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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Similia similibus curentur



 まるで忘れ去る事を許さないかのように、それはいつでも唐突に、悪夢の形をとってヴィルア・ラグーンを襲う。
 血の如く粘りながらも、泥のように静かに意識の底で眠っていたはずの記憶が、何の前触れもなく安らかな眠りを侵蝕する。
 大勢を相手に立ち回っても汗すら滲ませない彼女が、声にならない悲鳴をあげて目を覚ました。
 冷え切った夜の帳。月はそれよりもなお冷酷に、ヴィルアの額に浮かんだ汗の珠を照らすだけで、何の救いも寄越さない。
 呻くように呪いの言葉を吐いた彼女の手の中で、冷たく濡れたシーツが二つに裂けた。



 近所では廃寺だと噂される陸玖翠の自宅に、肝試しだの鬱憤晴らしだのの名目をつけて立ち入ろうとする輩は今までにもいた。そういった人間を排する為に張った結界が、翠の第二の感覚器のように訪問者を知覚する。
 物騒な気配が、親しい者の気と混じって門扉を殴りつけるのに、翠は夜具から身を起こし、僅かに首を傾げる。
 この建物にはどんな人物が住んでいるのかと詮索される事を嫌って、術で普通の人間には寂れた建物にしか見えないように細工をしてあるのだが、それに対してこれほど乱暴なノックをする者は今までになかった。
「……ヴィル?」
 友人の名を呟き、翠は手を打ち鳴らす。水干姿の子供が二人、呼応するように音もなく現れ、主の意に従って来訪者を出迎えに行く。
 ──ヴィルアが深夜に訊ねてくるのはさして珍しい事ではないが、こんな現れ方をするのは初めてだ。
 傍若無人を絵に描いたような女だが、礼儀を知らない訳ではない。むしろ礼儀を求めれば、王族顔負けの見事な立ち居振る舞いを見せる事すら可能なのだ。それが苛立ちも隠さず、無礼極まりない訪問をしてくるとは一体何事だろう。
 やがて式に連れられ、ヴィルアが翠の前に姿を現した。その顔を一目見て、翠は彼女の来訪の理由を察する。
 いつもなら子供のように素直に感情を表に出すヴィルアが、何の表情も浮かべずに妻戸をくぐった所で立ち尽くしていた。
 今と全く同じ様子の彼女を、前にも一度だけ見た記憶がある。それに気づいていながらも、翠はいつもの鉄面皮を崩さず、ヴィルアが口を開くのをただ待った。
「……夢見が悪い」
 暫しの沈黙の後、ヴィルアは絞り出すような声でそう呟いた。
「ここで寝かせろ」
「うちは保健室ではないのだがな?」
 全てを察していても、けして下手な慰めの言葉など口に出さず、翠は呆れを滲ませた口調でそう答えた。ヴィルアが苛立ったように足を踏み鳴らす。
「馬鹿を言え。お前のような仏頂面の保健医がいた日には、寄り付く物好きな生徒などいるものか」
 完全に論旨がずれてしまっている上、それではヴィルアこそがその『物好きな生徒』になってしまう。翠は首を竦めたが、あえて反論はしない。
 式に命じて来客用の夜具を用意させようとしたら、ヴィルアはそれよりも早く、翠の床の中に潜り込んできた。
「こら。おまえの分の床を用意させるのが待てないのか」
「嫌だ。私は眠くて眠くて堪らないのだから、これで我慢してやる」
 偉そうでいて頑是無い物言いで、ヴィルアはごそごそと布団を被る。翠は盛大な溜息をつくしかない。
「私には、同性と同衾する趣味はないのだが……」
「そんなもの、私にだってない」
 鼻先まで布団を引き上げて言いながらも、ヴィルアは頑として出て行く様子を見せない。事情を知ってしまっていては、無下にすることもできなかった。翠は乱れた着物の合わせを整え、ヴィルアの額に手を押し当てる。
「……今、おまえに術をかけた」
 子守唄を歌ってやるような気持ちで、翠はそう囁く。
「これで悪夢を見ずに眠れるぞ」
「うむ」
 素直に頷いて、ヴィルアは目を閉じた。
 術をかけたというのは嘘だ。それは彼女も気付いているはず。それでも、ヴィルアはすぐに安らかな寝息を立て始めた。
 それを起こしてしまわないよう、翠はそっと床を抜け出し、暫し無言でその寝顔を見つめる。
 彼女がまた悪い夢を見たなら、必ずそこから救い出すと誓って。



