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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


暴筆手蹟



 店の前に曰くつきの品が放置されるのは、碧摩蓮にとってけして珍しいことではない。
 またか、という感じでそれを手に取り、店の中に持ち込んで中身を見る。
 螺鈿細工の施された箱に入った、高価そうな万年筆。おそらく特注品なのだろう。金色のクリップに何やら文字が刻まれているが、かすれてしまっていて読めない。
 書き心地はどんなものだろうと、蓮は手近のメモ用紙を引き寄せてキャップを外す。
 途端、腕がぐいっと引っ張られて勝手に文字を綴った。

  あたしが退屈しないような面白い品がたくさん流れ込んでこないかねえ。

 そう書き終えて、万年筆はころりと転がる。
「……これはまた妙な物が舞い込んできたもんだね」
 言って、蓮は愉快そうに唇の端を引き上げた。



 四位いづるが、草間武彦から頼まれて預かった患者の容体を報告すべく事務所を訪れた時、彼は自分の机の上の万年筆と睨めっこしていた。
 机を挟んだ向かいに、肉感的な肢体をチャイナドレスに包んだ女。そして隣には、清楚な雰囲気の謎の少女。
「お邪魔だったかな」
 ぼそりと呟くと、三人が一斉にこちらを振り返る。少女が無機質な笑顔で「いらっしゃいませ」と応じた。
「いいところに」
 草間が立ち上がる。飛んで火に入る何とやらの雰囲気を察し、いづるは彼を制するように言った。
「患者の容体は安定した。近いうちに意識を取り戻すと思う。私はそれを伝えに来ただけなんだけど」
「せっかく来たんだ。ゆっくりしていって下さい、先生」
 足早に歩み寄ってきた草間が、逃げ道を塞ぐようにドアを閉める。どうやら自分は悪いタイミングで草間興信所に足を運んでしまったようだ。いづるは内心でそう溜息をついた。


