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<東京怪談・PCゲームノベル>


商物「影法師」

 薄暗い、陰陽堂の店内は、売り物の柱時計が時を知らせる以外、音らしい音は存在しない。
 ぜんまい仕掛けの歯車の稼働音がなければ、実際に時の流れを危ぶまれる程に、空気の動かない店なのだ。
 が、時と言う物は動く際は唐突、且つ、急激な変化をもたらすものである。
 その日その時、店の片開きの扉を勢い良く以て開け放たれ、売り物と実用を兼ねる傘立てを蹴倒したのが、先ず変化の一。
 突然の事に、台場で絵本を広げていた少年と少女がそちらを見れば、次いで、フルフェイスヘルメットを被った男が、まさしく乱入の勢いで踏み込んで来たのが変化の二。
「か、かげをくれ!」
勢い込んで咳き込むように言を吐き、突き出す拳は拒否を許さない。
 いつもは億劫さを外観から前に押し出し、無精髭もそのままにした胡散臭さからは、思い及ばない程の速さで店主が動いたのが変化の三だった。
 扉を開け放った勢いを殺すことなく台場に突進して来る男に対し、店主は立ち上がる動作ばかりはいつものように億劫そうに、そしてすぅ、と手にした煙管から一息を吸い込んで、そして。
 カインと小気味よく高い音を立て、店主は煙管の雁首を強く男のヘルメットの上部に打ち付けた。
 すれば火皿から転がり出た刻み煙草が転がり出て、襟首から背中に入り込むに、男はもんどり打って土間を転がる。
「……灸の一つもすえてやりゃ、ちったぁ頭も冷えますでしょう」
吸い口を咥えて軽く眉を上げ、店主は紫煙を吐き出した。
「それともウチの店に押し入ろうなんてぇ輩からは、迷惑料をきちんと頂いたがよろしいでしょうかねぇ?」
面倒臭そうに首筋を掻き、アチチと騒いで相変わらず床をゴロゴロとしている賊を、見下ろす目に浮かぶ光は剣呑である。
「おやまぁ、十六なんてぇ若い身空で犯罪に手を染めるなんざ、今後ろくな人生歩みそうにありゃしませんね。徒に親御さん泣かせるよか、このままなかった事にしちまいましょうか」
店主がそう一歩を踏み出す前、それを制するかのように、子供達が俯せに息を荒げる来訪者の傍らに膝を着いた。
「三千円だけ、お持ちです」
転がる内に火種は揉み消せたのか、転がった軌跡に散らばる紙幣を、少年が拾い集める。
「影のない、お客様ですね」
少女は土間に指で触れ、自身の指先が影を落とすその箇所に重なる筈の、影の不在を示した。
「……おや?」
店主の早とちり、以外の何物でもないが誤解を招く発言・行動であったのもまた然り。
 押し込み強盗紛いの来訪の末、返り討ちに遭う……実に珍しい経験をした、彼のその名を弓削森羅と言う。


「いやはや、大変失礼を」
影をくれ、を金をくれに聞き間違え、撃退してしまった店主が詫びを兼ねて出してくれたおやつに、森羅は目を輝かせた。
 焼きたてのアップルパイにとろりとかかる蜜、添えられたアンジェリカの澄んだ緑の彩りはキャラメルアイスに半ば埋まって、カフェオレ・ボウルから立ち上る湯気が暖かい。
「おぉぅッ?!」
森羅は背中の中程、火傷を作ってしまった箇所に子供達に薬を塗って貰いながら、前に据えられた皿に早速手を伸ばす……が、その手を止める。
「俺の分だけ?」
用意された皿は一つだけ、子供達の分はないのかと遠慮が先に立つ森羅に、気遣いの対象が気を効かせる。
「私達はもう」
「頂きました」
その真偽はどうあれ、このままではアイスが溶ける。と、森羅は両手を合わせて遠慮なく頂く事にした。
 フォークで押さえればサクリと切れる生地、甘みを押さえたリンゴの風味がまたアイスと良く合って、と森羅はしばし食事に集中する。
「……そうだった! こんな事してる場合じゃ!」
そして正気に戻ったのは、パイが残り一かけアイスを一匙を残し、アンジェリカを囓ったその時だった。
「影をくれ!」
「まぁまぁ、ここまで来たらご用件は最後まで食べてから、伺いましょ」
はったと立ち上がり、要求を繰り返す森羅に、ぷかりと紫煙を輪の形に吐き出し、店主は最後の一口ずつを勧める。
