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<東京怪談ノベル(シングル)>


■□■□■ 天狗の鐘撞き、寺の火付き ■□■□■



 鐘がゴーンと鳴りゃ、烏天狗が火【カ】ーと――
 洒落にならない洒落を頭の中に浮かべながら、しえんは呆然と寺を見上げていた。
 時は夕刻ながら既に日は短く、辺りは暗い。そのはずなのに、何故にこんなに目の前は赤々と明るいものか。現実逃避の自問に自答する。
 目の前で寺が焼き討ちにされているから。

「あんアマ……今度ばっかりは本気しばく……」

 未だ微かに震えながら音の名残を零し続けている鐘を力いっぱいに殴り、しえんは空を飛び交う烏天狗の群れに威嚇のコルトをぶっ放した。

■□■□■

「確かにこれでは少々不安がかちますわねぇ」

 うーん、頬に手を寄せての困ったような表情はどこまでも優美なのだが、何故か傍らに佇む僧侶は冷や汗を流している。背後には鋤簾や鎌などの農具で精一杯に武装をした若い僧達が、怯え気味に控えていた。何やら漂っているただならぬ警戒心をさらりと無視して、くるりと振り向いた彼女――しえんは、僧侶を見上げる。

 寺院において刻を知らせるものは鐘である。当然しえんの預かる荘厳寺にも鐘楼があり、そこには古めかしく立派な梵鐘が吊り下げられているのだが、どうもこの所は龍頭が痛んでいるのか、朝夕と鳴らす度に軋む音がして危なっかしいと言うのだ。
 おりしも年の瀬、普段使いならばまだしも、除夜の鐘を撞く際には一晩で百八回も鳴らすことになる。負担もひとしおだろうし、万一事故でも起これば大事だ。――とは、傍らの僧侶の弁。直談判のごとき様相でやって来たのは、先日寝惚けて天井裏の煩い鼠を銃殺した所為だろうか。普段はこんなに温厚ですのに。しえんは小さく息を吐く。

「取り替えることに異論はございませんが、先立つものが心配ですわね。日々清貧と暮らしていくのが手一杯のようなものですし」
「ええ、本当に……実は檀家の方々にも声を掛けてみたのですが、あまり芳しくなく。この際は、本山にお願いのお伺いを出してみるより他は」
「背に腹は、変えられませんものね」

 苦笑するしえんの様子に、僧侶はホッと胸を撫で下ろす。すかさず後ろにいた僧が走り出した。連絡を取りにいくのだろう、しかし不安はある――傍らの僧が思案するように、この荘厳寺はあまり本山との折り合いがよろしくはないのだ。住職とか住職とか住職とかの問題で。かと言って系列の末席に名を連ねているのだから、事故の危険を捨て置くことはしないだろう。と信じたい。
 てしてし、しえんは錆の浮いた鐘を掌で軽く叩く。冷え冷えとした感触が手から伝わって、少し肩が震えた。鐘も僅かに揺れたのか、キィと言う音に思わず脚を一歩引いてみた。本当に、これでは危なっかしい。

「連絡が取れましたー!」
「あら、随分早く話がついたのですね。やはり駄目で」
「いえ、至急手配してくださるそうです!」
「あらまあ」

 駆けて来た若い僧は満面の笑みで、持っていたメモを読み上げる。

「明日にでも届けられるとか、丁度近くに良い店があるので預けておいてくださるそうです」
「それは助かりますわ、ですがお店に預けるとはどう言うことでしょう。近くのお寺や、運送会社ではないなんて」
「さあ、僕は取り次いだだけですので……えっと、あ、アンティークショップ・レンと言うお店だそうですよ」
「げぇッ!?」
「じ、住職?」

 ほくほくとしていた心地が、途端に冷める瞬間だった。

■□■□■

 若い僧達は預かり知らぬことだろうが、しえんにはあの店――レンと浅からぬ因縁を、一方的に作り続けられている身だ。界隈でも有名な、オカルト骨董屋。そんなところを流れてくる、否、流されてくる品など、受け取りたくもない。今度は何が憑いている、茶釜のごとくタヌキか。それとも蒸し焼きに殺された戦国時代の何某か。

