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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


マヨヒガ -陽の章-




 ■ 迷い家 ■

 遠野の地 小国村の女が、ある時蕗を採りに山中へと踏み入った。この時、女は、立派な黒門の家屋敷へとあたる。
「訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり。其庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多く居り、馬舎ありて馬多く居れども、一向に人は居らず。」
 すなわち、その家屋敷には住む者の気配こそすれども、人影のただひとつでさえも見つからず、女は恐れを覚えてこの屋敷を後にした。
 この家屋敷こそがマヨヒガと称されるものであり、行き当たった者は屋敷内の什器家畜いずれか一つを持ち帰らねばならないのだという。

 さて、これは民俗学等で語られている説話であって、果たしてそれが事実確かに存在しているものであるのかどうか、それは未だ定かではない。

 ■ 件 ■

 字に表される如く人面半牛で、稀に牛から生まれいずるものともされている。その命はわずか数日で尽きるともされるが、死の間際に飢饉や戦争にまつわる大きな予言を成すものとされている。


 

 場所を問わず、ただ気紛れに姿を現す化け物道。その道をずずいと進み行けば、そこに一軒の茶屋の姿が見えてくる。ぼうやりとした夜の帳の中にあって、この茶屋は闇の侵食を受け付けぬ安穏とした光に包まれている。
 さて、この茶屋、本日ばかりは”商い中”という札ではなく、代わりに”支度中”と書かれた札などを下げている。
 店内に座るは店主である化け猫の黒吉と、知己である壮年の男・侘助との二人きり。
 侘助もまた黒吉と同様にとある茶屋を構えている。現し世と幽界とを繋ぐ境に存在する四つ辻に、酷く鄙びたあばら家が建っている。それが侘助の構えている茶屋なのだ。
 化け猫と半妖のこの二人、今日は湯気立つ湯呑を啜りながら、何やらぼうやりと言を交わしあっている様子。

「先日もまた子供が数人ばかり行方不明になったそうですね」
 侘助が口を開けば、
「入れ替わりに、数人ばかし戻って来たそうでやすね。ありゃあ確か先々月辺りにくらました子供らでありやしたかねえ」
 黒吉が応えて目を細ませる。
「先月行方をくらました子供らも、もうそろそろと戻って来る頃合でしょうか」
「さぁて、如何とも。まるで検討つきませんや」
「今回の子供達もやはり口を揃えて証言しているようですね」
「牛頭の子供と遊んで来たってやつでしたか」
「ええ。”お城の中のような場所で””格子になった壁のようなものの向こうに””牛頭の怪物がいた”。子供達の証言はいずれもこの三点において共通している」
「格子壁ってえのは、例えば牢みてえな場所の事なんでやすかねえ」
「お城のようであったという点を踏まえるなら、座敷牢といったところでしょうか」
 ふたりは交互に言葉を交わしながら、それぞれに湯呑を口にする。
 しばしの沈黙。――静寂を破ったのは、侘助が持ち寄った手焼き煎餅をばりぼりと食す黒吉が立てた音だった。
「いやあ、実に旨い煎餅でやんすね。茶の湯にまたぴたりと合って」
 手放しで褒め称える黒吉の言葉に頬を緩め、侘助は急須から湯呑へと茶を注ぎ淹れる。
「ところで、近頃うちの連中が口々に噂してやがりましてね」
「ほほう、それはどんなもんでやしょう」
 関心を示した黒吉の目を見据え、侘助は少しばかり身を乗り出させた。

 月のない晩にはマヨイガが姿を現して、気紛れに子供達を遊びに誘う。戻されるのは次の新月の晩か、それともその次の新月の晩か。いずれにしても、子供らは五体満足で親元へと戻されるのだ。
 月は夜の監視を担う。ゆえにその目が届かぬ刻は朔の夜のただ一夜のみ。
 子供らは口々に言い揃える。
 迷い込んだ古城めいた場所で、牢のような中に閉じ込められている子供を見つけたのだと。
 子供はかすりの着物を身につけた男児で、しかし、その頭は人のものとは異なり、牛のそれを呈しているのだと。

