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聖夜、私は祈りの鐘を鳴らす
恋をした。
去年のクリスマス、少女は少年に折り紙をもらった。病室でふたりは作る。やっこさん、つる、かぶと、ふね、しゅりけん。少年は一生懸命、少女に折り方を教える。空の外には、乾いた空気と灰色の空。銀杏の木には、まだ黄色い葉っぱがついていた。
最初で最後の恋だった。
***
朝のまぶしい光に目を開けてみれば、真っ白なカシミヤのセーターに、白黒のチェックのスカートを着ている女性が立っていた。どこかもぞもぞと落ち着かない。
柏木アトリは起き上がり、彼女を見て小首をかしげる。二十歳ぐらいに見える、知らない女性。
(このひと、普通のひとじゃないわ)
けれど、不思議と恐ろしさも感じない。妖精や天使がいるとしたら、彼女みたいな雰囲気なんだろうな。
彼女はためらいがちに、けれど思い切ったように口を開いた。
「あのっ私ミライって言います。病気で死んじゃったんだけど、天使が今日だけ時間をくれたの。だから、あの。今日だけ、一緒にいてもいいかな……?」
思ったより、可愛らしい仕草。まるで子供のようだなと思いながらも、アトリは尋ねてみる。
「私…どこかでお会いしたかしら……?」
「生きてたときに知ってたひとには、私のこと話しちゃダメなんだ。おねえちゃんのことはね、好きなひとから話を聞いていたから―――今日、小学校に行くんでしょ」
アトリはこくりとうなずいた。今日は小学校のクリスマスバザーにクッキーとサンドイッチを持って行くのだ。
「私、去年まであの小学校に通ってたんだよ」
「え?」
どう考えても小学生に見えない。
「このカッコは天使がバレないようにって変えてくれたの。これなら、誰にもバレないでしょ」
アトリはベッドを出ると、ミライに近づいて言った。
「いいですよ。着替えるので、……すこしだけ待っていてくれますか?」
みるみるうちに、ミライの表情は明るくなった。
見知らぬ少女。けれどどこか他人のように思えない、かわいらしい子。
「私、はじめてこういうの作るよ!」
エプロンをつけて、ミライは楽しげにキッチンに立つ。ふたりはサンドイッチとクッキーを作り、ていねいにラッピングした。その中からまだ温かい焼きたてのクッキーをひとつ、ミライの口に放りこんでやる。
「どうですか?」
「おいしーいッ!」
ミライは感激しながらもぐもぐと口を動かしている。
「あのね、私のスキなコの名前教えてあげよっか」
「うん?」
「水谷直。ナオくん! すっごくカワイイんだよ。これ、食べてほしいなぁ」
アトリはラッピングに和風の組紐で飾りをつけながら、ミライの話を聞く。ミライの手元には、ナオに作ったのであろうハート型のクッキーがあって、アトリは笑った。
「ナオくんに、それ……食べてもらいましょうね」
ミライはピースサインをして見せた。
都内S区、さざなみ小学校。卒業制作の画が描かれた壁にそって、校門をくぐる。カラフルな遊具、運動場。ミライは立ち止まると、すこしあたりを見回した。校舎の真新しいガラス窓、一階の教室の机。
「おねーちゃん! 今年もなんか持ってきたんでしょ? ちょうだい、ちょうだーい!」
知り合いの子供、佐藤尚吾が駆け寄ってきて、アトリはぽんぽんと頭をなでた。
「もう少し待ってくださいね。先生にご挨拶してきますから」
「オレ、放送部に入ったんだぜー。カッコいいだろ!」
「ステキですね。あら、すこし背が大きくなりましたか? ……まだ私よりも低いかしら」
くすくす笑いながらアトリが言うと、子供はアトリに顔をあっかんべーをしておしりペンペンをしてみせた。
「ねーちゃんのバーカ! ブース!」
子供は逃げ出したけれど、言われた本人はおだやかに、おっとりと構えている。
「佐藤くんだ」
ぽつりと、ミライは言った。知り合いなの、と尋ねようとして、アトリは口をつぐんだ。ミライは静かにうつむいていた。
先生に挨拶をしてから「喫茶室」をやっている教室へ向かい、クッキーを子供とその親に出す。アトリの手作りプレゼントは、子供たちの楽しみのひとつだ。去年は折り紙や和紙を作って販売をしていたのだけれど、とてもかわいらしいレトロな柄、選び抜かれた極上の和紙、そしてその美しい色味で母親たちのハートをわしづかみにし、あっという間に売り切れてしまった。
今年はクッキーのかわいらしさと、その何ともいえない贅沢な味で、母親たちと子供の心を奪った。これ、おいしいわねーと言っている親子たちを見ながらも、アトリはすこし落ち着かない。ミライも憂い顔で給仕をしている。
「ねえ、水谷直くんは今日は来てないの?」
そばにいた子供に尋ねてみると、
「来てるよ。どこ行っちゃったのかなー、あいつマザコンだからなー」
母親がその子の口元についているクッキーのかけらをぬぐう。得意げに言うその男の子こそ、母親に甘えているようなんだけれど。思わず微笑んでしまった。
その中で、女の子がひとり喫茶室の片隅に座っていた。床に指で何か書いている。
