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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


Come in! Santa Claus!

 まるで空気が結晶になったみたい――
 ほうっ、と白い息を手に吐きかけながら、零は小走りに商店街を行く。きぃん……と音がするほど冴え渡る、清水色の空。もこもこと厚手のコートを着込み、弾むように駆けていく子供たち。どことなく、街全体がそわそわしているみたいな――そんな季節。
 冬。
 武彦に買ってもらった赤い耳当ては、思ったよりずっと温かかった。寒さごときでどうこうなる零ではないが、それでも耳に触れる毛糸の感触が、チクチクと存在を主張する生意気な赤いヤツが、零にはとても愛おしい。
 ――そわそわしてる、私。
 零はやっと自覚した。でも悪い気分ではなかった。なんでこんなに気持ちが弾んでいるのか、全然分からなかったけど。
「おーじさんっ」
 ぴょこんっ。
 意味もなくマンホールのフタを飛び越えて、零は肉屋のカウンターに飛びついた。中では、すっかり零の顔を覚えてしまったいつものおじさんが、牛肉を薄くスライスしているところだった。
「よっ! 寒いのに元気だねえ、零ちゃん!、今日は何にする?」
「これを、300グラムお願いします」
「はいよ、肩ロースね!」
 おじさんが肉を包んでくれている間も、零のそわそわは止まらない。指なし手袋をはめた両手を、胸の前で擦り合わせて、せわしなく辺りをキョロキョロする。道行く人々。手を引かれる子供。
 その子供の歌声が、自然と零の耳に飛び込んだ。
「ゆっ、べーらうぉっちゃう♪ ゆっ、べーらのっくらい♪」
 ――何の歌だろう?
 敵国語(えいご)だな、と始めに思った。無意識に、脳の奥底に刻まれた教育の残滓が蘇る。

 さあ、気をつけて
 うるさくしちゃだめ
 泣くのもだめよ
 なぜだかママが教えてあげる

「さんたっくろーす いーずかーみーんとぅーたー♪」
「……さんたくろーす?」
 ぱちぱち。
 零は目を瞬かせた。
 なんじゃそりゃ、と思った。彼女の記憶にはない言葉だった。はた、と、商店街のノボリが目に入る。サンタクロース。向かいのケーキ屋さんの看板にも。サンタクロース。謎の言葉、サンタクロース!
「……何かの暗号かしら?」
 こくん、と首を傾げる零に、肉屋のおじさんは、つつみをひょいっと差し出した。
「はい! ブタカタロース300! 360……いいや! 300円に負けとくわ!」
「ありがとう……あの、おじさん」
「うん?」
 受けとった肉を、背中のナップサックに入れながら、零は大まじめな顔で問う。
「サンタクロースはありますか?」
 ……………。
 沈黙。そして、
「うわははははははは!! 零ちゃん! おもっしろいねェそれー! ロースが300gでサンビャクロース! てか! あーっはっはっはっはっは!」
 ――お肉の種類じゃないのか。
「あ、あの零ちゃんがダジャレ言うなんておじさんちょっと感動だよぉーうわっはははははははひひひひひひひ……」
 いつまでたっても笑いを止めてくれそうにないので、零はそのままぺこりとお辞儀ひとつ。バカ笑いを背に聞きながら、なんとなくスッキリしない物を胸に抱えて、肉屋を後にした。
「サンタクロース……」
 意識して商店街を見回せば、あっちにも、こっちにも、サンタクロース、サンタクロース、サンタクロース。サンタクロース……惨多苦労す、と書いて、年の瀬は物騒だから気をつけろと言っているのだろうか。だがそれにしては、みんな楽しそうに見える……
「サンタクロース……」
 再び呟き、零はぐにっ、と頭を捻ったのだった。