「しかし、マヨイガが牢になったなんて話は初耳ですね」
 自らも煎餅に手を伸べた侘助が、ひどくのんびりとした調子でそう告げる。
 薬缶から急須へと湯を足し入れながら、黒吉もまたのんびりと欠伸など吐く。
「ここしばらく、マヨイガを確めに行ったってえ奴もいねえようですし、何かしら変わっちまったのかもしれやせん」
「確めに行った方がいいのかもしれませんね」
「でも、あっしらでは踏み入る事も出来ませんぜ。何しろ奴さん、幼子しか受け入れねえと来てやがる」
 黒吉が返した言に、侘助はふうむと唸って首を捻った。
「それでは、現場に立ち入ってくれそうな方々を捜すとしましょう。――確か飲めば一時子供へと身をやつす事が出来るってえ茶葉があったはずですし」
「なるほど、そいつぁいいや。ささ、そうと決まれば善は急げってね」
 大きく頷いて、黒吉は何やらいそいそと筆と紙とを取り出した。
 そうしてそこにつらつらと認めるのだ。

『マヨヒガの様子を検分するにあたり、助太刀を募りたく思い候。引き受けくださる御方には当方でお渡しします薬湯を含み、ひととき幼子の姿へと立ち戻って戴く事になり候』
 



 だぼついたパジャマの裾と袖とを折り返しながら、シュライン・エマは眠たげに片目をこする。
「うー、身体が子供になっちゃったからかしら。すごく眠い」
 ぼうやりとした声音でそう告げたシュラインの脇で、白地に水色の小花を散らした絵柄の着物を身につけた守崎啓斗が、解けかけた帯を結び直している。
 啓斗がまとっている着物は大人の古着を仕立て直したのだと思われる、粗末なつくりのものだった。
「あーあー、だから着物はやめとけばっつったのに」
 啓斗の横には、弟の北斗が呆れたような顔で突っ立っている。北斗が身につけているのはサイズの大きなTシャツに半ズボンだ。足元は裸足で、歩くたびに廊下がぺたぺたと音を鳴らしている。
「うるさいな。子供用の服がこれしかなかったんだ。しょうがないだろ」
 北斗の軽口をねめつけて、啓斗は大きすぎる袖と裾をたくし上げ、緑色の帯でそれを押さえこめる。
「おまえだって、そのTシャツ、サイズが大きいじゃないか。肩だの背中だのが見えてるぞ、みっともない」
「うん、まあね。子供用の服って、もう持ってないものね。私も、急いで調達してきたのはいいけど、サイズがうっかり大きかったわ」
 小さなあくびをひとつ吐き、シュラインはのそのそと歩みを進めた。
 両脇には小さな火が灯されている。子供の姿となった今では、頭よりも高い位置にある灯には、とてもじゃないが手が届きそうにない。
 長く続く畳廊下を裸足で歩く。灯のせいもあってか、足元は思ったよりも危うくはないようだ。
 シュラインたちよりも少しばかり遅れ、必然それを追う形でのろのろと歩き進めるのは、黒地に赤の椿を咲かせた着物姿の威伏神羅。神羅は裸足ではなく赤い鼻緒の黒下駄を履いている。
「わたしももうながく生きてはおるが、まよいがもくだんもこの目で見るのははじめてじゃ」
 言いながら関心深く周りを見渡す神羅に、上質な紬の着物を身につけたおかっぱ頭の少年――高峯弧呂丸が微笑みかける。
「件は明治時代の学者の冗談が生み出した存在だとも言われていますね。実在性に関してはもろもろの意見があるようですが」
「人に牛と書いて件。よって人面牛身の怪物なのでしたね」
 ゆったりと笑うのはセレスティ・カーニンガム。長い銀髪を背でひとつにくくり、やはり仕立てのよい着物をまとっていた。
「その説は大戦以降に出回りだした説じゃな。古くは人の頭に牛の身体であったと伝わっておった」
 神羅がセレスティに視線を送る。セレスティはふむとうなずき、興味深げに目を輝かせた。
