悪なものを孕んでいるわけでもなさそうだ。
 何よりも、女が纏う不思議な――そう、目を逸らす事も出来ず、ただ見入ってしまうばかりのその美しさに、トヨミチの心が興味を覚えたせいでもあっただろう。
 気付けば、トヨミチは女に向けて声をかけていた。

「こんばんは。――何か困り事でも?」
 訊ねかけたのは、女が両腕で抱え持つようにしている一輪挿しに目を向けたためでもある。
 闇の中でぼうやりとした彩を放つ、白磁のそれには、今は何の花も活けられてはいない。
 女はトヨミチの言を受けてやんわりと首を傾げ、一輪挿しを僅かに覗かせて口を開けた。
「鐘四ツでありんすえ」
「?」
 女の応えに、今度はトヨミチが首を傾げる。が、次の時にはポケットから携帯電話を抜き出して、表記されてある時刻を確認し、頷きを返した。
「二十二時間近――なるほど、亥の刻や鐘四ツなんて言うような時間ですね」
 時刻は二十一時四十分を過ぎていた。
 女はふわりと口許を緩め、数歩を歩み、トヨミチの傍らへと寄る。
「大門も閉じてしまう頃合でありんすえ。ぬし様は廓に来んしたのではないのでありんすか」
「いや、そういうわけでは。……ああ、でも、あなたの様な妓さんがいるのなら、関心を持たないでもないですが」
 応えて微笑んだトヨミチに、女もまた頬を緩ませる。
「客人さんから頂いたのでありんすが」
 告げながら一輪挿しをトヨミチの前へと押し出した。
「見合う花が見つかりんせん」
 そう続けて、困ったように目を細ませた女の言葉に、トヨミチはふむと頷き、一輪挿しに目を向ける。
「こう寒くては、野花も思うように花を開く事も出来ないでしょうしね」
 返し、しばしの間を思案する。そして、
「分かりました。寒空の下――しかもあなたの様な女性を夜空の中を歩かせるわけにもいかないでしょうし。俺がこの一輪挿しに見合う花を見つけてきますよ」
 そう述べて、白磁のそれに手を伸べる。
 女はトヨミチが見せた行動に少しばかり目を丸くしていたが、しかしそれもほんの刹那の事だった。
「お願いいたしんす」
 両手を合わせ、ちょんと首を傾げて微笑みを浮かべた女に、トヨミチは穏やかな笑みを浮かべる事で返事となした。
「申し遅れました。俺の名前は三葉トヨミチといいます。若輩ながら、演出家なんかをしていまして」
「わっちは立藤でありんす。えんしゅつかとやらは存じませぬが、ぬし様の帰りを、この場でお待ちしていんす」
 仰々しい仕草で腰を折り曲げたトヨミチに、立藤はしゃなりと礼を返して微笑む。
「お任せを」
 そう言い残すと、トヨミチはくるりと踵を返し、場を後にした。

