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<東京怪談ノベル(シングル)>


『The world wishes you grant a wish』

 それは都市伝説だった。
 実しやかに囁かれる数多くの都市伝説の中の一つ。
 曰く、それは呪われたゲームである、と。
 天才プログラマーが自身のHPで公開していた未完成のネットゲーム。
 それはネットで人気を得、多くのファンが完成を待ち望んだが、サイトマスターであるプログラマーは事故死し、HPも消滅。
 ゲームのデーターはネットの海に流れ、
 もはやそのゲームのエンディングが永遠に失われたと思われたが、
 しかしある時、そのゲーム【白銀の姫】が、ネットで発見され、
 発見されたそれが、恐怖と混乱を招いたのだ、と。
 曰く、【白銀の姫】をプレーした者は行方不明となる。呪われる。
 ―――と。
 そんな噂がネットで流れ、そしてそれからしばらく経ってから勇者が【白銀の姫】をクリアした、という噂が流れ、
 それで、ネットにおいては、ああ、結局誰かの作り話だったのだ、そんな勇者とかが出てくるんだから、と興ざめしたような形で、その噂は、消えた。
 そう、消えた。
 ただの噂として。
 だが、それでもネットに存在し続けた【白銀の姫】を語るサイトや掲示板では、凄まじくネットに詳しい人物や、他の人間たちが一斉に【白銀の姫】をただの噂とするための裏工作をネットにおいてしたのだ、という事が語られていた。
 つまり、彼らはそれを持って、【白銀の姫】は実在すると考えたのだ。



「じゃあさ、その【白銀の姫】とやらをただの噂にしてしまったその人たちは誰なのよ? まさかあのFBIのあの人たちとか言うんじゃないでしょうね?」
「知ってた? 劇中で宇宙人に捕まった捜査官の女の人のお腹が宇宙人によって膨らまされて、それを切られるシーンがあったけど、その時に彼女、ちょうど妊娠してて、あの大きなお腹は彼女の持ち腹だったのよ?」
「って、おわぁ。びっくりした。カスミちゃん。いきなり出てきて、トリビアを披露しないでよ」
 家庭科室の窓際でちゃっかりとガスコンロを使って、お味噌汁を温めたり、どうやら後はフライパンで焼くだけの状態にまでして持ってきた料理の数々をフライパンで焼いて、美味しく調理した料理を食べていたその生徒二人をたまたま廊下で通りがかって見つけたカスミは抜き足差し足忍び足で背後から近づいて、驚かせてやったのだ。
「やーね。軽い冗談よ。お・茶・目♪」
 まるで道端で井戸端会議をしているおばさんが同じく近所のおばさんにするように手首を縦に振るカスミに、まだ16歳の少女たちは、それ、おばさん臭いよ、カスミちゃん、と笑った。
 往々にして悪意とは悪意で返されるものだ。
 カスミはしばし絶句して、その後にため息をついて、使い放しのフライパンの上に放置されていた菜ばしを手にとって、二人の生徒のお皿から公平に鶏肉の照り焼きと鮭のムニエルを一口分取って、食べてやった。
 思わずその美味しさに顔が綻ぶ。
 生徒二人はそんな教師の横暴に怒るでもなく、逆に、
「カスミちゃん。カスミちゃん。それ口止め料ね」
「世の中魚心あれば水心有り、って事でお願いね」
 カスミとしては生徒が無断で家庭科室でガス栓を捻り、火を使う事に対して注意をするべき所なのだが、しかし、
「しょうがないわね。でも口止め料としては他の物をもらうわよ?」
 と、彼女は言った。
 それに対して鮭のムニエルを食していた彼女は小さくため息を吐いて、箸を置いたかと思うと、おもむろに制服のブラウスの前のボタンをはずし初めて、そしてかわいらしく頬をほんのりとピンクに染めながら上目遣いでカスミを見るのだ。
「いいけど、あんまり意地悪しないでね」
 と、言って、恋しい恋人にするようにキスをする真似事をして、カスミを呆れさせた。
 これには隣の少女も同意見らしく、こつん、と手で隣の少女の頭を叩いている。
 そしてそこで家庭科室に可愛らしい女の子の笑い声が奏でられるのだ。
「あー、でも、友達の売りをさせられるぐらいなら、あたしらは職員室連行を選ぶよ?」
 長身でボーイッシュな髪型と美貌の彼女は、バレンタインに同じ女の子たちからたくさんのチョコを貰うその理由を垣間見せた。
 カスミはここら辺がその理由なんだろうなー、と妙に変な納得をして、それから頭を振った。
「違うわよ。今、あなたたちがしていたゲーム、【白銀の姫】についての噂話の事を聞かせてもらいたくって」
「あれ、カスミちゃん、ゲーマーだったっけ?」
 この場合はそうしておいた方が利口か、と想い、カスミは頷いた。
 そして彼女はカスミが知っていて、尚且つ彼女も体験し、その事後処理にも参加したゲームの事をほとんど事実と何ら変わりなく口にし、大いにカスミを戦慄させた。
 まだあのゲームに対してこれだけの情報がネットにあるのは、彼女には恐怖に感じられたのだ。
 世界とは、観測される事で、意味を持つのだから。
 そして、その彼女の心配を更に増大させる事を目の前の少女は口にした。
「で、これがその【白銀の姫】のコピーなのだよ」
 カスミの心臓が凍りついた。
「どういう事?」
「だから、ハッカーがネットの海にさ迷っていたジャンクデーターを拾い集めて、再構築したゲームがこのゲームなのだよ」
 カスミは慄然とする。
 まさかそんなモノがこの世に存在するなんて。
 いや、でもまだそれが本物だとは限らない。
 ごくりと無理やり押し出した唾を飲み込むも、それで彼女は自身が感じている渇きを潤す事ができなかった。
 何故ならそれが本物では無い確率の分だけ、逆にそれが本物である確率があるのだから。
「はい。ご飯は黙っててあげるけど、これは没収しまーす」
「って、うわぁ。さては自分がやるつもりだな、カスミちゃん」
「それはどうかな♪ とにかく、今日は目を瞑ってあげるけど、明日からは勝手に家庭科室に忍び込んで、料理作っちゃダメよ」
「「はーい」」
 気だるい少女たちの声を聞きながらスーツの上着の内ポケットに入れたフロッピーデスクは何故か、氷のような冷たさをブラウスとその下に着ているキャミソールの生地を通り越して、カスミの肌に感じさせた。


