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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


暴筆手蹟



 店の前に曰くつきの品が放置されるのは、碧摩蓮にとってけして珍しいことではない。
 またか、という感じでそれを手に取り、店の中に持ち込んで中身を見る。
 螺鈿細工の施された箱に入った、高価そうな万年筆。おそらく特注品なのだろう。金色のクリップに何やら文字が刻まれているが、かすれてしまっていて読めない。
 書き心地はどんなものだろうと、蓮は手近のメモ用紙を引き寄せてキャップを外す。
 途端、腕がぐいっと引っ張られて勝手に文字を綴った。

  あたしが退屈しないような面白い品がたくさん流れ込んでこないかねえ。

 そう書き終えて、万年筆はころりと転がる。
「……これはまた妙な物が舞い込んできたもんだね」
 言って、蓮は愉快そうに唇の端を引き上げた。



 興味を抱いたのが、他人の秘密でも想い人の心中でもなく、万年筆の意志の有無である辺りが、彼女がシュライン・エマである所以だと言って蓮は笑う。
「あんたを呼んで正解だったよ」
 猫のように目を細めて笑う蓮に、シュラインは小首を傾げた。何故ならシュラインは、万年筆の持つ負の要素を抑え、長所を見つけて活用しようとしたのに、どの作戦も見事に失敗に終わったのだから。
 動物の考えを書き表させる事は出来ないかと試したが、そもそも大人しく万年筆をくわえてくれる動物は少なかった。やっとの事でくわえさせるのに成功しても、万年筆は何の反応も示さない。どうやらこれは、人間の思考にしか反応を示さないらしいと判明しただけだった。
 試しに思考をニブフ語に切り替えてみたが、やはりと言うべきか、そのままニブフ語を表記して、蓮の首を捻らせただけで終わった。せめて日本語表記に翻訳してくれたら翻訳機として使えたのに、とシュラインは肩を落とす。
 それでも蓮の目には、シュラインの努力が好もしく映ったようだ。彼女はシュラインにティーカップを差し出しながら言う。
「道具の運命ってのは使い手如何だからね。どんなに優れた道具も、使い手が悪けりゃ有害のレッテルを貼られちまう。その点、あんたみたいに正しい使い方を模索してくれる相手に使われれば、道具のほうもきっと本望だろうさ」
 殺人にナイフが使われればナイフの販売が自粛され、犯罪者の自宅からゲームソフトが大量に押収されればゲーム会社が槍玉にあげられる昨今だ。蓮の言いたい事も分かる気がした。シュラインは礼を言いながらカップを受け取る。
「そうだと嬉しいけど……」
 言いながら、シュラインはちらりと万年筆を見る。
 紐でメモ帳と結ばれたそれは、キャップを外して置いておいてもぴくりとも動かない。この万年筆に意志があれば、どんな人間に使われたいのか、どう使ってもらいたいかが分かるかと思ったのだけれど。
 シュラインの長い睫を、紅茶のやわらかな湯気がふわりとくすぐる。おいしそうに一口を飲み下した彼女に、蓮はからかうような口調で問うた。
「あんたはこの万年筆を悪用してやろうとか、ちらっとでも考えなかったのかい? 例えば、武彦の本心をちょいと探ってやろうか、とかさ」
 大袈裟に肩を竦めて見せて、シュラインは笑う。
「大切な人ほど、心の中を覗いてみたいなんて思わないわ。領土侵犯は趣味じゃないもの」
 それに、相手に親しみを覚えて接していれば、自然と仕種や物腰でその心中は推し量れるものだ。シュラインのその言葉は本心からのものだった。けれど。
「……でも、悪用はちょっと考えたわね。頭に浮かんだ文章をそのまま書いてくれる道具なんて、物書きからすれば垂涎ものよ」
 悪戯っぽく笑ってそう言うと、シュラインの裏稼業を知る蓮は愉快そうに「成程」と呟いた。