 所変わって、ここは毎度おなじみ草間興信所――
 普段は散らかり放題の興信所だが、さすがに今日ばかりは綺麗だった。というのも、零が朝から徹底的に大掃除してくれたおかげである。あまり日頃は気にしないが、やはり、綺麗な部屋で仕事をするというのは、気持ちいいものではある。
 なんとなく清々しい気持ちを抱きつつ、草間武彦はいつものデスクで、年末の細かな仕事を片っ端からこなしているところだった。
「ったく、めんどくせえな、手続きってやつは……あ! 年末調整の書類忘れてた……」
 書類の山をひっくり返して目的の紙切れを探していた、その時だった。零が帰ってきたのは。
「ただいま戻りました」
「おー、お帰りさん」
 ドアを開けて元気よく声を挙げた零に、武彦は顔を向けもしない。ただ、ボールペンを人差し指と中指の間に挟んだ左手で、ひらひらっ、と愛想を送っただけである。零は応接机に置いたナップサックから、買ってきた物を取り出しながら、
「なんだか今日、街中そわそわしてるみたいです」
「そりゃそうだろ。もう12月も末だしなァ……もーいーくつねーるーとー」
「おしょーうーがーつー、ですもんね」
「そ」
 ひた、と。
 肩ロース300gを取り出したところで、零の動きが止まる。
 ――そうだ、兄さんなら……
 そう思うと、いてもたってもいられなくなった。肉の包みを放すのも忘れ、零はひたひたと足音を殺して武彦のデスクに歩み寄る。気配を感じた武彦はひょいと顔を持ち上げて、
「ん? どした?」
「あの、兄さん……サンタクロースって何ですか?」
 武彦が、目を丸くする。
 そして、イスをぎぃっ、と鳴らして、深く背もたれに背を預けた。
「そっか。戦前の日本じゃクリスマスなんてやってなかっただろうしな。知らなくたって無理ないか」
「はあ……」
「サンタクロースってのはな、キリスト教の、クリスマスっていうお祭りには欠かせない人の名前だよ。
 真っ白い、腰のあたりまで伸びたヒゲを生やした爺さんでさ……そいつは毎年12月24日の晩に、空飛ぶトナカイのソリに乗り、贈り物がいっぱいに詰まったでっかい袋を肩にかついで……」
 にやっ、と笑って話す武彦を見詰めながら、零の瞳は次第にキラキラと綺麗な輝きを放ち始めた。お肉が包みからはみ出るのすら気付かず、むにゅっ、と両手を胸の前に握り合わせて――
「世界中の子供たちにプレゼントを配って歩くのさ。一年間いい子にしていた子供にだけ……『よくがんばりました』の、ご褒美ってとこかな……」
「それがサンタクロース……」
「ああ」
 ――そわそわしてる……私。
「兄さん、私、よい子でしょうか?」
「ん? そりゃ当たり前だろ。お前がよい子じゃなきゃ、この世のどこによい子がいるって……」
 ……………。
「……ん?」
 はた、と武彦は気が付いた。
 零がいつになく熱っぽい瞳で、ほっぺたを赤く染め上げて、武彦を真っ直ぐに見つめていることに。
「兄さん」
「ん?」
「楽しみですねっ♪」
 ……………。
「ん??」
「わーいわーい」
 小躍りする零の顔を、ただ呆然と武彦は見上げ……
「ん?????」
 額にぶわっと冷や汗を浮かべたのだった。


 12月24日。天気予報によれば今夜は全国的にクリスマス・イヴ――
 はしゃぎ疲れた子供達は、今年こそサンタクロースをこの目で見ようと胸躍らせながら、いつの間にか安らかな眠りに落ちていく。煌びやかな街を往く男と女は、年に一度の厳かな夜に、そっと身を寄せ合うだろう。心は穏やか、幸せ満ちて、聖夜に響くは歓びの歌……
 という浮かれた様子の街から一歩はずれて、都内某所。
 おんぼろ貸しビルの屋上に、三人の男女の姿があった。
「……というわけだ。頼む! 零の枕元にプレゼント置いてきてくれっ!」
 深刻な顔をして頼む武彦に、
「ふーん。」
「へー。」
 女二人は気のない返事を返す。
 耳の穴を掻きながら、シュライン・エマはやさぐれた目を明後日の方角に向けていた。
「そのくらい、自分でやったらー?」
「無茶言うな……あいつは、その気になればミジンコ一匹見逃さない最終兵器妹だぞ! 零に気付かれないようにプレゼントを置いてくるなんてマネ、フツーの人間にできるわけないだろっ!」
「そりゃそーだけど……こんな日に呼び出して、何かと思えば……」
 普段ならやり手OLか美人社長か、と言わんばかりのビジネス・スーツに身を包んでいる彼女だが、今日ばかりは、気合いを入れて衣装もメイクもキメてきたのだ。なんといっても、今日この日この夜に、草間武彦からお呼び出しがかかったのだ。何を想像していたかは、推して知るべし。
 だがそんな彼女の気持ちも知らず、武彦はさらりと言葉を返す。
「そう言うなよ。どーせヒマだろ?」
「えーヒマですとも! あんたが誘ってくれるかと思って空けといたのよっ!」
「ンな甲斐性ねーことくらい知ってるじゃねーか」
「どーどーと言うな、どーどーと」
 無駄に胸を張る武彦に、エマの怒りの声が飛んだ。
 一方、もう一人の女――例によって黒ずくめのバイト探偵、黒冥月(ヘイ・ミンユェ)は、別の理由でふて腐れていた。というのも、
「ふん……くだらん。何がクリスマスだ」
 というワケである。
「ンなこと言ったって、零は本気でサンタクロースを信じちまってんだよ……あいつの夢、壊したくねーんだ!」
「キリスト教徒でもあるまいに、クリスマスだのサンタクロースだので浮かれてどーする!」
「まーたまた、そんなこと言ってえ」
 腕組みしてぷいっと顔を背ける冥月に、エマがパタパタと手のひら振った。
「ホントはあんたもクリスマスやりたいんでしょー?」
 どきいっ。

