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<東京怪談ノベル(シングル)>


November 11. ―後篇―



 菊坂静はベッドの上でぼんやりと室内を見回す。
 意識が戻り、個室から六人部屋に移された静はがらんとした部屋の中を眺めた。つい最近までは満床だったのだが、そのほとんどはもう退院や、別の小さな病院に移っている。ここに残っているのは静と、あと一人だけ。その残る一人も退院の支度をしている最中だった。
 誰も居ない大部屋がこれほど殺風景で寂しいとは、思わなかった。部屋が広すぎるせいもあり、静は心細い気分になる。
 静は顔の半分を覆う包帯に手を添えた。包帯の感触が指先に伝わる。この包帯も明日、とれる。
(欠月さん……)
 静の心を占めるのは、欠月の言葉だ。
 キミが死んだらボクは死を選ぶ。
 欠月は確かにそう言った。
 冗談めかして言っていたが、あれは本気だった。本気の目をしていた。揺るがない意志で、彼は言っていたのだ。
 ぞくっ、と背筋に悪寒が走る。
 純粋に生きること、生きたいと願って今ここに居る自分……。自分の命を優先した結果、静はここに居る。だが欠月は?
 欠月は常に細長い渡り綱の上に立っているような印象がある。口調も意志もしっかりしているから、それに騙されるのだ。
 彼は器用に綱の上を軽々と歩くから、落ちるわけがないと思い込んでしまう。だがそれは間違いだ。
 欠月は、飽きた、という理由だけで綱から落ちることのできる人間である。例えその下が奈落の底で、落ちれば死ぬとわかっていても。その危うさに、静は改めて気づく。
 欠月はこの間、死にたくない、と言った。だから静の想像の中で死を連想するな、とも言った。
 偽りはないだろう。だが欠月は「死にたくない」と同等に「生きたい」とも思っていないのだ。何か理由があって生きているだけなのだ。その理由が消え去れば彼はあっさりと命を手放すことができる人である。
 静は彼に言った。死なないでください、と。
 そのことを思い出し、静は自身の心臓がどくどくと激しく音をたてているのに気づいた。
 死なないで。
(………………)
 それは自分の願い。心からの、真の願い。
 死なないで、欠月さん。
 もしかして、自分の言葉で彼を引き止めているのだろうか、現世に。
 自惚れだ、と思う。そこまで自分の言葉が彼に強い効力を発揮するとは思えない。
 だがもしかして――。
 ……静は首を左右に振り、その考えを追い払った。
 やめよう。余計なことを考えるのは。



