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【 ホテル・メリディアン 】 薔薇の少女
灯京都狭間区あわい。
「あわい」は、古くは「亜歪」と記されていた。字面から「隣接するが互いに感知できない平行世界、そこを歪める」と考えられ、相応しくないとのことで平仮名で表記するようになった、という逸話がある。
JRあわい駅を基点とし、南側は十代が好みそうなファッションを取り扱う店舗や遊戯施設が軒を連ね、北側は齢数百年を越える樹木が溢れる渓谷が広がっている。南口側を『ミナミ』、北口側を『渓(たに)』と云うらしい。
季節は既に12月。
年末のイベントに向け、ミナミのアーケード街はいつもより一際光りが溢れていた。普段から騒がしい場所ではあるが、クリスマスに託(かこつ)けたイルミネーションやショー・ウィンドーが華やかだ。
『ネットカフェ・ノクターン』はアーケード街から少し外れた、緩やかな坂を登った途中の裏路地にある。駅から離れたやや不便な立地であるためか、ミナミにありながら落ち着いた佇まいを保っている。この店の店内も御多分に洩れずクリスマスの装いを呈しているが、どことなく物静かで上品だ。きっと、それはこの店主の趣味なのだろう。出された紅茶に口を付けながら、黒榊 魅月姫はふとそんなことを思った。
「この街をじっくり見たことがないから、しばらくここへ滞在して散策しようと思っているの」
「滞在って、どこかへ泊まるつもり?」
店の主である雷火(ライカ)の問いに返事代わり、魅月姫はその赤い瞳を閉じる。
腰を落ち着けている棲家はあるが、この街の朝と夜 ―― そして、闇に触れてみたいと思っていた。せっかくだからどこかに宿を取って、ゆっくり散策してみるのもいいかもしれない。街をよく知るこの主人なら、きっと自分好みの宿を教えてくれそうだ。
「そうだねぇ‥‥だったら、ホテル・メリディアンとか、どうかな?」
「ホテル・メリディアン‥‥?」
「うん。駅の反対側、渓谷があるでしょ? その中に建ってるホテルなんだけど、チャペルとかいろいろ入ってるよ。老舗ホテルだから値は張るけど、ビジネスホテルって感じじゃないモンね、魅月姫は」
あわい渓谷周辺は、都が管理する森林公園になっている。その公園を借景にした、あわいのランドマークともいえるホテル、それが『ホテル・メリディアン』である。宿泊施設はもとより、敷地内に独立したチャペルや小さなコンサートホール等を保有している複合型ホテルだ。海外からの評価も高く、国家主席レベルの賓客も多く宿泊するという。創業から120年余を数える、歴史を誇る名門ホテルのひとつである。
「真昼舘(しんちゅうかん)が建ってた辺りとか穴場かな。跡地の石碑しかないけど、静かだし、雰囲気が好きで結構暇潰しに行ってるよ」
「暇潰し、ね。さぼりの間違いじゃないかしら」
「あら、バレた?」
そんな他愛のない会話を交わし会計を済ませると、魅月姫は北口にあるホテル・メリディアンを目指した。
あわい駅の地下道を通って国道をしばらく歩き、ホテル専用の細道へと入る。
広葉樹の葉は既に落ちて少々寒々としているが、早咲きの椿が咲いていたり、薔薇園や白いチャペルがあったり、なかなか趣のある風景だ。ふと目を向ければ、敷地内の案内図が目に入る。雷火が気に入っている場所というのは、この『真昼舘(旧館)・跡地』らしい。敷地のかなり奥に位置しているがせっかく来たのだから足を伸ばしてみよう、と歩き始めた。
鬱蒼とした森の中を進むと、小さな石碑が見えた。石碑に書かれたその内容に目を走らせる。
ふと、空気が動いたような気がした。
魅月姫は顔を上げる。目の前にはいつの間にか見事な洋風木造建築の館が現れていた。魅月姫は引き寄せられるように、その洋館 ―― 真昼舘の入り口に佇む。すると突然、静かな音を立て扉が開き、白髪の初老と思しき男性が立っていた。背をピンと伸ばしダークグレーのスーツを着込んだ姿は、さながら品のいい屋敷の執事のような風貌だ。
「これはこれは、よくいらっしゃいました。この館をご覧になられたのですね。宜しければ、中をご覧になっていかれませんか?」