◆黒冥月 心拍数:||||||||

「おっと!」
 自分の鼓動が少し高まったのを感じて、冥月はすーはーと深呼吸する。
 以前、とある事件で平常心を崩し、大恥を掻いてしまったことがあるのである。そこで冥月はあれから修行を重ね、ちょっとやそっとのことでは、照れたりときめいたりしないように心をコントロールする術を身につけたのだった。
「平常心平常心……」

◆黒冥月 心拍数:||

 よーしよし。
 思い通りに心拍数が下がったのを感じると、冥月はほっと胸を撫で下ろした。そうとも。私はクールな女暗殺者。
「ふ、ふんっ。あんな西洋の祭りなど、やりたいわけがなかろう! 枕元の大きな靴下? おたのしみプレゼント交換会? サンタのマジパン乗ったクリスマスケーキ!? ハッ! くだらんな!!」
「めちゃめちゃ詳しいじゃん。」
 エマの生暖かい目も、気にしてはいけない。意識する必要など無い。なぜなら、冥月はクリスマスなんかには、ノミの毛先の枝毛ほどにも興味がないからである。と、主に自分に対して冥月は言い聞かせた。
「とにかく、こんな茶番には付き合い切れん。帰るぞ!」
「お、おい! 待てよ、冥月っ」
 踵を返して立ち去る冥月に、駆けよった武彦がすがりついた。
「零の索敵能力をかいくぐってプレゼント置いてこれるようなヤツなんて、そうそういるもんじゃない! お前の影なら楽勝だろ? な、頼むよー」
「断る、他をあたれ」
「そう言うなって。うまくいったら、報酬代わりにデートしてやるからさー」

◆黒冥月 心拍数:||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

「なななななななだだだだだだだだだ!?」
「だ?」
「誰がンな報酬でやるかああああああああっ!?」
 べこっ!
 冥月の左ストレートが武彦の顔面にクリーン・ヒット。武彦の体は美しい弧を描き、クリスマスの夜空に舞い上がった。鼻血を噴水のように吹き上げながら、完全にノビてしまった武彦を、冥月は荒い息を吐いて睨め付ける。
「……で、どうするの? 冥月」
「ど、どうするって!」
 エマが醒めた口調で問うと、冥月は思わずそっぽを向いた。
「ま、まあ……なんだ。零が楽しみに待っているものを、むげにするのも……か、かわいそうではあるな」
「分かりやすいヤツ……」


