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<PCあけましておめでとうノベル・2007>


雪花の刻


 はらはらと
 降り積もる雪は花のようで
 舞い落ちる花は雪のようで

 雪のように 花のように
 積もりゆく想いを抱きながら、人も神も刻を重ねる。
 どうか今年も――……



■ 序 ■

 梵鐘の音が鳴り響く。
 年の終わりの冴え冴えとした空気の中で、冬の神はとある屋敷の縁側に腰を下ろし、注がれた酒を手にしていた。
 向かいに座るのは屋敷の主。綜月漣である。
 円座を敷いているとはいえ、腰を下ろしていると、そこから体の芯までもが凍ってくるような寒さだ。
 漣はそのあまりの寒さに屋内へ入ろうかと、ちらと冬の神へ視線を向けたのだが、流石に冬を司る者だけあって彼が寒さを感じているようには見えなかった。
 漣はかすかに苦笑すると、冬の神へと言葉を紡ぐ。
「今年も終わりですねぇ。刻が流れるのは常の事ですが、この日ばかりは不思議と時間というものに一線が引かれているような気分になりますよ」
「……そういうものか? 私はよくわからぬが」
 首を傾げて返してくる冬の神に、漣は他愛ない返事をする。
「貴方は常に冬に身を置いていらっしゃいますからねぇ。尤も、長く時を過ごす僕も他の方々とは些か価値観が異なるのでしょうが」
 漣の言葉に束の間思案げな表情を見せていた冬の神は、やがて、つと顔を上げた。その表情には穏やかな笑顔が見える。
「……一つ面白い事を思いついた」
「なんでしょう?」
「人間にとって、時というものがそれ程に価値をもつものならば、我々四季神が最も愛した時間の狭間を人間に見せてみたいと思うのだが、どうか?」
 それは唐突な話だった。漣は思わず目を大きく見開いて冬の神をみる。が、それも束の間。漣は普段どおりののほほんとした表情に戻ると、
「それも良いかもしれませんねぇ。彼等がそれを望むのであれば、時間を遡ってみるのも中々に面白い」
 そんな言葉を返して頷いた。
「皆さんが戻られたら、新年を祝いましょうか。それまでに馳走を用意しておきましょう」
 二人の会話に賛同するかのように、雪が、静かに降り始めていた。



■ 境界 ■

「箪笥を開けたら別世界」
 そんな物語を、子供の頃に読んだ記憶がある。
 けれどそれはあくまで物語中の出来事で、実際は箪笥を開けても洋服が詰まっているだけだ。それと同様に、玄関を開けたら家の中へ入る事が出来るのも、常識として当然の事である。だがその常識が通用しない家が、ここに在った。


 ふと、白い頬に柔らかく冷たいものが触れて、榊紗耶は空を見上げた。
 鈍色の空から、ひとひらの雪が舞い降りる。
 音も無い森閑とした世界で、次第にそれは数を増し、星のように仄かな光を帯びながら少しづつ周囲を真白へと変えて行く。
 雪の所為だろうか。空気がいつもより清浄な気がして、思わず深呼吸をしてみる。すると、雪の香とともに寒さが身の内へ入り込んで、鼻の奥が凍ったように冷たくなった。
 何を思うともなく、ただ静かにその光景を眺めていると、まるで時が止まったかのような錯覚に捉われる。紗耶は夢見心地のまま、隣を歩いていた烏丸織に独り言のような言葉を紡いだ。
「……大晦日に雪が降るの、珍しい」
 織はその言葉に頷くと、紗耶と同様にゆっくりと天を仰いだ。
「漣さんの自宅に四季神がおいでになっているそうですから、もしかしたら戯れに雪を降らせているのかもしれませんね」