「どうしたの?」
「ううん。別になんでもない」
そっけなく少女は言った。ミライがそばにやって来た。ミライは興味津々な表情で、少女にたずねる。
「ねぇ、この歌知ってる?」
―――きよしこの夜
ミライの歌声は喫茶室に響き渡る。あんまり美しい声だったので、みな酔いしれる。
アトリも続ける。
―――星は光り
ひとりぼっちだった少女は、小さく歌い出す。ミライの声もアトリの声も、一緒にのせて。
―――救いの御子は 御母の胸に
やがてその場にいる子供たちが歌いはじめた。
―――眠りたもう 夢やすく
みんなで歌った聖歌は、にぎやかで―――けれどおだやかだ。
世界には何も不幸なことなんてないみたいに見える。それは、ストーブのあたたかさだけじゃない。ミライの明るさが、この場を和ませている。
(ナオくんと会えないなんて、悲しい。会わせてあげられたらいいんだけど……)
そのとき、佐藤が現れたのだった。佐藤はアトリを見ると、少し気まずそうにして母親に付き添っている。アトリは少年を見て、ひらめいた!
『六年三組、水谷直ー! お前のお母さんが呼んでるから、放送室までこーい!』
校内放送で、佐藤の声が響く。
「ありがとうございます、佐藤くん」
アトリはにこやかに言った。佐藤は照れながらマイクを手で遊ばせている。
「オレ、カッコいいでしょ」
「ええ、とってもステキですね」
言われてさらに照れた。
ズックのキュッキュッとゴムのこすれるような、廊下を走る音がする。ミライは顔を上げた。
少年がいた。どこから走ってきたのか、息せき切っている。目鼻立ちのくっきりした、女の子のような顔をしている。ミライは震えた。アトリは佐藤の手をとり、そっと放送室を後にした。
(どうか、少しでもミライさんがしあわせな気持ちになれますように)
***
天使は言った。
―――ひとつだけ願いごとを叶えてあげる。クリスマスだしね。
だから彼女は願ったのだ。
どうか、もう一度だけナオくんと会わせて。
何もできなくてもいいんだ。もう一度だけ、会いたい―――
***
ミライはどうしていいのか、いざとなったらわからなかった。
ただ、目の前にナオがいた。死ぬ時に頭がよく回らなくなってきて、お母さんの声が遠ざかっていくのを感じながら、ナオが病室に折り紙を持ってきてくれたことを思い出していた。やっこさん、つる、かぶと、ふね、しゅりけん。ナオは一生懸命に教えてくれる。それがミライはうれしかった。一緒にいると楽しい。いつまでもいられないなんて、ウソだよ。だって、こんなにしあわせなのにそれが続かないなんて、ウソだよ。
少し、背が伸びて。髪の毛を短く切っていた。ひざこぞうにはすりキズ。ミライはぼんやりと、彼を見つめていた。
ナオはきょとんとして、まだ声変わりしていない高めの声でミライに尋ねる。
「あの……お母さんは? お姉さん、誰? ぼく、自分が呼ばれたんだと思ったんだけど」
それには答えず、ミライはハートのクッキーが入った袋を手渡した。
「お姉さん、ぼくの知ってるひと?」
ミライはにっこりと笑った。
もう、何も言えなかった。目の前に、君がいる。それ以上に何を望めるだろう。
***
小学校を出てしばらく歩くと、人気のない公園があった。ミライは立ち止まると、振り返って言った。
「もう、ダイジョブ。ありがとー」
「あ、ミライさん。これ……」
アトリのバッグから出てきたのは、クッキーだった。女の子が二人で手をつないでいる。ミライは受け取ると、アトリとクッキーを交互に見た。
「ごめんなさい……私、何にもないよ」
「今日あなたが私のところに来てくれたことが、すごくうれしかったんですもの」
ミライはぎゅうとアトリを抱きしめる。胸の中で、ミライの姿は小さな少女のそれに変わった。小さな女の子。頭の左右、上の方で髪の毛をふたつにしばっている。
「いつか、また会いましょうね」
ミライはうなずく。
ふぃ、と彼女は消えた。
代わりに頬に何かつめたいものがふれた。
アトリは見上げる。星のない空から、今年最初の雪が降りはじめた。
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★ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ★
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【2528 / 柏木・アトリ / 女性 / 20歳 / 和紙細工師・美大生】
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■ ライター通信 ■
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発注ありがとうございました。
素敵な時間をくださったアトリさんが、幸せなクリスマスを過ごされることを祈って……!
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