 眠るつもりなんてなかったが、これじゃあ眠りたくても眠れそうになかった。
 興信所の奥に、零の寝室はある。ベッドが一つ、灯りが一つ、小さなデスクが一つ。女の子らしい飾り付けなんて一つもない、質素な部屋である。戦前に兵器として生み出され、ずっと島で孤独に過ごしてきた零にとっては、こういう部屋の方が心が落ち着くのだ。
 でも、今日だけは。
 ベッドの中で、零はくるりと頭を巡らせた。デスクの上には、小さなイミテーションのクリスマス・ツリーが一つ。金色の星、赤や青のボール。しましまの靴下。そして……トナカイのソリに乗った、サンタクロース。
 クリスマスの日には、こういう物を部屋の飾るのだという。
 零はほうっ、と溜息を吐いて、濡れた瞳でツリーを見つめ、
「綺麗だな……門松みたい」
 ……やっぱりちょっと感覚ズレてる零であった。
 零はまた首を回して、じっと、天井を見上げた。サンタクロースというおじいさんは、いつ頃やってくるのだろうか。一口に夜と言っても長い。夜明けまでは、まだ8時間はあるのだ。
 贈り物を届けてくれるお客さまに、お茶も出さず、眠ったままというのは、いくらなんでも無礼が過ぎる。そう思って、最高のお茶葉を用意してある。まあ、西洋の人は武彦の好きな「コーヒー」の方がいいのかもしれないが。
 胸の中の、そわそわする感覚に全身をくすぐられながら、零はただ……サンタクロースを待った。
 索敵能力も全開だ。サンタクロースが来たら、すぐに飛び起きられるように……
 時を同じくして。
 零が寝ているベッドの下で、もぞもぞ動く影があった。
 言うまでもなく、影使いの暗殺者、冥月である。ベッドの下の影から頭半分だけをにゅっと突き出し、慎重に様子をうかがう。零が部屋の灯りを煌々と付けているものだから、体を引きずり出せるほどの大きな影は、ベッドの下にしかなかったのである。
(とにかく……このプレゼントを、気付かれないように置いて……さっさと退散しないと……)
 と、その時。
 ベッドの上の零が動く気配を感じ、慌てて冥月は影の中に頭を引っ込めた。索敵能力を全開にしていた零が、自分のベッドの下で僅かに顔を出しただけの冥月を、めざとく発見したのである。
 床に膝を突き、不思議そうにベッドの下を覗き込む零。しばし何事か考えていると、にゅっ、と影の中に手を突っ込んで、
 ずぼっ!!
 影の中に隠れていた冥月の腕を引っつかみ、そのまま白光の元へ引きずり出した!
「うおわ!?」
「まあ、冥月さん! どうしてこんな所に?」
「あう……」
 零に引きずり出されたままの体勢で、冥月はだらだら冷や汗を流した。

【え、えーとな……ほら、アレだ。クリスマスだし、こう、知り合いの所を回って、その……】
 冥月に仕掛けた通信機から発せられる声を聞き、屋上のエマは肩をすくめた。
「ダメだったみたいよ、武彦さん」
「そうか……冥月の影を見破るとは、成長したな、零!」
「感心しとるばやいか。」
 腕組みして一人頷く武彦に、エマはジト目を送ったのだった。
「ふっ。俺にはまだ、二の手三の手がある。まあ見てな!」


『さんたっくろーす いーずかーみーんとぅーたー♪』
 冥月と零、二人の歌声が、夜空に響き渡った。
 あれから、三十分ばかし。
 「クリスマスなので遊びに来た」という言い訳をそのまんま受けとった零の提案で、二人だけのミニクリスマスパーティをすることになったのだった。狭い零の寝室で、床に置いたミニ・ツリーを挟み、胡座を掻く冥月に、行儀良く正座している零。零が煎れてくれたコーヒーと、茶菓子が少し。ただそれだけしかない寂しいパーティだが、心は全然寂しくない。
 冥月が持ってきたプレゼントを渡したり、二人して歌を歌ったり……白く曇った窓に、指で絵を描いて遊んだり……なんてことはない時間の流れ。だが、冥月はじんわりと、心の中に浮かれた何かを感じるのだった。
「あー、いいなー。クリスマスって……」
「そうですね! 私も、初めてだからすごく楽しいです!」
 そして、当初の目的をすっかり忘れてしまった冥月である。
 と。
 コンコンッ。
 突然、零の部屋の窓が、外側から誰かにノックされた。外側? と、冥月は眉をひそめ、反射的に影で攻撃する態勢に入る。こんな夜中に、数メートルの高さにある窓を、外側からノックできるヤツが普通の人間であるわけがない。
 だが、警戒して腰を浮かせた冥月とは対照的に、零はぴょんと飛び上がり、窓を開けてノックをした少年に歓迎の声を挙げた。
「ブルーノさん!」
 その名を聞いて、冥月は吐息と共に緊張を緩める。
 ブルーノ・M。零と同様、人の手によって兵器として生み出された少年である。カトリックの最終兵器に相応しく、背中に白い翼を生やして夜空に浮かんでいるさまは、冥月から見てもなかなか絵になるものだ。
「零さん、こんばんわ!」
「ブルーノさんも、ご一緒にいかがですか? いま、冥月さんと二人でパーティをしてたんです。クリスマスの」
「いえ、実は僕……スゴいことを知ってしまったんです!」
 ブルーノは空中で拳を握りしめ、それをワナワナと震わせた。
「さっき、僕の所に匿名の電話が掛かってきたんです……その電話によれば、なんと! アメリカのNORADという組織が、サンタクロースの飛行ルートをレーダーで追跡しているというじゃないですか!」
「ほ、本当ですか!?」
 ごけっ。
 コケた拍子に、冥月はクリスマスツリーの星で頭を打った。
 NORAD……北米防空司令部が、毎年クリスマスにサンタクロースの「追跡」をやっているというのは、有名な話だが……単なるアメリカ流のジョークだろ……あれは……
「お、おい、ブルーノ。その電話ってのは……どんなだった?」
「はい。まるで鼻をつまんで喋っているかのような変な声で名前も名乗りませんでしたが、特に怪しいところはありませんでした!」
(怪しめよ。それ。)
 はあっ、と冥月は溜息を吐く。まあだいたい、何が起きたのか把握できた。
 おそらく武彦の仕業だ。ブルーノにこーゆーことを吹き込めば、サンタクロースに会いに行きたがるに決まってる。そして、零を姉と慕っている彼のこと、零を誘いに来るのもまた必然。
 つまり、零をこの部屋から引き離し、その間に事を済ませようという魂胆に違いたるまい。
「それでその……サンタクロースさんは、今どこに……」
「それは、この『けいたいでんわ』を使って『いんたあねっと』にアクセスすれば分かるんです! 現代の技術って……スゴいですねえ……!」
「本当に……! ブルーノさん……その……」
 零が何か言いたげにモジモジしていると、ブルーノは力強く頷いた。
「ええ! 僕、零さんを誘いに来たんです。一緒にサンタクロースに会いに行きましょう!」
「はいっ! 私も連れて行ってください!」