 年越しをご一緒にいかがです? そんな誘いを二人が漣から受けたのは、年の瀬の差し迫った頃だった。冬の神が数年ぶりに訪ねてくれたのだと告げる漣は、いつになく楽しそうに笑っていた。
「冬の神はどんな姿をしているんだろう」
「蔓王さんは人と同じ姿をされていましたが……冬の神はどうでしょうね」
 女性なのか、男性なのか。どんな衣装を身に纏い、歳はどれほどなのか――
 織と紗耶は、いまだ出会ったことのない冬の神へと思いを馳せながら、やがて竹藪に覆われた石畳の小道を進んで漣の自宅へ辿り着くと、呼び鈴を鳴らすべく手を伸ばした。
 だが、二人が何気なく玄関へ視線を向けると、引き戸には鍵が掛けられておらず、僅かだが扉が開かれている。織と紗耶は思わず互いに顔を見合わせた。
「どうしたんでしょう。どちらかへ出かける時に、鍵をかけ忘れてしまったとか……」
「解らない。漣さんの事だし、もしかしたらいつも鍵をかけていないのかもしれない」
 それは大いにあり得る。だが、玄関を開け放したままというのは流石に危険なように思われて、躊躇いながらも織は一度呼び鈴を鳴らすと、ゆっくりと引き戸を開けた。

 突如。
 闇を一瞬にして拭い去るほどの鋭い光が、玄関内から放たれた。
 光は、夜の暗がりの中を歩いてきた二人には痛い程で、咄嗟に紗耶と織は瞳を閉じる。次にその目蓋裏に感じたものは熱だった。光とともに一筋の熱風が吹き抜けて、周囲の凍った空気を一瞬にして溶かしてゆく。
 何故、漣の自宅から熱気を帯びた風が吹いてくるのか。暖房がつけられているにせよ、外と内とではあまりにも気温に落差が大きい。
 なすすべも無く二人が光と熱とに身を委ねていると、やがて耳に雑然とした音が届けられた。幾重にも重ねられた音は、どこか高い位置から木霊するように周囲へ響き渡っている。束の間、瞳を閉じたままでその音を聞いていた織は、どこか聞き覚えのあるその音色に思わず顔を上げると、己の眼前に広がる光景に思わず呆然とした。
 つい先ほどまで存在していたはずの漣の自宅や竹藪は忽然と姿を消し、いつの間にか、むせ返るほど青々と生い茂った木々が周囲を取り囲んでいたのだ。
 夜とは一転して、夏の日差しのように強い射光が、木々の合間から地へ向かって照りつけている。先ほど耳に届いた音は、どうやら蝉の声のようだった。
「……森? どこか別の場所に飛ばされたようね」
 突然の変化に、別段驚く様子も見せずに紗耶が周囲を見渡しながら呟く。織はその声で我に返ると、暫く目の前に茂る木々へと視線を向け、やがて首を横に振った。
「いえ。森ではありません。ここの木々は、恐らく人為的に植えられたものです」
 一見森のようにも感じられるが、自然に生息する木々とは違い、明らかに人の手が加えられている。高木は一定の間隔を保って聳え立ち、その合間に低木が植えられ、所々には夏の草花が咲き乱れている。光が入り込むよう、見栄えが良いようにと、一つ一つが緻密に計算された造りだ。
「大きな庭園のような場所だと思うのですが……」
 また漣が戯れを起こして、自分達を別の場所へ移動させたのだろうか。
 瞬間的に世界が変わったのだ。自分達の飛ばされた場所が庭園であるにせよ、それが誰の自宅の庭なのか、すぐには解らなかった。
 と、それまで周囲を眺めていた紗耶の視界に、奇妙なものが映った。歩み寄り、木々の合間から様子を伺うと、そこに在ったものに思わず紗耶は瞳を見開く。
「……烏丸さん」
 目線は正面に向けたまま、紗耶は織を呼び寄せた。織はどうしたのだろうと思いながらも紗耶の傍まで近づくと、紗耶が指差す方向を眺めて思わず息を呑んだ。
「これは……」
 深い木立の狭間から見えたもの。それは広大な池と、その池を挟んだ向かいに建てられた、巨大な御殿だった。
 一瞬、御所にでも紛れ込んだのかと織は思ったが、すぐにそれは違うとわかった。屋敷の外周に巡らされた濡れ縁を、長い髪を足元まで垂らし、女房装束に身を包んだ数人の女性達がゆっくりと歩いているのだ。
「……夢、でしょうか」
「違うと思う」
 夢を渡っているのなら、私はすぐに夢だとわかるから――
 言葉にせず、紗耶は思った。
 織も紗耶も、現代から遠い過去へと時間を遡り、平安時代にでも足を踏み入れてしまったのだろうか、と暫しその光景に見惚れていたのだが。

