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<東京怪談・PCゲームノベル>


SPECIAL TRACK ■CHRISTMAS CAKE■





 かちゃり。目の前にカップが置かれる音でふっと我に返り、慌てて顔を上げる。テーブルの上に紅茶のカップとソーサーを置き、その脇にミルクを置いた沢木が怪訝そうに望子を見ていた。
 「どうなさいました、少しぼんやりしていたようですが。考え事ですか?」
 「いえ、別に」
 と望子は冷静に答え、耀の予備調査によって作成された資料に再び目を落とす。沢木は「そうですか」とだけ言ってふわりと微笑んだ。
 「それにしても、わざわざ本庁の対超一課から応援に来てくださるとは。ありがたいことです」
 「一応心霊現象の可能性があるということなので。以前応援に来た縁もありますし」
 連絡を受けたのは昨日22日の夜だったので、今日23日になって捜査に加わることとなったのである。
 「ええ、もちろん覚えています。あの時は不動さんの能力で犯人確保に至ることができました。確かあの時は僕たちにあだ名がつきましたねえ、不動さんのあだ名は確かコスプレ刑事(デカ)――」
 「今はそれは関係ありません」
 ぴしゃりと沢木の言葉を遮った望子に、沢木は「これは失礼」と肩をすくめる。望子はカップの中にミルクを垂らし、こくりと喉を鳴らしてひとくち紅茶を飲んだ。
 ――耀が怪しいと睨んだ前川達哉の風貌は十四歳前後だという。店側がケーキのことを前川家に問い合わせても「達哉は三年前に死んでいる」との一点張りだそうだ。さらに、前川家の小夜子という老婦人は今回のケーキ店『シェトワ』の常連で、三年前までは毎年クリスマスケーキを予約していたとか。達哉は小夜子の孫で、たいそう可愛がられていたらしい。
 「前川達哉は本当に死んでいるのでしょうか」
 望子はまずその疑問を口にした。「戸籍は確認したんですか?」
 「まだです。達哉くんのご家族がおっしゃっているだけで」
 「そうですか。念のため確認しておいたほうがいいかも知れませんね」
 テーブルの上で資料をとんとんと揃えるとカタログらしき冊子がはらりと落ちる。拾い上げた望子は整えられた眉をひょいと持ち上げた。それは耀がシェトワから持ち帰ったケーキのカタログだった。
 件のケーキもカタログに載っている。値段が高めとあってサイズも大きめだ。数人、恐らく家族みんなで切り分けて食べることを前提として作られているのであろう。惜しげもなく飾られたガラス細工のようなイチゴ、見た目も濃厚なホイップクリーム。中央にちょこんと佇むサンタクロースの砂糖菓子はソリを引く砂糖菓子のトナカイを撫で、それをログハウスの形に焼き上げられた厚いチョコビスケットが見守る。雪を模して全体に降りかけられた粉糖が柔らかさを演出しており、昔ながらの素朴なケーキであることがうかがえた。
 (家族みんなでクリスマス、ですか)
 内心でそう呟いて望子は小さく息をつく。とりあえず、今年のところはクリスマスはあまり関係ない。クリスマスで浮かれるのもいいが、それよりも優先することが望子にはある。実はそのせいで寝不足気味でもあるのだが、それを表に出す望子ではない。
 「それでは、まずは戸籍を確認しに参りましょうかねえ」
 沢木は小さなロッカーからコートを取り出して望子に声をかけた。「もし達哉くんが死亡していなかった場合はどうなさいます?」
 「彼の行方を調べ、本人に問いただします」
 「それが一番ですね。では、本当に亡くなっていた場合は?」
 「事情を話して達哉くんの遺族にお話を伺います。達哉くんの住所と電話番号はケーキの予約名簿で調査済み」
 望子はトートバッグにてきぱきとスケッチブックや鉛筆を入れ、制服の襟元を正して立ち上がった。
 