 とは言うものの、トヨミチはどこに花があるのかなど知るよしもない。そも、今自分が立っている場がどういった世界であるのかすらも知り得ないのだ。あるいは知らぬ間に夢の内に迷い込んでしまったのかもしれないし、現世とは異なる空間へと踏み入ってしまったのかもしれない。
 が、その何れにしても、トヨミチにはまるで係わりのない問題だ。
 今はとにもかくにも、あの一輪挿しに見合う――否、立藤が持つに相応しい花を見つける事が先決なのだ。
 コートのポケットに手を突っ込んで寒さをやり過ごし、トヨミチは再び闇の中を散策する。
 路脇にあるのは茅葺や瓦を戴いた平屋の姿。それらはどれもがひどく鄙びたものであり、およそ人間が住めるような環境であるようにも見えないものばかりだった。
 家屋の庭先には柑橘の生っている枝葉や椿の葉等が伸びていたが、花の気配は見受けられなかった。
 小さな嘆息を吐いて、改めて立藤の姿を思い起こす。
 年の頃は、おそらくはトヨミチよりは下であろうか。鈴の音を思わせる声音に、透けるような白い肌。カササギ色の髪に挿した簪と、その下にある秀麗な顔立ち。微かに感じられた空気には僅かながら品の良い香が焚かれていたが、あれは纏っていた装束に焚き付けたものであったのだろう。
 好みの色はあるだろうか。ならば当然好ましく思わない色もあるだろう。薫りはどういったものを好むのか。焚かれてあった香は果たして何と言うものであっただろうか。
 そういった事を思いながら歩みを進め、ふと、トヨミチは前方に揺らぐ小さな光を目にとめた。
 宙を舞うそれは、間近に見れば光彩を放つ蝶であるのが知れた。
「この寒空に」
 呟きを落とし、夜の中を舞う一匹の蝶に目を奪われる。
 と、その向こうに男が一人立っているのが見えて、トヨミチはふと目を細ませた。
 花笠を目深に被り、煙管をくわえ、薄い煙を吐き出している男。身につけているのは女物と見える振袖で、その下に薄手の着流しを纏っている。
 花笠のせいで面立ちは知れないが、頬に彼岸花が咲いているのが見える。刺青なのだろうと考えて、トヨミチはふと気を張った。
 男の周りを蝶がゆっくりと飛び回る。それが行灯の代わりとなってか、闇に小さな光が宿る。
「おまえさん、見ない顔だねえ」
 男の口が不意に言葉を告げた。闇を思わせるような、印象深い低音だった。
「ええ、多分、初めてお邪魔したようです」
 返し、眼前の男の、窺えない顔を見定める。
 男は立藤と同様、得体の知れない存在だ。が、男が纏う空気のそれは、立藤のそれとはまた明らかに異なるものだ。
 ――おそらくはあまり接触を持ってはならない存在。
 しかし、
「お訊ねしますが、この近くに、花があるような場所はないでしょうか」
 問いかけて、男の反応を待つ。
 男は蝶の持ち主であるようだ。その手から伸びる一筋の糸が蝶を括りつけているのを見れば、そう判断するのが賢明であろうか。
 そして、男はその手に数本の花を持っている。
 気を緩める事なく、しかし笑みを消す事もなく、トヨミチは男の頬の彼岸花を見つめた。
 やがて男の口がゆったりと動いて言葉をなした。
「さぁて、花とは言っても果たしてどんなモンがよろしいのやら」
「女性に贈る花なんですが、なにしろこの季節ですし、おそらくは咲いている花の種類も多くはないでしょうから……あなたが持っているそれは」
 応え、男が手にしている数本の花を指で示す。
 男はトヨミチの言葉に「ああ」と頷き、蝶を持っているのではない方の手をひらひらと振った。
「こいつぁ造花でやんすよ」
 言いながら男が揺らしたそれは可愛らしい花をつけた蝋梅を模したものだった。
「なるほど」
 トヨミチはふと頷いて、蝋梅に関する記憶を探る。
 蝋細工のようであるという理由から蝋梅という名を持つ花。蝋月に花開くその花の内側までもが黄色であるのを素心蝋梅と呼ぶ。眼前にある男が手にしているのは内側がぼうやりと赤い。
「素心蝋梅がある場所はご存知でしょうか」
「へえ、まあ、ぼちぼちと」
「よければ案内してもらえませんか? なにぶん、俺はここへ初めて足を入れたものですから、勝手も知らず」
 微笑んだトヨミチに、男の口許が小さく歪む。
「なるほど、そいつぁごもっとも。それではあっしが案内してあげやしょう」
 言った男が歩み出したのを追いかけて、トヨミチもまた足を進ませる。
 
「ところで、お客さん、摘んだ花はどなたにくれてやるおつもりで?」
「先ほど知り合ったばかりの女性に」
「へえ、今しがた出会ったばかりの女にくれてやるんで。そいつぁ随分と人がいい」
「そういうわけでもありませんが、まあ、暇でもありましたし」
「なるほど。現し世からこっちへは初のお出ましでしょうに、どうやらなかなかに達者がご様子」
「ありがとうございます。――しかし、ここは本当に人の気配の感じられない場所ですね」
「人ってえのは住んじゃあいませんからね。お客さんが花をくれてやろうってえ女も、ありゃあ妖の化身でやすしねえ」
「そうであるとしても、困っている方を見過ごすわけにもいかないでしょう……おや、この香りは」

