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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


そらいろのはね

 草間武彦はその日、興信所の前で座り込んでいる少年を拾った。
 正確には『発見した』だけだったのだが、武彦にとっては非常に不本意ながら妙に懐かれてしまったので、やむなく身柄を確保したというのが本当のところである。
 武彦自身も、まだ事の成り行きを聞いていない。
 件の少年は武彦の向かいのソファに座り、緊張した面持ちで辺りを見回している。
 年の頃は七歳か、八歳か、小学生くらいの子どもだろう。
 少年は開口一番、『助けて』と、武彦に言った。
「──とりあえず、どういうことなのか説明してもらおうか」
「で、でも、僕もよくわかってなくて……」
 少年は患者服──と言うのだろうか、病院に入院している患者が着ているような、縦縞模様のある服を着ていた。
 足は裸足だ。それだけなら迷子だと警察に連れて行けば済む話だったが、それが出来ない理由があった。
 武彦は煙草の灰を灰皿に落とし、次いで眉間とこめかみをゆっくりとほぐす。
 さらに何度か瞬きをも繰り返したけれど、事態は何ら変わらないので──とうとう、意を決したように口を開いた。
「……お前の体、透けているように見えるんだが。目の錯覚か?」
 少年の身体は半透明だった。身体越しにソファが見えている。少年は足をぶらぶらとさせながら頷いて、
「うん、でも、足はあるから、幽霊じゃないよ。ちゃんと生きてる」
 そう主張する。だが少年を一言で言い換えるならば、どう見ても『幽霊』だ。
「俺はその辺の事情はよくわからないんだが、本体と魂が離れてるっていうのは、まずいんじゃないか?」
「僕もそう思って、戻ろうとしてるんだけど……どうしても、戻れなくて」
「途方に暮れてさ迷っていたら、ここに辿りついたということか。一体何があって、こんなことになってるんだ?」
 幽体離脱の解決策など、武彦には到底見当がつかない。気合で何とかなるとかそういう理屈ではないのだろうかと、考えてしまうくらいだ。
「空が飛びたかったんだ」
「……空?」
 少年は窓の向こうに目をやった。ありふれた都会の、寂れた風景。一枚の絵にさえならないようなその景色の向こうに、少年は、もしかしたら空を見ていたのかもしれない。武彦には見えない空を。
「そう。僕、小さい頃からずっと病気で入院してるんだ。病室の窓から見える空が、とてもきれいだったから……空を飛びたいって思ってたら、こんな風になって。でも、そしたら、今度は戻れなくなっちゃったんだ」
「で、『助けて』というわけか」
 咥えていた煙草を、煙ごと灰皿に押し付ける。
「うん……早く戻らないと、パパやママが心配するだろうし」
 空に憧れ飛びたいと願う気持ちが、それが叶わない身体から心を引き剥がしてしまったのだろうか。
 そして今度は動かない身体に戻ることを、心が拒んでしまったのか。
 ──心配するのは親だけではないだろう。もしかしたら、一刻を争う事態になっているかもしれない。
「念のため言っておくが……ここは、迷子相談所の類じゃあないからな」
 ──等と言いつつも、結局は少年の頼みを断りきれない武彦なのであった。





「まあまあ、武彦さん。こういう時こそ私の出番じゃない?」
 言いながら現れたのは、この草間興信所の事務員であるシュライン・エマだった。武彦の肩をぽむぽむと叩いて労いつつ、少年の目線に合わせるようにしゃがみ込む。
「こんにちは、私の名前はシュライン・エマ。で、こちらは我らが興信所の主にして名探偵、草間武彦さん。あなたのお名前は?」
 少年はシュラインと武彦を交互に見やってから、やや遠慮がちに口を開いた。
「あきば、かける……秋庭翔っていうんだ、僕。えっと……エマおねえちゃん、と、武彦おにいちゃん?」
「そうね、どちらかと言うとシュラインおねえちゃんかしら。……おにいちゃんとおねえちゃんに、あなたのこと、もうちょっと色々、教えてくれる? あなたが入院している病院や病室……面会──あなたの身体に私達が近づくことができるのか、とか」
「えっとね……」
 少年──翔は、膝の上に置いた両手をぎゅっと握り締めながら、ぽつぽつと語り始めた。

