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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


暴筆手蹟



 店の前に曰くつきの品が放置されるのは、碧摩蓮にとってけして珍しいことではない。
 またか、という感じでそれを手に取り、店の中に持ち込んで中身を見る。
 螺鈿細工の施された箱に入った、高価そうな万年筆。おそらく特注品なのだろう。金色のクリップに何やら文字が刻まれているが、かすれてしまっていて読めない。
 書き心地はどんなものだろうと、蓮は手近のメモ用紙を引き寄せてキャップを外す。
 途端、腕がぐいっと引っ張られて勝手に文字を綴った。

  あたしが退屈しないような面白い品がたくさん流れ込んでこないかねえ。

 そう書き終えて、万年筆はころりと転がる。
「……これはまた妙な物が舞い込んできたもんだね」
 言って、蓮は愉快そうに唇の端を引き上げた。



 『スルメ食べたい』

 くだんの万年筆をくわえた黒猫が、ミミズが這うような文字を記した。それを見て、陸玖翠は懐に手を差し入れる。まるで当たり前のように彼女はそこからスルメを取り出し、七夜に与えた。
 猫にスルメは有毒だから与えてはいけないとか、どうして式の七夜が食べ物を欲したりするのかとか、そもそも翠はいつも懐からあれこれ取り出して見せるが、それは一体どういう仕掛けなのか、などといちいち口にするのも愚かに思えて、蓮は黙ってその様子を眺める。
 万年筆の謎を解く為に呼び寄せた彼女。てっきり「面倒だ」と億劫がりつつ渋々やって来るだろうと思っていたのに、声をかけてみたら、翠は実にあっさりと店まで足を運んでくれた。
 翠は万年筆を見るなり、それが『書き手の無意識下の思考を読み取ってランダムに記す』ものだと見抜いた。本当は手にした者の心中を全て暴くよう作られたはずなのに、術が失敗してこうなったのだろうと彼女は言う。
「何だ、失敗作なのかい。つまらないねえ」
 残念がる蓮に、翠は「困った奴だ」と言わんばかりの顔で答えた。
「何を言う。そんな物騒な品、私なら、見た瞬間に壊すぞ」
「何でさ?」
「心は、各々が持てる唯一無二の聖域。それを暴き立てるなど無粋もいいところだからだ」
 それは確かにそうなのだが、聖域だからこそ蹂躙したいと願う者はきっとこの世に溢れている。もしもそんな物が世に出たらと想像するのは、不謹慎ながら愉快でもあった。
 蓮はそういった品に人々が振り回されるのを眺めるのが好きなのだ。人によって作られ、人の手で使い古され捨てられ壊されていく道具が、まるで人間に復讐をしているように思えておかしくてたまらない。
 そんな心情を正直に話す蓮に、翠は鉄面皮を崩し、困ったような顔で小さく笑った。
「蓮、おまえも退屈してるな?」
「でなきゃ、捨てられた物にいちいち構うもんか」
 答えて蓮は気づく。おまえも、という言い方をするところを見ると、退屈していたのは翠も同じらしい。
「人間、暇だとロクなことを考えないな」
 苦笑するように言い、翠が万年筆に手を伸ばしかけた時、ドアベルがちりんと鳴った。
 戸口に立っていたのは草間武彦だった。おや、と翠が軽く目を見張る。
「どうした? 仕事中じゃなかったのか?」
「片付けてきた。……で、人の心の中を読む万年筆とやらは?」
 会話から察するに、蓮が翠を呼びつけた時、どうやら彼女は草間の側にいたらしい。
「心の中を読むと言うほど大した物じゃない。……興味があるのか?」
 言外に意外だという響きを含ませて、翠は草間に万年筆を示す。草間は大仰に肩を竦めて見せた。
「いいや。心中ってのは秘めるものであって、露出させるものじゃないだろう?」
 どうやら翠と草間は同じ考えの持ち主であるらしい。蓮はわざとつまらなさそうに溜息を落とす。
「何だい。どいつもこいつも堅いね。もしもそんな品があったら世界をひっくり返してやれるのに、とは考えないのかい?」
「誰がそんな恐ろしいことを考えるもんか」
 即答する草間の語尾に、翠の「そう思わないでもないが」という呟きが重なる。草間の顔から表情が消えた。
 それに気づいたふうもなく、翠は「面倒だからそんな大層なことをしようとは思わない」と淡白な口調で言い切る。草間が安堵に近い表情を浮かべたのを、蓮は見逃さなかった。
「蓮、まさかとは思うが、この品をそういう風に改造しろなどとは言わないだろうな?」
 釘を刺すような口調で先手を打たれてしまっては頷けない。蓮は諦めて首を横に振る。
「いいや。でも、このままじゃどうにも中途半端で、使い道もなさそうだとは思うね」
 そうか? と異論を唱えたのは草間だった。
「人間、自分が無意識に何を考えて何を望んでるかなんて案外分かってないもんだ。自分の気持ちを決めかねて迷ってる人間にこの万年筆を握らせてみれば、少しは迷いもなくなるんじゃないか?」
「そういう使い方もあるな。私は武彦のアイデアに賛成だ」
 二対一では分が悪い。蓮は半ば不承不承、彼らの意見を容れるよりなかった。内心で溜息を落とす蓮に背を向け、翠が草間に向き直る。
「で、さして興味もない品を見に、ここまで足を運んだ理由は何だ?」
 正面から問われ、何故か草間は返答に詰まる。別に理由と言うほどの理由は、などと呟く草間の手に、蓮は悪戯心を起こして例の万年筆を強引に握らせてやった。途端、彼はそれに手を引かれて短い一文を記す。