 open→


【T】

 例えば人形とは、かつて呪に使うための道具であった事をあなたは知っているだろうか?
 例えば長年使っている道具にはその使用者の癖がつくばかりではなく、想いが蓄積されて、そして心を得る事とかも。
 もしくは何らかの悪霊が取り憑いているかもしれない。
 そういう人の想いや悪霊などが取り憑いた物を持っていれば、当然その人間は運気を落とし、下手をすれば、
 ――――死ぬ。
 死なないまでも運気が下がれば苦労して、不幸になる。
 だからいかにそれが学術的価値のある物や、大切な人間から貰った物、想い出の品だとしても、人は何らかの寒気を感じて、それに繋がるような不幸があった場合、それを捨てたがる。それは人間の当然の心理だった。
 しかしそれは知っててやるとすれば、ものすごく心が痛む。
 持ってると不幸になる物を渡すなんて。
 だからそういうのは大抵お布施つきでお寺などに持って行ったりするものなのだが、しかし、そんな曰くのある物を持っている人にはとても信じられないぐらいに有り難いお店が実は存在した。
 アンティークショップ・レン。
 この店は何とそういう曰くのある物を信じられない事に純粋に美術品として買い取ってくれるというのである。
 曰くのある商品だから、と値切られる事は無い。
 幽霊の出るお部屋はものすごく安い、というのとは違うのだ。
 そしてだから、この年の瀬ともなると、そういう曰くのある商品を手放して、幸せになりたいと望む人で店はごった返すようになる。
 この日、アンティークショップ・レンは大勢の人で賑わっていた。
 その大勢の客を上手にさばくのはこの店の店員である鹿沼デルフェスである。
 彼女はしとやかに、しなやかに何処となく殺気だっているようにも感じられる客たちを的確に軽やかに笑顔で裁いている。
 彼女の眼力は見事だった。
 その商品に見合う金額を提示し、真摯にその説明をする姿は見事だった。
 またそういう彼女の姿が優雅で、綺麗なのだ。
 そして、ようやっと午前中の最後の客が帰って、デルフェスは吐いたため息で軽やかに艶やかな髪を額の上で舞わせた。
 それからとことこと店の奥に買い取った品物を持って行っていた娘が自分の傍らに戻ってきたので、その娘に顔を向けてにこりと微笑む。
「オリザ。わたくしの接客、見ててくださいましたか?」
「はい。デルフェスさん。メモリー容量にはまだ充分に余裕があります。全て視覚と聴覚、触覚によって記録しました」
 こういう物言いはまだ魔力の結晶人形としての名残りがあるが、しかし表情の方はまだまだぎこちなさがあるもののそれも個性と呼べるような感じで温かみが出てきた。
 オリザは魔力の結晶人形としての域を完全に出掛かっているようにデルフェスには見えるのだ。
 そう。少しずつ、少しずつ、確実に彼女は変わり始めている。
 それはまさしく経験によってなのだ。
 だから、デルフェスは淑女としての嗜みを彼女に覚えさせるのと同時に、色んな経験をさせていて、
 この店での接客も、そんな事の一部、一環だった。
「よろしい。では午後から実務訓練といたします」
「はい。デルフェスさん」
 オリザはかわいらしくスカートの裾をわずかにあげて淑女らしくお辞儀をした。
 グランドファザークロックが12時の刻を報せていた。



 それではオリザ、任せましたよ。
 ―――そう口にして、デルフェスは後ろに一歩下がり、オリザの小さな背中を見守っている。
 やはりそうしている彼女の姿は母親参観の母親のようだ。
 忙しなくお腹の前で組んだ手の指を動かしながらデルフェスはハラハラと落ちかないよう。
 そしてオリザはかわいらしくお客にスカートの裾を上げて、お辞儀をして、接客をしだした。
 そのお客が持ってきたのは古今東西の物語が記されている本の目録である。
 しかしそれもまた、曰くのある物であった。
 何とそれは、時折その本から半透明の手が生えて、その手が本を開き、開かれたページに書かれている物語そっくりの悪夢に持ち主はうなされ、それは現実にまで影響を及ぼし、これまでの持ち主はほとんど死んでいるという、そんな本なのだ…………。
 錬金術師でもあるデルフェスにはその本が人の生のエネルギーを食う魔本である事が、その本を包み込む禍々しいオーラでわかった。
 魔のアイテムとしては一級品だ。
 しかし………
「奥様。すみませんがこの本は当時の出版社が書店への営業のために作った物でございまして、学術的な価値はありません。これはただの何の価値も無い古雑誌です」
 オリザは容赦せずに斬り捨てた。
 そしてその実際に見聞きしてきたような口調はデルフェスの口調そっくりだ。
 その点は合格点。
 でも………
 ―――んー、でももう少しオブラードに包んだ物言いはできないかしら?
 デルフェスは苦笑を浮かべる。
 そして、口をあんぐりと開けた婦人を見つめた。
 彼女と視線が合う。
 おそらくは貴女が鑑定し直してちょうだい、と婦人は目で言っている。
 それをデルフェスはさりげなくスルーした。
 ここはオリザに任せてあるのだから。
「奥様。これには学術的価値はありません。しかし魔性の本としてはどうしようもなく力ある物です。持っていれば奥様は間違いなくお亡くなりになられます」
 オリザはずばりと言った。
 しかしデルフェスはもはや心配していなかった。
 オリザは彼女を脅しているのではないのだから。
「この品は先ほども言った通りにただの古雑誌です。ですから買い取る事はできません。でも、この品をアンティークショップ・レンが引き取る事はできます」
 オリザの真正面には古いグランドファザークロックがあり、それのガラス戸の硝子には確かに…………
 それを見てデルフェスは優しく微笑んだ。