「おや、随分信用がないもんだねぇ」
「ええ、それはもう全くの皆無です」

 シニックな笑顔を浮かべながらクックと喉で笑う蓮に対抗するように、しえんは精一杯の作り笑いで浮かびそうになる青筋を堪えた。借りたリヤカーに鐘を運ぶ若い衆達を見守る女二人は、背後に巨大な狸と狐を背負いながらオーラで戦っている。肩を竦めた蓮はフゥッとキセルの煙を吹いて、しえんに苦笑を向けた。それはらしくなく、殊勝な空気を纏っている。一瞬信じそうになって、いやいやと首を振る。騙されるな。負けるもんか。

「別に今回は調伏の依頼だって訳じゃないし、あたしゃ流れて来たモンを言われたとおりに流してるだけさ……今回に限っちゃ、仲介も良いトコだ。懇意にしてる運送屋がいてね、そこに頼むと普通より早く、安くつくってだけさね」
「それにしたって、本山がどうしてここを指定するのかは理解しかねますもの。貴様の懇意にするところなんて、悉皆が厄介なところでしょうし」
「ツレないこと言ってくれるよ。倉庫だってタダ貸しだったってのにさぁ」

 イヤミにキレがない。殊勝過ぎる。
 やはり嫌な予感が激しい。騙そうと丸め込まれているような、こちらの警戒心を――鐘に対するそれを、そぎとっておきたいような言葉だ。搦め手で来る様子で、普段と手管が違う。怪しい。何が起こるのか、何を起こさせるつもりなのか。
 とは言え、背に腹を変えることは出来ないのだ。本山が回してくれたものを、仲介が怪しいからと突っぱねることは出来ない。義理がある。見た目にはごく普通の梵鐘で、鐘楼にも無事収まり、十全に入れ替えは終わったものの――何か嫌な。とても嫌な。

「あ、あの」

 じっと鐘楼を睨むしえんに、若い僧が怯え混じりの声を掛ける。ハッとして微笑み、しえんは小首を傾げてしゃなりと彼を見遣った。一瞬見蕩れたように呆けてから彼は頭を振り、鐘楼を指差す。

「夕刻ですのでそろそろ撞こうと思うのですが、気になるご様子でしたら住職が撞かれますか? 取り替えてからこっち、ずっとここで眺めてるご様子でしたので」
「いえ、とくにそう言った意味ではございません――ですが……」
「ですが?」
「あれ、ハリボテと言う事にしてはいけませんかしら」
「それは……折角新しいものを本山から頂いたのに、本末転倒かと」
「そうですわよね」

 青く暮れた夕闇に、カァと烏が飛んでいく。単純に家路に着いているのだろうか、それとも何がしかの不吉を伝えてでもいるのだろうか。しえんの様子を伺いながら、若い僧は鐘楼に向かう。ぐいっと撞木を引いて、それは鳴った。



 ゴーン。



 ごく普通の音だ。腹の底に響くような、重い金属の振動音。
 裏の山からは、驚いたのか鳥の立つ音が響く。
 ばさばさばさ。
 ばさばさばさ。
 ごおおおおおおおお。
 え、何、ごおお?

「いいいッ!?」

 薄青だった夜を塗り潰すように、裏山から沸いてきた影は真っ黒だった。煤を渡るあの妖精のごとくずるずると、まるで山から吐き出されるように出て来る『それ』――が、火矢を放つ。カッと音を立てて瓦の屋根に突き刺さったそれは、瞬く間に炎を広げた。勿論それは一本に留まらず、カッカッカッとリズミカルな音を立てて屋根に、石畳に、墓所にと降り注ぐ。
 近付いてくる群れを見れば、それは烏天狗だった。折々に酒を持って挨拶に上がる際には気の良い様子の彼らが、どうして突然にこんな攻勢を。唖然としたしえんは、はたと鐘楼を振り向く。若い僧は自失状態で、あんぐりと口を開けていた。その手には撞木に繋がる縄を、握ったままで。

 普段は達観気味で人里には下りない天狗達がこうもなるのだ、原因など、あの店を流れて来たこの鐘以外にないだろう。
 あのアマ。いや、本山の連中。持て余して回してきよったな。

「おんしゃあボサッとしとらんでナカん連中に知らせぇ、焼き討ちされよるんじゃぞ!! 裏の天狗共ん殴り込みじゃあ!!」
「ひ、ひえッ住職殺生は! 殺生はいけませんー!!」
「じゃかぁしぁ、威嚇じゃけぇ安心せぇ!!」
「まずは話し合い! 話し合いです! 天狗様、何事なんですか、天狗様――!!」