 『翠が退屈してたから』

「おや、まあ」
 意地の悪い笑顔を浮かべて蓮は言う。
「お優しいこと。たったそれだけの理由でわざわざ仕事を片付けてまで……ねえ」
 意味ありげな蓮の口調と視線の意味を計りかね、翠も草間も怪訝な表情のまま顔を見合わせている。
「まるで、好きな女に『会いたいから来て』って言われて飛んできた男みたいじゃないか」
 からかうようにそう言ってやると、翠は理解不能だと言わんばかりに柳眉を寄せ、草間は大きく首を傾げた。
「待て、蓮。ちょっと聞きたいんだが、もしおまえが男だったとしたら、こいつに惚れるのか?」
 至極不思議そうに翠を指さす草間の前で、蓮もまた首を傾げる破目になった。そう問われてもうまく想像がつかない。翠が男なら惚れるか、と問われるほうがまだしもだ。
「失礼な奴らだ」
 苦笑するふうに翠が言う。ちゃんと目が笑っているところを見ると、どうやら本当に不快に思っているわけではないらしかった。
「おまえだって、蓮が男だったら惚れるかと訊ねられても答えられないだろう?」
「まあ、それはそうだが」
 草間の問いに、翠は素直に頷く。遠慮も忌憚もあったものではない会話だ。蓮も苦笑するよりなかった。
「ちなみに暴かれる前に正直に話すなら、俺がここへ来たのはその万年筆に興味があったからじゃなくて、それを手にした翠が何を書くのかに興味があったからだ」
 諦めたような口調で草間は言う。それは蓮も同じだったので、期待を込めた目を翠に向けた。彼女は友人達の物見高い性格に呆れたような顔をしながらも、ためらいなく万年筆を手に取る。
「変な事に興味を持つんだな。私の書く事と言ったらせいぜい……」
 言い終えないうちに翠の手がぐいっと引かれ、一番近くにあった空白──草間のシャツに奇妙なものを描く。それは、翠が使う呪符の模様に似ていた。
「あ」
 翠が「しまった」とでも言いたげな表情を浮かべた時には、草間の体はシャツから飛び出した鋏のようなものに捕らえられ、檻の中に閉じ込められていた。
「……何だ? これは」
「すまない、武彦」
 片手で拝むような仕種を見せ、翠は笑いを噛み殺す口調で答える。
「実は先日から、新しい術の開発中でな。私は前線型で、敵の足止めをしたり捕縛したりする術のレパートリーが少ないから。……失敗続きで諦めかけていたところだったんだが、まさかこんな形で完成するとは」
 蓮は翠と一緒に、しげしげと草間の姿を眺めた。大の男がちんまりと、鳥籠の鳥よろしく檻に閉じ込められている姿は、なかなかに滑稽で笑いを誘う。
「いい光景じゃないか。このままこいつをうちの店で売っちまおうかね」
「それはいい。何なら私が買ってやろうか?」
「……冗談はそれくらいにして、こいつを何とかしてくれ」
 草間は鉄格子を掴んで揺らそうとするが、堅牢な檻はぴくりとも動かない。翠が困ったように言った。
「そうしてやりたいのはやまやまだが、完成したての術だから、私にもすぐには解呪できない。ちょっと待っていろ」
 蓮から普通の万年筆と紙を借り受け、翠は店の片隅に置かれたテーブルにつく。どうやら解呪の符を作ろうとしているらしい。
 草間は深々と溜息をつき、格子にもたれて檻の中に座り込んだ。蓮はニヤニヤしながらその姿を見下ろして言う。
「囚われの探偵ってのも結構、絵になるもんだ。いい眺めだねえ。本当にこのまま売り物にしたい気分だよ」
「くそ。俺の周りの奴らは何でこう、どいつもこいつも物騒なんだ。どうして自分がおまえ達と一緒にいるのか、時々分からなく時があるぞ、俺は」
「そんな時こそ、これの出番って事だね」
 言って、蓮は檻の中に例の万年筆とメモ用紙の束を放り込んでやった。翠が呪符を作る間の暇つぶしくらいにはなるだろう。
 手持ち無沙汰の草間は、退屈しのぎとばかりに文字を綴った。時々ひらりと檻の外に落ちてくるそれには、「腹減った」だの「いい加減、怪奇系の依頼とは縁を切りたい」などというたわいもない事が書かれている。
 紙の無駄遣いだからそろそろ取り上げるべきかと蓮が思い始めた頃、ようやく翠が立ち上がった。
「できた。待たせたな、武彦」
「……早く出してくれ」
 言いながら、草間は今や檻の底を埋め尽くすまでになった紙の一枚をくしゃりと握りつぶし、上着のポケットに突っ込む。
 翠が出来上がったばかりの符を格子に貼り付けると、それだけで檻は溶けるようにして消えてしまった。やれやれ、と呟いて立ち上がった草間の周囲に散乱したメモの山から、翠は一枚を拾い上げて読む。
「何だ。食事も摂らずに来たのか?」
 腹減った、と書かれた紙をひらひらさせながら問う翠に、草間は肩を落として答えた。
「今、素寒貧なんだ」
「依頼をこなしてきたところなんだろう? 依頼料はどうした?」
「人海戦術を使ったから、手伝ってくれた奴らにギャラを払って、滞ってた公共料金の支払いを終わらせたらなくなった」
 何ともお寒い話である。この男、事件を無事に解決することを重視しすぎるあまり、採算を度外視するきらいがあるから儲からないのだ。そういう性格の草間だからこそ、ひっきりなしに依頼が飛び込んでくるのだろうけど。
 翠が苦笑を浮かべる。呆れたような、それでいてどこか慈しむような。
「仕方がないな。一食奢ってやろう」
「何だ? 閉じ込めた詫びか?」
「いいや。新しい術の実験台になってくれた礼だ」
 草間はひどく嫌そうな顔をしたが、それでも空きっ腹に馳走の誘いを受けては抗えなかったらしく、愛想に乏しい挨拶を残して店を出て行く翠のあとに、素直に従った。
 その草間のジャケットから、さっき握り潰したメモ用紙が音も立てずに落ちた。彼はそれに気がつかず、そのまま行ってしまう。
 蓮は紙屑を拾い上げ、広げて見る。そこにはこう書かれていた。

