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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ある日の草間興信所〜師走の一幕〜



 クリスマスも終わった年の暮れ。
 東京の街は駅の周辺と極一部を除いて全体的に閑散としていた。世は俗に言う帰省ラッシュの頃である。
 休日といえば人で賑わい跳ね上がるカラオケボックスの値札が、年末年始は大暴落するのも東京に人がいない事を物語る。
 都内の大手デパートは今日を最後とばかりに店を閉め、一月一日0時の福袋商戦に向けて嵐の前の静けさを保っているかのように息を潜めていた。
 そんな次第で、普段でも人通りの少ない裏通りは、いつにも増して寂しく、寒風に枯れ葉が乾いた音をたてて足下を通り過ぎていった。
 直江恭一郎が足を止めたのはその裏通りにある古びた雑居ビルの前。空っぽのフロアが見える1階のショーウィンドウにはテナント募集中の貼り紙。どうやら、このビルの半分は空いているらしい。
 彼は肩を竦めつつその一室へ向かった。
『草 興信所』
 文字の欠けたネームプレートの前で一つ息を吐く。以前来た時からずっとこのままだ。なおす気がないのか、或いはその為の費用の方がないのか。
 恭一郎はその扉をノックも適当に押し開けて、そのままきっかり十秒固まった。
「あら、いらっしゃい」
 机の上で背伸びをしながら、戸棚の上のバインダの整理をしていたシュラインが彼に気付いて声をかけるまで。
 …………。
 恭一郎は女性があまり得意ではなかった。勿論それは、男がいいという意味では断じてない。ただ、彼のこれまでの人生で母親を含め、とにかく女性と接する機会が少なかった事が起因しているようだ。女性をどう扱っていいのかわからないのである。その為、女性と相対すると、まるで中坊のような、いや、今時そんなウブな中坊もいないだろうというくらいの反応を示してしまうのだった。動悸、息切れ、眩暈、etc. それでも最近は随分マシになった方なのである。
 そんな次第で今回ものっけからやられてしまったらしい。
 扉を開けると机の上に、膝上のタイトスカートからすらりと伸びる二本の綺麗な足が、いきなり、何の前触れもなく視界の中に飛び込んできたのである。
 顔を真っ赤にして、呆けたようにドアの前で立っている恭一郎に、シュラインはやれやれと肩をすくめて机を下りた。
「お、客か?」
 奥から、この興信所の所長、草間武彦が顔を出す。クールを装ってはいるが、その声はどこか嬉しそうだった。
「な…何を……?」
 やっとの事でそれだけ言うと、シュラインが笑って応えた。
「今、大掃除をしてたのよ」
 言われて初めて見回すと、そこここは雑多にダンボールで床が埋めつくされていた。大々的な大掃除の真っ只中に来てしまったらしい。
「どうしても、綺麗な気持ちで新年を迎えたいっていう誰かさんの意向でな」
 武彦は今にも舌を出しそうな、辟易とした口ぶりで付け加え、恭一郎を出迎えた。
「俺の心はいつでも綺麗なのに」
 なんて嘯きながら破顔する。
 これで掃除から解放されるといわんばかりの顔付きだ。
「あら、部屋が綺麗になったら気持ちいいじゃない。直江さんもよかったら手伝ってって」
「はぁ……」
 半ば呆気に取られて頷くと、武彦は何とも複雑そうな顔で恭一郎を見やった。
「何しに来たの?」
「あ……、良かったらどうぞ」
 尋ねられて初めてここへ足を運んだ理由を思い出す。
 恭一郎は慌てて手に持っていた紙袋を差し出した。
「職場の余りものですけど……」
 武彦が紙袋を受け取ると、やけに重い。
「職場?」
 シュラインは首を傾げつつ興味顔で机の上に置かれた紙袋の中を覗く。
「缶……詰?」
 それを中から取り出した。カニの缶詰から始まって、うにの瓶詰めだの、大岩井のバターだのが山のように出てくる。
 見るからにお歳暮の残りっぽいそれらにシュラインが恭一郎を振り返った。
「職場って……確かオフィスビルの夜間警備だったわよね?」
 そう記憶しているシュラインの問いに、恭一郎はすっと視線をそらせた。どうやら違うらしい。
「今は何をしているの?」
「…………デパートの警備を」
「デパート!?」
 そんな女性の多そうな、と内心で突っ込む。くどいようだが、彼は女性が苦手なのだ。しかしなるほど、それで缶詰の山なのだ。ディスプレイ用やら何やらで余ったのだろう。だが、デパートは客にしても従業員にしても女性が多い上に、女性の下着売り場なんてものもまであるのだ。ちゃんとやっていけているのだろうか。
 シュラインはさりげなく恭一郎との距離を縮めてみた。
 いつもは1m以内に近寄るだけで磁石の同極同士を近づけた時のように、一定の距離を保とうと、あからさまに逃げていた彼である。あんまりちょこまかと逃げるので、つい面白くなって、彼を部屋の隅へと追い込み、ソファーのこっちと向こうで睨みあった事もあった。しかしどうだろう、今日は彼の直径1m以内に踏み込んでも、恭一郎は逃げるそぶりもみせなかった。若干腰がひけているように見えなくもないが、以前に比べれば格段の進歩である。
 それなりに頑張ってるのかしらね、なんて感心しているシュラインに、おもむろにカニ缶を二つ取って武彦が差し出した。
「俺、かに雑炊でいいや」
「は? かに雑炊って……って、もうお昼か。しょうがないわね」
 溜息を吐き出してカニ缶を受け取ると、シュラインは直江を振り返る。
「勿論、直江さんも食べていくでしょ?」
「え?」
「ねぇ?」
「…………はい」
 半ば気圧されつつ直江が頷いた。
 それに満足そうに笑みを返ししてシュラインは今にも鼻歌を歌わん態でカニ缶と紙袋を手に台所へ消える。もしかしたら、カニなんて何年ぶりかしら、なんて思っているのかもしれない。草間興信所の会計事情を考えれば、それはいた仕方のない事であった。
 応接用のロビーのソファーに腰を下ろして、武彦はタバコを一本取り出すと火を点けた。
 紫煙をくゆらせ、のんびりと息を吐く。
「これで掃除要員、一人確保だな」
「…………」