 役所に出向いて照会したところ、前川達哉の死亡はあっさり確認できた。少々拍子抜けした思いで役所の窓口係に頭を下げて外に出ると乾いた風が吹きつける。空はからりと晴れ上がり、空気はクリアだった。
 役所というのはえてして市街地に近い場所にあるものだ。地下駐車場で沢木の運転する車に乗り込み、大通りに出るとにぎやかな赤と緑の看板が目に付いた。きらきらとした宝石に服、サンタクロースの衣装に身を包んでチラシを配ったり呼び込みをしたりする売り子たち。行き交う人々も互いに寄り添い合い、幸せに微笑んでいるようにすら見える。
 「楽しそうですねえ」
 ギアを入れ換えながら沢木はのんびりと感想を漏らす。「ええ」と答えながら望子はウインドウの枠に頬杖をついた。信号が黄色から赤に変わり、車が緩やかに停まる。横断歩道を渡る女性たちのむき出しの脚、浮き浮きとした笑顔。子供を抱いた男女の姿もちらほら見受けられた。
 「楽しむのは結構ですが、なぜクリスマスでなければいけなのでしょう」
 「とは?」
 「クリスマスでなければ大事な人を大事にしないのですか?」
 望子は怪訝そうに聞き返した沢木に逆に問うた。「昔から不思議だったのです。なぜクリスマスになると急に恋人や家族を大事にするのか。大事な人はいつだって大事なはずではありませんか、クリスマスなど関係なしに」
 「なるほど。おっしゃる通りですね」
 歩行者の足が急に速まる。歩行者用信号が赤に変わり、ほどなく車両用の信号に青い色が灯った。沢木は静かに車をスタートさせた。
 「大事な人はいつだって大事。そうですね。たとえそれが家族や恋人でなかろうとも――」
 そして沢木は望子の台詞を口の中で繰り返し、何か思うところがあるのかひとり肯く。「失ってから悔やむのでは遅い。いえ……そもそも、悔やまないことなどないのかも知れません」
 望子は頬杖を外し、沢木の横顔を見る。微笑の絶えない沢木の口許は硬く結ばれ、糸のような目は厳しく前方を見据えている。
 「沢木警部補――」
 「さあ、着きましたよ」
 望子が口を開きかけたのと沢木がそう告げるのとはほぼ同時だった。「あ、これは失礼。何かおっしゃいましたね?」
 と望子に向けられた沢木の顔にはいつもの微笑が湛えられていて、望子は「いえ、別に」と言ってドアロックを外した。



