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<東京怪談ノベル(シングル)>


喧嘩はぶちスゴ腕だよ一級品



「ああ、久し振りだねぇ。元気でやってるかい?」
『ええ、おかげさんで。蓮さんは?』
「どうだろうねぇ、ちょっと困ってるねぇ。あんたのところから、腕の立つ坊さんを派遣してもらいたいとか思ってるよ」
『それはそれは。よければひとり、よこしましょうか』
「おや。……言ってみるもんだねぇ」
『ちょっとねえ、血の気が多くて本当に手を焼いとる若いのがおるんですよ。仏の道に関してはいっくら教えてもなーんも覚えんのですが、魔性の調伏の才能だけはあるんですわ』
「破戒僧ってやつかい」
『そうなりますかねえ。普段はわりといい子なんですが……ちょっとねえ……』
 そんなどこか気軽なやり取りの結果、アンティークショップ・レンに送り出されたのが、超ド級勘違い尼僧・妙円寺しえんだった。


 しえんの勘違いぶりは本当に超ド級なので、誰がどんなに彼女について説明されても、なかなか理解――いや、納得できまい。彼女はまず、家出をしているつもりなのである。しかし実際は出家している。漢字が読めなかったか、熟語がわかっていなかったのではないかと推測される。
 家を飛び出して転がりこんだ寺の住職がこの世を去ると、勝手にその寺に住み着いて、住職の座に落ち着いてしまった。亡くなった前住職に、しえんに後を継がせる気があったのかどうかはさだかではない。
 しえんが言う荘厳寺住職の地位はあくまで自称にすぎず、実際の寺の管理はもっと偉いちゃんとしたどこかの住職が行っていた。
 自称住職など叩きだせばすむ話ではないか。
 ……それが誰にもできなかったので、しえんは未だに荘厳寺『仮』住職だ。


「こんばんは。妙円寺しえんと申します」
「おや、意外だ。ずいぶん綺麗でおとなしそうじゃないか」
「はい?」
「手のつけられない若い破戒僧だって聞いてたからさ、驚いたンだよ」
 しえんを出迎えた蓮は、目を細めながら煙を吐いた。あまり驚いている顔ではなかった。どちらかというと、「面白がっている」顔だ。
「わたくしが破戒僧? どこのどいつがそのようなことを仰ったのですか?」
「誰だっていいじゃないか。ともかく、仕事を頼むよ。あんた、腕は立つんだろ」
 さりげないしえんの怒りをさらっと流して、碧摩蓮は店の奥にしえんを案内した。
 すべらかな美しい額に青筋を浮かべていたしえんだったが、それはわりあいすぐに消えた。彼女はアンティークショップ・レンに来るのが初めてだったからだ。初めてこの店を訪れる者は、必ずと言っていいほど『魅了』される。目は店内に所狭しと詰めこまれた商品に釘付けだ。曰くつきのものであることがわかったとしても、心を奪われずにはいられない。
 どれも、一筋縄ではいかない逸品ばかりだ。並大抵のものではない曰くにいつも囲まれた碧摩蓮――彼女が頭を悩ませるほどのものとは、一体何なのか。
 しえんの胸は躍り始めていた。

「これだよ」

 魔窟と言うにふさわしい店の奥で、蓮は足を止め、古い屏風を煙管で指し示す。
 生み出されてから三百年は経っていそうな、汚れた屏風だ。やけに牙が大きい虎が描かれていた。
「この虎がねぇ、毎夜毎夜出てきて困ってるのさ。この倉庫、普段はもっと片づいてるんだよ。ぜんぶこの虎のやつが散らかしてるんだ」
「……は? 虎? 虎がどこから出ると?」
「だから、この屏風から」
「ナメてんですか。聞いたことのあるお話ですよ」
「気持ちはわかるけど、本当なんだから仕方ないじゃないのさ」
「……」
 しえんは明らかな不審の目を蓮に向けた。蓮はあまり困っているようには見えず、かと言ってからかっているようにも見えない。からかっているのだとしたらかなり子供じみた冗談だ。もしかしたら新手の罠か詐欺だろうか。いやその考えこそ何の脈略もなくて笑えない。
 子供じみた遊びには、子供の心で返すべきなのかもしれない。ふ、としえんはおだやかな笑みをこぼし、数珠を鳴らして手を合わせた。
「では、虎を屏風から追い出してください」
「はいよ」
 逸話に忠実にのっとったしえんに対し、蓮が常軌を逸した返答をした。そして、彼女は屏風の裏に蹴りを入れたのである。
ごすっ。