 地上の灯りで白く染まった東京の夜に、二条の流れ星が昇っていった。遥か東の空へと、目にも留まらぬ速さで遠ざかり、あっという間に見えなくなる二つの星……ブルーノと零である。
 屋上でそれを見送ると、武彦は腰に手を当て、満足げに頷いた。彼の第二作戦は図に当たったようである。
「よし。作戦は次の段階に移行するぞ。清水コータ!」
「おーいえ」
 奇抜な柄の服を着込んだ、奇妙な少年が返事した。瞳は青いが肌は黄色いし、顔つきもアラブ顔のよーな日本人顔のよーな、どこのものとも知れない少年。年齢は自称20歳、名前は自称清水コータ。だがそれすら、嘘やらホントやら。
 だが、「なんでもやる」と公言するなんでも屋のコータは、作戦第二段階には欠かせない。そもそも、ブルーノにいらんことを吹き込んで引き離す、という作戦は、彼の立案である。
「持たざる者は頭を使え、ってね。疑いようもないサンタ来訪の痕跡、作っとくよ」
「おう、頼んだぜ」
「ただまー、なにぶん急な仕事だしー、準備にも色々手間かかったしー、なんてゆーのかね、こりゃそうとうヘヴィな仕事だね? ね?」
 物言いたげにニヤニヤしているコータに、武彦ははあっ、と溜息を吐いた。
「……いくらだ?」
「プリン3個で手を打ちましょう」
「プリンかよ!?」
 バイト代をどれだけふっかけられるかと、内心ヒヤヒヤしていた武彦は、思いも寄らない安報酬に肩すかしを食らった。それを見てコータはケラケラ笑う……武彦をからかって遊んでいるのである。
「まっ、おれは金よりノリよ。いないサンタをいたことにする、なんて、けっこー面白いじゃん?」
「……ったく……ええい! いーから早く取りかかってくれ! あいつらのことだ、アメリカまで往復でも1時間かからないぞ!」
「おーいえー」
 ぴょいこらぴょーん、と飛び跳ねるように去っていくコータを見送り、武彦はもう一度、溜息を吐いた。しかしそれは、安堵の溜息だ。顔にはさっきまでのせっぱ詰まった表情はない。
「やれやれだ……なんとかなりそうだな。一時はどうなることかと思ったが……零の夢、叶えてやりたいからな……」
 その姿を……ほっとしたような溜息を、エマは屋上の手すりに背中を預け、じっ、と見つめていた。
 零の夢、叶えてやりたい……か。
「ねえ、武彦さん」
「ん?」
 静かに呼びかけたエマに、武彦は振り返る。嬉しそうな顔しちゃって、と思わずエマにまで微笑みが伝染する。エマは夜空を仰ぎ見た。無数の星々。東京の目映い光に掻き消されて、ほとんど見えもしない白い星。
「サンタクロースって、いないのかしらね」
「お前まで何言ってんだ」
「私、本気よ?」
 エマが何を言いたいのかよく分からず、武彦はぽりぽりと頭を掻いた。
「……いないんじゃねーのか?」
「だって武彦さん、今までどれだけ怪奇と出会ってきたのよ? クラーケンだの、喋るヌイグルミだの、かぐや姫だの、悪魔だの……そんな連中がポコポコ湧いてくるのに、いまさらサンタだけ居ないっていうのも、説得力ないと思わない?」
「ま、そりゃあな……」
 言われてみれば、その通り。確かに、この世界のどこかに、サンタは本当にいるのかもしれない。キリスト教の聖人としての「セント・ニコラス」だとか、フィンランドで代々受け継がれる役職としての「サンタクロース」だとか、そういうのとは違う、子供達の幻想をそのまま体現したかのような、本物の「サンタ」が。
「でもな……あいにくと、俺は一度もンなもんに出くわしたことがねーんだ。来るか来ないかも分からない『サンタ』をアテにはできねーぜ」
「そうね」
 頷くエマ。だが……
 武彦は、ニッ、と笑って、エマに背中を向けた。その背中が、エマには妙に大きく見える。
「さあ、俺たちもコータの演出を手伝おうぜ。早いとこ済ませなきゃ、零たちが帰って来ちまう。ハハッ! プレゼント見たときのアイツの顔、見物だぞ!」
 意気揚々と屋上から姿を消す武彦を最後までじっと見守って、一人、クリスマスの夜空の下に取り残されたエマは、もう一度、その暗い空を見上げる。星の見えない、あの夜空だ。
 星は見えない。
 でも、
「私……いると思うのよね。サンタクロースって」
 空にいないなら……
 たとえば、ほら。
 ビルの上から眺める東京の夜景は、夜空の星よりずっと明るく、ずっと綺麗に、色とりどりの光を放っているのだった。