 「知りません」
 望子と沢木が警察だと名乗って手帳を見せると渋々二人を中に入れたものの、達哉の母の恵子という女性は不愉快さを露わにしてそう断言した。「今度は警察だなんて……いい加減にしてください。確かに12月25日に義母の見舞いに行くとシェトワのケーキが置いてありますけれど、私たちは関わっておりません」
 「事件の犯人に亡くなったご子息の名前を使われているのですよ。あまりいい気分ではありませんよね?」
 という沢木のもっともな指摘に、恵子は「そうですが」と言って目を伏せる。
 「犯人が達哉くんの名前を騙っていることは事実。ということは、犯人はこの家……恐らく達哉くんか小夜子さんと何か関わりがあると考えるのが自然です」
 望子は通された居間のソファに浅く腰掛け、顎を引いて恵子を見つめた。「前川家を疑っているわけではありません。ですが、手がかりとして達哉くんや小夜子さんのことを聞かせてほしいんです。達哉くんがクリスマスケーキにこだわる理由などを」
 恵子は膝の上に乗せた両手を握り、伏せた目をかすかに揺らす。しかし、やがて観念したように語り始めた。
 「私たち夫婦は、達哉が小学校に上がった頃から夫の親――義母の小夜子と亡くなった義父のことです――とこの家で同居していました。達哉は明るくて人なつっこい子で、義母とも仲良しでした。毎年クリスマスイブには義母と一緒にシェトワにケーキを買いに行ったりもしていたんです。でも、中学校に上がる頃からでしょうか、達哉が義母を避けるようになって。ケーキを一緒に買いに行くこともなくなって……」
 恵子はいったん言葉を切り、小さく息をつく。「思春期ですもの、家族をうっとうしく思ったとしても仕方ありませんよね。義母もそう思っていたようですが、本音は寂しそうでした」
 「でしょうね」
 思春期の男子は難しいお年頃である。それまで仲良くしていた家族とも意図的に距離を置くようになり、家族と一緒に出かけるのを好まなったり家族に暴言を吐いたりすることもある。それはある意味では自我と自立の顕れなのだが、これまで仲良くしてきた家族の側にとっては寂しいことであろう。
 「達哉は家にいても義母や私たちと喋らず、部活だと嘘をついて遅くまで外をほっつき歩いていることもありました。それがたたったのでしょうか、深夜に高校生のバイクに乗せてもらっているところを大型車に衝突され、あっさり死んでしまいました」
 それが三年前の冬、ちょうど12月25日の午前二時頃だったと恵子は言った。
 「その前日の24日の夜、義母はいつものようにシェトワでクリスマスケーキを買って来ました。義母は昔からあのお店の常連で、クリスマスはいつもシェトワのケーキでお祝いしていたんです。その年も達哉と一緒に……家族みんなでクリスマスのお祝いをしようと言っていたのですが、達哉があんなことになって。それがショックだったのでしょう、元々体があまり丈夫でなかった義母が体調を崩し、病院に入って……回復の見込みは恐らくないとまで医者に言われて」
 望子は小さく息をつき、ゆっくりと首を横に振って視線を落した。達哉と祖母はすれ違ったまま死に別れてしまったのだ。疎ましいと感じていた祖母が誰よりも自分を愛していたことを気付かずに。いや、もしかしたら達哉は気付いていたのかも知れない。ただ思春期特有の照れ臭さと意地のせいでそれを受け入れられなかっただけなのかも知れない……。
 「お宅では何か動物を飼っていらっしゃいますか? 小夜子さんが可愛がっていた動物などは」
 沢木は出された湯飲みに軽く口をつけながら尋ねた。「は?」と恵子が聞き返す。望子も沢木の意図を察しかねて怪訝そうな視線を向けた。
 「いえ、ね。お金が消えるという点から、昔話の化けるモノを連想してしまいまして」
 沢木はにこりと微笑んで望子に応じた。「恩返しのようにお孫さんの姿を借りてケーキを買い届けている……という可能性もあるかと思いまして」
 「そう……ですね。そうだといいですね」
 恵子は弱々しく笑って肯いた。「でも、うちでは動物は飼っていません。ただ――」
 恵子は席を立ち、居間に面する大きなカーテンを開けて窓の下を示した。立って行って窓の下をのぞきこんだシュラインは怪訝そうに恵子を見る。窓の下に置かれた踏み石の上には、プラスチックの小さな皿がぽつりと置かれていた。
 「飼っていたわけではありませんが、義母は昔から野良猫を可愛がっていました。達哉が生まれた頃から餌をもらいにここに通って来ていたそうで」
 恵子は寂しそうに言って皿を見やった。「灰色一色の、あまりきれいじゃない野良猫です。義母は毎日欠かさず餌や牛乳をあげていて……入院する時も猫のことを心配していました。義母が入院してからは私が餌を出しているんですが、時々食べに来ているようです」
 「猫、ですか」
 沢木は恵子に一言断って窓を細く開け、首だけ出して庭を見回した。人の気配を警戒しているのかまだ餌の時間ではないのか、猫の姿は見当たらない。
 「――さて。そろそろ始めましょうか」
 話が一段落したのを見計らって望子はトートバッグを膝に乗せた。「恵子さん。息子さんの顔の特徴を教えてください。写真でも構いません」
 「似顔絵を作るんですか?」
 取り出されたスケッチブックと望子の顔を見比べ、恵子が首をかしげる。「どうしてです? 息子はもう死んでいるのに……」
 「似顔絵は心を映す鏡でもあります。どうかご協力を」
 望子は軽く頭を下げ、背筋を伸ばして鉛筆を構えた。



 顔立ちはそこそこ可愛らしいほうであろう。額の上でさっぱりと切られた前髪、清潔感のある短い髪の毛、中性的な目元。出来上がった前川達哉の顔は思春期の少年特有のクリスタルのような硬さと透明感を持ち合わせている。
 「相変わらずお見事なもので」
 車に戻って沢木は感嘆する。「何か手がかりを得られそうですか?」
 望子はシートベルトもせずに似顔絵を見つめている。似顔絵からその主の考えを読み取れるのが望子の力。望子の解析結果を待つつもりなのだろう、沢木はシートベルトを装着してハンドルに手を置いたままフロントガラスの向こうに目を投げた。
 ――やがて、望子はかすかに微笑んだ。
 「どうなさいました?」
 くすりと声を漏らして微笑する望子に沢木が眉を寄せて問う。
 「いいえ。どうやら、そう悪いことではなさそうです」
 手で軽く隠された望子の口許には優しい笑みが浮かんでいる。「明日はシェトワに防犯カメラを設置しましょう。私が霊視を兼ねて別室でモニターをチェックします。それと、今のことを確かめるために念のため小夜子さんの入院先へ。それから明日の件に関してお願いしたいことが……」
 「はあ」
 わけが分からずに、沢木は首をかしげて肯いた。



