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<東京怪談ノベル(シングル)>


冬とトナカイ




 いつもお買い物をする商店街でジングルベルが聞こえてくる季節――。
 そう、クリスマス。
 幼い子にとっては“サンタさんが来てくれる”嬉しいイベントが控えているけれど、一家の家事を担当することの多いあたしにとっては忙しい時期だ。妹が指おり数えているクリスマスには“いつもよりちょっと良い食事”を作りたいし、年越しの準備も頭に入れておかなくてはいけないし、それに――。
(そろそろ掛かってくる頃かな)
 とある日の夕暮れ、あたしの帰宅を待ったかのように家の電話が鳴った。声の主は勿論、あの生徒さん。
「クリスマスの時期と言えば……バイトですよね」
 サンタさんの格好をしている売り子さんがあちこちにたくさんいるもん。人材派遣会社に登録しているあたしにも、クリスマスに関連したバイトの誘いがくると考えるのは当たり前の予想――とあたしは思っていたんだけど。
 受話器の向こうから聞こえてきたのは、オルゴールみたいに控えめな笑い声だった。
「みなもちゃんったら、中学生の発言じゃないわよ……」
「そ、そうですよね」
 言われてみればそうかもしれない。
(今の時期にプレゼントどころか、バイトのことを考えている中学生なんて)
 あたしは一人、苦笑いした。
「やっぱり、着ぐるみを着るバイトですか? サンタさんか、トナカイの……」
 片手で制服のリボンを外しながら、あたしは訊ねた。
「ううん、違うのよ。なんと、着ぐるみナシなの! 新素材なんだけどね、ついに日の目を見そうなのよ」
 イントネーションから、その喜びがわかる。
(嬉しそうな顔が目に浮かぶなぁ……)
 そういえば、あたしは生徒さんみたいに喜んだり笑ったりすることが少なくなっていた。
(学校の制度が変わっていくこと)
(自分が流れについていけないこと)
 悩みに囚われすぎているあたしにとって、バイトは良い気分転換になるかもしれない。
(それに、お金も頂けるし……)
 バイト代で、最近あまり相手が出来なくなっている妹に何か買ってあげるのもいいな。クリスマスだもん。
「具体的には、トナカイの格好をして、売り子をしてほしいの。ほら、クリスマスと言えばセールじゃない? 危ないことは何もないから、やってくれるかしら」
「はい。こちらこそ宜しくお願いします」
 返事と共にペコリと頭を下げたあたし。
(頑張ろう!)
 気持ちが生徒さんに伝わったのか、また笑われてしまった。
「ふふ。その声の調子じゃあ、みなもちゃんったら電話なのに頭下げちゃってるでしょう?」
 ……気合いを入れようと思ったんだもん。
 なんて心の中で弱々しく反論してみたりして。