「そう言う蓮さんこそどうなの?」
「あたしかい? そうだねえ。……傍で見てて、どうしたって両想いにしか見えないのに、ちっとも仲が進展する気配のない男と女が目の前にいれば、あれを使って互いの胸中を暴いて、とっととくっつけちまってたかもしれないよ」
 にんまりと意地の悪い笑みを浮かべる蓮を見て、シュラインは草間武彦がこの場にいなくて良かったと思ってしまった。勿論、それが冗談である事は重々承知していたのだけれど。
 そんなシュラインの心中を察したように、蓮は真顔になって答えた。
「冗談は置いといて、『言わぬが花』『知らぬが仏』って言葉もある事だし、他人の心ん中なんて覗いたって楽しい事なんかありゃしないとは思うね」
 そうよね、とシュラインが同意した時、ことん、と音がした。見ると、さっきまで机で静止していた筈の万年筆がころころと木目の上を転がっている。
 シュラインと蓮は同時に立ち上がってメモ帳に飛びついた。そこには定規を使って書いたような角張った文字で『主の後を追いたい』という一文がぽつりと記されていた。
「……主、って?」
 万年筆が自分の気持ちを語ってくれた事を素直に喜びたかったが、『後を追う』という言葉には不吉さも感じる。シュラインが問いかけても、万年筆はぴくりとも動かなかった。
「どうやらこいつは内気な性分のようだね」
 蓮が白い指先で、万年筆に背を向けるようシュラインを招いた。それに従い、シュラインは小声で問いかける。
「後を追う、って……、あの子のご主人様は旅にでも出てるのかしら……?」
「死にたい、って意味かもしれないよ」
 シュラインがわざと考えないようにしていた事を、蓮もわざと口にする。柳眉を寄せるシュラインの背後で再び、こつんと小さな音がした。
 メモ帳に書かれた名前に、シュラインは目を瞠る。おそらくこの国で知らぬ者は少ないであろう大作家の名前がそこにあったからだ。そうして彼が昨年、自ら命を絶った事も知っていたから。
 彼の自殺は世間を騒がせた。それがただの自殺で終わらなかったのがその理由だ。
 特に知りたいと思っていないにも関らず、そういった話は多く人の口の端に上り、遍く広がってシュラインの耳にも入ってきていた。
 ──彼の妻が、彼の親友と共に、彼を傷つけた。それが文豪の自殺の原因であるという。
 彼は、妻の不貞と親友の裏切りで二重に傷つけられて死を選んだのだと、世間はこぞって二人を批判した。
 それがぴたりと止んだのは、彼らが揃って謎の死を遂げたからだ。
 二人の遺体は冬の山小屋で、とても登山が目的とは思えない軽装で見つかった。警察の検分では、二人は互いに傷つけあって死に至ったのだろうという事だった。
 それにしては不審な点が多く、人々はその捜査結果に疑問を抱いた。遺体の傍には獣の毛と、人間でないものの血液が大量に見つかっていたのに、それが何故そこにあったのか、警察には理路整然と説明できなかったからだ。
 そのうち、ネットで「二人の死は大作家の復讐の結果だ」という噂が囁かれ始めた。
 事実、彼には呪術の心得があったのだ。それだけで、彼が二人をけだものの姿に変えて殺し合いをさせたのだ、という愚にもつかない噂は、瞬く間に尾鰭付きで流布された。
 シュラインも蓮も、顔を見合わせて困ったように黙り込んでしまう。
 文豪が何を求めてこの万年筆を作成したのか、その意図はシュラインには計り知れないし、また知ろうとも思わなかった。
 それを自分が知ったところで、何になるのかが分からない。シュラインはただ、問うように蓮を見る。
「……私、この子の意志を尊重したいわ」
「あんたに任せるよ。好きにしな」
 虚しさに似た、漠然とした哀しみに塞ぐシュラインの胸には、優しく背を叩いてくれる蓮の手がひどくあたたかく感じられた。