 小夜子の容態に関して、恵子が“いつ亡くなってもおかしくない”と話していたが、それはまんざら嘘でもなさそうだった。痩せこけた体に幾本もの点滴やチューブをつながれ、酸素マスクをあてがわれて横たわった前川小夜子の姿は病人そのものであった。頭もやや錯乱しているのか話もあまり通じず、結局分かったことは小夜子が今でも達哉を愛しており、達哉に会いたがっているということのみであった。
 代わりに、看護師や看護助手から気になる情報を聞くことができた。入院して間もなくの頃から、小夜子は「達哉が会いに来てくれた」とドクターやナースに喜んで話して聞かせることがあったというのだ。達哉が会いに来るのは決まって夜らしい。そして、去年・おととしの12月25日の朝には恵子が言っていた通りシェトワのケーキが病室に置いてあり、小夜子は嬉しそうに「達哉がケーキを買って来てくれた」と話したというのだ。
 「猫が達哉くんの姿を借りておばあさんに恩返しに来ているんだと思います。もっとも、それだけではありませんが――」
 病院の玄関前の自販機で温かい飲み物を買い求め、手を温めながら望子は白い息を吐く。冬の日は短く、四時前だというのに太陽はすでに傾きかけていた。
 「ええ。小夜子さんの最後の注文が三年前、小夜子さんが入院したのも三年前のクリスマスの直後。お店の金が消えるようになったのはおととし……すなわち二年前、小夜子の最後の注文の翌年です。奇妙に符合しますね」
 沢木は温かい紅茶の缶を片手に患者用休憩スペースに腰を下ろす。「気がかりなのは小夜子さんの容態ですね。明日までもつかどうか」
 「いいえ。達哉くんが持ってきた思い出のケーキを食べたら小夜子さんの体も回復するかも知れません」
 「はい?」
 望子らしからぬやや非現実的な言葉に沢木は怪訝そうに顔を上げる。望子は「冗談です」と肩をすくめ、軽く苦笑してみせた。
 「いくらクリスマスだからって、そんなこと有り得ませんよね」
 「そうですね」
 沢木もこくりと喉を鳴らして缶入りのストレートティーを飲んだ。「ですが、有り得ないことがあってもいい。クリスマスですからね」
 「……そうですね」
 望子は一拍置いて相槌を打ち、ごくごく小さく微笑んだ。
 しかし、すぐに笑みを消して背後を振り返る。
 「何か?」
 「いえ。ちょっと」
 沢木の問いに答えつつも望子目は慎重に周囲の景色を注視している。「灰色っぽいものがちらっと見えたんです。例の猫かも知れません」
 沢木の眉がひょいと持ち上がる。なおも辺りを見回していた望子が「あ」と小さく声を上げた。
 猫だ。グレーの、薄汚い猫が背中を低くしてよたよたと病院の中庭を横切っている。
 「待ってください」
 追おうとした沢木の腕を望子がつかむ。「走って追いかけたら余計逃げてしまいます。静かに追いましょう」
 そして散歩でもするかのような足取りで、一定の距離を保ちながら殊更にゆっくりとと猫の後を追う。高齢らしい猫はお世辞にも敏捷とは言い難い動きで中庭を抜け、道路に面した側に回り込み、足を止めた。
 猫はそのままその場に座り込み、じっと空を見上げている。望子もつられて上空を見上げ、ああ、と息を吐いた。そこは小夜子の病室の真下であった。
 「ねえ」
 そして、50メートルほど離れた位置からそっと声をかける。猫の体がびくっと震え、耳が後ろに倒れた。
 「小夜子さんが可愛がってた猫でしょう?」
 猫は答えずに、前足を突っ張って尻を高々と上げ、警戒の姿勢をとっている。
 「怖がらなくても大丈夫」
 望子はその場に膝をつき、敵意のないことを示すように両手を軽く広げてみせた。「イブに買いに行くんでしょう、ケーキ」
 猫の眼球がすっと細まる。望子はにこりと微笑んだ。
 「ちゃんと準備しておきます。あなたの望みは全部分かってる」
 ――ありがとう。
 望子の呼びかけに答えるように、不意に男とも女とも知れぬ声が鼓膜を震わせた。冬の空気のように透き通っていて、それでいてどこか脆さを感じさせる声であった。声の主を求めて顔を上げるも、頭上にはからりとした冬の空が広がるだけだ。そして視線を戻した時には猫の姿は消えていた。
 「今の声……」
 望子は立ち上がり、ほどよく茜に染まり始めた空を仰ぐ。それからふと微笑んだ。