【U】

 ふむ。
 と、軽く握った拳を口元にあてて彼女は小首を傾げた。
 さらり、と揺れた前髪の下で彼女の秀麗な眉はしかし、寄せられている。
「やはり今日も来られてはいませんわね」
 今日も、
 今日で、
 五日目…………。
 神聖都学園は図書室ではなく図書館を敷地内に有していて、その図書館は神聖都学園の生徒だけではなく、地域住民にも広く解放しているので、
 その関係で図書館の横にあるミルクホールもまた、神聖都学園に所属する生徒、学生以外の人間にも開かれていて、図書館帰りの人間や近所の老人たちの憩いの場ともなっている。
 そして、鹿沼デルフェスもそこで飲むお茶と茶飲み友達とのお喋りをこよなく愛していて、
 そんな彼女の茶飲み友達とはこの神聖都学園の教師であったりするのだが、しかし、その教師、響カスミがもう五日も姿を見せないのだ。
 風邪だろうか、とも思う。
 ひょっとして今騒がれているノロウイルスとか?
 風邪だとしても馬鹿にはできない。風邪は怖い。
 でもデルフェスには実はそれを願っている部分があった。
 だって………
「もしもカスミ様が風邪でないのなら、そしたら、それは…………」


 ―――それはあの、魔の物語の目録が示した運命にカスミが襲われているという事だから……………



 今日こそはカスミはミルクホールのいつもの席に居て、それで自分を見つけて、かわいらしい笑みを浮かべながら手を振ってくれて、
 それで席に着いた自分はウェイトレスさんにジャポネスクを注文するのだ。穂紫蘇が入っていて、ほのかな紫蘇の香りとさわやかな飲み口がとてもいい感じで、後口もすっきりしていて、そんなジャポネスクが最近のマイブーム。
 だけど、カスミは紫蘇が嫌いのようで、それでまたその事について二人で熱く議論して、その後に学校帰りの女子高生が友達に恋人の惚気話をするようにカスミには姪として紹介しているオリザの事を話して、オリザが日々どれだけ成長しているか、どれだけかわいいか、そういう事をうーんとたっぷりと楽しくお喋りして、
 そんなミルクホールの甘い匂いに満ちた空気に相応しい笑い声を二人で零しながら、日常の優しい時間を過ごしたかった、
 過ごせると思った………。
 そんな希望を胸に抱いて、オリザが引き取った魔本を棚に入れた時、
 しかし、確かに棚に収めたはずの魔本がデルフェスの足下に落ちて、
 魔本から伸びた温度を感じさせない手がページを開いて、
 白雪姫、人魚姫、ヘンゼルとグレーテル、シンデレラ、ラプンツェル、ピノキオ、不思議の国のアリス、それらの話のタイトルが書かれているページがデルフェスに見せ付けるように開かれて、
 デルフェスはそんな現実に、眩暈を覚えて、
 彼女の脳裡にはここ数日会えないカスミの顔が浮かんで、
 それで、必死に思い浮かんでくるそんな不安を否定しつつここに来たのだが、今日もカスミはいなかった。
 デルフェスはどうしようもなく不安を感じて、
 とにかく落ち着こうと、戸惑う思考に理性を注ぎ込んだ。
 それから彼女はとにかく情報、それを集めねば、と思ったのだ。
 彼女が感じ、思い描いている絵は、しかし集めた情報のピースを組み合わせて完成させた絵とは違うかもしれない。
「そう。違うかもしれないのですから」
 そうあって欲しいと彼女は必死に願い、そして、ミルクホールに入ってきた顔見知りの神聖都学園高等部の女子生徒二人を見つけて、彼女らにカスミを最近見ないのだけど、何か知っていますか? と、訊ね、
 だけど、返ってきた答えは――――
「響、カスミ先生?」
 と、そんな、本当にチュパカブラって知っている? と訊かれた時かのようなぽかーんとした顔を、その女子高生たちはしたのだ。
「えっと、デルフェスさん、うちの学校にそんな先生は居ないよ? 居ないよね?」
 デルフェスに言った後、彼女はもうひとりの娘に確認を取り、もうひとりも、頷いてしまった。
「少なくとも高等部には居ないし、それにあたし、妹が中等部で、弟が小等部なんだけど、やっぱりそんな名前の先生はいないと思う」
 今度こそ本当にデルフェスは眩暈を感じた。



 ―――何かがカスミに起こってしまった。
 とてつもなく決定的で、致命的な、何かが。
 そしてそれは、あの童話に何らかの繋がりがあり、
 それをデルフェスに示したと言う事は、



「つまりはわたくしもそれに、関係するという、そういう事ですわよね」
 ―――そう、そういう事なのだ。
 そしてそれを、デルフェスは怖れなかった。
 嘆かなかった。
 そんな彼女はだから、とても神々しく、美しかった。
 オリザはデルフェスを、見つめていた。



