コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


Dance Dance!

 黒 冥月(へい・みんゆぇ)の影内亜空間には、色々な施設が揃っている。
 陸上競技用のトラックにトレーニングマシン、汗を流すための風呂にサウナなど、ちょっとしたスポーツジムより充実しているぐらいだが、今日冥月が立花 香里亜(たちばな・かりあ)を招いたのは、その中にある武術練習用の一室だった。
「ここはいつ来てもびっくりです…」
 今日も香里亜は黒系のジャージとTシャツを着て、髪が邪魔にならないよう二つに結んでいる。いろいろ事件などがあって香里亜自身に『鍛えて欲しい』と言われたので、冥月は基礎鍛錬にジョギングや柔軟などをずっとやらせていたのだが、意志は強いらしくちゃんと続いているようだ。
 床には衝撃吸収用のマットが敷いてあり、香里亜はそこに正座をし冥月に向かってぺこりとお辞儀をする。
「老師、今日もよろしくお願いします」
「よし。今日は実戦に入るぞ」
 本来であれば、もっとゆっくり付ききりで色々教えてやりたいのだが、お互いの時間や周りの状況がそれを許さない。少し駆け足気味ではあるが実戦に勝る練習はないと冥月は思っているし、一度体で感覚を掴めば後は応用が利く。後は本人の戦闘センスに任せるしかない。
「香里亜、戦いで一番大切なのは何か判るか」
 香里亜の前に正座をしながら、冥月は凛とした声でこう聞いた。
 よく『攻撃は最大の防御』などと言われているが、それは攻撃が防御を上回るだけの戦術や戦力があってこそ言える言葉だ。生半可な力でそれを実戦しようとすると、待っているのは無惨な姿でしかない。まずそれを最初に話すと、香里亜は真剣な表情で頷きながら冥月の顔を見た。
「攻撃じゃないんですね…」
「私ぐらい修羅場をくぐり抜ければそうかも知れないが、普通は『防御』の方が大事だ。如何に攻撃を避け傷減らすか…実際命のやりとりになれば、最後に立っていた方が勝ちだからな」
 捨て身で戦って命を落とすのが美しいのは、映画や小説の中の話だ。現実ではどれだけ無様であろうとも、とにかくケガをせずに生き延びる方が重要だ。力の見極めが出来ずに立ち向かって死んでしまえば意味がない。
「護身術は、最終的に立ち向かうより逃げる方に重点がある。それに香里亜は身体的、性格的にも攻撃は向かないだろう」
「…確かに自分で言うのも何ですけど、攻撃に向くような気はしないです」
 前にここで体力測定をしたとき筋力などはない方だったが、瞬発力と柔軟性はなかなか目を見張るものがあった。これでゆっくりと時間が取れるのであれば、一から合気道などを教え込む所なのだが、そうしても仕方ないので今日は『体の使い方』を実戦で教えることにしたのだ。
「今日の訓練は『体の使い方』だ。徹底的に体に叩き込むから覚悟しておけよ」
「はい、頑張ります」
 立ち上がるように香里亜に指示すると、冥月は少しだけ構えを取った。
「手段は問わん。お前の全身を使って私の掌以外に触れてみろ」
「へ?」
「実戦だからな、真剣にやれよ」
 唐突なその言葉に香里亜は一瞬きょとんと止まったが、冥月が構えを取ってふっと笑ったのを見て真剣に間合いを見始めた。普段であれば隙も見せないのだが、それでは香里亜の練習にならないので、あちこちわざと隙を作っている。
「行きます!」
 少し離れた場所から香里亜が走って手を伸ばしてくる。その時だった。
「……まだまだだな」
「はうっ?」
 飛びかかってきた香里亜の体がぽんと宙に投げ上げられた。衝撃吸収マットに投げ出された香里亜が、一体何が起こったのか分からないというように辺りをきょろきょろしている。
「えっ?今何が起こったんですか?」
「何をされたか考えてみろ」
 それは自分の力を全く使わず、香里亜の力を利用した受け流し投げだった。合気道にかなり近いが、冥月が実戦用にアレンジしている。香里亜は背も小さいので、相手の力を受け流しながら防御を攻撃に転じる方がいいだろう。
