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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


縁―えにし―

 静かな午後だった。
 秋も終わりにさしかかっているとはいえ、天気は雲ひとつない快晴で、太陽の淡い日差しが教室内を温かく包み込んでいる。半分ほど開かれた窓から流れ込んでくる秋風は、温められた室内にはちょうどよい涼しさで、誰もが過ごしやすそうな雰囲気を運んでくれる。
 こんな日はすぐにでも教室を抜け出して、どこかへ行きたいと思ってしまう深海・志保だったが、つい先日返された期末テストの成績の悪さに落胆しているところだった。 仕方なく、たまには授業を真面目に聞こうという心意気で、最初こそ教師の声に熱心に耳を傾けていたのだが、5時間目という昼食が終わった後の満腹感と気持ちのよさに、教師の声が今はもう子守唄にしか聞こえない。
 頬杖をつき、うつらうつらしていると、突然手にしていたシャープペンシルの芯が折れた。志保は我に返って黒板を見つめ、目を細める。黒板の文字も教師の顔も、白く霞んで見えた。これは眠気から来るものだろうか、それとも例の能力が働いているのか。睡魔にぼんやりとしていて判断が付かないでいると、机に広げてあったノートや教科書が突然吹き抜けていった突風に煽られ、ばさり、と床に落ちた。
 志保は一旦窓を見やり、それから教室全体を見渡した。机に突っ伏して寝ている者、ちゃんと授業を聞いている者。カーテンや生徒達の髪が微かに揺れて、風は確かに吹いている。だが、突風が舞い込んだような気配はなく、みんな平然と席についている。窓際の席の子の教科書やノートは、普通に机に広げてあった。
 なにかの予兆だろうか。いつのもの勘が、頭の片隅で働き始める。
 嫌な予感を察知しながら、志保は床に散乱した教科書とノートを拾おうと手を伸ばした、その時。
――助けて。
 頭の中に、すっと声が響いてきた。
 美咲?
 志保は落ちたものを拾い上げ、机の上に戻すと、目を閉じ、闇の中に少しだけ意識を集中させる。
――助けて。
 やっぱり、この声は美咲だ。志保は腕時計を見る。小学校低学年の美咲なら、この時間にはもう授業は終わっているはずだ。
「まさか、また変な現象に巻き込まれているんじゃないでしょうね」
 誰にも聞こえない程度の小さな声で呟くと、志保はさっさと鞄に必要なものを詰め込み、帰り支度を始めた。
 授業中の志保の突然の行動に、なにごとかと、教師も生徒も呆気に取られて見ている。
 志保は一斉に注がれている視線には全く動じず、席を立つと、満面の笑みで右手をあげ、教師に告げた。
「ものすごく具合が悪いので、早退しまーす」
 ちっとも具合の悪くなさそうな態度でつかつかと出入り口の傍に歩み寄ると、志保は口をあんぐり開けてこちらを見つめてくる友達に「バイバイ」と笑顔で手を振り、教室の戸をそろりと閉める。
 なんともいえない教室の中の静けさが廊下に漂っているのを背後に感じながら、志保は走って学校を去った。


 
 また高熱出してぶっ倒れたらどうすんのよ。
 どこにいるの? 志保はアンテナを張り巡らせて、全力疾走していた。
 確かに志保自身の具合は悪くない。だが、下手をすれば美咲の命が危なくなる。美咲が本当に熱を出す時は、たかが熱、では済ませられない状況に陥るのだ。赤ちゃんの時に既に高熱で1度死にかけ、3歳の頃に頻繁に倒れるようになり、5歳の時には1ヶ月ほど病院送りになった。美咲は四十度を超える熱を出したまま昏睡し、脱水症状を起こす。なにより身体が小さいから、体力が持たない。
 両親は体質的なものだと思い込んで心配しているようだが、実際のところは、悪質な幽霊が美咲の意識に入りこみ、離れないのが原因だ。薄青い火花が昏睡した美咲の身体から散るのを、志保は何度か目撃している。これは、若干霊感のある志保にしか見えないものだ。幼馴染である以上――美咲が赤ちゃんの頃からの知り合いである以上、放っておくわけにはいかなかった。
 携帯を取り出し、美咲の携帯に電話をかける。何度かかけ直すが、美咲は出ない。
「やっぱり繋がらないか」
 志保は舌打ちして、携帯を鞄の中に放り込んだ。美咲が今どんな状況に立たされているのかわからないから、不安になってくる。