【V】


 カスミの住むマンションの部屋の扉の鍵はオリザに開けてもらった。
 魔法アイテム・魔力の結晶人形としての特殊能力を使った訳では無い。
 彼女には淑女としての嗜みはもちろんの事、それ以外の嗜みも覚えてもらいたくって様々な技能も覚えてもらっている。
 その様々な技能の中の一つに、ピッキングもあり、そのピッキング技能で彼女は扉の鍵を開けたのだ。
 そうして扉を開けて入った部屋の空気は、しかしマンションの廊下とは一変していた。
 それは完全に空き家の空気だった。
 人の生活臭が一切しない部屋の空気。
 侵入者にここはお前の居場所では無い、と牙を剥いているかのような、そんな空気なのだ。
 だが、部屋にはかわいらしい独身女性の色に染まった家具やらぬいぐるみ、服が溢れていた。
 そこは空っぽではない。
 だけど、部屋の空気は、空き家。
 人の気配は、無い。
 そして、その理由はすぐに明らかになった。
 ― Page Not Found ― 
 そうブラウザに表示されたパソコンの前でカスミは固まっていた。石化していたのだ。
 デルフェスは口を両手で覆い、両目を広げて、後ずさった。
 完全にこの事態に戦慄し、深いショックを受けていた。
 心構えとか、予想していた事態とか、そういうのはしかし実際にその現場を目にして粉々に壊れた。
「デルフェスさん、大丈夫ですか?」
 抑揚の無い声が傍らからかけられる。
 デルフェスは完全にオリザの存在を忘れ、事態に混乱していたから、その彼女の声に驚き、同時にだからそれで幾分かの冷静さを取り戻した。
 そう。ここで自分が取り乱してもしょうがないし、そうなれば事態はますます混迷を増し、カスミは助からなくなる。
 真にカスミを想い、彼女を救いたいと望むのなら、無理やりにでも冷静さを取り戻さなければならない。
 そういう事全部目の前の無慈悲な現実がデルフェスから忘れさせた。
 だけどそれを取り戻させてくれたのは、傍らに居てくれるオリザなのだ。
 かつてデルフェスは大事な娘に哀しい想いをさせた。その事は確かにデルフェスの心に暗い影を落とし、トラウマとなっているのだ。
 だけどその過去の心の傷に、今一緒に居てくれる娘が、そっと手を当ててくれている。
 心の手当てをしてくれている。
 今を一緒に居てくれる温もりがあるから、過去のあの冷たさにも、デルフェスは立ち向かえる。
 それをオリザの声が、教えてくれた。
 デルフェスはそっとオリザを抱き寄せて、彼女の顔を自分の豊かな胸の谷間にそっと押し当てた。
「オリザ、ありがとうございます。あなたが居てくれるから、だからわたくしは立ち向かえます」
 そっとオリザを放し、自分を見上げる彼女に微笑んだデルフェスはパソコンのブラウザを睨んだ。
「ですがこの状況はあの事件にそっくりですね」
 ―――あの事件。
 それはデルフェスも関わったあの【白銀の姫】事件の事だ。
 今デルフェスの目の前にある光景そっくりの光景が、あの事件でも見られた。
「どういう事でしょうか、これは………」
 秀麗な眉を寄せてうめくデルフェスにオリザが手を上げた。
「はい、デルフェスさん」
「何ですか、オリザ?」
「これは【白銀の姫】が関わっています」
「     」
 デルフェスは絶句した。
 確かにデルフェス自身がこの事態は【白銀の姫】事件に似ていると口にしたが、しかしあの事件はもう解決しているし、その事後処理も済まされている。【白銀の姫】に関する情報もゴーストネットOFFなどで嘘と微妙な真実を織り交ぜた情報を流す事で、あれはやはり釣りだった、とネット内で思わせる事にも成功しているはずなのだ。
 なのにここに来てまた新たな事件が勃発するなんてありえないし、あってはならない。
 デルフェスはくしゃりと前髪を掻きあげた。
「おそらくは鏡界による現実世界侵食のいくつかの弊害の一つです。この世界にある【白銀の姫】ではありません。これは言うなれば、ifの世界に存在するであろう【白銀の姫】です」



【W】


 助けを呼ぶという選択肢もあった。
 だけど、鏡界の【白銀の姫】の魔力は絶大であるのは、石化し、その存在自体が無かった事になっているカスミを見れば理解できる。
 情報は何も無いのだ。
 だからまずは先にデルフェスがこのゲーム内に入り、そして、情報を集めるつもりであった。
 無論、最優先事項はカスミの救出だが。
 カスミの救出を念頭に置き活動するが、しかし無理なようならすぐにゲームから撤退し、集めた情報を仲間に伝え、今度は怪奇探偵たち仲間と共にもう一度このゲームに突入し、カスミを助ける、これはそんなデルフェスの戦略であった。
 そして、デルフェスはこの世界の【白銀の姫】の魔法アイテム・魔力の結晶人形オリザによって【白銀の姫】内のデルフェスのデーターをダウンロードして、鏡界の【白銀の姫】でもそれを使用できる様にし、
 デルフェスは、オリザを介して鏡界の【白銀の姫】にログインした。



【X】


 世界はあなたが望みを叶えてくれるのを望んでいる。
 ―――誰かの声が、鏡界の【白銀の姫】にログインしたデルフェスの耳に聴こえた。
 いや、声が、デルフェスの心に流れた。
 ―――「これは一体、何なのでしょう? 今の声は?」
 この世界には、何かがまだあるのかもしれない。
 デルフェスはそう思った。
 そして彼女は鏡界の【白銀の姫】に立つ。
 しかし、彼女の世界の【白銀の姫】は素肌を撫でる風にすら匂いと温もりがあったのに、この鏡界の【白銀の姫】の世界はまさに無味乾燥だった。
 風すらも吹いてはいない。
 ここはまさしく人工の世界だった。
 そして、その世界は灰色。
 世界に色は無いのだ。
 それは世界全てが石化しているような、
 もしくは白黒写真のような、そんな世界を一つの視点だけで切り取られ、そこに閉じ込められているような、
 どちらにしろこの世界はデルフェスにひどく息苦しさを感じさせた。
 ―――デルフェスさん。敵が来ます。
 デルフェスの耳元で抑揚の無い声が囁かれる。
 オリザの声だ。
 オリザは現実世界で、デルフェスのサポートをしている。
 もしも最悪な状況になっても、その時はオリザが怪奇探偵に事の詳細を報せる事になっているのだ。
 無論、その時は全てが終ってから事務所に連れて行かれて、兄妹に怒られる事になるだろうが。
 そう想い、そこでデルフェスはくすくすと上品に笑った。
 そんな自分がひどくくすぐったい。
 あの極寒の地で、確かに自分は小さく、そして愛おしい命を救った。
 だけどずっと心の中でそれは棘となって深く深く突き刺さって、じくじくと腐って、一向に治らない傷を作り上げてもいた。
 だから、デルフェスは怖れていた。
 大切な人を守れない事を。
 守ろうとして、守ったけど、でもその心を守れた実感は無かったから。
 だけどこの時代で覚醒し、生まれ変わったその命と再会し、色んな経験をして、
 そして過去に傷つけてしまったから、だから、強迫観念から守らねばいけない、と思い詰めていた未熟な感情は、だけどそういうたくさんの出来事で成長し、強くなった。
 そう。前の自分には欠けていた。


