|
『A children's story labyrinth ― The world wishes you grant a wishU ―』
【北欧の神話 竜の心臓】
一匹の竜が居ました。
その竜は、ある日戦争で傷つき、死にそうになっている王子に自分の心臓を分け与えてやりました。
竜には信じている物語があったのです。
とても良い事をした竜は、天国に逝けると。
竜は天国に逝く為に死に掛けの王子に心臓を分け与えたのです。
しかし竜は知りませんでした。
その王子はとても酷い人間である事を。
竜の心臓を得た王子は竜が死なない限りは歳を取らず、そして竜が死なない限りはどのような大怪我をしても、その怪我はたちどころに治る様になってしまったのです。
そんな身体を得た王子の邪心はもはや止まりませんでした。
止められる者は居ませんでした。
世に言われる邪心戦争の真実はそういう風だったのです。
しかし世に勇者が現れました。
人を誰一人信じなくなった竜の心を開いたその勇者は、竜と共に王子の国を滅ぼし、最後は、泣く勇者を竜が宥め、勇者は竜を殺し、そうする事で王子を倒して、世界は平和になったのです。
そうして世の平和の為に命を犠牲にした竜は、天国へと旅立ったのでした。
Open→
【T】
知っていますか、オリザ?
魔法アイテム【魔力の結晶人形】と自分を言い張るあなたをわたくしがどれだけ大切に思っているのかを?
ミスリルゴーレムと魔力の結晶人形、最初はただ、わたくしとよく似たあなたを、わたくしがたくさんの大切な人たちと触れ合って、人の心を知って、それを得ていったように、あなたにもわたくしが与えてもらったたくさんの感情をプレゼントして、
そしてそれと一緒にわたくしにしてあげられる事をしてあげて、
そうして本当の心を得て欲しかった。
生まれた大切な光りを育てて欲しかった。
してもらいたかった。
でもわたくしのその感情は、かえってあなたには重荷になっていたのかもしれませんね。
期待と愛情が、真っ直ぐに育っていたあなたの芽にいつの間にか負荷をかけて、曲げてしまっていた。
わたくしは今でもあの光景を詳細に思い出す事ができる。
オリザがあの惨劇を起こしてしまった瞬間を。
生まれて、育ちかけていた芽は、わたくしがオリザにかけた負荷によって、曲がってしまい、それは、…………。
「全てはわたくしのせい………」
あの時、確かに人魚の姫の攻撃からわたくしを守るには、彼女を殺すしかなかった。
優先順位の問題で、
オリザにとってわたくしを守る事こそが、一番であった、という事で、
そして、その優先順位を、優先させた事で、
その行為は、わたくしの教えていた事には反するとあの娘はちゃんとわかっていて、
だから、わたくしに許しを請うた。
「確かに人は誰か大切に想える人のためには、時には世界すらも敵に回して、それを滅ぼしてしまう事すらも厭いはしない事もある。それでも………」
いくら考えてもそれは詮無き事なのかもしれない。
思考の袋小路。
わたくしだって、あの娘が人魚の姫を殺すその瞬間まで、死ぬ気でいた。
正直に言います。あの娘の事を忘れていた。
それはわたくしの中にある心の澱。
―――わたくしだって、自分がミスリルゴーレムである事に何かを想わない事が無い訳じゃない。
大切な人たちを見送り続けるその運命、
作られた者であるその宿命。
そんなモノが人魚姫という童話に触れて…………
そういうわたくしの心にもある感情の澱がもたらす危うさをオリザは怖れて、
自分が置いていかれる事を悲しんで、
わたくしを大切に思って、その想いは同時に哀れみ(憐れみ)で、わたくしにあの娘はあの瞬間、たくさんの事を願った。自分の存在を対価にして。
いい機会なのではないかとわたくしも想う。
もう一度、わたくし自身の出自とか、そういう事を想い、考え、そこから次の一歩を歩むための。
子が親にしてくれる、いつだったか、奥様に教えられた人間の事。
わたくしには永遠にそんな人の真理(心裡)とは本当の意味で縁の無い事と、諦めていたのに、それを聴いてから四百年経ったこの時間で、諦めていたその感情を知る事ができたのは、本当にわたくしにとって嬉しい予想外の事だった。
そうだ。
わたくしにも、そしてあの娘にも時間はまだたくさんある。
だからわたくしももう一度、あの娘と一緒に歩んでいこう。
色んな事を、やり直してみよう。
もう二度と、わたくしの心の澱にわたくしの心が澱み、沈むのはもちろんの事、オリザまでそれに捕まって、沈んでしまわないように。
―――わたくしは、あの娘の芽吹いた芽を真っ直ぐに成長させてあげられる事のできる、太陽に、雨に、なってあげられるでしょうか? 奥様。あなたのように。
忘れていた訳ではありませんでした。
わたくしも昔にしていただいた事。
王女をモデルにして錬金術師に錬成されたわたくし。
そのわたくしには、色んな情報やある程度の知識としての人間の感情が錬成された時に既に与えられていましたが、でも例えば人に恋をした事の無い人が、甘い恋愛小説を読んだだけで、恋する人間の感情を本当に理解できる訳ではありませんでしょう? 恋愛の達人になれる訳ではありませんでしょう?