 それもそうかと森羅は素直に従って、空になった皿を押し戻してご馳走様と手を合わせて改めて、影を寄越せと要求した。
「さてはてそれにしても」
お粗末様、と答えて店主は長火鉢にカツリと煙管を打ち付け、灰を落とす。その音につい先程痛い目を見た森羅が首を竦ませ、背中の中央付近、庇うには難な位置に咄嗟手をやろうとして適わず身を捩るのに、店主は口先で「重ねて失礼を」と詫びる。
「影がご入り用とは……此方で取り扱いがあると何処でお耳に?」
店主に問いを向けられて、森羅は目を瞬かせた。
「え、しーたんに……この店は何て言うか未来から来た猫型ロボット的に何でも揃う店だって聞いてたんで……」
知人から直接、影の是非を確かめた訳ではない事に今更乍らに思い及び、森羅は血の気を下げる。
「え、と、もしかして、影ありません……よね?」
恐る恐る、質す森羅に店主はふ、と紫煙を吐いてしばし、嫌な沈黙を守った。
「ございますとも」
某クイズ番組的に、表情だけで微かな希望、失意、絶望、覚悟と感情と思考の変遷を示して、解に辿り着いていた己の判断の正しさを証明されるに、歓喜が森羅を支配する。
「良かったあぁ!」
盛大に胸を撫で下ろし、森羅は次いで訪れた安堵にぐたりと姿勢を崩すに留まらず、台場に腰掛けたその位置で横に長くなった。
「や、もうさぁ! 気付いたら影ないし、どこで落としたかと思って探してみたけど交番にも届いてないしで生きた心地しなくってさー! 自力で見つけ出したとしても拾ってくれた人を案内出来る夢の国なんて知らないしって途方に暮れてたら、前にしーたんが教えてくれた店思い出したんだよねー」
押し込み強盗紛いの来店をかました末、土間を転がる羽目に陥ってもまだ足りないのか、芋虫ごろごろと軽快に台場を転がる、客の長口上に店主は、はいはいと相槌を打ちながら行李を引き出してきた。
「まぁ昔から。影の病というだけあって浮かれて一人歩きする影は結構いるモンで……うちもそんな辺りで商いさせて頂いておりますよ」
言って重さを感じさせない動作で、音なく畳みの上に置いた行李を開いた店主は中に手を差し入れた。
「ホラ、これなんか如何で。ドイツの文豪の若い頃のモノでさ」
畳の上に広げる仕草に、店主の腕に遮るものは何もないというのに、突如として影が生じる不思議に眩暈がする。
「西洋のが肌に合わないってぇなら、明治の作家先生のもありますよ。あぁ、勿論歴史に残る有名所じゃなくともホラ、コレなんかはフランス料理が得意でね。フル・コースなぞお茶の子さいさいでさ」
店主の手で次から次に広げられる影に、目移り……しようにも違いは全く解らない。
「m単位でお分けしておりますよ、値もそれぞれで御座いますが……どれになさいます?」
選択権は自分にある、が最も重要な大前提を秘したままでは事態の改善は望めない、と森羅はジーンズのポケットを探った片手を突き出した。
「予算は三千円ぐらいなんだけど!」
くらい、と濁してみたものの、上限はきっぱり差し出した手の中の三千円のみである……子供達が拾ってくれた紙幣が、今の森羅の財力の限界だ。
「さんぜんえん」
復唱した店主の声が、何処かぎこちなく聞こえるのは気のせいか。
「ご予算、さんぜ……ッ」
言い直そうとして、店主は見事に失敗した。
 腹部を押さえてそのまま身を折るようにヒクヒクと肩を震わせているのは、持病の癪等ではなく、間違いなく笑っているのだ。
 今日日、小学生だってもう少し蓄えがあるだろう。
「笑ってくれるな、今月の全財産なんだよ」
一応の恥じらいを持って止める森羅だが、全財産を持ち出したところで、影の相場が果たして如何ほどのものか、皆目、見当もついていない。
 しばらく笑いが納まりそうにない店主に、森羅はさり気なく手近な影に値札がついていないかひっくり返してみようとするが、爪は畳の藺草を掻く感触ばかりで、肝心の影を摘みかけ出来なかった。
 半ば意地が手伝い、躍起になって畳みを掻く森羅を、どうにか笑いを納めた店主が諫める。
「弓削様その位にしてやって下さいまし。表が毳立ってしまいますんで」
