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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


最高のプレゼント





 買い物から帰って来た零を見て草間は軽く目を見開き、その後で大きくひとつ溜息をついた。
 「路地裏に倒れていました」
 零は簡潔に事実だけを述べ、お姫様だっこの形で抱えた少女をさっさと奥の部屋に運んでいく。さらに「体を拭きますから兄さんは入ってこないでください」ときつく言い添えることも忘れない。言われなくたって誰が見たがるかと内心で毒づきつつ草間はタバコに火をつける。
 それでも、零が大して広くない事務所の玄関から奥へと運んでいく間に草間の探偵の目は彼女の腕の中の少女を素早く観察していた。ずいぶん汚れた少女だった。ブラウン系の髪は埃や泥にまみれ、身に着けているワンピースらしき服もあちこち破れて手足に傷がついている。しかし生傷や砂埃の付着した肌は息を呑むほど白く、ぼろぼろの着衣も決して安物ではない。歳の頃は中学生程度だろうか。おおかた何かわけありなのだろう。厄介なことに巻き込まれなければいいが。そんなことを考えながら草間は事務机に腰掛け、溜息とともに細く紫煙を吐き出す。
 だが、草間の探偵の勘というのはこういう時だけ当たるもので――少女を連れた零が帰って来て一時間と経たないうちに玄関のブザーが濁った音を立てて来客を告げたのである。



 「少女を探してほしいのです。一週間前から姿が見えなくなったそうで」
 でっぷりとした体をぴっちりとしたスーツに包み、てかてかとした頭に浮く脂汗をせわしなくハンカチで拭いながら依頼人の男性は用件を切り出す。鼻の上に押し込むようにしてかけた小さな丸い眼鏡の奥の目はさらに小さく、ネズミのように落ち着きなくきょろきょろと動く。もっとも、ネズミというにはかなり大きな体格をしているが。彼の尻の下で苦しそうに軋む応接ソファが壊れやしないかと草間は不安を禁じ得ない。
 「人探しなら警察に捜索願でも出せばいい。そのほうが手っ取り早いし、確実性もある」
 草間は眼鏡の奥の目を軽く細めながら至極もっともな指摘をした。「なのにわざわざこんな所に来た。警察に言えないようなわけありのケースと考えていいのか?」
 権田原(ごんだわら)と名乗った依頼人は「はあ、まあ、別に」と曖昧な返事をしながらひっきりなしに汗を拭う。その後でひとつ溜息をつき、観念したように分厚い唇を舐めてから再び口を開いた。
 「まあ、隠してもしょうがありませんねえ。探してほしいのはオークションの落札品なのです」
 「落札品? あんた、“少女を探してほしい”って言ったばっかりだろうが」
 「はあ、まあ、それが、何と申しましょうか」
 権田原はしきりに手もみしながら身を縮める。「私どもの会社では、観賞用の少年少女のオークションを行っておりまして。えり抜きの美少年や美少女を集めたオークションです」
 「観賞用の少年少女のオークション?」
 草間はやや素っ頓狂に権田原の言葉を反復した。人間をオークションにかけるだなんて、それも観賞用だなんて。観葉植物や熱帯魚ではあるまいし。しかしそんな草間の内心など知る由もなく、権田原は汗を拭き拭き言葉を継ぐ。
 「今回探してほしいのは先日開催されたクリスマスオークションで落札されて落札主に引き取られた物件なんですが、一週間ほど前に家出をしてしまったそうでして。以来、とんと行方がつかめずに」
 「物件なんて言い方はよせ」
 少女を物として扱うような言い方に違和感と吐き気を覚えつつ草間は苦虫を噛み潰す。「それに、解せないな。なぜあんたがうちに来る必要がある。落札主本人が依頼に来るべきじゃないのか」
 「ごもっともです、はい。しかしお客様にも事情というものがございましてですね」
 権田原は眼鏡の奥の小さな目をきょろりと持ち上げて草間を見る。「そのー……何と申しますか、社会的にですね、地位のあるお方でございまして。そのような方がこのようなオークションに参加していたことが知れると非常に世間体がよろしくないとご本人からきつく申し渡されておりまして。草間興信所さんならばそういう秘密は絶対に守ってくれるはずだと、はい」
 「なるほどな。で、そいつは一体誰なんだ。有名な奴なのか」
 「いや、まあ、はあ、お名前を明らかにするわけには……」
 「ならこの話は受けないぜ。依頼に関して最大限の情報を集めるのが探偵の義務だ」
 「はあ」
 うつむいた権田原の太い手の中で汗のしみこんだハンカチが開かれ、またしわくちゃに丸められる。そのせわしないしぐさを幾度か繰り返した後で権田原はようやく顔を上げた。
 「民政党の、芹沢龍之介先生です」
 草間は「ほう」という相槌とともに眼鏡の奥の目を軽く細めた。民政党の芹沢龍之介といえば子供でも名前を知っている。若手の切れ者と名高い政治家で、民政党の次期幹事長と目されている男だ。なおおかつ、かつて総理大臣の職を務めた芹沢慎之介の養子でもある。
 「なるほどな。政治家のセンセイさまが美少女オークションなんかに参加していたことが知れたら有権者の支持が得られなくなるってわけか」
 「はあ、いや、その、誤解しないでいただきたいのです。美少女・美少年のオークションといっても決して猥褻目的ではございません。参加するのは子供を欲しながら不幸にも子供ができなかった夫婦や、配偶者に先立たれた寡婦や寡夫のかたがたです。まったくもって健全なオークションでございますよ。いわば養子を売っているわけですなぁ、ハイ。見た目や毛並みのよい子犬や子猫のみを厳選して店頭で売るのと同じことです。参加者さまの身元や経歴は厳格に調査し、商品に肉体的・精神的・性的な虐待を決して加えることのないように落札後も年に二回の定期報告を義務付け、なおかつきちんと養子縁組の届出をしたかどうかも――」
 「分かった、分かった」
 草間は面倒くさそうに片手を上げて権田原の饒舌を遮る。「その子のプロフィールや顔写真なんかは持って来てくれてるんだろうな?」
 「は、はい、それはもう」
 権田原は脇に置いた黒川のバッグからあたふたとA4サイズの茶封筒を取り出してテーブルの上に差し出す。――封を開けてざっと目を通した草間は思わず目を見開いた。
 肌の白さ。髪の色。鼻や口の造作。零が連れて帰ってきたあの少女にそっくりではないか。
 「何か?」
 草間の表情に気付いたのであろう、権田原が怪訝そうに尋ねる。草間は「いや」と短く返事をして封筒の口を閉じ、立ち上がった。
 「引き受けよう。ただし条件がある」
 「条件?」
 「芹沢センセイの自宅の住所と電話番号を書いていけ。調査報告は直接芹沢センセイに行う。でなければこの仕事は受けない」
 「……承知いたしました」
 権田原は苦渋の表情で肯いた。