 翌24日。ちらちらと雪が落ちてくる天候の中、シェトワは大変な忙しさであった。
 元々交通量の多い交差点の近くに店を構えているのだから、その混雑たるやひどいものである。しかし行き交う人々はそれすら許し、クリスマスイブの街の喧騒に身を任せていた。夕方早くから灯された暖色のイルミネーション、混雑するファッションビル、カラフルにめかしこんで寄り添うカップルたち、リボンのついた大きな箱を笑顔で抱える子供の手を引く親。街のあちこちに幸せが満ちていた。笑顔が溢れていた。
 「いかがですか?」
 望子に言われて着替えを済ませた沢木がドア口から顔を覗かせる。店の事務所の一室を借り受け、店内に設置した防犯カメラの映像をモニターでチェックしていた望子はそれに応じて立ち上がり、思わずくすりと吹き出してしまった。
 「よくお似合いです」
 「いえ。服装のことではなく、達哉くんが現れたかどうかとお尋ねしております」
 沢木は慣れぬ衣装にやや閉口しているらしい。
 「まだ来ていません。予約名簿によれば、受取時間はもう少し後と――」
 言いかけて、霊視用の伊達眼鏡をかけた望子は腰を浮かす。モニターの中の自動ドアが開き、前川達哉が入って来たのだ。半透明の達哉の影の中でゆらゆらと揺れる猫のシルエットが望子の目には確かに見えていた。
 「来ました。沢木警部補、昨日お話しした通りにお願いします」
 「はあ。例の物はすでにケーキに同封して保管してありますが」
 沢木は肯きつつもやや不満があるようだ。「何もこの格好でなくても」
 「何をおっしゃいます。今日の店員は皆この格好なんですよ、同じ服を着なければ怪しまれます」
 「はあ」
 沢木はそっと溜息をつき、サンタクロースの赤い服に身を包み、赤い帽子から下がる白いポンポンを揺らしながら店へと出て行った。もちろん店主には事情を話してある。この作戦のためにレジの打ち方まで指導してもらったほどた。
 「考えてみれば」
 その背中を見送りながら望子は顎に指を当てた。「私が着てもよかったですね」
 どちらかといえば、あのサンタクロースの衣装は店のユニフォームというよりもコスプレに近いものがある。ミニスカサンタというのも定番であろう。そこまで考えて望子は慌てて首を横に振る。興味があるのは山々だが、やはりこの場で着るわけにはいかない。自分を知っている者が誰もいない場でなら別であるが。



 前川達哉はきちんと列に並んで自分の番が来るのを待っていた。
 薄いスウェットにジーンズという地味な姿。なぜとは言えないが、その少年は周りとは少し違う気がした。カラフルな若者たちに混じってあまりに地味なその格好が浮いていただけなのかも知れない。だが、少年のこの幸せそうな顔はどうだろう。まるで大好きな人にプレゼントでも買いに来たかのような、この至福に満ちた微笑みは。それは周りのどのカップルや家族連れたちよりもとびきり魅力的な、幸せいっぱいの笑顔であった。
 「いらっしゃいませ」
 販売のバイトになりすました沢木は身をかがめ、カウンター越しに達哉に声をかける。見慣れぬ店員に戸惑ったのであろうか、少年は半ばぽかんと口を開けて肯く。
 「前川達哉くんだね。ケーキはちゃんと準備してあるよ。それからこれ」
 沢木はケーキを入れた箱を取り出し、リボンの間に挟んだクリスマスカードを示した。達哉は「そんなもの頼んでいない」とでも言いたげな視線で沢木を見る。
 「毎年来てくれるから特別サービス。おばあちゃんに渡してね」
 少年ははにかんだような笑いを浮かべてポケットからくしゃくしゃの五千円札と硬貨を取り出し、レジに置いた。その後で大事そうにケーキの箱を抱え込む。沢木はにこりと笑って尋ねた。
 「おばあちゃんの病院まで送ろうか?」
 「いい。俺が自分で持っていく」
 そう答えた達哉の声はあまりにも澄んでいて、その笑顔はあまりにも幸せそうで、沢木もカメラの向こうの望子も思わずつられるように微笑んでいた。