 入院先は興信所からさほど遠くない場所にある都立病院で、気管支の持病のために(ここで新しい煙草に火をつけようとした武彦の手が止まった)生まれた頃から入退院を繰り返していたらしい。今回も胃や腸の調子がおかしくて三日ほど前から入院していたという。
 病室は四人部屋の大部屋がほとんどなのだが、一日、二日と意識不明の状態が続けば個室に移されていてもおかしくはなさそうだと、翔は言った。
「身体の位置が変わっている場合、戻りづらいらしいっていうのは聞いたことあるわ。だから翔君の場合もそのケースが考えられるかも……あとは、翔君自身の『生きたい』という思いの強さとか、夢とか……やりたいこととか」
「夢……?」
「そう言えばさっき、空が飛びたかったって」
「うん、空、すごく綺麗な空だった」
「翔君の見た……飛びたくなってしまうような空って、どんな空なのかしら?」
 翔は視線を巡らせて、そわそわしながら両手を握ったり開いたりした。言葉を一生懸命考えているような、その間はわずか。翔の口が開かれる。
「まるで歌っているみたいだったんだ。一緒に歌おう、さあおいで、って……僕を呼んでくれているみたいだった。それだけで、鳥になれたような気がしたんだ」
 翔は立ち上がって両手を広げ、きらきらと目を輝かせながら勢い良く言葉を連ねる。彼の心の中に眠る原石のような夢、そのひとかけらが、まさに今、少年の言葉と手によって磨かれているようだった。
「どこまでもどこまでも、青くて、まっさらで、あんな青い世界を両手を広げて飛ぶことが出来たら、きっと、とても気持ちいいだろうなって思うよ……そう思ってるのは、僕だけかもしれないけど」
「どうして、そう思うの?」
 こんなにも目を輝かせているのに、それを否定する少年に、シュラインは首を傾げた。
「だって当たり前のことでしょう? 人間が空を飛べるはずなんかないって、笑われるよ」
 翔の言葉の通りなのかもしれない。彼が見て、そして心の中で描いた空がどのようなものであるのか、シュラインにはわからない。想像するしかない。けれど、そんな──飛びたくなってしまうような、彼にしか見えない空がどのようなものであるのか、シュラインはとても見てみたいと思った。決して笑おうとは思わなかった。
「……おねえちゃん達は、素敵なことだと思うけれどな?」
「……本当?」
「ええ、本当よ。翔君が見た、飛びたくなるような空っていうのがどんなものなのか、すごく見てみたいもの。──取りあえず、現状確認も兼ねて病院に行ってみるわね」
 シュラインは立ち上がって奥のロッカーの方に向かい、ついでに手招きをして武彦を呼び寄せた。翔は足をぶらぶらさせながら、大人しく待っている。
 どこからどう見ても、幼い少年だ。しかし、シュラインには一つ、ほんのりと気がかりなことがあった。翔が少年に見えるのは、あくまでも透けている身体──心の見た目からかもしれないという、可能性。
「武彦さん、あの子の『本体』──本当に見たままの年齢くらいかしら。もしかしたら幼い頃の……」
 シュラインの言葉に、武彦もまた、頷いた。
「思いが飛び出したって可能性も、無きにしも非ずってやつか。俺も少し気になった、が……ほぼ一致してると見て間違いなさそうだ。パパやママと呼ぶ年齢をとうに過ぎているとは思えないからな」
「……男の勘?」
「そんなところだ」
 そうと決まれば話は早いと言わんばかりに、シュラインは手早く支度を済ませてしまう。支度と言ってもコートを引っ掛けてバッグを持つだけだから、手早いも何もすぐなのだが。
「それじゃ、行ってくるわ」
「あっ、えっと、あの……僕も行く!」
 勢い良く立ち上がった翔が、縋るように叫ぶ。
 伸ばされた手に感触はなかったけれど、シュラインは目を細めて頷き、そっとその小さな手を握り返した。





