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<東京怪談ノベル(シングル)>


■□■□■ 義理の渡世と知りつつも ■□■□■



 冬の大雪原が残酷に広がっている。
 吹き付ける雪の中、追い立てられるようにトラックに乗せられた男達は、腰縄で繋がれていた。
 向かうのは、網走刑務所。
 極寒の地にあるその場所は、日本でもっとも脱獄の難しい刑務所として知られる。
 天然の雪要塞、方向感覚の狂う真っ白な世界。過酷な労役、凶悪な囚人達との衝突。
 強制収容所さながらの、そこは地獄だ。
 それでも、それでも。ただ早く出所するために、妹や母に会うために。
 今は耐えて、耐えれば、きっと。


――――♪……♪♪……♪♪

「じゃッ……かぁしぁぃ、人ん楽しみ邪魔すんのはどいつじゃぁあ!!」

■□■□■

 曹洞宗は荘厳寺、妙円寺しえんに与えられている――と言うよりはもぎ取っている――八畳ほどの和室に、賛美歌の着信音とほぼ同時の罵声が響いた。柳眉を吊り上げて形の良い口唇を般若の様相で開き、長くするりとしたみどりの黒髪を肩で跳ね上げるそれは、勿論部屋の主であり寺の(仮)住職でもある、しえんその人である。
 法事もなく、殆どの僧侶が托鉢に出掛けている時間は、彼女にとって心休まるひと時だった。こっそりと天袋に隠してあるベータを引っ張り出し、いそいそとデッキを繋いで古い仁侠映画の世界に浸る。淑やかを装う日々のストレスを解消する至福のひと時を邪魔するものなどあってはならないのだ。消したろか。

『随分なご挨拶だねぇ……』

 動じることなくただ呆れの様子だけを含ませた声に、あら、としえんは気付く。電話を少し耳から離してナンバーを見れば、『アンティークショップ・レン』と相手の名前が出ていた。ならば相手は碧摩蓮だろう――先日出向いた際に番号を入れられたのだったかと、ビデオを止めて居住まいを正す。ああ、モノクロに映える網走の地が間抜けに止まっているのが悲しい。

「失礼致しました、なにか御用でございましょうか。あいにくただいまは他の者が出払っておりまして、寺にはわたくししか居りませんが……言伝でしたら、お預かりいたします」
『いや、あんたに用だからこっちのホットラインを使わしてもらったのさ。ふん、留守預かってるところ悪いけど、今から出てこれるかい?』

 ぴくり、しえんの頬が引き攣る。
 視線の先にはテレビがあった。

『まあ来てくれなきゃこっちが困る……いや、一応うちの客も困るのか。まあ、衆生が大層困るってことで、是が非でも来て欲しいんだけどね』
「選択肢がそもそも存在していないように思えるのですが」
『へぇん、破戒僧の割りには中々渡世に義理堅いこっちゃないか。見捨てるの選択肢が無いだけ上々さね。ならとっとと来とくれよ、来れば判るから』
「説明する気もないんかおどりゃぁ」
『だから、来れば判るんだよ。はっきり言うが、あたしゃ二度手間が嫌いだよ。面倒くさいからね』

 物臭め。こっちの都合は聞きもしない分際で、なんとふてぶてしいことか。
 しかしながら仏門に身を置くものとして、衆生に尽くすのは基本のこととも言える。断るわけにも行くまい、一方的に切れた電話を袖の中に戻してから、はぁあっとしえんは溜息を吐いた。モノクロキネマが停止しているテレビを名残惜しげに消して、しゃなりとした様子で立ち上がる。
 下らないことだったらしばいちゃる。すぅっと眼を据わらせながら、彼女はチッと軽く舌を鳴らした。

■□■□■

 呼び付けた僧の一人に留守を任せ、しえんはレンに向かっていた。映画への未練を断ち切るために思考するのは、蓮の言葉――来れば判るとは、どういったことだろう。
 先日の一件から察するに、あの店主はあまり性格の良い方ではない。吹っ掛けるだけ吹っ掛けて後は知らぬ存ぜぬの姿勢を貫き通す、どこか狐狸のような人を化かす性質だった。馬鹿にする、と言い換えても良い。ならば用など厄介ごと以外のなんでもないのだろうが、さてあそこまで説明を省くとはどういったことなのか。一目瞭然の事象。先日は屏風の虎だった。あれは説明がなければ、判らない類だったようだが。

 視線を落として歩みを進めていたしえんは、ふと道の先に看板らしき影があるのに気付いて視線を上げる。
 きゅぅと上に向かって弧を描いた朱塗りの橋の前には立て札が佇み、流麗な文字で曰く、『このはし、わたるべからず〜蓮〜』。

「……」

 会ったら絶対しばき倒す。

「下らないことをなさいますものですね、こんな逸話など子供でも知っていることですのに。『橋』と『端』とを掛けて、真ん中を渡れば万事解決のこと……まさか本当にこれだけの用事だなんてことございませんでしょうね――しごぉするど」

 むすりと眉を吊り上げ、しえんはとすんと爪先を橋板に乗せた。何ごとも起こらない。当たり前だろう、そのまますたすたと進む。半月状の橋を頂点まで昇りきったところで、その真ん中に妙な穴が開いているのが判った。何ごとかと覗き込めば、ぱしゃりと音が響く。魚もいない川で、増水でもないのに水音。

 水面に眼を向ける。
 綺麗に一列に並んだ魚の顔が、じっとしえんを見詰めていた。
 ただの魚ではなく、その頭は一つ一つが、人間ほどもある。

「び……びっくりするほどインスマウス顔……」

 それが合図であったかのごとく、魚達が穴から飛び出して橋の上まで飛び上がった。
 頭だけが魚顔で、身体自体は人間のような形態を取っている。
 これはキモい。相当、キモい。

