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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


記憶喪失依頼人?



 ふと気付いたら、自分が誰なのかさっぱりわからなくなっていた。
 あたりを見回せば、ちらほらとどこかへ向かう人々が歩いている。しかし誰も自分に見向きもしないところを見ると、知り合いらしき人物はいないようだ。
 自分は誰で、ここはどこで、自分はどこに向かっているのか。とりあえず立ち止まって考えてみることにする。しかしやはりわからない。なんだか記憶に靄がかかったみたいに、何も思い出せない。
 何か自分のことがわかるものを持っているかもしれない。そう考えてポケットに手を入れる。指先に冷たい金属の感触がしたので取り出してみた。
 それは銀のプレートのついたネックレスだった。プレートには[AKI]と彫られている。
 ―――「アキ」。それが自分の名前なのだろうか。数度名前らしきそれを呟いて、自分の名前かはともかく、馴染みのある響きだということを認識する。
 他に手がかりになりそうなものは持っていなかったので、とにかく歩き出そうと正面を見た。そこには鉄筋作りの雑居ビル。引き寄せられるようにそれに近づきながら、自分はここに来たかったのだろうかとぼんやり考える。
 足が独立した意思を持つかごとく勝手に動き、そのまま何かに導かれるようにある一室の前で止まった。ほとんど無意識に扉に手をかける。
 扉は、何の抵抗もなく、開いた。


「あの…」
 扉を開いた向こうに広がる空間には、一人の男性と一人の女性がいた。言わずと知れた、草間・武彦と草間・零だ。だが扉を開いた彼女がそれを知るはずもない。
「あ、ご依頼に来られたんですか? 今お茶をお持ちしますので、どうぞそこにお座りになってください」
 零が柔らかな笑みを浮かべて彼女にそう言うも、彼女は困ったように視線を彷徨わせるだけだった。その少々不審な様子に疑問を抱いた武彦が口を開く。
「依頼人…にしちゃ妙だな。何の用でここに来たんだ?」
 彼女は零と武彦の顔を交互に見、しばらく逡巡した後、言った。
「あの、貴方たちはわたしのこと、知らないんでしょうか…?」
「……………は?」
 思いもしない、しかも意味不明な言葉に、武彦が間抜けな声を漏らす。零も何を言えばよいか分からずに口を閉ざしている。
 二人のそんな様子を見て、彼女は自分の発した言葉を恥じるように俯く。
「その、わたし…気付いたら、自分が誰なのかわからなくなっていたんです。ついさっきこのビルの前でそれに気がついて、自然と足がここに向かったので…ここがわたしと何か関わりがあるんだと思っていたんですけど、違う…みたいですね」
 沈んだ声でそう言う彼女に、武彦と零は顔を見合わせた。心当たりなどないのだが、放っておくわけにもいかない。
 少しばかり居心地の悪い空気が部屋に下りた。…と、そのとき。
「ごめんください、草間さん。…すみません、仕事中でしたか」
 女性ならばうっとりと見惚れそうな美貌の青年が、興信所の扉を開いた姿勢でそう言った。
「…ああ、楷か。いや、仕事中と言うか、なんと言うか…」
 歯切れの悪い武彦に、巽は僅かに首を傾げる。
「仕事ではないんですか? ではこちらの方は…」
「それが、この方はどうやら記憶をなくされてしまっているそうで、無意識にここに来てしまったのだとか…」
「記憶を…?」
 零の告げた言葉を聞き、巽は思案げに彼女を見遣る。当の本人は落ち着かないのかきょろきょろと周りを見回している。
「何か自分について手がかりになりそうなものは持っていませんでしたか?」
 巽が出来うる限りの柔らかい声音で尋ねると、彼女はおずおずとあるものを差し出す。それは彼女の掌の上で鈍く光った。
「これ、ネックレスなんですけど、ここに…」
 彼女は鈍い輝きを放つプレートを裏返し、それを指した。
「『AKI』って彫ってあるでしょう? わたしの名前なのかは分からないんですけど、馴染みはあるみたいなんです。手がかりになるでしょうか」
「…………………」
 彼女の問いかけには答えず、無言でネックレスを注視する巽。少しの沈黙の後、静かに言った。
「このネックレス…露店で見たことがありますよ」
「…露店、ですか?」
「はい。ここからそう離れた場所ではなかったと思います。…俺と一緒にそこに行ってみませんか? 何かわかるかもしれませんし」
 彼女はトントンと進む話に戸惑いながらも、巽の申し出に頷いた。


