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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


虎落笛の鳴る頃に


 「っか〜〜…今日は一段と冷え込むなぁ…」
 室内であっても吐く息が白い。
 熱い珈琲でも飲んで少しでも体を温めよう。 そう思ってポットの再沸騰のボタンを押した矢先のことだ。
 ガンガンガンッと出入り口を連打する音に驚き、そちらに目をやる。
「なんだなんだ!? そんなに叩いたらガラスが割れちま…」
「草間探偵ですか!?」
 誰がこんな乱暴なことをしているのかと、扉を開けて文句を言ってやろうと思った瞬間だった。
 必死の形相で息せき切って草間本人である事を確認する少女。
 目にいっぱいの涙を溜めて。
「な、何だぁ?」
「ここ、草間興信所ですよね? 草間探偵にお願いがあってきたんです! 」
 こんな夜中にいきなりやってきて願いだ何だと言い出すということは、明らかに怪異の類。
 いつものように怪異お断りと言ってのけようとしたが、言えばきっと泣かれてしまうと思って言い出せないでいる草間武彦、三十歳。
 夜の遅いことだし、穏便に済ますには話を聞いてやるしかないかと、ため息混じりに少女を中へ通した。
「で? こんな夜中に子供が一人で何の用なんだ?」
「弟がッ…弟が消えちゃったんです! お願いです、どうか手を貸して下さい…! アタシや家族じゃどうしようもないんです…」
 失踪事件ならば警察に言った方がいいのではと思ったが、少女が次いだ言葉に思わず草間は首をかしげる。
「弟が"もがり"を倒してしまって、そしたら目の前で忽然と消えちゃったんです…きっとおじいちゃんが連れてっちゃったんだわ…! …お願いです、 どうやったら連れ戻せるのか教えて下さい!」
「ちょ、ちょっと待て。 連れ戻す方法も何も、そもそもその『もがり』ってなぁ何なんだ?」
「ああ、それは…」
 少女はてっきり知っているものだとばかり思っていたようで、説明を求められたことで少し冷静さを取り戻したようだ。
「人の死後、本格的に埋葬するまでの間、遺体を棺に納めて喪屋内に安置した古代の葬礼のことで仮葬場、また仮葬儀といいます。 当初は儀式そのものをさして「殯」といってましたけど、後にその殯で設けられた仕切りを「もがり」と言うようになりました。 この仕切りは私達が生きている世界と死者の世界を隔てる一種の結界だと聞きました」
 田舎の古い家系では葬儀の際に竹垣を交差させて、敷地の入口である門口に置く習慣があるという。
 少女が言っているのは恐らくそれのことだろう。
「―――要するに、だ。 お前さんのじーさまが亡くなって、その葬儀の準備中だったわけだな? そこで弟がもがりを倒してしまって、目の前から消えた…それでじーさんが弟を連れて行ってしまったと思ったわけだ」
 少女はこくりと頷く。
 草間は悩んだ。
 話が突拍子もないのは毎度のことなので置いておくとして、いわば神隠しにあったような状況で、常世に消えたと思しきその弟をどうやって助け出せというのだろうか。
 少なくともそれは草間に出来る芸当ではない。
「…………さすがにこの時間だ。 その手のことに詳しい奴がすぐつかまるとも限らない……とりあえず知ってそうな奴に連絡つけてみるが…できればあまり期待しないでほしい」
 不安の色がいっそう濃くなる少女だが、わかりました、と涙声で呟いた。
「…ところで話は変わるが、何で俺のことを知ってるんだ?」
「あ…雫ちゃんに聞いたんです。 ゴーストネットOFFの…」
 その瞬間草間は、あのガキ…と悪態づいた。