「お――おどりゃぁすどりゃぁあぁ!! ケンカは先手必勝じゃぁあ!!」

 五匹ほどの人魚――いや人面魚――違う半漁人――もうなんでも構わんわ!――が、彼女を囲むように橋に着地する寸前で、しえんは袖の中に常備してあるコルトガバメントを引き抜いていた。水に背を向けるわけにはいかず、かと言って背後をみすみす見せるわけにも行かない。狭い橋、片側に陣取っているゲテモノにとにかくぶっ放して退路を作った。体液を噴出しながらまずは一匹水に落ちる。生臭い。ダイレクトに吹きかかって来る火薬のニオイよりも、生臭い。

 ぐんにゃりと猫背気味なそれの身体は、どこか類人猿のように人間の出来損ないめいていた。顔も単純に魚と言うわけではなく、口元や飛び出した眼はカエルのようにも見える。身体は腹の部分だけが白く、他は青魚のようにてらてらとしていた。
 何よりもやはり、臭い。生臭い。ここは魚河岸出張所かと思うほどだ。いや、新鮮な魚なら異臭はしない。生ゴミ集積所と言ったところだろう。うげ、と込み上げてくる嘔吐感に、しえんは顔を顰めた。ぴょんこぴょんこと跳ねるようにしながらゆらゆらとそれらは距離を詰めてくる。

 そう言えばいつぞや、話に聞いたように思う。亜米利加のどこぞにはこんな顔の連中ばかりがいる町があって、そこは化け物の種族と交じり合って殆ど支配されてしまっているとか。その化け物は人間との交配を好み、自分の種族を増やして――見れば目の前の異形達は少し頬を染めて、水掻きのついた手をもじもじとさせている。まて冷血動物。見合いか。見合い気分なのか。狙われているのか。

 ぷちんっと、しえんの頭の奥で音が鳴る。

「わりゃぁ水掻き一本でもわしに触れてみぃ、いてもうたるどこん下郎どもぁ!!」
『……、…………!!』
「おりゃ踊れや、ハジケ飛べ、腹に爆竹詰めて花火玉にしたろけぇこのバアタレがぁ〜〜ッ!!」

 ドゥン、ドゥンッ!! と重い音が何度も繰り返され、橋板には無数の穴が開いていく。その上で異形達はじたばたと体裁無く逃げ回っていた。懐から取り出したサブマシンガンを袈裟越しに帯に当てるしえんの形相は、異形も恐れるほどに――崩れた笑みを浮かべている。トリガーハッピーよろしくの様相だった。瞳孔は開き、口の端は吊り上げられている。
 乾いた空気が弾け飛ぶような音が、パララララッと響いた。二匹三匹と川に逃げていくが、しえんの銃撃は止まない。尻を押さえて橋の隅にふるふると震えているのはどこか哀れを誘う姿だが、やはり生臭い。弾の尽きたサブマシンガンにチッと舌打ちして、しえんは袖の中に手を突っ込む。

 出て来たのはパイナップル。もとい、小型の手榴弾。
 かしっと歯でピンを抜くのを確認すると同時に、異形は水に飛び込む。
 それは予想の範囲内だった。しえんは投げるのを一拍置いて、その身体を目掛けて手榴弾を放る。
 爆発を受けないように袖で顔を隠しながら橋の大穴を跳躍すると、ぼごん、と鈍い音がして辺りに生臭いニオイが立ち込めた。

「イエメンじゃのう、往生しぃや!!」

■□■□■

「おや、ま」

 ドアを開けたしえんを見止めた蓮は、プッと小さく吹き出した。
 爆散した橋板やらの破片が着物のあちこちに刺さり、袈裟はぼろぼろになっていた。被きも埃や異形の体液でべとべとになっている。顔だけは袖で隠してどうにか綺麗なものだったが、魚の悪臭が染み付いて、それは悲惨な様子だった。
 人間は感情が沸点を迎えると笑うしかない。しえんも、にっこりと笑って蓮を見ている。

「随分歓迎されたみたいじゃないか。ここから眺めてたけど、中々見事な調伏っぷりだったよ……ふっくく、いやあ、傑作さね。極道兵器もここに極まれりだね」
「わたくし極道ではなく比丘尼ですわ。やっぱり説明は欲しかったところだと思うのですが、何かわたくしに言うことなどございませんか、蓮さま」
「生臭いね」
「しばいたろけ」
「風呂入ってくかい?」
「是非に」
「服はチャイナしかないけど」
「妥協します」
「でもチャイナで土木仕事はあたしの服が汚れるねぇ」

 土木仕事?
 なんですと?
 ふぅー、っと蓮はキセルをふかし、にっこりとしえんを見やる。

「あの穴さえ塞げば連中も出ちゃ来れないはずだったんだけど、見事に橋ごとぶっ壊してくれちゃったからねぇ。修理はあんたに頼むのが筋ってモンだろう? 難儀な衆生を救っとくれよ、尼さん」
「蓮さま、その内スジ通して貸し全部返してもらうけぇ、覚悟しとくんじゃのう」
「そりゃ、楽しみにしとくさ。あんたは見てると中々に面白い性質らしいしねぇ」

 くっくとシニカルに笑う蓮の後ろに付いて、よろよろとしえんは脚を進める。
 とにかく今は自分すら酔いそうな悪臭を、どうにかしてしまいたかった。

 ――ああ、今頃雪原大脱走な網走の世界に浸っているはずだったのに、諸行無常とはなんと残酷なものなのでしょう。義理の渡世と知りつつも、この相手とは早々に切れてしまいたい。心からそう思う、しえんだった。