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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


魔法実験室にて

 その日、シリューナ・リュクテイアは珍しくファルス・ティレイラを魔法薬屋の奥の実験室に入れ、実験の手伝いをさせていた。
 手伝いといっても、それほど難しいことではない。用意した紙や石板に、シリューナが命じたとおりの呪文を書き込むとか、必要なものを棚の中から取って来るとか、そういった程度の、ようするに雑用のようなことだ。高度な技術が必要だったり、なんらかの危険を伴うような実験のおりには、むろんのことティレイラをこの部屋に入れるようなことはしない。
 今日の実験は、半分は暇つぶしのようなもので、数日前にふと思いついたことを実行に移してみているだけのものだった。
 もっとも、それでも最初、実験を手伝ってほしいと告げるとティレイラは目を輝かせた。
「ほんとに私がお手伝いして、いいんですか?」
「ああ。今日の実験は、危険もないし……用意するものが多いから、一人でするより効率もいいだろう」
 シリューナがうなずくと、彼女は小躍りして喜んだものだ。
 それも無理はなかった。実際、今までシリューナが彼女を実験室に入れたのは、数えるほどしかないのだから。
 しかしながら、時間が過ぎるうち、ティレイラは次第に退屈し始めたようだ。やっていることがほとんど雑用だというのもあるが、彼女には実験の内容自体を説明していない。
(やはり、どういう実験かぐらい、説明しておくべきだったかな)
 隅の棚から、言われたとおりの容器や紙などを取り出しつつ、あくびをかみ殺している彼女を目の隅で見やって、シリューナは胸に呟く。
 ちなみに、実験は別々の効果のある二つの治癒魔法を融合させ、そのどちらにも効くものができないだろうか、というようなものだった。絶対的に求められているというものではなく、あれば便利だという程度のものだが、うまく行けばそれはそれで、需要もあるかもしれない。
「ティレ」
 今更だが、一応それについて説明しようと、シリューナはそちらをふり返った。だが、次の言葉を口にしかけて、一瞬息を飲む。
 ティレイラは、棚の傍にまるで姿見のように据えられている巨大な石板を、興味深げに手のひらでぴたぴたと叩いていたのだ。石板の表面には細かな模様がびっしりと彫り込まれている。実はこれは、呪文の一種だ。つまりこの石板は魔法道具なのである。
「ティレ、それには触るなと――」
 シリューナが言いかけた時には遅かった。
「きゃっ!」
 石板の表面に一瞬、青白い稲妻が走り、ティレイラが小さな悲鳴を上げる。彼女は石板から手を離そうとしたようだが、その時にはすでに、それは離れなくなっていた。
「お、お姉さま〜。手が、離れません〜」
 ティレイラは、情けない声を上げて、シリューナに助けを求める。しかしシリューナはすぐに我に返って溜息をついた。
「どうやら、ティレがでたらめに石板に触れたせいで、誤作動してしまったようだな。……しかたない。あきらめて封印されろ。大丈夫だ。封印の効果はそう長くは続かない」
「そ、そんな〜」
 ティレイラは、非情な彼女の言葉に、半ばべそをかきながら情けない声を上げる。
 その間にも、ティレイラの体は徐々に石板の中へと吸い込まれて行きつつあった。
 この石板は、この中に指定したものを封印する力を持っているのだ。表面に刻まれた呪文のどれに、どんな順番で触れるかによって、封印するものや方法、封印する期間などを指定することができる。
 シリューナは、ティレイラをここへ入れた時に、誤作動を起こす可能性があるので、むやみと触れないように忠告したはずだった。つまり、今の状況はティレイラの自業自得だ。それに、言ったとおり、封印される期間はそう長くはない。一旦封印されれば、ものの三十分もあればそれは解除されるだろう。
(それまで、私はゆっくり可愛いティレの封印姿を楽しませてもらうとするか)
 シリューナは、胸の中でそんなことを呟いた。
 その間にも、ティレイラの体はじわじわと石板の中へ吸い込まれて行く。もう肩のあたりまでが、すっかり石板の中へともぐり込んでしまっていた。
「お姉さま、私、この石板に吸い込まれたら、どうなっちゃうんですか? 息ができなくなって、まさか死んじゃうとか。それとも、すごーく苦しいとか?」
 ティレイラはそんな自分の体を見て、半ばパニックになったようにそんなことを言いながら、なんとか石板から腕を引き抜こうともがいている。
「大丈夫だ。死ぬようなことはないし、痛いことも苦しいこともない。むしろ、そうやって無駄にもがく方がひどいことになるかもしれないな」
 シリューナは、胸の前で軽く腕を組んで、そんな彼女と石板を見やりながら返した。
「第一、可愛いティレがそんなひどい目に遭うのを、この私が放っておくわけがないだろう?」
「そ、それはそうですけどー。でも、やっぱり恐いです〜」
 そう言う間にも、ティレイラの体は更に石板に吸い込まれて行く。
 やがて頭も大半がその中に埋もれてしまい、彼女は声を出すこともできなくなった。ただ、残った左手だけが、助けを求めるようにひらひらと動いている。しかしそれも、ほどなく石板に吸い込まれ、彼女の姿は完全に消えた。