「会話は可能なのでしょうか」
「こんな寂しい場所にひとりきりでは、さぞ心寂しいでしょうに」
 弧呂丸が憐憫をこめた声音で呟き、セレスティと視線を合わせて互いにうなずきあう。
「会話が出来るなら、なぜこんな寂しい場所に閉じ込められなくてはならないのかが分かるのですが」
「でもさ、迷い家って、もともとは無人の屋敷だって言われてる場所だったよね。人の気配はするけど住人の姿は見当たらない。来客を歓迎する用意は出来てるけど、もてなす人間は出てこないっていう」
 Tシャツにデニムのパンツ、スニーカーといういでたちの法条風槻が口を挟む。
「そうなのよね」
 シュラインがしみじみとうなずく。「とりあえず、この辺は普通の屋敷みたいだけど」 
 綺麗に掃除のなされた畳廊下は両脇を土壁で覆われ、時々思い出したように襖が姿を現した。
 襖はどれも開かれた状態で、その中に広がっている畳敷きの和室が容易に確認出来る。和室にはそれぞれ小さな行灯や火鉢が置かれ、ぼうやりとした明かりとほのかな熱とを得る事が出来た。
「なあなあ、この畳、全部新品だぜ、新品! イ草の匂いっていいよなあ〜」
 その畳の上でごろごろと景気良く転がっているのは、昭和を思わせるいでたちの――つまりは半ズボンに白いシャツ、それにどてらを合わせたというふうだ――鈴森鎮だった。
 鎮は特になにかを思うでもなく、事態を深く考えるでもなしに、ただ純粋にこの場所、迷い家を楽しんでいるらしい。
「鎮くん、部屋の中に特に違和感などは?」
 廊下の上で足を止めて、ともすれば女の子と見間違えられそうな見目の弧呂丸が首をかしげる。
 鎮はひょこりと顔を上げて弧呂丸をみやり、「んにゃ、ぜんぜん」と返して満面に笑みを浮かべた。
「なあなあ、ここにいるのってくだんなんだろ? それで、たまに子供が何人か呼ばれて遊んでんだよな」
 畳の上であぐらをかいて頬を緩める鎮に、神羅がするりと視線を細めた。
「あしょぶとはいっても、くだんは牢のなかにおるのじゃろう? ならせいぜい話をしたりにらめっこをするのがしぇきのやまじゃろう」
 眠気もあってか、神羅の言葉は時折舌足らずになるようだ。そのたびに少し気恥ずかしげな顔をして、所在なさげに視線を移ろわせている。
「あたし、ここに来る前にちょっとネットで調べてきたんだけど」
 風槻が、言いながら手持ちのノートを開いた。
 ノートにはここまでの道程、あるいは和室や壁の位置などが記されている。それが何かの目的のもとによるものなのか、あるいは他の理由によるものなのかは定かでない。
「戻された子供たちなんだけど、まあ、かみかくしだよね、現象的には。で、戻ってきたとき、全員、ちょっと記憶が曖昧な部分があるみたいなのよ」
 ノートにしたためた記録に目を落としながら、風槻は小さな唸り声をあげた。
「曖昧な部分、ですか? 迷い家の中での記憶が?」
 セレスティが風槻の顔を覗きこむ。風槻はノートを閉じてリュックにしまいこみ、いそいそと背負ってうなずいた。
「そう。迷い家の中での記憶は結構場面場面っていうか、牛の頭に人の身体を持った子と遊んだとか、断片的な部分だけしか頭に残ってないみたいで」
「なるほど。……くだんは不吉な予言をするとも言われているが、もしもくだんが予言を口にしたとして、招かれた子供たちがそれを目の当たりにしていたとしても、記憶にとどめていないのでは、他者には知れようのないことなんだな」
 啓斗が深く思案に耽る。
「どうだっていいじゃん、そんな事さあ」
 鎮がのんきな声をあげた。
「はやくくだんのところに行ってみようぜ。俺、くだんとなんの遊びをしようって、ずっと考えてんだからさあ」