 僧の声は悲壮だが良く響いた。しかし天狗達は答える気がないらしく、ただひたすらに火矢を打ってくる。動物は種類によって特定の周波数に対して過剰反応をすることがある――鐘自体に呪力の気配を大して感じないということは、そう言った類のものか。鐘を殴り、威嚇の一発をブッ放す。まるで意味はない。
 やっと寺から吐き出されてきた僧達を掻き分け、しえんは己の部屋へと向かう。
 防災袋に突っ込んだ大量の任侠映画は、とりあえず床下に突っ込んでおけば避難になるだろう。先日預けられた国宝級の壷と最上級の蜂蜜酒は蔵に避難させてある。後は。

 着物の裾を捲くり上げ、ホースを片手に立て掛けた梯子を登って屋根に上る。火矢を必死に避けつつ、烏天狗達に後続がないことを確認した。とにかく水を撒いて延焼を防ぐが、既に広がっている部分もある。消防が間に合うか、否、そもそも辿り着けるのか。どうすればこの連中をとにかく、落ち着かせることが出来るのか。タタタタタッ、目立つところに的がたとばかりにしえんに火矢が向けられる。消す端からこれでは、全焼も時間の問題だ。鐘すら用意できないものを、寺を失いでもしたら。
 ――本山の狙いはこれか。力ずくで解体を!
 しえんは女狐の笑みを思い出す。やはり、グルだったのか。だがしかし、こうなったら烏天狗達を敵に回そうとも寺を守りきらないわけにはいかない。

 原因が音だとすれば、何かリラックスさせる音を流せば良いのかも知れない。だが烏天狗などと言う既に動物の範疇でないものの好む音など、想像もつかなかった。鐘の音だって、今までのものとどう違うのかが判らない程度だったのに。誤魔化すような何か。大きなものを。
 しえんは袖の中からそっと、小型の手榴弾を取り出す。

「……こちとら住職じゃけぇのお、寺は守らんと――堪忍じゃ、往生しいや!!」

 ぶんっ、としえんはパイナップルを放る。宙空で爆発させれば、派手な音が立って天狗達も正気に戻るだろう。寺にあまりダメージを与えないように、とにかくなるだけ上の方で。しかし。

「あ。」

 放られたそれは天狗に射られて弾き飛び、放物線を描いて寺の屋根へと落下した。

■□■□■

 アンティークショップ・レンの一室。
 暖めたワインで一杯やりながら荘厳寺の方角に向かう窓を眺め、蓮は暢気な様子でヒュゥッと口笛を鳴らす。頬に差した赤味は、彼女が大分出来上がっていることを示していた。
 クックック、喉を鳴らす笑いが、やがて大きくなり――ケラケラと大笑いになる。

「いやあ、景気良くやったねぇ! 季節はずれだけど、たまやーって感じかい……ふくく、明日は見物に行ってみようかね? いや流石にしばかれるか。容赦ないだろうしね、ふっくくくくくあははははは!!」

 辺りに並べられた骨董品の憑喪神たちは、やれやれと呆れている。
 レンのカウンターには、曹洞宗名義で大金を振り込まれた通帳が放り出されていた。

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 被害が軽微なのか甚大なのか、もはや判らない――。
 しえんは爆風で埃だらけになった袈裟をぱたぱたと叩き、恐る恐ると言った様子で屋根から下を見下ろした。
 屋根の上で爆発した手榴弾は予定通り、その爆音でもって烏天狗たちに正気を取り戻させた。がしかし、屋根瓦が半分は飛び、それに巻き込まれた数人が吹っ飛ばされて落ちた。彼らが火種となり、寺の所々で火も上がっている様子だ。きな臭い木材の焼けるニオイが、屋根の上まで漂ってくる。

 とっさに伏せてどうにか怪我は免れたが、他の僧達はどうだろうか――闇に眼を慣らす。卒倒している僧の姿もあるが、幸い怪我を負っている様子はなく、各々が戸惑いながらも消火活動を行っているようだった。バケツリレーをしたりと、しっかりしている者もいる。奇跡的だ。ひたすらに経を唱えている者も見えた。気持ちは判らなくもない。南無三だ。

「と、とにかく……ケがなくて良かった……っちゅうこつか」

 ギシリと鐘楼が軋み、落ちて引っ掛かっていた天狗がその屋根を突き破って落ちる。
 澱んだ鈍い音が、ごいんっと鳴った。
 ……彼らの敗因は、羽毛だったかもしれない。