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  家の状況を見て驚かないで下さいね。
 依頼人の少女、耶麻シズルにそう囁かれ、一同は葬儀の真っ最中である彼女の家へと向かった。
 家に近づくにつれ、次第に喪服に身を固めた人々が行きかう姿が視界に入る。
 どうやら葬儀の一切合切を自宅で行うようだ。
「…今時珍しいわね」
 ぽつりと呟くシュライン・エマ。
 最近は盛大な葬式というのも珍しく、大抵は葬祭場の互助会によってサポートされ、取り仕切られる。
 寺での式も多いが、セレモニーホールでの弔問形式が主流となりつつあるが、そんな中でも古い習慣を守り続けている所も残っているというわけだ。
「一応今持ってるだけの本からもがりやこの土地の慣習に関する資料を集めてきましたけど……草間さんがおっしゃるとおり、この時間ですから情報不足という点は否めませんね。 朝になればうちの大学の図書館でも国会図書館でも行って、もっと詳しく調べることもできますけど」
 興信所でいったん広げた資料をそのまま抱えてきた秋月・律花(あきづき・りつか)は、肩からずり落ちてくる重そうな荷物を度々持ち直す。
「皆さん、こちらの勝手口から離れの方へお願いします。 葬儀の準備中なので遠縁の親戚や互助会の方々も出入りしてますし…家族も今事を大きくしたくないと……」
 依頼人の少女に言葉に従って離れへ向かうも、草間は彼女の言葉が胸のうちに引っかかる。
 家族が忽然と消えたのに事を公にしたくないなどと普通口に出すだろうか。
 確かに、状況からして警察に説明したとて頭がおかしいだけだと思われるだろう。
 しかし自分達に依頼してきたということは、少なからず身内はその手の現象を理解し、受け止めているはずなのだから。
「……こりゃあ、家族間のことも調べる必要があるかもな……」