 
 日はとっぷりと暮れたようだった。
 気を抜けば簡単に持ち去られてしまいそうな意識。目の前に広がるのは病院の天井なのか雪空なのか、それすらも判然としない。懸命に頭を傾け、視界に捉えた壁掛けカレンダーでここが病室であることをようやく思い出す。
 小夜子は必死でカレンダーの数字を追った。小夜子の視力はカレンダーに大書きされている数字すら読み取れないほど衰えていた。それでも小夜子は日にちの数字の上に大きく付けられたバツの印を懸命に数える。今日の日付がすぐ分かるようにと看護師が毎日書き込んでくれるものだ。
 バツの数は23個だった。ということは、今日は24日。クリスマスイブである。
 「達哉……」
 誰よりも愛しい孫の名を呼び、小夜子は音もなく涙を流す。涙は耳を濡らし、枕にしみこんでいくが、それを拭うこともできずに小夜子はただ涙を流し続ける。
 「ばあちゃん」
 不意に、最愛の孫の声が小夜子の耳を打った。
 小夜子は声のしたほうに懸命にゆっくりと顔を向けた。本当はすぐに振り向きたかったのに、その命令に応じられるだけの体力はすでに小夜子から失われていた。
 「達哉」
 いつの間にか部屋の中に立っていた孫の姿。小夜子の涙が一気に堰を切った。
 「ばあちゃん。シェトワのケーキだよ」
 達哉は両手に抱えたケーキの箱を小夜子に差し出し、にっこりと微笑んだ。



 「二人でケーキを食べているのでしょうね」
 病室の外の廊下でベンダーの紙コップを片手に望子が呟く。二人の様子を近くで、しかし邪魔をしないで見守ろうと、病室の外までやって来たのだ。病室の厚い扉の向こうからはささやかな笑い声と食器の音が漏れ出していた。
 「楽しい時間を過ごしていたらいいですね」
 「ええ」
 沢木は自販機の前でレモンティーが出てくるのを待っている。「もしかしたら最後のクリスマスになるかも知れませんしね」
 望子は無言で沢木に視線を投げた。
 「恐らく、長くはもたないでしょう」
 短い電子音が三度鳴り、紅茶が出来たことを知らせる。沢木は扉を開いて紙コップを手にした。
 「年内いっぱいも生きられるかどうか。悔いを残さないように過ごせればいいのですが」
 「――そうですね」
 望子は心からそれを願い、温かい紙コップをそっと両手で包み込む。
 そのとき、ナースセンターの方向が急に騒がしくなった。注射や薬を満載した金属のワゴンをガラガラと押す者、センターを飛び出す者。ワゴンとともに数人のナースが小夜子の病室へと飛び込み、その後に白衣を翻したドクターが続く。分厚い扉の向こうからはナースたちの声とドクターの矢継ぎ早の指示が聞こえてくる。小夜子の病室のナースコールが押されたのだと望子は悟った。
 「血圧、心拍低下!」
 「自発呼吸が……」
 「気管内挿管の準備! 急いで! 念のためカウンターショックのチャージを!」
 望子が小さく息を飲み、手の中の紙コップがひしゃげる。沢木は無言で残りの紅茶を喉に流し込み、空のコップをゴミ箱に放り投げた。紙コップが箱の内壁に当たる乾いた音が、やけに大きな残滓を伴って響いた。
  
 