 「何ですって」
 草間から話を聞いた零は怒りに声を震わせた。零の傍らに敷かれた布団には綺麗に体を拭かれ、零のパジャマを着せられた少女が弱々しい寝息を立てて眠っている。
 「そんな人の所に帰すわけにはいきません。兄さん、まさか引き受けたんじゃないでしょうね」
 「引き受けたさ。が、ただで帰そうとは思っていない」
 草間は首の後ろをがりがりとかきむしった。「なぜこの子を選んだのか、芹沢センセイの身辺や人となりはどうなのか……その辺りを調べてから帰すかどうか決めようと思う。あの権田原って奴の話じゃ、金持ちの善人を相手にしたオークションらしいからな。おまえが思うほどひどい環境に置かれるわけじゃないかも知れない」
 「だからって……人間をオークションにかけるだなんて」
 零は色を失った顔で少女に目を落とす。丁寧に清拭された少女の肌は真っ白で、きれいに梳かれた柔らかな栗色の髪はまるでフランス人形のようである。目は頑なに閉じられているが、すっと通った鼻筋といい、ピンク色の染料を垂らした蝋のように透き通った唇といい、美少女であることがうかがえた。
 「調べてからでも遅くない」
 草間は零の肩をぽんぽんと叩いた。「調べた事実を告げて、この先どうするかこの子に選ばせればいい。だろう?」
 零は唇を噛み締め、少し間を置いてから肯いた。



 「まあ、いいんじゃないのか。たとえ本当にペットじみた扱いだとしても、まともな生活ができるんだろう」
 権田原の置いていった資料に目を落し、さらりとそう言ったのは黒・冥月であった。ドライな台詞と白い顔にかかる長い髪を物憂げにかき上げるしぐさ、それに落ち着いた雰囲気は成熟した大人のにおいを醸し出しているが、実年齢は二十歳そこそこといったところであろう。腰まで伸びる艶やかな黒髪に黒一色の着衣のせいか、どこかモノトーンな印象を受ける。
 「一番大切なのは彼女の気持ちよ」
 対照的に、シュライン・エマは首を横に振ってそう言った。実の親から虐待を受けて死んでしまう子もいるし、貧困のために犬以下の生活を強いられる子供もいる、金のためにわが子を売る親だっている。冥月はそう思ったがそれは口にせず、東洋系の切れ長の瞳をちらりとシュラインに向けた。
 「私だって問題がないとは思っていないさ」
 ただ、あって当然の認識でいるだけのことである。そして冥月はそれを糾弾するような正義感溢れた世界には生きてこなかった、ただそれだけのことだ。「それよりも問題なのは子供の入手経路のほう――」
 「入手経路なんて言い方はやめて」
 冥月の言葉を半ば遮るように声をかぶせ、シュラインはかすかに柳眉を寄せた。冥月は「悪かった」と肩をすくめて言葉を継ぐ。
 「孤児や浮浪児ならともかく、こういう話には誘拐や身売りも多い。子供を被写体にしたいかがわしいムービーがあることくらいは知っているな? 裏の世界ではその為に買う奴も売られる子供も溢れ返っている。そして買う側の大半は地位も立場も金もある退廃的な奴らだ。世界中の有名どころを挙げたら――知っているが言わんぞ――芹沢なんぞ小粒も小粒だ。それに、買った子供を殺さずとも奴隷にする奴や、仕方なく自ら奴隷に身を堕とす人間も多い」
 そんなのに比べれば天国だと、冥月はそう言って言葉を結んだ。
 「でも、やっぱり、かわいそうだと思います」
 ややのんびりとした少女の声が二人の会話を遮る。「何が?」と同時に聞き返した二人ににっこりと微笑んでみせたのは樋口・真帆であった。
 「彼女が、です」
 真帆は緩やかに小首をかしげ、ココア色の髪の毛をふわりと揺らしてもう一度微笑んだ。「だって、あんなにぼろぼろになって逃げ出してきたくらいですもの。幸せな生活ができていたとは限らないと思いますよ」
 「まあ、それはそうだが」
 冥月は少々テンポを狂わされたように息をつき、資料をシュラインに手渡した。
 ――少女の名は塚本・琴美(つかもと・ことみ)、十三歳。実の両親は三年前に死亡。その後、例のオークションを主催する“ウェルフェア・カンパニー”が経営する孤児施設“ウェルフェア・ハートネス園”に預けられ、オークションに“出品”された。そして先日開催されたクリスマスオークションで芹沢龍之介に“落札”されて芹沢の別邸に引き取られるも、そこを逃げ出して零に助けられたということのようである。
 「未成年者を養子にするときは、配偶者と共にすることが必要じゃなかったかしら」
 民法の規定を思い出しながらシュラインは顎に指を当てて考え込む。「ということは、結婚していないと養親にはなれないということよね。家庭裁判所の許可もいるはず。それから、養子になる子が十五歳未満の時はその子の法定代理人の代諾が必要・・・・・・未成年者の法定代理人っていったら普通は親権者だけど、彼女の親はもう亡くなっているわけよね。ということは未成年後見人がついていないといけないはずだわ。未成年後見人は家裁が選任するか親が遺言で指定するかだけど、その辺りもオークション側でフォローしてくれるのかしら」
 「うーん。私にはよく分かりませんけど」
 真帆は次々とシュラインの口からついて出る言葉にしきりに首をかしげつつ唇に指を当てる。「その辺りのことは関係者に聞いてみればいいんじゃないでしょうか?」
 「そうだな。そのために来てもらっている」
 冥月はちらりと応接ソファに目を向ける。ソファにちょこんと腰掛けた権田原は大きな体を一生懸命小さくしながら三人の視線を受けた。