 並木通りを走っていた時、ふと美術展が目に付き、足を止めた。建物と建物の間にひっそりと身を潜めるようにして、そのギャラリーはあった。恐らくは個展かなにかだろう。ギャラリーには一定の間隔で絵画が並んでいる。志保は吸い込まれるように向き直り、肩を弾ませながらそのガラス張りのウィンドウの向こうに目を凝らした。
 いつもの好奇心からではない。なにか、おかしな勘が働くのだ。頭の中がビリビリと痺れてくる。
 志保の真正面に、髪の長い女性が噴水の淵に腰を掛けている絵がある。やや横を向いて、風に煽られた銀髪を手で押さえている。銀色に光る水滴を浴びて、眩しそうに目を細めている、幻想的なタッチの絵だ。
 なぜ吸い込まれるのか、なぜ呼び寄せられるのか、志保にもわからない。この絵が意味するものはなんなのか。
 考えを巡らせていると、突然周囲の雑音がなにも聞こえなくなった。周囲の景色も霞を帯びて見えなくなっていく。授業中に、黒板が霞んで見えたのと同じ現象だ。
 今、志保がはっきり見えるのは、正面の女性の顔。
 志保の霊派と、絵から感じ取れる霊派が、意識の中でぶつかり合う。数秒の間、激しい頭痛がした。
「もしかして、あなたが美咲になにかした?」
問いかける。絵が変化する。絵の中のものが徐々に動き始める。女性の頭が動き、青い瞳が真っ直ぐに志保を捉える。志保も、女性の目を捉えて離さない。こんなことは、志保にとってはよくあることだ。今更驚くことではない。
 女性の瞳は優しく、どこまでも澄んでいた。とても悪気があるとは思えない瞳だ。
「あなたじゃないのね?」
 女性は口元に穏やかな笑みを作る。肯定の意味だと理解した。
 この人じゃ、ない。
 絵の中の女性はゆっくりとした動作で立ち上がり、髪をなびかせながら志保の左方向を指差した。口元がぎこちなく動くが、声はない。志保は口の動きを読み取る。

 ココヲ トオッタ。コウエン。

「コウエン――公園?」

 志保は女性が指差す方向を目で追った。並木道を外れて坂をあがったところに、確か大きな公園があったはずだ。美咲はそこにいるのだろうか。
 不意に、クラクションの音が耳に飛び込んできた。はっとする。周囲の音が聞こえ始める。振り返ると、さまざまな人たちがこの小さなギャラリーなど気にも留めずに紅葉に色づいた並木道を行き交っている。再び絵を見ると、女性はもう、最初見たときと同じ仕草でキャンバスの中に閉じ込められていた。
「わかった。誰だか知らないけど、ありがとう」
 礼を述べて駆け出す志保も、ギャラリーにいる人間も気付かないところで、絵の中の女性は手を振り、微笑んでいた。