「危ない!!」
 突然背後から声が聞こえて、二人は反射的に振り返った。それと同時に、周囲の木々に止まっていた鳥が一斉に飛び立ち、巨大な一群となって紗耶と織をめがけて急下降してきた。
 織はとっさに隣にいた紗耶をかばう。紗耶は驚いて織を見上げた後、自分達の目の前に落下して来た鳥へと視線を走らせる。鳥達は何かを守り支えるかの様に飛行し、地面ぎりぎりの所まで来ると、再び羽を羽ばたかせて、思い思いに上空へと飛び散ってゆく。

 やがて周囲に静寂が戻ると、織は紗耶へ問いかけた。
「大丈夫ですか? 紗耶さん」
「……私は大丈夫、ありがとう……でも」
 言って、紗耶が前方へと視線を向けると、織もつられてそちらの方を振り返った。
 そこには、ぺたんと尻餅をついて呆然としている一人の女の子が残されていた。まだ十一、二歳ほどだろうか。腰まで伸びた長い黒髪は微かに乱れ、身に纏った淡紅色の袙も汚れを含んでいる。どうやら木から足を滑らせて落ちたところを、先ほどの鳥達が助けたようだった。
 織と紗耶は顔を見合わせると、その子供の傍らに歩み寄ろうとした。だがそれよりも先に、一人の少年が何もない空間からふわりと姿を現して、子供の傍らに走り寄る。
「お怪我はありませんか!?」
「……びっくりした」
「『びっくりした』じゃありません! 何故いつもそう無茶なことばかりをなさるんですか!」
 座り込んでいる子供の前に片膝をつき、心配しながらも怒る少年の声色に、紗耶と織は聞き覚えがあった。
「僕だって、呼ばれてすぐ姫の傍に来られるとは限らないんですから、木に登ったり池を覗き込んだりするような事はなさらないで下さい」
「ごめんなさい蔓。高いところに登ったら、お母様のいらっしゃるお屋敷が見えるかと思って……」
 子供の口から出たその名前に、紗耶は瞳を瞬かせた。
「……蔓王?」
 思わず口に出して名前を反芻する。すると、名を呼ばれて漸く己の背後に人が居る事に気づいたのか、少年はふと立ち上がると二人の方へ振り返った。
 深縹色の長い髪を一つに結い上げ、同じ色の澄んだ瞳で織と紗耶を見つめてくる。それは、紛れもなく夏に出会った四季神、蔓王だった。
 相手が蔓王だと判ると、織もまた驚いて名前を呼ぶ。だが、蔓王には二人が誰だか解らないのか、微かに怪訝そうに首を傾げると、
「……どなたです?」
 そんな言葉を二人へと投げかけた。



■ 常夏の庭 ■

「よくおいでくださいました。少々入り乱れておりますが、こちらにおいでになる間はお寛ぎ下さいませ」
 子供と蔓王とに案内され、織と紗耶は広大な屋敷の一角にある部屋へ通された。
 すると、二人が来ることを予め知っていたかのように、控えていた初老の女が丁寧に頭を下げてくる。子供はその様子を不思議そうな面持ちで眺めながら、女へと問いかけた。
「時雨、お二人の事を知っているの?」
「いいえ。先ほど冬王様のお力の断片を感じましたので、恐らくこのような事が起こるのではないかと」
「お父様のお力?」
「はい。王は時折このような悪戯をなさいますので」
 驚かれたでしょう、と楽しそうに微笑む時雨に、織と紗耶は困ったような笑顔を浮かべた。

