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草間武彦行方不明事件 その3
新宿へ出かけた草間武彦と零。その途中で立ち寄った「諏訪の文化」と称する展示会で草間は「知り合いに似た人間を見た」と零に告げ、その翌日、忽然と姿を消した。まったく連絡もなく、いつまでも帰ってこない草間を心配し、零はその行方を調べ始める。
調査の結果、草間が長野県諏訪地方へ向かったことを知った零は、その後を追いかけるように上諏訪へと向かう。草間が上諏訪駅から、高島城の近くにあるレストランへ行ったことを掴み、店を訪れて店主とおぼしき女性から話を聞いた零は、女性の言葉に疑問を感じる。
もしかしたら、この女性は草間が行方不明になっていることと、なにか関係しているのかもしれない。
そう考えた零は、店が終わるのを待って女性を尾行することにした。しかし、自宅とおぼしきマンションにたどり着いた瞬間、激しいスキール音を響かせながら1台のワンボックスが女性の行く手を塞ぐように止まった。後部のドアがスライドして開き、車内から2人の男が飛び出してきたかと思うと、突然の出来事に驚き、抵抗する女性を車内へ引きずり込み、荒々しくドアを閉めて発進した。
零は女性が拉致されようとしているのだと判断して、そのワンボックスを追跡することにした。
草間が追いかけていた知り合いとは誰なのか。
なぜ、草間はなんの迷いもなく諏訪を訪れたのか。
女性と草間の関係とは、いったいなんなのか。
そして、その女性を拉致しようとする男たちは何者なのか。
ワンボックスは深夜の道路を西へ向かっていた。諏訪インターチェンジの裏手を走る道路は狭く、深夜であるせいか交通量も少ないため、尾行を続けるのに細心の注意を要した。しばらく中央自動車道路と平行して山手を走り、ワンボックスは「豊田有賀」という交差点を左折すると、伊那方面へ続く峠道に入った。
有賀峠と呼ばれる諏訪と伊那を結ぶ峠道は拡幅され、綺麗に整備されていたが、さらに交通量は減り、街灯すらなく、距離を置いても、後ろに車がついていることはワンボックスに知られていると思って間違いないようだった。ワンボックスのテールランプを遠くに見つつ、300メートル以上も離れてシュライン・エマは峠道を登った。
峠の頂上に差し掛かったところで、不意にワンボックスが道の脇に寄った。そこは路肩が広く取られ、道の脇に電話ボックスが設置されている。近くには「諏訪ゴルフ倶楽部」という大きな看板が立てられているのが見えた。
一瞬、尾行が気づかれたのかと思ってシュラインは肝を冷やしたが、どうやらそうではなかったようだ。ワンボックスの助手席から降りた男が、電話ボックスへ入ろうとしているのが通り抜けざまに確認できた。頂上付近に車を止めれば、男たちに不審がられると判断したシュラインは、そのまま頂上を通り過ぎ、伊那側へ少し下りたところにあるチェーンの脱着場でUターンすると、その場に車を停止させた。
「弱ったわね」
暗い車内でポツリと呟いたシュラインに、助手席に座る草間零が視線を向けた。シュラインは後部座席に置いていた地図に手を伸ばし、ルームランプを点けると改めて付近の道路を確認した。
辺りにはいくつか山道があるようだが、主な道は3つ。1つはシュラインが通ってきた諏訪と伊那を結ぶ諏訪‐伊那線。もう1つは有賀峠の頂上から諏訪ゴルフ倶楽部のほうへ入り、諏訪湖方面へ戻る道。最後はやはり有賀峠の頂上から諏訪ゴルフ倶楽部とは反対の方向に入り、部落の中を通って箕輪ダムのほうへ抜ける道だ。
男たちが、どこへ向かおうとしているのか、シュラインは考えた。電話ボックスに入ったということは、どこかと連絡を取ろうとしていたのだろう。もしかしたら、電話の相手は別の場所で待機している仲間かもしれない。山の中であるせいか、この辺りは携帯電話の電波状態が悪い。そのために公衆電話を使用せざるを得なかったのだ。
