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この素晴らしき、小さな世界(前編)
広い室内一面に広がっていたのは、華蓮が暮らす街であった。
立ち並ぶ高層ビル。縦横に張り巡らされているのは整備された幹線道路と鉄道。その向こうには華蓮が通う高校らしき建物の姿。まったくよく出来ている。見慣れたこの街の姿そのものだ。
ただ――それらが、数千分の一というスケールで作られたミニチュアであるという点を除けば。
「なんや、これ」
ミニチュアの大都市の前に座り込んだ華蓮は正直な感想を漏らし、背後に立った人物を振り返った。「よう出来てるなあ。で、こんなんウチに見せてどないすんの」
「申し上げたではありませんか。“発散していきませんか”と」
頭からゴミ袋のような黒い布をすっぽりとかぶった人物はかすかに笑いを含んだ声で言う。その声はテノール気味のアルト、あるいはアルト気味のテノールといったところか。180センチを超える身長から推察すれば男であろうが、女子高生の華蓮とて187センチなのだから身長で性別を正確に推し量ることはできまい。
「これと“発散”と、何の関係があんの」
華蓮はスカートの裾についた埃を軽く払って立ち上がった。その姿勢からしげしげとミニチュアを見下ろす。一体どういう仕掛けなのか、よく見れば車や電車も動いているようだ。役所の庁舎やその周囲に広がる繁華街や飲食店、図書館、街路樹なども忠実に再現されている。特撮映画のミニチュアだってここまで精密には作られているまい。
軽く膝を折ってミニチュアの上に掌をかざしてみる。この街で一番高いビルは華蓮の指よりも細く、この街で一番の大通りのど真ん中に作られたスクランブル交差点は華蓮の掌の下にすっぽりと収まってしまった。顔を近付けてまじまじと眺めれば建物にはきちんとガラスが張られているし、店の看板なども本物をそのまま縮小したかのようなリアリティで作られている。前方に目を投げれば大きな橋。その下の川にはちゃんと水も流れている。
(誰が作ったんか知らんけど、ほんまによう出来とるわ)
華連は内心で嘆息を漏らす。(ミニチュアとは思えんくらいや。にしても、こうやって見下ろしてると――)
「神様にでもなった気分でしょう?」
内心を言い当てられて華蓮は少々ぎくりとする。口の中にかすかににじみ出した唾液を飲み下すのと、黒布をかぶった人物が音もなく華蓮に歩み寄るのはほぼ同時だっただろうか。
「さあ、松山華蓮さん」
男とも女とも知れぬ黒い人物は華蓮のフルネームを呼び、掌でミニチュアを示した。「どうぞ壊してください。お好きなように」
黒い人物の声には不思議と抑揚がない。それなのにその声はいやにはっきりと華蓮の鼓膜を震わせ、むき出しのコンクリートの壁に乱反射して、尾を引きながら消えた。
なぜ華蓮がこの場にいるのか、話は一時間ほど前までさかのぼる。
「一家五人殺害事件の××被告に、死刑判決が下されました」
学校からの帰り道。夕方の街の喧騒の中で、そのアナウンサーの声だけがやけに大きく華蓮の耳に飛び込んで来た。機械的にニュースを読み上げる女性アナウンサーの声を追って華蓮は足を止め、視線を巡らせる。平面的に並ぶ建物の中に中規模の電器店の姿が見えた。大通りに向かって設置された店頭のショーウインドウには薄型テレビが並び、夕方のニュースを映し出している。
「弁護団は高裁の死刑判決を不当として上告していましたが、今日の最高裁判決で××被告の死刑が確定したことになります。裁判所の前に△△記者が行っています。現場の△△さん、中継をお願いします」
華蓮は足を止め、何気なくショーウインドウの前に歩み寄った。一家五人殺害事件といえば、その凄惨な殺害現場と五人という殺害人数などで世間を震撼させ、メディアを賑わした出来事だ。しかしそれより何より大衆に印象を与えたのは、少年時代に一度殺人を犯したという犯人の経歴と、犯人の不遜な態度や物言いであった。もちろん華蓮もテレビや新聞などでその事実は知っている。
「判決の言い渡しの中で、裁判長は――」