「仏教等とは違うけれど、通常日本では四十九日までは霊は行先定まらず漂ってると信じられてるのは大きいし、もしその不安定な場所へ連れ去れたなら時間的にまだ連れ戻せる筈…」
 生死世界の不安定さから、アンダーテイカーが絡んでいる可能性も捨てきれないが、昔からある風習の決まりごととアンダーテイカーの接点が思い当たらない。
 単なる思い過ごしであることを願うシュライン。
「死んだ家族が生きている家族を道連れにしようだなんて普通考えるもんなのか? 死んで妖怪っぽく人間性が変わっちまったならしょうがないが、もっと別の要因が絡んでる気がするんだが…」
 縁側に腰掛け、テーブル上に資料を広げて律花と共にもがりについて調べを進めるシュラインに天波・慎霰(あまは・しんざん)は相変わらずの仏頂面で言葉を投げる。
 しかし慎霰も内心はそうであってほしいと願っているのだ。
 道連れなどと、そんなことは考えたくもない。
「―――道連れでも外的要因でもないとすれば……?」
 ぽつりと菊坂・静(きっさか・しずか)が呟いたその時、母屋の方から慌しく、依頼人の少女とその母親らしき人が一緒に小走りに離れまでやって来た。
「夜分に突然申し訳ありません。 耶麻シズルの母、耶麻京子と申します」
 三つ紋の黒留袖姿をした女性は恭しく三つ指ついて頭を下げた。
「このたびは突拍子もない依頼をしてしまって申し訳ありません。 ですが今は他に頼る所がないのです」
「あー…その辺はいいから、早く解決したいならまず子供が消えた状況を教えてくれ」
 その話に入らないとこちらもどう動けばいいかわからない。
 草間はシズルの母にそう告げる。
 すると彼女は娘のシズルの顔を見やる。 母に促され、弟が消えた時の状況をシズルは淡々と話し始めた。
「おじい様が…祖父が亡くなってその葬儀の準備をする上で仮葬儀の形で出入り口に竹垣…もがりを立てて、それから親戚に連絡入れたりお坊様や花輪や香典返しの手配などで屋敷中がバタバタしてて、誰も小さな弟の面倒を見る人がいなくて、目をはなしがちだったんです。 私も食事の準備を手伝っていたのですが、弟が一人で出入り口のほうへ向かうのが見えて…それでこんな時間だし、後を追ったら…」
「弟がもがりを倒して、目の前から消えちまった…そういうわけだな?」
 草間の言葉に、シズルはゆっくりと頷いた。
「……あれほど、葬儀中にもがりに触れてはいけないと教えておいたのに…」
 やりきれないような顔でそう呟く母親。
「―――その口ぶりだと、前にも同じことがあったんだな?」
 途端、母親の表情が険しくなく。
 いくら風習として根付いているからといって、娘が見たことをそのまま鵜呑みにして尚且つもがりを倒してしまうことの危険性をこれほど強調するのは、前にも同じようなことがあったからではないかと草間は睨む。
「……私が直接見たわけではありませんが……身内が一人、葬儀中に失踪したまま見つかっておりません。 もう三十年以上前のことです」
 引きつるその声の調子に、シュラインは違和感を覚える。
「あの…」
 シュラインが話し掛けようとすると同時に、母屋の方から京子を呼ぶ声がした。
「す、すみません。 行かなければ…」
 そういって止める間もなくそそくさと戻ってしまった。
「―――武彦さん、彼女……」
「…ああ…」
 何か隠してる。
 あからさまに動揺した京子に、シュラインでなくてもその場の全員がそう感じていた。
「お母様……どうして…?」
 弟が心配ではないんだろうか。 何故隠し事などするんだろうか。
 シズルは困惑する。
「――あの、聞きそびれちゃったんだけど、シズルさんでもわかるかな…弟さんとお爺さんは仲がよかったですか?」
 静の問いに一瞬首を傾げるも、すぐに内容を理解し、返答する。
「はい。 お爺様と弟はとても仲がよかったです。 いつも一緒で、お爺様は春の入学式には自分がその晴れ姿を写真に撮るんだって意気込んでいました」
 それが何かと問われると、静は自嘲気味に微笑、質問の理由を述べる。
「弟さんはもしかしたらわざと「もがり」を倒して向こうに行ったんじゃないかなって…死んだ人に会いたいって思うのは、自然な事です」
 …僕も、そうでしたから。 その最後の一言は小さな声で呟かれた。
「とにかく、通例から推測するならば…おじいさんはまだ成仏してないはずです。 ちょっとしか霊感ない私でも見えるかもしれない」
「四十九日のこともあるし…仲がよかったのなら逆に連れて行くことはなさそうよね…」
 律花はこの風習についてよく知っていそうな年配の方がいないかどうかシズルに尋ね、少し近所で聞き込みをしてくると席を立つ。
 シュラインはシズルに弟の失踪当時の服装や外見を尋ね、最近撮った写真などがあれば貸してくれるよう頼んだ。
 言われるままに最近祖父と撮った写真を持ってきて、それをシュラインに渡した。
「―――入学式って、小学校の…なのね」
 写真に写っているのはまだ幼い少年。
 その隣で皺いっぱいの顔を笑顔で更にくしゃっとさせた、元気そうな老人。
「……やっぱり、その爺さんが原因じゃねぇ気がする……」
 生前はこれほどまでに仲良しだったのに、死後そんなことになるならば家族は素直に弔えないだろうと。
 慎霰はいつになく沈んだ面持ちで呟く。
 シズルも同時に、あんなに仲のよかった祖父が弟を道連れにするはずなどないと、写真の笑顔を見て改めて思った。
「……とりあえず、消えたときの状況をもっと詳しく教えてくれるか?」
 草間の問いにシズルは祖父を思い出して結い線が緩んだのか、涙をこらえる様子でその当時の状況を思い出そうとする。
「…弟が、もがりの前に立っていて、ジッとそれを見つめていて…声をかけようとした途端もがりを掴んで引き倒したんです……」
「その時何か見えなかったか?」
 シズルは首を横に振る。
 文字通り、弟は掻き消えてしまったのだと。
 別段もがりから何かが出てくるわけでもなく、弟だけが忽然とその場から消えてしまったのだと。
「〜〜〜…人間の葬式はよくわかんねぇが……探しに行くってンなら、やっぱ同じ状況を作るしかねーんじゃね?」
 頭をかきながら慎霰がポツリと呟く。
「そうね。 秋月さんが戻ってきたらやってみましょう」
 霊界へ。
 現世と常世の狭間へ。



