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<東京怪談・PCゲームノベル>


Night Bird -蒼月亭奇譚-

 コーヒーと、バターが焼ける良い香りに、小春日和ののどかな日差し。
 そして、世界が終わるのではないかというような深刻そうな溜息。
「デュナスさん、なんだか今日は元気ないですね」
 蒼月亭のカウンターに座り、エビのトマトクリームパスタを力なくフォークの先に巻き取っているデュナス・ベルファーを見て、従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)は心配そうにその顔を覗き見た。
 いつもなら声を掛けられただけでにっこり微笑むデュナスが、今日は少し顔を上げただけでもう一度深い溜息をつく。
「ええ、ちょっと困ったことになってしまって。はぁ…」
「私やナイトホークさんで良ければお話聞きますよ。ね、ナイトホークさん」
 カウンターの中で煙草を吸っているナイトホークも、デュナスがあまりにも元気がないのを見て苦笑いをしながら目の前にやってくる。
「珍しいな。パンの耳と塩スープでも生きていけるデュナスが、こんなに深刻そうなの」
 香里亜がいる所で、そんな甲斐性のないことを言って欲しくはなかったのだが、実際その通りなのだから仕方がない。探偵としての全く仕事がない…と言うわけではないのだが、貧乏神でも憑いているのか、仕事の稼ぎは生活に必要最低限なお金以外、物が壊れたりという予想外の出費で何故か出て行ってしまう。
 それでも今までは、生きていこうと思えば何とかなった。
 だが今回は…デュナスはコップに入った水を一口飲むと、どんよりとした声で溜息の理由を話し始める。
「今日ここに来たのは、ナイトホークさんに相談したいことがあったんです…私、家がなくなってしまうかも知れないんですよ」
「は?」
 デュナスが借りている、探偵事務所兼住居が入ってるビルが売り払われる事になり、立ち退きの期限が迫っていて、早急に引っ越し先を探さねばならない…ということだった。
「………」
 思ったより深刻な話だ。
 その話を聞き、香里亜はコップに水を足しながら何とか助け船を出そうとする。
「あ、でも、立ち退き期限はまだ先なんですよね」
「それがですね、本当はもっと早い時期に通知が来ていたのですけど、封書が郵便受けの奥に引っかかっててすっかり見落としていたんです…なので、早急に立ち退かなくてはいけなくて」
 がっくりと肩を落とすのも仕方がない。不幸もここまで来ると、ある意味ネタだ。ナイトホークも流石にこの状況は深刻だと思ったのか、言葉を探しあぐねている。
「で、俺に相談って何だ」
「ナイトホークさんに相談したかったのは、引っ越し先の物件と引っ越し資金を作るためのお仕事のことなんですよ…」
 日本の賃貸システムは何かとややこしい。
 デュナスが借りていたビルは、不動産屋を通さずに直接持ち主と交渉して借りていたのだが、それでも敷金、礼金、紹介料など、フランスでは理解できないような仕組みだった。しかも、今回は早急に、出来れば今すぐ入れる物件を探したいのだが、外国人にすんなりと貸してくれるところは少ないあげく、敷金などを今すぐ用意できない。下手をすると立ち退き期限日の翌日から、住所不定になってしまう恐れがある。
 重たい空気が蒼月亭の中に漂い始めたときだった。
 入り口についているドアベルが鳴り、それと共に軽い声が入ってくる。
「ぃょーぅ…あれ?どうしたの、今日お通夜?」
 細身で黒字に白く細い線の入ったスーツに、フリルの付いたシャツという姿でやって来たのは、この店の常連である篁 雅隆(たかむら・まさたか)だ。雅隆は空気を全く読まずにデュナスの隣に座り、ニコニコと香里亜に注文をする。
「デュナス君あけおめー、ことよろー。僕、ケーキセットに温かいココアね」
「この浮かれポンチは、どうしてこう空気を読まんのかな…」
 あまりにも無邪気な雅隆に、ナイトホークは嫌味を言う。だが、そんな事は気にせず、雅隆はデュナスを見ながら、素朴な疑問を口にする。
「見えないものは読まにゃい…で、デュナス君はどうしたの?元気ないね。お金ないの?それとも失恋?もしかして国外退去命令?」
 本当に野次馬根性だけらしい。今更何か言ったところで雅隆がマイペースなのは絶対変わらないので、デュナスは自分が置かれている状況を口にした。
 悪魔に魂を売ってでも、この状況を打破したい。いや、この状況が何とかなるのなら、ちょっとぐらい魂を切り売りしても構わない。
「デュナス君はお仕事が欲しいの?」