 廊下は、進みにつれて徐々にそのありようを変えていく。
 壁は厚みを増していき、行灯の数は心もち増えたような気がする。あるいは夜目に馴染んできただけなのかもしれないが、足元が今までよりも少しばかり明瞭になった。
 襖は格子へと変容し、その奥に畳敷きの狭い空間が現れだしたのだ。
「……誰もいねえな」
 北斗があくびをひとつつきながら告げた。
「そのようじゃな」
 一番後ろを歩く神羅は、座敷牢の中をひとつひとつ丁寧に検分しながら、小さな息を吐き出す。
 ふたつ、みっつと、座敷牢を横目に過ぎていった場所。廊下の最奥に行き着いた鎮とシュラインとが声をあげた。
「見つけた!」
 その声に誘われて、残る六人も急ぎ駆け出す。
 果たして、そこには、確かにひとりの少年がいた。

 頭からすっぽりと布袋を被り、かすりの着物を身につけた子供が、座敷牢の隅で膝を抱えて座っている。
 布袋に開いた二つの穴から覗く眼は人のそれとは異なるもので、それが円らな光をもって瞬きをした。

「あ、おい、おまえ、くだんだろ!?」
 初めに格子に飛びついたのは鎮だった。
「俺らさ、俺らさ、おまえと遊ぶのに来たんだ。遊ぼうぜ!」
 微塵の恐れもなくくだんに寄っていく鎮に、くだんの方が驚いたようだ。
 戸惑い身じろぎをするくだんに、シュラインがぺこりと頭をさげる。
「あの、こんばんは。ええと、お邪魔してます」
「……」
 くだんは言葉なくうなずき、窺うような眼差しで眼前の子供たちを見渡した。
 くだんの円らな眼差しを真っ直ぐに見据え、それまでじっとくだんを検めていたセレスティがやんわりとした笑みを浮かべて首をかしげる。
「セレスティです。キミ、そこからは出てこられますか?」
 訊ねながら格子を確認するが、鍵らしいものは見当たらない。
 返事をしたのは、格子にぶら下がっていた鎮だった。
「ここ、開いてるぜ!」
 言いながら、格子の端の方に手をかける。出入りするための場所なのだろう。格子は難なく開き、鎮はするりとその奥へと踏み込んだ。
「……開いておるのか」
 神羅がわずかに眉をしかめて呟いた。
「じゃあ、なんで逃げたりだとかしないのかしら。……見張りもいないのに」
 神羅の言に、風槻が表情を曇らせ、ひとりごちる。

 迷い家は、人の気配こそすれ、その影は目にする事がない場所だという。

「人の気配か……」
 呟き、北斗が不意に視線をそこかしこへと向ける。それに気付いた啓斗もまた視線を移ろわせたが、やはり他者の影は見当たらない。
「気配は、確かにあるんだけれどもな」
 続けてごちた北斗の言に、シュラインと弧呂丸とがうなずいた。
「目に見える範囲では確かに見張りはないようですが。……もしかしたら、彼は、自分の意思でここにいるのかもしれません」


 しばしの後、くだんを牢から引っ張り出してきた鎮が、くだんの手をとって楽しげに声を弾ませる。
「追いかけっこやろうぜ、追いかけっこ! くだんも追いかけっこやりたいってさ!」
 くだんの手を握り、鎮はくだんの顔を見やって「ねー」と首をかしげた。
 くだんは、声こそ発さないものの、鎮の言葉には大きく首を縦に振って応える。
「しゃべれないのかの?」
 神羅が問うと、くだんは少しばかり躊躇した後にうなずいた。
「くだん、喋れないみたいなんだよ。でもこっちの言うのは聴こえてるみたいだし、全然問題ないって。な、追いかけっこ!」
 鎮がくだんをカバーする。
「そうか、喋れないのか」
 啓斗が小さな息を吐いた。
「ところで、俺はあやとりとかがいいんだが。折り紙も持参してきたし」
「あやとりとか折り紙っていうのもいいわね。でもとりあえずみんなで走り回ってあったまるのもいいんじゃない?」
 シュラインが微笑み、
「逃げ場所も結構あるようですしね」
 廊下のあちこちにある長持のような箱や、身を潜めるのによさ気な場所を確認しつつ、セレスティもまたシュラインに同意する。
「そうだぜ、兄貴。こんだけ部屋数もあるんだしさ、隠れたり逃げたりしながらあちこち走り回るのも面白そうじゃん」
 北斗がにかりと頬を緩めた。
 風槻や神羅を見れば、ふたりもまたやはり鎮の提案に賛同しているようだ。
 啓斗は肩を竦めてため息を吐き、
「それじゃ、鬼を決めようか」
 言って、じゃんけんの段取りを取った。