  夕食が済んで、老人は早々と床につくような、そんな時間帯だった。
 さすがに依頼内容を洗いざらい話すわけにも行かず、律花の聞き込みは難航している。
「……昼日中なら民俗学の研究をしてるとか何とか…それっぽい理由がつけられるんだけどなぁ」
 草間に呼び出された時点で既に夜の七時を回っていた。
 そして依頼人の屋敷についたのが九時頃。
 どう考えてもこんな時間帯では自分が不審者扱いされて通報されかねない。
「…でももがりだとか…地元の葬式の作法なんて若い人が知ってるわけもないし…」
 知っていたとしてもせいぜい触り程度であろう。
 しかし律花が調べたいのはそんなことではない。
「―――せめて消えた先がわかれば……」
「アンタかね?」
 突然背後から声をかけられ、驚いて慌てて振り返る律花。
「え? あ、あの…なにか?」
 目の前にいたのは小柄な老婆。
 手には一升瓶の酒が二本、風呂敷に包まれている。
「アンタがもがりについて教えてくれって、こんな時分に聞きまわっとるおなごかね?」
 老婆は律花を上から下までジロジロと検分する。
「あ、はいっ…どうしても今知りたくて……」
「―――アンタ、耶麻の家のモンと関係があるんかね?」
 老婆の問いに、一瞬言葉を詰まらせるが、ここは素直に全部言ってしまった方がいい。 そう判断した律花は信じてもらえないでしょうけど…と前置いて老婆に事情を話し始めた。
 すると老婆は驚くでもなく、ただ眉間に皺をいっそう深く刻み込み、深々とため息をついた。
「…まかたね…あの家は」
「また…?」
 首をかしげる律花に、老婆はこれからあの家に準備の手伝いに行くから道すがら話してやるといって、律花の先を歩いた。
「―――もがりと呼ばれる竹垣はこの世とあの世の道を遮る結界じゃ。 人が死んだ時には道が開きやすい…じゃから時折生きた人があの世に迷い込んじまったり、あの世から呼ばれて生きたままあの世へ行っちまったり…もがりはそれをさせない為の線引きなのさ。 だから葬式の最中はあれを移動させたり倒したりしちゃいかんのじゃ」
 地方ごとに、宗派ごとに葬式のあり方は変わる。
 葬式はその家族最大の催し物であると同時に、一族内でその一家の立ち居地を誇示する為のものでもある。
 そのために結局、生きた人間の見栄の張り合いとなり、他の親族から馬鹿にされない為に盛大な葬儀を行うことが多々ある。
「なるほど……それで、さっきの『また』ってどういうことですか…?」
 すると老婆は怪訝そうに眉を寄せ、周囲の目を気にしながらぽつりと呟いた。
「…あの家はね。 三十年以上前にも一度その禁を破って家人が一人消えてるのさ」
 禁を破る。 即ち葬式の最中にもがりを倒してしまった者がいたということ。
 三十年以上も前に。
 しかも今回と同様に、耶麻家で。
「この辺じゃ耶麻ン家は一番の旧家でねぇ…この辺一帯は殆どがあそこの縁者なのさ。 わしゃは違うがね」
 老婆は言葉を続ける。
「三十年以上前…いつ頃だったかはよく覚えちゃいないが、あの時は今の当主の祖母が亡くなったんだったかねぇ…その時に、長男がもがりを倒して消えちまったんだとさ」
「誰かそれを見た人がいるんですか?」
「長女が――…妹がそれを見ていたそうだよ」
 律花は頭の中で年代を整理した。
 おそらく依頼人の耶麻シズルの母、京子が三十年以上前の現象の目撃者なのだろう。
「京子さん、なんで嘘ついたんだろう…」