すっかり拗ねてしまい、じっとりとした視線で店主を見る森羅を店主は両手で制した。
「楽しませて……いやさ、笑ってしまったお詫びに勉強させても貰いましょうかね」
その言葉に、森羅は俄然元気を取り戻す。
「ホント?! じゃ、実用的に名探偵の影ってのはない? 自分の影がないのも気持ち悪いし、安楽椅子探偵系統のもので影の行動を推理して行けば簡単かなって思うし〜。こう老給仕ヘンリーとかー、ミス・マープルとかー、ホームズ……は現場重視かな〜」
それはわくわくとしながら挙げる例は、とても三千円では購入できそうにない有名所ばかりである。
 最も、それ以前の問題として。
「……どれも創作で御座いますから、難しゅう御座いますねぇ」
難問を突きつけられた店主の煩悶は如何ばかりか。
 しかし店主は「そうそう」と短く手を打つと、行李の中から影を一つ引き出した。
「ホームズの影なら御座いますよ」
駄目元で言ってみるものだと、喜色に満ちる森羅の前に、店主は影を広げて見せる。
「三毛猫の物ですが」
「どっちにしろ創作じゃん!」
森羅の手の甲が、ビシリと音を立てて店主の肩を打つ。
「そうは申されますが、件の猫の再来とまで言われた猫の影、品は確かに御座います。その上森羅様のご予算内で条件を満たしますのは、この影以外に御座いませんかと」
そうもきっぱりと断言されればこちらは素人、そんなものかと押しが弱くなりもする。
「……ちなみにお幾らでしょうか」
思わず下手に出る森羅に、店主は今度はあっさりと答えた。
「二千五百円に御座います」
微妙な価格ではある。
 今の森羅に選択肢はないも同然なのだが、全財産のほとんどをこの小さな影にかけていいものか、悩みたくなるのが人情だ。
 腕を組んで唸る森羅を急き立てるように、古びた柱時計が時を二つ打った。
「おや、悩んでる暇はありそにない」
ちらりとそちらを見遣って、店主は更に押しを強くする。
「もしお客様がご自分の影に愛着がおありなら今日の陽が、暮れる前に見つけ出さないとちと難儀がありますよ……影は生まれてから絶えず添うモノ、魂の半身。まぁこのまま他人の影をひっつけて、歩く人生というのもオツかも知れませんがねェ」
まさしく他人事と言った様子に気楽に告げられる言が真ならば、最早迷う時間すら惜しい。
 どちらにしろ、コレしかないのだからと、森羅は諦めと納得の半々で決を下し、店主に三千円を差し出した。
「ハイ、毎度あり。こちらお釣りに御座います」
少々皺の寄った札を受け取って、代りに硬貨を二枚、森羅の掌に落とし込む。
「よろしければアドヴァイス致しましょうか。こちらはサービス、お代は無用」
「ホント?!」
無料となれば、それが情報だけだとしても飛びつくのが人の性。森羅は思案に寄せたきりだった眉根を開き、表情を輝かせた。
「そうですねぇ……もしほんの少しでも想う方がいらっしゃるのならば。その方の元に行ってみるのがよろしいかと」
「そっか、あんがと! 参考にする!」
そのまま踵を返し、店を飛び出そうとする森羅を店主が慌てて止める。
「弓削様! 影をお忘れです!」
先ず、それを忘れては話にならない。


 そして、森羅は車中の人と化していた。
 陰陽堂の奥まった位置に探しあぐね、周囲を走り回っている内に乗ってきたバイクはガス欠になった為、移動に公共交通機関を頼らざるを得ない。
 想う方……と言われてポンと脳裏に浮かんだのは、親友の姿である。
 彼ならば、今日は剣道部に顔を出すと言っていたから、学校の格技場に居るはずとあたりをつけ、己が影の手がかりを求める森羅は当面の目的地に据えた。
 財政的に安いとは言えない買い物だったが、推理を重点に注文したのが功を奏している、と本人良い買い物が出来たものだとご満悦だが、実際の所それは推理でも何でもなく、ただの事実確認であるのに、森羅はまだ気付いていない。
 駅まで二百円、残り三百円で学校まで戻れるだろうかと現在地と目的地の距離からおおよその金額を見積もりながら、吊革に手を預ける。
 しかしその姿は不審人物以外の何者でもない。