 鬼になったのはくだんだった。
 風槻が下した合図と同時に、八人の子供たちが一斉に走り出す。――とは言え、場所は長い廊下。しかもくだんがいたのはその突き当りにあたる場所だ。駆け出す方向は自然と定められてしまう。
 くだんは、布袋を外していた。
 その下からはやはり牛の顔が現れたが、子供たちは別段驚くでもなく、あたりまえのようにそれを受け入れ、そうしてほどなくして全員があえなく捕まった。
「じゃ、次。かくれんぼ! 俺、鬼な」
 鎮が声をあげたのと同時、くだんを含めた子供たちが、わっと散らばる。

 くだんが長持の中に隠れたのを横目に、まず神羅が板戸の後ろに身を潜ませた。
 牛頭鬼が描かれた板戸は歴史を感じさせるものだったが、やはりそれも手入れの届いたものだった。
 身を潜めた刹那、天井から誰かの囁く声、それこそともすれば容易に消え入りそうなほどのかすかな声が、神羅の耳をさわりと撫でたような気がして、神羅は咄嗟に視線を上部に向ける。

 北斗は行灯の薄い闇の中へと身を寄せて、土壁の一所に両手をあてる。
 ――なにか、引っかかるものを感じていたのだ。
 廊下の両脇は土壁や襖で囲まれているが、外部に通じる窓や縁側といったものが見当たらない。にも関わらず、北斗はどこからかわずかに風の気配を感じたのだ。
「抜け穴か……それかもっと違うなんかがあるって事か?」
 言いながら一通り調べてみるが、それらしいものはどこにも見当たらない。
 ならば、あるいは何者かが知らず過ぎていった気配であったのか。

 幼少時期の記憶は、決して明るいものとは言えない。
 リュックから取り出したデジカメと使い捨てカメラとを交互に持ち直しながら、風槻は苦虫を潰したような面持ちでそこかしこにシャッターを切る。
 迷い家の内部を撮影しておこうと思い立ったのは、恐らくは情報屋としての性分がゆえなのかもしれない。あるいは頭のどこかで、残しておかなくてはと無意識の内に感じ取っていたのかもしれない。
 ともかくも、畳廊下や襖、板戸、土壁。あらゆる場所にレンズを向けてシャッターを押す。
「子供の姿に戻るのも、なんかあまり気分のいいもんじゃないな」
 苦笑いをこぼし、しかしその時背後に何者かの気配を覚え、風槻は肩越しに振り向き、そして反射的にシャッターを切った。

「おや、こんなところに隠れていたんですね」
 長持の蓋を持ち上げて、セレスティはやんわりとした笑みを浮かべる。
 長持の中にはくだんがいて、円らな双眸でゆるゆるとセレスティの姿を仰ぎ見ている。
「ここからは鎮くんも近いですね……」
 言いながら振り向き、鎮が数を数えているのを確めた。
「よければ私と一緒に、もっとあっちのほうに行きましょう。逃げられる場所にいたほうが、なにかと便利ですよ」
 穏やかに微笑むセレスティに安堵を覚えたのか、くだんは長持を出てセレスティに従い、廊下を奥へと歩き始めた。