テレビの中でマイクを握った男性記者は手元の資料をせわしなくめくりながら言葉を続ける。「“殺人の快感が忘れられなかった”という被告人の犯行動機は身勝手というしかなく、同情の余地も酌むべき事情もないと述べています。自己中心的な欲求のみに従って見ず知らずの五人を殺害した残虐さには極刑をもって臨むほかないとして弁護団の訴えを斥けました」
テレビ画面が被告人が逮捕された時の映像に切り替わる。警察車両のリアシートに乗せられた被告人男性の横顔が警察官の顔の隙間からちらりと映し出された。
華蓮はツーポイントフレームの眼鏡の下の眉毛をひょいと持ち上げた。
被告人は、笑っていた。次々にたかれるフラッシュの中でカメラが捉えたその一瞬に、男性は確かに笑っていた。
「××被告は少年時代に一度殺人を犯しており、その時の快感が忘れられずに今回の犯行に及んだと自供しています。この事件は少年の矯正教育のあり方をも問い直すものであり、関係各界に与えた波紋は決して小さくありません。以上、裁判所前から中継でした」
華蓮はそこまで聞いて短い髪をさらりと揺らし、テレビの前を離れた。
(殺人の快感、か)
人波に流されるように足を動かしながら自分の手を眺める。殺人の快感など華蓮には知る由もない。しかしまったく興味がないと言えばそれは嘘だ。
苛々した時。ムシャクシャした時。何かに当たりたくなることはある。何かを思いきり壊したくなることがある。いけ好かない人間をぶん殴ってやりたいと思ったことくらい、誰にでも一度はあるだろう。その相手があまりにも嫌いな人間ならば殺してやりたいとさえ思ったこともあるかも知れない。
華蓮とて例外ではない。高校二年生の冬というこの時期。払いのけようとしても進路のことが視界に入ってくる頃だ。高卒で就職して安定が得られる保証はない。がむしゃらに勉強して進学したところですぐに就職活動が訪れる。大学を出れば安定した将来が待っているという保証も、もちろんない。
――言いようのないあの圧迫感が、閉塞感が、静々と華蓮に忍び寄り始めている。自分が袋の中に放り込まれているような錯覚。袋の中の空気が外部に徐々に吸い取られてじわじわと息苦しくなっていくような、まるで見えない大きな何かに生殺与奪を握られているような嫌な感覚。そして、見えない力が握っているその袋に穴を開けて逃れることなど決してできないのだ。そんな時、何もかも忘れて何もかも壊してしまいたい、めちゃくちゃに暴れてやりたい、誰彼構わず殴ってやりたい、そんな衝動に捉われたとしても、内心で思っているだけなら何の罪があろう。
だが、だからといって、華蓮を含めた多くの人間はそれを実行に移すような真似はしない。その気になれば実行でき得るだけの力を有していながら、実際に行うことはないのだ。
それはなぜか。
物を壊してはいけないから。人を殺してはいけないから。
では、なぜ物を壊してはいけないのか。なぜ人を殺してはいけないのか。
――プリミティブなこの命題に正確に答えられる人間がどれくらいいるだろう。そもそも、この単純な命題に正確な答えなど存在し得るのだろうか。
「もし。そこのお嬢さん」
という声が聞こえたその瞬間だけ、喧騒がやんだような気がした。そんな錯覚にすら捉われてしまうほど、その人物の声はこの騒がしい街並の中ではっきりと華蓮の耳朶を打ったのだった。
振り返った華蓮は思わず額に手をかざした。落ちた陽は赤く、斜めに華蓮の目を射る。アスファルトに投影される影は緩慢に伸びて頼りなく揺れているようにすら見えた。天球が茜から藤へと変わり始める境に訪れる薄闇。何もかもが見えにくくなる時間帯。燃えるような夕刻の光を受け、その人物は音もなくその場に佇んでいた。
「もし。お嬢さん」
とその人物はもう一度言った。低めの女声とも高めの男声ともとれる声、そして頭からすっぽりとかぶった薄汚いゴミ袋のような黒い布からは顔立ちどころか性別すらも判然としない。
「少し発散していきませんか」
唇の動きさえはっきりと読み取れるほどにゆっくりと、その人物は言った。
「はあ?」
華蓮は尻上がりのアクセントでそう聞き返し、腰に手を当てる。「何や、あんた。女子高生狙いの変質者やったら相手が悪すぎるで。怪我する前に帰りや」
