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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

 年が明け、松も取れた良く晴れた日。
 少し大きめのバッグを持ったシュライン・エマは、すっかりなじみになった小路を歩き太蘭(たいらん)の家へと向かっていた。
 太蘭とは、知り合いの忘れ物を家まで取りに行ったことが縁で知り合ったのだが、今では家で飼っているたくさんの猫たちと遊ばせてもらったり、お互いで手作りした物を交換したりする程の仲だ。
 刀剣鍛冶師が仕事であるはずなのだが、太蘭が刀を打つのは気が向いた時だけらしく、いつ行っても猫が出入りできるように玄関の引き戸は薄く開けられており、悠々自適の生活をしているようだった。
「こんにちは」
 戸を開けて奥に向かって声を掛けると、太蘭と一緒に玄関に出てきた猫たちの中に見慣れない黒の子猫がいた。他の猫たちと比べると何だか違和感があると思っていたが、その子猫の首輪にはポインセチアの造花がつけられていて、尻尾が二つに分かれている。
「あら、猫ちゃん増えたのね…ご挨拶に来てくれたの?」
 緑の目の黒猫は「んにー」という特徴的な声で鳴きながら、首をかしげてシュラインを見上げる。太蘭はそれをひょいと片手で抱え上げた。
「年末に家に来たばかりの村雨(むらさめ)だ。猫又だがこうしていると普通の猫と変わらんが、悪さをしたら叱ってやってくれ」
 そのまま手渡された村雨をそっと抱きながら、シュラインは嬉しそうに微笑んだ。ここにいれば餌に困ることも、悪いことをすることもないだろう。喉をゴロゴロ鳴らしているのを見ても、他の猫と何も変わりがない。
「よろしくね、村雨ちゃん」
「んにぃ」
 本当はもっと猫たちを堪能したいのだが、今日の用件は別だ。
 廊下から居間の方に通されると、そこにはこたつと火鉢が置いてある。
「シュライン殿、今日はわざわざすまないな」
 そんな事を言われ、シュラインはバッグから割烹着を出しながら小さく首を横に振った。
「いいのよ、私も太蘭さんから電話もらって、今日はちょっと楽しみにしてたから…作業はここでやる訳じゃないのよね」
「ああ。猫たちが覗き込んだりして大変なことになりそうだから、蔵の方で作業しようと思う」
 今日シュラインがここに来た理由。
 それは『キムチの仕込みを手伝って欲しい』という、太蘭からの電話だった。普段の漬け物などは台所や縁側で作業しているのだが、キムチは唐辛子やネギなど猫にとって刺激物や、牡蠣やスルメなどあまり食べさせたくない物も使うので一人では手が追いつかないらしい。それじゃなくても普段ぬか床をかき混ぜる所に来ては、くしゃみが止まらなくなったりしているそうだ。
 漬け物は少なく作るよりも、少し多めに作った方が美味しく出来るのをシュラインも知っているし、それを手伝うのは面白そうだったので二つ返事で承諾して今に至る…という訳だ。
「向こうの方に必要な物は準備してある。地下は書庫などになっているが、地上はすっかり食料の保存庫だ」
 いつも開けている玄関に鍵を掛ける太蘭の後ろを歩いて、シュラインはいつも窓から見ている庭の方に出た。元々この家は家だけではなく庭も広いが、そこには蔵だけでなく隅の方に刀を打つためのタタラなどがある。庭の木は葉を落としているが、ちゃんと掃除をしているのか落ち葉は一カ所に集められていた。
 重そうな扉を前に、シュラインは今日の予定を聞く。
「今日作るのは、何のキムチかしら」
「大根が安く手に入ったから、カクテキを漬けようかと。あと、味噌を樽から瓶に移すのはいいとして…もう一つはシュライン殿は苦手かもしれんな」
 苦手…とは何だろうか。
 食べ物に関して苦手な物があるという話は、太蘭とはしていなかったはずなので、少し首をかしげながらシュラインは蔵の中に入った。電気が通っているので灯りもつくし、壁には色々な樽が並んでいる。蔵独特の懐かしい香り。
「私、結構匂いのキツいものでも平気よ。流石にシュールストレミングとかは無理だけど、もう一つが何なのか聞きたいわ」
「鮒寿司を頂いたんだが、匂いが苦手でなければ、それを食べるぶんだけ小分けにするのを手伝って欲しいかったんだが、あの匂いは好きずきがあるからな。俺は好きだが、万人受けはしないし」
 なるほど。
「確かにあの酸味と匂いは苦手な人は多いかもね」
「シュライン殿は?」
 にっこりと笑い、シュラインは一つ頷く。
「私は大丈夫だから、それもお手伝いさせてもらうわね」