 その魂の傷を乗り越えようとする強さを信じる心が―――。


 無論だからって、自分の感情ばかりを押し付ける訳ではない。
 そういう意味じゃなくって、助けるけど、相手にも助けてもらうという事。
 助け合い。
 互いに助け合う事で、背負いあう心配、労わり。
 かつての自分は自分がそういうのを背負い、自分だけが傷つくのは厭いはしなかったけど、でも、それではダメなのだと知った。
 相手にもそれを背負ってもらって、お互いに背負いあうからこそ、納得して、乗り越えられる死地、危険、宿命、があるのだ。
 自分がこうするのはカスミを救いたいから。
 そして危険な場所の情報を得る事で、仲間を守りたいと望むから。
 その想いを仲間はちゃんと背負ってくれるとデルフェスは信じている。乗り越えてくれると信じている。
 もう背負わせる事を怖れない。
 それが彼女の信頼。
 行き着いた答え。
 でも、だからって、やはり、彼女、鹿沼デルフェスの心が咲かせる花の花言葉は慈愛。全てを慈しむ想い。
 故に戦うからには誰も傷つけず、
 そして、
「わたくしはもう誰も泣かせたくない。だからわたくしは生きて、勝ち抜いて見せますわ」
 そう。故に鹿沼デルフェスは、誰よりも美しい。



「ほーぅ。今度の勇者も綺麗なお姉さんだね」
 にこりと笑ったのは木でできた人形だった。
 それは自分の鼻をおもむろに指差す。
「これが証拠。社交辞令じゃないよ、綺麗なお姉さん」
 デルフェスは肩を竦める。
「わたくしは自分が美しい事は知っていますわ」
「わわ。美人さんなだけに突っ込めない。そんなお姉さんはお姫様だね。知ってる? お姫様とは美人だから皆にちやほやされるけど、だからこそ、誰にも愛されていないんだよ?」
「それはまたひどく曲解ですね」
「くすくすくすくす。お姉さんもわかるさ。あの姫を閉じ込める【ラプンツェルの塔】に行けばそれでわかるよ」
 そうして木でできた人形は、惨たらしい事にデルフェスの前で燃え上がり、灰になった。
 デルフェスはそれを哀しげに見つめていたが、しかし小さく顔を左右に振ると、
「オリザ。【ラプンツェルの塔】の場所はわかりますか?」
「はい、デルフェスさん」
 鏡界の【白銀の姫】にアクセスし続けている魔法アイテム・魔力の結晶人形は、その世界のデーターを完全に把握しており、完璧なサポートプログラムを自身の中に構築し、その機能を使用して、デルフェスを【ラプンツェルの塔】へとワープさせた。
 そして、デルフェスの前に腹に時計を埋め込んだ兎が居た。
「ようこそ。ようこそ。【ラプンツェルの塔】へ」
「お姉さんは数日前に来たカスミ姫のお友達なんだってね。うん。悪いわる〜い魔女に囚われた愛しの可愛いお姫様を救うのは何時だって王子様の役目だものね。あれ、王子様? 王子様というにはお姉さんはお胸が大きいよね。腰もそんなに綺麗にくびれて。お尻も柔らか味のあるラインを描いてさ。安産型だ。ああ、ボクはそういうの好きだよ」
「セクハラは良いですから、早くわたくしを案内してください」
「さてさて、ではでは、どうぞ、中へ。勇者様」
 かくして塔の中にデルフェスは入った。