 またもや、フルフェイスヘルメットを装着したままなのだ……乗り合わせた客と運転手に、今度はバスジャックの疑いをかけられても、仕方ない。
「……それにしても」
その上、座席からあぶれる程度には客の多いバスの中だというのに、傍目を意識せずに独り言を呟き続けるほどには、森羅は自覚のない部分で事態に動揺しきっていた。
「影を無くすなんて滅多にない機会、しーたんじゃなくてこー……ウェンディみたいなさ。ブロンドじゃなくてもいいからさ。カワイイ女の子とか浮かばないのか俺。いや、しーたんに不満があるとかじゃなくって、親友だから良いんだけど、もーちょっとこう憧れのあの子とかその子とかどの子とか無かったのか自分」
因みに憧れのあの子もその子もどの子も具体的な対象は存在しない。
 心中の複雑さをぶつぶつと呟き続ける森羅に、周囲の緊張感が加速度的に増して行くのに本人、肝心な理由を理解していなくとも張り詰めた空気を肌に感じて顔を上げた。
 空間を共有する他人の警戒をビシバシと総身に受けつつ、やっぱり猫の影って解るモンなのかなーとズレた不安に左右を見回す動作に、視線を合わせまいと客達は目を逸らせた。
 目が合えばいちゃもんを付けられるに違いないという保身の為だが、其処の所を自覚していない森羅は肩を落とす。
「やっぱり猫の影だから……」
俯いた足下で頼りなく蟠る小さな影に、しかし森羅は拳をギュッと握ると気丈に顔を上げた。
「頑張れ俺、負けるな俺! 為せば成るのさ何事も! やって出来ない事がないなら残る手段は実行あるのみ!」
鼓舞する言葉は、今から森羅が為そうとしている……凶行を彷彿とさせ、運転手はブレーキを踏み込んで乗客はバス前方の降り口に殺到した。
「あれぇ?」
突然、閑散とした車内に、逃げようがない運転手と共に取り残された森羅は、前方に合わせて開いた扉、裏手の乗り口に足を向けた。
 そのまま降りてくれないかという、運転手の淡い期待を打ち砕いて、後ろ向きに再び車内に戻ってくる……片手に老婦人の手を引いて。
 場所はバス停の少し手前、溢れる乗客にバス待ちをしていた人々が乗り込む為にわざわざ移動して来たようだ。
「さっきまで一杯だったんだけど、丁度席が空いてさ。よりどりみどりだよおばーちゃん」
「そんならお兄ちゃんの膝の上がいいねぇ」
などと軽口を叩いて笑い合いながら、杖に体重を預ける夫人の手荷物を預かり、空いた座席に座らせる。
「やーだ、何そのヘルメットー」
「チョーうけるんですけどー」
とは続いて入ってきた女子中学生の群れだ。
 バスジャック容疑をかけられて然るべき不審さを払拭する森羅の好青年っぷり、及び少女達のかしましさに、緊張に満ちていた車内は先とは打って変わって賑やかさに満ちる。
「抱えてたら邪魔になんじゃんー。お風呂に入る時は、着替えとかハブラシとか入れれて便利だけどー」
 自然に群れに溶け込む森羅に、職業意識に退路を阻まれ、蜘蛛の子散らしに逃亡した他の乗客達のように保身を図る事も出来ずにいた運転手は、安心してバスを発進させる。
「中空いてんだからいいっしょ、見た目うっとうしいしー、取んなよー」
囀る女子に促されて、森羅は揺れる車内でメットを転がさないよう気遣いずつゆっくりと装備を外した。
「やーだ、チョーカワイイんですけどーッ!」
途端、さざめく周囲の声に状況が認識出来ず、森羅は慌てて窓に目をやる。
 鏡のようにガラスに薄く反転する車内の風景、座席や少女、老婦人の他に映る自分の姿は……自分の姿は。
 猫耳付きだった。
「イーニャーッ!」
握った拳、というよりも猫の手的に関節だけ折り曲げた手を頬に押し当て、森羅は力の限り叫んだ。
「カーワーイーイー……ニャッ!」
「な」、と続けようとしてもどうしても「ニャ」と言ってしまう、弊害はしかし気にはしていない森羅である。
「カワイイニャー、これイイニャー! 似合うニャ? 似合ってるニャ?」
ピコピコと意のままに動く耳を示して見せれば、そこここから合意の声が返り、触らせてと群がる女子中学生達に、森羅は至極満足した。
「今年最高のモテ期突入ニャー……」
 その今年も、後半月を待たずに終わる。