 小夜子が息を引き取ったのはそれから三十分後のことであった。
 病院から連絡を受けて駆けつけた恵子は涙を流したが、気丈に病院関係者に応対していた。やるべきことはたくさんある。清拭が済んだら遺体を自宅に運び、経帷子を着せ、葬儀や火葬場の手配、死亡広告の準備、親類への連絡。儀式が一通り済めば墓地や相続の問題もある。人が一人死ぬと短い間に次々とやるべきことが押し寄せるのは悲しむ時間を与えないようにするためだろうか。忙殺されていたほうが悲しみに浸る間もなく、冷静でいられるのかも知れない。
 「義母がこんな物を持っていました」
 恵子が二人にそっと見せてくれたのは、望子に言われて沢木がケーキと一緒に渡したクリスマスカードであった。二つ折りのカードを開くともみの木とサンタがぴょこんと起き上がり、その下には達哉の筆跡であたたかいメッセージが連ねられている。
 “メリークリスマス。素直になれなくてごめん――俺の大好きなばあちゃんへ”
 「達哉の字です」
 恵子は閉じたカードをそっと胸に抱いた。「きっと達哉が届けてくれたんですね。義母が大事そうに抱いていました」
 「そうですか」
 望子はにこりと微笑んだ。このカードはケーキの予約名簿を元に達哉の筆跡を真似て望子が書いたものである。達哉は大好きな祖母に素直な思いを伝えられぬまま死んでしまったことを悔やんでいた。それを似顔絵から読み取った望子が、達哉の心残りに合わせたささやかなプレゼントとして同封したのだ。
 望子は院内の喧騒から逃れ、たった一人で病院の外の植え込みの段に腰を下ろした。
 (ケーキを待っていたんですね、小夜子さん)
 規則的に吐き出される望子の白い息はちらちらと舞う雪の中へと吸い込まれていく。(楽しい時間を過ごせましたか?)
 何もクリスマスにこじつける必要はない。だが、家族の大事な思い出としてクリスマスという要素が関係しているならば、たまにはこういう話も悪くはない。望子はそう思っていた。
 背後に足音を感じて顔を上げる。病院から出て来たのは沢木だった。
 「風邪を引きますよ。中に入ってはいかがです?」
 「いいえ。もう少しここに」
 望子は音もなく舞う雪を、ほんのりと光る闇の奥を見つめていた。「きっと幸せでしたよね、お互いに」
 「ええ。悔いはないでしょう。お互い、もう長くないと分かっていたのですから」
 「お互い?」
 望子は顔を上げて尋ねる。沢木は前方に視線を据えたまま呟くように言った。
 「あの猫は、達哉くんが生まれた頃から前川さんのお宅に現れるようになったと言っていたでしょう? ということは今は恐らく十七歳前後です」
 猫のほうもそろそろ寿命でしょう、と呟いて沢木は再び空を見上げる。暗い空から絶え間なく落ちてくる白い雪のせいか、遠くにかすむ街の明かりがうっすらとぼやけて見える。
 ふと気付くと、グレーの猫が二人の前方数十メートルの所にいつの間にかちょこんと座っていた。
 「あなた」
 望子は思わず腰を浮かせ、猫に歩み寄っていた。「昨日の――」
 猫は逃げることなく、望子が近付いてもその場にお行儀よく座り続けていた。
 <私は、小夜子おばあちゃんに大変よくしてもらいました>
 不意に、透き通った女性の声が静かに聞こえてくる。目の前の薄汚い猫が語りかけているのだと分かった。
 <だから何か恩返しをしたいと思っていたのですが……今回のことは、私の力だけではありません>
 猫の体からすうっと影のようなものが立ちのぼる。透明な陽炎のようなそれは徐々に形を成し、シェトワに現れた前川達哉の姿へと変貌を遂げた。
 <俺、後悔してたんだ>
 陽炎の達哉はそう言って涙を流した。<ばあちゃんが俺のこと愛してくれてたって、死んだ後にようやく素直に受け入れられたから……>
 「だから、達哉くんが死んだ夜にみんなで食べる予定だったケーキを届けることにしたんですよね? 家族の思い出のケーキを」
 望子の静かな問いに達哉は泣きじゃくりながら肯いた。
 <ばあちゃんが可愛がってた猫のことは知ってたから、一緒に恩返ししようって相談して猫の体を借りたんだ。この猫ももう寿命だったのに、俺のわがままに付き合ってくれた>
 達哉の言葉は望子が似顔絵から読み取った感情通りであった。猫の体から離れた達哉はその場に膝をつき、猫の首をそっと抱く。猫は気持ちよさそうに達哉の腕の中で目を閉じ、ゴロゴロと喉を鳴らした。
 <ケーキのお金のことは申し訳なく思っています>
 やがて目を開いた猫が言った。<私たちの力では本物のお金を用意することはできなくて……やむを得ず、幻術の類を使ってお金を準備しました。ケーキ屋さんには本当に申し訳ないことをしました>
 「それでケーキは完売したのに売上金が足りなくなったんですね」
 沢木は軽く髪の毛に手をやって呟いた。その後でにこりと微笑む。
 「どうかご心配なく。お金は僕が立て替えておきましょう。ケーキ三つ分の代金くらい、私費でどうにでもなります」
 <ありがとうございます>
 猫の目がぎゅっと閉じられ、そしてまた開かれた。濁りかけた眼球の上を濡れた膜がうっすらと覆っていた。
 <本当に……ありがとうございました>
 猫と達哉の声が重なる。達哉は猫を抱いて立ち上がり、猫は達哉の胸に体を預けて目を閉じた。
 一瞬、びゅうと強い風が拭いて望子と沢木は反射的に目を閉じる。
 風がおさまったときには達哉の姿はなく、ただ老いた猫の死骸がその場に横たわっているだけだった。