 病室にぽつんと残された静は、ベッドに横になり、ぼんやりと天井を見上げていた。
 とうとうこの病室に残されたのは自分だけ。こうして耳を澄ませば、ドアの外での様子が小さな音となって伝わる。足音や、話し声。それらを聞いていると、自分が世界に一人ぼっちになったような錯覚はしないで済む。
 がらっ、と引き戸があけられる。静はビクッとして慌てて起き上がった。
「あ、寝てていいのに。起こしちゃった?」
「……起きてるの知ってたから入ってきたんじゃないんですか?」
 じとっと見ると、欠月は小さく笑ってみせた。どうやら、図星のようだ。
 病室に入ってきた欠月はベッド脇のイスに腰掛ける。
「あはは。なんか変なの」
「? 何が変なんですか?」
「だって、いっつもは逆なのにね」
 そう言われればそうだ。欠月は入院しているので、静はいつも見舞いに来ていた。だが今は、それが逆である。
 明るい欠月に、静はあの時の出来事が嘘のように思えてしまう。あれは自分がみた夢だったのでは、と。
 だが夢ではない。あんな夢を、静は望んでいないからだ。
 静はふいに黙り込み、ぼんやりとした表情になる。不思議そうにする欠月に向けて、彼は口を開いた。
「欠月さん……」
「なに? どうしたの、なんか悩み事?」
「……僕が死んだら欠月さんも死ぬって言ってましたよね」
「言ったね。それが?」
 にっこりと笑顔を浮かべた欠月はヘラヘラと笑って手を振る。
「やだなぁ。冗談だってば。ンな重いこと言わないよ、ボクは」
「…………欠月さん、あれ、本当、ですよね?」
 じっ、と静に見つめられ、欠月は表情を消す。そして不愉快そうな顔を少しした。
「……ま、嘘ではないね」
「…………いつだったか、僕に記憶を譲るか……死ぬかって訊いたことがありますよね……」
「…………あったね」
 その問いかけをした時、欠月は死ぬ手前に居た。静は、心がボロボロだった。
 今となってはとても懐かしいことだ。だが忘れることはできない。
 全ては演技だと言い放った欠月の言葉に静はひどく傷つき、悲しんだのだから。
「あの時……僕は一瞬、死ぬことを選ぼうとしました。いま思うと馬鹿な事だって、思います」
「………………」
「お願いですから……もう二度と、あんな嘘だけはつかないでください。僕……」
 俯き、自分の拳を見下ろす。微かに震えるそれに、涙が一滴落ちた。
 静は慌てて袖で涙を拭う。
「僕は、大切な人の嘘を見抜くだけの力はないんです……。昔は、違ったかもしれない……でも今は…………うっ、」
 しゃくりあげてしまう静は止まらない涙を必死に袖で受け止めていた。目が熱く、鼻の奥が痛い。
 ごしごしと袖で目元を擦り、静は笑顔を作る。
「変なこと言ってごめんなさい。……でも、欠月さんの言葉は僕にとってすごく力があるんです」
 無理に笑顔を作っていても、涙は止まらない。
 欠月は目を細めて静を見つめていたが、ふ、と苦笑した。
「ごめんね。泣かせちゃったね」
「あ、いえ、僕が勝手に泣いてしまっただけで……」
 おかしいな、と言いながら静は鼻をすすりあげた。涙がいつまでも流れてしまい、困ってしまう。
 ちょっと待ってくださいと欠月に言い、静はタオルを取り出してそれで顔を覆う。今さらながら恥ずかしい。
(男のくせにこんなにぽろぽろ泣いちゃって……)
 僕って泣き虫だったのかな、と静はタオルを強く顔に押さえつける。
「……あの時は」
 欠月の声は静かだった。
「あの時はね、とにかく……嫌われたほうが、ボクが死んだ時、キミは悲しまないだろうなって思ってただけなんだよね」
「欠月さん……?」
 タオルを下ろし、静は欠月を見遣る。欠月は膝の上で組んだ自身の両手を見つめていた。
「キミを傷つけるだろうなってことはわかってたけど、ボクに好意を寄せたままでボクが死んじゃって悲しむよりはマシだろうなって考えたんだよね。
 ね、どっちがマシ?」
「どっちも嫌です!」
「……あえて、だよ。
 そりゃ、ボクだってどっちもよくないって思ってるけどね。どちらか選ぶとすれば、マシだなと思うほうを選ぶじゃない?」
 皮肉な笑みを浮かべた欠月はすぐさま無表情に戻す。静は欠月を凝視する。
「僕に悪人だって思われて死んでも、良かったって言うんですか!?」
「そうだよ」
 はっきりと彼は言い放つ。
「別にどう思われても良かったからね。ボクは、普通の人のように周りからどう思われてるかとか、気にしたことないからさ」
「だからって」
「そうだね。だからって何してもいいってわけじゃないのはわかってるよ。
 後々のキミのことを考えれば、ボクが悪人のほうがしっくりするって思っただけなんだ」
「……あの時、僕のことを殺すつもりはなかったんでしょう? 嫌われるために来たんですよね」
「まあね。体は辛かったけど、キミって結構ボクにのめり込んでた感じがあったから行かなきゃって思ったんだよね。
 優しさとかじゃないよ。あのままキミを放置するのが『悪いこと』だって思ったからなんだ」
 欠月は顔をあげた。虚ろな瞳だ。
「今もあの考えは間違ってないって思ってるし、手段の一つとしては有効だって感じてる。
 ま、今こうしてキミの前に居るから話せていることではあるんだけどね」
 微笑んだ欠月の瞳は、先ほどの虚ろさが消えていた。
「キミのこと、とっても大事に想ってるから……あんなこともう言わないし、やらないよ」
 絶対に。
 欠月は静に右手を差し出す。そして小指を出した。
「指切りしようか」
「えっ、ゆびきりですか?」
「そ。嫌かな。やっぱり子供っぽい?」
「あ、い、いえ……」
 なぜか照れてしまう静はそっと自分の手を出す。小指だけ立てて、欠月の指と絡ませる。欠月の指は相変わらず冷たかった。
「ゆーびきーりげんまん……」
「う、歌わなくていいですよっ」
 赤くなる静に「そう?」と呟いてから、欠月は指を離す。
「タチの悪い嘘はつかない。約束シマス」
「ほんとですかぁ?」
 疑わしそうな静に、欠月はニヤっと笑う。
「キミのためなら、約束を守る努力は惜しまないよ」



「しかし災難だったね、巻き込まれて。なんであんなところに居たの? やっぱりこの病院に来るため?」
 欠月の問いに、静は視線を伏せる。
「は、はい。階段をあがっている途中で巻き込まれたんです」
「階段で……ねぇ。キミ、なんか考え事でもしてたんじゃないの?」
 だから無抵抗で巻き込まれた。違う?
 欠月の言葉にギクッとして静は身を固まらせた。
「う」
 当たっている。
 静はもじもじした。
「えと、僕の誕生日のこと、考えていたんです」
「へえ、誕生日。いつ?」
「11月11日です。それで、あの……その、誕生日に欠月さんと一緒に居ていいですかって訊こうと思っていたんです」
 欠月は目を見開く。そしてぱちぱちと瞬きした。
「あの、ちょっとその日は一人になりたくなくて……。欠月さんと一緒だったら、きっと楽しいだろうな〜って……思って、その」
「11日? キミ、誕生日なの?」
「そうなんです。明日ですよね」
 だから、と続けようとした静の前で欠月が気の毒そうな表情をした。静はきょとんとする。
「…………あのさ」
 顔をしかめる欠月は言い難そうに切り出す。
「11日……昨日だよ?」
「…………え?」
「だから昨日だってば」
 どうやら日数を数え間違えていたようだ。静はそれが信じられなくてしばらく呆然とし……それからパタッ、とベッドの上に倒れ伏した。
「うぅ、そんな……」
「まあでも、昨日は一緒に居られたから願いは叶ったよ? 一応」
 そんなぁ、と静は枕に顔を埋めて唸ったのであった。もう誕生日が終わっていたなんて――!
「そんなに落ち込まないでよ」
「落ち込みますよっ! うぅ……っ」
 うめく静は布団の中に潜り込んでしまった。欠月はぽんぽんと優しく布団を叩いた。だが静は、それに応えられるほどすぐには立ち直れなかったのである。