「あ、あのその格好は……?」
 バイト当日。朝早く専門学校に来たあたしはびっくりして、思わず言葉にしてしまった。
「ああ、これかしら?」
 赤と白の緑の派手な服をヒラヒラさせて、生徒さんは微笑んだ。
「クリスマス仕様なの。サンタの赤と白に、クリスマスツリーの緑! たまにはみなもちゃんを驚かせてみたいじゃない?」
 いえ、あたしは生徒さんにいっつも驚かされてばかりですけど……。
 ――とは勿論言えなくて、あたしは曖昧に頷いた。
「この服かそれ以上に、これから街頭に立つみなもちゃんはインパクトあるわよぉ」
 一瞬生徒さんの表情が黒くなったのを、あたしは見逃さなかった。暗く、じゃない。黒く、なのだ。
 ――怪しい。
「あ、あの……」
 戸惑う表情を見せるあたし。
 生徒さんは教室のドアを閉めながら
「大丈夫、危ないことは何もないって話したでしょう……それに、出入り口はこうして閉めたんだから、帰れないしね……?」
 と、恐ろしいことを言う。
「そ、そんな……」
 あたしは一歩下がろうとしたけど、生徒さんに肩を抱かれてしまった。
 優しく、けれどあたしの身体を離すまいとする生徒さんの腕。
 疑心が急に羞恥心へ切り替わった。頬が熱くなる。
「まだ不安かしら?」
「い、いえ、そんな」
「良かった。私たちは今日を楽しみにしていたのよ。だって、久々にみなもちゃんの肌に触れられるんだもの……」
「あ……」
 あたしの服を脱がして、下着に手をかけた生徒さんの手を、慌てて押し戻す。
「後ろを向いててください……」
 鼓動が凄く速くなっている。
 ――胸も熱くなっていて、全て脱いでしまっても肌が汗ばんだままだった。
「やっぱり、恥ずかしいです……」
 生徒さんたちの複数の手が、あたしの肌に伸びてくる。この状況になかなか慣れることが出来ない。
(それに、くすぐったい……)
 冬だからだろう、新素材が肌にのせられるとき、ひんやりとした感触があった。
(汗も乾いたばかりだから、鳥肌が立っちゃう……)
 救いは、生徒さんたちの手が温かいこと。
 痒さから無意識に逃げようとしていたのに、だんだんと生徒さんたちの肌を求めるようになってきた。なんだか気持ちよくて――。
「はい、おしまいよ」
「……もうですか?」
 閉じていた瞼を開けて、生徒さんを見上げる。
「あら、もっとがいいの?」
「そ、そんなことありません……!」
 恥ずかしさで身体を震わせていたのを見て、生徒さんがあたしの耳元で囁いてくる。
「みなもちゃんが望むなら、後で個人的にしてあげても良いわよ……」
「い、いりません……!」
 首を強く横に振って断るあたし。
 大体、個人的にしてあげるって、一体どんなことを……。
(――って、想像したら駄目だよね)
 バイト前から疲れてしまった気がする。
(気を取り直して……)
 鏡を見ると、着ぐるみのときよりもリアルなトナカイが目の前にいた。
(二本足で立っていることに違和感を覚えちゃうくらい)
 思わず四つ這いになってしまう。本物同然だ。
 素材の感覚も殆どなくて、まるで一糸纏わぬ状態でいるみたい。
(そう考えると恥ずかしいけど……でも、頑張らなくちゃ……)
「みなもちゃん、バイト頑張ってね」
 生徒さんも応援してくれている。
「この格好に似合うのはみなもちゃんしかいないって、私たちは思ってるんだから。街中の人たちにもいっぱい見せてあげてね」
「え……?」
(そんなに、いっぱいの人に見られるの……?)
 恥ずかしさと緊張で、足が震えてきてしまった。
 ――でも、こんな震えはまだ序の口だったのだ。