 どうやら冬王の悪戯で、現代から過去へ飛ばされたようだ。
 会話の端から察するに、子供は冬王の娘らしい。時雨と名乗った女は、その風貌から娘付きの女房といったところか。蔓王を見ると、今夏に出会った折よりやや背が低く、どこかあどけなさの残る顔立ちをしている。人間の歳で言えば十四、五歳位だろう。
 織は、まさか年の終わりにこんな不思議を垣間見ることが出来るなどとは思いもよらず、羽織っていたコートを脱ぎながら興味深そうに周囲を見渡した。
 室内には品の良い調度が並べられ、その傍らには、衣更えをしていたのか、捻り襲や生織の衣が色とりどりに置かれている。
 外を眺めると、夏の庭は鮮やかな緑に覆われていた。その所々に、沙羅の花や夏萩などが置かれ、濡れ縁に程近いところでは、凌霄花(のうぜんか)が庭木に絡みながら朱色の大輪を咲かせていた。
「夢ではないですよね? 空も大地も木々も同じようで同じではない。けれど、時の流れに淘汰されてなお、連綿と受け継がれる風景があると思うと、初めて見る景色も懐かしく感じますね」
 千年もの昔から現世に至るまで、受け継がれ続けている命がある事を植物から教えられ、織は思わず顔を綻ばせる。
 その言葉に、それまで無言を通していた蔓王が、ふと顔を上げて織へ尋ねた。
「あなた方がおられる地には……やはり僕も居るのでしょうか」
 織と紗耶が時代を超えてこの場に訪れたことに蔓王も気づいているのだろう。刻を重ねて尚、生き続けている自分の姿を想像出来ないのか、その表情には微かな不安が見受けられる。織はそんな蔓王に頷いて瞳を細めた。
「夏に一度、お会いしました。今の貴方よりも背が高くて……わたしに絵の中の鳥を飛ばせて見せて下さいました」
「……そうですか。不思議な気持ちですね、僕が知らない『僕』を誰かが知っているというのは」
 なんとも言えない複雑そうな面持ちの蔓王を見て、織は「いずれお会い出来ますよ」と穏やかな笑顔をみせた。


 紗耶は、己を囲む艶やかな装束の数々に見惚れていた。
「これが千年の京、か」と、心内で小さく呟く。この広い屋敷から外へ出れば、平安宮を中心に碁盤目のように広がる都の姿を見る事が出来るのだろう。その都の中で、一体この屋敷はどの辺りに位置しているのか。通りを行き交う人々が皆うち揃って平安装束を身に纏っている様子を見てみたい気もするが、一人では迷子になってしまうかもしれない。
 そんな事を考えていた時だった。
 傍らにいた時雨が、冬王の娘を見て微かな溜息を零した。
「姫様は汚れた衣をお召し替え致しませんと……そのご様子ではまた悪戯をなさいましたね」
「だって……」
 木から落ちたとは流石に言えないのだろう。娘は困惑したように一度蔓王へと視線を向ける。蔓王はその視線に気づいて苦笑すると、助け舟を出した。
「新しいものに着替えて来られてはいかがですか、姫。丁度時雨が衣更えをしていたようですし……それに」
 そこまで言って、蔓王はふと紗耶の方を眺めた。不意に目があって蔓王に微笑まれると、紗耶はおもむろに首を傾げる。
「なに?」
「良い機会ですから、紗耶さんもお召し替えをなさってはいかがです?」
 蔓王の言葉に、紗耶は思わずきょとんとする。
「私も?」
「ええ。先ほどから興味深そうに衣装をご覧になっていらしたので」
「でも……」
 そんなにじっくり眺めていただろうか、と紗耶は自分の行動を思わず反芻してしまう。すると、冬王の娘が瞳を輝かせて紗耶の傍らに近づくと、紗耶の腕に触れた。
「姫の衣をお貸しするわ。良いでしょう? 時雨」
「姫様のものでは少しお小さいですよ。奥様のお若い頃の品がございますので、そちらにお召し替えられては?」
「お母様のお若い頃の? 姫も見たい!」
 口を挟む間もなく、目の前で繰り広げられる会話を聞いていた紗耶は、どうやら着替えを余儀なくされると解ると、微かに照れた仕草で瞳を伏せる。
「重ね式目というのだったか……綺麗な色合いのものを着てみたい」
「では、是非私も色合せに参加させて頂きたいですね」
 その言葉に紗耶がふと顔を上げると、紗耶と、床に置かれた衣装とを眺めながら、織が楽しそうに微笑んでいた。