【塔一階】

「いらっしゃい、勇者様。今度の勇者様も前回の勇者様に負けず劣らずに綺麗ね。そして、うん、良い足」
 と、その頭から灰を被った姫は、暗鬱に笑った。



【Y】


 デルフェスは右手に持った還襲鎖節刀・双石華の切っ先をその頭から灰を被った姫に向けた。
「わたくし、できれば無用な争いはしたくはありません。ですから、そこをどいてくださりませんか?」
「どく? ええ、どいてもいいわよ」
 にこりと彼女は笑った。
 そして、
「だけどその代わりにあなたのそのすらりとした長い綺麗な足をちょうだい。私ね、自分の足よりも綺麗な足の女って、嫌いなの」
 言ったが早いか、灰かぶりは消えている。
 そして、彼女が消えたと思ったその次の瞬間には、デルフェスの足を誰かが触る感触が電流のようにおぞましさを伴って、デルフェスの身体を駆け抜けた。
「だって、私の王子様ったら、足フェチなんですもの♪ 知ってて? 本当の私の物語は、ハトが服や靴を用意してくれて、そして王子様が数多く居た女の子の中から私を選んだのは、ひとえにこの私の足がとても綺麗だったから、って。私の王子様、私の足にしか興味が無いのよ。だから、ね」
 デルフェスが上に飛んでいたのはもはや本能でしかなかった。
 身を守る本能に従い飛んでいなければ、今頃はデルフェスは両足を失っていただろう。
 跳躍したデルフェスの下では、包丁を横薙ぎに振るった彼女が舌打ちをしている。
「この包丁でお義母さんはお義姉さんたちのかかとやつま先を切ったのよ。硝子の靴が履けるように。そして、この子たちが私と王子様の結婚式の時にお義姉さんたちの目玉を嘴でつついたの♪」
 嬉しそうに歌うように彼女がそう叫んだ瞬間、部屋にハトが現れた。
 それらは大群でデルフェスを襲う。
 還襲鎖節刀・双石華を振り回し、ハトを追い払おうとするが、それらはデルフェスの白磁の肌を嘴で傷つけ続けた。
(ダメですわ。この子たちを追い払おうとしてもそれは意味は無い。なら、換石の術? いえ、ここでカードを見せるのはよろしくありませんもの。だから、)
 だから、デルフェスは灰かぶり目掛けて走った。
 それは彼女も見越していたようで包丁を構え、自分からも突っ込んでくる。
 そして、還襲鎖節刀・双石華と包丁とがぶつかり合う鋼の音色が部屋に満ち、互いの武器は澄んだ歌を歌いながら相手を打ち滅ぼすべく振るわれていたが、
「ちぃ」
 やはり、二対の剣であり、槍のように突く事も可能な還襲鎖節刀・双石華を相手にしてはただの包丁では分が悪かった。
 灰かぶりは後ろに飛び、
 そして、それを狙っていたデルフェスは左の還襲鎖節刀・双石華を灰かぶり目掛けて投擲した。
「あなたって、馬鹿ぁー」
 嘲笑うように灰かぶりはそれを避けるも、
「いえ、全ては計算とおりですわ」
 デルフェスは誇るでもなく優雅にそう言い、右手を振った。
 正確には、
「な、なにぃ?」
 二対の剣を繋ぐ鎖を操った。
 そう、これが数多くある還襲鎖節刀・双石華に隠された能力の一つである。
 二対の剣を繋ぐ鎖はデルフェスの意志で伸縮自在なのだ。
 故に鎖は鞭の様にしなり、
 デルフェスの手首の捻りにあわせて、
 軌道を変えた投擲された剣は、
 灰ぶりの背中を突き、
 瞬間、もう一つの能力を発動させた。
 ―――灰かぶりを石に変えたのだ。
「カスミ様の右足、返していただきます」



【Z】


 塔二階にあったのはお菓子の家だった。
 そしてそのお菓子の家を食べていたのは、男の子と女の子。
 互いに石化した腕を持っていて、それでお菓子の家を破壊して、スプーンのようにそれを使って、お菓子を食べている。
「あ、お姉さん発見」
「美人なお姉さんを発見」
「お菓子を食べる?」
「美味しいお菓子がここにあるよ?」
「でもお姉さんが食べると量が減っちゃうね」
「減っちゃうね」
「じゃあ、お姉さんをあの悪い魔女をかまどに入れて、焼いて、食べちゃったように、」
「このお姉さんも食べちゃおうか」
「あの大きなお胸なんか焼いたら、美味しそう」
「焼かずとも美味しそう」
「あの太ももなんかものすごくジューシーな感じ」
「きっとふわふわだね」
「大きなお尻の肉は柔らかくって美味しそう♪」
 そう言いながら兄妹は両手の手の平に強力なエネルギーを圧縮した球体を作り出し、互いにそれを放り投げ、キャッチしながら、四つのボールをキャッチボールしながらデルフェスに向かってきた。
 そして、デルフェスは四つのボールの軌道が鳥篭を描く中に閉じ込められ、それが段々狭くなっていく。
「残酷な技ですわね。こうやって、技を向けた対象者を、じわじわと苦しめて殺すんですから」
「残酷になったのは、何回も山の中に捨てられたから」
「本当は継母じゃないんだよ? 本当のお母さんなんだよ?」
「僕たちは」
「私たちは」
「「両親と魔女、両方に殺されかけた」」
 兄弟が歌う。
 しかし、その兄弟に向けて、デルフェスが向けたのは憐れみの視線と声だった。
「なら何で、魔女を殺し、迷いの森を逃げ出した後にご両親の元に返ったんですか? それは愛されたかったからなのでしょう?」
 そのデルフェスの言葉に兄妹の目が見開かれて、そして、デルフェスはこの技の唯一の弱点であるその瞬間を見逃さなかった。
 そう、鳥篭の軌道を描く四つの球体は天辺で四つが縦に揃う瞬間があるのだ。
 その瞬間にデルフェスは還襲鎖節刀・双石華の左の剣を投擲し、球体を破壊して、そして憐れな兄妹の為にレクイエムを奏でる楽団を指揮するマエストロのように右手を振るい、
 その動きを伝える鎖で憐れな兄妹をがんじがらめにして、石に変えた。
 下唇を噛み、頭上を見上げたデルフェスは数秒そうしていたが、しかし、彼女は彼女の役目を忘れずに、次の階を目指した。



