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<東京怪談・PCゲームノベル>


魂籠〜花宴〜

●序

 きらきら、きらきら。眩いばかりの光がそこにある。


 町外れに、小さな空家があった。ぽつんと存在するその空家は、昼間でもひっそりと佇んでいる為、どことなく気持ち悪い。
 心霊スポットだとか、肝試しスポットだとか、そう言う風に認識されている。
 しかし霊能者がそこを訪れても、彼らは一様に首を振っていた。何も居ない、と。霊の存在など、見当たらないのだと。かといって、取り壊される事も無かった。取り壊す計画すら、持ち上がっても来なかった。
 そんな不思議な不気味さに、人々はそこに足を踏み入れ続けていた。何かしらの理由をつけ、怖いもの見たさのように。無意識に、そこに足を踏み入れなければならないような感覚すらあるのだという。何となく、行きたい。そんな軽い気持ちのまま。
 そんなある日、三人の若者がその空家に足を踏み入れた。肝試し、という理由をつけて。だが、入ったのは三人だったが自分の足で出てきたのはたった一人だった。他の二人は突然倒れ、動かなくなってしまったのだという。ただ一人何も無い彼は、慌てて救急車を呼んだ。倒れた二人は、理由の分からぬ意識不明の状態となっていた。
 元気な一人に話を聞くと、肝試しに誘ったのは意識不明に陥っている二人だという事だった。二人が執拗に、肝試しをしようと彼を誘ってきたのだという。
 彼は言う。二人のうち一人は不思議なサイトで手に入れたというアプリを、もう一人は突如送られてきたメールによって得た画像を持っていたのだと。そして、それからどことなく二人がおかしくなってしまったのだと。


●始

 転がり落ちていった光は、ずぶずぶと中に入っていく。


 月刊アトラス編集部を訪れた蒼王・海浬(そうおう かいり)は、ため息混じりに「またか」といった。碇は苦笑混じりに「またよ」と答え、一冊のファイルを海浬に渡す。
「意識不明に陥る空家として、うちに投稿があったの。その意識不明者に陥るというのが」
「以前調査した、アプリとメールを所持していた人だという事か」
 海浬はそう言い、ぱらぱらとファイルをめくる。最初は、気味の悪い空家があるから探検しよう、と遊び半分に足を踏み入れていた。すると、突如として意識不明に陥った者がいた。携帯電話の中には、アプリが入っていた。
 その後、意識不明者が出たという噂が広がり、検証しようとやはり遊び半分で入っていくものが増えた。その度に、意識不明者も増えていった。
「しかし、意識不明に陥る可能性があるというのに、どうして空家に行こうとしているんだ?」
「無事な人から話を聞いたら、意識不明に陥った人たちが半ば強引に誘ってきたそうよ。いいから行こう、と言って」
「半ば強引に、か」
 海浬はそう言い、碇が出してくれていたコーヒーカップを手に取る。コーヒーからはふわふわと湯気が立ち、独特の香りをかもし出していた。
「コーヒーメーカーは、無事に動いているようだな」
「まあね。前のより、ちょっといいものを買ったから」
 碇はそう言い、にやりと笑う。いいものを最初に購入しておけば、後に壊れる事が少ないのだから、いいコーヒーメーカーを買って欲しいとでも言ったのだろうか。妙に誇らしげな笑みだ。
「一番新しい情報は、その二人よ」
 碇はそう言い、最初のページにある件の情報を提示する。
「その空家に行ったのは、三人。その内一人は無事、二人は意識不明よ」
「更に、その内の一人がアプリを、もう一人が守護神のメールを所持していたのか」
(あの守護神と天使とかいうのか)
 海浬は思い出す。
 それらにどれだけ不快な思いをさせられ、また下らない考えを誇張していたかを。
(恐らくは、どちらも根底は同じものだ)
「そうそう、その二人に会いに行くのなら、ついでに同じように意識不明に陥った人が入院しているから、ついでに会ってきたらどうかしら?」
 碇はそう言い、ファイルをぱらぱらとめくり、何人かを指し示す。一番新しく意識不明に陥った二人と、同じ病院の同じ状況の人がいる。
「同じ空家に訪れているのか?」
「そうね、同じ空家よ。他に似たような空家というわけじゃなく、同じ空家」
「空家から遠い場所で同じ状況に陥っている者はいないのか? この区域だけか?」
 碇は「ちょっと待ってね」といい、自らのデスクに向かう。そして、カタカタとパソコンを動かす音をさせた後に戻ってきた。
「これ以外の空家では、とりあえず起こっていないようよ」
「では、その空家に何らかの原因があると見て良いんだな?」
 海浬の言葉に、碇は「多分」といい、ため息をつく。
「私でも、ここまでしか分からなかったわ。でも、そうなのよ。こうしてみれば、その空家以外に原因があるとは思えない」
「しかし、メールやアプリはこの区域以外の人間にも配布されているだろうからな。それを持っている者達が空家から随分遠くに住んでいた場合、どうなるのかが分からんな」
「そう、そうなのよ」
 碇はそう言い、肩を竦めた。
「空家から近しい区域の人間だけが、影響を受けているのかもしれないな。今のところは」
「今のところ……」
 碇は海浬の言葉を反芻し、はっと気付く。
「今から拡大していくという事?」
「かもしれない。まだ推測の域を出ていないが、今から被害が拡大する可能性がないとも言えない」
 器を求め、浄化された世界を目指していた。ならば、対象となるのは何もこの区域だけに限ったものではないだろう。
 彼らは、全世界を浄化しようとしているのだから。
(何時までも、関わっていても仕方が無い)
 海浬は思う。
 この一連の事件に、何時までも関わっていてどうするのか。まだ、自分には他にやらなければならない事があるというのに。
 海浬はファイルを手にし、立ち上がる。
「では、病院から探ってみるか」
「よろしくね」
 立ち上がった海浬に、碇は微笑んだ。そうして、自分の為に入れていたコーヒーをぐいっと飲み干してしまうのだった。