*


 薄衣の重ね――
 夏の衣装は一枚一枚が薄く、衣を重ねると下の色が僅かに透けて、上に置く色に奥行きが出る。その濃淡をいかに合わせて美しく見せるかは、選ぶ個人の感性と内面にかかっている。
「紗耶さんは、どちらかというと濃く落ち着いた色がお似合いだと思います」
「では薄様(うすよう)ではなく、村濃(むらご)か匂(におう)の合わせがよろしいでしょう」
 織が時雨の言葉に頷いて数枚の衣を選び取ると、その手触りのよさに思わず感嘆の溜息を零した。現代に残された平安装束を手にする事など滅多ある事ではない。たとえそんな好機に恵まれたとしても、古いものは少し力を入れただけで崩れてしまう可能性が高い。それを考えると、今のこの状況がとても貴重に思えて、織は慈しむように衣を膝の上に置いた。
 紗耶は、織と時雨のやり取りを見ながら、聞きなれない言葉に興味を示す。
「薄様や村濃というのは何?」
「重ねの名称ですよ。薄様というのは、濃い色彩から白へと順に着合わせるもの。村濃は濃淡を交えて着付けます。匂は同系色の重ねですね」
「烏丸さんは、随分詳しいのね」
「一応、染織を仕事にしていますから、自然と覚えてしまったのですよ」
 感心したように紗耶が告げると、織は衣を手にしながら微笑む。すると、傍らに座していた蔓王が少し離れたところから楽しそうに口を挟んだ。
「淡紫が良いかもしれません。気品が出ますから」
「そうですね。では内から紅、淡青、青、萌黄、外に淡紫で合わせましょうか。浮き織りのものよりは地紋のしっかりとしたものの方が紗耶さんらしさが出ると思います」
 織、蔓王、時雨が嬉々としながら紗耶の為に衣装を選んでいるのを、紗耶は不思議な気持ちで眺めていた。あの衣装をこれから自分が着るのかと思うと、微かに心内が弾んでくる。紗耶の隣では、冬王の娘が三人の衣合せが終わるのを今か今かと頬を紅潮させながら待っていた。
 紗耶はそんな娘に、ぽつりと言葉を零す。
「衣装を選ぶの、大変なのね」
 その言葉に娘は紗耶を見上げると、やがてにっこりと微笑んだ。
「でもお姉さまも楽しそう」
「……そうね。少し、楽しい」
 やはり心内が顔に表れているのだろう。紗耶は娘へ視線を落とすと、笑顔を浮かべた。