感情とは、創造力、想像力、なのです。
想像のできない感情は、意味はありません。
その感情の意味をどれだけ知識として得ていても、想像力が、創造力が、伴わなければ、それはやはり知識でしかなく、
錬成されたてのわたくしはやはり、感情を知識として知るだけで、感情の機微なんて、まるでわかりませんでした。
そんなわたくしに奥様がしてくださったのは、公園デヴューと本の読み聞かせでした。
ええ、幼い子に母親がする事、子育てと一緒ですね。
本の登場人物に感情を移入して物語を読む事で、様々な本の登場人物の人生を疑似体験する。
それでただ知識として人間の感情を知っていただけの時よりも、よりリアルに人の感情を知る事ができて、
そしてわたくしは、………そのよりリアルに感じられるようになった人の感情をもっとよく知りたくって、それで、それまでは奥様に連れられて行っていた人間の輪の中に、自分から入って行くようになったんです。
先ほども申しましたが、それをわたくしは忘れていた訳ではありません。
ただ、オリザと初めて出逢った時、わたくしはオリザにも人間の感情がプログラムされていて、そしてそれは上手く作動していると想ったのです。
事実彼女はわたくしに人を求めていました。
ですからわたくしは人の輪の中にあの娘を入れるための事からはじめたのです。
そしてそれが結果、彼女の芽吹いていた芽は、偏った成長をしてしまったのです。
この子の心には薔薇が咲いている。だからこの子の心は美しいのだ。
―――それはわたくしの大好きだった絵本の台詞の一つ。
わたくしはオリザが抱く花を、歪に成長させてしまった。
偏った肥料では芽は偏った成長しかしないし、
雪の下では芽は潰れてしまう。
もしもオリザが抱く花が目に見えるのであれば、それはきっと、かつてのわたくしと同じで、葉ばかりが多くて、茎は細い、そんな花の蕾なのでしょう。
わたくしはかつての自分と同じにしてしまうところでした、あの娘を。
それにとても悩み、落ち込みもしたけど、でもやはりそんなわたくしの心を支えてくれたのはかつての奥様の言葉でしたし、
知り合いの兄妹の姿でした。
そう。わたくしはかつての自分がそうでしたから、オリザの気持ちもわかりますし、
霊鬼兵としての使命だけを抱き生きてきて、その他の喜びも、感情も知らないで、だけどそんな彼女を妹にして、人の心を教え続けた彼の姿を、心の成長を成し遂げていく彼女の姿をわたくしは近くで見ていましたから、
ええ、かつてのわたくしの心、体験が、親愛なる兄妹の姿が、わたくしに力をくれたのです。
わたくしは、間違えてしまったのなら、そうしたらそこからやり直せばいいと想うのです。
人は何度だってやり直せる。
そこから成長できる。
そうやって、自分の心に抱く花の蕾を開かせるのだ、と、わたくしに人の心を教えてくださった奥様もそう仰られていましたから。
ですからオリザ、わたくしと一緒に、もう一度成長して生きましょう。
【U】
「デルフェスさん、質問がありますが、よろしいでしょうか?」
ある日、小さな書店が経営するカフェの窓側の席で三人で座りながら、本を読んでいると、おもむろにオリザがそう聞いてきました。
心の栄養のひとつとして読書をオリザの情操教育に取り入れた訳ですが、これは大いに彼女の心の成長に貢献していまして、彼女は随分と読書に勤しんでいるのです。
ですから彼女がそう言うのは、わたくしにとっては、とても嬉しい事でした。
「何ですか?」
「はい。常々疑問に想っていたのですが、何故、『七匹の子山羊』、『三匹の子豚』、『梨取り』、『三人のものぐさ息子』、など古今東西を問わずして、末の子が成功するのですか? 『ハウルと火の悪魔』にいたっては、お姉さんは自分は一番上だから、と、人生を諦めています」
きょとん、と小首を傾げたオリザにわたくしは頷きました。