 坂を一気に駆け上がり、公園に辿り着く。額に滲む汗を手で拭い、辺りを見回すと、何人かの子供達が落ち葉の舞う中で、野球をして遊んでいた。
「さあ、どこ?」
 ここには、なにかよからぬものがいる。ビシビシと、ロックを聞いたときのような重低音が頭に響き、志保の全身に波紋を広げていく。かなりの強さを持った幽霊かもしれない。
「太刀打ち、するしかないわね」
 志保は周囲に気を配りながら、二歩、三歩と歩みを進める。幽霊を感じることはできても、はっきり見ることはできないのだ。美咲の波動は今、全く感じられない。自分の勘と、張り巡らせたアンテナだけが頼りだ。
「武器……なんか武器ないかな」
 美咲とは違い、変な霊が近づいてくる予感がすれば即座に逃げるほうではあるが、以前ピンチに追い込まれたとき、素手で霊を殴り倒したことがある。見えはしないのに、なにか変な感触が拳に伝わってきた。自分には、霊を触れる能力があるのだと最近気がついたところだ。
 素手よりも武器があったほうが倒し甲斐があるかも、と志保は閃いて野球をしている子供達のところへ近づく。
「ねえ、君たち」
 志保は有無を言わさぬ態度で、手を差し出した。
「バット貸してくれない?」
 志保の目は据わっていた。子供達は恐れおののいたように、すごすごとバッドを志保に渡した。
「すぐ返すから。じゃあね」
 志保はバットを手にすると、公園内を走った。太陽に反射した噴水のずっと向こう、ベンチの横の緑色のフェンスに、小さく見覚えのある後姿を確認する。
 あの制服、髪型は美咲に違いない。美咲はなにをしているのか、フェンスにへばりついている。
「もしかして、幽霊にひっぱられているんじゃ……」
 呟いた時、美咲はなにかに弾かれたかのように、身体がフェンスから離れ、転がり落ちた。
 志保は物凄い勢いでフェンスまで突っ走り、感じ取った幽霊の居場所へ向けてバットをスイングさせた。
「美咲に近づくんじゃないわよ! このアホ幽霊!」
 宙を切る音と共に、ぐにゃりとした変な感触が腕に伝わってくる。命中した。
「あ……あーああ」
 美咲の間延びした声が聞こえてくる。振り返ると、美咲は尻餅をついたまま、平然と空の遥か彼方を見上げていた。美咲には幽霊の行く末が見えているのだろう。
「今ので確実に昇天しちゃったよ。幽霊、殴られてムンクみたいな、凄い顔してたよ。可哀相に」
 美咲は「どっこいしょ」と立ち上がる。制服のスカートをはたき、両手についた砂をパンパンと払い落とす。
 なんともなさそうな美咲の様子に志保は一瞬唖然とし、次の瞬間美咲の肩を掴んでがくがくと揺さぶった。
「可哀相にって、そんなこと言ってる場合じゃないでしょうがっ。怪我は? 熱は? 幽霊に絡まれてなんともないの?」
 美咲はほえ? と首を傾げる。
「ほえ? じゃなくて! 授業中聞こえたのよ、あんたの声が。『助けて』って二回! また高熱出してぶっ倒れてんのかと思ったでしょー!」
 美咲はうるさそうな表情で両耳に人差し指を突っ込み、「あー、違う違う」と首を振った。
「絡まれたんじゃないの。そこのベンチでアイス食べてたら、フェンスの網に手を突っ込んだままの幽霊がいて、『助けて』って言われて。幽霊の手が抜けなくなって困っていたのを手伝おうとしてたら、予想以上に重くて、ひっぱりきれなくて、私もつい『助けて』と」
 それが聞こえちゃったんだねー、と笑う美咲に、志保は茫然と立ち尽くしていた。
「せっかく真面目に授業受けてたのに、抜け出してきちゃったじゃない!」
 叫ぶ志保に、美咲はニヤリと笑った。
「そんなこと言って、しぽしぽ、また寝てたんじゃないの?」
 図星を指されたことは都合のいいように無視し、志保は美咲のわき腹を小突く。
「その呼び方やめなさいってば」
「じゃあ、しぽりんとしほっち、どっちがいい?」
「志保様とお呼び」
「志保、さまさまだね」
 バットと志保を見比べ、美咲は駄洒落を言う。このやろ、と美咲の頭に拳骨を食らわそうとした時、「でも」とトーンダウンした美咲の声が聞こえてきた。
「ありがとね。私だけじゃどうにもならなかったかも」
 クールさも皮肉もなく、優しい口調で言う美咲に、こんな風に会話ができてよかったという思いが込み上げてくる。とりあえず、美咲は無事だった。
 美咲はいたずら小僧のように目を輝かせ、志保の背中を叩いた。
「私の声がしぽりんに聞こえちゃうのも、しぽしぽの近くに生まれたのも、なにかの縁(えにし)だと思って諦めてよ。きっと意味があるんだろうから」
 もう諦めていると言いたかったが、志保は口には出さない。余程前世での因縁が強かったのだと、そう思うしかない。
 志保は美咲の居所を教えてくれたあの絵の中の女性を思い出した。
「ね、ここ来る途中に小さな個展が開かれてたんだ。これから見に行かない?」
「えー、興味ない」
 美咲はきっぱりと言い放つと、志保の制服の袖を引っ張った。
「それより、ジェラード食べにいこ!」
「またアイス? 太るよ?」
「いいの、いいの。ここはひとつ、お礼に奢るよ」
 仕方ないか、と呆れ混じりに志保は微笑み、今度学校帰りにでも一人であの個展を見に行こうと思った。あの女性に、お礼を言いに。そして今度はゆっくりとギャラリーの中を鑑賞しよう。あそこであの女性に出会えたのも、ひとつの縁なのだろう。
 バットを返し、はしゃぎまわる子供達の声を背に公園を出ると、美咲は走り出す。さんさんと降り注ぐ太陽の光を全身に浴びて立ち止まり、志保はめいっぱい深呼吸をした。
 
 この先なにが起こっても、いつまでも元気でいられますように。
                             
                             <了>