「うーん……いないなあ、ニコラス様……」
 米国某所。
 すっかり雪に包まれた、アメリカのクリスマス。暗い夜空の中を、零とブルーノは並んで羽ばたいていた。背から白い翼を生やした二人の姿は、まさに天使のそれ。見つかりでもしたら大騒ぎになる。二人は、目立たないよう、慎重にサンタクロースの姿を探し続けた。
「『いんたあねっと』はなんて言ってるんです?」
 ブルーノがおっかなびっくりいじる携帯電話の画面を、零は横から覗き込んだ。地図が表示されていることは零にも分かるし、その地図が、まさにこの近辺を示していることも、上空から見れば明らかである。
「……このあたりで、間違いないはずなんですけど……ヘンですねえ。これだけ近くにいて、零さんの索敵にも引っかからないなんて……」
 うーん、と並んで唸る二人。
 その時だった。
「あ! 零さん! あれを!」
 突如ブルーノが顔にぱっと明るい色を浮かべ、遥か遠くの一点を指さした。言われて弾かれたようにそちらを向いて、零は目をこらす。彼女の性能を持ってすれば、数キロくらいの距離なら、目の前のことのように見ることが出来る。
 とある民家の玄関先。家の中の暖かな光に照らし出される、鮮明な赤のシルエット。
 もこもこの赤い服に身を包んだ、白ヒゲのおじいさんが、そこに立っていた。どうやら、小窓から慎重に家の中を覗き込み、中に入るタイミングをうかがっているらしい。
「サンタクロースさん!」
「ですよ! そっか、地上に降りていたんで見つけにくかったんですね! 行きましょう、零さん!」
「はい!」
 やっと見つけたサンタクロース。零は高鳴る鼓動に押されるように、無意識のうちにすさまじいスピードで空を突っ切った。あれがサンタクロース。子供達にプレゼントを配って回る、不思議な、優しい……
 と。
 突然、零はぴたりと空中に静止した。それに気付いたブルーノもまた、慌てて急停止すると、呆然とそれを見つめる零に寄っていく。
「どうしたんですか?」
「……………」
 零が見つめる先にあるもの……それは、さっきとは別の場所にいる、もう一人のサンタクロースの姿だった。
 よくよく辺りを見回せば、他のもまだ数人、サンタクロース……の、格好をした人たちが、街中に溢れかえっているのだった。みんな一様に家の中の様子をうかがい、元気のいい声を挙げながら家に飛び込み、プレゼントを配ると……
 家からそそくさと退散し、物陰に入り込み。
 白いヒゲと、かぶっていた赤い帽子を、そっと脱ぐのである。
 扮装。
「そっか……」
 零は、ほうっ、と溜息を吐いた。
 白くてふわふわしたものが、自分の口から空へと解き放たれていく。零を襲ったのは、絶対的で、痛烈で、そして閃光のような確信だった。
「そうだったんだ……」
「零さん?」
 心配そうに顔を覗き込むブルーノに、零は無理をして笑顔を返した。
「帰りましょう、ブルーノさん。サンタクロースさんには、お会いしたかったけど……もう、いいんです」

