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<東京怪談ノベル(シングル)>


オス! 影中道場

「よし、記録終わりっと」
 小太郎は今回の事件の終止を書いた記録用紙、もとい自分の日記帳を閉じ、一息ついた。
 机の隅に置いてある、自分で入れたお茶を啜り、部屋の床に目をやる。
「……まぁ、後片付けも済んだし、行ってみるかな」
 床にあるのは黒い穴。影で作られた転移術の一種なのだろう。
 この穴を作ったのは黒・冥月。一応、小太郎の師匠である。
 小太郎は冥月に『修行してやるから後で影の中に来い』と言われて、今の今まで興信所の仕事をしていたのだがそれも終わった。
「師匠も準備があるから『後で来い』って言ったんだろうし、そろそろ行っても大丈夫だよな」
 時計を確認すると、冥月が影の中に消えてから大分経っている。きっと準備も終わっていよう。
 小太郎は長い間机と向き合っていて凝った肩をほぐし、影に足を突っ込んだ。

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 中に入ると、影の中とは思えない、大きな建物の中だった。
 なんとも広々としたロビー。カウンターのようなモノもあるがその中に人は居ない。
 待合室のような場所にもソファやテーブルはあるが誰もいない。
「……あれ?」
 小太郎は首をかしげる。人がいない事は別に疑問ではないが、こんな所で修行をするのだろうか?
 なんともゆったりとした雰囲気が漂うこのロビーは戦場に似つかわしくない気もする。
 いやしかし、こういう状況を想定した戦闘訓練なんてのも考えられないわけではない。
 とりあえず、小太郎は周りの気配を探りながらこの建物の中を探検する事にした。

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「……な、なんなんだろうな、ここ」
 小太郎が一通り歩いて回った後の感想がそれだ。
 トレーニング用の機材が並べられた部屋があったと思えば、まるで自宅のようなくつろぎ空間もあった。
 ここは、例えるならスポーツジムと高級マンションが合体したような、そんな建物らしい。
 いよいよもって、ここでの修行内容がよくわからなくなってきた。
 トレーニング設備が揃った部屋で筋トレでもやらされるのかと思ったのだが、そこに冥月は居らず、その後も小太郎が歩き回っている間、冥月らしき人影は見当たらなかった。
 何処からか不意打ちでもしてきて、それに対応する訓練かとも思ったのだがそうでもないらしい。
「なんなんだろうな……」
 同じ言葉を二度呟き、小太郎は多少迷いながらも次の部屋の前に到着する。
 部屋の中からはかすかに水の音が聞こえる。
 想像するに、自宅のようなくつろぎ空間には無かった風呂でもあるのだろう。
 大浴場、いやいやスパリゾートみたいな施設があってもおかしくはなさそうだ。
 なんだか本当に異空間に迷い込んだような気分になり、小太郎は苦笑しながらドアノブに手をかけた、のだが。
 その戸は小太郎が開けようとする前に開いた。
 この瞬間閃く小太郎。これだ、と。
 師匠は俺がアチコチ歩き回り、疲れて気を抜いたところで奇襲をかけるつもりだったのだな! と。
 だが甘い、と小太郎はほくそ笑む。
 毎日興信所からもの凄く遠い中学校まで徒歩通いの小太郎。このだだっ広い建物を歩き回ったとて、然程疲れては居ないのである。
 小太郎は素早くドアから飛び退き、防御体制を整えて相手の様子をしっかり窺う。
 攻撃は喰らうまい。相手の動きをちゃんと確認すれば多少なりと回避できるはず。
「おぅ、小太郎。来たか」
 扉を開けて出て来たのは勿論、黒・冥月本人である。
 小太郎の姿を確認し、軽く手を挙げて挨拶する。何気ない、いつもの挨拶であったはずだ。
 だが、それこそが攻撃である事に気付いたのは小太郎だけではなかろうか。
「ぶはっ! なんてカッコしてんだよ、師匠!」
「ん? ああ、これか。今、シャワーを浴びていたのでな」
「だからってマッパで外に出てくんなよ!」
 そう、冥月は一糸纏わぬ姿で戸を開けていたのである。
 これはそう、きっと小太郎の精神を攻撃しているのだ。
「ああ、着替えを忘れたので取りに行こうと思ってな」
「な、なら早く行け! 俺は出直すから」
「ああ、ちょっと待て」
 瞬速で踵を返す小太郎だが、走り出すより早く、冥月の腕が小太郎の首に絡む。
 そして頭を引き寄せ、耳元で舐めるように囁いた。
「私の裸を見ておいて、何も言わずに帰るつもりか?」
「ム……ネが……当たって……っつーか、首……苦し……っ」
「何かいう事があると思うんだが? ん?」
「き、綺麗、で、した」
「……? っぷ、ははは! そう来たか」
 冥月は笑って小太郎を解放する。その途端、小太郎は多少咳き込みながらダッシュでその場を離脱した。
「私はてっきり、謝るのかと思ったんだがな」
 裸を見たことに対する謝罪よりも先に、見たものに対する賛辞とは……。
「アイツも将来は大物になるかもな」