「──ずっと眠っているんです。検査はしたんですけれど、脳波も含めて、どこにも異常はないそうで」
 面会謝絶も覚悟していたのだが、命に別状はないらしいということであっさりとそれを許されて、シュラインは翔を連れて彼の身体が眠っている病室へと向かった。
 突然の訪問者を快く迎えてくれたのは翔の母親で、白く清潔なベッドに横たわる彼は、武彦の言う通り見た目と中身がほぼ一致──寧ろ見た目の方が幼いのではないかと思えるほどだった。呼吸も落ち着いて規則正しく、苦しんでいる様子はない。どう見てもただ眠っているだけである。
 翔はベッドの傍らに立ち、眠っている己の身体を触ろうとしているが、すり抜けてしまっているようだった。ただ、よく見ると、彼の魂と身体の間に細い線のようなものがあって、どうやら魂と身体を繋げているらしい──つまりは、まだ翔は生きているということだ。
「お母様、荒唐無稽な話かもしれませんが」
 シュラインはそう切り出して、翔の声音を使って喋り出す。声の模写はシュラインの得意とするところで、母親は目を丸くして驚き、目の前のシュラインとベッドの上の翔を交互に見やった。
「……翔君の声に間違いはありませんか?」
「はい……間違いなく息子の声です。失礼ですが、あなたは、どこでそれを?」
「実は、今、翔君はここにいらっしゃるんですよ」
 側に立つ翔の肩をそっと抱くように、母親に向けて告げる。母親の目にはおそらく、シュラインが何もない空間に手を置いているようにしか見えないのだろう。シュラインは手短に事の成り行きを告げた。
「まあ、まあまあ……まあ、大変、翔、そこにいるの?」
「いるよ、ママ」
 同時通訳の要領で、翔の言葉をシュラインがそのまま伝える。
「ごめんなさい、ママ。病気ばっかりしていてごめんなさい」
「どうして謝るの、翔」
「だってママやパパに心配かけてばっかりだし、変な夢を見てる子だって、笑われるの、恥ずかしいでしょ?」
「翔が苦しんでいるのに、心配するのは当たり前じゃない。……子どもは親に心配をかけるのが仕事なのよ。それに、お前のことで恥ずかしいって思ったことなんか、一度もないわ」
 この幼い少年を追い詰めてしまったのは一体何なのだろう。シュラインは翔の言葉を口にしながら考える。
 幼さゆえの無知、そんなものばかりではないはずだ。目に見えない、形のない、心というものは──うつろいやすく、一定ではなく、不安定で不確かで──例え確かなものであったとしても(多くの場合、そうであることがほとんどだとしても)何も疑わずに信じることは難しい。
 それを知るのはきっと、大人になってからだ。子どもは知らないからこそ、日々さまざまな可能性に手を伸ばすのである。
「翔君、それなら……写真を撮ってみたらどうかしら」
「写真?」
 シュラインは唐突すぎる提案を差し出しながら、にっこりと笑って頷いた。
「写真を撮ることそのものはカメラさえあれば誰にでも出来るけれど、見える世界、見える景色は一人一人違うもの。そこに映る風景や景色……世界は、その人にしか撮ることのできないものなのよ。翔君の目で見た世界を、一枚の絵にするの。目に映る世界は見えなくても、ファインダー越しに、その人の世界を垣間見れると思うのだけれど」
「僕の、世界?」
「そう、翔君の世界。翔君が飛びたいと思った空を、私にも見せて欲しいな。私だけでなく、皆にも、見て欲しいと思う。そのためには、ちゃんと身体に魂を戻してあげなくちゃ。……大丈夫、翔君、自分を信じて。必ずできるわ」
 翔は己の身体を見やり、そして、静かに目を閉じた。大きく息を吸って、吐き出す。
 シュラインは、目を閉じた翔の姿が消えていく瞬間を見た。二つの呼吸が重なったように見えた。
 ベッドの上に横たわる彼の目が、薄っすらと開かれて──
「──翔!」
「翔君」
 大事なのは、ほんのささやかなきっかけだったのだろう。
 シュラインと母親が見ている目の前で、翔はにっこりと笑ってみせた。





 後日、草間興信所宛に一通の封書が届けられた。
 お世辞にも上手いとは言えない、子どもの字で綴られた差出人の名は『秋庭 翔』──
 お礼の手紙と一緒に同封されていたのは、何枚もの写真。
 空が映っているものが多かったが、どれも何気ない日常の一コマを収めた写真ばかりだった。


   シュラインおねえちゃんと、たけひこおにいちゃんへ

   ぼくのことをたすけてくれて、ありがとうございました。
   あれから、ママにカメラを買ってもらって、
   にゅういんしている時でも写真がとれるようになりました。

   ぼくの目に見える世界は、おねえちゃんやおにいちゃんや、
   みんなの目に見える世界とはきっとちがうけど、
   これがぼくの見た世界の風景です。

   秋庭 翔



Fin.

□■□ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■□

整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業

0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員


NPC / 草間武彦(くさま・たけひこ)/ 男性
NPC / 秋庭翔(あきば・かける)/ 男性

■□■ ライター通信 □■

シュライン・エマ様

はじめまして、この度はご参加下さいまして、真にありがとうございました。楽しく書かせて頂きました。
シュライン嬢の口調、草間氏との距離感など、まだ未熟な点が多々ありますが…お気に召して頂ければ幸いです。
それでは、またお逢いする機会に恵まれましたら、その時はどうぞ宜しくお願い致します。