 カクテキの方は、大根を少し干してから一口大に切り塩水につけ…という下ごしらえの部分は太蘭がやってあったおかげで、時間のかかることは少なそうだった。
「じゃあ青ネギを三センチぐらいに切って、ざるに入れておいてくれ。俺はニンニクのすり下ろしを作ろう」
 大きなまな板に、良く切れそうな包丁が置かれている。それを手に取り、シュラインは手際よく青ネギを切っていく。太蘭がやっているすり下ろしの方も皮などは剥いていたので、お互いのテンポが分かればかなり早く出来そうだ。
「キムチって自分で漬けるの初めてだわ」
 唐辛子の粉などをちらっと見て、シュラインはワクワクとこれからのことを考える。普段スーパーなどで売っているキムチは辛みが強いが、牡蠣やアミエビ、スルメなどと一緒に漬けられたキムチは、きっとまろやかなうまみのある辛さだろう。炊きたてのご飯と一緒に食べることを考えると、今から楽しみだ。
「そうか。なら出来上がったら、真っ先に教えないとな。一緒につけ込む牡蠣も、味わい深くて飯が進む」
 瓶に入れた大根に唐辛子をまぶし、別のボウルでニンニクや生姜、アミエビなどを塩で味を調えながら混ぜ込んでいく。
「この手順を覚えておけば、キムチって大体作れるのかしら」
「いや、キュウリを使ったオイキムチは漬かりが早いから、アミエビとかは入れずに食うぶんだけ漬けるのがいい。その代わり、ニラを入れたりするな」
「ふーん、オイキムチも自分で作ったら美味しそうね」
 そういう知識を聞くのは、シュラインとしてはかなり楽しかった。大根とアミエビ類を合わせ、最後に牡蠣が崩れないようにそっと混ぜ込むと、後は蓋をして終わりだ。白菜キムチだと重石を乗せるが、カクテキは蓋だけでいいようだ。
 キムチが終わったら今度は味噌の詰め替えだ。木の樽に入っている味噌は夏から仕込んでいた白味噌だ。樽の蓋を開けると味噌の良い香りが立ち上り、シュラインの表情が思わず緩む。それを見た太蘭が、木のへらで少し味噌をすくって差し出した。
「味見するか?」
「ありがとう。楽しみだったのよね、太蘭さんのお味噌…美味しそう」
 市販の物とは違うので、所々大豆の粒が残っているのも手作りの良い所だ。昔ながらの味噌ということで保存のために塩気は少し強めだが、うまみがやっぱり段違いだ。みそ汁だけではなく、キュウリなどにつけて食べても美味しいだろう。
「お裾分け用にタッパーを買ったから、それに入れて持って帰るといい」
 ビニールに入れて持って帰るつもりだったのだが、太蘭はわざわざ入れ物を用意してくれたらしい。タッパーなら今度返す時に何かまた入れてきてもいいだろう。
「あ、後で戻った時に、私もピクルスとゆずの砂糖漬け持ってきたから、色々交換しましょ。もらったお味噌でゆず味噌も良いわね…何だか楽しみ」
 シュラインと太蘭には、小さな共通点がある。
 それは色々な食べ物を手作りするのが好きなことだ。太蘭は漬け物や味噌、梅干しや干し柿なども作ったりしている。それと同じように、シュラインも季節の果物でジャムや果実酒を作るのが好きで、色々な集まりなどに持っていったりするのだが、手作りが好きな者の共通点として『作った物をどう消費するか困る』事がある。
 果実酒などは少し多めに作った方が味がまろやかになるし、季節に安く出回るとついウキウキとして色んな物を作ってしまうのだ。太蘭もたくさん漬けた白菜などを、近所に配ったりしているらしい。
 そんな話をしながら味噌の移し替えを済ませると、太蘭はふうっと溜息をついた。
「さて…鮒寿司を移すか」
 これが一番大変そうだ。プラスチックの樽はさほど大きくないが、それでも一人分にしては多いだろう。スーパーで売っている密閉用のジッパーが着いたビニール袋を用意し、シュラインも思わず息を飲む。
「結構多いわね」
「ああ。刀剣関係の知り合いから頂いたんだが、本来は夏が旬らしい。匂いが苦手だったら外に出てもいいから」
 夏にこの作業は大変そうだ。
 重石と落とし蓋を取り竹の皮を剥ぐと、ペースト状になった飯粒と共に独特の発酵臭が漂ってきた。これを腐敗臭と思う者もいるようだが、シュラインは太蘭が取り出す鮒を入れられるように、横からビニール袋を出して手伝う。
「鮒寿司ってお椀に入れてお湯をかけてお吸い物にすると、頭や尾も柔らかくなって食べやすくなるのよね」
 それを聞いた太蘭が、ほんの少しだけ目を丸くした。
「ずいぶん詳しいな。外国の人は苦手な人が多いのだが」
「私育ちが日本なの。だからこういうの大丈夫で…でも、これはにゃんこ達がいる所でやったら、きっとパニックになっちゃって大変そうね」
「だな。好奇心猫を殺すと言うが、刀が置いてある部屋には近づかないのに、毎度毎度ぬかみそに近づいてくるから、これを台所でやったら大変なことになりそうだ」
