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<東京怪談ノベル(シングル)>


夜の魔法




 街中が賑やかな風景を描き出す。
 降誕祭。神の子の誕生を祝うのが本来の目的である、聖なる夜だ。が、そこにある真たる意味など、大半の人間にはおよそ係わりのないものなのだ。日本という国には、神だの仏だのと、実に節操の無い人間が多く住んでいる。
 しかし。考え、真言はふと目にしたショーウィンドーの前で足を止める。
 日本人は、恐らく、祭りというものが好きなのだ。ゆえに、何かにつけて祭りの賑わいの中に身を置こうとするのだろう。
 事実、真言もまた例外ではない。
 沸き立つ空気に織り交ざろうという気にはなれそうにもないが、その空気に触れてみるのは嫌いでもない。が、それに対峙した時に感じる何とも言い難い違和感――否、腰の落ち着かない、居心地の悪さとでも言うのだろうか。それを覚えるのも、また、確かな事だ。
 しかし、店頭には、その時期ならではの品々が煌びやかに飾られたりもする。
 真言が足を止めたショーウィンドーは、和小物を取り扱っている店のものだった。

 何とはなしに踏み入った店内には真言以外に人影は無く、閉めたガラス戸が外界と店内とを明確に区切りしているためか、ひっそりとした静謐ばかりが広がっている。
 手狭な感のある小さな店だ。ともすれば駄菓子屋程度のスペースしか無いような気もする。
 両脇に並べられた和小物を確めて、真言は心の内だけで息を吐く。
 懐具合は、いつもに比べれば多少なりとも余裕を持っていた。――アルバイトで生計を立てている身には、年末年始の休みなどまるで係わりのない話。それどころかその余波を受け、仕事ぶりは一層の多忙を極めていた。それゆえの賃金もまたいつもよりはいくらか増額しているのだ。
 並ぶのは簪や櫛、帯留めやポーチといったものから、和柄の携帯ストラップなど。額面はそれこそピンキリで、学生でも買えそうな手頃なものもあればそうでないものなど、多様に揃えられている。
 店に客が訪れたのを知ったのか、老いた女店主が奥の間から顔を覗かせた。が、彼女は「いらっしゃい」と告げたきりで、それ以外を持ちかけようとはしなかった。こなれたセールストークを苦手とする真言にとり、これはありがたいものだった。
 真言は店主に向けて小さく会釈をし、そして再び視線を並ぶ雑貨の方へと注ぐ。
 奥の間からは小さな賑わいのような声が漏れ出ている。テレビでもつけられたままなのだろう。考えて、真言は視界にかかる前髪を少しばかりかきまぜた。

 和小物など、以前の真言にはまるで縁の無い代物だった。
 それが、今や、何かにつけて目に入ってしまうものとなってしまったのだ。
 簪や櫛の並ぶのを一望しながら、真言はふと眼差しを緩める。
 
 真言が、降誕祭――つまりはクリスマスの只中に身を置いて、そこに所在の無さを覚えるのには、相応の理由が在る。
 
 鼈甲細工の櫛に目を向けて、真言はふつりと目を伏せた。
 櫛や簪といったものには、常だってひとりの女が思い浮かばれる。
 その女は真言が住む街とは異なる場所に住んでいる。いや、真言が身を置く現し世とは異なる世界――現と幽界の境界に在る場所に身を置いているのだ。
 気軽に連絡のつくような相手でもなく、あるいは望む時にいつでも会えるような相手でもない。なにしろ世界が異なるのだから、路が繋がらない事にはそれすらもままならぬのだ。
 小さなため息は腹の奥底だけで落としたつもりでいたのだが、しかし、それは知らずに吐いてしまっていたらしい。
 店主が小さく首を傾げる。
「贈り物ですか?」 
 穏やかな声音が真言を呼ぶ。
 真言は咄嗟に店主を振り向いて、所在なさげに曖昧な返事をした。
 店主は、それきり次の言を告げようとはしなかった。ただにこりと微笑んで、真言の動きを見つめている。
「どうぞ、ごゆっくり」
 そう告げて、それきり口を噤んだのだ。
 店の中に、再び静寂が訪れる。
 鼈甲細工の櫛に手を伸べて、手に取っても良いものかどうか、店主に一応の断りを入れる。店主は言葉なく頷いて、そしてやはり微笑みながら真言の顔を眺めていた。
 櫛には質素な細工がなされていた。額面も手頃だ。
 しかし、と、真言はそれを再び元の位置へと戻した。

 真言の心に浮かぶ女は、名を立藤という。
 立藤と初めての面識を得たのはいつであっただろうか。少なくとも一年は前の事になるだろう。
 初回、立藤は出会って早々、四つ辻の何処かで落とした櫛を探して欲しいのだと告げた。面食らったのは言うまでもない。
 が、思い出されるのは、真言が櫛を見つけて持ち帰った折の、あの笑んだ顔だ。
 華やかで、それでいて穏やかな陽光を思わせるような。
 