云われるまま屋敷の中に入り、魅月姫は『近藤』と名乗った支配人の背を追う。
屋敷の中に入ると、高い天井に吊るされた見事なシャンデリアがまず目に入った。クラシカルな、それでいて斬新さを感じさせる。石碑に書かれていた通りなら、この真昼舘は百年以上前の建物の筈だ。骨董でありながら、いまなおその美しさを保っている。しっかりと手入れがされているのだろう。
長い廊下からは古い木造建築特有の木の香りがし、懐かしさを感じさせ心が和む。
客室へ案内される途中、階段の上から視線を感じ魅月姫はふと顔を上げる。そこには、真っ赤な ―― まるで深紅の薔薇のような色の瞳を持った少女が佇んでいた。
―― 他にも宿泊客がいるのかしら。
近藤に入室を促され、魅月姫はすぐに客室へ入ってしまったが、そこには確かに少女が立っていたのだ。
寝室には豪華な天蓋付きのベッドがあり、皺のない真っ白なカバーが掛けられている。キャビネットの細工もいい。手入れがされた調度品は、設備の古さなどまったく気にさせない。そして、掃除の行き届いた客室内は清潔感に溢れていた。
「とても素敵ね、気に入ったわ。暫く滞在したいと思っているのだけれど、構わないかしら?」
「お気に召しましたなら、どうぞこの旧館へお泊りください。フロントへは、わたくしのほうから連絡を致しましょう」
その客室の丸テーブルで記帳し、チェック・インを済ませる。羊皮紙が使われた重厚な宿泊者名簿は、なにか契約書のようにも感じられた。その契約書をホルダーに挟み、近藤は一礼する。
「宜しければティーラウンジへお越し下さい。お飲み物をご用意させて頂きます」
「そうね ―― お任せするわ」
「かしこまりました」
そう云い、近藤は部屋を出て行った。
近藤が去ったあと、魅月姫はバスルームを覗き込む。バスルームの中央には、猫脚のバスタブが鎮座していた。磨かれた陶器の色が美しい。湯を張って赤い薔薇の花びらを散らしたら、きっと白が映えるだろう。逸る思いを落ち着かせながら、魅月姫は案内されたティーラウンジへ向かった。
「そういえば‥‥さっき女の子を見掛けたのだけど、私のほかに宿泊客がいるのかしら?」
「―― 黒榊様は『彼女』とお会いになったのですね」
ティーラウンジへやってきた魅月姫を出迎え、珈琲を用意しながら近藤はその銀色の双眸を細めて微笑み掛けた。
「『薔薇の少女』―― あの深紅色の瞳から、何時しかそのように呼ばれるようになったのですが。彼女は、もう長いことあのお部屋にご滞在中です」
「長いこと?」
「ええ。私がこのホテルに勤め始めた頃、既にあの部屋にいらっしゃいました。‥‥いえ、いけませんね。お客様のプライベートに立ち入ってしまっては」
「久し振りのお客様に、少々口が滑りました」と近藤は先程と同じ笑みを浮かべたが、眉だけは困ったようにハの字になっていた。近藤の肩越しに見える扉に目が行く。わずかに扉を開き、その隙間から薔薇の少女がじっと魅月姫を見ているのが分かった。
少女に気付いていたが、さして気にした様子も見せず、魅月姫はカップを受け取り珈琲を口に含む。はたと、魅月姫の動作が止まる。その様に気付いたのか、近藤が声を掛ける。
「黒榊様。お気に召しませんでしたでしょうか」
「―― 違うの、ごめんなさい。とても美味しいの。彼の珈琲も飲めるようになってきたと思っていたのだけれど‥‥美味しいわ」
「彼の、で、ございますか?」
「いいえ。気にしないで、独り言よ。そして貴女も、じっと見ているのならこちらにいらっしゃい。一緒にお茶でも如何?」
近藤の肩越し、赤い瞳を細めて少女に微笑む。すると、一呼吸置いてから少女は姿を現した。魅月姫のテーブル近くまで少女がやってくると、近藤は魅月姫の向かいの椅子を引いた。少女はそんな近藤を上目遣いで見、促されたその椅子へ腰を下ろす。
「近藤さん、珈琲をもう1つ頂けるかしら。砂糖とミルクを別に」
「かしこまりました、黒榊様」
近藤は席を外し、魅月姫は変わらず紅茶を飲んでいた。
時折、少女がチラチラと自分を見ている気配に気付き、小さく溜息を付く。いつもは他人に深い興味を示さないのだが、魅月姫は珍しくこの少女に興味が湧いた。