 草間興信所のある雑居ビルを出て、二人は手がかりである露店へと向かう。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。俺は楷・巽といいます。精神科の研修医をしています」
「お医者様なんですね。…ええと、わたしはお話したとおり自分についてわからないのですけど、とりあえずアキと呼んでください。名前がないと不便ですし」
「では、そうさせて頂きます。…アキさんは、」
「アキ、と呼び捨てで構いません。敬称をつけて呼ばれるのは、何故か慣れない気がするので…」
 眉根を寄せてそう言うアキに、巽は「それも記憶をなくす以前に関わりがあるかもしれませんね」と抑揚のない声で答え、遮られた言葉を再び紡いだ。
「アキは、気付いたらビルの前にいたんでしたね?」
「…はい。そこに来るまでの記憶が靄がかかったようにぼんやりしていて…自分が誰なのか、どこに行こうとしていたのかもわからなくて。引き寄せられるみたいに、あそこ――草間興信所、でしたか…に着いたんです。だから、何か関わりがあると思ったんですけど」
「目的地が草間興信所だったのかもしれませんね。何か用があって、向かっている途中に記憶をなくしたとか。…詳しいことはわからないので、推測にしか過ぎませんが」
「そうですね、…そうかもしれません。だとしたらわたしは何をしに向かっていたんでしょうか。急ぎの用でなければいいのですけど」
 心配そうに呟くアキを見下ろし、巽は無意識に自分の恩人を思い出していた。アキと同じく記憶を失った……自分にとってかけがえのない大切な人のことを。
 かの恩人が記憶をなくしたことで自らが感じた悲哀、喪失――どんな言葉でも表すことは出来ないあの思いを、願わくはアキに関わる人々が感じずに済むことを。これから向かうその場所で彼女の記憶が呼び覚まされることを、ただ願う。
「――…さん、巽さん?」
 ハッと物思いに沈んでいた意識を戻すと、気遣わしげに自分を見上げるアキの姿が目にとびこむ。
「どうしたんですか? 気分でも悪いのでは…」
「いえ――何でもありません。少しぼうっとしてしまっただけで」
 なんでもないと告げる巽。しかし表面上はなんら変わりないように見える…しかし親しい者ならば気が付いたであろう表情の変化を敏感に感じ取ったアキは、更に言い募る。
「でも巽さん、なんだか……つらそうでしたよ? 悲しそうというか、苦しそうというか、ちょっとうまく言えませんが、とにかく」
「そんなことは…」
 言いさした巽だったが、アキの真剣な瞳を見て口をつぐむ。
 その代わり、精一杯の笑みを浮かべて、「少し昔のことを思い出しただけですよ」と言った。
 ぎこちないながらも心のこもった微笑に、まだ少々不安げながらもアキはほっとした表情を見せる。巽の心に静かに降り積もった思いを何故だか感じとったからこそ、笑顔を見せたことに安堵したのだった。