「良い質問ですね、オリザ。この物語の形態は一般的には末子成功譚と呼ばれます。民俗学などでは有名な思想ですね。まず人間の身体の特性に焦点をあわせるのなら、長子を産む時の母体は初めての妊娠、出産と言う事で、身体の機能が初めて尽くしで、そういう身体の負荷が長子にも影響してしまうのです。ですが、次の子を産む時には以前の経験を身体が覚えていますから、その経験に基づく妊娠機能のノウハウが細胞に構築済みで、ですから一般的には長子よりも次子の方が身体的にも優れているとなるのです。そして精神的な部分で末子成功譚を説明するのであれば、ユング派の説がわたくし的にはお勧めで、まず物語りに多く見られる3という数字が――――」
「あー、もう、デルフェスさん、頭かた〜〜〜い」
と、おもむろにわたくしの講義を遮ったのは生まれ変わりのあの子。
彼女は右手の人差し指をカッコよく立てて、それを颯爽と振りながら歌うように言います。
「そんなのは簡単よ。世の人たちは無条件で一番下の子が好きなのよ!」
「そうなのですか?」
「そうなのよ。下が一番可愛がられて、何をするにも特なのよ! 怒られるのはいつだって上の子。例え上の子が正しくってもね」
「わかりました。さすがです」
何やら二人で頷きあう娘たちを見ながらわたくしはため息を吐きました。
あー、そう言えば今世では一人っ子ですが、前世では六人姉妹弟だったこの娘の口癖はお姉ちゃんは損だ! でしたね………。
そんななんだか肩が落ちてしまうようなお話を楽しそうにしているわたくしの二人の娘たちを眺めるわたくしは、はい、とても幸せでした。
【V】
12月24日。
カスミ様が顧問をなされている吹奏楽部が参加なされる音楽会にわたくしはオリザを連れて行きました。
オリザにも音楽を聴かせたかったのはもちろんの事、もうひとつは人が感動する場面というモノに彼女を触れさせたかったのです。
ええ。わたくしが音楽会に行ったのはそういう理由でした。
そこで、まだ終わっていなかった物語に触れるなどとは、わたくしは夢にも思っていなかったのです。
わたくしが嫌な胸騒ぎを覚えましたのは、本当ならカスミ様がなされるはずの指揮者を、副顧問の先生がなされているのを見たからです。
それが本当にわたくしを不安にさせたのです。
何か言い知れぬ不安、強迫観念のような物に半ばはやしたてられる様にわたくしは、吹奏楽部の生徒にカスミ様の事を訊ねました。
すると………、
「ああ、デルフェスさん。え? 響先生? ああ、先生は風邪でお休みです。何だか本当に数日前から調子が悪そうだったから、明日にでも皆で先生のところへお見舞いに行こうって、皆で話してたんです」
―――それで少しは安心できたかといえば、答えはNOと言うしかありませんでした。
何故なら、カスミ様の体調が悪くなったのはあの事件と重なる時期だったのですから。
「カスミ様………」
それがわたくしの取り越し苦労である事を祈りながらわたくしはカスミ様の部屋へと向かったのです。
しかしその時、わたくしの携帯電話が着信しました。
「え?」
そのタイミングで鳴ったという事で、わたくしはもうそれに出る前に、それが誰からのメールであるのかを理解していました。
わたくしは慄然とした物を感じながら携帯電話を開き、メールを呼び出しました。
表示された文章は、
しくじったわん塾靴ほほぅ手帳留守731
「これは何でしょうか、デルフェスさん?」
「カスミ様の助けを求める声です。きっと、わたくしがカスミ様の部屋へと向かっているのを知ったのでしょう。それで、わたくしの間違いを正すためにこうしてメールを下さったのです」
「でもこれは、しくじったわん塾靴ほほぅ手帳留守731、意味不明です?」
小首を傾げるオリザにわたくしは首を横に振りました。
このメールには二つの意味がかけられているのです。
ひとつは、このメールには彼女の居場所が書かれている。
これは暗号。
カスミ様とわたくし、同じ機種の携帯電話だからこそわかる、わたくしとカスミ様、二人が仲が良いからこそわかる暗号。
そして、自分の居場所を暗号にしてメールで送ってこなければいけないという事は、そういう立場に彼女がいるという事。
「カスミ様は何らかの事件に巻き込まれています」
「では早くお部屋に行かないと」
「いえ、向かうのは、この暗号で、書かれている部屋です」
メールに書かれていた部屋に行くと、水の流れる音だけがただ延々と流れていました。
バスルームでシャワーを浴びている姿のまま、カスミ様は石化していたのです。