 道中男と言葉を交わしあいながら歩む事、十数分ばかり。行けども行けどもさほど変わりばえのない景色の中で、不意に梅のものと思われる芳香がトヨミチの鼻先をくすぐった。
 それは例の鄙びた棟の内の一つ、その裏庭にあたるであろう場所に、ひっそりと伸びる樹の端々に揺れていた。
 寒さを耐えるため、身を蝋の如くにやつした冬の花。花の内側までも明瞭たる黄色で染まったそれは、確かにトヨミチが捜そうと求めていたものだった。
「ああ、ありました」
 土壁を越えて伸びる枝先に手を伸べて、蕾と花とが調和よくついているものを静かに手折る。手折った矢先に放たれた芳香に目を細め、トヨミチはゆっくりと踵を返した。
「案内してくださってありがとうございます。――これを、彼女が喜んでくれたらいいのだけど」
 花を見つめてしみじみと告げたトヨミチに、男はふつりと笑みを零して己の顎を撫でた。
「では戻りやしょうか。太夫が首を長くして待ってますぜ」

 立藤の元へと戻り、見つけた蝋梅を白磁の中へと挿しいれる。主張の強すぎでない芳香は未だ色濃く漂い、立藤の双眸が満足そうに細められた。
「蝋梅でありんすね」
「ええ。あなたがどういった花を好むのか存じませんでしたし、なにより、この時分では見つけられる花も限られてしまうだろうと思いまして」
 申し訳なさげに首を竦めたトヨミチの言に、立藤はふるふるとかぶりを振って微笑む。
「梅は目にも鼻にも愉しめる花でありんすえ。夢路にも思い起こせますでしょう」
「それは良かった」
 安堵の息を吐き、トヨミチは後ろで控えている男の姿に目を向けた。
「この方に路を案内していただきまして」
 そう告げた、次の時。
 立藤の視線がやおら厳しいものとなって、男の面へと寄せられる。
「性懲りも無しにまたおいででありんすか」
「いやいや、太夫は手厳しい。あっしも商いがありやすからねえ。商人は商いをしていかないでは飯もろくに食えやしませんから」
 立藤の言葉を流すように笑った男は、トヨミチに顔を向けなおし、肩を竦めて口を開けた。
「太夫の怒りを買わない内、あっしはお暇いたしやす。そいでは、またのお目通り、楽しみにしておりやすよ」
 そう告げて、男は花笠を深々と被りなおした。
 煙管が煙を吐き出して、それがゆらりと闇の中に線を描く。
「ああ、そうそう。――トヨミチさんとやら。太夫は見目に素朴な花を好まれるんでやすよ。冬薔薇やらなにやらを選ばずに梅を選んだのは正解でやんしたねえ」
 吐き出す声が闇に溶ける。それを追うように、蝶が光を放ちながらひっそりと舞いを見せた。
 トヨミチは、男に対しては名乗りをあげていないのを思い出して、消えゆく男の背中に声をかけようとしたが、しかし、男はたちどころに姿を消してしまっていた。
 蝶が、爆ぜた光のごとくに姿を消した。
 トヨミチはしばし闇の向こう側に目をやっていたが、程なくして小さく息を吐き、そして改めて立藤の方へと顔を向ける。
 立藤は男の消えた辺りをねめつけていたが、やがてその表情を柔らかなものへと変えて、梅の放つ香りに頬を緩ませた。

 蝋梅が仄かな光を放ったように見えたのは、――そうしてそれが舞いを踊る一対の羽のごとくに見えたのは、それはトヨミチの目の錯覚であったのか、あるいは。






□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【6205 / 三葉・トヨミチ / 男性 / 27歳 / 脚本・演出家+たまに役者】



□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
         ライター通信          
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□


このたびは四つ辻へのご来訪、まことにありがとうございます。
ノベルのお届けが納期ぎりぎりになってしまい、申し訳ありません。お待たせしてしまった分、少しでもお楽しみいただけていれば幸いです。

立藤と蝶々売りとは、ノベル中でも描写いたしました通り、決して仲睦まじくはありません。
トヨミチ様には二人それぞれに相対していただく際、それぞれで違った空気を感じていただければと思いつつ書かせていただきました。

それでは、またいつかご縁をいただけますようにと祈りつつ。