 啓斗は弧呂丸と一緒にいた。
 和室のひとつの中央に、掘りごたつ用のくぼみがあるのを見つけたのだ。ふたり同時にそれを見つけたためもあってか、ふたりはどちらからともなく共にそこに身を潜めたのだった。
 畳敷きの部屋の中にはぼうやりとした明かりと熱とが充たされ、そこは一見すれば静謐に支配された美しい部屋でしかない。
 が、声を潜め息を殺していると、確かに何者かの足取りが耳を撫でていくのがわかるのだ。
 鎮のものではない。
 ふたりは互いの顔を見合わせて、足取りが畳の上を所在なさげに移動するのを聞いていた。

 あまりの眠さに、ついに負けてしまったのかもしれない。
 遠くで響く鎮の声を耳にして、シュラインはふと目を開けて目の前の空間に視線を向けた。
 シュラインが身を潜めたのは、和室のひとつ、掛け軸をひっくりかえした裏側に見つけた小さなくぼみの中だった。
 子供ならば屈めればやすやすと入れこめそうなだけの、何ら飾りもなにもないくぼみ。
「……私、でも、こんなところに隠れたかしら」
 曖昧な頭を小さく震わせて、奇妙に眠気の晴れた思考を巡らせる。
 しかし、次の時、掛け軸は大きく揺れ動き、その向こうで鎮が悪戯めいた笑みを満面に浮かべていた。
「シュライン、みーっけ! これで全員だな!」


 かくれんぼを終えた子供たちが次に始めたのはお絵かきだった。これは啓斗の提案によるもので、紙や色鉛筆などは啓斗が持参してきていた。
 長持や文机、あるいはそのまま畳の上で書きなぐる者もいた。
 色とりどりの花や太陽、空、海。どれもが色鮮やかな、外の世界の風景だ。
「これが太陽。お天道様ね。で、こっちが海」
 皆が描いた絵をくだんに見せて、シュラインと風槻とがそれらを説明していく。
 ――くだんは外の世界を知らないのだという。
「え、なに、くだんって外を知らないのか!?」
「生まれてからずっとここに?」
 訊ねた鎮と北斗に、くだんは確かに首を振ったのだ。
 しかし。
「……でも、これって、外の風景ですよね」
 弧呂丸が首をかしげる。
 啓斗がくだんに渡した紙には、森と、粗末な掘っ立て小屋が描かれてあるのだ。
「想像して描いたとか……?」
「あるいは、もしかすると、昔、くだんは外の世界に住んでいたのかもしれませんね」
 啓斗の言に、セレスティが視線を細める。
「しかし、分かりませんね。……どうしてくだんは外に出ようとしないのでしょう」
 眉根を寄せたセレスティに、神羅が訝しんだ表情を浮かべた。
「出ようとしないのか?」
「ええ。……じつはさきほど、かくれんぼの時、くだんを外に連れ出そうと試みてみたんですが、」
「ダメだった?」
 啓斗が身を寄せる。
「出口を前にした瞬間、……ひどく怯えられてしまいました」
 くすりと笑い、セレスティは肩を竦めた。
 
 
 八人が迷い家に踏み入ってから、果たしてどれだけの時が経ったのか。
 ほどなくして、場は白々とした光を得て、その奥から侘助と黒吉との声が八人の名を呼び始めた。
 くだんは表情の分からない面立ちながら、それでも確かに嬉しそうに目を輝かせ、八人の手を順に握る。
「……一緒に出ようぜ、くだんー」
 鎮がぼそりと落とした言葉に、くだんはふるふるとかぶりを振った。
「遊び相手が欲しいんなら、外に出たほうが便利なのになあ」
 北斗が残念そうにため息を吐いた。



 ふと気がつくと、八人は黒吉が商いをしている茶屋の中に立っていた。
 姿は未だ子供のそれのまま。だが、大きかったTシャツや着物が少しづつちょうどよいサイズへと変わってきている。
「おかえんなさい。先に着替えでもされてきちゃあどうですか」
 やわらかな笑みをのせた侘助がそう促し、その後ろから顔を覗かせた黒吉は湯気のたった湯呑みと茶菓子とを盆にのせて運び持っている。
「……ええ、そうね」
 心なしか、どこかぼうやりとする頭を抱え、シュラインが静かにうなずいた。それに続き、ほどなく、全員が本来の姿へと戻ったのだった。