 妖艶な女は蓮と名乗り、とあるアンティークショップの店主だと自己紹介した。
 少女は零という名で、草間の妹であるらしい。だが、二人の間に血の繋がりがない事は一目瞭然だ。
 そもそも彼女は人ではない。かといって人外と呼ぶほど人から遠くもない。かつては人だったものをより合わせて作った人型の生き物。その継ぎ目の全てが見て取れる。繋ぎ目同士がうまく融合すれば、この少女は人に近い──いや、人を超えた存在になるだろうという気がした。
「素敵な妹さんだね」
 あえて多くを語る事をせず、いづるはそれだけ口にした。草間は嬉しそうな笑みを返し、零はきょとんとする。
 草間は二人に対し、いづるの事を医者だと紹介するなりやにわに問いかけてきた。
「ところで先生、この万年筆をどう思う?」
 どうもこうも、ただの万年筆にしか見えない。いづるは生体相手なら、『見る』だけで様々な情報を掴む事ができるが、それは個々の持つ身体的特徴等々から看破できるものである。従って、無機物には通用しない。そう答えたら、草間はがっかりしたような顔をした。
 蓮の説明によると、これは彼女の店の前に捨てられていた物で、不思議な力を有しているらしい。彼女はもともとその手の品を扱う特殊な商人らしく、それ自体に驚きはしなかったという。だが、普通の商品なら来歴も正体も全て掴んでいるが、今回のようにそれが全く分からない品だと少々持て余すらしい。
 それで彼女は草間のところに調査依頼に来たのだろう。それならさっさと調べてやればいいのにと思ういづるに、草間は問いかける。
「手伝う気はないか?」
「嫌な予感がするからやめておくよ。そもそも、その品が普通の万年筆とどう違うのか説明もしないで巻き込もうとするのはどうかと思うな」
 いづるは涼しい口調で返す。彼は溜息をつき、この万年筆は持ち手の心の中を暴く可能性がある、と答えた。
 可能性がある、と言い方から察するに、断定できるだけの判断材料がないのだろう。だったら実験をしてみれば済む話だ。そう進言したら、草間は万年筆を顎で示した。
「心の中を暴かれる可能性があるのに、これに触ろうと思うか? 俺は御免被る」
「調査業務を請け負う人間の口にする言葉じゃないねえ」
 揶揄するような口調で蓮が言う。その言葉には一理あったが、逆に、探偵という仕事を生業にしている草間は、暴かれる秘密の持つ大きさや意味を誰よりもよく知っているのだと言う事もできる。
 彼がそれを厭うのは、ある意味当然なのかもしれなかった。必要に迫られない限り、秘密を暴く事はしたくないのだろう。
 いづるはポケットに手を突っ込み、薄い手袋を取り出した。手術用の、あらゆる病原菌から医師の手を護る物だ。それを手にはめて万年筆を持ち上げる。
 しげしげと眺めるが、特に異常は感じられない。蓮が納得したように頷いた。
「どうやら素手で触らないと力を発揮しない、という事らしいね」
「そのようですね」
 言いながら、いづるは素早い手つきで万年筆を分解した。本当に何の変哲もない、ただの万年筆にしか見えない。元に戻したそれを、いづるは何となく零に向かって放り投げた。
 反射的に受け取った零だったが、万年筆に手を取られて何かを記す事はなかった。
「ひょっとしたら、感情が希薄な者に対しては反応が鈍いのかもね。もしくは、感情に対する肉体的反応を示さない者には作動しないのかな。嘘発見器みたいな造りだったらそれも有り得る」
 手袋をしていると反応しないという事実が、その仮説を裏打ちしている気がする。素手でなければ発汗の状態も、血圧も心拍数も測定できないのだから。
 なら、自制能力に長けた人間であればこの万年筆に心の内を読まれる事も、勝手に深層心理を記される事もないかもしれない。そう踏んでいづるは手袋を外した。
「何をする気だ?」
 訝る草間に、いづるはにっこり笑って答える。
「万年筆ダウト。折角面白い品があるんだから、ここは遊ばないと損でしょう。草間さん、何か私に質問してみてくれる? 私はそれに対して意図的に嘘をついたり、真意をぼかしたりして答える努力をしてみるよ。それが通用するかどうかを見極めるだけで、この万年筆の持つ力がどんなものか判断する材料になり得ると思う」
「なるほどね。それは確かに面白そうだ」
 蓮がにんまりと笑い、草間の机からメモ用紙を一枚ちぎっていづるの前に置いた。
 いづるは万年筆に手を伸ばした。草間は机の上に肩肘をつき、意味深な表情を浮かべて問う。
「じゃあ訊こう。先生の病院に冠されている名前の主は何者だ?」
 彼の顔を注視する間もなく、万年筆がいづるの腕を引いて文字を書き付けた。素っ気ない『何者でもない』という文字。
 続けざまに草間は問う。
「その人物は、先生にとって何なんだ?」
 いづるは思考を制御して書き綴る。『verehrter Lehrer』。
 草間は眉をひそめ、蓮が「ドイツ語ときたか」と楽しそうに言って腕組みした。いづるは即座に万年筆を放し、メモ用紙を左手で握り潰す。
「はいおしまい。次は草間さんの番ね」
 メモ用紙を手袋と一緒にポケットに突っ込みながら、いづるは彼に万年筆を手に取るよう目線で促す。