「これはこれは、あんまりなことをおっしゃる」
黒い人物の衣服がかすかに衣擦れのような音を立てた。小さく声を上げて笑っているらしかった。
「あなたのストレス解消のお手伝いをさせていただこうという好意の申し出だというのに」
華蓮は黒い瞳をゆっくりと閉じ、そして開いた。その後でかすかに首をかしげて斜めに相手を見やる。黒い衣服をかぶった人物の笑いは止まらない。
「何、ね。放っておけなかったものですから、親切な私としては。もっとも、不躾な上におせっかいだと言われれば返す言葉もありませんが」
「何やの、あんた」
華蓮は眼鏡の奥で眉を中央に寄せたが、警戒と剣呑の色は少々薄くなっている。「ストレス解消させてくれるん?」
「ええ、そんなところです」
「ふうん」
と華蓮は鼻を鳴らした。内容によっては悪くない話ではある。華蓮の心の動きを読み取ったのか、黒い人物はかすかに含み笑いを漏らした。
「どうぞこちらへ」
そして、かすかな衣擦れとともに踵を返す。「とっておきの場所にご案内いたします」
「て言われてホイホイついて行く女の子がおると思うん? 何されるか分からんやん。お年頃の女子高生やで、ウチ」
「強制ではありませんし、私にはあなたに強制するだけの力もありません」
黒い人物は足を止め、半分だけ華蓮を振り返った。「ですが、華蓮さんにとってそう悪いお話ではないはず。違いますか?」
「……名乗った覚えはないで」
華蓮の眉がかすかに中央に寄る。黒い人物の肩の辺りがかすかに上がり、そして下りた。肩をすくめたらしかった。
「お名前くらい、存じておりますよ。私はあなたのことをよく存じ上げております」
「あんたみたいな怪しい知り合いはおらんな」
「あなたがご存じないだけです」
「フン。まあええけど」
華蓮は舌打ちしてローファーの踵を鳴らした。「とりあえず、その嘘くさい関東弁やめぇや。不愉快や」
単語はごまかせても長年なじんだイントネーションまではごまかせない。華蓮は相手の言葉の端々に現れる西のアクセントに最初から気付いていたのだ。
「おやおや、これは失礼。私の癖でしてね。どうかご容赦を」
黒い人物はかすかに頭を下げて再び歩き出した。薄闇にうごめく人波の中に黒い背中がゆっくりと消えていく。
覚えず、華蓮はアスファルトを蹴っていた。人ごみを掻き分けるようにして黒い人物に追いつく。相手は足を止めずに顔だけ振り向けてそれを確認し、再び前方に視線を戻して歩き続ける。華蓮を振り返ったその一瞬、黒い布の下で相手の唇がかすかに笑みを形作ったように見えた。
そして今、華蓮は黒い布をかぶった人物に案内されたこの廃ビルの一室で、自らが暮らす街を忠実に再現した精巧なミニチュアの前に立っている。
「さあ。どうぞ壊してください」
黒い布の人物はもう一度そう言った。室内は天井の蛍光灯のおかげで充分に明るいというのに、この明るさのなかでもこの人物の顔つきは定かではない。
「もったいないやんか」
という華蓮の返答はどこか焦点がずれている。「こんなによう出来てんのに……」
「構いませんよ。あなたのために作らせていただいたのですから」
「せやけど……なんや気が引けるなあ。壊した後で弁償せえ言われても無理やで? 第一、こんな大きなもん壊したら器物損壊とかになるんと違うの?」
不意に黒い人物が笑い声を上げた。さもおかしそうに、弾けるように、腹を抱えんばかりの勢いで、笑い始めた。半ばヒステリックな甲高い笑い声が無機質なコンクリートにめちゃくちゃに跳ね返る。華蓮は思わず二、三歩後ずさっていた。それほど、相手の笑い声はすさまじかった。おかしくておかしくてたまらない、これほどおかしいことはない、そんな笑い方であった。
「何をおっしゃるのです。ねえ、考えてごらんなさい華蓮さん。サンドバッグを殴って罰せられる人間がいますか? サンドバッグを殴ったことを責める人間がいますか? サンドバッグを殴ったからといって良心の呵責を感じる人間がいますか? ねえ、いないでしょう? そうでしょう? いるわけがないでしょう?」