 猫の死体はダンボール箱に入れて恵子に渡し、前川家の庭に埋めてくれるように頼んだ。恵子は最初は戸惑っていたが、事件の真相を話すと快く承諾し、猫を連れて帰ってくれた。
 「無事に解決しましたね」
 車に戻りながら望子は軽く伸びをした。これで大事な“準備”に専念することが出来る。
 「ええ。また助けられてしまいましたね」
 「これが私の仕事ですから」
 「ビジネスライクなことで」
 沢木は軽く苦笑する。「ビジネスついでに、いかがです? 捜査協力のお礼と、事件解決のお祝いにお食事でも」
 「せっかくですが、遠慮いたします。準備がありま――」
 言いかけて望子は慌てて口に手を当てる。冬コミの準備で忙しいとはこの場では言えない。沢木は「準備?」と不思議そうに問うたが、やがてふふっと微笑んだ。
 「そうですか。残念です」
 そして糸のような目をさらに細める。「不動さんのような若い女性には色々とご予定もあるのでしょう」
 意味ありげな言い方には意味があるのか、ないのか。ふわふわと微笑む沢木の表情からはそれを読み取ることはできない。何かを見透かされているような妙な気分になり、望子は背中にむずがゆさを覚える。
 「ああ、そうそう。忘れるところでした」
 望子を本庁に送り届けるために車に乗った沢木は体をひねり、リアシートの下に潜ませていた小さな紙袋を取り出した。「ささやかですが、お礼代わりです。メリークリスマス」
 望子は一瞬きょとんとしたが、礼を言って袋を受け取った。中から出て来たのはシェトワのロゴが入った白い紙箱である。沢木に一言断って開封した望子は「あら」と小さく声を上げた。
 出て来たのは、シェトワで見かけたミニケーキとミニタルトの小さな詰め合わせだった。
 「疲れた時には甘い物が効きます。お忙しいのも結構ですが、休憩を挟むこともお忘れなく」
 沢木はにこりと笑ってキーを差し込んだ。「それから、お飲み物も一緒にどうぞ」
 言われて紙袋の中を覗き込むと、確かに赤っぽい缶が下のほうに転がっている。手を伸ばして取り出した望子は目をぱちくりさせた。
 「この季節に冷たいコーラ、ですか」
 そして手の中であの御馴染みの赤い缶を弄びながら尋ねる。沢木はにこりと笑って応じた。
 「僕の思い出の品です」
 「思い出? コーラがですか?」
 「ええ。機会があったらいずれお話しいたしますよ」
 「そうですか」
 望子は軽く微笑んでコーラの缶に目を落とす。「――それじゃ、機会があったら聞いて差し上げましょう」
 “大事な人はいつだって大事。失ってから悔やむのでは遅い。いえ……悔やまないことなどないのかも知れません”。沢木の言葉が望子の脳裏をちらりとよぎった。
 「ええ。お願いします」
 沢木はまんざら社交辞令でもなさそうに言って緩やかにアクセルを踏み込み、静かに車をスタートさせた。 (了)
 

 
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 3452/不動・望子(ふどう・のぞみこ)/女性/24歳/警視庁超常現象対策本部オペレーター 巡査



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■         ライター通信          ■
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不動望子さま


ご無沙汰しております、宮本ぽちです。
二度目のご注文、まことにありがとうございました。

お忙しい中を二係までお越しくださり、ありがたいやら申し訳ないやらです。
達哉の心残りに合わせたものをケーキと一緒に渡すとはこちらでは考えておらず、思わず「なるほど」と手を打ってしまいました。
達哉や小夜子へのお優しいお気持ち…感謝しております。

今後の予定は不透明ですが、またそれらしい事件があったら二係を覗きにいらしてみてくださいませ。
今回のご注文、重ねてありがとうございました。


宮本ぽち 拝