 「わが社はオークションの“商品”になりうる子供を探すための独自のネットワークとコネを持っておりまして、ハイ。親を亡くした子供ですとか、虐待されて施設に保護された子供ですとか、そういう情報はふんだんにございます。ですがなにぶんこういった業種ですから、その辺は詳らかに話すことはできません。どうかご容赦ください」
 権田原は大きな体には不似合いな小さなハンカチで汗を拭き拭き答える。「塚本琴美の場合もそのネットワークに引っかかりましてな。ウェルフェア・ハートネス園に引き取り、充分に時間をかけて養育すれば未成年後見人として家裁に選任してもらうことも可能です。そのうえで極秘裏にオークションに出品し、落札者の家で一定以上の期間平穏に養育させてから養子縁組の申請をする。そうすれば養子縁組の許可もおりやすいというわけです、ハイ。もちろん子供本人にはオークションの存在など知らせません。オークションには子供のプロフィールと動画・静止画のみを出品します。そして落札者が新たな保護者として子供を迎えにハートネス園にやってくる。円滑な養親子関係を築くための配慮でございますよ。子供にも落札者にも福音をもたらすのがわが社のオークションでございます」
 「すべて計算ずくということですか」
 シュラインが唇を歪ませる。初めからオークションに“出品”するつもりで何年も前から下準備を重ねるというわけだ。だが、こんなオークションを運営していれば裁判所とて黙ってはいない。それなのに許可が下りるということは、裁判所の目すら欺けるほど入念かつ周到に手配しているということであろう。反吐が出る。
 「芹沢先生って、あの有名な政治家さんですよね。確か年齢は四十歳過ぎくらいで」
 眉毛をハの字に曲げて不思議そうに口を開くのは真帆である。「えーっと、未成年の子を養子にする時は結婚してなきゃいけないんですよね?」
 「そうよ。芹沢さんは独身で未婚、結婚歴はないはず」
 シュラインが肯いて真帆の後を引き継いだ。「養子縁組を前提として、オークション参加者の身元や経歴は詳細に調査するとおっしゃっていましたね。どうして未婚の芹沢氏に許可が下りたんですか」
 「・・・・・・極秘情報なのですがねえ」
 権田原は渋い顔をしたが、仕方ないと諦めているのだろう。ひとつ息をついてから口を開いた。「芹沢先生は来年結婚するご予定なのです。結婚してしばらく少女と暮らしてからならば養子縁組の許可も下りると思いまして許可を出した次第で。もちろんお相手の女性の身元も調査済みでございます、ハイ」
 「芹沢がオークションに参加したのは婚約者と話し合ってのことか」
 それまで黙ってやり取りに耳を傾けていた冥月が初めて口を開いた。「それとも、芹沢自身の独断か」
 「さて・・・・・・そこまでは」
 「芹沢の婚約者はオークションや塚本琴美の存在を知っているのか?」
 「さあ。分かりませんが」
 権田原は困惑したように眉間に皺を寄せる。「当社は極秘の会員制ホームページでしか宣伝を行っておりません。そのホームページを閲覧するためにも厳格な審査と手続が必要で、会員のリストもきちんと作成して保管しているのですが・・・・・・リストには芹沢先生の婚約者のお名前はありませんでした」
 そこへ零がコーヒーカップを乗せたトレイを持って現れ、話は一時中断した。
 「お話が終わったらすぐ来てもらえますか」
 カップをテーブルに置いた後で零はトレイを口に当て、三人にだけ聞こえるように囁いた。「ついさっき、彼女が目を覚ましました」



