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<東京怪談ノベル(シングル)>


戒めの拳

 二人の暗殺者との騒動の後、しばらく時間が経った。
 あれ以降も興信所には幾つか依頼が来て、その度に小太郎も手伝いにかり出された。
 彼自身は大した活躍はしていないながらも、依頼は概ね成功。
 日に日に自信をつけていく小太郎だが、それがいつか慢心に変わっているのには気付いていなかった。
 そんなある日の事である。

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 興信所のあるビルの屋上。落下防止の為に、きちんとフェンスがつけられている。
 その中心に一人、女性が立っていた。
 黒い服で身を包み、目を瞑って遠くの記憶に思いを馳せる。
「懐かしい、というほど馴染みを持ちたくない記憶だな……」
 殺伐とした世界での生活は今思い出しても心地良いとは言い難い。
 毎日毎日生きるか死ぬか。ピリピリした空気の中、血溜まりの上に立つのは少女。
 あの中を生きてきた。あの中で殺してきた。
 そんな世界を知らないあの小僧はどう思うだろうか。
 納得はできない、なんて言っていたので、やはりすぐに飲み込ませるわけにはいかないのだろう。
「だが、時間をかけてでも『そういう事実』の存在を認めさせなければらんだろう。アイツがこの世界で生きていくつもりならな」
 女性、黒・冥月が呟いた瞬間、立て付けの悪い鉄製の扉がゴウンと開いた。
「あれ、師匠。もう来てた? あれ、俺遅刻した?」
「いや、遅刻はしてない。私が早めに来ておいたのだ」
「あ、ああそう。なら良かった」
 現れたのは小太郎。冥月の弟子である。
 今日は訓練と銘打ってここに呼び出してある。
 実際、実戦を想定した訓練はするつもりだし、その名目に嘘はない。
 だがその裏で、少し人生の厳しさも教えてやるつもりだ。
「今日はどうするんだ? 屋上って事は組み手?」
「ああ、だがこれまでよりも実戦に近い形でやる。お前は能力有りで、本気で掛かって来い。私は能力無し、素手でやってやる」
「はぁ? なんだそれ。ハンデって事かよ! いらねぇよ、もしかしたら師匠に傷つけちゃうかもしれないし」
「……っふ、思い上がったものだな。そういう事は―――」
 踏み込み。瞬速で小太郎の懐に飛び込む。
 小太郎にはどう見えただろうか。いきなり冥月が消えたようにでも見えただろうか。
 冥月は小太郎に動作を認識される前に腹部に正拳を打ち込む。
 内臓破裂寸前で手加減を加えた一撃。小爆破でも起きたかのような衝撃に、小太郎は堪らずフェンスまで吹っ飛んだ。
「―――私に一撃でも当ててから言え」
 十メートル近い距離を、拳一つで飛ばされた小太郎は、思い切りフェンスをひしゃげさせ、その中にめり込んでいた。
 腹部には光の板が見える。どうやら防御行動はしていたようだが、インパクトの瞬間には間に合っていない。正拳はクリーンヒットである。
「……っぐ!」
 小太郎はうめいてフェンスから抜き出る。
「ああっ、くそ! そうかよ! だったら俺は本気でやってやる。一撃当てたら文句は言わせないからな!」
「やってみろ、小僧」
 剣を構えた小太郎を見て、冥月は目を鋭く細める。笑っているのではない、睨んでいるのだ。
 剣は小太郎の標準スタイルの能力ではあるが、冥月が素手で戦うと言っているのだから、ここはもっと間合いを取って戦える武器にしたほうが良いはず。
 懐に入られた場合に、小回りの利く小さい武器の方が便利な事もあるが、冥月のスピードについて来れるだけの反射神経は未だあるまい。
 ならば牽制できる槍か、それに準じる長い柄の武器の方が良いはず。
 それなのに剣を生成するという事は、まだあの小僧は疑っているのだ。
 冥月が能力を使うのではないか、と。
「まぁ、それならそれで構わん。いくぞ」
 冥月は息を抜きつつ、再び小太郎との間合いを詰めた。

