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<東京怪談・PCゲームノベル>


月残るねざめの空の  伍


 百八つを数える鐘の音が幾つ目を数えたものか、真言には見当もつかない。
 遠く響くそれを耳元で流し留めつつ、真言は白い息をひとつ吐き出した。
 じきに古い年は終わりを告げ、暦は新しい年へと切り替わる。年の瀬ともあれば、フリーターとしてあちこちでバイトに勤しむ真言にとって、筆舌しがたいほどの忙しさに忙殺されるところとなるのだが、この年の仕事は先ほど終わりを告げ、真言は久し振りにゆっくりとした心もちを味わうことが出来た。
 年が明ければ数日ばかりの休みを得ることが出来る。
 安堵の息を吐きながら、真言は当て所もなく夜の街中を歩き続けていた。

 夜の闇で満たされた異界・四つ辻。そこへ行くための手段は、既に数度ばかり足を入れた今となっても、まるで見当もつかない。
 世界のどこかが不意に繋がるものなのか、あるいは四つ辻に住まう誰かの導きによるものなのかも、真言にはまるで分からないことばかりだ。
 が、真言には心のどこかに奇妙な確信があった。
 真言は四つ辻との縁を持てている。真言が足を寄せようと思えば、四つ辻はおそらくその入り口をひっそりと開いてくれるはずなのだ、と。
 そして、果たしてそれは確かなものとなる。
 街灯のない道の角を折れた瞬間に、真言は現世とは異なる場所、すなわち四つ辻へと踏み入れていたのだ。

 四つ辻もまた年の瀬の賑わいに包まれていた。時の流れを感じさせない空間ながらも、四つ辻は時折こうして現世の真似事に興じてみたりもする。あるいは、四つ辻に住む妖怪達が現世を懐かしんで興じているのかもしれない。
 道中酒の匂いを振り撒く陽気な妖怪達とすれ違い、歓迎を受けながら、真言はもはや慣れ親しんだとも言うべき大路を迷うことなく進んだ。
「真言様?」
 だから、闇の中、不意に背後からそう声がかかった時、真言はさほど驚くこともなく足を止めることが出来たのだ。
「立藤か」
 肩越しに振り向きながら名前を口にする。
 振り向いた視線の先で微笑む艶やかな太夫の姿を確めて、真言は心の奥底だけで深々と呼吸を整えた。
「なにやらご無沙汰でありんすねえ」
 立藤は喜色を満面に浮かべ、小走り気味に真言の傍まで歩み寄る。黒髪に挿した小鈴が小さく揺れて闇を唄った。
「ああ、――そうだな」
 真言が応えたその時、立藤がわずかに体勢を崩し、前のめりに転げそうになった。小走りに駆けてきたのに、足元がおぼつかなくなったのだろう。
 咄嗟に手を伸べて立藤の身を支え、真言は小さく安堵の息を吐き出した。
「大丈夫か、立藤」
 訊ねたものの、立藤は真言の手の中でしばしもぞもぞと揺れ動くばかり。
「? 怪我でもしたのか?」
 次いで言葉をかけながら立藤の様子を窺い、確める。
 立藤は上目に真言の顔を仰ぎ見て、頬をわずかに紅潮させていた。――艶やかな笑みばかりを浮かべている女とは思えない、目にしたことのない表情だ。
「大丈夫でありんす」
 真言の視線に気がついたのか、立藤はゆっくりと身を起こして簪に手をあてる。
 わずかに首をかたむけて、真言もまた所在なさげに首を掻く。
「暗いからな。明かりのひとつもあればいいんだが」
「行灯などいりませんわいな」
 立藤はふとかぶりを振って、何事かを思い決したようにうなずいた。そしてつと片手を伸べて、真言の上着の袖を軽くつまむ。
「真言様が守ってくれなんし」
 言って、再び上目に真言の顔を仰ぐ。
 真言は立藤の手がつまんだ袖口に目をやって、首を掻きながら小さくうなずいた。
「ああ、……そうだな」