「や、やあ! おかえり零! 実はさっきサンタクロースがやってきたのだ!」
「そうなのだーしかしープレゼントを配るのに忙しいからーすぐ帰ってしまったがー」
「……二人とも。棒読みよ。」
 肩を落として興信所に戻った零を待っていたのは、ベッドの枕元に置かれたプレゼントの箱と、なぜか押しかけてきた武彦以下3名の大歓迎だった。緊張でもしているのか、なぜか直立不動でまるで台本でも読んでいるかのような喋り方をする武彦に冥月。その後ろで、エマはおでこを押さえながら、沈痛な面持ちで溜息を吐いた。
 コータはその後ろに隠れ、笑いを堪えるのに精一杯である。
「そっか! ニコラス様は、いつのまにか日本に来ていたんですね! アメリカじゅう探しても見つからないはずです」
「え、ええ……」
 無邪気に喜ぶブルーノにも、零は落ち込んだ笑みを返すしかなかった。その表情を見て何かを悟ったのか、エマがふと眉をひそめる。だが、すぐにいつもの労るような笑顔になって、
「良かったわね、零ちゃん。サンタさんが来てくれて」
「……はい!」
 にこっ、と笑った零を見て、
「すばらしい! なんという奇跡であろうか!」
「これもーか、かみ、かみ、かみさまのーおぼしめしだー」
 まだやってる武彦と冥月であった。

 零の寝室を離れ、興信所の前の廊下を行きながら、武彦と冥月は並んでげっそりした表情を浮かべていた。その後ろには、手を頭の後ろで組んだコータが、ひょっこひょっことついて回っている。
「あー……慣れねえことを言うのは疲れるな……」
「同感だ……」
 後ろで、キシシシシ、とコータが笑っている。武彦はそのコータをじろりと睨み、
「だいたいお前なあ! もう少し喋りやすい台本作れよなっ」
「いやーごめんごめん。わざとなんだ、カンベンしてよ」
「ったく……」
「しょうがないヤツだな……」
 ……ん?
『わざとかよ!?』
「あっはははははははははは!」
 掴みかかる二人の腕を、するりと抜けてコータは逃げだしたのだった。

 武彦たちがいなくなった後も、零はずっと、「サンタさんが持ってきてくれた」プレゼントの箱を見つめていた。手のひらに収まるくらいの、小さな、小さな箱。ゆっくりと、丁寧に包みを剥いでいく。包み紙を全て剥いでしまったら、何かが消えてしまいそうな気がしていた。
 恐る恐る開いた箱の中には、赤い毛糸の塊が入っていた。つまみ上げ、そっとそれを開いてみる。
 このあいだ武彦に買ってもらった赤い耳当てとぴったり対になる、赤くてかわいい手袋が、そこにあった。
「……ありがとう、兄さん」
 囁いて、零は手袋を胸に抱きしめた。冷たさも熱さも大して苦にならない体だが、それでも刺すような冬の寒さの中で、毛糸の僅かな温もりは、胸の氷を溶かしていくようだった。
「あら。サンタさん、じゃなかったの?」
 びくっ。
 思わず飛び上がり、零は部屋の入口に顔を向けた。そこには、半開きのドアに背中を預けて腕を組み、こっちをにやりと笑ってみている、エマの姿がある。
「え、エマさん……い、今のは、その……」
「さっきから様子が変ね。何かあった?」
「……………」
 やっぱりこの人に、隠し事はできそうもない。
 零は、俯きながら、ぽつりぽつりと話し始めた。サンタクロースを追ってアメリカまで行ってきたこと。そこで見たもの……
 大人達が扮するサンタクロースの姿。
 零は知ってしまったのだった。子供に夢という贈り物を与えてくれる、不思議なおじいさんの正体は、どこにでもいる、あたりまえの、一人の大人に過ぎないんだ、ということを。
「いないんですよね……サンタクロースって」
「そうね……」
 ベッドにちょこんと腰を下ろし、赤い手袋をぎゅっと握りしめる零の隣に、エマは寄り添うように腰掛けた。
「でも私、いると思うのよね。サンタって」
「……え?」
「だって……ほら」
 エマが指さしたのは、零の手の中にある毛糸の手袋だった。零はエマの指に導かれるまま、自分の手許へ視線を落とし、もう一度、エマの顔を見上げる。
「いたでしょ? あなたのサンタクロース」
「あ……」
 そうだ、と零は思った。
 手の中の温もりは嘘じゃない。
 短い間でも、この夜を楽しみに待ったあの心躍るような気持ちは、ニセモノじゃないのだ。
 ふと、エマは背伸びがてら立ち上がった。彼女の瞳に、悪戯っぽい色が浮かぶ。あれは何か面白いことを思いついたときの目だ。
「さーてと。それじゃー、早速やってみる?」
「何をですか?」
 問われてエマは、ウィンク一つ。
「サンタを、よ」