 「帰ってきたぞ」
 慎霰の言葉に一同顔をあげ、律花の顔を見やる。
 その表情から、十分な収穫があったようだ。
「何かつかめましたか?」
 静の問いに律花はええ、と力なく返す。
「? どうしたの秋月さん」
 明らかに不自然な態度。
 律花は各自の顔を見やり、最後にシズルの顔をジッと見つめた。
「なん…ですか?」
「―――……ちょっと、言いにくいことなんですけど…」
 律花は老婆の話したことを包み隠さず一同に、シズルに伝えた。
 当然、皆の表情は険しくなる。
「お兄さんが目の前で消えたのに、何故嘘をついたのかしら」
 謎は深まるばかりだ。
「黙って考えてても埒があかねぇ。 まずは依頼の弟探しの方が先じゃねーか?」
 京子が嘘をついたことなどは後で調べればいいことだ。 慎霰の言葉に一同は頷く。
「それじゃあ、霊界へ行く方法として、弟さんと同じ事をするってので意見は一致してるから、もがりの所まで行きましょう」
 シュラインは予め用意した塩と櫛、そして弟を発見した時、連れ戻す際にこちらを信用してもらわねばならないため、シズルから家族写真を借りる。
「えっと…あの、これでいいんでしょうか?」
 シズルがシュラインに渡したのは一通の手紙。
 便箋一枚に認められたそれをうけとると、シュラインは家族の言葉が必要なのだと言う。
「あと、これを」
「糸…?」
 シズルに渡されたのはシュラインが持つタコ糸の端。
 意味が分からず首をかしげるシズルに、シュラインは現世と常世を繋ぐ道だと伝えた。
 入り口はもがりを倒すことで現れるかもしれない。
 しかし、弟が戻ってこないことから考えて、出口を見つけるためには何か現世との繋がりが必要なのではないかと。
 病院で死の淵にある患者の手に包帯を巻き、その端を持って呼びかけることで霊界を彷徨う患者を引き戻す道しるべとなる、白い紐という呪いがあるように。
「戻ってくるまで絶対にこの先を放さないでね」
「わかりました。 ……弟を、亮太をお願いします…ッ」
 そういって糸の端を自分の指に巻きつけ、伸びている方をグッと手の内に握りこむ。
「あと、草間は残れよ。 誰かに聞かれた時に状況説明するにはシズルだけじゃ信用してもらえねぇかもしれねーしな」
「わかった」
 慎霰の言葉に頷き、シズルと共に戸口に立つ。
 皆が立つのは弟が消えた時の位置。
 草間とシズルが立つのは、消える瞬間を目撃した位置。
 そして…
「倒した奴が…ってことかもしれねーしな。 全員で一斉に倒すぞ」
 慎霰、シュライン、律花、静がもがりに触れる。
 そして慎霰の合図と共に、もがりは再び倒された。
「!」
 シズルが証言した時のように、何の前触れもなく四人は一瞬にしてその場から消えてしまった。
 暫し呆然とするシズル。
 そんな彼女を置いて、草間は再びもがりを立て直しに行き、シュラインが持っている糸車の先が見えない何処かに繋がっていることを確認し、必ず戻ってこいと声を押し殺して呟いた。