●動

 切望せよ、光を。ただただ、切に望めばいい。


 意識不明者が入院している病院に、海浬は到着する。
(今のところは、変わったところはないようだな)
 病院を取り巻いている状態は、特に変わったところは見受けられない。いたって普通の病院である。
 海浬は今一度ファイルをめくって病室を確認し、病院へと足を踏み入れた。
 目的の病室まで、親切な案内図のお陰で迷わずに済んだ。海浬は病室の番号を確認し、ノックをしてから中に入った。
 しんと静まり返った病室に、二人がベッドに横たわっていた。病状と意識不明に陥った日が同じためか、二人部屋の同じ病室だった。
 中に入ると、一人の少年が暗い表情でベッドとベッドの間に座っていた。病室に海浬が入ってきた事に気づくと、顔を上げながら「あ」と声を出した。
「いきなりですまない。俺は、蒼王・海浬という。月刊アトラス編集部の者だ」
「月刊アトラス編集部……ああ、先日取材に来られたところですね」
 彼はそう言い、苦笑を漏らす。またか、というニュアンスがそこに含まれている。海浬は「たびたびすまない」といった後、彼と向き合う。
「何度も聞かれているとは思うが、今一度空家で起こった事を教えてくれないか?」
 海浬が言うと、少年はため息混じりに頷いた。
「空家がヤバイって噂は、最近話題になってて。そんな中、こいつらがそこに肝試しに行こうって言い出したんです」
 彼は「こいつら」というところでベッドの二人をちらりと見、言葉を続ける。
「俺は止めようって言ったんだけど、どうしても聞かなくて。仕方なく行ったけど、何もなかったんだ。だから帰ろうとしたら、こいつらがいきなりぶつぶつ何か言い始めて」
「何か、と言うのは全く聞こえなかったのか?」
「はっきりと言ってなかったから、分からなかった。そうしたら、いきなりばたーんって倒れたんだ」
「いきなり、か」
 彼はベッドの二人を見、再び大きなため息をついた。
「最近、こいつら変だった。いつも携帯電話を握り締めて、すっごく大事そうにしてた。時々、約束を忘れたりするし」
(そういえば、守護神とやらは記憶を奪っていたな)
 人間の意識を奪い、新しいプログラムに書き換える。それにより、美しい浄化された世界が実現すると信じていた。
(馬鹿馬鹿しい)
 海浬は眉間に皺を寄せる。
「お前は、何もなかったか? 例えば、何かの声を聞いたとか」
「いえ、特には。……ああ、そういえば空耳かもしれないけど」
 彼はそこで、ちら、と海浬を見る。言っていいのか、彼自身も図りかねているようだ。海浬が「何でも構わない」と言うと、ようやく口を開く。
「望む世界、と」
「望む世界」
 海浬は確信する。間違いなく、アプリとゲームの裏にいた存在が絡んでいる事を。
「でも、本当にそう言ったかどうかは」
「いや、間違いないだろう。その言葉には、聞き覚えがある」
(嫌になるくらいに)
 海浬は苦笑を漏らす。彼の聞いた言葉に、間違いは無い。間違いであるはずが無い。
 それこそが、今回の件に関わる要因とも言えるのだから。
 海浬はゆっくりと意識不明に陥っている二人の近くにより、じっと見つめる。表面上、前あったような意識下に違うものがいるという事は無かった。
 むしろ、何もない。
(何も、ないだと?)
 海浬は怪訝そうに、二つのベッドを見る。どちらのベッドにいる若者も、意識を全く探れない。
 そこにあるのは、ただの体だ。中には何も残っておらず、空っぽ。
(どういうことだ?)
 やろうとしているのが、記憶のリセットと新しいプログラムの書き換えだったはずだ。となれば、このベッドに横たわっている人間には新しい意識が書き込まれていてもおかしくないというのに。
 空っぽとは。
「まさか」
 海浬は呟く。慌てて少年に礼を言って病室から出ると、同じ病院にいる他の意識不明者を見て回る。
 話を聞けば、同じ空家。同じ状況。アプリかメールを所持。全く同じ状態だ。
 そうして、体が完全に空っぽであるという事も。
「……一斉に書き換えを行う気か?」
 海浬はそう言い、ぐっと拳を握る。
(させない)
 これ以上は放置しておけない。そう判断する。
「決着をつけさせてもらおう」
 小さな声で、だが決意強くそう言うと、海浬は颯爽と病院を後にして空家へと向かい始めた。
 下らぬ世界を作ろうとする存在と、決着をつけるために。