「も、もう一回お願いします」
 さっきはいきなりやられたので、何が何だか分からなかったのだろう。もう一度走って飛びかかってくる香里亜の手を、冥月はまたさっと取りその勢いで放り投げた。
「私が何をしたか分かったか?」
 冥月の声を聞き、香里亜がマットから一生懸命起きあがる。香里亜を投げてもケガをしないように特殊なマットを敷いたのだが、それでも地面に倒れるのは色々悔しいものがあるのだろう。
「うーっ…み…じゃない、老師。もしかして今全然力入れてませんでしたか?」
 その言葉に冥月がふっと笑った。
 二度目の投げでそれが分かるのなら、見所がある。
 基本的に攻撃してくる相手は、攻撃対象に向かって真っ直ぐ向かってくる場合が多い。それならその力を利用して相手を投げたり、少しタイミングをずらして転ばせたりというのでも充分時間は稼げる。
「いいか香里亜、粋がってケガをしたり死ぬぐらいなら、馬鹿にされても逃げ切って生き延びるのが大事だ。実際の戦闘は一瞬で始まり一瞬で終わる事も多い…その短い間に何が出来るかを考えろ」
「はい!」
 誰だって攻撃されれば怯むし、傷つきたくないという本能が働く。だが、その時に動きが固まってしまえば、それで死ぬことだってあるのだ。振り下ろされた手や武器を、躊躇うことなく踏み込みんで攻撃をすかしたりするためには、結局体で覚えるしかないのだ。
 攻防の間、距離感、受身の取り方…何度も投げられている間に、香里亜もそれなりに様になってくる。
「武器をかわすときのコツだが、斬りつけられるときの攻撃は一本の線で、突いてきた場合は点の攻撃になることだ。実戦ではこれが基本になる」
「線と点ですか…」
「まあいきなり言っても難しいだろうから、後は体で覚えろ。だが、基本的には相手をやり過ごしたら逃げる…だ。先ほども言ったが、馬鹿にされても逃げ切って生き延びれば、後はいくらでも対処可能だからな…ほらかかってこい!」
 最初は正面からの攻撃、そして徐々に背後からの奇襲や体当たり、フェイントに対する防御などを冥月は香里亜に教え込んでいった。
 それは他の者から見ればかなり厳しい練習だろう。冥月は物心突いた頃から訓練されていたが、香里亜は最近体を鍛え始めたばかりの初心者だ。
 だが…予断を許せない状況ではこうするしかない。
 本当であれば香里亜を守れる者は、自分以外にもたくさんいるだろう。しかし香里亜自身がそれをよしとせず、自分の身を自分で守りたいと願うのなら、少し厳しくてもこうやっていくしかないのだ。
 ただ守られるだけでなく、自分でも何かしたい。
 妹のように可愛いと思っているからこそ、その気持ちは大事にしてやりたい。それにこうやって体を鍛えることで、香里亜が持っているというまだ目覚めぬ力を制御できるように精神も鍛えられれば…と冥月は思っている。
「はぁ…はぁ…体の使い方が普段と全然違います…」
 何度も投げられたり受け身を取ったりしたせいか、ほつれた髪が頬に汗で張り付いている。それでも泣き言を言わず、香里亜は何度も冥月に向かって行こうとした。だがそろそろ体力の限界なのか、走ってくる足がもつれたりしている。最近走ったりして持久力が付いてきたといっても、やはりまだまだだ。
「とりゃー!」
「甘い!」
 足下をすくおうとした手をさっと避けその背中を押すと、香里亜は自分の勢いでぺしっとマットに倒れ込んだ。走っている相手を止めたりするときも、後ろから引っ張るよりこうやって止めた方が確実だ。
 マットに倒れたまま香里亜が顔を上げる。
「はうぅ…全然触れないです」
「今日の練習はこれぐらいにしておくか。ちゃんと復習しておけよ」
「ありがとうございました…疲れました…」
 冥月の言葉に香里亜はよろよろと起きあがり、きちんと正座をして礼をした後そのまま前に突っ伏した。