  行けども行けどもその先は闇ばかり。
 ちゃんと前に進んでいるのかも、シュラインの持つ糸がなければ確認できないほどに、辺りは闇に包まれていた。
 しかし、不思議と各自の姿は確認できる。
 体が発光しているわけでもないのに、それぞれの姿がハッキリと見えるのは、生きた魂の力ゆえだろうか。
「亮太く――――ん」
 律花が第一声をあげる。
 それに続いてシュラインや慎霰も声をあげる。
「亮太くんお家に帰りましょ―――!」
「オイ、亮太! 姉ちゃん心配してるぞ! 連れて帰ってやっから早く出てきやがれ!」
 小学校前の子供にそんな怒鳴るようないい方したら出てくるものも出てこなくなると、静は慎霰にもう少し表現を柔らかくするよう言った。
 それは普段の静と変わらない。
 しかし、この空間に入ってから時折静の行動がおかしくなる。
「――――…懐かしい気がする…混ざってるから…? でも…それよりももっと落ち着く…何でだろう?」
 落ち着いてはいる。 が、気を抜けばそのままふらりと皆からはぐれて一人先へ進んでしまいそうで。
 自分なら皆よりも深いところまで探しにいける。
 自分の中にある存在が、この世界をより明確に把握させてくれる。
 自分はこの世界をこの場にいる誰よりも知っているから。
 静の感覚が亮太のいる先を見つけ出す。
「―――この先…このまままっすぐ行けば、亮太くんがいると思います」
 事の真偽を問われれば、ただ感覚がそう告げているとしかいえなかった。
 だが、皆はそれを疑うことなく、示された先に向かって走り出す。
「亮太く―――ん!」
「亮太君出ておいて――! シズルお姉ちゃんも心配してるわ――!」
「! おい!」
 先の方にぼんやりと光が見える。
 いや、光というより、いまの自分たちと同じような存在というべきか。
 そしてその傍らに、にごった人影も。
「お爺さん!?」
 まさか本当に亡くなったお爺さんが亮太を連れて行こうとしてるなんて。
 一同の表情が凍りつく。
 しかし、亮太に近づくにつれてその隣にいる姿がはっきりとしてくる。
 老人ではない。
 背格好は中学生ぐらいの、少年だ。
「亮太君!」
 シュラインの声に、ようやく亮太が気づいた。
 振り返って首をかしげる亮太。
「亮太君に間違いないわね? 帰りましょう。 ここにいてはいけないわ…シズルちゃんも君の事を心配してる」
 見知らぬ四人に迫られ、最初こそ怯えた表情を見せる亮太だが、案の定シズルの名を出すと表情が和らいだ。
「……おねえちゃん?」
「そうよ、ほら。 私たちはお姉ちゃんの代理でここまで来たの。 君を連れ戻す為に」
 そういって写真を見せるが、亮太は首を横に振る。
 まだ信じてもらえないのか、そう思った矢先、亮太は隣にいるにごった人影の手を握り締めシュライン達に叫んだ。
「やだよ! 僕はおじいちゃんのトコ行くんだ! この人がおじいちゃんのトコに連れてってくれるって言ったんだもん!!」
 人影が、ゆっくりと振り返る。
 見たことのあるような、誰かに似た面差し。
 そこで律花はハッとする。
「………京子さんの……お兄さん……?」
 その言葉に、少年はにたりと笑った。
『―――よくわかったね…京子の知り合い?』
 声色は少年のそれだ。
 だが、そこには憎しみが宿っていように思えた。
「どうして亮太君を連れて行こうとするんですか!?」
『どうして? ………決まってるだろう、京子が憎いからに決まってるだろ!?』
 実の妹が憎い?
 何故?
 律花の中で様々なキーワードがバラバラに集まってくる。
 そして、あのときの老婆の言葉が脳裏に浮かんだ。

”長女が――…妹がそれを見ていたそうだよ”