●舞

 時が来る。その時が来る。さあ、踊ろう。終わりの唄に合わせて。


 ぽつんと佇む空家には、入口に大きく「立入禁止」と書かれていた。無理も無い、今巷を騒がせている意識不明事件を齎したのは、この空家なのだから。
 表面たって情報が流れていないにしろ、密やかに噂されている事は間違いない。
 海浬はそっと入口に手をかけ、ゆっくりと開けた。ギイ、というきしむ音と共に開いた扉だが、音が響く事以外に変わったところは無い。
 否、見た目では変わったところは無いというだけだ。
 一歩足に踏み入れると、その異常な濃度に海浬は眉間に皺を寄せる。
 空家いっぱいに、力が充満していた。生命力だとか、意識だとか、感情だとか。そういった人ならば誰でも持っている力が、ぐるぐると渦巻いているようにあるのだ。
(まるで、坩堝)
 体感温度ではなく、何処と無く熱い。ぐるぐると火にかけながら混ぜられているような、熱がある。
 それが人の力。人の持っている力の熱。
(それが、ここに集結させられている)
 本来ならばありえぬ量と濃度がある。一人二人のものではない。大勢の人間の力が、この空家にたっぷりとつまっているのだ。
 どろどろと。
 海浬はぐっと拳を握り締め、掌に力を集中させる。
「……このような淀みは良くない」
 何も考えず、貪欲に力を得たような。選んで必要なものを、ではなく、ただただがむしゃらに貪ったかのようだ。
 そこに意思がないのならば、単なる本能といえよう。
(だが、俺は知っている)
 意思があるという事を。本能ではなく、理性を以ってこの力が集められた事を。
「先に、ここを解放する」
 いつの間にか生じた弓を、海浬はぎりぎりと弾いた。天井に向かって、まっすぐ上に。
 上に穴を開ければ、そこに向かって力は上がっていく。そうして、自らがいるべき場所に戻る事だろう。
 勿論、それが一時的な処置である事を海浬は分かっている。まだ携帯電話にメールやアプリを残している者はたくさんおり、それらが再びこの空家に呼び寄せられ、力を置いていくだろう。今からやろうとしている事は、焼け石に水という作業にも似ている。
 しかし、それでも海浬は力を解放しようとする。力の坩堝のような空家の中が、妙な熱で篭っているというのも理由の一つとしてあげられたが、それ以上にこの場を相手の主導権に持たせなくなかった。
 これだけの力を、渡す気などないのだから。
 海浬は狙いを定め、矢を放つ。びいんっ、という音と共に、勢い良く矢が天井に向かっていく。
 だが、その矢が屋根まで到達する事はなかった。
「……何をする気だ」
 低く、静かな声によって矢は破壊されたからだ。高濃度の力の中にあるというのも、災いしたのかもしれない。
 海浬は小さく舌打をし、声に向かって「解放だ」と答える。
「このような力は、こうして貯めておくものではない」
「馬鹿な。貯めておかなければ、新たな世界は築けぬ」
「新たな世界など必要ない。お前の言う世界は、馬鹿馬鹿しく下らない」
 海浬の言葉に、声は一瞬だけ黙る。そして、次第にくつくつと笑い始めた。
「そうか、お前か……たびたび邪魔をした、お前か」
 声がそう言うと、海浬の目の前の風景がぐにゃりと歪んだ。それはだんだん人の形に成していく。
 正しくは、人の輪郭といった方がいいかもしれない。細やかな顔立ちが見えるわけでも、体格が分かるわけでもない。ぼんやりとした人らしき輪郭が現れたに過ぎない。
「お前が主導者か」
 海浬が静かに言うと、彼は笑ったまま頷く。
「私は非力でね。こうして力によって支えられ、ようやくこのように存在できる」
「非力だと自覚しているのならば、世界を変えようとするのはよすんだな」
 海浬が言うと、彼は笑うのをやめ「誰の所為で」と言う。
「誰の所為で、非力になったか分かるかね? 私が、この私が、非力になったのは誰の所為だと……!」
 彼は叫ぶようにいい、だん、と地を踏みしめる。海浬が怪訝そうにすると、彼ははっと気付いて息を整える。
「ああ、申し訳ない。多少取り乱したようだ」
 海浬はじっと彼を見る。単なる輪郭にしか過ぎず、この高濃度の力の中でようやく姿を保てるほど非力な存在。それでいて、浄化された新しい世界を作ろうとする野心がある存在。
