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<東京怪談ノベル(シングル)>


tremolo



 手当てを受けていた神崎美桜はぐっ、と拳を握りしめる。
 お蕎麦を食べて……そうしたらきっと彼は出て行ってしまう。このまま。
「和彦さん、座ってください」
「は?」
 きょとんとする和彦を引っ張り、部屋の中にあるソファに座らせる。
「お、おまえ足……!」
「とにかく座ってください」
 和彦の両腕を押さえつけるようにした。彼は不思議そうにする。
「動かないでくださいね」
「は……?」
 疑問符を頭の上に浮かべている彼の膝の上に座ると、彼は仰天してすぐさま離れた。その際に美桜を軽く突き飛ばす。
「なにやってるんだ、おまえは!」
「膝の上に座っただけです」
「なんでそんなことをする!?」
「真剣に話そうとしただけです」
「だったら普通にやれ!」
 頬を赤くして怒鳴った和彦は、一息ついてから呼吸を整えた。
 彼はぽんぽんと自分の隣を手で軽く叩く。
「隣に座ればいいだろ」
「どうして膝の上じゃいけないんですか?」
「…………そういう迫り方は好きじゃない」
 青ざめて言う和彦は顔を引きつらせていた。
 美桜としてはそれが普通だった。甘えも入っていたが、和彦が拒否するとは思ってもみなかった。いや、拒否する……というよりは「引かれて」いた。
 美桜は和彦の隣に寄って、彼を見遣る。
「ちゃんと話を聞いて。勝手に決めないでください」
「……は?」
 眉間に皺を寄せる和彦に、美桜は真剣な眼差しを向けた。
「もう話は終わっただろう?」
「終わってません」
 和彦は「そうだろうか……」と悩んだ表情をする。先ほどの話の流れからして、もう終わっていると思うのだが……。
 ぺこ、と美桜は頭をさげる。
「不安にさせて、ごめんなさい」
「…………」
「兄さんはずっと私のことを見てるから敏感に察知してくれて、それが当たり前になっていて」
 美桜の口からその話題が出た瞬間、和彦が不愉快そうな顔をして視線を逸らした。
「もうそいつのことを話題に出さないでくれ。本当に……腹が立つ」
「でも!」
 美桜が声の音量をあげた。和彦が美桜のほうを見遣る。
「でも兄さんのことは大好きだけど、貴方のことは誰よりも愛してますからっ」
「……………………」
 唖然としたように彼は目を丸くしていた。美桜はずいっと体を近づける。
「でも和彦さんも酷いです。もし妹さんが生きていたら私とどっちを選びますか?」
「美桜だ」
 即答されて美桜は言葉に詰まった。美桜は顔を赤らめる。
「な、なんでそんなに早いんですか!?」
「そんなもの、決めているんだから迷うはずもない。例え俺の妹が生きていても、俺は妹を選ばない」
 美桜は「うっ」とうめく。選べない和彦に言うつもりだったセリフが、出せなくなってしまった。
「わ、私は決められないんです。二人とも大切な人だから」
「…………ふぅん」
 冷たく言う和彦に、美桜はしゅんと肩を落とした。
「カルネアデス」
「え?」
「カルネアデスだ。知ってるか?」
 聞いたことがない。美桜は首を横に振った。
「海で、一つの板がある。二人の体重は支えられない。助かるのは一人。
 おまえはどうする?」
「和彦さん……」
「選ばなければ二人とも死ぬ」
「…………」
「必ず選ばなければならない局面はある。そういう時に選べるか、と俺は訊いたはずだ。
 今さらどっちも大切だとか、そういうことが聞きたいわけじゃないのはわかるだろっ!?」
 いい加減にしてくれ、と和彦が言う。
「俺はそれをわかっている、と言った。おまえは二人のどちらも選べないと、俺は以前言ったじゃないか!」
「だ、だって!」
「おまえはどうして人の話をきちんと聞かないんだ! おまえこそ、ちゃんと俺の話を聞け!」
 珍しく声を荒げた和彦に驚き、美桜はぽかんとした。
「おまえはすぐに思い込むし、勝手に話を都合よく転換させるところがある!
 俺にだって心があるし、蔑ろにされれば腹が立つ……。俺を不安にさせて悪いと思っているなら、なぜここでおまえの兄のことを口にするんだ! 無神経にもほどがあるぞ!」
「す、すみません……。でも私は外に出れば狙われる。それを知っているから……その、兄さんは貴方を試したんだと思います。私と一緒にいる覚悟があるのかを。でも……和彦さんは兄さんから私を奪ってはくれず、置いて……行ってしまうんですね。和彦さんは意気地なしです」
 ぽろ、と涙が零れた。服の袖でそれを拭う。
 和彦はこめかみに青筋を浮かべた。
「……本当にいい加減にしろよ、美桜……いくら温厚な俺でも堪忍袋の緒が切れる……」
 ふふふと妙な笑いを浮かべる和彦はハア、とわざとらしく嘆息した。
「何が狙われるだ。狙われないようにする方法なんて幾らでもある! おまえは狙われて居たいのか!? 一生ずっと、追われる生活でいいのか?」
「いいわけないですっ!」
「じゃあそうなるように努力をしろ! 狙われているなら、それを回避する方法を探せ! その方法を探しもせずに甘えるのはやめるんだ!」
「だって……私の能力を狙う人は後を断ちません」
「狙われていたいならそう言え!」