仮に、男たちが伊那側へ下りてくるとするなら、あの場所で電話をかける必要はないはずだ、とシュラインは思った。確かに車の通行はほとんどなく、周囲に人家もないため、誰かに目撃される恐れは少ないが、それでも万が一ということも考えられる。伊那側へ向かうのなら、電波状態が回復したところで携帯電話を使えば良い。
女性を車内に連れ込んだ時の状況から考えて、あの男たちが素人とは思えなかった。犯罪のプロであるかは定かではないが、少なくとも荒事に慣れた連中であることは間違いない。そうした人間が、愚にもつかない危険を冒すとは考えられなかった。
つまり、あの電話ボックスから、そう遠くないところに電話の相手がいる、とは考えられないだろうか。それは女性を監禁するために用意された場所で、男たちの帰りを待っている仲間だと推測するのは、いささか強引だろうか。
「ねえ、零ちゃん。ちょっと、お願いがあるんだけど」
「なんでしょう?」
シュラインは自分の推測を零に話した上で、空から車を追跡できないかと提案した。霊鬼兵である零ならば、空を飛ぶことができる。通常の尾行では相手に感づかれる可能性が高いため、それならば空から追跡すれば良いと考えたのだ。
「わかりました。やってみます」
零は快くシュラインの提案に応じた。車から降りた零は音もなくフワリと浮き上がった。
「気をつけてね」
どこか心配そうに見つめるシュラインにうなずき、零は霊気の翼を発生させながら音もなく夜空へ舞い上がった。
零が有賀峠の頂上付近に着いた時、公衆電話の近くにいたはずのワンボックスはいなくなっていた。しかし、零に焦りはなかった。凄まじい速さで峠全体を見渡せる高度まで上がると、移動する物体がないかを上空から探した。
そして、それはすぐに見つけることができた。かなりの速さで峠から離れて行く1つの光があった。その光は箕輪ダムのほうへ向かっており、木々の合間からチラチラと光が覗いていた。光がワンボックスのライトであることがわかる高さにまで降下した零は、一定の距離を保ちながら追跡を開始した。
車は部落を抜け、箕輪ダムのほうへ向かっていたが、途中の舗装すらされていない沢伝いの林道へ入り、しばらく進んだところにあった小屋の前で止まった。
まず運転席と助手席のドアが開き、二人の男が姿を現した。周囲を警戒しながら小屋へ近づき、扉をノックして声をかけると、小屋の中から別の男が出てきた。男たちは言葉を交わし、運転席から降りた男が車に向けて合図を送った。それを受けて後部座席のドアが開き、男に引きずられるようにしながら女性が車から出てきた。
女性は特に抵抗も見せず、男たちに連れられて小屋へ入った。小屋から出てきた者も含めて男は5人。小屋はプレハブに毛が生えた程度の代物だが、そこそこの大きさで10畳ほどの広さはあるように思えた。音を立てないように小屋の近くに降りると、零は窓を覗き込んで室内の様子を確認しようとした。
部屋の中では椅子に座らされた女性が4人の男に囲まれていた。尋問を受けているようにも見えるし、仲間と話しているようにも見える。男の1人は入口の近くでどこかに電話しているようだった。使っているのは携帯電話ではない。以前、テレビの情報番組で見たことのある衛星回線を利用した電話機に似ている、と零は思った。
室内に武器は見当たらなかった。もしかしたら、男たちが拳銃を装備しているかもしれないが、その程度ならば大丈夫だと零は判断した。男たちの人相、小屋の場所と道順などを頭に叩き込み、零は再び上空に舞い上がるとシュラインの許へ戻った。
「そう……」
戻ってきた零から話を聞いたシュラインは、女性が本当に拉致されたのか、あるいは男たちの仲間なのかを思案した。あの女性が草間武彦の失踪に無関係とは思えないし、この拉致にしてもタイミングが良すぎると言えた。まるで零とシュラインが訪れるのを待っていたかのようなタイミングで起きている。ワンボックスを追跡している者の有無を調べることによる、草間を捜している人間を炙り出すための工作ということも考えられる。
だが、見方を変えれば、草間の正体を聞き出すために、女性を拉致したという可能性も充分にあった。なんらかの原因で草間の存在が目障りになった何者かが、その正体を知ろうとしているのだ。それは新宿で草間が見かけたという男だろうか。