 そして、夜が明ける。
 冬のまっすぐな陽射しが、ブラインドを貫いて武彦の目に飛び込んできた。思わず手で顔を覆い、太陽から逃げるように武彦は寝返りを打つ。あのあと、疲れ果てた武彦は、興信所の革張りソファで横になり、そのまま眠ってしまったのだった。
 ふと、武彦は自分を包む温かい毛布の感覚に気付いた。ああそうか、また零が毛布かけてくれたのか。いやはや、毎度のことながらよくできた妹で……
 と。
 頭にコツンと当たる感触。
「……ぁんだ……こりゃ……」
 眠い目を擦りながら、半ば手探りで、武彦はそれを取り上げた。なんだかよく分からないが、茶色い、筒のようなもの。三本束にして、赤いかわいいリボンで結わえてある。なんだろう。この、持っただけで漂う香しい……
「ん!?」
 思わず武彦は跳ね起きた。
 がばっとめくれた毛布が、ふわりと床に落ちるのも気に留めず、武彦はまじまじとそれを見つめる。
「せ……せ……セリD・NO4!?」
 武彦は、手の中の高級葉巻を、信じられないものでも見るような目でじっくり観察した。金のない武彦に取って、セレブのタバコたる葉巻なんて、死ぬまでに一度は吸ってみたい級のシロモノである。
 それが今、自分の手の中に3本も。
「うおおおおお!? す、すげえ! どうなってんだこりゃ……ん?」
 ようやく武彦は、葉巻の束の裏に、一枚のカードが添えてあることの気付いた。クルリとカードをひっくり返すと、裏側のメッセージが朝日に照らし出される。
『メリークリスマス サンタクロースより』
 ……と、毛筆で。
 ポリポリ武彦は頭を掻いて、やがて胸の内から沸き上がってきた笑みを、隠すことなくその顔に浮かべた。
「メリークリスマス、零……」

 はあっ。
 屋上から朝日を見つめつつ、零は珍しく溜息を吐いた。
 コータに調達して貰ったあの葉巻、零からすれば想像を絶するほど高かった。さすがに、武彦が日頃から「死ぬまでに一度は……」なんて言っているだけのことはある。コツコツためていた零のおこづかいが、僅か3本の葉巻ためにスッカラカンである。エマが半分出してくれなければ、有り金はたいてすら買えなかっただろう。
「また、倹約してお金貯めなきゃ」
 よしっ、と零は気合いを入れ直す。
 そう、来年までに、またお小遣い貯めなきゃ。不精者で、だらしなくて、格好悪くて、でも私のためにいつも一生懸命になってくれる、すてきな私だけのサンタさんがいるのだから――
 私もきっと、誰かのサンタさんになれるはず。
 来年のクリスマスには、また!
 ほうっ、と手に白い息を吐きかけて、その息が、赤い手袋の毛糸に絡まり美しい水晶のような水滴を作るのを見て、零は手袋の中に頬を埋める。
 冴え渡るクリスマスの空の下、零は小走りに、朝ご飯を待っているサンタさんの元へと駆け出したのだった。

(終)


◆登場人物◆
0086 シュライン・エマ (しゅらいん・えま)
2778 黒・冥月 (ヘイ・ミンユェ)
3948 ブルーノ・M (ぶるーの・えむ)
4778 清水・コータ (しみず・こーた)
(敬称略、受注順)

◆ライター通信◆
 く、クリスマスに間に合ってよかった……
 最初は、みなさんに零の裏を掻くことに挑戦していただこうと思っておりましたが、エマさんのプレイングが面白かったので「それイタダキ!」って感じで予定変更。分量が予定の倍になり。執筆すごい難航し。ひとえに俺が悪い。
 ブルーノさん、コータさん、うまく活躍させられなくってゴメンナサイ……
 冥月さん、同じコトを二度やりたくはないので、ちょっと捻ってみました。ご了承ください。