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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


きみの生まれた日

 原曲よりも大分うすっぺらい音質で、携帯電話がメールの着信を知らせている。液晶画面を確かめたジェイド・グリーンがまずしたことは、周囲の人目の確認だった。オッケー、誰もいないな。
 メール本文を確かめてわずかに顔をしかめる。ただちに返信をしたためることにする。元々器用な彼のこと、やたら多機能なことで知られる日本の携帯にもすっかり慣れていた。メールを打つ速さも、今ではちょっとしたものだ。
『日程は動かせない。無理なら他を当たるから、可能かどうかだけでも教えてくれ』
 以上、送信。やれやれと溜息をついて、顔を上げる。
 とろりと濃い琥珀色の西日が、通りに並ぶ家並みを染めていた。
 そろそろ彼女の学校が終る頃、この時間にこの道を歩いていると、偶然はち合わせることもめずらしくはない。一人でいるときにメールが来てよかった、とジェイドは考える。何しろこれは、彼女には、彼女にだけは明かせない秘密である。
(もうすぐ十九日だしなあ)
 どうしたものかと腕組みしたところで、また携帯が鳴った。同じ相手からだ。向こうもちょうど手が空いていたのか、ずいぶんと返信が早い。メールを開いて、ジェイドは思わず呻きに似た声をあげた。
『可能は可能だが、それなりの色はつけてくれ』
「…………」
 足元を見られたものである。
「まいったな……」
 ――もうすぐ十二月十九日。
 ジェイドは来たるその日に、とある秘密の計画を練っていた。
 前もってバイトでまとまった額を用意してはいたが、計画の実行に必要な相場を考えればまだ足りないぐらいである。最近方々の知り合いと頻繁にメールのやりとりをしているのは、その不足分をコネで補うためだった。借金をするような甲斐性も当てもない。安定した収入のないフリーター生活に普段は決して不満はないが、こういうときはいささか不便だとジェイドは思う。
「まあこれも必要経費か……食事をおごるとかでいいのかな、色をつけるって」
 しかしおごってやるとしたら何がいい? ランチ一回……いや夕食一回……いやいや思い切って焼肉バイキングでどうだ。メール作成画面と向き合いつつせこい駆け引きに頭を悩ませていたため、ジェイドはすぐそばの気配にまったく気づいていなかった。
「あの」
「うわあっ」
 唐突に声をかけられて、ジェイドは飛び上がった。
「ゆ、弓弦ちゃん……びっくりした。今帰り?」
 振り返った先では、見慣れた少女――制服姿の高遠弓弦が目を丸くしていた。下校途中でジェイドを見つけたらしい。
 彼としたことが、メールに没頭しすぎて気配に気づかなかったようだ。ほっと安堵の息をついたジェイドに、弓弦は赤面して軽く頭を下げる。
「すみません、驚かせて。お邪魔でしたか」
 真剣なご様子だったので、声をおかけしようか迷ったんですけど……言いながら、弓弦の視線が手元の携帯電話に注がれている。あわててメール画面を閉じてポケットに押しこむ。いかんいかん、見られたらまずい。
「な、何言ってんの。素通りされちゃったら、その方が俺悲しいよ」
「携帯、よろしいんですか?」
「あ、うん、メールだから後でも全然いいんだ、大した用じゃないし」
 はははと高らかに響く笑いが我ながらうつろだ。決して悪いことをしているわけではないが、それでも憎からず想う相手に隠し事をする後ろめたさが胸を刺す。ごめん弓弦ちゃん、今は話せない。
「……よかったら、一緒に、帰りませんか」
「あ、うん」
 どことなくぎこちないやりとりのまま、二人は並んで歩き出した。
 夕方の透明な茜が、横断歩道の信号の向こうの空と雲をグラデーションに染めている。横目で窺うと、とたんに弓弦の視線とぶつかって互いに目をそらす。落とした視線の先では、二人の影が長く平行に伸びている。
 だめだな俺。ほんとに隠し事に向いてない。
 人を疑うということをめったにしない弓弦だが、彼女は普段物静かな分、相手をよく見ている。洞察が鋭く、嘘に敏いところがある。相手の秘密をあえて追求するような子ではないが、その分、ジェイドの嘘に傷ついているのではないか
 言ってしまおうか。いややっぱり言えない。そう内心で葛藤しながら結局はジェイドは口を開けず、なんとなく気まずい雰囲気のまま、その日はついに無言で家に着くことになった。