「まさか……」
 少年はにやりと笑う。
 兄がもがりを倒して、消えた。
 それを妹が見ていた。
 でも、兄は妹を憎んでいる。
「―――…京子さんが…あなたにもがりを倒させた………?」
 律花の言葉に、シュラインたちは困惑する。
 そしてその問いに答えるように、少年は更に顔を歪めた。
『正確には――京子が僕を突き飛ばしてくれたおかげで、僕はもがりを倒してしまった…そういうことだよ』
 それで全ての線が結びついた。
 京子が嘘をついたこと。
 もがりを倒すことの怖さを知っていたこと。
 亮太がもがりを倒した理由。
 全てが繋がった。
「……あなたが誘ったのね? もがりを倒せばおじいさんに会える…お爺さんの所に行けるって…!」
 その通り、そう言わんばかりに少年は目を細める。
「……なんて、惨い事を…」
 静は震える声でそう呟く。
 死んだ人に再び会えると言われれば、それがとても大切な相手であれば尚更。
「亮太君がこのまま霊界を越えて、死んでしまったら……今度はシズルさんや京子さんが悲しむのに!」
『じゃあ僕は!? 僕はなんなんだよ! 京子が突き飛ばしたのに…アイツがすぐにもがりを起こすから、道がなくなってわからなくなっちゃったのに……』
 誰も覚えちゃくれない。
 自分が消えた本当の理由を。
 そういって少年はポロポロと涙を流して歯噛みする。
『――――それはお前が京子に意地悪をしたからだろう―――?』
『!』
「誰!?」
「何処だ!?」
 シュラインと慎霰がここにいる者とは別の声に、周囲を見回した。
「あれは…」
 真っ先にその声の主を見つけたのは静だった。
 自分たちに似た光。
 けれど、輪郭がぼんやりとして、今にも消えそうな人影。
「おじいちゃん!!」
『あっ…』
 亮太は少年の手を振り払い、そのぼんやりとした光の方へ駆けて行く。
「亮太君待って!」
 シュラインが止めようとするが、そんな彼女を静が止める。
「大丈夫だよシュラインさん。 ほら、見て? お爺さん、あなたの持ってきた糸の方向へ亮太君を導いてる」
 天地の区別がつかないような闇の中で、唯一自分たちの足場の位置を示す細く、白い光の道。
 輝きが増す方へ、現世の光があふれる方へ、老人は亮太を導いていた。
『させるかあああああああああああッ』
 その後を少年が追おうとする。
「そりゃこっちの台詞だ! シュライン! 秋月! 菊坂! お前らも爺さんと亮太の後を追ってこのまま現世に向かえ!」
「分かったわ…慎霰君も早くね!!」
 シュライン達が走っていった後、迫り来る少年、いや、既に人の形を成していないそれを慎霰がくい止める。
「生きながらにして死者になっちまったお前にゃ同情してやるよ! だがな…それで生者に害成すってことはもうお前自身が人じゃない、化け物になってるってことなんだよ!!」
 慎霰に人であった頃の記憶はない。
 人の頃にはいたであろう家族のことも覚えていない。
 しかし、それでも心の奥底に残る何かが、この少年の愚行を赦せなかった。
 人として機能していてほしい部分を忘れた少年が、人から天狗になった身には赦せなかった。
 しかし――それすらも慎霰は覚えていない。
 あるのは理由を失ったその想いだけ。
「あるべき所へ還れ!」
 大量の鴉の幻影が少年だったものに襲い掛かる。
『僕は…ぼくは……っ』
「―――寂しかっただけだよね?」
「菊坂!?」
 シュライン達と共に出口に向かったはずの静が、慎霰の傍らに立っていた。
「…でも、きっかけを作ったのは君なんだろう? 京子さんに意地悪して…それで怒った京子さんが君を突き飛ばしたら、偶然もがりに当たって、君がもがりを倒してしまった…」
 言い方はきついかもしれないが、自分が招いた結果だと静は少年に告げる。
『……そんなこと……ぞんなごどおぉぉぉぉぉおおおぉおぉ』
「!?」
 泥のように崩れ始める少年は慎霰の幻影を次々と飲み込んでいく。
「やべぇっ…菊坂! 行くぞ早く!!」
「――自分でもわかってるんだよね…だから、余計に遣る瀬無いんでしょう? 分かるよ、その気持ち…でも、もう終わりにしようよ。 こんな所に留まってちゃ、君は永遠に霊界を彷徨う幽鬼になっちゃう…二度と人に転生できなくなっちゃうよ?」
 還ろう――
 そういって静が先を示す。
「行きなよ…それでもう一度やり直すんだ」
 生まれ変わっておいで。
 そう、少年に告げると、泥のような姿が消え、出遭った時のような少年の姿に戻った。
「!」
 その様子を見て驚いたのは当然ながら慎霰だ。
「お前…いったい…」
 くるりと振り返り、静はにっこりと微笑む。
「行こう、天波君。 僕達も現世に戻らなくちゃ」
 それ以上の追求を拒む態度。
 そんな静に慎霰は苦笑し、ため息混じりにそうだな、と呟く。
「戻ろう」