 休日を使って二泊三日で売り子をすることになっているのは知っていたけど――。場所までは知らなかった。
「ここって、あたしがお買い物する商店街です……」
(ということは、知り合いの人にあたしのこんな姿を見られる可能性だって……)
「だ、駄目です、他の場所で……」
 顔を引きつらせたあたしを余所に、生徒さんはニコニコしている。
「だぁーめ。ここらのお店全体でクリスマスセールをすることになったの。色々値引きされることになったから、みなもちゃんが頑張って呼び込むのよ」
 そんな話、聞いていません……。
 ――と言いたいのは山々なんだけど。
 これはバイト……つまりお仕事なのだ。それにもうトナカイの格好をしてしまっている。
「が、頑張ります……」
 無意識に胸を腕で庇いつつ――裸でいる様で恥ずかしかったから――お仕事を開始するのだった。
 あたしのほかには、サンタさんの格好をした人がひとり。二人で宣伝をするのだから大変だ。
「クリスマスセール、開催中でーす」
 それにやっぱり声が小さくなりがちだ。だって、見覚えのある人がすれ違って行ったりしているんだから。
 中には相手の方も覚えがあるらしく、あたしの方をチラっと見ていく人も――。
 見た目はトナカイそっくりだし、きっと「よく出来ているなぁ」くらいにしか思わないんだろうけど――。
(ど、どうしよう……)
「ねぇ、みなもちゃんだってバレない方法教えてあげようか」
 生徒さんに耳打ちされた。
「出来るだけ、トナカイになりきること。変に恥ずかしがるから怪しまれちゃうのよ」
 確かに一理ある。
(でも恥ずかしがらないようにするなんて……)
 この状況では難しい。
 意識しないようにしても、声は震えてしまう。新素材は通気性の良さとは反対に身体の熱は逃がさないから、これは完全に精神的な原因によるものだ。
(一体どんな風にしていたら……)
 あたしが困惑していると、サンタさんの格好をした人が助け船を出してくれた。
「声は私が出すから、海原さんはトナカイとしていたらどうかな? 四つ這いになって、私の傍で大人しくしているの。トナカイのふりしていたら、海原さんだってわからないから」
「え、でも……」
 さすがに躊躇する。お仕事をサンタさんの人に押し付けているみたいだからだ。
 でも、生徒さんは賛成みたいだ。
「私もそれがいいと思うわ。トナカイは本物みたいに四つ這いで入る方が、宣伝効果あるわよ」
 うーん、そうかもしれない。あたしはお言葉に甘えることにした。
 短い尻尾をピンと立てて、なるべく凛々しい表情をして四つ這いになる。
「そうそう。海原さん、サマになってるよ」
「そ、そうですか?」
「ね、ついでにソリも付けようよ。感じが出ると思うんだ」
 どこから持ってきたのか、いつの間にかサンタさんの手にはソリの手綱が握られていた。
「これをこう付けて……と。うん、イイね。似合う似合う」
 あたしは相槌を打った。鏡がないから実際のところはわからないけれど、サンタさんとトナカイがいるなら、やっぱりソリがあった方が自然だろう。
「じゃあさ、鈴もつけようよ。可愛いくなるよ」
 あたしが答える前に、首元に金色の可愛らしい鈴が取り付けられた。
「ついでに私、ソリに乗ってみていい? その方が目立つしね」
 かくして、クリスマスセールを大声で宣伝するサンタさんと、ソリを引く真似をするトナカイの出来上がり。
 ジングルベルの音楽と併せて、あたしも愉快な気持ちになってきた。
(まるで子供たちにプレゼントを配るサンタさんのお手伝いをする、トナカイの気分……)
 ほら、生徒さんだってあんなに楽しそうにこっちを見て――。
(……って、何だか上手く乗せられたような…………)
 それでも、子供たちがこっちに駆け寄ってきてくれるのは嬉しい。
「あ、トナカイだ〜」
 そんな声がして、小さな子が走ってくる。ピコピコと音がするのは、子供用の音の鳴る靴を履いているからだろう。
(あれ、あたしも履いていたなぁ……)
 女の子も男の子も、目を大きく開けて、じぃっとあたしを眺めている。
「ほんものー?」
「………………」
 にせもの、とは言えなくて、あたしは必死にトナカイのふりをする。例えば、こっちも目を見開いて不思議そうに子供たちを眺め返したりとか、逆に興味無さそうに視線をごく自然にそらしたりとか――。そういえば、トナカイってどう鳴くのかな?
 ――夜は、この姿のまま眠った。新素材のテストも兼ねているかららしい。
 生徒さんとサンタさんに挟まれて、あたしは夢に落ちていった。
 ――雪の中、空を飛ぶ夢を見た。


 二日目からは、立ってサンタさんと同じように宣伝活動をすることにした。
 思ったとおり、こっちの方が恥ずかしい。
 だって周りの人たちからは明らかにあたしが人間だってわかってしまうもん。
 だから子供たちはあまり寄ってこない。
 かわりに――写真を撮りにくる人がいるのだ。
(恥ずかしい……)
 一回通り過ぎて行ったはずの人なんかが、チャックのないあたしの姿に驚いたように戻ってきて、去ったと思えばデジタルカメラを手にまたくるのだ。
 ――どうリアクションしていいか、わからない。
 肌に触れたそうにしている人もいて、そばにいるだけでドギマギする。
(もし手を伸ばされたらどうしよう……)
 振り払うことは勿論出来ないし、かと言って受け入れたら胸が破裂しそうだ。
 幸い、触られることはなくて、あたしは胸をなでおろすのだった。
(でも……)
 不安が過ぎ去っていくと、今度は驚くほど冷静になってくる。
 たとえば――。
 お店で、クリスマスケーキを眺めている人たちにも色々いることに気付く。
 ――まだ子供で、食べたそうに過ぎていく人。
 ――ケーキの大きさで悩んでいる人は、多分何処かの家のお母さんなんだろう。
 ――ケーキをチラリと見てから一瞬表情を曇らせる人は、寂しさを抱えているのかもしれない。
 店内で流れているジングルベルはあんなに明るいメロディーで、通り過ぎていく人たちの話し声も、まるで“全てが楽しそうに”見えるのに。
(どうして――……)

 ふわっと。
 頭の中で、色々なことが遠のいた。
 人々の足音も、たくさんの背中も。
(道端には、掌に乗らないくらい一杯の悩みが落ちていて――)
 あたしの悩みもその中にポチャンと落ちていったような気がしたのだ。

(…………まだバイトの途中だもん)
 息を吸って、寒空に向かって声を出した。




終。