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<東京怪談ノベル(シングル)>


冬の景色




 森が波を打っている。
 怪奇探偵の通称を持つ(むろん、本人の意思とは無関係にだが)草間武彦所有の車は、未だ新年の賑わいを脱する事なく賑わっている街中を外れ、名も知れない平野の傍に停まっていた。
 助手席側のドアを開けて降り立ったシュラインは、周りの景色と手元の地図とを見比べながら、小さなため息を落とす。
「ねえ、武彦さん。やっぱり道に迷ったみたいね」
 ため息混じりにそう告げると、それを受けた武彦は苦々しげに眉根を顰めてタバコに火を点けた。
「武彦さん、これを使って」
 言葉と共に差し出したそれは携帯灰皿だ。何ら飾りも施されてはいない、大抵のコンビニで普通に陳列されていそうな、シンプルな黒い灰皿。
 武彦はちらりとそれを一瞥し、応える代わりに煙を一筋吐き出した。
「……断っておくが、俺は断じて方向音痴ではない」
「分かってるわ。というか、さっきまでは普通の町を走ってたじゃない。信号を曲がった途端にこれなんて、普通はちょっとありえない話だわ」
 武彦の言に、シュラインはわざとらしく首を竦めてみせる。
「また誘われちゃったのね、武彦さん」
「……ちょっと待て。その、また誘われたっていうのはどういう意味だ」
「そのままの意味よ、怪奇探偵さん」
 憮然として視線を投げてよこした武彦に、シュラインはなんたる事もなしに返した。そうして手にしていた地図を武彦に示して見せる。
 地図には、現在ふたりが立っているであろうはずの位置が記されていない。
 地図が示しているのは都心を外れた、とある県境にある小さな町の存在だ。最新の、案外と事細かに纏め上げられた、分かりやすい地図だ。それが表しているのは町の設備や通りといった類のものばかりで、唐突に開かれた平野の存在など、どこにも描かれてはいない。
 そもそもふたりが事務所を後にしたのは、武彦が口にした、まるでふと思いついただけといったような提案に拠るものだった。
 あいにくと、というべきか。それとも、ちょうどよく、とでもいうべきなのか。
 依頼の舞い込むような気配もなく、また、抱えていた依頼も全て片付いていた。――つまりは”事務所にいなくてはならない”理由のない日だったのだ。
 武彦の運転する車で、車の流れるに任せて、ふたりは目的地も決めずにふらりとドライブに出立したのだ。
 それが、気がつけば、地図にない場所へと辿り着いてしまっていた……というのが現状。
 睨んでみても何ら進展を見込めそうにない地図を閉じて、助手席のシートへと放りやり、シュラインは笑みを浮かべて首を傾げた。
「まあ、いいじゃない。結構素敵な場所みたいだし」
 小さく伸びをして、車中で凝り固まった身体を少しづつ解きほぐす。
 眼前に広がっているのは冬の色で染め上げられた、枯れた平野だ。名も知れない草花が寒々と震え、その上に広がる空はもう夜の気配を色濃く漂わせ、流れる風は冬の凍てついた空気をはらんで低い声音で歌っている。
 弦月が架かってあるのが見える。月ですらも雪で埋め尽くされているのか、その色彩は白々として寒々しい。
 煌々と射る月の光の下で、耳に触れるのは小さく歌う風と葉擦れの音ばかり。
「だが、どうやって帰ったものかな……」
 武彦は後ろの方で周りを見渡しながら、何度目かのため息を吐いた。
「怪奇探偵を招いたものがあるなら、それをどうにかすれば、きっと戻してもらえるわよ」
 シュラインが安穏とした調子で返してやれば、それを受けて、武彦は吸い終えたタバコを携帯灰皿の中へと押し込める。
「……俺はそろそろ飯にしたいんだがな」
 半ば諦めたようにぼやく武彦に笑みを返して、シュラインはゆっくりと歩みを進めた。
 
 月の光は雪のように白々と光り輝いている。それに照らし出された平野は、さながら白を散らした雪原のようだ。
 寒椿が蕾をつけ、冬薔薇がどこからともなく己を主張している。
 色のない冬の平野であるとばかり思えていた風景は、目を凝らせば案外と多彩な色をつけていた。
 空は、今や夜を呈している。白い月より他に何もない、闇だけが塗りこめられた夜の空だ。
 その下を、あるいは月光により創り出されたひとときばかりの雪原の中を、やはり名も知れない鳥が数羽飛び交っている。
 鳥の羽が風を生む。鳥は冬か雪の化身なのかもしれない。
 シュラインは頬を撫ぜた夜風の冷たさに、思わず肩を竦めた。
 その時、ふと、後ろからふわりと温かなマフラーがシュラインの首元を包み込む。振り向けば、そこには武彦の薄い笑みがあった。
 タバコの煙が風によって運ばれていく。
 その行方を視線で追って、シュラインは再びゆっくりと歩き出した。

「ねえ、武彦さん」
 武彦よりも数歩ばかり離れた位置で足を止め、シュラインは肩越しに武彦の方を振り向いた。
「ここって、なんだか時間の流れから取り残されたみたいな場所ね」
「そうか? ここも冬だぞ」
「そうよ。なんだかとてもゆったりとしてて……誰かが描いた絵の中にでも迷い込んだみたいな感じがするわ」
 そう告げて、シュラインは大きく頷く。自分で告げた言葉に、自分自身が納得を得た。
 言葉で喩えてみれば、確かにその通りだという気がするのだ。
 誰かが描いた風景画の中に、何らかの理由で――あるいは、そもそも理由などないのかもしれないが、ともかくも、その中にふらりと迷い込んでしまったのだ。
 そう考えながら、シュラインは改めて周りの景色を確める。

 黒と白、赤、それに枯れた草花と、瑞々しい緑をたたえた草花の色。飛び交う鳥の色は白で、空に張り付く月もまた白だ。
 振り向いて、武彦の姿を確める。
 纏うコートは黒で、くゆらせるタバコの煙は白だった。
 次いで、自分の姿を確認する。買ったばかりの白いコートに黒いブーツ。結いまとめている髪は黒で、月に照らし出されている肌は透き通るような白を得ている。
 ――ああ、やっぱり。呟き、シュラインは小さく笑う。
「帰りましょう、武彦さん。長居は無用だわ」
 踵を返し、武彦の背中を急かすように歩き出した。
「もしもここが誰かの芸術世界の中なら、私たちはその風景の美しさを堪能させてもらった、幸運の持ち主だわ。でも、きっと、いつまでもむやみに留まるのは、きっと、あまり良くない事かもしれないものね」
「? どういう意味だ、シュライン」
 車に乗り込んで、武彦が不思議そうに目をしばたかせている。
 その横に座って、シュラインは意味ありげに微笑んだ。
「このままここに留まったら、もしかしたら私たちまで風景の一部にされてしまうかもしれない、っていう事よ」

 車は再び走り出す。走ってきた道を引き返し、無音の世界を後にして。
 程なくして車が再び町の喧騒の中に放り込まれると、シュラインは思わず振り向き、後ろに流れていく景色を確めた。
 行き交う車、往行する人間達。町中には様々な色や音が満ち広がっている。
 その中で、シュラインは、視界の端で確かにそれを目にとめたのだ。

 町の角に佇む一軒の古美術店。そのウィンドウに飾られた、古びた一枚の風景画を。



Thank you for an order.
Moreover, I am waiting for the day which can meet.

January 4, 2007
MR