   ◇



 程なくして、空腹を刺激する芳しい香を漂わせながら、かに雑炊が完成した。シュラインは、武彦と恭一郎が寛いでいるロビーの応接用テーブルの真ん中に鍋をドンと置いて、おたまで、一人分づつよそい分けた。
 武彦に手渡して、恭一郎に手渡した時、狙っていたわけでもなかったが互いの手が触れた。
 しかし恭一郎には珍しく、彼はこれといった動揺を見せずに茶碗を受け取って、「いただきます」と小さく頭を下げただけだった。
 ―――ほほぉ。
 内心シュラインは感心する。
 どうやら彼は本当に女性に慣れてきたらしい。
 シュラインは自分の分の雑炊をよそうと、無造作に彼の隣に座った。距離にして10cmといったところだろうか。
 向かいの席で武彦がやれやれと肩を竦めながらも、その光景を暖かく見守りつつ、雑炊に舌鼓を打っていた。
 恭一郎は別段、距離を取るような素振りも見せず、最初に座っていた位置からずれる事もなく、黙々と食べていた。
 ―――どこまで平気になったのかしら。
 いたずら心がむくむくと沸きあがる。
 シュラインはれんげで雑炊を口へと運びながら、恭一郎の方を盗み見た。彼はふうふうと息を吹きかけ冷ましながら雑炊を頬張っている。
 そんな恭一郎にシュラインはそっと肩に手を伸ばしてみた。
 強張る体にギクシャクとぎこちなく動く。全身に走る彼の緊張が、触れた手からこちらまで伝わってきそうだった。頬の辺りをピクピクと引き攣らせながら、彼はしかし雑炊を黙々と食べ続けている。もしかしたら、食べることに集中していないと取り乱してしまう、と当の本人は思っているのかもしれない。
 向かいの席で武彦が、気の毒にと苦笑を滲ませていた。とはいえ、助け舟を出してやる気は全くないらしい。
「だいぶマシになったみたいねぇ」
 シュラインはしみじみとした口ぶりで、恭一郎に伸ばしていた手を離した。
 恭一郎があからさまにホッとしたような安堵の息を吐く。
 それで気が抜けたのか。
 それまで何とか顔に出さないようにしていたのだろう恭一郎の顔が、見る見る赤らんでいくのを、シュラインは半ば呆気に取られたように見返していた。
 恭一郎が口元を手の平で覆い隠す。
「あらあらあら」
「勘弁してくれ……」
 照れたように視線を雑炊の鍋に注いで恭一郎が呟いた。
 シュラインは困ったような顔を武彦と見合わせて肩を竦めるしかない。


 ―――結局、改善はまだまだ先みたいね。暫くはまだ遊べ……もとい、彼が女性に慣れるための手助けをしてあげなくちゃ。


 そんなシュラインの内心が恭一郎に聞こえていたなら、もしかしたら彼は、余計なお世話だ、と思ったかもしれない。
 だが現実にはそんな思惑は彼には届かず、かくて試練はまだまだ続く。
 食後のコーヒーの後にはこれまた別の試練も待っているのだ。この床を埋めるダンボールとゴミ袋の山。昼食とコーヒーで強いられる重労働。

 クリスマスも終わった年の暮れ。
 今日も草間興信所は大掃除で大忙しなのだった。



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