しかし、草間の言葉を信じるならば、その男は草間の知り合いである可能性が高い。そんな人間が草間の正体を調べたがるとは思えない。それなら、女性と一緒にいる5人の男は何者なのか。あの5人の中に草間が見かけた男はいるのだろうか。答えは出なかった。女性は男たちの仲間のようにも思えたし、そうではないようにも感じられた。
「零ちゃん、どうしたらいいと思う?」
ため息混じりにシュラインは訊ねた。
「わたしは、あの女の人を助けるべきだと思います。確かに、お姉さんの言うように罠かもしれませんけど、そのときはそのときです。なんとかなりますよ、きっと」
「そうね。零ちゃんの言うとおりだわ」
零の言葉に後押しされたわけではないが、確かにこのままあの女性を見捨てることはできない、とシュラインも感じていた。これが本当に罠だとしても、それがわかってから対処できるはずだ。だが、このまま女性を放っておけば、もしかしたら女性は男たちに殺されてしまうかもしれない。それを考えると、やはり無視することはできなかった。
シュラインはエンジンをかけ、有賀峠の頂上へ向けて車を走らせた。頂上付近にある道を右に入り、そのまま箕輪ダム方面へ暗い道を進んだ。やがて、零の案内で沢沿いにある細い林道の手前で車を止め、そこからは小屋まで歩くことにした。
シュラインが肩から提げたバッグの中には、小さな懐中電灯が入っていたが、それを点けることもなく、2人は暗くデコボコしていて足場の悪い道を歩いた。月明かりだけが周囲を照らし、辺りの光景がぼんやりと浮かび上がるように見えた。沢を流れる水音が2人の足音を消してくれていた。
車を降りてから10分ほど歩いたところで、暗闇の中に光が浮かんでいるのをシュラインは見た。それが小屋の窓から漏れる明かりであることに気づき、シュラインの胸中へにわかに緊張が湧き上がってきた。その場に足を止め、零のほうへ振り向くと、シュラインの視線を受けて零が小さくうなずくのが見えた。
「それじゃあ、先に行きます」
小声で零が言った。
「大丈夫?」
「平気です。任せてください」
微笑を浮かべると、零は闇の中に消えた。確かに零に任せておけば、相手が拳銃を持っていようとも問題はないはずだ。それでも、シュラインは零の身に何事もなければ良い、と思わずにはいられなかった。
シュラインの心配は杞憂に終わった。
数分後、何事もなかったかのように平然とした様子で戻ってきた零の隣には、男たちに連れ去られた女性が立っていた。女性は若干、疲れているようにも見えたが外傷はなく、しっかりとした足取りで歩いていた。
零の話によれば、女性を拉致した男たちは、5人とも小屋の中で気絶しているとのことであった。一瞬、男たちを尋問しようかと考えたシュラインであったが、彼らが素直に口を割るとも思えず、また自分たちは、そうした技術に長けているわけでもない。それに女性を休ませてやりたいという気持ちもあった。
小屋の前から立ち去る前、シュラインはワンボックスに追跡用の発信機を取り付けようかと思ったが、こうなることを予測してなかったため、そうした道具を持ってきていなかった。そこで仕事用に使っている携帯電話の1つをバッグから取り出し、サイレントモードに設定してから、バンパーの裏側へ落ちないように固定した。
それから女性を連れて車を止めたところまで戻り、シュラインは諏訪方面へ向かって車を走らせた。後部座席に座った女性は沈黙を貫いていた。時折、零が心配するように後ろを見たが、女性はそれすらも無視して窓の外を見つめていた。
女性が緊張しているのが、その雰囲気から伝わってきた。拉致されたことで感情が高ぶっているのかとも思ったが、もしかしたらシュラインたちも、あの男たちと同類に思われているのかもしれない、とも考えられた。
重苦しい沈黙が車内を包んだまま、車は女性のマンションの駐車場に到着した。来客用のスペースに車を止めたところで、シュラインは口を開いた。
「草間武彦をご存知ですか?」