【W】
「カスミ様」
口を両手で覆ってもわたくしの零れ出た声は悲愴げな響きでバスルームに反響して、ただそれが他人の物の様にわたくしには聴こえたのです。
ああ、カスミ様。しかし、あなた様は何故この様な事に………。
そればかりをこの時のわたくしは考えていました。
そしてその思考の空回りからわたくしを救ってくれたのはオリザでした。
彼女はバスタオルとバスローブを片手で抱え持って、そしてもう片方の手でわたくしのスカートを引っ張ったのです。
それで、わたくしは、オリザを見て、わたくしを力づけるように微笑んで頷いたオリザに、確かに力を貰い、
その力を使って、ありたっけの冷静さを空回る思考に注いで、幾分の冷静さを取り戻したのです。
そう。まずすべき事は、カスミ様をお救いする事。
わたくしはシャワーを止め、
彼女の濡れた石化した身体をバスタオルで拭いて、バスローブを石化した身体にかけると、彼女の身体に触れました。
おそらくはこれは偶然ではないと想いました。
カスミ様が石化しているのは。
被害者がカスミ様だという事、そして石化されているという事、彼女の体調があの事件を境におかしくなったという事から導き出される答えは、わたくしもそれに関わっているという事。
だから、この石化、という現象には意味がある。
……………やはり、そうですか。
「デルフェスさん、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ、オリザ。やはりカスミ様をこの様にした方は、わたくしのコピーのようですね」
そう、コピー。
カスミ様にかけられた石化という錬成の想像と、創造と、理解と、分解と、構築のプロセスがこのわたくしと一緒。
それは例えば折り紙で作った鶴を開いても、しかしそれに付いた折り目で、その作り方がわかる様な物。
だから、
「ええ、わたくしには、できます」
これがわたくしのコピー能力であるというのなら、わたくしに解けない訳がありません。
「…………でるふぇす、さん?」
「はい、カスミ様」
血の気の無い顔でわたくしを見上げた彼女にわたくしは頷き、
そしてとても安心した顔をなされた彼女は気を失って、
その彼女をわたくしは慌てて抱きとめたのです。
【X】
暗号はとても簡単でした、わたくしにとっては。
おそらくはわたくしがカスミ様に出しても、カスミ様もまた解いてくださった事でしょう。
そう、同じ携帯電話の機種を持っていて、メールのやり取りをしているわたくしたちになら、解けるのです。
携帯電話は、使いたい言葉の最初の一文字を打っただけで、つい最近使った言葉を表示してくれる機能があります。
例えば恋人への愛を歌うメールを打ちたくて、愛している、の、あ、を打っても、つい前に使った言葉が明日、だったら、明日が表示される。
つまり、カスミ様がわたくしに送ってきたメールはそういう事。
例で説明を続けるのなら、愛している、の、
あ、は明日で、
い、だったら、今、
し、は失敗、
て、は、手、だったりして、
い、今、
る、留守、
これをあのメールの暗号に当てはめれば、
―――明日今失敗今留守、
になる。
だからカスミ様のメールは、
しくじったわん塾靴ほほぅ手帳留守731、
【し】くじったわ
【ん】
【じゅ】く
【く】つ
【ほ】ほぅ
【て】ちょう
【る】す
731号室
という推理が、簡単に成り立ったのです。
「気付かれましたか、カスミ様?」
「デルフェスさん。私は?」
「石化なされていました。わたくしの能力をコピーした相手にされたのでしょう。その人物の外見を説明できますか?」
しかしカスミ様はわたくしから目を逸らしました。
「記憶が無いの。自分がいつ石化したのかわからない。ううん、問題は、そんな事じゃない………」
言葉をボリュームを絞るように途切れさせたカスミ様の言葉の続きをわたくしは待ちました。
それはカスミ様には必要な時間だと想いましたから。
そしてカスミ様は、逸らしていた目をわたくしに戻して、泣き出す寸前の顔をなされたのです。
「ねえ、デルフェスさん、ここ、どこ?」
―――――。
【Y】
ここ、どこ?