 聞いたほうがいいのだろうか。
 ひとりきりの下校の途上で、それが弓弦の今の悩みである。
 高遠家に居候しているジェイド・グリーンが、何か隠し事をしていると気づいたのは最近のことだ。
 携帯電話がよく鳴るようになった。通話にしろメールにしろ、ジェイドは弓弦のいる場では決して携帯を開かず、必ず席を外して相手とやり取りしているようだ。それとなく誰からか尋ねてみても、いつも微妙に矛先をそらされる。
 この間など、メールを打っているときに声をかけたら飛び上がられてしまった。
(そんなに、私には知られたくないこと?)
 内心けっこうショックだった。あれ以来、気にしないように務めても、気がつくとジェイドのことを考えている。誰と連絡を取り合っているのか、どんなことを話しているのか、何よりも、どうして自分に隠すのだろう。誰にだって秘密のひとつぐらいある、プライバシーに無闇に踏み込むのはよくない、頭ではそうわかっているのだけれど。
 ……いつもならば悩みは仲のいい姉に打ち明ける弓弦だが、なんとなくそれも事が大袈裟になりそうでためらわれた。
 マンションに帰り着き、エレベータのボタンを押しながら、弓弦は軽く唇を引き結んだ。
「……やっぱり、ジェイドさんに聞いてみましょう」
 面と向かってジェイドに尋ねてみるのだ。弓弦の性格上、問い詰めたり詰め寄ったりというのは苦手だが、いつまでも一人で悩んでいても仕方がないのも確かである。
 それでも秘密にされるのならば……そのときは諦めよう。ジェイドさんを、困らせたくはない。
 エレベータが目的の階に着いて、部屋のドアを開けようとしたとき、玄関扉が突然勝手に開いた。
「弓弦ちゃん、お帰り!」
 中からドアを開けたのはジェイドである。いつもラフな服装が多いのに、今日はめずらしくスーツなど着ている。
「え、あ、はい。ただいま、です」
 ついさっき問い詰めようと決意した相手に突然現れられて虚をつかれ、思わず間抜けな返事を返す。ジェイドに鞄を強引にもぎとられ室内に迎え入れられながら、何から聞けばいいんだったかしら、とつい弓弦は考えてしまった。まさか、いきなり鉢合わせるとは思っていなかったのだ。
「友達と寄り道でもしてた?」
「い、いえ。ただゆっくり帰ってただけで……ごめんなさい」
「ああいや、謝ることはないけどさ、遅いからはらはらしちゃったよ! 俺としたことが準備にかまけて、肝心の弓弦ちゃん本人の予定聞くの忘れてたし……ねえ弓弦ちゃん、今日これから予定ある?」
「ないですけど、あの、ジェイドさん、少しお話が」
「よかった! 今から出かけるから二十分、いやできれば十五分で支度して。何着てもかわいいけど、お洒落してくれると主に俺が嬉しい。ああでも寒いから上着は忘れないで。姉御いま留守だけど帰ってきたらきっとうるさいし、今のうちに!」
「ええと、実は」
「できるだけ早くね!」
 話を切り出そうにも、立て板に水でまくしたてられて口を挟む隙がない。人の話は遮らないという持ち前の礼儀正しさが、今回は裏目に出た。急いた様子のジェイドに部屋に押し込まれてもなお、弓弦は事態を把握できないでいる。
「……え?」
 出かけるって、どこへ?