その言葉を耳にした女性が自分に視線を向けるのを、シュラインはバックミラーの中で見ていた。女性は驚いたような、だが探るような目つきをシュラインへ向けていた。ミラーを介してシュラインと女性の視線が交錯した。
「わたしは草間興信所の人間で、シュライン・エマといいます。今、草間の行方を調べているんです」
女性の瞳に戸惑いの色が浮かんだのをシュラインは見逃さなかった。シュラインたちがそうであったように、女性もまたシュラインらを疑っているのだ。しかし、今は大きく迷っているように感じられた。
「お願いします。もし、お兄さんがいる場所を知っているのなら、教えてください」
後ろを振り返った零が、座席から身を乗り出しながら言った。そして、その言葉に女性は怪訝そうに眉をひそめた。
「お兄さん?」
「実の兄妹ではありません。でも、零ちゃんは武彦さんにとって妹のような存在なんです」
シュラインは女性に自分たちと草間の関係を話し、そして草間を追いかけて諏訪を訪れたのだと説明した。
「そう……」
話を聞き終えた女性は、そう小さくつぶやくと、おもむろにドアを開けて車から降りた。やはり信用されなかったのか、とシュラインが思いかけた時、女性は開け放したドアから上半身を覗かせ、2人に向けて静かに言った。
「こんなところで話を続けるのもなんですから、部屋に上がってください」
女性の部屋はマンションの最上階にあり、3LDKの間取りで、その居間は淡い緑で統一された空間だった。カーペットやカーテン、壁紙も同じ色調である。部屋は整然と片づけられており、生活臭のようなものは感じられなかった。部屋の窓からは中央自動車道を走る車の姿を見ることができたが、女性はカーテンを閉めて夜景を遮断した。
御子柴潤子と名乗った女性は、さも当然であるかのようにキッチンでコーヒーを淹れ、今のソファーに座っていたシュラインと零をもてなした。拉致されかけたという緊張からようやく解放され、雰囲気が和んだところでシュラインが口火を切った。
「一昨日、武彦さんはお店のほうに行ったんですか?」
「ええ。一昨日の夕方、ふらりと姿を見せました。もう長いこと会っていなかったから、突然のことで驚いたわ」
「そのとき、武彦さんはなんと?」
「新宿で兄を見た、と」
「お兄さん?」
「ええ」
「失礼ですが、武彦さんとは……?」
「武彦くんは、わたしにとって弟のようなものなんです。彼がまだ小さい頃、一時期、諏訪にいたことがあって、その頃からのつきあいなの」
昔を懐かしむように微笑を浮かべ、潤子はコーヒーを口に運んだ。
「武彦さんは、諏訪に滞在していたことがあったんですか?」
「ええ。でも、なにかの都合で長くはいられなかったけど、よくウチの店に出入りしていたわ。その頃、店をやっていたのは父で、兄もよく手伝っていました」
「そのお兄さんを、武彦さんは新宿で見かけたと?」
「そう言っていました。歳は離れているけど、武彦くんは兄に懐いていましたから」
今の話が本当だとすれば、新宿の三越で草間が見かけた人物とは、潤子の兄ということになる。そこでようやくシュラインは、草間が真っ先に諏訪へ向かった理由を察することができた。草間は、その人物の所在を潤子に訊ねるために、高島城裏手にある彼女の店を訪れたのだ。
「それで、武彦さんは?」
「兄の居場所を知らないか、と訊いてきました。でも、残念ながら、わたしも兄の居場所はわからないんです。兄は大学を卒業すると同時にアメリカへ行ってしまって、日本へは時々、戻ってくる程度でしたから」
「お兄さんは今もアメリカに?」
「ええ。兄は、日本よりアメリカで暮らしている時間のほうが長いんです。もしかしたら、仕事で日本へ来ることもあるかもしれないけど、わたしには連絡してきません」
「最後に、お兄さんと会われたのはいつですか?」
「わたしは、2年前に。でも武彦くんとは、もう10年近く会っていないんじゃないかしら? 確か、最後に会ったのが成人式のときだったと思いますから」
つまり、草間は新宿で潤子の兄、御子柴を見かけ、それが見間違いかもしれないと思いつつも、懐かしくして会う手立てを講じようとしたのだろう。そのために諏訪を訪れ、潤子に御子柴の居場所を訊ね、そして今も彼のことを捜しているのかもしれない。