 次いで、真言は黒鼈甲の簪に目を遣った。
 以前にも一度目にしたが、やはりその額面には驚愕させられる。懐具合に余裕があるとはいえ、流石に手を伸べるには思案してしまうものだ。
 それでも、いつかはやはり、見事な黒鼈甲のそれを立藤の髪に。
 思いつつ、真言はふと頬を緩ませる。

 何度目かの邂逅を得た後、立藤は、その髪を飾り付けていた簪のひとつを紛失してしまった。――原因は真言にある。
 気に病む事はないと言って笑った彼女に、しかし、真言は新しい簪を贈った。
 女に贈り物をするなど、それまではあまり経験の無い事だった。まして簪の良し悪しなど、真言には知るはずもない。
 さんざっぱら悩んだ後に買い求めた簪は、立藤の黒髪によく映えた。
 あの時も立藤は満面の笑みを見せてくれた。
 初回の時に見たそれよりも、随分と馴染みを滲ませた笑みだった。

 そう。簪はもう既に贈った事のあるものだ。
 考えながら、真言は視線を店内の中に泳がせて、それからふと帯留めの並んでいるのに目を止めた。
 七宝焼きの、夏の花をモチーフとして描いたもので、薄紫色が穏やかな風合いを生み出している。
 シンプルなものながらも、真言の目を惹くその帯留めに、静かに指を伸べる。
 立藤という名は夏に咲く花の名であると、そう聞かされた覚えがあった。
 シンプルながらも品の良さを感じさせる薄紫の風情。それは夏の早朝、天空に架かる光明の色を思わせた。

「それにしますか?」
 ふと声をかけられて、真言は小さな驚きを見せた。
 気がつけば、いつのまにか店主が真言の隣に立っていた。丸みを帯びた背に両腕をまわし、眩しげに眼を細めて真言の顔を見上げている。
「……あ」
 思わず目をしばたかせ、それから改めて帯留めに目を落とす。
 真言の手の中には七宝焼きの帯留めがあった。知らず、それを手に取っていたらしい。
 まるでずっと前にも手にした事のあるような、とてもしっくりと手の内に馴染むそれを、真言はふと頬を緩めながら見つめる。
 店主はやはり何を言うでもなく微笑んでいた。
 奥の間の賑わいは幾分かその勢いを弱め、――まるで真言の様子を窺うように、ひっそりとした空気が流れこんでくる。
 遠く、鈴の音が聴こえたような気がして、真言ははたりと目を持ち上げた。 
 そして鈴の音が聴こえてきたような気のする辺り、つまりは店主が出てきた奥の間の方へと視線を放つ。
 店主は何を語るでもなく、ただ安穏とした笑みを滲ませている。
 ――奥の間と店とを遮っているのは薄い障子戸の一枚ばかりだ。障子の向こうに窺えるのは、
「……四つ辻か」
 呟くのと同時、真言の視界は一息に変容した。
 そこにあるのは馴染み深いものとなった異界・四つ辻に広がる夜の色だ。
 静かに抜ける夜風の声が耳元をかすめていく。
 鈴の音は確かなものとなり、それに合わせて鳴り響く下駄の音までもが流れてくる。
 
 手の中には薄紫色の帯留めがある。
 弾かれたように顔を上げて周りを見るが、そこには先ほどまであった和小物の店は見当たらなくなっていた。店主の姿もなく、代わりに一匹の老狸が夜風に吹かれて立っている。
 ――ああ、そうか。
 そうごちて、真言は不意に表情を緩める。
 真言は、いつの間にか化かされていたのだ。四つ辻に住む化け狸に。
 狸は真言の視線を受け、どこか気恥ずかしそうに瞬きすると、跳ねるような足取りで夜の闇へと身を紛らわせていった。
 狸の姿が完全に見えなくなった頃、真言は背後に立った何者かの気配を覚えて振り向いた。
 否。
 それは紛れも無く立藤のものだった。
 肩越しに振り向けば、そこには立藤の笑顔が待っている。
 真言は少しばかり視線を泳がせた後、包装もなにもされていない、剥き出しのままの帯留めをするりと差し伸べた。
「たまたま行き当たった店で見つけたんだが」
 ぼそりと呟くようにそう述べる。
 受けた立藤は満面に喜色を浮かべ、差し出された帯留めと真言とをくるくると見比べる。
「今日はクリスマスという祭りの日なんだ。……クリスマスには贈り物をするのが慣習になっているようだから」
 だから俺もそうしてみたんだと続けた声は、気恥ずかしさもあってか、次第に小さくなっていった。
 立藤が微笑む。
 鈴の音が小さく夜を揺らす。

 またおいでくださいましね

 遠く、どこかで、店の女主人の声がしたような気がした。   
 
 


Thank you for an order.
Moreover, I am waiting for the day which can meet.

2006 December 25
MR