早口にまくし立てる黒い人物の笑いは止まらない。「サンドバッグは殴られるために作られた物だからです。殴ることを許可された物だからです。許可された加害行為はすでに加害行為ではないのです。同意された加害行為は加害行為ではないのです。このミニチュアもサンドバッグと同じ。思う存分壊して構わないのですよ。誰もあなたを咎めやしません。誰もあなたを責めやしません。誰もあなたを罰することなどしやしません。気兼ねする必要などないのです」
華蓮の目が、眉が、心の奥の何かが、ことりと音を立てて動いた。
「……ほんまか?」
探るように相手を見つめる華蓮の目からはすでに警戒は消えていた。ただ、相手の同意を確認するためだけにそう尋ねていた。「ほんまに壊してええんやな?」
「ええ。もちろん」
黒い人物は大きく肯いた。
小さく息を吸い、吐く。そしてミニチュアに向き直り、もう一度息を吸って、吐いた。
ローファーを脱ぎ、黒いストッキングを履いた脚でミニチュアの街へと踏み入る。広い室内にどこまでもどこまでも広がるこの街。広いこの街を端から端まで簡単に一望するというのは妙な気分だ。この街が、この街のすべてが、今、自分の足元にあるのだ。
「ほな、まずはちょっとだけ」
という呟きはミニチュアの外の黒い人物に聞かせるためのものか、それとも己に言い聞かせたものか。街の外れにある山の上で脚を持ち上げ、止める。そして、そっと足を乗せてみた。
次の瞬間、ストッキング越しに伝わってきたのは子供が作った砂山を踏み潰したかのような感触であった。それほどその山は脆くて、簡単に潰れた。足をどけると、山は華蓮の足の形に綺麗につぶれていた。良心の呵責と心地よい征服感が互いにせめぎ合いながら華蓮の体を満たしていく。まさに子供が一生懸命作った砂山を踏み潰した時の感触と感覚であった。
「そんな場所でいいんですか。そんな山を壊しても面白くありませんよ」
ミニチュアの外から黒い人物が華蓮に声をかける。「ほら、役所の前のその大通りなんかはいかがです? 建物がたくさんありますよ。人がたくさんいますよ」
さぞかし壊し甲斐があるでしょうね、と黒い人物は笑う。華蓮はその声に導かれるようにくるりと体の向きを変え、腰をかがめた。役所の庁舎のてっぺんにそっと指を乗せる。指の腹に感じる触覚は脆い。あまりにも脆い。曲げた中指の爪を親指の腹で受け、デコピンの形を作る。そして、ぴん、と弾いた。デコピンをするように、ぴん、と庁舎をはじいた。庁舎は呆気なく崩れ落ちた。音もなく、粉々に砕け散って崩れ落ちた。
「……おもろい、なあ」
華蓮の唇がかすかに持ち上がった。
立ち上がり、もう一度脚を持ち上げた。立ち並ぶ高層ビル群の丈は華蓮の膝にも遥かに及ばない。ビルを全部合わせたって華蓮の足の大きさにはかなうまい。ビルに比べると華蓮の足はあまりにも大きく、この街に比べると華蓮はあまりにも大きかった。
足を振り下ろす。ミニチュアのビルが、道路が、その上を行き交う車や人が、音もなく、だが確かに、潰れる。ぷちぷちという感覚がストッキングを通して伝わり、華蓮の全身を駆け抜けて脳髄へと達する。それはまるでイクラか数の子を指で潰したかのような心地よい感触だった。小さいものを、絶対に自分に抗うことなど出来ないものを、有無を言わさず、理由もなく、ただ潰したいから潰していく。それが今の自分にはできるのだ。
ナゼ物ヲ壊シテハイケナイノカ?
ナゼ人ヲ殺シテハイケナイノカ?
人が己の行為を決める要素は二つあるという。ひとつは、己の内心。道徳心や良心というべきもの。もうひとつは、外部の目という制約。こんなことをしたら警察に捕まる、警察に捕まって刑務所に入れられるのは嫌だ。そんな意識が理性となって欲求をコントロールするのだと、何かの本に書いてあった。
では、外部からの制約が存在しないとしたら?
何をやっても警察に捕まらない、何をやっても罪にならないのだとしたら?
許可サレタ加害行為ハ加害行為デハアリマセン。
誰モアナタヲ責メヤシマセン。
誰モアナタヲ罰シタリハシマセン。
刑罰や社会的非難というタガがすべてなくなったとしたら、良心や道徳心という名の理性は本能を抑え切れるのだろうか?