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 再び小太郎が呼び出されたのは建物の中にある道場。
 小太郎はそこで正座し、精神を落ち着けるために深く深く瞑想していた。
「俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない」
 瞑想というよりは暗示、若しくは責任回避。現実逃避も混じっている気がする。
 そんな小太郎は道場の戸が開く音でビクッと肩を震わせた。
 恐る恐る振り向いてみると、そこには一礼して道場に入ってくる冥月の姿が。
 その表情に一片の怒りも無い所を見て、小太郎はホッと安堵のため息をついた。

「それでは、特訓を始めるぞ」
 冥月と小太郎は向き合って立つ。冥月の足元には小さめの円が描かれてあった。
「今回の特訓は何をしても良いので、私の掌以外のところに触れるか、私をこの円の外に出してみろ。ただし能力は禁止だ」
「お、オス」
「前々から感じていた事だが、お前には絶対的に実戦経験が足りない。それに武道の技術も拙い。あんな動きでは霊刀を活かしきれん。そこでこれからは体術の向上を目指し、徹底的に仕込むからそのつもりで」
「お、オス」
 健気に答える小太郎だが、先程から冥月の顔を見ようとしない。
 ついさっきの光景でもフラッシュバックするのだろうか。
「……ああ、因みに私の掌以外なら何処でも良いと言ったが、それは当然、胸や尻でも一向に構わんぞ。もし出来たらイイコトしてやる」
「イイコト……?」
 イイコト……?(中学生の妄想展開中)
 イイコト……。(中学生の妄想展開中)
 イイコト……!(中学生の妄想展開中)
 イイコト……!!(中学生、思考停止)
「じょ、女性がそういう事言うモンではないと思いますっ!!」
「集中力も散漫そうだな」
 一瞬で小太郎の集中力は霧散した。

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 とにもかくにも、特訓開始である。
 まずは一礼して、間合いを計る。
 完全に冥月の一足一刀だが、向こうは足場の円の制限がある。
 どうやら向こうも能力は使わないようだし、この間合いでも小太郎にとっては安全である。
 だが、この安全圏でじっくり策を練るなんて、今の小太郎には考えも因らない。
 何せ特訓内容はとても簡単なのだ。
 冥月の掌以外の部分に触るか、冥月を円の外に押し出せば良い、それだけである。
 ちょっと突進でもかませば、きっと……と思い、小太郎はすぐにその行動にでる。
 全く考え無しの真正面からの突進。
 フットワークに制限がかけられているならば、腕を広げて突進すればどこかに当たるだろう、という単純な判断からであるが、それは失敗する。
 上体を起こしすぎていた小太郎は、冥月に易々と懐に入られ、冥月は小太郎の勢いを殺さずにベルトと首襟を掴み、腕力を以って持ち上げ、そのまま投げ飛ばす。
 ゴロゴロと床を転がった小太郎はすぐに欠点を理解し、リベンジに移る。
 今度は出来るだけ姿勢を低くし、足元を狙った突進。
 足場の制限されている相手に、足元を狙う攻撃は有効。それまで理解したかはわからないが、とりあえず小太郎は足元を狙う。
 だがしかし、今度は冥月に馬跳びされ、攻撃は回避された。
 再び地面を転がる小太郎。
「ぬぅ……。やっぱ一筋縄じゃいかないか」
「当たり前だ。簡単に終わってしまっては特訓になるまい?」
「そりゃそうだが……」
 ここに来て、小太郎は初めて冥月をよく見る。
 体を動かして煩悩が振り払われたか。再び煽っても良いが、それでは特訓が進まない気がするので、冥月は黙って彼の様子を見ることにした。

 冥月はかなり重いペナルティを背負っている。
 その分のアドバンテージを十分活かせば小太郎にも勝機はある。
 まずあの足場の円は大きなポイントだ。
 目算して直径一メートルぐらいだろうか。あの程度の足場では大した回避行動はできないはず。
 それに冥月のどこかに触れれば小太郎の勝ち、というのも小太郎を大分有利にしてくれている。
 そのルールにより、冥月は迎撃に足を使えない上、回避、及び防御には掌しか使えないのである。
 それに向こうからの攻撃もほとんど無いと思って良い。
 小太郎の攻撃を防ぐのに冥月が攻撃してくる事も考えられなくは無いが、掌以外に触れてはダメ、なので冥月は掌撃しか攻撃手段が無いのである。
 掌撃を撃ったとして、小太郎が腕を弾いてしまえばそこで試合終了だ。
 つまり、完全なクリーンヒットを狙えるとき以外は、冥月は攻撃してこないと見て良い。
 これだけのアドバンテージがあれば、二人の力量差がとてつもなく広かったとしても、小太郎は自分の得意な土俵、つまりインファイトで戦った方が勝率は高いはず。というか、小太郎にアウトファイトなんて出来るわけもない。
 というわけで、小太郎は再び冥月との間合いを詰めた。