 一人取り残され、シリューナは腕を組んだまま、石板を見据える。その表面に刻まれていた細かな模様は消え、かわりにそこには少女の姿がレリーフと化して浮かび上がっていた。むろんその少女とは、ティレイラだ。
 レリーフと化したティレイラは、大きな丸い目をぽかんと見開き、唇も何か言いたげに半開きにされている。それは何かに驚いた瞬間のようでもあるが、見ようによってはずいぶん間の抜けた表情でもあった。
「相変わらず、ティレは可愛いな」
 小さな笑いと共にそんな呟きを漏らすと、シリューナはそちらへ歩み寄った。組んでいた腕をほどき、手を伸ばしてそっと、レリーフになったティレイラの頬に触れる。そのまま指先は彼女の目を鼻を唇をなぞり、顎の線や細い首をなぞっていく。それからシリューナは、そっと指先をレリーフから離した。
「思いがけない楽しい時間だ。封印が解けるまで、じっくり堪能するとしよう」
 満足げに微笑みつつ呟いて、彼女は手早くお茶の支度を整えると、石板の前に実験用の机から椅子を一つ持って来てそこに陣取った。そのまま、お茶をゆっくりと楽しみつつ、目は石板の上のレリーフから離れない。
 動いてしゃべっているティレイラも、もちろん愛らしく可愛い存在だ。しかしこんなふうに石化して動かなくなった彼女の姿を眺めるのが、シリューナは好きだった。こうやって静止しているがゆえにこそ見つけることのできる愛らしさ、というものもあるとシリューナは思っている。そしてそれは、今このような瞬間にしか味わうことができないものだ。
 一方で彼女は、しんと静まり返った室内に、どこか物足りなさを感じてもいる。ほんの少し前まで響いていたティレイラの声が聞こえないことが、その原因だ。
 シリューナは、紅茶の最後の一滴を飲み干しながら、脳裏にティレイラの笑顔と自分を呼ぶ明るい声をよみがえらせる。
 空になったカップを、彼女が膝の上のソーサーに置いた時、石板の表面に描かれたレリーフが、ふいに色と立体感を持った。
(タイムリミット、か)
 小さく口元をゆがめて、シリューナは胸に呟く。
 それとほぼ同時に。
「いった〜い!」
 重い荷物が床に投げ出されるような音と共に、ティレイラの賑やかな声が響いた。レリーフから元の立体的な姿に戻ったせいで、床に投げ出される格好になったのだ。
「大丈夫か?」
 シリューナは立ち上がるとカップを椅子の上に置き、そちらに歩み寄って声をかけた。
「お姉さま……」
 身を起こし、床に座り込んだままこちらを見上げるティレイラに、シリューナは身を屈めてにっこりと笑いかける。
「石板に封印された気分はどうだ?」
「い、いいわけないです! お姉さまったら、ひどいです〜!」
 石板から解放されて、ちょっと呆然としていたティレイラも、これで我に返ったようだ。たちまち声を上げる。そのまま、握った拳でしゃがんだシリューナの膝をポカポカと殴るが、当然ちっとも痛くなどない。
「こらこら。悪いのはティレだろう? 私の忠告を守らないから」
 思わず笑い出しそうになるのをこらえて、シリューナは厳しい顔と声を作って言った。
「だって……。実験のお手伝いができるっていうから私、すごくはりきっていたのに、お姉さまったら、雑用しかやらせてくれないんですもの……。私、つい退屈しちゃって……」
 悄然としてティレイラは床に視線を落としながら、そんなことを訴える。
「わかったわかった」
 シリューナは、いじめるのはもうこれぐらいにしておこうと決め、うなずく。だが、最後に釘を刺すのも忘れなかった。
「ティレが退屈したのはわかるが、この石板は本当に扱い方を間違えると恐いものなんだ。もし封印期間が長かったりしたら、こんなに簡単に元に戻ることはできないだろう。私はその恐さをティレに知ってもらいたかったんだ」
「お姉さま……」
 ティレイラは、改めて小さく目を見張る。以前から、シリューナが彼女をあまりこの実験室に入れないのは、危険な魔法道具や魔法薬も置かれているからだとは話してあった。それを思い出したのだろう。
「……ごめんなさい」
 ややあって、悄然と頭を垂れて小さな声で言った。
「わかればいい」
 シリューナは、その頭を小さな子供にするように、ポンポンと軽く叩いた。そして手を貸して立ち上がらせると言う。
「それよりも、台所に行ってお茶にしないか。昨日、久しぶりにパイを焼いたんだ」
「え? 本当ですかー?」
 パイの一言に、ティレイラはうなだれていたことも忘れたように、顔を上げた。
「ああ」
 うなずいて、シリューナはその肩を抱くようにして部屋の戸口へと歩き始める。ティレイラもそれに従いながら、目を輝かせて更に尋ねた。
「なんのパイですかー?」
「かぼちゃだ。今が時期だからな」
「うわー。楽しみですー」
 シリューナの答えに、彼女の笑顔は満面のものになる。
 それを見やりながらシリューナは、石化したのもたまらなく可愛いが、こうしてくるくると表情を変えながらしゃべる彼女もやっぱり可愛いと、しようのないことを考える。
 かくて魔法実験は途中で放り出され、シリューナとティレイラは台所で二人だけのお茶の時間を過ごすことになったのだった――。