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 迎撃に繰り出された上段からの斬撃を易々と躱す。
 拙い。あまりに拙い。疑って掛かるからそれだけ隙ができるのだ。
 相手の出方を窺いながらの戦闘なんて器用な事はまだ出来ていないのだ。
 そんな小僧の、無様に曝け出された顔に左拳を入れる。
「ぶっ!」
 小太郎の顔が跳ね上がり、続いて顔の前に剣が持ち上がり、顔のガードを固めている。
 それにより、次は腹が出た。
 打ってくれと言わんばかりの左脇腹に、冥月の鋭い右足の薙ぎが入る。
 吹っ飛ばされた小太郎は床を転がって回り、すぐに起き上がる。
 顔を上げて冥月の次の行動を探るが、冥月はすぐ目の前に。
 振り上げた右拳が小太郎の顔にぶち当てられる。
 すぐに連撃。左ショートアッパーが再び小太郎の顔を持ち上げる。
 そこに右ジャブを軽く当てて、距離を取る。
 反撃を狙っていた小太郎の斬り上げが、冥月のいた場所で空を切った。
 斬り上げによって出来た隙に、冥月は小太郎の腹に思い切り蹴りを入れた。
 突撃槍で貫かれたような痛み。
 それに堪えられず、小太郎は地面を転がったまま、起き上がれなかった。
「……これでわかったか。私は能力を使わん」
「っくそ、痛ぇな……」
 小太郎はヨロヨロと立ち上がり、冥月を見据える。
 その手にはもう剣は無く、勿論槍があるわけでもなかった。
 代わりにあったのは光をまとった拳。
 どうやら、長柄の武器による牽制よりも、接近戦で勝負するつもりらしい。
 実力が似通った相手ならそれでも何とななるだろうが、冥月と小太郎ほど力の差があるとなると、剣よりもリーチが短くなった分、逆に不利だ。
「死にたくなければ全力で来い。まだ能力を使えるお前のほうが有利だと思っているわけではあるまい?」
「ああ、全力でいってやるよ。これからは容赦しねぇから覚悟しろよ!」
 小太郎の拳が光を増す。感情に任せて力を増幅させているのだろう。
「いくぞ!」
 今度は小太郎から踏み出す。

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 こうなると注意すべきはあの両拳。
 光を纏った小太郎の拳は、その両腕のリーチだけでは納まらない可能性もある。拳が空振りになってもその後に光を伸ばされれば不意打ちになって躱すのにも多少苦労する。
 冥月は一応、小太郎の光の発現、形成、安定までの時間を感覚で見切っているが、それ故に危ない。
 今の小太郎は手に光を纏わせて発現のプロセスをカットしている。今からならば、例えば剣を作り出すとしても、単純計算で三分の一の時間で発現できるのだ。
 小太郎の能力発動の時間をしっかりと計ってそこから逆算すれば多少は心配は減るものの、感覚で覚えたものはそうそう矯正できない。
 ならば、次の変形で見切る。

 踏み込んできた小太郎は、冥月を拳の間合いに入れた後に、軽く左ジャブ。
 パリィは簡単だが、冥月はこれを、距離を取って躱した。
 このバックステップは冥月の誘い。小太郎の左手の直線上に冥月が居るのだ。このまま光を伸ばせばヒットは見込める。
 だが小太郎は光を変形させずに、また距離を詰めにかかる。
 冥月の狙いに気付いたのか……? いや、小太郎ならば『光を伸ばすなんて思いつかなかった』のかもしれない。
 ありえる、と冥月は小さく笑い、次に小太郎が放ってきた左ジャブを左手で弾き、そのまま左腕を掴み背中から小太郎の懐に入る。
 距離が詰まった所で右肘鉄。それで浮き上がった小太郎の体を、左腕から引き、一本背負いする。
 冥月はすぐに左腕を放す。まだ小太郎の光が変形しないと決まったわけではない。左腕を掴んだまま光を変形されればこちらのダメージになるだろう。
 腕を放された小太郎は、背中強打による呼吸困難もそこそこに、すぐに起き上がって冥月から距離を取った。
「ゲホッゲホ! ってぇ……」
 コンクリの床に背中を打ちつけたというのに、すぐに行動可能になっている。まったく、タフなものだ。
 だが、ダメージは確実に蓄積されている。小太郎の体が小刻みに震えている。足にきているのだ。
 そろそろこの訓練も終わりだろう。
 動けない小太郎目掛けて、冥月は踏み込む。
 それを見て、小太郎も何とか防御体勢に移るが、そのガードを弾いて冥月の拳が振りぬかれる。
 小太郎の両腕のガードが弾かれたあと、冥月の左ジャブが顔に入る。
 小太郎の体が反りあがり、ガードも弾かれた状態の所に、冥月の右肩を当てた体当たりが炸裂する。
 ゴロゴロと床を転がった小太郎はそれ以降立ち上がらなかった。