 ヴィルア・ラグーンは、異国の侯爵家令嬢として生まれた。
 善政を施す事で高名なマクバーン公爵家の血を引き、女性の身でありながら侯爵の座についた彼女はまた、有能な議員でもあった。
 女性が爵位を継ぐ事も、政治の世界に身を置く事も稀な時代の話。ヴィルアは一部の王侯貴族が豪奢な暮らしに耽溺する事を善しとせず、貧しい暮らしに喘ぐ庶民に救いの手を差し伸べようとしていた。
 男女を問わず魅了する美貌。海千山千の老議員達をねじ伏せんばかりの鋭い舌鋒。いかなる迫害を受けようとも信念を貫き続けた彼女は、民衆からの絶大なる支持を得て、議会を席巻する勢いを保っていた。
 だが、ヴィルア自身の放つ光が強ければ強いほど、それは足元に濃く深い闇を生む。豊かな暮らしを手放す事を怖れた者達が密かに手を組み、どんな手を使ってでも彼女を亡き者にしようと暗躍していたのである。
 当時から彼女は男性顔負けの働きを見せていたし、僅かではあるが魔術の心得もあった。それでも、それを奸計を以て捕らえ、弑する事など、余して腐らせるほどの金と権力を持つ貴族達にとっては造作もなかった。
 ──いっそ、ただ殺されてしまった方がどんなにか楽だっただろう。翠はヴィルアの過去に思いを馳せるたび、そう考える事を禁じえない。
 愚かにして残虐な彼らは、ただヴィルアを排除するだけでは飽き足らなかった。
 ──かの国に残る、血塗られた伝説。
 強大な力を持ち、屍の山を築き、千の兵を従えて国を恐怖に陥れた吸血鬼。
 いにしえの偉大な魔術師達が、力を終結させても滅する事の叶わなかった稀代の魔。
 その肉体と力は、魔術師達の命と引き換えに分離され、遠く隔たれた場所に分けて厳重に封印されていたという。
 彼らはその力だけを地中深くから掘り起こし、ヴィルアの体に植えつけた。そうして彼女の母親を贄として与え、親殺しの吸血の徒へと堕ちた彼女を嘲笑おうとしたのだろう。
 けれど、その目論見は失敗に終わった。
 吸血鬼として覚醒した彼女は、永い間、血の一滴すら啜ることもままならなかった力の傀儡となり、その場にいた術師を、貴族達を、二つの牙で瞬く間に屠った。
 僥倖だったのは、理性を失くしたヴィルアが母をも歯牙にかける前に、その力の持つ欲望を満たせた事だろう。
 ヴィルアがようやく清明な意識を取り戻した時、母は人ならざる者へと変容させられた娘の体を抱きしめ、その背を撫でて泣いていた。
 それを渾身の思いで引きはがし、永遠の別れを告げ、彼女は闇の中へと姿を消した。そうして、『民衆の陽』と讃えられた女侯爵の名前は歴史から消えたのだ。『病死』という、偽りの幕引きで。
 翠は、死んだように眠るヴィルアの寝顔を眺めながら、式が運んできた酒を口に運ぶ。
 出会ったばかりの頃、彼女は襲い来る吸血衝動と、文字通り血を吐きながら戦っていた。
 十字架に怯えず、太陽の光を浴びても平気な彼女に、血液を摂取する必要などなかった。それなのに力は血を求め、ヴィルアに人を狩れと命じる。
 力には甘美な血の味の記憶が深く刻み込まれ、抗いがたいほどの強さでヴィルアの脳を掴んで揺さぶり、心を侵し、その肉体に至るまでを支配しようとしていた。第二の器を得て、再び凶悪なる吸血鬼を蘇らせんがため。
 獣のような咆哮を上げ、必死にそれに飲み込まれまいとする彼女に対し、翠がしてやれる事など少ししかなかった。
 ともすれば、理性の箍を緩ませて自分に襲い掛かろうとするヴィルアを叩き伏せ、苦しみ喘ぐ姿をただ黙って見守り、完全に人ならざる者へと変貌してしまいそうになるのに囁きかける。