 冥月は小太郎が近づいてきた事で身構えるが、どうやらそれほど馬鹿ではないらしい。
 三度目の突進は無く、小太郎は冥月の前で足を止める。
 そして左ジャブ。軽く突き出された拳は冥月に軽く弾き飛ばされる。
 外側に弾かれた反動を活かし、次に繰り出すのは右ミドルキック。
 これも軽くいなすつもりで冥月は手を出したが、小太郎の蹴りはすぐに軌道を変える。
 どうやらミドルはフェイントで、ハイキックを狙っていたらしい。
 ハイキック、と言っても慎重の低い小太郎では冥月の顔には届かず、胸辺りで止まってしまっているが。
 それにしてもこの蹴りを受けてしまえばそこで試合終了である。
 冥月はミドルキックをガードしようとしていた左手をそのまま上に突き上げ、小太郎の右足を掴み、そのまま持ち上げて向こうへ押し返す。
 小太郎の体は空中で回転し、その間に左足のサマーソルトも狙っていたようだが、冥月に易々と躱される。
 空振った左足と右足をそろえて着地し、小太郎はまた冥月から距離を取る。
 傍から見ていると変則的な補助付きバック宙にでも見えただろうか。そんな攻防だった。
 ほぼ間を置かずに小太郎のワンステップパンチ。
 鋭く繰り出された拳を、冥月は内側に弾く。
 その反動を活かし、小太郎は裏拳を繰り出すが、それも冥月に受け止められる。
 更に小太郎は跳び上がって蹴り打ち降ろしに掛かるが、冥月は掴んでいた腕を放り投げて蹴りを回避した。

 何とか着地した小太郎は、ここからが本番だ、と意気込む。
 今までの攻防は布石。最後の決定打を打ち込むためだけの準備である。
 小太郎の狙いは二発目の突進から既に決まっていた。
 相手の足場が悪ければ、足元を狙うのが吉。それを忘れていなかったのである。
 次で狙うはローキック!
 今まで上半身ばかりに攻撃を集中させていたのはローの攻撃に不意打ち感を持たせるためだ。
 次で決める。

 全身全霊をかけた小太郎の攻撃。
 冥月も彼の気迫でそれを薄々気付いていた。
 何かをしてくる。それを敵に悟られているようではまだまだだな。
 一人、小さく笑って小太郎を迎え撃つ。
 小太郎が繰り出してきたのは最初と同じような左ジャブ。
 冥月はこれを同じように軽く弾くつもりだったが、それが布石だという事をすぐに悟る。
 小太郎がチラリと下を見た。
 その視線が移ったのはほんの一瞬。普通なら見逃してしまうような一瞬だったが、気付いてしまう人間には気付いてしまうのだ。
 そしてそれがわかってしまえば回避するのも楽勝である。
 どうやら小太郎は下への一撃に集中しているらしい。
 それを証拠に防御がおざなりだ。左ジャブにも勢いが無い。
 冥月はジャブを弾き、小太郎がローキックを放つ直前に、小太郎の顔面に掌底を思い切り叩き込んだ。
 派手に吹っ飛んだ小太郎はそのまま床を転がって回り、疑問符を浮かべた。
「あっれぇ!? 何で!? 結構良い感じだと思ったのに!」
「一概にお前が弱いんだろう」
「な、なんだとぉ!」
 自分の落ち度にも気付かないらしい小太郎は再び意気込んで冥月との間合いを詰め始めた。

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 その後、何度か立ち向かった小太郎だが、その度に弾き返された。
 随分と疲れ果てた様子の小太郎は道場の床に転がって立ち上がらなかった。
「ゼェゼェ……なんで、勝てないんだよ……」
「だから、一概にお前が弱いんだろう」
「く、くそぉ……言い返せねぇ」
 今の状態を見れば、言い返せないのは当たり前だ。
 冥月は息の一つも乱していないのである。
「あぁ〜もぅ、腹立つな!」
 少し息を落ち着けた小太郎は上半身を起こし、不貞腐れた顔を冥月に向けた。
「……師匠はそんなに強いのに、何で暗殺者になったんだ? もっと別の道とかあったんじゃね?」
「ん? ああ、そうかもな……」
 小太郎の言葉に冥月は少し表情を曇らす。
「だが、私を拾って、名前と誕生日と居場所を与えてくれ、育ててくれた人が殺し屋で、あの人の為に何か役に立ちたい、と思ったらこうなっていた。能力も殺しに適しているしな」
 答えを聞いてムーと唸る小太郎を見て、冥月は小さく笑う。
「お前のように正義だの人助けだの考える余裕も無かった。純粋に生きるのに必要の無い概念を覚える前に身体に染み付いたのが、他人を殺して私が生きる。そういうロジックだったというだけだ。……さぁ、話は終わりだ」
 冥月は初めて円の外から足を出し、その足を道場の外へ向ける。
「風呂があるから汗を流して来い。……なんなら一緒に入ってやっても良いぞ」
「ば、バカいうな!」
 顔を真っ赤にする小太郎の顔を見て、冥月は笑いながら道場を出た。
 その時、小太郎が風呂に入ってるときに乱入するのもありか、などと良からぬ事を考えたとか考えなかったとか。