 じっとデュナスの顔を見ながら気軽にそんな事を聞く。
「はい…というか、仕事だけじゃなくて出来れば引っ越し先も…」
 にぱっ。雅隆が笑ってカウンターに肘を突いた。
「あのね、デュナス君に素敵なお仕事があるんだけど」
 素敵なお仕事…と雅隆が言った途端、デュナスとナイトホークが同時に声を上げた。
「それは何でしょう」
「待て、それは悪魔の契約だ」
 悪魔でも何でもいい。仕事を与えてくれるなら、ちょっとくらい尻尾が見えてても…思わず身を乗り出すデュナス。
「お仕事は一週間ごとのスケジュール制で、週休二日なんだけどフレックスなの。忙しいときはちょっと大変だけど、残業手当も付くし福利厚生ばっちりで、探偵のお仕事にも差し支えないと思う…お得意様とかいるから、いきなり探偵やめられないでしょ。あ、年金と社会保険がついてきて…」
 がしっ。
 雅隆が全てを話し終わる前に、デュナスはその手をしっかり握った。社会保険がついてきて、地に足が着いた仕事なら言うことはない。そもそも探偵業をやっていたのも、日本ではライセンスなしで出来るから…という簡単な理由だ。
「お願いします、ドクター」
 その言葉にナイトホークが頭を抱えるのが見えた。

「……やっぱり安請け合いしてしまったかも知れません」
 ナイトホークに散々「お前は悪魔に魂を売った。俺は責任持たんぞ」などと言われた後、デュナスが雅隆に連れられてやってきたのは、篁コーポレーションのビルだった。IDカードを使わなければ行けない階まで、雅隆はデュナスを連れて行く。
「デュナス君なら大丈夫だと思うんだけど、雅輝(まさき)が一応面接したいって言うからねぇ」
「は、はぁ…」
 その名前もデュナスは知っている。篁コーポレーションの若き社長で、雅隆の弟だ。社長直々の面接とは一体どんな仕事なのだろうか…安請け合いしたものの、仕事の内容について聞いても雅隆は「秘密ー」と言って教えてくれない。
 社長室のドアを雅隆はノックして気軽に開ける。
「雅輝ー、デュナス君連れてきたよ」
「やあ兄さん。相変わらず元気そうだね」
 デスクに座り、書類を見ながらマウスを操っていた雅輝が目を細めた。その近くでは秘書の冬夜が電話をかけている。
 緊張するデュナスに気付いたのか、雅輝は少し笑って椅子から立ち上がった。
「こんにちは、デュナス君。兄さんに騙されてきたんじゃないだろうね」
「いえっ、滅相もない。私がドクターに就職をお願いしたんです」
 やっぱりどうしても緊張する。雅輝に促され、デュナスが応接セットに向かおうとしたときだった。
 何か小さな物が雅隆の顔めがけて飛んでくる。
「………!」
 咄嗟に手を出しつかみ取ると、それは小さな消しゴムのかけらだった。飛んできた方向を見ると、冬夜が小さく舌打ちをしている。
「顔にぶつける気満々だったが、止められましたか…。ボディガードとしては申し分ないですね」
「雅輝ー、冬夜君がまた僕に意地悪するよぅ。消しゴムぶつけられたら痛いんだよ」
 これは一体どういう事なのだろうか。
 唖然としているデュナスの手から消しゴムのかけらを取り、雅輝が困ったように肩をすくめた。
「ああ、兄さんと冬夜はいつもああだから…」
 雅輝の話では、冬夜と雅隆は犬猿の仲だという。と言っても、お互い嫌っているというわけではなく冬夜が一方的に雅隆のことを嫌っていて、名前を呼ぶのも嫌なようで普段から「あの人」とか「お前」などと呼んでいるらしい。
「でも血を見るような事はないから放っておいていいよ。で、兄さんから仕事の内容は聞いたかい」
「それが、『秘密』って教えてもらえなくて…」
 そう言った途端、雅輝がテーブルの上にある菓子に手を伸ばそうとした雅隆を見た。まるで出来の悪いテストを見つかったかのように、雅隆がびくっと反応する。
「兄さん」
「だって、言ったらお仕事してもらえないと思ったんだもん」
 一体何を自分にさせるつもりなのか。
 何だか妙にドキドキしてきた。この緊張感は、日本に降り立った時と同じ感じだ。そんなデュナスの目の前に冬夜が入れたお茶が差し出され、雅輝はふうっと息をつく。そして雅隆は手に取った菓子の包みを開けている。
「あ、週休二日とかの条件は聞いたんです。でも、どこで働くのかだけ教えていただければ…」
 仕事を選んでいる暇はない。それにあんなに良い条件なら、少しぐらい過酷でも困らない。今はとにかく安定した収入と、そして当面の住居だ。
「篁研究所の事務…と言うと聞こえはいいけど、ようは兄さんのお守りが欲しいんだ」
「はい?」