 『翠が退屈すると不安になる』

 それをしばらくまじまじと眺め、蓮は『翠が退屈していたから来た』という草間の言葉の真意をようやく理解した。
 おそらく草間は、永遠の命を持つ彼女がこの世に飽いてしまうことを危惧しているのだ。
 もしも翠が生きることに倦んでしまえば、その辿る結末として真っ先に思い浮かぶものは二つ。
 その強大な力を以て、自身に苛烈な刃を向けるか、もしくは──退屈な世界の方を消し去ってしまうか。
 勿論、彼女は普通ならそんな真似は絶対にしない。けれど、あまりにも長すぎる時間は、人を変える力を持っている。
 気が遠くなるほど永い生に歪められ、翠が変節してしまう可能性が皆無だとは誰にも言い切れない。それほどに、永遠というものは人の手に余る。
 今まで、誰にも語り尽くすことのできない孤高の生を歩んできた翠。草間は彼女の為に今日、この店までやって来たのだ。
 翠が少しでも長く、この世界に愛着を感じていられるよう配慮して。
「……なあんだ」
 蓮は白い紙片の中に屈み込み、笑みをこぼす。
「武彦、あんたもあたしと同じだったんだね」
 翠が異性だったら惚れるか、と問われても返答に困るが、彼女が彼女のままであり続けていてくれるなら 命のある限り、その孤独な魂に寄り添いたいと願っている。
 いや、そう願っていたことに、蓮自身、今ようやく気がついた。草間の言う通り、本当に人間は、己の本当の望みなどはっきりと自覚していないものなのかもしれない。
「人間、暇だとロクなことを考えない、か……」
 呟いて、蓮はニヤリと笑う。
 さて、次はどんな品で彼女のポーカーフェイスを崩してやろうか。そう企む事が存外に楽しい事を、蓮は再認識した。
 そんなささやかな日々が翠を、蓮や草間達の傍に繋ぎ止めてくれるのならば。





■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【6118/陸玖・翠(リク・ミドリ)/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師】