 琴美の薄い虹彩は虚ろに天井を見つめていた。権田原が帰った後で零に案内されて三人が入ってきた気配に気付いても、半ば機械的に頭を傾けただけだった。
 「こんにちは」
 まず口を開いたのは一番歳の近い真帆であった。にこりと微笑み、琴美が横たわった布団のそばに膝をついてゆっくりと話しかける。くりくりとしたアーモンド形の琴美の目が緩慢に真帆に向けられる。
 「私は樋口真帆っていうの。お名前、教えてくれるかな?」
 名前はすでに資料で確認して知っていたが、少しでも琴美の口を開かせるために真帆はあえてそう問うた。琴美は答えずに、無言で真帆から目を逸らす。しかし、その瞳が一瞬だけ真帆に釘付けになっていたことを冥月は見逃さなかった。 
 「何かしたのか?」
 冥月はひそひそと真帆に囁く。まさか以前どこかで会ったことがあるというわけではなかろう。夢渡りという真帆の能力を使って少女と何らかのコンタクトを取ったのであろうか。しかし真帆は冥月を見上げていつものように可愛らしく微笑んでみせただけだった。
 「頑張ったね」
 シュラインは琴美のそばに膝をつき、たった一言、そう言った。白い手が琴美の柔らかな髪の毛をそっと撫でる。琴美は何も言わなかった。ただびくっと体を震わせ、かすかに唇をわななかせただけだった。
 「何か食べたい物はある? 何でも言ってちょうだい」
 琴美は首を横に振る。「じゃあ」とシュラインは気を取り直して続けた。
 「どこか行きたい所は? どこでも連れて行ってあげる、体が治ったらね」
 「どこでも?」
 琴美は初めて反応を見せた。薄茶色の瞳が順々に三人を見る。「本当にどこでもいいんですか?」
 フランス人形のような大きな瞳に音もなく涙が盛り上がり、やがて堰を切って静かに溢れ出した。
 「あたし」
 と、琴美は白い頬を流れる涙を拭おうともせずに言った。「お父さんとお母さん……おじいちゃんとおばあちゃんでもいい。家族の所に行きたい」
 真帆の指が無言で琴美の頬に伸び、そっと涙を拭う。それが合図だったかのように琴美は一気に声を上げて泣き出した。体を丸め、薄い布団にしがみついて、幼子のようにただただ泣きじゃくり続けた。
 「つらかったのね」
 琴美の肩をさすりながらシュラインが呟く。冥月は腕を組んで目を閉じ、壁に背をもたせかけてその様子を見守っていた。自分の出る幕ではないし、出る必要もない。
 「何か怖いことがあったの?」
 シュラインは琴美の様子を見ながら慎重に尋ねる。しかし、琴美は首を横に振った。
 「あたしは、“商品”なんです」
 琴美は嗚咽の合間に途切れ途切れにそう言った。「芹沢のおじさんはとっても優しくしてくれました。あたし、おじさんが大好きでした。でも、おじさんが電話してるのを聞いちゃったんです。おじさんはあたしを“買った”んだって。誰かにあげるためにあたしを“買った”んだって」
 ちょうど誰かにプレゼントでも買うかのように。たどたどしくそう口にした琴美にシュラインは顔を歪ませる。
 「芹沢のおじさんはハートネス園にあたしを迎えに来てくれたんです。園の先生たちが“あなたの新しい家族だよ”って言って送り出してくれたのに、芹沢のおじさんはあたしを家族にする気なんかなかったんです」
 権田原の話では、オークションに“出品”される子供にはオークションの存在は知らされていないという。落札者と子供が円滑な親子関係を築けるようにするためだと。しかし何かの拍子に自分がオークションで落札された“商品”だと知ったらどうだろう。施設に引き取られたわけありの子供と子供のいない大人、両方に幸せをもたらすオークションであると権田原は言っていたが、果たして本当にそうであろうか。
 「それでショックを受けて家出してきたのか?」
 冥月が目を閉じたままそう尋ねると、琴美は鼻をすすり上げながら肯いた。
 「ありがとう。よく話してくれたね」
 シュラインは心から琴美に礼を述べ、乱れた琴美の髪を丁寧に指ですいてやる。「ゆっくり休んで。食欲が戻ったら腕によりをかけてごちそうを作るわ。リクエストがあったら考えておいてね」
 琴美は布団を抱き締めたまま何度も何度も肯いた。



 「ひどい扱いを受けていたわけではないのだな」
 琴美がいる部屋のドアを後ろ手に閉めて冥月が呟く。シュラインも「意外ね」と小さく言って肯いた。真帆は琴美のそばに残っている。調査よりも精神的フォローに回るつもりなのであろう。
 「思ったほど劣悪な環境というわけではなさそうだ。商品として売買されたことを除けばな」
 日はだいぶ高く昇った。興信所の古びた床に落ちる冥月の影はずいぶん短いものになっている。
 「つまり、あの子の判断材料になる事を探せと・・・・・・そういうことだろう?」
 冥月は斜めにシュラインを見やる。「商品として平穏に暮らすことが完全に不幸とも限らないからな」
 「そうね。逆を言えば、商品として大事に扱われることが幸せとも限らない」
 シュラインは小さく息をついた。「琴美ちゃん、“誰かにあげるためにあたしを買った”って言ってたわね。芹沢氏は自分の養子にするために琴美ちゃんを引き取ったんじゃないのかしら。それに・・・・・・あの短い話じゃ分からないけれど、琴美ちゃんは芹沢氏の婚約者のことには触れなかった。二人で養子にするつもりなら二人一緒に琴美ちゃんに接していてもよさそうなものなのに。テレビや新聞でも芹沢氏が婚約したなんて聞いたことがないわ。あれだけの有名人ならちょっとは話題になるはずよ」
 「道理だな。勘だが、芹沢の婚約者は――もし本当に婚約者がいるのであればの話だが――恐らく塚本琴美のことを知らない。芹沢が独断でやったことだと思う」
 冥月の足が床に伸びた己の影の中に音もなく沈んでいく。「芹沢が何のために少女を落札したのか・・・・・・しばらく芹沢を監視していよう。少女を気遣う言動などがあればよいが」
 「そうね。私は琴美ちゃんの実親と芹沢氏の実親や養親について調べてみる。芹沢氏の婚約者のことなんかも少し・・・・・・とりあえず夜にまたここで合流しましょう」
 「了解した」
 かすかな波紋を残し、冥月の姿は影の中へと消えた。