 極め付けが、先ほどの台詞だ。誰の所為で、というのはつまり、人間の所為というのだろう。
 人間の所為で非力になった存在といえば、限られている。
「……お前は、神、か」
 海浬が言うと、彼は小さく、へら、と笑ったようだった。自嘲気味に。
「かつては、そういわれた事もあった。そう、はるか昔は」
 彼はそう言い、遠くを見る。ただ在るだけで敬われた時代。無いものもあると信じ、常に感謝されていた時代。
 そんな、過去に終わってしまった時代を。
「今はどうだ。勝手に奉り上げ、祈る。誰に? 人のつくりし神に」
 彼の奥底にある、疑問。
「名前が無ければ敬われないのか? 存在や形あるものしか、奉られないのか?」
 彼の奥底にある、感情。
「私はここにいるというのに。踏み躙られ、蔑ろにされ、無いものにされた。人は、人は……穢れてしまったのだ!」
 彼は叫ぶ。何故自分がこのような事になったのかを、考えて考えて考え抜いた結果を。
「だから、人の意識を奪って書き換えようとしたのか」
「幸い、私と同じ思いをしている者はたくさんいた。だからこそ、立ち上がるべきだと言ったのだ。この汚れた世界を何とかするのは、我々の役目だと」
「傲慢な」
 ぽつり、と海浬は言う。「何を」という彼に、海浬は言葉を続ける。
「なんと傲慢で、愚かだ。お前のいう事も一理あるかもしれないとは思ったが、それすら馬鹿馬鹿しいと思えてくる程、お前の考えは狂っている」
 海浬の言葉に、彼は黙った。じっと海浬を見つめ、ふらふらと揺らいだ。
「狂っている……ああ、そうかもしれない」
 他者からいわれた事も無い言葉。
「私は狂っているのだ」
 だからこそ突き刺さる言葉。
「そうして狂わせたのは、人だ! ははははは、やっぱり人は浄化されなければならない!」
 そうして出る結論。
 どうであろうと彼は変える気はない。出した結論が間違っていたとしても、それを自らが認めたとしても、もうどうにもならないのだ。
 彼が導き出した結論は、それすらも人によって狂わされたものなのだから。
 人が狂わせたのならば、自分が狂った原因が人ならば、贖うのもまた人なのだ。
(愚かな)
 海浬は目の前の彼に、侮蔑の目線を送る。かつては穏やかで、清らかな神だったのだろう。様々な人から慕われ、敬われ、在るだけでありがたいと思われるくらいの。
 それがいつしか消えうせ、名と姿のある神に取って代わられてしまった。自分を神と呼んでいた存在が、全否定してきたのだ。
 海浬は弓を引く。
 今度は天井に向かってではない。目の前でゆらゆらと揺らぐ、人の輪郭をしたものに。
 元、神に。
「ははははは、私が狂っているのならば、私は、私は、私は……狂わされたのだ!」
 ぎりぎり、と弓を引く。
「贖わせる……贖わせるのだ。私を、私達を狂わせた、人達よ! この汚れた世界を浄化してやるのだ!」
「……それは、お前の役目ではない」
 静かに海浬はいい、矢を放つ。
 びんっ、という音と共に、光の矢がまっすぐに彼の所に向かっていく。彼はそれを避ける事すらせず、ただ笑い続ける。
「はははは、はははははは……は……!」
 ざんっ!
 一瞬、だった。たったそれだけの音で、彼は矢に体を貫かれた。
 彼は膝を崩し、ゆらゆらと更に揺らいだ。人の輪郭を保つ事も適わぬ。高密度の力の中でようやく現せた体も、光の矢によって許されぬ。
「私は、消えるのか」
 ぽつりと彼が呟く。先ほどまでの声とは全く違う、落ち着いた静かな声。
「ああ、消える」
 海浬はそれに答える。すると、彼は「そうか」と言って笑ったようだった。
 それを皮切りに、海浬の前に風景が見えた。かつて人から敬われ、親しまれ、奉られ、嬉しそうに微笑む彼の姿だ。
『ああ、皆、幸せになればいいなぁ』
 彼はそう言い、にこにこと笑う。
 そこに憎しみも、辛さも、哀しさも、寂しさも。負の感情など何処にも無い。
 ただ彼は人の幸せを願い、叶えようとするだけだ。何も望まず、ただ幸せを。
『幸せになればいいなぁ』
 柔らかな日差しの中、風景が揺らぐ。暖かな光と共に、ふわりと。
「……ああ、そうだ。私は、ただそれだけを」
 元の空家に戻ると、彼はそれだけ言った。それ以降、彼の声は全く聞こえず、高密度になっていた力も自然に消えていた。
 それが、彼の最後の言葉であった。