 はっきりと言い切られて美桜はびくっ、と反応した。和彦は本気で怒っている。真剣に。
「言い訳をするな! そうやって言い訳をするのは、逃げていることと同じだ!」
「和彦さん……」
「おまえの言い方は、狙われていたいと言っていることと同じだ。本気で嫌がっていない!」
「嫌がってます!」
「嫌がってないっ!」
 涙の浮かんだ目で言う美桜に、彼は続けた。
「俺は試されるのが嫌いだ! それに、挙句は俺のせいか!? 奪ってくれないだと? 奪えばいいのか!?」
「和彦さん……」
「乱暴に踏み躙ればいいのか!? おまえの意志など無視して、おまえを攫えと!?
 俺はな、おまえの兄のことが大っ嫌いだが、おまえが大切に想っているから……おまえの意志は尊重したいと思って…………!」
 唇を噛み締めて和彦は一呼吸置くと、美桜から少し距離をとった。
「…………もういい。大声を出して悪かったな」
「あの……」
「……他人のせいにばかりするな。俺はな、おまえの意志が聞きたいんだ」
「私の?」
「簡単なことだろ。俺が好きだと言うなら、至極簡単なことだ。
 『一緒に行きます。すぐにでも』
 そう言えば済むことなのにダラダラと言い訳をすることはないじゃないか」
「………………」
「おまえの兄がどう思うとか、だからどうだとか…………結局おまえは自分で考えてないじゃないか。なに一つ。
 自分の意志で、自分の足で歩けないのか? おまえは人形じゃないだろう? ちゃんと心を持った、意志を持った一人の人間じゃないか」
「私の……」
「俺は最初から『美桜に』訊いている。
 美桜以外の誰かの意見を聞いているわけじゃないだろ?」
 和彦は立ち上がった。美桜はそれを目で追う。
「俺が出て行った時、誰の力も借りずにおまえ一人で、おまえの意志で追いかけてくれる…………そんな根性を出せるほど俺を好きならいいんだが、と俺はずっと思っていた。まあ、都合のいいことだが」
「和彦さん」
「『おまえが』自分で決めることだ。俺の意見とか、おまえの兄の意見とか、誰かの意見に左右されるな。おまえが一人で決めるんだ。自分で決めなければ、結局は後悔するんだから……」
「………………」
「おまえはすぐに他人のせいにする。他人に頼る。
 とても簡単なことだ。他人のせいにすれば、自分が傷つくことはないからな」
「……言ってくれないんですか、一緒にここを出ようって」
 ほら、と和彦が目で叱る。
「そうやって他人に頼る。俺が言えばなんでもするのか、おまえは」
 美桜は視線を伏せた。
 自分はもしかして、何も変わっていないのではないのだろうか?
(誰かに頼って生きる……誰かの意見に従う……)
 簡単だ。自分で選ぶことがない。
 美桜は思い返した。
 自分はそういえば、自分で選んだことはあまりないのではないだろうか?
 この家も自分が用意したものではない。この環境もそうだ。
 楽な生き方をしている、と彼は言う。自分は和彦ほど強くはない。真っ直ぐ立てない。けれど彼に憧れる。
 彼に手を引っ張って欲しいと願う自分がいる。そうすれば……。
(楽、ですね)
 とても。
 だが自分は反省しない。思い返しても、またすぐに。
 誰かに引っ張ってもらうことを悪いことだとは思わない。思わないのだ。
 彼は深い溜息をついた。
「はぁ……まさかここまで言うことになるとは思わなかった。自分で気づいて欲しかったんだがな」
「私……ニブいですね……」
「ニブいし、無神経だ」
 和彦は真っ直ぐに言葉を放った。偽りのない言葉だろう。
 はっきり言われなければ美桜は気づかないし、気づいても耳を塞ぐ。傷ついて、落ち込む。
 ――逃げる。嫌なことは全部、見たくない。聞きたくない。
 ――逃げる。自分の嫌なところは知りたくない。気づきたくない。
 自分はいつも綺麗でいて、美しく無垢でありたい。綺麗な人間でいたい。
 身をすくませる美桜は、呟く。
「……嫌い、ですよね。こんな私」
「莫迦」
「ば、ばか?」
「阿呆」
「あ、アホ?」
 和彦は美桜の頭に手を置くと、乱暴に撫でた。髪を掻き乱す。
「そういうところも全部含めて俺は好きになったんだから、そういちいち落ち込むことはないし、嫌な部分がない人間なんていない!」
 そして手で強く頭を押して、離す。
「おまえが言ったんだぞ。言ってくれないとわからないって。だから、きちんと言っている。嘘はないぞ」
 フンと鼻で息をして彼はドアに向けて歩き出した。
 美桜はぐしゃぐしゃにされた頭に手を遣り、彼のほうを見遣る。
 ドアノブに手をかけてから、彼は振り向いた。
「俺は死んでも『ついて来い』とは言わないからな。自分で決めろ。いいな!」
 ドアを開けて彼は出て行ってしまう。だが閉じる前に和彦は言った。
「もう出て行く。じゃあな」
 バタン! とドアが勢いよく閉められた。
 残された美桜はぼんやりと視線を自分の足もとに向ける。
「自分で……決める……」
 自分で……。



 ドアの外で和彦は深く溜息を吐いた。
(ここまで言わないとわからないのか美桜は……。やれやれ)

 彼は屋敷を振り向いた。この広大な敷地内に戻ってくることは、もう二度とないだろう。
 和彦は屋敷に背を向けた。もう、振り向くことはない。
「蕎麦……結局食べられなかったな……」
 そう呟いて彼は歩き出したのだった。