 冥月の能力は影を操ること。影の中から攻撃することも、影から武器を作り出すことも可能。そんな冥月にとって、芹沢龍之介の影に移動してその中に長時間潜む程度のことは朝飯前であった。
 芹沢龍之介はいかにもエリート然とした男であった。タイトなスーツに包まれた長身。丁寧に整えられた黒い髪、切れ長の理知的な目元。銀縁の華奢な眼鏡とやや角ばった顔の骨格もクールさを演出するのに一役買っていると言ってよい。なかなかの男前である。
 (確か芹沢も養子のはず。あと数十年若ければ例のオークションに出品されていたかもな)
 そんなことを考え、芹沢の影に潜んだ冥月はかすかに苦笑いする。
 当の芹沢は冥月が自分の影に隠れているなどとはつゆ知らず、政治家の激務に追われていた。党幹部との会談。次回の党首討論のための準備の手伝いなどなど。冥月の想像と反し、芹沢はそこそこ好感の持てるクリーンな人物という印象を受ける。もっとも、外面だけがそうなのかも知れないし、この先政界にもまれる中でその純潔がどこまで保たれるかははなはだ疑問であるが。
 「先生。そろそろお昼の会食のお時間が」
 二時を回った頃、芹沢の秘書がスケジュール帳を開きながら言う。「幹事長と公団の方々がお待ちです。お急ぎください」
 「言われなくても分かっている。まだ少し時間はあるだろう」
 芹沢は秘書の言葉を苛々と遮った。「こちらもきちんと計算して動いているんだ。自分の予定くらい自分できちんと把握している」
 芹沢の言葉の端にかすかな焦燥を読み取って冥月は軽く鼻を鳴らした。この焦燥は琴美の身を案じてのことか、それともせっかく誰かにプレゼントするつもりで買った品がなくなってしまったことに対するものか。
 「芹沢だ。相馬くんに・・・・・・会長に代わってくれ」
 芹沢は秘書を制して入ったトイレで携帯を取り出し、声をひそめて電話をかけた。「相馬くんか。事務所に興信所の人間が行くかも知れない。この前話しておいた通りに頼む。そうだ、婚約のことだ。婚約していることにしておいてくれ。くれぐれも嘘と知られないようにしてくれよ」
 (婚約していることにしておけ、だと?)
 “会長”や“事務所”という単語からして、電話の相手は恐らく後援会であろう。しかしなぜそんなことを頼むのか。何のために婚約を擬装する必要があるのだろう。もしかして琴美をオークションで“落札”するためではなかろうか・・・・・・。冥月にはそんな気がしてならなかった。
 電話を切った後で芹沢は携帯のボタンを忙しく押した。どうやらメールボックスや着信履歴をチェックしているらしい。
 「見つからないなら見つからないで連絡くらいよこすのが常識じゃないのか」
 目的の相手からのメールや着信はなかったのであろう、芹沢は軽く舌打ちして携帯電話をポケットに突っ込む。「もう明日はイブだ。父さんたちにプレゼントするつもりで引き取ったのに」
 冥月は切れ長の目をすっと細めた。しかしもちろん芹沢はそれに気付かず、手を洗って足早にトイレを出る。芹沢に付き従う影に潜んだ冥月もその後を追った。
 幹事長と芹沢を乗せた黒塗りの車は料亭に滑り込んだ。真昼間から料亭で会食会とは豪勢なものだが、政治家の世界とはこんなものなのだろうか。どこぞの公団のトップだという中年太りの男性たちは腹を揺すりながら酒をかっ食らっている。芹沢は黙々とお酌に回り、黙ってウーロン茶を飲んでいたが、合間を見て二、三度席を立ち、トイレの個室に入って携帯で電話をかけていた。一度目の電話の相手は権田原らしく、琴美が見つかったのかどうかと問いただしていた。
 「母さん? 龍之介だよ。脚の具合は・・・・・・そう。よかった」
 二度目の電話の相手は養母らしかった。この電話の時だけ表情がかすかに和んでいることに冥月は気付いていた。
 「ああ、幹事長や公団の人たちと食事中。明日は家に帰るようにする。父さんと母さんにクリスマスプレゼントがあるんだけど、もしかしたら渡せないかも知れない」
 済まない、と龍之介は小さく謝る。「もし見つかったら渡すから。ん? それは見てのお楽しみさ。母さんと父さんが一番欲しがっているものだと思う。きっと喜んでくれるはずだ。それじゃあ」
 そう言って芹沢は電話を切った。