 そう言いながらも微笑ましそうに口元を上げている太蘭を見て、シュラインも同じような気持ちになる。おそらく構って欲しくて近づくのだろうが、太蘭としては心配なのだろう。
「ずいぶん長いこと手伝ってもらってしまったな。手を洗ったらお茶でも入れよう。まず縁側に物を置いて、そこから台所に移すか」
 話しながらやっていたのと、蔵の中にいたので時間を忘れていたが、結構な時間が経っていたようだ。全てが終わって外に出た時には、日が西に傾いていて地面に長い影を作っている。裏口にある水道で手を洗ってから玄関を開けると、待ちわびたというように猫たちが一斉に廊下を走ってやってきた。

 居間でこたつに入ってお茶と栗羊羹、自家製の梅干しを食べながら、シュラインは持参してきたピクルスとゆずの砂糖漬け、そして梅酒の入った瓶を差し出した。太蘭からは今日移したばかりの味噌と梅干し、そして縁側に干していた干し柿だ。鮒寿司は帰る直前まで猫が興味を示さないように、冷蔵庫にしまってある。
「干し果物って、細かく刻んで和漬け物と一緒に炒め物にすると美味しいのよね。太蘭さんのお家って、干し柿似合いそうだから何か嬉しいわ」
 発酵が進んで酸味がきつくなった漬け物は、炒め物のアクセントとして調味料に使うと美味しく食べられる。そんな話が珍しいのか、太蘭は興味深そうに聞いていた。
「そうなのか。いいことを聞いたので、今度試してみよう…作りすぎるとそういうこともあるからな」
 猫を撫でながら太蘭がふっと笑う。その様子を見て、シュラインはあることを思い出した。
「そういえば太蘭さんって、根付にも詳しいのかしら」
 初めて太蘭の家に来た時に猫の根付を見たのを思い出し、話を聞いてみたいと思っていたのだ。
「詳しい…というか、彫刻が施された『型彫り根付』などは色々持っているな。それがどうか?」
 そう言いながら太蘭は立ち上がり、奥の方から小箱を持ってきた。それを開けるとそこには象牙や木などに彫刻された根付が色々と入っている。その小さな猫やカエルなどを見て、シュラインはこんな事を話し始めた。
「職業名だけで誤解される事が多いから、大っぴらには言ってないけれど、私ゴーストライターの仕事も受けてて…その仕事で以前少し触れた時に色々な細工やカラクリ物とかが新鮮で、ストラップの前身との話も不思議な感じで楽しかったの」
 太蘭は箱から根付けを出して並べながら、その話を聞いている。
「ここに初めてお邪魔した時、猫の根付見てからお話伺ってみたいなって思ってて」
 印籠や煙草入れなどを、組紐で帯につるして落とさないようにするために、留め具代わりに使ったものだ…という話は知っていた。だが、太蘭はそれ以外の話を教えてくれる。
「元々根付は男性の装身具だったんだ。着物だとポケットがないから、帯にかけるという意味だったらしい。きざみ煙草が庶民の間に広がったことで、文化として発展していったんだ…今は女性用の小さな根付が多いが」
「そうなの?」
「ああ。男性用の根付は女性用と違って、ある程度大きくないと細い帯にかからない。外国では小さく精巧な彫刻ということで、浮世絵と同じように人気ある美術品としてもてはやされているし、コレクターも多い」
 確かにこんなに小さな彫刻は、外国では見かけない。象牙で出来ている眠り猫も小さく精巧で、シュラインの近くで目を閉じている白猫の一文字のようだ。
「太蘭さんは他にも集めてるものとかあるのかしら」
 根付の話だけではなく、色々と聞いてみたいことはある。
 太蘭も自分が興味あることを聞かれるのが楽しいのか、目を細めている。
「最近は蒔絵だな。陶磁器が『チャイナ』と呼ばれているように、漆器は『ジャパン』と呼ばれてて、それに施される蒔絵に心惹かれる」
「今度そのコレクションも見たいわ。見所とかも教えて欲しいし」
 またタッパーを返しに来た時にでも、ゆっくりと話を聞かせて貰おう。
 根付を一つ一つ見ながら話し込んでいる二人に、村雨が「んにー」と一声鳴き、ゆったりとした時間が流れていった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
猫にとって危険な仕事を太蘭と一緒に…ということで、キムチを漬けたり鮒寿司を移し替えたりしていただきました。鮒寿司は猫が走って逃げますね。
お互いが作ったものを交換したり、根付の話をしたりと、シュラインさんと太蘭は色々話が合いそうです。ここの家は家ごと骨董品みたいなので、見ているだけで楽しいと思います。
リテイク・ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。