■ 忍冬(すいかずら) ■

「男の方はこちらへいらしては駄目よ」
 そんな言葉を無邪気に発して、紗耶の背中を押しながら冬王の娘は時雨と共に別室へ向かった。今頃は二人揃って装束に袖を通しているのだろう。織は蔓王と二人、室内に残されていた。
 互いに言葉を発せず、束の間の沈黙が二人の間に流れる。織はその沈黙を別段苦とは思わず、ふと立ち上がると濡れ縁まで出て周囲を見渡した。
 随分と大きな屋敷のように思える。今自分が居る対だけでも広大な広さを呈しているが、渡殿の向こうにも別の対があり、築地の向こうにもまた似通った作りの住まいがある。眼前に見える池は大きく、池の中央にある中島からは釣殿へ渡れるようになっていた。
 織は振り返ると、室内に座していた蔓王へ問いかける。
「冬王様の御子が住まわれているということは、こちらは冬王様のお屋敷なのでしょうか」
 その言葉に、蔓王は首を横へ振った。
「こちらは、姫の義理の父上が居られる屋敷です」
「義理の父、ですか?」
「はい。冬王様の奥様は、かつて内親王であらせられましたから……」
 そこまで言うと、蔓王は視線を僅かに落として言いよどんだ。織はそんな蔓王を見ると、濡れ縁から戻り、静かにその傍らに座った。
「例え神と言えど内親王が無位無官の者に嫁すのは体面が悪いと、表向きは左大臣様の元へ降嫁された事になっているのです」
「……複雑なのですね」
 織の言葉に、蔓王は曖昧な笑顔を見せる。
「尤も、奥様は冬王様がおいでになる冬を待たれて、常に宇治の別邸にお住まいですから、こちらへいらっしゃる事はありません」
「冬王様の御子が、宇治へ向かわれる事はないのでしょうか」
「いいえ。冬王様が姫を人間としてお育てしているので、いつか入内される折に恥のないよう、夏の間だけでもこちらで御養育をとおっしゃって……」
 他の時期には宇治へ戻られます、と蔓王はどこか寂しそうに告げる。
 織は入内という言葉に、微かな驚きを表した。あの歳で既に入内が決まっているのか、と思わず言の葉に乗せてしまうのを寸でのところで押し留める。内親王が神の元へ嫁すというだけでも、この時代であれば大事だろう。他の男の妻を己の妻として偽るよう願い出た者と、それを承諾した者との間に、何か政略的なものが隠されていてもおかしくはない。だが、それを蔓王に聞くのは躊躇われて、織はあえて話題をそらした。
「蔓王さんは、神という永き命を持つ立場について、また人という短き命についてどうお考えでしょうか」
 その問いに、蔓王は顔を上げた。何故そんな事を聞いてくるのだろうかと、些か驚いた風でもあったが、束の間思案した後で織へ向き直った。
「……よく、解りません。冬王様に御子が出来るまで、僕は深く人間と接した事がありませんでした。ですが命あるものはいつか必ず散り行きます。それを見届けるのは、僕は怖い」
「…………」
「冬王様が人間を妻とした時、凄いと思いました。そのお相手の内親王様も。すぐに別れが来ると解っていて尚、お互いを受け入れる事が出来たのですから」
 織は、蔓王の言葉を無言で聞いていた。永き命を持つ者には、その者にしか解らない苦悩がある。では短き命を抱く己はどうなのだろう、そんな疑問が脳裏を掠める。老いを知らないものに、自分が老いていく姿を見せなければならない。命を終える瞬間を見せなければならない。それは酷く残酷な事のように思えた。
 そんな織の心内を知ってか知らずか、逆に蔓王が織へと問い返した。
「織さんは?」
「え?」
「織さんは、人の生についてどうお考えですか?」
「……私は――」

 織が言葉を紡ごうとした時だった。
 衣擦れの音と共に、数人の女性達が楽しそうに言葉を交わしている声が耳に届いて、織と蔓王は会話を止めると、視線をそちらのほうへ移した。
 御簾が上げられ、着替えを済ませた冬王の娘と、鮮やかな絵柄の箱を手にした時雨が笑顔を見せながら室内へ入ってくる。その後から、どこかぎこちなさを含んだゆっくりとした所作で、装束を見につけた紗耶が入って来た。
 織は紗耶の姿を見ると、常とは異なるその姿に思わず息を呑んで瞳を瞬かせた。
「お姉さま、お綺麗でしょう?」
 冬王の娘の言葉に、視線はそのままで織は頷く。
「ええ。とてもお似合いですよ、紗耶さん」
 紗耶はそれにどう返したら良いのか解らないといった様子で、やや困惑したような、照れたような表情で目線を逸らしている。
「……歩き難くて、少し重い」
 紗耶が呟くと、織は微かに笑って紗耶へと手を差し伸べる。
「すぐに慣れますよ。座る時は袴の裾に注意して下さい」
 紗耶は頷いて織の手をとると、ゆっくりとその場に腰を下ろし、一心地ついたといったように微かな吐息を零した。
「あのね、お姉さまが貝あわせをなさりたいのですって。折角ですもの、ご一緒に遊びましょう」
 娘が嬉々とした口調で織と蔓王に同意を求める。その傍らで、時雨が手にしていた箱から鮮やかな絵の描かれた貝を取り出していた。織は蔓王と一度顔を見合わせると微笑んで頷きあった。