「すみませんが、お兄さんの写真はありますか? 武彦さんを捜すのに必要になるかもしれないので、できれば1枚お借りしたいのですが」
「わかりました。ちょっと待っていてください」
そう答えると潤子は席を立ち、奥の部屋へ入って行った。
しばらくして戻ってきた潤子から手渡された写真を見て、シュラインは温泉街の写真館に飾られていた古い写真を思い出した。20代の青年と小学生が並んで写った写真。潤子から受け取った写真の人物は、歳を取っていたものの、紛れもなく写真館の青年と同一人物であった。写真は潤子の店の前で撮られたもので、潤子と御子柴が並んで写っている。
「これは、いつ撮られたものですか?」
「5年前に店を改装したときの記念に撮ったものです」
「もし間違っていたら謝りますが、温泉街の写真館に、お兄さんの写真が飾られていませんか?」
シュラインの言葉に、潤子は少し驚いたような表情を見せた。
「あの写真を見たんですか?」
「はい。本当に偶然ですけれど」
「あれは、武彦くんが諏訪にいた頃に兄と撮ったものなんです。写真館のご主人が気に入っているようで、ああして飾ってくれているんです」
「そうですか」
草間の過去に関係している人物かもしれない、と最初に感じた直感は間違っていなかった。草間の幼い頃を知り、ここまでして草間が会いたいと思う人物に、シュラインも興味を覚え始めていた。御子柴という男は、どんな人物なのだろうか。
「武彦さんは、どこへ行くとか、言っていませんでしたか?」
「特には……ただ、兄を捜しているのだとしたら、東京へ戻ったと思います。兄は滅多なことでは、ここに来ませんから」
「そうですか。ところで話は変わりますが、先ほど、あなたを拉致しようとした男たちについて、なにか心当たりはありますか?」
その瞬間、潤子の表情が曇った。
「いえ、わたしにもなにがなんだか……」
そう言葉の濁した潤子であったが、それは嘘だとシュラインはすぐに見抜いた。伊達に草間興信所の人間を名乗っているわけではない。これまで草間の仕事を手伝ってきたことで、他人の言っていることが真実なのか嘘なのかを見抜けるようになっていた。
「御子柴さん。わたしは、あなたを拉致しようとした男たちが、今回の件に無関係であるとは思えないんです。わたしたちが諏訪に来たのを見計らったかのように、あなたが拉致されかけました。失礼なのは承知で話しますが、わたしはあの拉致が、武彦さんの行方を捜索している人間を炙り出そうとする、何者かの罠かとも考えました。そして、あなたも男たちの仲間なのではないかと……」
潤子を見つめながらシュラインは言葉を続けた。
「実際には、わたしの思い過ごしだったようですが、それならあの男たちはなぜ、あなたを拉致しようとしたのでしょうか? わたしには、その原因が今回の件――はっきりと言わせてもらうなら、あなたのお兄さんにあるような気がしてなりません」
すべて御子柴のせいしたいわけではないが、新宿で御子柴を見かけたために草間は姿を消し、その足跡を追いかけていたシュラインたちの目の前で、御子柴の実妹である潤子が男たちに拉致されそうになった。それらの出来事の中心には、いまだ姿を見ることのない御子柴の存在が見え隠れしているように、シュラインには感じられた。
それに三越デパートで撮影された防犯カメラの映像によれば、御子柴と思われる人物は催事場で別の男と会っていたことが確認されている。その男は何者なのか。どこか人目をはばかるかのように2人が会っていたことと、潤子の拉致を結びつけるのは早計かもしれないが、それすらも無関係とは思えなかった。
「お兄さんは、なにをなさっている方なんですか?」
その時、シュラインを見返した潤子の瞳は、恐ろしいまでに鋭さを増していた。まるで墓の中まで持っていかねばならない、自分の秘密を握った相手を見るかのような、そんな得も言われぬ殺意にも似たものを含んだ視線であった。