 事情を話して文豪の墓参りに出かけようとするシュラインに、草間は同行を申し出た。
 聞けば彼の墓は、今や呪いを成就させたいと願う者達の願掛けの場と化しているという。おかしな輩が出没する事で有名な場所に、とても一人では行かせられないと草間は言う。
 シュラインは素直に草間の申し出を受け、喪服を身に纏って墓へと続く杣道を登った。胸に万年筆の入った螺鈿細工の箱を抱いて。
 辿り着いた墓は、一目見ただけで暗澹となるような酷い有様だった。呪いの言葉を綴った黒い絵馬と、生贄と思しき動物達の死骸。シュラインは密かに彼の著作のファンでもあったから余計に、死後に不当な扱いを受ける様を見るのが辛かった。
 穴を掘り、主の近くに箱を埋める作業の途中、シュラインも草間も一言も口をきかなかった。暗い思念に巻かれた彼の墓を清め、携えた花を捧げて、ようやく少しだけ安堵できる。
「……本当は何があったのかなんて、誰にも分からないのにな」
 言いながら、草間は胸ポケットから煙草を取り出す。
「人間ってのは、自分の信じたい事を信じる生き物だ。……つまりは何を信じるかに、自己の欲望が投影されるというわけか」
 処理した供物の山を眺める草間の煙草に、シュラインは黙って頷いて火をつける。草間は深く煙を吸い込み、溜息と共に吐き出した。
 シュラインは目を伏せる。少なくとも彼女の知る彼は、妻であった女と親友であった男を呪い殺すような人間とは思えない。
 彼を直接知るわけではないけれど、物書き稼業の人間にとって畏敬の念を抱かざるを得ない作家であった事だけは、動かしがたい事実だったから。
 彼の著作はどれも人間の内側を見透かし、裏側を鋭く描き出し、厳しいまでの筆致で読み手の心を抉るようなものだったが、その底には、人間に対する深い愛情を確かに感じられたのだ。
 だからシュラインは、彼に対する流言を信じない。いや、信じたくない、と言ったほうが正しいのかもしれなかった。
「……どうして彼があの万年筆を作り上げたのか、お前の考えを当ててやろうか」
 まるで場の空気をやわらげようとするかのような、努めて軽い口調で草間が言う。
「彼は信じていた二人に裏切られ、本心を見失った。彼らを憎み、糾弾したいのか、それとも許し、寛容したいのかが分からなくなった。結果、彼はあの万年筆を作り上げ──」
「自分が記した内容に恐怖、あるいは絶望し、自ら命を絶った──」
 シュラインが口にした言葉は、一語一句違わず草間のそれと重なった。ふっと草間が笑い、それでようやくシュラインも笑むことができた。
「よく分かるのね」
「長い付き合いだ。お前の性格も、ものの考え方も知り尽くしてるつもりだぞ」
 親しみのこもった眼差しと声音が、いっそう優しい。シュラインは改めて草間に対する想いが強くなるのを感じた。
 足元の悪い山道を、導くように先に立って歩く背中がやけに頼もしく見える。何だか少女の頃のようにうきうきとした気持ちで、シュラインは草間の後について歩いた。
 そうしてふと考える。もしも草間があの万年筆を手にしていたら、どうしていただろう?
 草間は他人の秘密に触れる事を生業とする男だ。当然、人が抱え込んだ秘密の重さも、それが持つ意味合いも嫌というほど知っている。
 そんな草間が、興味本位で他人の秘密を暴こうとするとは到底思えなかった。正面切って問いかけたら、おそらく冗談で返すに違いない。
「ねえ、もしも武彦さんがあの万年筆の持ち主だったらどうする?」
「当ててみろ」
 ちらりと振り返り、楽しそうに草間は言う。シュラインは朱唇に茶目っ気のある笑みを浮かべて即座に答えた。
「蓮さんに持たせて年齢を書かせる、かしら?」
「ご明察。あの貫禄で、俺より年下とは思えないからな。……言っておくがこの話、間違っても蓮にはしてくれるなよ。引っかかれかねん」
 草間はおどけて身を震わせる仕種をする。シュラインはくすくすと笑って、人さし指を唇に当てた。
「秘密、ね?」
「そう、秘密だ。……秘密って言葉には色気があっていいよな」
 いつになくしみじみとした口調で、草間はそんな事を言う。確かに、とシュラインは返した。
 たとえば『内緒』や『秘め事』という言葉には、隠そうとしても隠し切れない色香のようなものが匂い立つ。だからこそ人は秘密に惹かれるのかもしれない、という気がした。
 そんなことを考えていたら、ヒールの爪先が石に当たってよろけてしまった。まろびかけたところを、草間の背中にぶつかって救われる。
「ごめんなさい。躓いちゃった……」
「随分な悪路だからな。怪我はないか?」
 至近距離で聞く低音には、いつもと違う魅力がある。それこそ少女のように頬を赤らめて身を離し、シュラインは繕うように「大丈夫よ」と答えて笑った。
「日が落ちてきたから、余計に足元が怪しくなったみたい。早く下りなきゃね」
 早口でそう言い、せかせかと歩き出すシュラインの手を、草間の手が掴んで引き止める。
「そんなに急ぐと、また転ぶぞ」
 そう言って笑い、草間はシュラインの手を引いて歩き出した。その顔が少し赤く見えたのは、木々の合間から射す夕陽のせいだろうか。
「……これも、秘密?」
 繋いだ手を眺めながら問うシュラインに、草間は振り返らないまま、「ああ」と短く答える。彼女はその手を、親指で愛しげに撫でた。
 こんな秘密なら、胸がはちきれるほど抱えてみたい。そう願うシュラインに応えるように、草間の手に力が込められた。

 秘密の影がふたつ、ひそやかに、穏やかな斜陽の道を滑っていく。



■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】