「今時、ドイツ語でカルテを書く医者がまだ残っていたとはな」
 嘆息し、草間は指で万年筆を弾いた。蓮が転がった万年筆を草間に弾き返し、メモ用紙をつきつける。
「ぐだぐだ言ってないでとっとと試しな」
「往生際が悪いな草間さん。私はちゃんと答えたんだから、次はあなたの番」
 美女二人に畳み掛けられて、彼は渋々メモ用紙を受け取った。さて、何を質問してやろうかと企むいづるの耳に、蓮が何かを囁きかけてニヤリと笑う。
「それはなかなか面白い質問かも」
 いづるは蓮に微笑み返し、ちらりと草間を見やる。彼は量刑を言い渡されるのを待つ罪人のような表情を浮かべてこちらを見ていた。
「草間武彦氏は、実は『怪奇探偵』としての仕事が、口で言うほど嫌ではない。イエスかノーか」
 薄く笑いながら問いかけて、いづるは草間の手を万年筆に押し付ける。万年筆は躊躇なくイエスの文字を記し、彼は苦虫を噛み潰したような表情になった。
 くそ、と忌々しげに呟いて万年筆を放り出すのに、蓮はあんたも馬鹿だねえ、と呆れたように言い放つ。
「さらっと書いてとぼけた顔してりゃ、それがあんたの本音かどうかあたし達には分からないのにさ」
「何も自分から墓穴を掘らなくてもいいのに」
 草間はぐうの音も出ない、という表情で憎々しげに万年筆を睨んでいたが、やがて諦めたように溜息をついて、また万年筆を指で弾いた。
「この万年筆はある程度、持ち手の心中を反映した事を書き記す事ができる。が、意志の力で制御可能。信憑性は少々薄い……という事か」
「そうね。少なくとも深層心理を暴き立てるような物騒なものじゃないよ」
 蓮はそれを聞いて、この品を自分の店で扱う事に決めたようだ。ぶっきらぼうな礼を残して悠然と事務所を出ていった。
 用は済んだしゲームも終わった。辞去しようとするいづるを引き止め、草間は零にお茶を入れるよう言う。彼はいづるを来客用のソファに座らせ、妹の姿が消えたのを見計らって口を開いた。
「プライバシーを侵害するような質問をしてすまなかった」
 率直な謝罪の言葉に苦笑するしかない。それはお互い様、といづるは笑って答えた。だが、草間のほうはにこりともしない。
「……俺がまだ駆け出しの探偵だった頃の話だ」
 至極真面目な表情と口調に、いづるは自然と姿勢を正す。
「先生のように、人間も人外も一緒くたに診る、知る人ぞ知る医者がいた。俺も縁があって何回か世話になった事があるが、その医者は人との交わりを避けている節があった」
 彼が何を言いたいのか察していづるは目を伏せ、心の中で呟いた。──そうか、知り合いやったんか。
 そういえば、自分に草間の名を教えてくれたのも『あの人』だった。二人が知り合いだったとしても何の不思議もない事に、いづるは今更ながらに気がついた。
「彼が養女を迎えたらしいという噂を耳にした時、俺は他人事ながら嬉しかった。あの世捨て人にも家族ができたんだと思うと、何だかひどく安心してな……」
 俯いた草間は、その先を口にしなかった。『あの人』の安否を問う事もしなかった。きっと彼は全て知っているのだ。だから何も言わずにいてくれる。
「……零が普通の人間でない事は、先生なら見て分かるだろう?」
 話を変えるように、草間は顔を上げてソファに背を預けた。
「俺の稼業がこんなだから、零を危険な目に遭わせる事もある。あいつは多少の事では深手を負ったりしないが、もし万が一の事があったとしても、あいつを普通の医者に診せるわけにはいかない。だから」
「私に主治医になれって事? 別に構わないけど」
 いづるがあっさり頷くのに、草間は一瞬だけ拍子抜けしたような表情を浮かべたあと、苦笑混じりに呟いた。先生は恩師ほど頑固でも、敷居が高くもないんだな、と。
「何や。読めるんやな、ドイツ語」
「え?」
 何でもない、というようにいづるが小さく首を振った時、零がお盆を手に戻ってきた。
「零、改めてきちんと挨拶をしておけ。この先生はおまえの主治医になってくれる人だ」
 草間に促され、零は「よろしくお願いします」と言いながら丁寧にお辞儀をする。
「こちらこそよろしく。……切り刻み甲斐のありそうな患者で嬉しいよ」
 いづるの黒い冗談に、草間は心底嫌そうな顔をする。それに笑っていづるは答えた。
「冗談なんだから、そんなに渋い顔しないでほしいな」
「先生の冗談は物騒すぎて笑うに笑えん」
 彼は言うが、そもそも医者という職業はブラックジョークを腹の底から笑い飛ばし、患者の傷口からのぞく臓物の色艶を冷静に観察できる神経の持ち主でないと務まらないのだ。
 今、いづるの手にあの万年筆が握られていて、そんな事を書き綴ったら、草間はきっと前言を撤回するだろう。だからいづるは黙ったまま、零の入れてくれたお茶を飲み、優しげな表情を浮かべてただこう答えた。
「大丈夫、そのうち慣れるから。草間さんだって仕事柄、血の匂いにもすぐに慣れたでしょう?」
 変に的を射た例えに、怪奇探偵は納得したような、けれど嫌そうな表情を浮かべて肩を落とした。





■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【6808/四位・いづる(しい・いづる)/女性/22歳/医師】