 感慨深く胸を押さえる森羅だが、それは間違いなくモテているのではなく、ただ単に面白がられているだけだ。
 喩え言葉が乱れていようと、有り得ないスカートの長さであろうと、女の子に構われるのは嬉しい。
――このままでもいいかも……。
本当に良い買い物をした、としみじみと実感する森羅の背後、何の拍子か窓硝子が「キキキキキーッ!」と甲高い音を発した。
「ヤだ何コレうるさいキモいーっ!」
騒然とする車内に、自前の耳を押さえながら、森羅は音の発生源と思しき方向を振り向いた。
「何だニャ、コレ、ガラスを爪で引っ掻いたみたいニャ……ッ?!」
しかし背後には誰も居ない、空席に森羅の影ばかりが掛かっている。
「……ニャッ!」
その流れから自然と視界に入る歩道、其処を行く人影に森羅は敏感に反応した。
 必要以上に真っ直ぐな背筋、歩く姿にも折り目正しさを滲ませるあの見慣れた姿は、森羅が求める、櫻紫桜その人以外に有り得ない。
「しーたんッ!」
上げ下げ窓に飛びつき、勢いよく開いたその窓から飛びだそうとする森羅……だが、物理的に人が飛び降りることを想定して設計されていない窓は、肩幅が引っ掛かって出られる筈がない。
「しーたん、しーいぃぃぃぃたあぁぁぁぁぁんッ!」
無情に走り去るバス、慌てた少女達に車内に引き戻されながら、森羅は声を振り絞る。
 が、求める相手は森羅の声に微塵たりとて反応せず、路線に添って曲がるバスに森羅は紫桜の姿を見失った。


「犯人はしーたんニャアァッ!」
決定的証拠を押さえたと言わんばかりの森羅の断言は、それに見合った音量で櫻紫桜の手を硬直に開かせ、店主の手から硬貨を取り零させた。
 バスで移動途中、紫桜の姿を見つけて次の停留所で降り、駆け戻ってきた息の乱れに肩が上下している。
「え、どうかしたんですか森羅さん」
森羅の唐突な出現と共に、犯人呼ばわりされた紫桜は目を丸くして戸口に立つ森羅を見、声を失った。
 頭頂部の左右に出現した猫耳をぴこぴこと動かしながら、ずんずんと近付いてくる森羅の姿に言葉もない、と言った方が正しいか。
 しかし森羅は自分の姿に全く違和感を感じていないのか、指を関節だけで内側に曲げ、猫の手のそれによく似た握り方で紫桜の腕をぽかぽかと叩く。
「ヒドいニャ、酷いニャ,友達甲斐がないニャーッ! バスの窓から一生懸命叫んだのに、全く気付かないニャんて理不尽だニャ、愛が足りないニャ愛がッ!」
まるで今までに両者の間に愛情があったような言い様でそんな風に殴られ、痛くはないが不気味である。
 バカバカと続けて責める森羅を、紫桜は冷たく静かに宥めた。
「落ち着いてください、弓削さん」
「敬語禁止! タメ口推奨ニャ!」
人間関係に対して固さの抜けない友人に、強要することで柔軟さを求め親しさを許す一種の気遣いを、いつものように打てば響くように返した森羅だが、今日は受け止める紫桜の様子が些か違う。
「止めて下さい弓削さん」
飽くまでも冷ややかに、そして丁寧に。
「そんな事をしたら、知り合いだと思われるじゃありませんか」
遠慮や習い性から来るのではなく、距離を置く為の敬語、所謂慇懃無礼を心底真面目に発動させた紫桜に、猫耳装備、語尾はニャに変化させた森羅は、その場に泣き崩れた。
 親友の謂れのない仕打ちに言葉もない。
 小刻みに震える耳が、千の言葉よりも万感の想いを表して、見る者の胸を打つ。
「……冗談ですよ」
紛れもない本気で拒絶したとしか取れない声音であったが、紫桜は一応なりとそう取りなし、泣き崩れる森羅の肩に優しく手を置いた。
「俺に何か用があったのでは?」
バスから呼び止めたという言を受け、用件を改める紫桜に森羅はがばりと身を起こした。
「そーだったニャ! 泣いてる場合じゃないニャ!」
言って森羅は、やおら身を伏せると紫桜の足下、その靴先を嗅いだ。
「やっぱりニャ! しーたんが俺の影持ってたニャ! すぐに返すニャ……?!」
くんくんくん、と鼻を鳴らしながら床に匂いを追い、台場に到達し、畳の上を膝行して森羅は行李に行き着いた。
 影を納めた、その行李に、自分の影の匂いが続いている、という事は……?