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 ゴロリ、と転がって空を仰ぎ見る。
「……ああ、今日は晴れだったのか」
 青空をみて、小太郎が呟いた。
 するとすぐに額に冷たいペットボトルが。
「冷やしておけ。まだ飲む気力はあるまい」
 冥月が差し出したスポーツドリンクだった。痛む顔に冷たいペットボトルが気持ち良い。
「ありがと。……やっぱこれも出元不明か」
「その方がミステリアスで魅力的だろう」
 ミステリアスとか魅力とか欠片も興味の無い声で冥月がいった。
 冥月がコクリとスポーツドリンクを飲んで、しばらく沈黙が続いた。
 ビルの下を走る車の音やら、狭い空を飛ぶ鳥の声やら、小さな音は続いていたが、二人は何も話さなかった。
 そしてしばらく間が空いた後、小太郎が口を開く。
「あのさ、師匠。もしかして、こないだの事、怒ってるか?」
「こないだの事?」
「あの暗殺者兄妹の一件」
 ついこないだ解決した暗殺者の騒動の話だ。
 その時小太郎は、無謀にも冥月をはじめ、仲間に迷惑をかけてしまったのだ。
「……別に、怒ってはいない。だがお前が自惚れているようなのでな」
「自惚れ……?」
「そうだ。お前の能力は子供が刃物を振り回す程度だ。一般人ならばそれでも脅威になろうが、敵も同じような能力者ならば相手にすらならないだろう。その程度の小僧が人助けなんて考える前に、自分の身くらい自分で守れるぐらいに力を付けろ」
 正論ではある。自分の身も守れない人間が、どうして他人を守れようか。
 だが、小太郎は頷けなかった。
 今の自分でも守れるものはあると信じていたし、それを守りながら強くなっていけるとも思っていた。
 二兎追うものはなんとやら、なんて言葉は今の彼が思いつくはずも無かった。
「例えそれが納得できなくても、相手を殺さざるを得ない状況は見極めるべきだな。でなければ、お前だけでなく、お前の守りたかったものまで失う事になるぞ」
「……なら、その殺さなきゃならない状況ってどんなだよ? 俺には、どうしてもわかんねぇ」
 洋画なんか見ていると心底腹が立って画面を斬りおとしたくなる小太郎だ。
 そんな小僧に納得させるには少し骨が折れるだろうか、とため息をつきながら冥月は口を開いた。
「お前は毎日三食食べているな?」
「ああ、まぁ。貧乏興信所でも三食食えるだけのたくわえはあるっぽい」
「ならば七日に一度、米を一口食えるか食えないかなんて状況は想像できまい? 泥まみれのリンゴの芯を求めて人が人を殺すなんて事は到底理解できないだろうな。だが、それを行っている人間も生きるために仕方なく人を殺しているのだ。私も能力を使わなければ殺されるか、犯されるか、売られるかしていただろうな」
 ヘビーな話題に口をつむぐ小太郎。
 その様子をチラリと横目で見て、冥月は低い声で呟く。
「少し前の私に『敵を殺すな』なんて生温い事を言おうものなら、まずお前から死んでいただろうな」
「……っう」
 小太郎は先程の訓練を思い出して身を縮める。
 冥月が手加減をしているのは小太郎でもわかる。本気を出されていたら、能力を使われなくても死んでいたであろう。
「……俺、まだ師匠の弟子でいて良いのかな? なんか、大分自信なくしてきた」
「信条を押し付けるつもりは無いさ。お前の好きにすると良い」
 言って冥月は屋上を出た。

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 ドアを後ろ手で閉め、小さく笑う。
「生温い、か」
 暗殺者の一件の後、どこぞの興信所所長にも言われた事だ。
『一年前のお前ならあの小僧、死んでたな。まったく、お前も生温くなったもんだな。弟が出来れば兄貴も丸くなるってか……ブゲフ!』
 鉄拳が一閃したのは言うまでもない。
「平和な世の中は悪いことではないが、思考が呆けるのは考え物だな」
 自分の頭を小突きながら、冥月は階段を下っていった。