気兼ネスル必要ナドナイノデス。
「――好きに壊して構わないのですよ」
黒い人物が含み笑いとともに囁く。
ぞくり、と華蓮の体をある感情が駆け抜ける。
それは聖域や禁忌を侵す時のような恐怖と逡巡、そしてそれをはるかに凌駕する興奮と快感であった。
空き缶でも蹴っ飛ばすかのように脚を振る。
ぐしゃ。
密集した住宅地が跡形もなく吹っ飛び、無残な残骸と化す。これが現実ならば家が全壊の大惨事、瓦礫の下に埋もれる住民という構図になるのだろう。
「壊れてまえ」
大腿を高く上げて行進する。
ばき。ぽき。
学校が、図書館が、幼稚園が、駅が、次々と壊れていく。十両編成の通勤電車も丸ごとぺしゃんこになってしまった。この時間だと電車は帰宅ラッシュで寿司詰めであろう。これが現実だったら大量殺戮だ。
「壊れてまえ」
とん、と拳を振り下ろす。
めしゃ。ぐちゃ。
電柱が真っ二つに折れ、糸のようなものが指に絡みつく。持ち上げると、それは電線であった。電線にくっついた電柱が一緒に持ち上げられる。面白いことに、電柱には砂粒ほどの小さな人間らしき人形がしがみついている。華蓮はにっこり笑い、そしてぱっと手を離した。落下した電柱は人形もろとも木っ端微塵に砕け散った。
「全部壊れてまえ」
線路に、車に、ふうっと息を吹きかける。小さな小さな車が、華蓮の指よりも細い電車が、北風にあおられた枯葉のように舞い上がり、地面に叩きつけられる。
ぱちん。何かが脛に当たった。目を落とすと、そこには戦車が並んでいた。米粒よりも小さな戦車の大群が。ぱちん、ぱちん。砂粒よりも小さな砲弾がストッキング越しに当たる。華蓮はまじまじと戦車たちを見つめた。戦車の外であたふたと動き回る小さな小さな人形たち。にっこり笑って足をかざすと戦車たちは回れ右して逃げ出した。かざした足を道路の上に思い切り下ろす。どしん、と音がしてミニチュアの道路が揺れ、戦車がポップコーンのように跳ね上がり、落下した。
「全部なくなってまえ!」
華蓮は、壊した。潰した。力の差を見せ付けるように、足で、手で、指で、息を吹きかけて、ありとあらゆる方法でミニチュアを破壊した。巨人になって街を壊しているかのような興奮と陶酔、そして身を震わせるほどの快感だけが全身を支配していた。もしこれが現実であれば百万人は殺しているであろう。そんな仮定が一層興奮を増幅させる。この街に暮らす人々はなす術もなく、ただ自分の足の下でおろおろと逃げ惑っているのだろう。だが逃げ場などありはしない。どこに逃げようと逃がしはしない。すべて、全部、壊し、殺す。今の自分には簡単にそれが出来る。
華連は不意に笑い声を上げた。さも楽しそうに、弾けるように、腹を抱えんばかりの勢いで笑い始めた。半ばヒステリックな甲高い笑い声が無機質なコンクリートにめちゃくちゃに跳ね返る。すさまじい笑い声だった。楽しくて楽しくてたまらない、これほど楽しいことはない、そんな笑い方であった。そして、けたたましく笑いながら仰向けにミニチュアの上に倒れ込んだ。笑いながら寝返りを打つ。うつぶせになる。さらにもう一度寝返りを打つ。そのままごろごろと転がる。右へ、左へ。両手を、両足を、思い切り大の字の形に広げる。子供のように手足をばたつかせる。いったん起き上がってミニチュアの上にダイブする。ぐちゃ。みちゃ。ばき。ぼき。頭で、顔で、首で、胴で、腕で、足で、全身で、街が潰れていく感触を思う存分味わう。それがおかしくて楽しくて心地よくて、華蓮の笑い声はますますボルテージを上げていく。
「なあ、あんた!」
華蓮は眼鏡を外し、笑いすぎて溜まった涙を拭きながら黒い布の人物に声を投げた。「今度はもっとおっきいの作ってや! 日本全土の……世界中のミニチュア作ってや! そしたらウチがまた壊したる。ぜーんぶ壊したる!」
「そうですね。考えておきましょう」
「約束やで! 絶対や!」
華蓮は笑い続けた。ただただ笑い、壊し、潰し続けた。閉ざされた廃ビルの中でその所業は延々と続けられた。すべてが破壊し尽くされるまで、延々と。
(後編に続く)
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