【[】


 塔三階。
 そこには硝子の棺に座ってリンゴを食べる娘が居た。
 その娘はデルフェスににこりと微笑む。
「ねえ、貴女も私の事、ただ寝てるだけでカッコよくって優しい王子様に見惚れられて幸せでラッキーね、なーんてムカつく事を言うのかしら?」
 果報は寝て待て、そんな言葉を体現している物語の主人公はどうやらそれにずいぶんと不服らしい。
「冗談じゃないわよ。知ってて? 7人の小人は本当は山賊で、毒リンゴのせいで眠っていた私にずっと悪戯をしていたのよ? しかも眠り続ける私をずっと年十年も傍に置き、愛し続けたとされる王子様は何て事は無い、実はただの死体愛好家。当然、起きてしまった私にがっかりで、私だって目覚めてみれば若く綺麗な王子様は醜い老人でがっかり。しかも起きてみれば私のお腹の中には誰の子かも知れぬ赤ちゃんが居る。本当の私の物語はこんな物語なのよ? これのどこが理想なのか、って、本当に頭にくるわ。そう、この姫が閉じ込められる【ラプンツェルの塔】とは、そんな身勝手な人間たちの欲望と理想と、嫉妬と恨みとで構成された姫たちが魔女によって命を与えられて集う場所。そこに舞い込んでくる王子様気取りの人間を殺すために。だから、貴女も殺すわ」
 リンゴをかじりながら彼女は顎をしゃくり、
 そして、それに合わせて草むらに隠れていた7人の小人たちが一斉にデルフェスへと襲ってくる。
 還襲鎖節刀・双石華を構え、デルフェスは素早く7人の小人たちの位置を把握すると共に左の還襲鎖節刀・双石華を投擲して、7人の小人を鎖で捕らえ、石に――――
「ご苦労様、小人さん」
 リンゴの芯まで食べた姫が哂った。
 そして彼女は腰のレイピアを抜き払い、デルフェスに突進してくる。
「そう、還襲鎖節刀・双石華で相手を石に変えるその瞬間、貴女は無防備になる。これでお終いよ」
 せせら笑う彼女にしかし、
 デルフェスは静かに顔を左右に振った。
「わたくしをそのレイピアで刺し貫く事こそがあなたの攻撃であるのであれば、わたくしは別にそれに構う事は無いのです」
 そうデルフェスが口にし、
 姫が、「しゃらくせー」、と叫びながら突進する勢いすら剣に乗せて、体当たりでデルフェスに突っ込み、
 だが、その後に奏でられたのは鋼がデルフェスの薄い腹を刺し貫いた湿った肉が奏でる音ではなく、
 その鋼の方こそが折れる音だった。
「う、そ?」
 とても信じられない物を見たかのように両目を見開く彼女にデルフェスは優しい慈母の様に微笑んだ。
「わたくしはミスリルゴーレムです」
 言って、デルフェスは、右の剣を動かし、さらに姫すらも鎖に捕らえ、彼女を石に変えた。
 最後に姫が言っていた事が真実である事を証明する7人の小人たちが言った、「「「「「「「じゃあ、そのふかふかの気持ち良さそうなおっぱいや太ももも、尻もかちんこちんの偽物かよー」」」」」」」、と、ベットの上でなんちゃってブラを取った女の胸を見た瞬間の男、もしくはプールか海にデートに行って、彼女の水着姿を見た瞬間の男のような、そんな女の詐欺行為を訴えるような戯言に、
「失礼な。わたくしのお胸も太もも、お尻ちゃん、二の腕さえもちゃんとしたぷるんぷるんのふわふわですわ」、とデルフェスはひどく心外そうに訂正を入れた。
 そしてため息を吐き、
 デルフェスは石化した姫を憐れむように見つめた。
「そうですわよね。誰もが皆、あなたの境遇をやっかむばかりだったのかもしれません。眠り続けされたあなたの心を、想像もせずに」



【\】


 塔四階。
「いらっしゃい。ようこそ、綺麗な足のお姉さん」
 彼女はにこりと微笑んだ。
 巨大な水槽の中で。
「そのとても美しい足を持つあなたの顔が、そういう風だというのは、実に運命的だわ」
 そして人魚はそう言った。
 デルフェスは小首を傾げる。
「あなたのその顔は、あたしが助けたのに、なのに王子様の勘違いを正そうとはせずにあたしの手柄を横取りしたあの姫にそっくり。ああ、もしも短剣で殺すのが王子様ではなく、姫であったのなら、私は何のためらいも無く、喜んで殺していたのに。粟と消えずに済んだのに」
「ですが、あなたは泡となって消えるその最後の瞬間まで王子様を愛しておられた。それはとても尊く、清い心です。だから人間の魂を持たなかったあなたは、しかし空気の精の導きによって空気の娘たちと同じ場所に行き、そこで修行する資格を得た。そう、そこで修行すれば、あなたはあなたの望みだった人間の魂を得られる。そういう次にあなたのその純粋な愛があなたを繋げたのではありませんか?」
 デルフェスは必死に訴えた。
 そう、デルフェスもまた錬金術によって作られた存在。
 嫌でも考えた事があった。
 この自分には魂があるのか、と。
 だから、魂というモノを持たない存在である人魚姫が、しかし王子を愛したその純粋な気持ちによって、空気の娘たちと共に魂を得られるようになったその結末は、救いのように思えていたのだ。
 だけど………、
「馬鹿ね。王子様がちゃんとあたしを愛してくれてさえいれば、あたしは泡と消えずとも、空気の娘たちと同じ場所に行かずとも、人間となれて、魂を得られたわ。ああ、足が欲しい。あたしは足が欲しい。あたしは何でこんな醜い姿。人間が化け物と呼ぶ姿。足が無い。足が無いの??? そしてそんなあたしの悲しみも知らずに、横からあたしが海の底から救った王子様を奪い去ったあの姫が憎い。人間の姫が憎い。憎くて憎くてしょうがないわー」
 悲鳴のような人魚の叫びに応じて、水槽を破壊した水が津波のようになって、デルフェスに押し寄せる。
 だけど、デルフェスはそれを避けなかった。
 それどころか、デルフェスは両手を開き、自分に飛びついてくる子どもを受け止める母親のように微笑むのだ。
 人魚姫はそれを見て、両目を見開いた。



 そして、また、オリザも目を見開いた。



 嫌だと思考ルーチンがはじき出した。
 それを哀しいと思考ルーチンがはじき出した。
 ここでデルフェスを失う事を、思考ルーチン……………いや、この心が嫌だと想った。
 だから、



 魔法アイテム・魔力の結晶人形は、自らに課せられたマスターのオーダーに逆らった。
 それによって彼女の組まれた緊急危機回避プログラムが作動して、彼女に仕掛けられた自爆システムが作動した。