「はー極楽です…」
 広い湯船に浸かりながら、香里亜は幸せそうに息をついていた。冥月の訓練は厳しいが、その後は広いバスルームでゆっくり足を伸ばすことが出来る。湯船は石で作られていて、湯口はライオンの口になっている。そのお湯が絶えず流れているのを見て、香里亜は中を伸ばしながら思わず呟いた。
「何かこんな感じだと温泉みたいです…あー気持ちいい」
「ああ、ここは温泉だぞ」
「ほえ?」
 香里亜は気付いていなかったようだが、このバスルームは地下からくみ上げたものだ。東京都内でも温泉が出る場所は多くその事を冥月が言うと、香里亜は一瞬怯みながらも手でお湯をすくう。
「こんなに快適な上、温泉まであったらスパですね。でも冥月さんの所のお風呂好きです。家のお風呂はやっぱり狭いですから」
「そうか?一緒に練習したときは好きに使うといい。どうせあまり使ってないからな」
 あまり…というよりはほぼ使っていないのだが、こうやって喜んでくれればいいだろう。そう思いながら風呂の縁に座ると、何かを思い出したかのように香里亜が顔を上げる。
「そういえば冥月さんにマフラー編もうと思っているんですけど、どんなのがお好きですか?」
「は?」
「そろそろ編み始めないと、先越されちゃいますから」
 すっかり忘れていた。
 以前冥月の所に来た少女がそんな事を言っていたのだが、どうやら香里亜も対抗心があるらしい。ふぅ…と溜息をつきながら、冥月は遠くを見る。
「黒で柄の無い質素な物がいいな」
 すると香里亜は少し不満そうに口を尖らせた。
「えー、黒一色でも確かに模様編みとか色々出来ますけど、質素…それじゃあの娘に勝てないです」
 いったい何の対抗心なのか冥月からすると謎だが、香里亜はどうも勝ちたいようだ。もしかしたら、見かけ以上に勝負に関して思う所があるのかも知れない。
「香里亜は私が黒しか着ないのを知ってるだろう。黒しか使わんぞ、仕事に障るしな」
「むー、それは知ってますけど、黒だと模様編みとか目立たないんですよね。どうしよう…」
 乙女心は分からない。
 自分に編んでくれるというのなら黒一色で質素なものであればそれで充分なのに、勝ちたいという気持ちの方が強いのだろう。本気で考え込んでいる香里亜に冥月は溜息をつく。
「香里亜は編み物は上手いのか?」
 ちゃぷ…と水音がし、香里亜が自分の胸の前で指を組む。
「編み物は自信があるんです。セーターや帽子とかも編みますし、この季節になって毛糸が売ってるの見ると、うわー編み物したーいってテンション上がります」
「なら、実用と対抗用の二つ編めばいいだろう。何ならセーターも受け付けるぞ…もちろん黒しか着ないがな」
 冥月にとって、あれは忘れたい出来事なのでほんの少しだけ自棄な気持ちがあった。香里亜はそれを聞き、にっこりと笑う。
「あ、そうですね。一色のマフラーならちょちょっと出来ますし、セーターはいいですよね…じゃあ、冥月さんに着てもらえるような素敵なセーター編みますね」
 つい「対抗用」などと言ってしまったが、一体どんな物が出来上がってくるのか考えるとちょっと怖いような気も…そんな事を思っていると、香里亜がそっと横に来て、冥月の胸をぺたっと触る。
「ふふ、訓練の時は指一本触れられませんでしたから、油断してるときにぺたー」
「触っても何も出ないって言ってるだろう」
「えー、セーター編むならサイズ知っておかないと。せっかく編んだのに胸がきつくて入らないってなったらしょんぼりですから」
「こら、いいかげんにしろ」
 もう一度手を伸ばす香里亜にお湯をかけ、冥月は呆れたように笑う。
 きっと暖かくて素敵なマフラーなどを作ってきてくれるに違いない。その時が楽しみだ。対抗用に関しては…今はあまり考えたくないが。
「楽しみにしてて下さいね」
「ああ、期待しておこう…」

 後日……。
「…これは外にしていけないだろう」
 冥月の元に黒でシックなマフラーとセーター、そしてハートと名前が編み込まれた『対抗用』とメモがついている恥ずかしいデザインのマフラーがやってきたのはまた別の話。

fin

◆ライター通信◆
ノミネート発注ありがとうございます、水月小織です。
実戦しながら香里亜に「体の使い方を教える」事と、前のゲームノベルで出ていたマフラーの話を引っ張ったノベルにさせていただきました。護身術の基本は「相手の虚を突いてとにかく逃げる」だそうですが、そう考えると冥月さんの教えは正しいんだなと思います。
香里亜は攻撃向きではないですし。
そしてラストはやっぱりお風呂に入りながらマフラーの話を…一色でも素敵な物は編めるのですが、やはり乙女心は難しいようです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。