 冥月は日がすっかり暮れるまで芹沢を監視していたが、それ以上の情報は得られなかった。
 得られた手がかりはふたつ。まず、芹沢は養父母にプレゼントするつもりで琴美を“落札”したこと。それと、琴美の存在は「養父母が一番欲しがっているもの」だということ。この手がかりが交わる地点に何があるのか、今の時点ではまだ分からない。
 それに、少々不審な点もある。権田原は“オークションは極秘のホームページでしか宣伝していない”と言っていた。養子を持とうなどと考えそうもない未婚の芹沢がなぜそのホームページを探し当てることができたのだろう。
 冥月より少し遅れてシュラインが興信所に戻って来た。琴美は眠ってしまったという。代わりに琴美とずっとおしゃべりしていたという真帆が応対した。
 「どうでしたか? 芹沢さんは信用できそうな人でした?」
 真帆は二人の顔を見るなり真っ先にそう問う。冥月は肯定も否定もせずにちょっと肩をすくめてみせた。
 「ま、無難な部類だろう。悪くない代わりに強調するほど良くもない」
 「琴美ちゃん、芹沢さんのことが大好きだって言ってました。大好きだからこそ“商品”として買われたことがショックだったって・・・・・・芹沢さんは琴美ちゃんを気にかけていましたか?」
 「ああ、気にかけていたさ。大事なクリスマスプレゼントがなくなってしまったとな。どうやら養父母にプレゼントする気らしい」
 冥月は今日一日で得た情報を要約して二人に話して聞かせた。次に口を開くのはシュラインである。
 「琴美ちゃんの両親は病院にも行けず、頼る人もいなくて、貧困の末に亡くなったんですって。琴美ちゃんは芹沢氏の養父母の実の娘にそっくりだそうよ。芹沢氏は琴美ちゃんがいたのと同じウェルフェア・ハートネス園にいて、今の養父母に引き取られたんですって。芹沢氏の養母の名前は美智子さん、養父は慎之介さん、娘さんは美雪さん。美雪さんは結婚のことで両親と大喧嘩し、駆け落ち同然で家を飛び出したと聞いたわ。芹沢夫妻も激怒して娘さんと縁を切り、その後娘さんとは一度も連絡を取っていないそうよ。大変後悔したようだけど。でも・・・・・・」
 シュラインの話の続きを聞いて冥月はひょいと眉を持ち上げた。
 「なるほどな。芹沢の婚約に関してはどうだ?」
 「後援事務所の会長の相馬さんという人に話を聞いたんだけど・・・・・・芹沢氏の婚約の件を聞いたら、ちょっと不自然な反応をしていたわね。“芹沢先生は婚約なんかしていない”って言いかけて、慌てて“来年結婚する予定です”って言い直したの」
 「あ・・・・・・そういえば」
 真帆が思い出したように口を開いた。「琴美ちゃん、芹沢さんの婚約者なんか知らないって言ってました。会ったこともないって」
 「決まりね」
 真帆の話と冥月の報告を考え合わせてシュラインは小さく息をついた。「芹沢氏の婚約は擬装。恐らく、琴美ちゃんを引き取るためのね。いったん引き取ってしまえば養父母に面倒を見させて縁組の申請をすることだってできるし」
 「解せないな。なぜそこまでする」
 冥月はやや怪訝そうに眉を寄せる。「あの少女が養父母の実の娘に似ているからか? それに芹沢が“琴美の存在は養父母が一番欲しがっている物”だと言っていたが、あるいは――」
 冥月が口にした可能性にシュラインは大きく肯いた。どうやら彼女も同じことを考えていたようだ。
 「うん、きっとそうです。それがいい」
 まだあどけなさの残る真帆の顔にぱっと笑みが広がる。「とりあえずごはんを食べて・・・・・・調査結果を話すのはその後でいいですよね。私、琴美ちゃんを呼んで来ます」
 そして軽やかにスカートの裾を翻して踵を返したが、二、三歩行った所でシュラインを振り返った。
 「シュラインさん、冥月さん。琴美ちゃん、オムライスとハンバーグが食べたいって言ってました。みんなで作ろうって話してたんです。手伝ってもらえませんか?」
 「もちろん」
 と微笑むシュラインの隣で冥月はそっと息をつく。親を亡くした少女を囲んでみんなで夕食会、というシチュエーションになるのだろう。そういうアットホームな場面にはあまり親しみがない。



 案の定、その晩の草間興信所では琴美を囲んで夕食会が催された。オムライスにハンバーグにオニオンスープ、ポテトサラダ、プリンアラモード・・・・・・。四人で作った心尽くしのごちそうが所狭しとテーブルに並ぶ。栄養バランスやカロリーといった問題は二の次にして、今日だけは琴美に食べたい物を食べたいだけ食べてほしい。そんなささやかな願いが込められているのであろう。
 「おいしそう」
 食卓に着いた琴美は無邪気な声を上げ、大粒の瞳に涙をにじませる。「お母さんがよく作ってくれたっけ」
 「琴美ちゃん、あたたかいうちに食べて」
 シュラインは琴美が涙をこぼす前に食事をすすめた。琴美は「うん」と肯いてスプーンを取り、お行儀よく「いただきます」と言ってオムライスに手をつけた。半熟の卵を崩し、よく炒められたチキンライスと一緒にデミグラスソースに浸す。口に運んだ瞬間、琴美の顔にぱっと喜色が満ちた。
 「おいしい。すごくおいしい」
 「そう。よかった」
 シュラインは心からそう言って席に着いた。真帆もスープを一口飲んで幼い歓声を上げる。冥月だけはやや持て余し気味にスプーンを握って無言で口に運んでいた。家事を得意とするシュラインの指導とあって、並んだ料理は確かにおいしい。が、こういう和やかな団欒の席には幾分不慣れである。料理を作る間も無言でジャガイモをつぶしていた。
 楽しい時間はあっという間に過ぎる。最初は硬かった琴美の口と表情も徐々にほぐれ、問わず語りに自分のことを断片的に話して聞かせるようになった。話の内容はやはり家族のことが大きな比重を占めており、「お父さんとお母さんはもう死んだからしょうがないけど、お母さんにはおじいちゃんやおばあちゃんがいるはず。一度でいいから会いたい」と言って涙をにじませるのだった。
 「ねえ、琴美ちゃん」
 後片付けが済み、真帆の淹れた紅茶を飲みながらシュラインは口を開いた。「私たちね、芹沢さんのことについて色々調べてきたの」
 その言葉に琴美の目と体がわずかに緊張する。再び口を開きかけたシュラインを冥月が「待て」と制した。その後で真帆に目配せする。三人の中で一番琴美と仲がいいのは恐らく真帆であろう。真帆も心得ていたのか、琴美の隣に座って優しく両手を取った。
 「琴美ちゃん。よく聞いてね」
 そして可愛らしく小首をかしげ、そっと語り始める。「芹沢のおじさんはね、やっぱり琴美ちゃんを誰かにプレゼントするつもりだったの」
 琴美の目に悲しみと驚愕が満ちる。「でも」と真帆は琴美の手を握る手にぎゅっと力を込めた。琴美は唇を震わせて真帆の夕焼け色の瞳を見つめる。
 「でも」
 と真帆はもう一度言った。「それはね、琴美ちゃんのことを“商品”として扱ってるからじゃないんだよ。ほんとはね――」