  出口近くで待っていたシュラインが慎霰と静の手を引く。
 現世で糸を持っていたシズルは泣きながら亮太を抱きしめていた。
「…ところで、あの爺さんは?」
 辺りを見回す慎霰に、律花があそこにいますと方向を示す。
 それは遺体を寝かせてある部屋。
 寝ずの番をする家族が、京子やシズルの父親やその他の親族が、一本ずつ線香を灯し、その火を絶やさぬよう何度も新しい線香に火をつけていた。
「――お爺さん、今までずっと体に留まってたんですって…」
「肉体が死んでも魂はすぐにその体から離れるんじゃないんだそうです。 今まで高いびきで寝ていたそうですよ」
 それこそ生前と変わらない形で。
「…本当に、有難うございました…ッ」
 シズルはすっかり寝入ってしまった亮太を抱えながら、草間達に礼を言う。
「…亮太くんが消えた理由……お母さんには?」
 シュラインの問いに、シズルはゆっくりを首を横に振った。
「―――…お爺様の葬儀が終わって、何もかも片づけてからにしようと思います。 その方が…母も…………」
「お爺さんが…連れて行こうとしたんでなくて、よかったですね…」
 だからと言って本当の理由でよかったともいえない。
 律花は寂しげに微笑む。
「…今夜は、いっぱいお爺様とお話しようと思います。 私にはお爺様の姿は見えないけれど……あそこで聞いていてくれてるなら、それで」
 シズルは亮太を抱えたまま、草間達に頭を下げる。
「本当に…有難うございました。 依頼料は後日事務所のほうへ持っていきます」
 そう言ってシズルは亮太と共に屋敷へ戻っていった。
 その後姿を暫し見送る一同。
 草間はそんなシュラインの肩に触れ、ご苦労様、と労う。
「―――武彦さんが……いえ、そんなことを考えるなんてよくないわね」
 言いかけた言葉を苦笑気味に止め、事務所に戻りましょうかと微笑むシュライン。
 言いかけた言葉の先は草間にも分かっていた。
 だが、それは恐らく草間とて同じことなのだろう。
 律花にとっても。
 慎霰にとっても。
 静にとっても…

 自分の大事な人に会えるなら――もがりを倒してしまっても構わない。


 夜の帳は静かに彼らを包み込み、事件が終わった耶麻家には、この季節の冷たい風が戸の隙間から吹き込み、笛のなるような音がする、冬の風物詩。
 虎落笛<もがりぶえ>の音が一陣の風と共に。
 事務所へ帰る途中でも、時折その音がそこかしこの家から響いてくる。



「―――まるで…誰かが泣いてるみたい……」
 ポツリと呟いた律花の一言は、それぞれの胸に染み入った。


―了―
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1928 / 天波・慎霰 / 男性 / 15歳 / 天狗・高校生】
【5566 / 菊坂・静 / 男性 / 15歳 / 高校生、「気狂い屋」】
【6157 / 秋月・律花 / 女性 / 21歳 / 大学生】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、鴉です。
草間興信所【虎落笛の鳴る頃に】ご参加いただき有難うございました。
それぞれの推理や行動はズバリ。
とてもスムーズに進めることが出来ました。

ノベルに関して何かご意見等ありましたら遠慮なくお報せ下さい。
この度は当方に発注して頂きました事、重ねてお礼申し上げます。