「……え?」
 まだ把握できていなかったりする。
 言われるまま、まだおろして間もないワンピースに着替え、そのままジェイドに連れられてタクシーに乗せられた。さらにその先の巨大なビルにあっという間に連れ込まれ、エレベータで一気にその屋上へ。よほど急いでいたのか、拉致と勘違いされても仕方のない、おそるべき手際であった。
 そして今まさに目の前にあるものを、弓弦は呆然と見上げている。
「あの」
「何ー!? 寒いー?」
 確かにちょっと寒い。吹き付けるビル風もさることながら、眼前のヘリの回転翼が、辺りに騒音と風をまきちらしながら回っているからだ。だが弓弦が聞きたいのはそんなことではなかった。
「ヘリコプター、ですよね、これ」
「え、ヘリ苦手だった? ごめん、飛行機はちょっと当てがなくて」
「いえ、そうではなく」
 どうして私たちは、ここにいるのでしょう。
 ものものしい装備を身につけた整備士や操縦士が、離陸の準備をすべくふたりを追い越していく。日没から久しい空は、墨のように黒々とした姿を頭上にさらしていた。だが弓弦たちのいる発着場は、指示灯やサーチライトでまぶしいほど明るい。
 行こうか。ジェイドがそう言って、ヘリのほうへと歩き出す。戸惑いながら弓弦もそれを追う。発着場のサーチランプの明かりに照らされた、ジェイドの面がふと振り返る。笑いながら、何事かを口にして唇が動いた。
「え?」
 間近で聞く稲妻のようなローター音がうるさくて、なんと言っているのかわからない。聞き返すとジェイドは肩をすくめて、身をかがめそっと弓弦の肩を引き寄せた。耳元を撫ぜた吐息が、今度は確かな言葉として、弓弦に届く。
「誕生日おめでとう」
 ――と。



「ごめん!」
 ヘリに乗り込んでから、ジェイドはまず頭を下げた。
「隠してたのは謝る。びっくりさせたかったんだ」
「もういいですよ、本当に」
 ジェイドの平謝りの様子に、弓弦は苦笑するよりない。
「確かに気になったのは事実ですけど、そのおかげで誕生日のことなんてすっかり忘れてました」
 十二月十九日。弓弦の誕生日である。この日のサプライズのためにジェイドは方々に手を回し、知り合いの勤めるある会社が、プレゼン映像の撮影にヘリを飛ばすという話を聞きつけ、是非そのヘリに便乗させてほしいとねじこんだのだった。
 もっともその知り合いは、この急な申し出がデート目的と知りそれなりの見返りを要求したのだが、それはまた別の話だ。
「私こそごめんなさい。少しだけ、ジェイドさんのことを疑ってしまいました」
「や、疑われるようなことをしてた俺が悪いんだし」
「そんな、ジェイドさんは好意でしてくださったのに。悪いというなら、何も知らずに疑った私が」
「いや俺が」
「おふたりさん」
 前方の操縦席から、うんざりした顔の操縦士が声をかけた。
「イチャイチャするのもいいですけど、離陸するんでそろそろベルト締めてくれませんか」

 上空から見下ろす景色は、弓弦が今まで見たことのないものだった。
「凄い……」
 眼下にあるのは、黒々とした闇の中にあふれる光の洪水だ。ビル、民家、街灯、それに駅前や歩道を飾るクリスマスツリーのライトアップ。地を這う車の流れは天の川のよう。大地を埋め尽くす光はどこまでも続いていて、空と地上の境目がわからなくなる。
 弓弦が普段知る夜景とは、まったくスケールの異なる景色だった。
「今日はね」
 同じように地上を見下ろしながら、ジェイドは言う。
「日本で初めて空を飛んだ日なんだって」
「そうなんですか?」
「らしいよ」
 へえ……と感嘆の声を上げながら、弓弦は目を輝かせ、窓にはりつくように地上を見下ろしている。地上の明かりに照らされてほの白く光る横顔に、ジェイドはじっと見とれていた。普段は彼女が恥ずかしがって、こんなにまじまじ見つめることはできない。この横顔だけでも、苦労した甲斐はあったというものだ。それに、
「一度、弓弦ちゃんにこれを見せたかった」
 もしかしたらそれは、ジェイドのただのわがままなのかもしれない。
 けれど窓から眺める夜景しか知らない少女に、一度でいいから空の広さを教えたかった。地上を埋め尽くす無秩序な灯の洪水を、どこまでもどこまでも続く果てのない光の海を見せたかった。
 この気が遠くなるほど広大な世界で、きみと出会えたことが本当に嬉しいのだと、いつか本当に伝えることができたなら。
 弓弦が窓から目を離した。ジェイドは視線をはずさなかった。そのまま音もなく身を寄せて、膝に引き寄せておいた白い花束を、そっと差し出す。
 カスミソウとスノーフレーク。無垢で清楚な、だが凛と咲く、彼女そのもののような花を。
「誕生日おめでとう」

 後部座席のふたつの影が重なったのを、操縦席のパイロットは見ないふりをした。