 一通りの報告が終わると琴美は風呂に入り、真帆に付き添われて部屋に戻った。
 「どうするんだろうな」
 冥月は古びた壁に背をもたせかけ、いつものように目を閉じて呟く。「芹沢の所に戻るんだろうか」
 「どっちが幸せなのかしらね。結末はどうあれ、彼女がオークションで“落札”されたことには変わりないわけだし」
 シュラインはやや複雑な色を浮かべている。冥月は後頭部を壁につけ、やや顎を上向かせる姿勢をとった。
 「終わりよければすべてよしとも言う。最後に幸せになれればそれでいい。そういう考え方もありなんじゃないか」
 そこへ真帆が戻って来た。琴美におやすみを言い、一人にしてきたのだという。
 「どうだった、彼女は」
 「ゆっくり考えてみるって言ってました。後は琴美ちゃんが自分で答えを出すと思うから。大丈夫ですよ」
 真帆は二人に温かい紅茶を淹れて差し出した。「それに、アドバイスもしましたし」
 「アドバイス?」
 「もし養子になることを選ぶなら、琴美ちゃんの作ったごはんを養親に食べてもらうといいよって」
 真帆は人差し指を立てて口許にぷくりとえくぼを浮かばせた。「仲のいい家族への第一歩は、一緒にいただきますって言うことなんですよ」
 冥月とシュラインは互いに顔を見合わせ、そしてどちらからともなく微笑んだ。



 翌24日。琴美は自ら起き出して興信所の面々の前に姿を見せた。冥月と真帆も朝から興信所に姿を見せている。
 「あら、おはよう。早いわね」
 きちんと着替えを済ませ、身づくろいもした琴美の姿にシュラインは目を丸くする。琴美はワンピースの裾をぎゅっと掴み、唇を噛んでうつむいていたが、やがて顔を上げて言った。
 「あたし」
 琴美はまっすぐに目を上げ、順々に三人を見詰めた。そしてはっきりと言った。
 「芹沢のおじさんの所に行きます。連れて行ってください」
 シュラインは冥月と顔を見合わせた。「それでいいのか」と問うたのは冥月であった。しかし琴美はしっかりと肯き、「ちゃんと考えて決めたんです」と言った。
 「そう。じゃあ一緒に行こう。その前に」
 真帆がぴょこんと椅子から降りて琴美の手を取った。「髪の毛、結んであげる。可愛くしていかなきゃね」
 「うん」
 琴美はにっこりと笑って真帆に手を引かれ、鏡のある洗面所へと向かう。その背中を見送った後で冥月は目を閉じ、口許に微笑を浮かべた。