だが、それも一瞬のことだ。瞳に浮かんだ激しい感情はすぐに消え去り、まるで風船から空気が抜けるかのように、潤子の口から諦めを含んだ嘆息が漏れた。口許に苦笑いが浮かび、少しの沈黙のあと、潤子はおもむろに口を割った。
「おふたりは、DEAという組織をご存知かしら?」
潤子の問いにシュラインはうなずき、零は首を振った。
DEAとはアメリカ合衆国の麻薬取締局のことである。1973年に設立され、アメリカ国内のみならず、諸外国でも麻薬事犯の調査、および追跡を行っている。237ヶ所の現場事務所を持つ21の国内現場部局と、58ヶ国に80ヶ所の国外事務所を保有している。年間20億ドル強の予算を用いて、5000人強の特殊捜査官を擁するアメリカ最大級の司法機関である。
「兄は、DEAの特殊捜査官なんです」
潤子の言葉にシュラインは思わず眉をひそめた。
その反応は当然のものといえたが、同時に誤りでもあった。確かに日本人がアメリカの政府機関、それも司法機関に所属していると聞けば、誰もが似たような反応を示すに違いない。しかし、アメリカに永住して市民権を獲得し、過去に麻薬などの使用暦がなく、公務員試験に合格さえずれば、誰でもではないがDEAの捜査員になることはできる。
さらにDEAはアメリカ国外にも事務所を構え、アメリカに流入する麻薬を、その輸出元である国で叩くことある。また、機会こそ少ないものの、各国の麻薬捜査局と連携し、アメリカ国外で麻薬摘発を行うこともあるといわれている。
「もし、兄が関係しているのだとしたら、それはきっと仕事で日本に来ているからだと思います。あの男の人たちは、犯罪組織の人間なのかもしれません」
「今までに、こういったことは?」
「いいえ、ありません。わたしに害が及ぶのを恐れて、兄は捜査員になってから極力、ここへは近寄ろうとしませんでしたし、他にもいろいろと配慮してくれていました。こんなことは初めてです」
だが、捜査活動に従事する捜査員や、その家族が犯罪者のお礼参りに遭ったり、取引の妨害や摘発を嫌う犯罪組織が、捜査関係者に圧力をかけることは、残念ながら珍しくもない。今回、潤子を拉致しようとした男たちも、麻薬に関係した組織の人間で、潤子を人質にして御子柴の動きを封じようとでもしたのだろう。
草間の足跡をたどり、彼を捜すだけのつもりだったが、どうも妙な成り行きになってきた、とシュラインは思った。そもそも、草間自身は御子柴がDEAの捜査員であることを知っているのだろうか。
先ほどの潤子の反応を見る限り、彼女は草間にもそのことを明かしてはいないように思えた。なにも知らされないまま、草間が御子柴の動きを調べているとすれば、それは非常に危険な行為であると思われた。
よもや、草間ほど腕っぷしの立つ人間が、そう簡単にやられるとは思えなかったが、それでも御子柴の立場を、草間に知らせる必要がある、とシュラインは感じていた。草間本人の危険もそうだが、草間が動くことによって現在、御子柴が携わっているであろう捜査を台無しにしてしまう可能性も考えられるからだ。
これ以上の危険を避けるためにも、しばらく店を休んで、事態が落ち着くまで身を隠すように潤子へ伝え、シュラインと零はホテルに戻った。
そして翌朝、始発の特急電車に乗り、2人は東京へ戻ることにした。
完
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
NPC/草間零/女性/不明/草間興信所の探偵見習い
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■ ライター通信 ■
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ご依頼いただき、誠にありがとうございます。九流翔です。
遅くなりまして申し訳ありません。第3回、諏訪編をお送りいたします。
ここで物語は折り返しとなり、次回は東京へ戻ることになります。もしよろしければ、ご参加ください。
では、またの機会によろしくお願いいたします。
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