「今まで色々捜したんだけど、兄さんに振り回されるから皆三日持たなくてね…ちなみに三日持ったのはそこにいる冬夜なんだけど、ストレスで胃に穴が開きそうだったから僕が辞めさせた」
「はぁ…」
 主な仕事は研究所での電話対応や書類整理、学会などのスケジュール調整ということだが、冬夜の話ではほとんど雅隆の相手で潰れるらしい。それも「お菓子が食べたい」とか「オスマントルコ帝国の王様『スルタン』の『タン』の部分をひらがなにすると、萌えキャラっぽいよね」とかいう、世界一くだらない話題で。
「引き返すなら今のうちですが」
 冬夜の言葉に苦笑しながら、デュナスは首を縦に振った。
 一体どんな恐ろしい仕事なのかと思っていたが、臨時勤務扱いなので探偵業を平行してもいいということだし、これほどの条件は多分見つからない。それに、仕事が減る冬になると安定した職に就きたくなる生活にも、これで別れを告げられる。
「いえ、私はドクターのこと嫌いじゃないですし、それであんな良い条件なら是非ともお願いしたいぐらいです…でも、一つだけお願いがあるんです」
 さて、仕事は決まったが。
 これだけの条件を提示されておいて、こんな事を頼むのは非常識にも程があるが背に腹は代えられない。
「…お給料を前借りさせていただきたいのですが」
 沈黙。
 雅隆がお菓子を食べながら首をかしげる。
「デュナス君、ギャンブルでお金使っちゃう人?お金返さないと腎臓とか持ってかれちゃうの?」
「違います…ドクターにはさっき言ったはずですが」
「あ、そうだ。デュナス君『家なき子』になっちゃうから、どこか住むところ捜してあげてー」

「いらっしゃいませ、蒼月亭にようこそ。デュナスさん、お帰りなさい」
 面接を終えたデュナスは、その足で蒼月亭にやってきた。香里亜やナイトホークに心配を掛けたまま、雅隆に引っ張られるように出かけてしまったのが気にかかったのだ。
 カウンターの中にいた香里亜が、デュナスの姿を見て安心したように微笑む。ナイトホークもキッチンの方から顔を出し、ベストのポケットからシガレットケースを出した。
「どんなお仕事だったんですか?」
「仕事は研究所の事務で、社長直々に面接していただきました」
「仕事はいいけど、住むところはどうなったんだ?どうしても見つからなかったら、家が見つかるまでの間俺の所に来てもいいぞ、狭いけど」
 それについても何とかなった。
 冬夜の兄が、家が傷むので離れに住む人を捜している…ということで、そこを貸してもらえることになった。ただそれが、一度猫を捜した事がある太蘭(たいらん)だったという辺り、世間は意外と狭かったのだが。
『玄関は別だが、家賃を入れてくれるなら食事は朝夕出してやろう。戸を開けておくと猫が入ると思うが、開けとくのも閉めとくのも自由だ』
 元々持っていた家電製品などでだぶってしまう物はリサイクルショップなどに売って、引っ越しは太蘭達が手伝ってくれるらしい。玄関が別なのと電話回線も引けるので、探偵業に支障もない。
 それを教えると香里亜は安心したように息をつく。
「良かったですね。ちょっと心配してたんですよ…でも太蘭さんの所なら猫ちゃんもいて賑やかですね」
「あ、ありがとうございます…」
 にっこりと笑ったその微笑みを正視できない。デュナスは俯きながら頭を掻いた。
 自分は幸せだ。
 困っていれば心配してくれる人がいて、自分のために何かしようとしてくれる人もいる。日本での生活は楽しいことばかりではないが、それでもここに来て本当に良かった。
「就職と引っ越し先が決まった祝いに、店からサービスしてやるか。香里亜、カプチーノ入れてやれ」
「い、いえっ、お構いなく」
 焦るデュナスにナイトホークと香里亜が笑う。
「お祝いだから遠慮しないでください」
「給料が出たら煙草の一箱も奢ってくれりゃいいよ。さっきは世界の終わりみたいな顔してたからな…ケーキはガトーショコラでいいか?」
「ありがとうございます」
 また、東京での新しい生活が始まる。
 それはきっと大変だろうが、自分を更に成長させてくれるだろう。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
安定した収入先と引っ越しの話ということで、今までの話で繋がりのある雅隆の研究所での仕事と、離れへの引っ越し…という話を書かせていただきました。基本的に縛りはありませんので、探偵業も家の扱いも好きにしてください。
これで「パンの耳と塩スープ」の生活から脱出できるでしょうか。少なくとも食に困ることはなさそうです。
リテイク・ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。