 森羅は己の内に過ぎる嫌な予感、半ば以上確信から来る不安に先ず店主を見上げた。
「毎度ご贔屓にありがとうございます」
場の微妙な空気の中でも、店主の商売人気質は健在だ。
 続いて、紫桜を振り返る。
 チャリンチャリンと紫桜の手の中で音を立てる硬貨が主張する事は即ち。
 店主との間に紫桜に取り付いていた影……即ち、森羅の影の売買契約が為されたことを無情に示していた。
 事態を取り返しのつかない窮状に陥らせたのは、名探偵風に犯人を言い当てて見たかった、という己の他愛ない、且つ下らない欲求が決定打であったことに、森羅自身気付いていない。
「何て事だニャ……ッ!」
両の目から溢れる涙を押さえることなく、森羅はポケットから残金……現時点、全財産である二百円を取り出した。
「俺は何て不幸な少年ニャ……!」
硬貨の上に、涙がポタポタと滴り落ちる。
「信じていた友に裏切られ、暴利を貪る店主に影を奪われ、たった二百円ぽっちけじゃ買い戻す事も出来ないニャ……」
二百円を握り締めた拳を胸に当て、森羅はくぅっと息を呑んで天を仰ぐ。
「このまま一生猫の影をひっつけて、人に指差され笑われ、見世物になって猫男として生きて行くニャアァァッ」
一応、笑える姿であるという自覚はあったらしい。
 しかし台詞は悲哀に満ちているものの、身を捩り、ハンカチの端を噛み締める等、追随する動作は楽しんでいるとしか思えない。
 森羅の独り遊びは放っておいて、紫桜はごく冷静に店主に問い掛けた。
「先程引き取っていただいた影、全部頂こうとしたらお幾らになりますか?」
「そうですねぇ」
森羅の一人芝居を眺めていた店主は、無精髭の浮いた顎に手をやってザリと撫でる。
「うーん、売値は五百円、と言った所ですかね」
猫の影、二千五百円より遥かに安い。
 それを知ればまた泣き崩れる所だろうが、森羅は己の世界に浸りきるを幸い、二人の遣り取りに気付いていない。
 紫桜は先に受け取った三百円を、店主の手に戻した。
「じゃぁ、コレで。残金二百円は森羅から貰って下さい」
言ってスタスタと戸口に足向ける。
「おや、お持ち帰りにならないんで?」
わざわざスポットライト的に光源のある位置まで移動し、己が不幸を楽しく嘆く森羅を放って帰ろうとする紫桜に、店主が当然の問いを向ける。
「腹が減ったら勝手に帰ると思うんで、暫く置いておいてやって下さい」
非情に無情に、そして的確に。
 森羅の行動パターンを読んだ紫桜は言い置いてとっとと帰路に着いてしまう。
「……取り敢えず、影をお戻しして」
前金に半額以上を預かった手前、このまま夕刻まで影を返さずに放置する気は、流石の店主にもないようだ。
「何時になったら気付くか、拝見させて頂きましょうかねぇ」
コキ、と肩を鳴らした店主の暇つぶしにされようとしている事に、森羅は全く気付いていなかった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【5453/櫻・紫桜/男性/15歳/高校生】
【6608/弓削・森羅/男性/16歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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初めましてのご発注有り難う御座います、闇に蠢く駄文書き、北斗玻璃に御座います。
コメディ方向で、との事で楽しく愉快に頑張らせて頂きました。
低予算で名探偵の影をご所望の段、蓋を開けばこんな事になってしまいました……別に猫耳萌えとかいうのではないですが、分かり易く猫の影響影響影響……と考え抜いた末、安易な方向に逃げたのだと思ってやって下さい(待て)
す、少しでも笑い所があればいいと、願って止みません。
それではまた、時が遇う事を祈りつつ。