 そのままで大路を歩き、方々で酒気を帯びた妖怪達との邂逅を得る。
 餅をついているものもあれば、ひたすらに升酒を楽しむものもいる。童の見目をもったものは独楽を回したり、あるいは凧を作ったりしているものもいた。
 彼らは見た目こそ人間のそれを外れているものの、それ以外では人間となんら変わらない。そこにあるのは現世でも目にすることが出来そうな、何ら変哲もない日常風景だ。
 立藤と連れ立って歩く真言には冷やかしなどがかけられる。立藤はそれを軽くいなして歩き過ぎるが、真言の心中は正直なところ落ち着かない。
 女が歩く速さに合わせて足を進めるというのには、正直なところ不慣れだと言ってもいいだろう。それだけでも幾許かの緊張を得るというのに、その上、立藤が自分の袖を掴まえ、必定、時折思い出したように手と手が触れるのだ。
 ぼうやりとしたぬくもりを覚えるたびに、真言は小さく目をしばたかせる。
 ――緊張しているのだ。
「真言様?」
 立藤が真言の顔を覗きこんで首をかしげた。
 真言は慌てて立藤の視線を確め、「なんだ?」と一言だけ返す。
「今宵の真言様は、何やらいつもと少ぉしばかり違うふうでありんすねえ?」
 立藤の目が不安そうに真言を見上げている。
 真言は心の底でかぶりを振って、わずかに笑みを浮かべた。
「いや、正月の風景というのは、四つ辻も現世も変わらないもんなんだなと思ってな」
 応えると、それを受けて、立藤もまたやわらかな笑みを浮かべる。
「四つ辻の者共は、皆かつては現し世に出入りをしていた者ばかりでありんすえ。現し世を懐かしみ、時節ごとの真似事をしたくなるのも道理のこと」
「そうなんだろうな。皆楽しそうだ」
「それに、去り往く年を盛大に送りだして、新しい年を盛大に迎えるという心は、人も化け物もなんにも変わりはせんわいなあ」
「うん」
 うなずき、立藤の顔を見る。
「……忙しかったりとかはしないのか」
「え?」
 立藤の首がかしげられる。
 真言は心もち焦りを覚え、「いや、その」と言葉を続けた。
「あー、いや、その、なんだ」
 頬を掻き、視線を宙に躍らせる。
「その、なんだ。……時間があるなら、その、今日は……今日ぐらいはあんたと一緒に過ごせればなんて思うんだが」
 言って、泳がせていた視線をそろそろと立藤へと戻す。
 立藤は深い知慮を思わせる眼差しで真言を仰ぎ眺め、そして不意に軽やかに笑った。
「わっちも、真言様と一緒がいいでありんす」
 澄んだ、やわらかな陽射しのような笑顔だった。
 真言は安堵の息を吐き、そして再び歩き出す。

 大路のそこかしこでは妖怪達が餅をつき、升酒や甘酒を呑んでいる。真言と立藤とに気がつくと、彼らはそれを分けてよこし、真言はそれを恐縮しながらも受け取った。
 路脇には竹製の長椅子が置かれている。そこで餅を食すのだろうか。
 ぜんざいと甘酒を持って長椅子に座り、立藤が甘酒を口に運んだのを確めてから箸を口に運ぶ。
「美味でありんすねえ」
 白い湯気をのぼらせながら、立藤は嬉しそうに頬を緩めた。
 真言は立藤の横顔を見つめ、それから暗いばかりの空を仰ぐ。

 除夜の鐘はもう百八つを終えただろうか。
 そう考えていた矢先、妖怪達の喧騒が一層色濃いものへと変わる。
「年が明けたようでありんすえ」
 甘酒を手に、立藤がのんびりと告げた。
「真言様、今年もよろしゅう」
 しゃなりと首をかしげて微笑んだ立藤に、真言は小さなうなずきを返して甘酒を口にする。

 立藤に伝えなくてはならない言葉がいくつもある。けれども、それは口にしようとすればやすやすと崩れていきそうな気がして、――あるいは単純に、真言が口下手なだけなのかもしれないが。
 とにかくも、それを上手く伝えられるだけの自信が持てないのだ。
 しかし、今日は。
 思い至り、真言は小さく呼吸を整えて、改めて立藤へと向き直る。
「俺は、」
 口を開けるのと同時に、言葉は堰をきったように流れ出す。
 立藤は目をしばたかせて真言を仰いだ。
「俺は、出来ればこうしてあんたと一緒にいられる時間を、少しでも長く……多く持ちたい。あんたと俺とでは、住む場所も種族も違うし、たぶん価値観なんかも違うんだろう、もちろん」
 立藤がかすかにかぶりを振る。
「でも、……しかし、俺には、こういう時間を望むのも、あんたのことを考える時間も、……そういったものがなくなるなんてのが想像もつかない」
 言って、俺はなにを言ってるんだとぼやきながら髪を掻きまぜた。
 が、立藤の顔が見る間に綻んでいくのを横目に見て、真言は落ち着かない視線をゆるゆると立藤の笑顔へと向ける。
 立藤は甘酒で温まった両手で真言の手を握り、そして嬉しそうに頬を緩めた。
 立藤の声がゆっくりと言葉を成していく。
 遠く近く、妖怪達が新しい年を祝うのが聴こえる。
 真言もまた笑みを浮かべて、少しの躊躇の後、そろそろと立藤の手を握り返した。


 
 





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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【4441 / 物部・真言 / 男性 / 24歳 / フリーアルバイター】



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          ライター通信          
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お世話様です。いつもご発注くださいまして、まことにありがとうございます。

年明けのノベルですよね。……もはや元日の名残りも消え失せた今日この頃ですが、少しでもお楽しみいただけていましたら幸いです。
といいますか、今回は新年うんぬんというよりは、もう、あまあまなばかりのノベルになりました。い、いかがでしたか。
立藤も、もう花魁としての顔ではなく、ひとりの女としての顔を真言様に向けています。
よろしければまたかまってやってくださると、非常にありがたく思います。

それでは、またご縁をいただけますようにと祈りつつ。