「――…ああ、ここです」
 いくつかの露店が並ぶなか、巽は迷うことなくあるひとつの露店へとアキを導いた。
「ああ、なんだか見覚えがある気がします。やっぱり何か関わりがあるんでしょうか…」
 どこか懐かしげに目を細め、アキはその露店の周囲を見る。
「とりあえず、これについて尋ねてみましょう」
 そう巽が提案し、「すみません」と店主に声をかけてから手がかりのネックレスを示す。
「このネックレスなんですけど、見覚えがありませんか? この方の所持品なんですが…」
「ん? …うちのネックレスだな。ちょっとプレートのとこ見せてくれるか?」
 店主の男は気さくに応じ、プレートの部分を見ると「ああやっぱり」と言葉を零した。
「何か知ってるんですか?」
 巽がそんな店主に問いかけると、意外な答えが返ってきた。
「知ってる知ってる。ていうか俺の飼い猫のだし、これ」
「は…? 飼い猫!? で、でもこれの持ち主は人間でしたよ!?」
 彼にしては滅多になく驚きと動揺を前面に出して、巽は勢いよく横にいるはずのアキを見た。…が、隣には誰もいなかった。
「え!?」
 慌ててあたりを見回すが、目的の人物はどこにもいない。その巽の慌てっぷりを見ていた店主が、ちょいちょいと巽の足元を示した。
「下だよ、下」
 言われるままに足元を見ると、そこには。
「にゃあ」
 行儀良く座っている、美しい真っ白な猫がいた。
「猫又なんだよ、そいつ。怪我してたのを拾って世話してやったら懐いちまってさ。怪我治っても離れてかなかったんで、とりあえず名前つけて飼ってたんだよ。けど、なんか人型になると一時的に記憶なくすことがあるらしくて。たまにこうやって誰かに連れられてくるっていう」
 同意を表すかのように、白猫――アキがにゃあ、と鳴いた。
「はあ、そうなんですか…。それじゃあ、草間興信所に来たのは偶然ですか」
 半ば独り言のように呟いた巽だったが、店主がそれに対して言葉を返した。
「いや、偶然じゃない。噂で草間興信所のこと聞いてさ。『怪奇探偵』だし、お仲間がいるかもなって話したから、行ってみようと思ったんだろ。猫じゃドア開けられないから人型になったんだろうが…記憶なくすのは予想外だったか、浮かれてそのこと忘れてたかどっちかだろうな。こいつ時々抜けてっから」
 フーッ、と恐らく抗議するアキに、店主は「怒るなって」と悪びれずに言う。そして巽に改めて向き合って、笑った。
「まーとりあえずありがとな。多分ほっといたらこいつ一ヶ月くらいはそこらへん彷徨ってただろうから。今度来たらサービスしてやるよ」
 彼女とでも来いよ、と豪快に笑う店主。
「彼女なんていませんよ」
 そう告げると店主は疑わしげな視線を向けたが、アキが「恩人に失礼なことをするな」とでも言うように猫パンチを食らわせたので、とりあえず詮索するのはやめたようだった。


 しばらくたわいもない話をした後、店主とアキに別れを告げて踵を返す。歩き出す直前、肩にトン、と何かが飛び乗り――。
 ぺろり、と頬を小さな舌が舐めていった。
 巽が突然の出来事に呆然としていると、肩から降りたアキがにゃあ、と一声鳴き、妙な表現かもしれないが――笑ったのだった。
「感謝の気持ち、だとよ」
 笑いを含んだ店主の声を聞き、自然と口元が緩むのを感じる。
「それでは、また」
 今度こそ本当に別れを告げ、巽は雑踏を歩き出した。
 どこか、暖かい気持ちになりながら。




  END




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2793/楷・巽 (かい・たつみ)/男性/27歳/精神科医研修医】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、遊月と申します。
「記憶喪失依頼人?」ご発注ありがとうございました。
初のお客さまということでどきどきしながらプレイングを拝見したのですが、まず「うわぁ美人さんだ!」がパソコン前での第一声でした…。
正体が「猫又」とはまったく予想外で、すごく楽しみながら執筆させていただきました。
ちょっと感情出しすぎかな…とも思ったのですが、動物相手ですし、そういうこともあるかな、と。
所有作品を拝見したところ、「記憶喪失」というのは結構重要というか巽さまの内面に関わりそうだったので、プレイングにない部分を追加してしまったのですが…不都合がありましたら申し訳ありません。 
ご満足いただける作品に仕上がっていればよいのですが。
それでは、本当にありがとうございました。