そう口にされた彼女は消えてしまいそうでした。
そして決定的な事が起こったのは、その時だったのです。
カスミ様の体が輝き、石化したのです………。
わたくしは愕然とするしかありませんでした。
「これは、どういう事ですか?」
いえ、わたくしを戦慄させる事はそれで終わらなかったのです。
オリザが両腕に抱いていたあの魔本が落ちて、それから伸びた死肉色の手が、魔本のページを開いて、わたくしに北欧の神話の竜の物語を見せつけたのですから。
「これはオリザ、やはり、そういう事なのですか? やはりまだカスミ様は………」
「はい。鏡界の【白銀の姫】内に彼女は居ます。まだ彼女はあのゲームの影響を受けています。…………行きますか?」
―――行きますか?
そうわたくしに訊いてきたオリザの表情は…………
だからわたくしは、オリザを抱きしめました。
「行きます。そして今度こそカスミ様を救い、二人であなたの下に帰ってきます」
【Z】
そしてわたくしはまたこの鏡界のアスガルドに立った。
しかし情報はまるで無いのです。
前回のようにイベントが発生する様子もありませんでした。
ですが、
「あの魔本は竜の物語を指し示していました。だったら、」
この世界で竜というのであれば、あそこしかわたくしには思い当たりませんでした。
アヴァロン。
かつてわたくしたちと邪竜クロウ・クルーハとが命を懸けて戦った地。
そこにある城に彼女は居ました。
邪竜クロウ・クルーハをベット代わりにしてそれの上に横になっているカスミ様が。
しかし、
「あなたは………誰ですか?」
「私? 私は私よ。響カスミ」
「嘘です。あなたはカスミ様では無い」
「いいえ、響カスミよ。これも私。あなたの知らないもうひとりの私。人間は誰しもいくつもの顔を持っている。私があなたに見せていた顔以外の顔を持っていたって、何の不思議も無いでしょう?」
「それは確かにそうでしょう。しかし、その顔が他者に作られた偽りの表情、仮面だというのならわたくしは、それを黙って見過ごす事はできません」
「還襲鎖節刀・双石華。見事な武器よね。でも、それの特性もあなたの能力も前回の戦いで全てスキャン済み。そう。あなたに勝ち目は無いわ。鹿沼デルフェスさん」
―――それでもわたくしにはやらねばならない事があるのです。
「そう。戦うのね。いいわ。あなただって、立派な私の趣味の対象者ですもの」
「趣味?」
「そう、趣味。鏡よ、鏡よ、鏡さん。この世で一番美しいのはだぁーれ?」
『それは鹿沼デルフェスです』
それは魔法の鏡。
部屋の片隅に置かれた巨大な鏡に向かって彼女はそう問いかけて、そしてその答えに肩を竦めると、わたくしの顔を見て、また大仰に両手を開いて喜劇俳優のように肩を竦められた。
「あなたは………」
「私はね、美しい自分が大好きなの。鏡に映る自分の顔を見て、色んな髪型を楽しんでる時間が大好き。とても幸せ。でもね、自分よりも美人な人を見るとだからへこむのよね。だからそう、そういう女を見つけては、換石の術を仕掛けていた。おかでほら、たくさんの綺麗な石造たち。ついさっきもこの石造を作ったのよ?」
「なるほど。つまり現実世界のカスミ様が石化していたのは、あなたが換石の術を使う度に起こっていたリバウンドという事ですね?」
彼女は頷いた。
そして、次に猫の様に笑う。
