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announcement
「ねぇダンナ様」
声は随分と低い位置から聞こえてきた。
「なんだい?」
そして、それに答える声は高いところから聞こえてくる。
「新婚旅行、楽しみ♪」
下のほうから聞こえる声は、子供らしい高い響きを持っていて、
「そうだねぇ…」
上のほうから聞こえる声は、いかにも中年男性といった低めの声。
「色々行ってみたいわ」
下を見れば、お腹が目に見えて膨らんでいて、
「うん、楽しみだ」
上を見れば、平凡な笑顔が浮かんでいた。
そんなおかしな二人組。
しかし、これ以上ない強い絆で結ばれた二人組。
そんな二人は、今空港のロビーに立っていた。
◇announcement.1
それは、とてもとても単純なお話だった。
あるところに、一人の男と一人の少女がいた。
普通ならば、絶対に出会いそうにない二人。そんな二人が出会って恋をした。
恋は愛へと形を変えて、愛は子供という形を成した。
だから二人は結婚した。誰もが驚いたが、しかし二人には関係のないこと。
だから、二人は新婚旅行へと向かう。
ただ何処かにおかしいところがあるかといえば、夫は何処にでもいそうな平凡な大人で。そして、嫁はまだ庭を駆け巡っていそうな小さな子供であったことだろう。
当然といえば当然なのだが、二人は何処へ行っても親子に間違われる。この二人を見て、誰が一目で夫婦などと分かるのだろうか。
勿論それは空港の受付もそうだった。航空機の搭乗員の扱いもそうだった。
そして、それが小さなみたまにとっては何よりも不満だった。
「ほら、機嫌を直して」
優しいダンナ様の声にも、みたまはむすっとしたままだった。
会う人全てに親子に間違われ、普段は流すみたまも流石に限界がきたのだろう。
子供らしく自分たちは夫婦だと散々喚き散らし、漸く黙って航空機の中。今は太平洋沖、ニュージーランドのあたりを飛んでいる。
「折角の新婚旅行がこれじゃ台無しだよ?」
「…だって…」
納得がいかないのだ、みたまには。
確かに無理があるのかもしれない、自分たちは。しかし、それでも自負がある。誰にも負けない夫婦だという自負が、みたまの中には確かにある。だからこそ怒るのだ。
ポンポンと。そんなみたまの頭を、大きく暖かい手が優しく触る。顔を上げれば、彼がみたまの頭を触っていた。
「大丈夫。私たちは誰にだって負けない夫婦なんだから」
そんなみたまに答えるように、彼は頭を撫で続けた。
漸くみたまの癇癪が終わりを告げ、気付けば時間も日の出前。それに気付いた彼は、ガラスの向こうを見やる。
「ほら、あれを見て」
「わぁ…」
言われるままにみたまが見れば、今まさに太陽が空高く昇るところだった。
雲の上から見る太陽は、遮るものもなくただ燦然と輝いていた。
「私たちの夫婦生活も、この太陽と同じで始まったばかりだ」
目を輝かせるみたまの頭をまた小さく撫でて、彼はそんなことを言った。
それから暫く、みたまはずっと眼前に広がる金色の光景に見入っていた。そんな彼女を見ながら、彼は一人考える。
(…さて、これで見えているはずだが)
彼の考えていることなど、みたまは知る由もない。
今、航空機は南緯47度9分、西経126度43分というところを飛んでいた。
少しホラー小説に詳しいものであれば、或いはすぐに分かる事かもしれない。しかし、みたまは何も知らない。
嘗て一人の男が、その海底にあるものが眠っているとした場所。まさに南緯47度9分、西経126度43分というその地。
(お披露目はこれにておしまい)
そうして、彼は海を見る。ただ蒼い光景がそこには広がっていた。
一見すればただの海。しかし、彼は知っている。そこにあるものを。
(また何かあれば、その時に)
また心の中で一人呟いて、彼と彼女はその地を離れていった。
その意味を知るのは、やはり彼一人だけ。
◇announcement.2
「到着ー♪」
軽い足取りで、二人は空港へと降り立った。随分と久々に大地を踏みしめるような、そんな感覚。
「ふむ、まさかこことはね」
彼は、軽い驚きを隠そうともせずにそう言った。勿論、その顔には変わらない笑顔を浮かべながら。
「言ったでしょう、行きたいところがあるって」
そして、みたまもまた笑うのだった。
「暫くぶりだけど、ここの華やかな空気は何時でも変わらないねぇ」
「そうね、それがいいところなんでしょうけど」
あの日迎えてくれたリムジンはない。その代わりに二人が乗り込んだのは、いかにもなタクシー。
「さて、何処へ向かうんだい?」
「まずはホテルに荷物だけ置いて、その後は勿論凱旋門よ♪」
それはいいね、などと楽しげな声。そう、二人は初デートと同じ、フランスはパリへときていたのだった。
「ホント、変わってないわねー」
乗っているものにリムジンとタクシーという違いはあれど、その窓から見える光景になんら変化はない。季節の流れはあるものの、違うものといえばそれくらい。後は、みたまのお腹が小さいか大きいかくらいのもの。みたまには、それが何故か嬉しかった。
そんな彼女を見ながら、彼もまた嬉しそうに笑う。
一度ホテルへと寄り、二人が凱旋門へとつく頃には既に夕方だった。