 草間が芹沢に連絡を入れ、琴美は芹沢の自宅、すなわち芹沢慎之介・美智子夫妻の前で芹沢と対面することになった。真帆の手によって髪の毛をツインテールに結い上げられた琴美は芹沢の自宅へ向かう間も終始緊張し通しで、口数が少なかった。真帆は隣にいてずっと琴美の手を握っていた。もちろん冥月とシュラインも同行している。
 芹沢邸は郊外の某高級住宅地に建っていた。さすがは元総理大臣の家、三百坪はあろうか。昔ながらの木の門を開け、敷石を踏んで草木の植えられた庭を歩いて玄関にたどり着くと内側からドアが開いた。姿を見せたのは芹沢龍之介であった。
 「よかった」
 芹沢は琴美の姿を見てそう言った。「戻って来てくれてよかった。本当によかった」
 そして芹沢はスーツが汚れるのも構わずにその場に膝をつき、琴美を抱き締めた。琴美はただ無言で肯いた。唇を噛み締めたその顔は、気を抜けば溢れそうになる涙を必死に抑えているかのように見えた。
 「さあ、こっちだよ。琴美ちゃんに会わせたい人がいる。皆さん方もどうか一緒においでください」
 芹沢は琴美の手を引き、三人に軽く頭を下げてついてくるように促した。
 案内されたのは縁側つきの窓際の大きな部屋だった。龍之介は琴美をその場にとどめ置き、中に一言声をかけてから襖を開く。和服に身を包んで畳に正座しているのは芹沢慎之介であろう。脚が悪いという芹沢美智子は縁側の陽だまりに出した座椅子に深く腰掛けていた。
 「何事だ、龍之介」
 先に部屋に入って来た龍之介と冥月たちを見て慎之介は訝しげに問う。「私たちに会わせたい人がいるとか言っていたが、その人たちのことか?」
 「いいや。さあ、母さんもこっちに来て」
 龍之介は美智子に手を貸して立たせ、座椅子を慎之介の隣まで運んで座らせた。そして襖の向こうの琴美に声をかける。「こっちにおいで、琴美ちゃん」
 琴美は襖の影から不安そうに三人を見上げた。シュラインが「大丈夫」と囁いて微笑む。冥月も無言で肯いた。真帆はにっこり笑って琴美の手を取り、そして優しく促すように琴美の手をそっと引いた。
 琴美は三人に送り出されて慎之介と美智子の前に立った。
 芹沢夫妻の目が大きく見開かれる。
 「美雪・・・・・・?」
 先に口を開いたのは美智子だった。座椅子から腰を浮かせ、琴美に歩み寄ろうとする。龍之介がそれを支え、手を引いた。
 琴身はワンピースの裾を握ってうつむいていた。そして顔を上げた。
 「初めまして」
 そして、震える声で言った。「あたし、琴美っていいます。おじいちゃん、おばあちゃん」
 「まさか――」
 慎之介が腰を浮かす。「美雪の子か?」
 慎之介がそう言うと同時に美智子はその場に泣き崩れた。
 「さあ」
 龍之介は養母の手を引き、養父を促して、もう一方の手で琴美の手を引く。龍之介によって引き合わされた三人の手が互いにそっと触れ、そしてしっかりと握り合わされた。
 「ことみ。琴美っていうのね」
 美智子は琴美の小さな体をかき抱いてむせび泣いた。「可愛いわ。美雪にそっくり。本当にそっくり」
 「済まない。本当に済まない。美雪にも君にもつらい思いをさせたね・・・・・・」
 慎之介も着物の裾が乱れるのを厭わずに膝をついて琴美の手を握る。琴美は口を真一文字に結んだままふるふると首を横に振った。が、次の瞬間には固く結んだ唇が歪んでいた。
 「おじいちゃん。おばあちゃん」
 そして、琴美は声を上げて泣き出した。決して離すまいと二人に縋りついた小さな手がかすかに震えている。皺の寄った祖父母の手が琴美の頭を幾度も幾度もいとおしそうに往復する。龍之介はそっと三人のそばを離れ、冥月たちを促して廊下に出た。
 「美雪さんは貧困の末に亡くなっているそうですね。そして美智子さんはそれを悔やんでいた。どうして助けを求めて来なかったのかと・・・・・・」
 広い廊下を歩きながらシュラインは龍之介の背中に語りかける。「美雪さんは、縁を切った親に助けを求めても応じてくれないだろうと考えて最初から諦めていたのかも知れませんね」
 「ええ。母も同じことを言っておりました」
 龍之介は軽く背中を揺すり、年下のシュラインに丁寧な言葉遣いで応じる。「たいそう悔やんでおりました。なぜ縁を切るなどと言ってしまったのかと。自分が娘を殺したようなものだと・・・・・・」
 「最初からあの子が養父母の孫だと知ってオークションに参加したのだな? オークションに参加したのを秘密にしたかったのは、おまえのためというより少女と養父母のためだろう。少女と養父母の将来と経歴に傷がつかないように」
 「やれやれ。全部お見通しというわけですか」
 龍之介は足を止め、三人を振り返って苦笑する。「オークションだなんて問題があるとは思いましたがね。琴美ちゃんを見つけた以上、どうしても父母に会わせたかった。だから後援事務所の人間に頼んで婚約を擬装してまで・・・・・・いろんな人に迷惑をかけてしまいました」
 「芹沢さん、かっこいいですね。顔が」
 唐突に真帆が微笑とともに言う。「そうですか」と芹沢は苦笑して答えた。「うん」と肯いて真帆は続けた。
 「若い頃はイケメンさんだったんじゃないですか? それに養子だなんて、もしかして琴美ちゃんと同じ境遇なんですかね。あのオークションに“出品”されてたりして」
 ――けろっとした真帆の口ぶりに、芹沢の口許から一瞬だけ笑みが消えた。
 「あのオークションは極秘のホームページでしか宣伝していないと権田原さんが言っていました」 
 シュラインの青い瞳がじっと眼鏡の奥の芹沢の目を見つめる。「少し不思議に思っていたんです。どうして結婚歴のないかたが・・・・・・養子を持とうなどと考えそうもないかたが極秘ホームページに行き着くことができたのか。最初からオークションの存在を知っていたからではないのですか? そしてあの極秘のオークションを知っていたのは、自身もかつてそれを経験したから・・・・・・でしょう?」
 「どうかそれはご内密に」
 芹沢はシュラインの問いに答える代わりに深々と頭を下げた。「養子を非人道的なオークションで手に入れたと知れれば父と母の名に傷がつきます」
 「自分よりも養父母の面子を気にするのか。気に入ったよ」
 冥月はわずかに口の端を持ち上げた。「それに、気に病むことはない。非人道的なオークションに出品されるような不幸な子供を引き取って育てる。それが縁を切った娘に対する養父母なりの罪滅ぼし。そうだろう?」
 「ご想像にお任せいたします」
 芹沢はそっと微笑んで冥月への答えとした。
 廊下の奥からはむせび泣く夫妻の声と、琴美の嗚咽が聞こえてくる。
 (互いの存在すら知らなかった肉親、涙の再会か)
 冥月はちょっと肩をすくめて歩き出した。そういう人情劇には縁がない。だが、どこかあたたかい気持ちになっているのはなぜだろう。シラけるようなお涙ちょうだいの物語もたまには悪くない、そんなふうに思えるのはクリスマスのせいだろうか。
 「柄じゃないが、今日だけは」
 冥月はそう呟き、顔を半分だけ振り向けて廊下の奥を見やった。「――メリークリスマス」
 その後で冥月の唇にごくごく小さく浮かんだ表情。もしかすると、それはささやかな祝福の笑みだったのかも知れない。 (了)





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
6458/樋口・真帆(ひぐち・まほ)/女性/17歳/高校生/見習い魔女



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■         ライター通信          ■
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黒冥月さま


お初にお目にかかります、宮本ぽちと申します。
今回のご注文、まことにありがとうございました。

ガードが固いであろう有名政治家の芹沢にどう近付いて様子を探ろうかと頭を悩ませていたところだったのですが、黒さまに来ていただけて大変助かりました。
書かせていただくのは初めてですが、黒さまのキャラクターからあまり逸脱せずに書けたでしょうか・・・・・・。

もし機会がありましたら、またいつかどこかでお会いできたら幸いに存じます。
ご注文、重ねてありがとうございました。


宮本ぽち 拝