「お名前を訊かせてもらっても、いいかしら? わたしは魅月姫、黒榊魅月姫よ」
普段なら見知らぬ者を呼び寄せることなどしないし、ましてやお茶を勧めることなどもないだろう。真昼舘の雰囲気に、心が少し緩んでいたのかもしれない。
「―― 絵梨香(えりか)」
出されたザッハトルテをつつきながら、薔薇の少女 ―― 絵梨香は小さく答える。
会話をするでもなく、ただ、お茶を飲む。絵梨香はシュガーとミルクをポットからカップへ入れ、スプーンで混ぜている。室内には、心地好いクラシック音楽が流れていた。
「モーツァルト」
絵梨香がぽつりと零す。魅月姫は頷き、独り言つ。
「そうね、モーツァルトね。確か今年は、生誕250年だったかしら‥‥?」
「左様でございます」
魅月姫の言葉に、近藤は相槌を入れた。
成程。このスウィーツの選択は、そういうことなのか。テーブルにあるケーキを眺め、魅月姫は瞳を細めた。
ザッハトルテは、表面全体をチョコレートでコーティングしたこってりとした濃厚な味わいを特徴とする、オーストリアの代表的な菓子(トルテ)のひとつだ。
「ウィーンは、カーレンベルグがいいわ。市内を一望できるとても良い場所だけれど、日本人はあまり立ち寄らないようね。ドナウ川やブドウ畑が広がるウィーンの森が見えて、とても素敵なのに勿体ないわ」
琥珀の水面を見つめながら、魅月姫はうっとりと呟く。視線を感じ顔を上げれば、絵梨香がじっと魅月姫を見ている。
「ウィーン市内は馬車が走っているわね、まだ。馬車が古い街並みの中を走るさまは、ゴシック形式などがまだ新しかった頃の、昔のウィーンを思い出させる。まぁ、今は観光客を見込んで走らせているだけなのかもしれないけれど」
「―― 魅月姫は、昔のウィーンを知ってるの?」
怖がっているのか、最初は窺うようなそわそわした視線であったが、今は興味深げに僅かに赤い瞳を輝かせていた。
「ウィーンだけでなく、ヨーロッパの至る所を旅してきたわ。興味がある?」
魅月姫の問いに、絵梨香はこくりと頷いた。
いつの間にか、室内は柔らかいオレンジの光りで満たされていた。
合間に近藤が幾度となく趣向を変えた茶を出していた為か、夕闇の訪れに気付かなかった。絵梨香には多少教養があり、話題が尽きなかったからだ。
「長くなってしまったわね。疲れていない、絵梨香?」
小さく肩を竦め、魅月姫は絵梨香に微笑んだ。大きく左右に首を振り、絵梨香も微笑む。
「魅月姫‥‥また、お話し聞かせてくれる?」
「ええ、構わないわ。またここへ訪れたいと思っているから」
近藤へ視線を向けると、近藤は小さく「いつでもお部屋をご用意してお待ちしております」と云い瞳を細めた。
「今度は ―― 貴女の話しも聞かせてね、絵梨香」
赤が重なる。
曲が終わってレコードから針が上がり、僅かな雑音が響く。それを合図に魅月姫は立ち上がった。
絵梨香の正体がなんであっても、構わないだろう。
ここは灯京都狭間区あわい ―― 交わる筈のない世界が、繋がる場所なのだから。
【 了 】
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【 4682 】 黒榊・魅月姫(くろさかき・みづき)| 女性 | 999歳 | 吸血鬼(真祖)/深淵の魔女
【 NPC 】 雷火、近藤、橘 絵梨香 ※橘 絵梨香のみ、本作専用パラレル設定
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こんにちは、担当WR・四月一日。(ワタヌキ)です。
この度は『ホテル・メリディアン』へのご宿泊、誠にありがとうございます。
魅月姫さんだったら、どんなお部屋がお好きだろう‥‥と考えながら書いてみました。
店主の召喚も誠にありがとうございます。雷火は旧館の存在を知りませんので、次回ご来店の際には是非自慢してやってください。
気になるところがございましたら、リテイク申請・FL、つっこみ・矢文などでお知らせください。今後の参考にさせていただきます。
またのお越しを、心よりお待ち申し上げます。
四月一日。
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