「ダンナ様見て、凄い!」
「うん、そうだね」
凱旋門から眺める夕陽。少しずつ落ちていくそれは、二人を包み込むかのように輝いていた。
以前一人夢中になってしまった彼に怒った彼女も、今回ばかりはそれに見入る。言葉もなく、ただじっと。
「ねぇ、ダンナ様」
「ん?」
不意に、みたまが彼を見つめながら呟く。黄昏時の独特の暗さで表情は見えなかった。
「この子が産まれたら、またこの光景を見にきたいわ」
しかし、彼にはわかる。きっと、彼女は今笑っているだろう。
だから、彼も彼女には見えない笑顔で答えた。
「そうだね。きっと喜ぶよ」
二人は、その足でやはり前と同じようにシャンゼリゼ通りへとやってきていた。
イルミネーションが、夜の闇の中で独特の輝きを見せる。キラキラと輝くその中を、二人は歩いていた。
「昼と夜じゃ全然違うのね」
「そうだね、それがまた面白い」
「うん、だけどあのジェラートまた食べたかったなぁ…」
残念そうな呟きに、大きな掌がその頭を撫でる。流石に時間が時間だけに、あの日あったジェラート屋はもう閉まり、あの日写真を撮ってくれた人も当然ながらいなかった。
「じゃあ、あそこに入ろう」
まだ名残惜しそうな彼女を撫でながら彼が指差したのは、一つの小さなレストランだった。
「いらっしゃいませ」
小さな割には綺麗で店員の接客マナーもいいその店を、みたまはすぐに気に入ってしまった。
元々隠れた名店的なそこは、実は彼が以前こっそりとチェックしていたところでもある。前回は色々あって入れなかったのだが、今回はいい機会とばかりにこの店を選んだのだった。
オーダーなど何も決めていなかったが、以前チェックしていたときに既にそれは決めてあった。
スムーズにオーダーは進み、程なくして並んだ自慢のヴィヤンドやポワソンに、みたまの嬉しい悲鳴が響くのだった。
そんな中で、レストランのオーナーとの会話があった。
「気に入られたようで何よりです。今夜はお二人ですか?」
「えぇ、新婚旅行中なの♪」
「……そうですか、ではごゆっくりどうぞ」
幸せそうなみたまの答えに、オーナーはそれ以上何も言わず笑顔を返して下がっていった。
二人の指に光る指輪は紛れもなく本物であったし、何より二人がとても幸せそうにしていた以上、言う事もなかったのだろう。
「…今夜は早く帰ってやるか」
そんな二人を見て、オーナーがそんなことを小さく呟いたとかなんとか。
* * * * *
お腹を満たした二人がやってきたのはナイトシアター。前回見ることのできなかった映画を、今回は見ようとみたまが言ったのだった。
季節は変わり、当然上映されているものも違う。しかし、内容は以前と同じ恋愛物だった。
チケットを買い、そのまま中へ。夜ということもあって、空席が目立つ。その中を進み、真ん中の特等席へ二人は座る。
周りに人がいないこともあって、映画の音声はとてもクリアだった。
スクリーンの中で、一組の男女が幸せそうに抱き合っていた。
まるで今の二人を見ているような不思議な感覚。それを感じながら、みたまはその小さな手でぎゅっとダンナ様の手を握る。
そうすれば、大きく暖かな手が握り返してきた。
暗い映画館の中、その表情は見えない。しかし、みたまには分かる。
(今、私もダンナ様も笑っているわね)
そう、きっととても幸せそうに。だから、みたまは小さく小さく呟くのだった。
「ダンナ様、大好き」
「私もだよ」
聞こえるはずのない呟きに、彼の声が続いた。
スクリーンの中で、二人の唇が重なる。
同じように暗い光の中で、小さな影と大きな影が重なった。
愛を囁く声が重なる。二人の恋は、まるで映画のそれを見ているかのよう。
「大好き」
「私もだ」
同じ短い言葉の後に、また唇が重なった。
「んー…内容覚えてないわ…」
「ははっ…私もだ」
そんなことを二人で言い合って、お互いに笑いあう。
前回と違って眠りに落ちることはなかったのだが、二人は上映中ずっとキスを交わし、愛の言葉を交わしていた。
当然スクリーンを見ているわけなどなく、結局前回と同じ結果となってしまったのだった。
「今度来るときはちゃんと観ないといけないわね」
「全く。じゃないとお金の無駄遣いだ」
そして、またどちらからとなく笑うのだった。
なんでもないことが、今は何よりも面白かく、嬉しかった。
「さて、遅くなってしまったね」
「えぇ、じゃあホテルに戻りましょうか」
手を繋ぎあい、二人は歩き始める。
「明日はあの美術館に行かないといけないわね」
「グラン・パレかい?」
「うん、そこ。その後は…ブルボン宮ね」
「随分と前回と同じところに拘るんだね」
そんな当然の質問に、みたまは笑う。
「当然じゃない、私たちの夫婦姿をお披露目しないといけないんだから」
「あははっ…それはいい」
その答えに、彼も笑う。そんな姿が嬉しくて、また彼女も笑った。
「今度はあの警備員にも見せ付けてやるんだから」
「でも銃は振り回しちゃいけないよ?」
「もう、その話はやめて。ちょっと恥ずかしいんだから」
そして、再び笑い声。
誰にも負けない新婚夫婦の新婚旅行は、まだ始まったばかり。楽しい時間はまだまだ続くのだ。
<END>
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