 ――――そして、デルフェスの目の前で、それは起こった。
 今にも波に乗って、乗った波を操って、その波でデルフェスをずたずたにしてしまおうとしていた人魚姫が、その人間の上半身と魚の下半身とが横薙ぎに振られた手刃によって、千切られ、その一撃で人魚姫は絶命して、
 しかし、スローモーションのように堕ちていく人魚姫の顔は、だけどデルフェスにはとてもほっとしたように見えた。
 そして、それを見たデルフェスは、それをやった人物に視線を向けて、そこにとても信じられない物を見た。
 そこに居たのはオリザだった。
 オリザの顔に浮かんだのは、見られたくない事をとても大好きな母親に見られた幼い子どもの表情だった。
 オリザはその場から逃げ出そうとして、だけど、力を入れた右足が、その瞬間にぽきり、と折れて、
 それにオリザは泣きそうな顔をして、
 デルフェスも自分でもなんと言ったかわからない声をあげて、オリザに走りよって、抱きしめ、必死に折れた足をくっつけようとした。
 していた。
 だけど、そんなデルフェスにオリザはくっついた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。許してください。許してください。許してください。怖かったの。怖かった。怖かった。あのままデルフェスさんが消えてしまうような気がして、怖かったの」
 しゃくりあげるような声でそう言った腕の中のオリザにデルフェスははっとして、そして、今まで以上の力でオリザを抱きしめた。
「誰が、誰があなたを嫌うものですか、オリザ。あなたはわたくしの大切な娘です。わたくしの方こそごめんなさい。あなたにそんな心配をかけて。本当にごめんなさい。だから、だから、どうか消えないで、オリザ。わたくしを置いていかないで」
 本当は自分こそがこの娘を置いていく気だった。
 人魚の姫に殺されてやっても良いと思った。
 だけどそれが間違いだった事に、このオリザを見て、あの人魚の姫の最期の顔を見て、気付いた。
 ああ、本当にわたくしは、一体何時まで、何度、同じ間違いをすれば気付くのだろう?
 こんな、誰の心も守れないような、後悔ばかりの方法ではなく、
 誰の心も守れる、そんな方法を―――――。
「諦めません。わたくしは、諦めません」
 デルフェスはどんどん崩れていくオリザに微笑んだ。
 そう。もう本当に自分は後悔などしたくないのだ。
 守りたいのだ、心も、魂も。
 なら、まだ死んではいないオリザの事だって絶対に諦めない。
 幸いな事にオリザはプログラムなのだ。
 ならばこの壊れゆくプログラムを修復できる人に頼めば、彼女を救えるはずなのだ。
 だから、
「必ずあなたはわたくしが助けます。だからしばし、お休みなさい」
 そう優しく言い、
「はい、お母さん」
 オリザは嬉しそうに頷いて、その笑みを浮かべたまま、石化した。



【]】


 塔最上階。
 そこには塔の下まで届くほど髪を伸ばした女の子が居た。
 その女の子が抱くのは、最後のカスミの一部、頭だった。
「それを返してください」
 そう言うと、彼女はにこりと微笑んだ。
「返して欲しかったら、魔女を倒すのね」
「魔女は何処に居るのですか?」
「あなたはもう会っているわ」
「魔女には会ってはいません」
「だから今まで会った娘たちの中に魔女が居るのよね。さあ、推理してごらんなさいな」
 今まで会った中に、魔女が居る?
 デルフェスはうめいた。
 今まで会った中、今まで倒してきた中に魔女が居た?
 誰が、魔女だというのだ。
 いや、それは本当に?
「本当よ。本当に魔女は居るのよ」
 そう言った彼女の後ろに灰かぶり、妹、姫、人魚が現れる。
 この中に魔女が居る。
 この4人の娘の中に。
「さあ、シンキングタイムは終わり。あなたが魔女だと思う人を指差して。当たっていれば、あなたは見事にこのラプンツェルの塔のクエストクリアよ。でも、間違っていたら、死ぬわ」
 そして、デルフェスは瞼を閉じて、もう一度自分の思考を一から見直し、それを確かめると共に頷いて、
 そうして妹を指差した。
「どうして?」
「もしも森から抜け出せなかった時、彼女には魔女となるしか道はなかったですから。そう。お菓子の家の魔女はどうして、森の奥深くであんな罠を仕掛けていたのでしょう? 答えは簡単です。魔女はおそらくは、森から抜け出す事ができなかった。だからあの魔女も実は、先代の魔女を殺し、お菓子の家の魔女を引き継いだのかもしれません。そして、兄と一緒だったから抜け出せた彼女は、独りだったら、森から抜け出せず、魔女となっていた。この中でそうなる可能性を有しているのは彼女だけなのです」
 そう。灰かぶりは魔女など居ないと言っていたし、
 姫は見事に魔女に王子の力で仕返しをしていて、王妃となるし、
 人魚の姫にいたっては魔女に仕返しすら考えていない。
 だから、
「これでQEDです」
 デルフェスがそう言った瞬間、髪の長い娘がカスミの頭部を放し、
 その頭部は空中に浮き、バラバラにされたカスミの身体はくっついて、そして、石化から解かれた。
「カスミ様」
「デルフェス、さん?」
 喜ぶデルフェスに、カスミは今ひとつ事態を把握しきれない声を出し、
 そして、カスミに抱きつくデルフェスに、
 彼女たちが声をかけてくる。
「「「「「「どうか、この童話の世界にある理不尽な想いを忘れないで。世界はあなたがその望みを叶えてくれるのを望んでいる」」」」」」



【ending】

 鏡界の【白銀の姫】事件はこうして終わった。
 それを使い、誰かに想いを理解して欲しい、と望んだ童話の世界の願いは、確かにデルフェスの心に刻み込まれた。
 今回の事件は、だから関わりあえて良かったのではないのか、とデルフェスは思っている。
 たくさんの事を経験し、それによって知り、理解できた事もあったし、
 それに、
(オリザも無事に修復されて、彼女との絆も深める事ができましたから)
「何を微笑んでいるの、デルフェスさん?」
 つい先日まではジャポネスクは美味しくない、と言っていたくせに、今ではそればかりを飲んでいるカスミに、デルフェスは隣でオレンジジュースを飲んでいるオリザの頭を撫でながら笑みを深めた。
「はい。今日もカスミ様に聞いて頂こうと思うオリザの成長ぶりの、そのどのお話からお聞かせしようか、と、それを考えていたんです」



 →closed