 がぅお、とマジで虎が屏風から出てきた。

「いぃッ、マジけぇ!?」
 へんな格好で驚いたしえんは、へんな声を上げた。マジだ、超マジ。虎である。あの有名な逸話はどこに行った。殿様が「これはまいった、あっぱれあっぱれわっはっは」と高笑いして扇子を広げて終わるんじゃねえのかよ。
 しえんにとっての不幸は、今日がアンティークショップ・レンとのファーストコンタクトだったということか。店主が扱うものがただものではないことは噂で聞いていたが、その程度だ。虎が飛び出す屏風など当たり前の店だということを、今、身をもって知ることになったしえんは、不幸というより他ないだろう。たぶん。
「よろしく頼むよ、今までの持ち主みたいに喰われたくないからサ」
「じゃっかしゃアあボゲェ!! 科学はどうなっとんじゃこの世は科学じゃ科学的に可能なンかこんなことォ!」
 しえんはキレていた。この店の理不尽に。
 彼女から、上っ面だけにすぎなかったしとやかさがフッ飛んでいた。頭巾の下の艶やかな黒髪は乱れに乱れ、目には筋者と見まがうかばかりの激しい殺気が宿り、口調はおっかない安芸弁に変じている。
「……なるほど、あんた確かに破戒僧だねぇ」
 屏風を蹴ったのは蓮だというのに、虎の怒りはしえんに向けられているようだった。ただ単に視界に初めに飛びこんだからだろう。科学の法則を無視した虎は、ただの虎ではなかった。あまりにも巨大な牙を持つ、サーベルタイガーだ。
 剣歯虎は恐るべき凶器をしえんの肩口に突き立てようとした。その硬質の爪でしえんを袈裟ごと引き裂こうとした。肉を喰らい、臓物を引き裂き、血をすすろうとしていた――そしてしえんは、その殺気を受け止めていた。
「大往生せえや、わらァ!!」

 ずどん! ばどん!

 屏風の裏の蓮が、肩をすくめた。彼女はちょっと前から、他の商品の心配をし始めていた。

 ずどん! ずどむ! ぶらむ! ぶららむ! ばどん! どんどんどん!
 がぉん! どどん! ばむん! ずばん! ずっどどどどど!!

 これでもかと物騒な銃声、そしておっかない罵詈雑言。虎の咆哮はとっくに悲鳴に変わっていた。しえんは清楚な顔を凄惨な表情で歪め、この世のものではない血を浴びながら、二丁のコルトガバメントをブッぱなしていた。袖の中に隠していた愛銃だ。べつにご利益があるものではないし、霊験あらたかなものでもない。単なるふつーのコルトガバメントだ。
「おらおらおらおら!! とっととくたばりぃやおんどりゃア!!」
 ずどんずどんずどん、
 かちかちかち。
「おらおらおらおらおらおらおらお――」
「弾切れてないかい、姐さん」
「お、しもた」
「いやいやいや、もういいから。もう死んでるからサ、もうご苦労さん」
 ごそごそと袈裟から替えのマガジンを出したしえんを、蓮が少し慌てた調子で静止した。そう、とっくに虎は死んでいた。まったく見せ場もないまま殺されていた。このまましえんの行動を傍観していたら、虎の死骸は砕け散っていただろうし、他の商品もかなり派手に壊されていただろう。すでに流れ弾でいくつか被害を受けている。
 線香の匂いは硝煙の香りにかき消されていた。しえんは半ば蓮に追い出されるようにして倉庫をあとにし、アンティークショップ・レンの入口に立つ。
「あんた、そのうちバチ当たるよ。気ィつけな」
 ぷかり、と煙を吐いて、蓮は送り出しぎわ、しえんにそう忠告した。
 もっともな忠告だったが、残念ながら本人にはその真意がまったく伝わっていない。
「……イエメン」
 アンティークショップの出入り口に向かってしめやかに合掌。彼女は「アーメン」とイエメンを勘違いしていた。その前に、仏教徒の身の上で締めにアーメンというのもどうか。
 この女、やっぱり超ド級。




〈了〉