  ──私もおまえも最早、人ではない。
  だが、かつて人であった者だと自負したいならば、その心だけは捨ててはならぬ。

 翠のその言葉に打たれ、また励まされして、ヴィルアは自制心で衝動を殺し、理性で力に克った。
 ──もう二百年ほど前の話になるだろうか。
 永遠を生きる翠に、その時間はけして長いものではなかったが、短くない事も確かだ。これほどの間、共に在ることのできた者など、数えるほどしか翠にはいないのだから。
 杯を傾けながら、翠は思う。
 翠もヴィルアも、二度と摂理の輪の中には戻れない存在だ。心を捨て、異形の己に何の疑問も抱かなくなればおそらく、あらゆる苦しみから解放されるに違いない。
 人から排斥される事を怖れないなら、そうした方がよほど楽なのだ。
 少なくとも二人とも、迫害を恐れてはいない。それならば、あとは人外の世界に一歩を踏み出すだけでいい。なのにそうしない──いや、できないのは、それが今までに誼を結んできた人々への、一番の裏切りになると分かっているからだ。
 たとえずっと一緒にいる事ができなくても、ひととき心を通わせた相手の気持ちを踏み躙る気にはどうしてもなれない。摂理に背き、手が血に染まり、この身が闇に馴染んでも、捨てられないものがあるのだ。
 人の矜持と、現在の、そしてかつての家族や友人達への愛惜。それに別れを告げられない限り、自分達はどうしたって人外の者にはなりきれないのだと知った。
「私もおまえも、他に生き続ける術を知らない……」
 翠は一人、夜の虚空に囁きかける。
「でも、きっとそれで良いのだろう……」
 眠る友人に告げるような、今は会えなくなってしまった者達に問うような声は、静寂に吸い込まれて消えていった。



 夜が明けると、ヴィルアは吸血鬼とは思えぬほど健康的に目覚め、「よく寝た」と満足そうに言い放った。
 翠が杯を手にしているのを目敏く見つけ、自分だけ飲むとは何事だと散々非難し、「私も飲むぞ」「何故、私の空腹を察して朝食を饗しないのだ!」などと好き勝手な事を口にする。
 この調子から察するに、どうやら今日のところはもう心配はなさそうだと、翠は内心で安堵した。
 女房姿の式がしずしずと膳を運んでくると、ヴィルアは目に見えて機嫌が良くなり、ぺろりと朝食を平らげて「足りない」と言う。結局、三回もおかわりをした彼女に、翠が「居候、三杯目にはそっと出し」という川柳の存在を教えてやろうと思った時、ヴィルアは感心する口調で言った。
「改めて思うのだが、この家は実にいいな。黙って座っているだけで式が何もかもやってくれる。非常に便利だ」
 その式の動力は翠の呪力でまかなわれているのだが、ヴィルアの目には動力不要の自動人形のように見えるらしい。説明しても始まらない気がしたので放置しておいたら、ヴィルアは急に顔を輝かせた。
「そうだ! いい事を思いついたぞ!」
 彼女がそう言う時は、大抵が翠にとって厄介だったり傍迷惑だったりする場合が多いのだが、とりあえず翠はヴィルアの言う『いい事』の中身を問うてやった。我ながら彼女には甘いなと、密かに苦笑しながら。
「私はこの屋敷に居候する!」
「……屋敷の主の意見を聞かずに勝手に決めるつもりか?」
 嘆息しながら言うのに、ヴィルアは眉を顰める。
「何だ、不満か? 私がここにいれば、お前とて便利だろう?」
「……敢えて訊こう。何がどう便利だと?」
「晩酌の相手に困らない!」
 腰に手を当て、胸を反らして嬉しそうに言い切られてしまっては何も言い返せない。翠は溜息混じりに答えた。
「……好きにしなさい」
「うむ!」
 ヴィルアはいそいそと立ち上がり、この寝殿造の屋敷のどの部屋を占領しようかと物色を始める。楽しそうに蔀戸を押し上げてあちこち徘徊する彼女の姿を眺めながら、翠はぼんやりと思った。
 異国生まれの彼女の為に、式に命じて一番日当たりのいい部屋を洋間に改造してやるのはどうだろうか。尊大な性格のヴィルアに似合いの玉座を据えてやったら、彼女は一体どんな反応をするだろう。
 いっそ悪趣味に、棺桶型のベッドを設えてみたいような気もした。洒落っ気たっぷりのヴィルアのことだ、きっと大喜びするに違いないという確信があった。
 そんな事をつらつらと考えて、口許が自然と緩んでいるのに気がつく。
 また少し、孤独を払拭された翠の視線の先で、ヴィルアが同じように朗色を浮かべて、子供のようにはしゃいでいた。



■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【6118/陸玖・翠(リク・ミドリ)/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師】

【6777/ヴィルア・ラグーン(ヴィルア・ラグーン)/女性/28歳/運び屋】