「なるほど、それでは、皆さんが立ち入る事が出来たのは、くだんがいたその一郭だけであったのですね」
 侘助が小さくうなずきながら告げた。
「捕らわれていたのはくだんだけだったんですね?」
 黒吉のヒゲがぴくりと動く。
「牢は他にもありましたが、見つかったのはくだんだけでした」
「出入りも自由だったよな。鍵とかもなかったしさ」
 弧呂丸と鎮とが視線を合わせてうなずきあう。
「座敷牢となっていたのは最奥部分の一郭でした。それ以外はごく普通の屋敷といったふうで」
 セレスティが湯呑みを手にして目を細ませた。
「なるほど……」
 小さな唸り声をあげて、侘助は腕組みの姿勢で視線だけを黒吉に向ける。
「しかし、妙じゃの。あの屋敷、他にも何奴かの気配が満ちておったのだが」
 キンツバに手を伸べて、神羅が苦々しい顔をした。
「まあ、それが迷い家という場所だしなあ」
 北斗がのんきな声をあげ、それを肯定するように風槻がうなずく。
「でも、……確かに変な場所だったよね」
「でも、あれよね。迷い家に入ったら、何でもひとつ持ち帰ってきてもいいのよね。私、うっかり忘れてきちゃったわ」
 シュラインが首を竦めて言ったのに、神羅がにんまりと笑いながら朱塗りの碗を取り出した。
「その辺はぬかりなく、じゃ」
「……俺はこれを」
 ぽつりと落とし、啓斗が差し伸べたそれは、くだんが描いた一枚の絵だった。
「たぶんくだんの家……生まれた家かなんかかなと思うんだが……優しい絵だと思ったから持ってきてみた」
「そうですか……」
 うなずき、侘助がその絵を手に取る。黒吉もそれを覗き込み、ふたり揃って何事かを含めたような表情を作った。が、
「ありがとうございます。助かりました」
「さあて、それじゃあ、あっしの手料理でも振る舞いますかねェ。皆さん腹ァ減っていなさるでしょう」
 揃って明るい声を発したのにおされて、その表情が含む意味を訊ねる事が出来ずに終わったのだった。

  
 

  ――→ 陰の章へ




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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0554 / 守崎・啓斗 / 男性 / 17歳 / 高校生(忍)】
【0568 / 守崎・北斗 / 男性 / 17歳 / 高校生(忍)】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2320 / 鈴森・鎮 / 男性 / 497歳 / 鎌鼬参番手】
【4583 / 高峯・弧呂丸 / 男性 / 23歳 / 呪禁師】
【4790 / 威伏・神羅 / 女性 / 623歳 / 流しの演奏家】
【6235 / 法条・風槻 / 女性 / 25歳 / 情報請負人】


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          ライター通信          
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 このたびはご発注くださいましてまことにありがとうございます。
 当初は四名様でのマヨヒガを予定していたのですが、結果的には八名様をお迎えするはこびとなり、大変に嬉しい出立となりました。

 さて、陽の章ではくだんとの時間を過ごしていただこうという主旨のもと、皆様をお迎えさせていただいたわけなのですが。
 少しでもお楽しみいただけていましたら幸いです。

 以降、猫亞WRによる「マヨヒガ 陰の章」に続く形となります。
 続くとは言っても、あちらはまた違った側面。今回のノベル中でちろちろと書かせていただきました部分が、おそらくあちらのほうでちろちろと解明されていくのではないかと、放り投げてみたりして(視線を泳がせつつ)
 陰の章サイドのシナリオはもう公開となっている様子。
 よろしければ併せてのご参加のほど、ご検討くださいませ。

 それでは、大変お待たせしてしまいました。
 また皆様とのご縁をいただけますようにと祈りつつ。