「ねえ、知ってた? 私、いつだってあなたにコンプレックスを抱いていたのよ? その雪のように白い肌、形が良くって、華奢な身体の線をしながらたわわな胸、蜂のようにくびれた腰、形の良い優雅なお尻、すらりと伸びた肢体、綺麗な髪、瞳、唇。女の私でも本当にうっとりとするぐらいに綺麗よ、デルフェス」
「当然です」
「言うわね。謙遜とかしないの? 形だけでも」
「いいえ。謙遜なんかしません。わたくしのこの姿がわたくしの存在の一つの理由なのですから。だから、この姿をわたくしは誰よりも尊く想い、誇らねばならないのですから」
「そう。なら、美しい石造として永遠にこの部屋に飾ってあげるわ」
と、彼女が言い終えた瞬間、わたくしに換石の術がかけられる。
が、
「この程度で、わたくしを石化できると?」
わたくしはそれを解く。
「コピーは所詮コピー。わたくしには敵わない。あなたはわたくしの敵じゃない」
「あはははははははは。そうね。換石の術はあなたのコピーかもしれない。でもそれであなたを倒すのは無理って? ミスリルゴーレムには物理攻撃は利かない? だけど、もうひとりの私の牙と爪なら、どうかしら?」
起き上がる邪竜クロウ・クルーハ。
その鋭い牙が剥かれる。
なるほど。確かにこの邪竜の牙や爪なら、わたくしは食い千切られるし、切り裂かれる。
そして――――
「もうひとりの私。そうですか、つまりあの物語はこれを指し示していたのですね。邪竜クロウ・クルーハの心臓とカスミ様の心臓はリンクしている。だから、二人は一心同体。カスミ様は偽りの仮面を顔に付けさせられた」
「驚いた。まさかこの物語の核心を突くなんてね。私が知らないツールをあなたは持っているのかしら? でもまあ、いいわ。なら、説明してあげる。前回のクエスト。あなたは本当は失敗していたのよ。響カスミは五体を引きちぎられただけではなく、心臓、心をも魔女に取られていた。そして、その心臓はこの邪竜クロウ・クルーハへと引き継がれて、私、響カスミはあの彼がそうであったように、邪竜クロウ・クルーハと一心同体となった。終焉の魔女となったのよ」
「終焉の魔女ですか」
でもだからって、わたくしには何もできない訳では無い。
心臓が邪竜クロウ・クルーハに握られているのなら、なら、カスミ様にだって――――
「負けないで、カスミ様」
私が叫んだ瞬間、
私に襲い掛かってきたクロウ・クルーハの動きが止まった。
「な、なんだ、これは? か、身体が熱い。これ以上、この女の身体に取り憑いている事ができないぃ」
「当たり前です。カスミ様は、強い方ですから」
そして、カスミ様は目覚められた。
戦士の姿となったカスミ様は剣を抜き、
「カスミ様、クロウ・クルーハの心臓は二つあります」
それは前回の戦いで知り得た情報。
そしてこれを倒すにはその心臓を同時に突かねばならない。
そのタイミングは、
「「たぁー」」
もはや言葉を交わす必要は無かったのです。
それは二人の呼吸でわかるから。
そして、邪竜クロウ・クルーハの断末魔の悲鳴が―――。
【ending】
今回の最大の勝因があるというのであれば、それはカスミ様が送ってくださったあのメール。
彼女が自分の居場所をわたくしに知らせてくださらなければ、わたくしは彼女を救えなかったのだから。
そして、わたくしは、
「オリザ、ただいま」
その明るく幸せな笑顔の花を、今度こそ二輪、咲かせる事ができたのです。
→closed
|
|
|