●結

 願いは一つだけ。光よ、切望されし光よ。胸の内で躍るが如く輝き続け。


 月刊アトラス編集部に戻ってきた海浬は、レポートを碇に提出する。碇はそれにぱらぱらと目を通し、一言「終わったのね」と呟いた。
「病院で次々に目を覚ましていったと聞いたから、本当に終わったのね」
「この件に関しては、な」
 コーヒーを口に持っていきながら言う海浬に、碇は「どういう事?」と尋ねる。
「この世で、いつの間にか蔑ろにされた神などいくらでもいるだろう」
「それは、そうかもしれないけど」
「今回はこれで終わった。だが、同じ事が再び起こらないわけではない」
 海浬がそう言うと、碇は頷きながら自らもコーヒーカップを手にする。
「最初は、とてもシンプルだったのよね」
「ああ」
――ただ、幸せを願っていただけだ。
「何処で狂ったのかしら?」
 ため息混じりに言う碇に、海浬は「さあな」と答えて再びコーヒーをすすった。
(放置はしておけなかった。だから、後悔などしていない)
 それは、真実。
(今回で決着をつけると決めていた)
 それも、事実。
 海浬はため息をつき、コーヒーカップを見つめた。
 そこに残るコーヒーが、ぐるぐるとカップの中で回っていた。レコードのように回る様は、音楽でも流れてきそうだ。
(少しでも、希望を与えられたのだろうか)
 最後に戻った意識に、海浬は願う。ただ幸せを願っていた頃に、一瞬でも戻れていた事を。
 海浬は祈るように目を閉じ、ぐいっとコーヒーを飲み干した。
 音楽が聞こえるその前に。


<宴はこれにて終わり・了>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 4345 / 蒼王・海浬 / 男 / 25 / マネージャー 来訪者 】

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■         ライター通信          ■
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 お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度はゲームノベル「魂籠〜花宴〜」にご参加いただき、有難う御座います。
 第一話「雪蛍」と第二話「月戯」の結果を反映しつつ、書かせていただいております。如何だったでしょうか。この「花宴」を以って「魂籠」は完了となります。最後までお付き合いくださいまして、有難うございました。
 一話完結ではありましたが、密かに繋がっている世界を描いております。少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。
 ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。