■ 雪花の刻 ■

 除夜の鐘の音が、年の終わりを告げる。
 低く、深く。静謐な夜の世界へと波紋のように響き渡って行く。
 その音にふと我に返ると、それまで目の前に座っていた冬王の娘や時雨の姿は無く、色鮮やかな様子を見せていた屋敷も消え去っていた。かわりに、見覚えのある縁側と夜の中庭が、二人の眼前に広がっている。どうやら漣の自宅の居間に座っているようだ。
「……戻ってきたのでしょうか」
「そうみたいね」
 織がぼんやりと周囲を見渡していると、不意に誰かから声をかけられた。
「ああ、丁度良いところへお戻りですねぇ。年越し蕎麦が出来たところですよ」
 見ると、漣が柱に凭れて縁側に座っており、小さな座卓を挟んだ向かいには、見慣れない真白の衣冠を着た男が居た。短い黒髪にやや鋭い紺碧の瞳。一見、真冬の凍てついた大地を想起させる雰囲気を身に纏ってはいるが、紗耶と織を眺める表情はとても穏やかだった。
「貴方が冬の神?」
 紗耶が男に問う。男は頷くと、その表情に柔らかな笑顔を浮かべた。
「見知らぬ者を過去へ送るのは些か無礼かとも思ったが……許せ」
 冬王の言葉に、紗耶と織は首を横に振って返す。
「無礼という訳でもない……楽しかったから」
「そうですね。年の終わりに素敵な贈りものを有難うございます」
 それを聞くと、冬王は「そうか」と一言だけ言葉を零して漣へと声をかけた。
「ところで年越し蕎麦というものは何だ?」
「おや、ご存知ではありませんでしたか。細く永く、来年も良い事が続くようにと願いを込めて大晦日に食べる慣わしがあるのですよ」
 冬王様もいかがです? と、のほほんとした口調で漣が告げる。冬王は「変わった慣わしだな」と微かに苦笑を零しながらその誘いを断ると、紗耶と織に声をかけた。
「……早く食べなければ、年が過ぎてしまうぞ」
 その言葉と同時に、漣の自宅に置かれた時計が零時を指した。
 二人は慌てて縁側へと座ると、蕎麦に手を伸ばす前に漣と冬王へ挨拶をする。
「昨年は大変お世話になりました。新年も皆様にとって幸多き年でありますよう、お祈り致しております」
「新年明けまして、おめでとう。今年も宜しく」
「こちらこそ、今年もよろしくお願いいたしますねぇ。とりあえず、順序が逆になってしまいましたが、冷めてしまいますので蕎麦を頂きましょう」
 にっこりと微笑みながら、漣が告げる。次の瞬間、ぱきんと割り箸を割る小気味の良い音が、周囲に響き渡った。


「……烏丸さん」
 三人がそろって食事に手をつけた時、紗耶がふと織に声をかけた。織は微かに首をかしげて紗耶へ視線を向ける。
「どうしました? 紗耶さん」
「去年は色々有難う。今年も宜しく……新年に能を見に行くの、楽しみにしてる」
 それを聞くと、織は笑顔を向けて紗耶へ頷く。
「こちらこそ、今年も宜しくお願い致します。今度、いつ能を見に行くか相談しましょう」
 織の言葉に、紗耶は静かに微笑んで視線を落とした。

 一つの年が終わり、また新しい一年がやってくる。
 そうして少しづつ、全ての生きる者達は歳を重ねてゆく。
 願わくば、今年も良い一年でありますよう――……




<了>


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┏┫■■■■■■■■■登場人物表■■■■■■■■■┣┓
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┗━┛★PCあけましておめでとうノベル2007★┗━┛

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【1711/榊・紗耶 (さかき・さや)/女性/16歳/夢見】
【6390/烏丸・織 (からすま・しき)/男性/23歳/染織師】

*

【NPC/冬王(つくばね)/男性体/年齢不詳/四季神】
【NPC/蔓王(かずら)/男性体/年齢不詳/四季神】
【NPC/綜月・漣(そうげつ・れん)/男性/25歳/幽霊画家・時間放浪者】


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■         ライター通信          ■
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 明けましておめでとう御座います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 ……と申し上げるには時期を逸してしまいました。申し訳ございません。
 そしてこの度は『雪花の刻』をご発注下さいましてありがとう御座いました。少しでもお気に召して頂ければ幸いです。


烏丸・織 様

 いつもお世話になっております。夏への御投入有難うございました♪
 装束の色目合せの辺りで、私自身が織さんになったかのように嬉々としながら色を選んでおりました(笑)。『忍冬』の箇所は、極力解り易いよう自己満足にならないよう書いたつもりなのですが、何かございましたらお申し出下さいませ。そして少しでも織様らしさを出せていたら嬉しいです。
 そしてまたご縁がございましたら、どうぞよろしくお願いいたしますね(^-^)